竹島

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 男に二言はない

投稿者: llllowollll 投稿日時: 2008/06/16 00:21 投稿番号: [16769 / 18519]
そんなこたあどうでもいい。
全ての反論に目と耳を塞ぎ続ける自分を何とかしろ。

反論できないなら壁貼りするな。

いい大人なんだから少しは考えたらどうだ?

男に二言はない

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/06/15 22:02 投稿番号: [16768 / 18519]
半月城です。

   いつか、senkaku_islandsさんが「男に二言はない」と発した言葉が今さらながらに思いおこされます。その一方で、私は誰かさんを「狼少年」になぞらえたことがありました。益々本領を発揮しているようです。
   今回の石島資料に関する senkaku_islandsさんの提案は単なる攪乱が目的なのか、それに応じてもいいという私の回答に対し、senkaku_islandsさんは2週間以上たっても回答不能のようです。senkaku_islandsさんの「オトコに二言はない」という意味は、フォローの「二言目」がないという意味だったようです。

Re:馬星領土紛争判決

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/06/15 17:42 投稿番号: [16767 / 18519]
判決文の要約をさらに要約すると、次のような構図なんですかね。

  すなわち、

  その島は、かつては、マレーシア側の包括的支配の中にあり、後にシンガポール側に譲渡されたわけでもない。

  しかし、その後、マレーシア側の領有意識はあいまいになり、1953年には「そんなの関係無ぇ!」と言ってしまった。

  その後、シンガポールがその島の実効支配を強め、それに対してマレーシアは特別な反応を示さなかった。

  1979年になってマレーシアが改めて領有権を主張したが、もう遅かった。

馬星領土紛争判決要約(5)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/06/15 16:24 投稿番号: [16766 / 18519]
  法廷は、特にシンガポール及びその前身政権による主権に基づいた行動に言及し、それらに対する応答が無かったことを含めたマレーシア及びその前身政権の行動を総合的に考慮し、1980年(紛争が具体化した年)までに、ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの領有権はシンガポールに移ったものと結論付けた。法廷は、こうして、ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの領有権がシンガポールにあるとの判断を下した。

  The Court concludes, especially by reference to the conduct of Singapore and its predecessors &agrave; titre de souverain, taken together with the conduct of Malaysia and its predecessors including their failure to respond to the conduct of Singapore and its predecessors, that by 1980 (when the dispute crystallized) sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh had passed to Singapore. The Court thus concludes that sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh belongs to Singapore.



ミドル・ロックとサウス・レッジの領有権
Sovereignty over Middle Rocks and South Ledge

  マレーシアは、この2つの海浜地形が常にジョホール/マレーシアの主権の下にあったと主張し、シンガポールは、それらの主権はペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの主権と一体のものであるという立場を取った。

  ミドル・ロックに関して、法廷は、ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーに係る主権が明らかにシンガポールにあると判断される特有の状況は、ミドル・ロックにも適用されるものではないとした。したがって、ミドル・ロックに対する固有の権原は、ジョホール王国を引き継いだマレーシアにあるものとされた。

  Malaysia claims that the two maritime features have always been under Johor/Malaysian sovereignty while Singapore’s position is that sovereignty over the features goes together with sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh.
  With respect to Middle Rocks, the Court observes that the particular circumstances which led it to find that sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh rests with Singapore clearly do not apply to Middle Rocks. It therefore finds that original title to Middle Rocks should remain with Malaysia as the successor to the Sultanate of Johor.


  サウス・レッジに関しては、法廷は、この干潮時に現れる地形が、ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテー及びミドル・ロックによって規定される領海の明らかに重なる部分に在る点に注目した。その地域の領海の範囲を決定しようとする両国の指令がなされたことが無かったことを想起して、法廷は、サウス・レッジの領有権は、それが位置する領海の国に属していると結論付けた。

  As for South Ledge, the Court notes that this low-tide elevation falls within the apparently overlapping territorial waters generated by Pedra Branca/Pulau Batu Puteh and by Middle Rocks. Recalling that it has not been mandated by the Parties to draw the line of delimitation with respect to their territorial waters in the area, the Court concludes that sovereignty over South Ledge belongs to the State in the territorial waters of which it is located.



