Re: ahirutousagi2さん こんにちは
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/18 12:54 投稿番号: [17918 / 18519]
私は簡単なことを申し上げていて、事実としての文書に関連して、その間にある流れを「限定的に規定」して「想像」しまうべきではない、ということです。
もしも、そのように推測されるなら、推測される、と書けばよいことだと思います。それだけのことを申し上げています。
No.17912に私は流れを書きました。(やや訂正しました)
1.1695年12月24日 老中が鳥取藩に「竹嶋はいつから因幡・伯耆に?」と質問。
2.1965年12月25日 鳥取藩から竹嶋・松嶋は自藩に附属しないと回答。
3.1696年1月25日 鳥取藩が幕府に「松嶋はいずれの藩(国)にも附属しない」と書付提出
4.1696年1月28日 老中より竹嶋渡海の禁制
上の1.2はもしかしたら日付に誤差があるかもしれません。報告書に若干の矛盾があるからです。また原文の日付が見えません。1〜2日の誤差かと思いますが。
ともあれ、この流れにおいて、2と3の間に何らかの幕府からの問い合わせがあった可能性は充分にあります。そう考えるのが自然でしょうし、可能性が高いでしょう。これは私は全く否定しません。ですから、「幕府から何らかの問い合わせがあったと推測される」と書けば済むことで、
>幕府は再び「松嶋とは?」と問い合わせをします。
は、「想像」ですね、と申し上げました。大した違いではありませんが、ときとして、大きな誤解にもなりえますので、このあたりは注意に越したことないと思います。
で、どういう推測が可能か。お示しの資料の39頁をご覧いただければ翻刻文が出ていますが、ここからうかがわれるのは、中心が「松嶋・竹嶋の位置関係についての理解しているところを知らせよ」にあり、あわせて「松嶋はどこ(藩)の所属であり、どのようなことがなされている島か」ということが同時に尋ねられていることがうかがえます。
前者に対しては藩としての覚書を提出し、後者については別紙で別途、松嶋の認識を記したものと思われます。そして、結局、老中は竹嶋渡海を禁制とする判断を下したわけでした。
個人的な文書評価としては、老中は松嶋を放棄したわけではない、という一つの傍証になる資料かと理解しています。松嶋の説明を受けた上で三日後に「竹嶋」のみの渡海禁制を出しているからです。
ただ、当時、幕府は松嶋に対する積極的な領土認識は薄く(全くないとは申し上げません)、そのあたりの曖昧さはこの時代においては特殊なことでもないのではないかという気もします。
さきにいくつか質問を申し上げました。とりわけお笑い外務省のパンフレットについて笑えるところをいろいろと教えていただければ幸いです。私も同意できない記述はありますが、概ね、批判本である内藤氏の本などを見るとパンフレットのほうがよほどまし、という印象が、個人的にはあります。
もしも、そのように推測されるなら、推測される、と書けばよいことだと思います。それだけのことを申し上げています。
No.17912に私は流れを書きました。(やや訂正しました)
1.1695年12月24日 老中が鳥取藩に「竹嶋はいつから因幡・伯耆に?」と質問。
2.1965年12月25日 鳥取藩から竹嶋・松嶋は自藩に附属しないと回答。
3.1696年1月25日 鳥取藩が幕府に「松嶋はいずれの藩(国)にも附属しない」と書付提出
4.1696年1月28日 老中より竹嶋渡海の禁制
上の1.2はもしかしたら日付に誤差があるかもしれません。報告書に若干の矛盾があるからです。また原文の日付が見えません。1〜2日の誤差かと思いますが。
ともあれ、この流れにおいて、2と3の間に何らかの幕府からの問い合わせがあった可能性は充分にあります。そう考えるのが自然でしょうし、可能性が高いでしょう。これは私は全く否定しません。ですから、「幕府から何らかの問い合わせがあったと推測される」と書けば済むことで、
>幕府は再び「松嶋とは?」と問い合わせをします。
は、「想像」ですね、と申し上げました。大した違いではありませんが、ときとして、大きな誤解にもなりえますので、このあたりは注意に越したことないと思います。
で、どういう推測が可能か。お示しの資料の39頁をご覧いただければ翻刻文が出ていますが、ここからうかがわれるのは、中心が「松嶋・竹嶋の位置関係についての理解しているところを知らせよ」にあり、あわせて「松嶋はどこ(藩)の所属であり、どのようなことがなされている島か」ということが同時に尋ねられていることがうかがえます。
前者に対しては藩としての覚書を提出し、後者については別紙で別途、松嶋の認識を記したものと思われます。そして、結局、老中は竹嶋渡海を禁制とする判断を下したわけでした。
個人的な文書評価としては、老中は松嶋を放棄したわけではない、という一つの傍証になる資料かと理解しています。松嶋の説明を受けた上で三日後に「竹嶋」のみの渡海禁制を出しているからです。
ただ、当時、幕府は松嶋に対する積極的な領土認識は薄く(全くないとは申し上げません)、そのあたりの曖昧さはこの時代においては特殊なことでもないのではないかという気もします。
さきにいくつか質問を申し上げました。とりわけお笑い外務省のパンフレットについて笑えるところをいろいろと教えていただければ幸いです。私も同意できない記述はありますが、概ね、批判本である内藤氏の本などを見るとパンフレットのほうがよほどまし、という印象が、個人的にはあります。
これは メッセージ 17917 (h369jp さん)への返信です.
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