竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/03/15 23:40 投稿番号: [17897 / 18519]
「竹嶋は因幡 伯耆附属にては無御座候」であるが、このあとに村川・大谷が渡海の奉書をもらったという文が続く。まず、江戸時代の領地の仕組みを整理すると、各藩主は幕府から領地朱印状や領地判物を与えられその領地を統治していた。鳥取藩のような10万石以上の大名は、将軍の花押付きの領知判物が交付されている。領地判物には村名や石高が書かれた目録が付属していた。1664年になると一端、領地朱印状や領地判物が幕府に返納され、家綱の名義の地朱印状や領地判物が交付され、以降将軍が変わることに新しい将軍名義の領地朱印状や領地判物が交付されるようになった。
竹嶋渡海免許は領地判物とは形式も文面の内容も異なっており、池田新太郎光政を通じて村川と大谷に渡海を許可するということしか書かれていない。将軍から所領を安堵されていない竹嶋について鳥取藩が自藩領と回答することは最初からありえず、村川・大谷への奉書のことをありのままに続けて書いたことになる。鳥取藩としては直領若しくは直領だった隠岐の島だと判断していたと考えると背景との整合もとれるのではなかろうか。
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