裁判所の構成   (以下省略)



(出典)
国際司法裁判所   非公式報道資料   2008年第10号   2008/05/23
http://www.icj-cij.org/docket/files/130/14490.pdf





  判決文は長文なので、報道用資料を翻訳して見ました。翻訳の誤りがあれば、どなたによらず御指摘ください。

馬星領土紛争判決要約(4)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/06/15 16:15 投稿番号: [16765 / 18519]
   法廷は、1953年6月12日にジョホール王国の顧問である英国人に当てて書かれた手紙に注目した。その手紙は、シンガポールの植民地総督が「植民地の領海」の範囲を決定するために、ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの地位に関する情報を求めたものであった。ジョホールの国務長官代理は、1953年9月21日付けの手紙において、「ジョホール政府はその島の所有権を主張したことはない」と回答した。法廷は、この応答とその解釈が、ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの領有権についての両国の流動的な理解を決定するために核心的な重要性を有すると考え、ジョホールの回答が、1953年現在、ジョホールがペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの領有権を有していないと理解していたことを示すものと判断するに至った。

  The Court notes that in a letter written on 12 June 1953 to the British Adviser to the Sultan of Johor, the Colonial Secretary of Singapore asked for information about the status of Pedra Branca/Pulau Batu Puteh in the context of determining the boundaries of the “Colony’s territorial waters”. In a letter dated 21 September 1953, the Acting State Secretary of Johor replied that the “Johore Government [did] not claim ownership” of the island. The Court considers that this correspondence and its interpretation are of central importance “for determining the developing understanding of the two Parties about sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh” and finds that the Johor’s reply shows that as of 1953 Johor understood that it did not have sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh.


   法廷は、最後に、1953年以後に両国がその島に関して取った行動について審査した。それに関して提出されたすべての主張を審査して、法廷は、一定の行為、特に、その島の領海内においてシンガポールによる難破船の調査が行われたこと、その島の周辺海域を調査しようとするマレーシア当局者に対してシンガポールから許可が与えられたり与えられなかったりしたことが、主権の行使に基づくものと見ることができると判断した。

  The Court finally examines the conduct of the Parties after 1953 with respect to the island. Having reviewed all arguments submitted to it, it finds that certain acts, inter alia the investigation of shipwrecks by Singapore within the island’s territorial waters and the permission granted or not granted by Singapore to Malaysian officials to survey the waters surrounding the island, may be seen as conduct &agrave; titre de souverain.


   法廷は、また、両国の行動について、一定の比重がシンガポールの主張を支持する方向に働くものと考えた。すなわち、その島にシンガポール国旗が掲揚されたことに対してマレーシアから反応が無かったこと、1977年にその島にシンガポールの軍事通信設備が設置されたこと、その島の拡張のための埋め立て計画がシンガポールによって策定されたこと、及びいくつかの出版物や地図の発行である。

  The Court also considers that some weight can be given to the conduct of the Parties in support of Singapore’s claim (i.e., the absence of reaction from Malaysia to the flying of the Singapore ensign on the island, the installation by Singapore of military   communications equipment on the island in 1977, and the proposed reclamation plans by Singapore to extend the island, as well as a few specific publications and maps).


(続く)

馬星領土紛争判決要約(3)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/06/15 14:31 投稿番号: [16764 / 18519]
   法廷は、次に、この権原が、1824年から1840年代に至る期間の動向によって影響を受けたかどうかを考察した。

   1824年3月、この地域における植民支配勢力であったイギリスとオランダは、東インド諸島地域における両国の勢力範囲を明確にする実質的効果を有する協定に署名した。結果として、ジョホール王国(スルタン・フセインの治下にあった)の一部分は英国の勢力範囲に入り、他の部分(スルタン・フセインの兄弟であるスルタン・アブドゥル・ラーマンの治下にあった)はオランダの勢力範囲に入った。1824年8月、スルタン・フセインは、いわゆるクローファード条約により、イギリス東インド会社に対し、シンガポールの海岸から10マイル内の隣接海域、海峡及び小島と併せてシンガポールの島を譲渡した。

  The Court then looks at whether this title was affected by developments in the period between 1824 and the 1840s. In March 1824, the colonial Powers in the region, the United Kingdom and the Netherlands, signed a Treaty which had the practical effect of broadly establishing the spheres of influence of the two Powers in the East Indies. As a consequence, one part of the Sultanate of Johor (under Sultan Hussein) fell within the British sphere of influence while the other (under Sultan Abdul Rahman, Sultan Hussein’s brother) fell within a Dutch sphere of influence. In August 1824, Sultan Hussein ceded the island of Singapore, together with its adjacent seas, straits, and islets to the extent of 10 geographical miles from the coast of Singapore to the English East India Company in the so-called Crawfurd Treaty.

   最終的に、1825年6月25日の手紙において、サルタン・アブドゥル・ラーマンは、ある領域(それは既に英国の勢力範囲の中にあった)を彼の兄弟に「贈与」し、それによって旧ジョホール王国の分割を確定させた。これらの情勢の法的効果を慎重に考慮した結果、法廷は、それらの動きが権原に何らの変化も引き起こさなかったことを確認した。

Finally, in a letter of 25 June 1825, Sultan Abdul Rahman “donated” certain territories, which were already within the British sphere of influence, to his brother, thereby confirming the division of the “old” Sultanate of Johor. After careful consideration of the legal effects of these developments, the Court finds that none of them brought any change to the original title.


   法廷は、さらに、マレーシア及びその前身である政権がその島に対する領有権を保持したかどうかを判断するために、1840年代以後のペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの法的地位を検討した。そのためには、関連の事実、すなわち、その期間における両国(その前身を含む)の行動を評価する必要があった。
   法廷は、灯台の建設場所の選定過程及びそれに続く建設をめぐる諸手続について、1852〜1952年の間の両国の前身政権の行為も含めて審査した。その中で、特に、ホルスブール灯台及びシンガポール海峡における海峡照明システムに関する英国及びシンガポールの法的関係、シンガポールとマレーシアの憲法の動向、そして1860年代のジョホールの漁業規制に留意した。しかし、事案の判断のためのいかなる結論も出すことができなかった。

  The Court turns next to the legal status of Pedra Branca/Pulau Batu Puteh after the 1840s to determine whether Malaysia and its predecessor retained sovereignty over the island. It observes that in order to do so, it needs to assess the relevant facts, consisting mainly of the conduct of the Parties (and of their predecessors) during the period under review.
  The Court examines the events surrounding the selection process of the site of the lighthouse and the construction of the latter, as well as the conduct of the Parties’ predecessors between 1852 and 1952 (in particular with respect to the British and Singapore legislation relating to Horsburgh lighthouse and in the context of the Straits lights system; constitutional developments of Singapore and Malaysia; and Johor regulation of fisheries in the 1860s), but is unable to draw any conclusions for the purposes of the case.

(続く)

馬星領土紛争判決要約(2)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/06/15 14:12 投稿番号: [16763 / 18519]
ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの領有権
Sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh

   マレーシアは、かつてのジョホール王国の時代からペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーに対する固有の権原を有しており、その権原を継続して有していると主張し、一方、シンガポールは、その島は、イギリス(シンガポールはかつてイギリス領であった)が灯台を建設するために島の合法的な所有権を取得する1800年代半ばまでは無主地であったと主張した。

  Malaysia contends that it has an original title to Pedra Branca/Pulau Batu Puteh (dating back from the time of its predecessor, the Sultanate of Johor) and that it continues to hold this title, while Singapore claims that the island was terra nullius in the mid-1800s when the United Kingdom (its predecessor) took lawful possession of the island in order to construct a lighthouse.


   法廷は、両国から提出された証拠を審査した結果、ジョホール王国の領域は原則としてシンガポール海峡内のすべての島嶼に及んでおり、したがってペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーも含まれるとの判断に至った。王国によるこの島の所有は、その地域の他のいかなる政権からも異議を受けることが無かった。したがって、それは「領土主権の継続的かつ平和的な表示」という必要条件を満たしていた。法廷は、このように、ジョホール王国にはペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーに対する固有の権原があったと結論付けた。この古代の権原は、ジョホール王国の権力が「海の人々」(ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーを含むシンガポール海峡の島々に居住又は来訪して、この海一帯をその生活の場とした人々)に及んだその態様と程度によって、より確実なものと判断された。

  Having reviewed the evidence submitted by the Parties, the Court finds that the territorial domain of the Sultanate of Johor did cover in principle all the islands and islets within the Straits of Singapore and did thus include Pedra Branca/Pulau Batu Puteh. It establishes that this possession of the islands by the Sultanate was never challenged by any other Power in the region; and that it therefore satisfies the condition of “continuous and peaceful display of territorial sovereignty”. The Court thus concludes that the Sultanate of Johor had original title to Pedra Branca/Pulau Batu Puteh. It adds that this ancient title is confirmed by the nature and degree of the Sultan of Johor’s authority exercised over the Orang Laut (“the people of the sea”, who inhabited or visited the islands in the Straits of Singapore, including Pedra Branca/Pulau Batu Puteh and made this maritime area their habitat).


 
(続く)

馬星領土紛争判決要約(1)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/06/15 14:01 投稿番号: [16762 / 18519]
<国際司法裁判所   非公式報道資料   2008年第10号>
2008/05/23
「マレーシア、シンガポール間のペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテー、ミドル・ロック及びサウス・レッジの領有権」

Press Release UNOFFICIAL No. 2008/10
23 May 2008
Sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh, Middle Rocks and South Ledge (Malaysia/Singapore)
http://www.icj-cij.org/docket/files/130/14490.pdf



   法廷は、シンガポールはペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの領有権を有し、マレーシアはミドル・ロックの領有権を有し、そしてサウス・レッジの領有権は、それが所在する領海の国に属することを確認した。

  The Court finds that Singapore has sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh; that Malaysia has sovereignty over Middle Rocks; and that sovereignty over South Ledge belongs to the State in the territorial waters of which it is located.


   2008年5月23日、国際連合の専門裁判機構である国際司法裁判所は、本日、シンガポール、マレーシア間のペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテー、ミドル・ロック及びサウス・レッジの領有権の紛争について判決を下した。

THE HAGUE, 23 May 2008. The International Court of Justice (ICJ), principal judicial organ of the United Nations, today rendered its Judgment in the case concerning Sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh, Middle Rocks and South Ledge (Malaysia/Singapore).


   最終的かつ拘束力があり上級審のないこの判決において、法廷は、12対4の評決でペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの領有権がシンガポール共和国に属し、15対1の評決でミドル・ロックの領有権がマレーシアに属し、15対1の評決でサウス・レッジの領有権はそれが所在する領海の国に属するとの判断を下した。

  In its Judgment, which is final, binding and without appeal, the Court finds by twelve votes to four that sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh belongs to the Republic of Singapore; finds by fifteen votes to one that sovereignty over Middle Rocks belongs to Malaysia; finds by fifteen votes to one that sovereignty over South Ledge belongs to the State in the territorial waters of which it is located.


判決理由   Reasoning of the Court

   法廷は、まず、マレーシアとシンガポール間のシンガポール海峡の海浜地域、すなわちペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテー(花崗岩の島であり、その上にホルスブール灯台が立っている)、ミドル・ロック(常に水没することのないいくつかの岩)及びサウス・レッジ(干潮時に現れる岩棚)の領有権に関する紛争について説明する。

  The Court first explains that the dispute between Malaysia and Singapore concerns sovereignty over three maritime features in the Straits of Singapore: Pedra Branca/Pulau Batu Puteh (a granite island on which Horsburgh lighthouse stands), Middle Rocks (consisting of some rocks that are permanently above water) and South Ledge (a low-tide elevation).


   法廷は、事案の歴史的背景を記述した上で、ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーの領有権に関する論争が、1980年2月14日、すなわち、シンガポールが、その島がマレーシアの領海の中にあるように表示した1979年のマレーシアの地図の発行に抗議した時に具体化したことに注目した。また、法廷は、ミドル・ロックとサウス・レッジの領有権に関する論争は、1993年2月6日、すなわち、シンガポールが二国間交渉において、ペドラ・ブランカ/プラウ・バツ・プテーに関する主張の一環としてその2つの地形構造物に言及した時に具体化したと認識した。

  Having described the historical background of the case, the Court notes that the dispute as to sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh crystallized on 14 February 1980, when Singapore protested against the publication in 1979 by Malaysia of a map depicting the island as lying within Malaysia’s territorial waters. It further observes that the dispute as to sovereignty over Middle Rocks and South Ledge crystallized on 6 February 1993, when Singapore referred to the two features in the context of its claim to Pedra Branca/Pulau Batu Puteh durin

新たな宿題の訂正。

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/11 08:31 投稿番号: [16761 / 18519]
>・本来は、シンガポールの分離独立後の実効支配のみが有効であるが、独立とは無関係にそれ以前も有効とする合意が成立したので、独立前の1953年からの実効支配を重視しなければならなかった。

これでも「しかし」は成立せんな。

>AHO:しかし裁判所は、1953年以降1980年までの事実関係を重視せざるを得なかったし

「しかし」で接続しているということは、前文では1953年からシンガポール独立までの実効支配を否定しないとおかしいな。
ってことは
・1953年から独立までの実効支配は独立とは無関係に法的効力をもたないという合意がシンガポールとマレーシア間で成立した。しかし、裁判所は当該合意を無効にして1953年以降から独立前までの期間を含めた実効支配を重視せざるをえなかった」

ってことじゃないと「しかし」を使用した文書として成立しないな。何れにしても、合意において「何が」独立とは無関係だとしたのか、その合意を裁判所が「どうして」無効と判断したのか、当該箇所の原文と共に明かにしていただこうか。

ほい。新たな宿題な。

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/11 01:00 投稿番号: [16760 / 18519]
>判決全体を検討し終わっていないようだ。
ミドルロックの原始的権原の承認を否定し、「紛争の具体化」を「主権の具体化」とお粗末な間違えをしていた人にしては、随分と大上段に構えた物言いですな〜。それとも早くも記憶を喪失したのかしらん。

>1.「判決文を読めば分かるとおり、マレーシアとシンガポールは、予めマレーシアからの分離独立は関係との合意が成立している。」

「関係」ではなく「無関係」の間違いだろうな。んで、分離独立と「何を」無関係とする合意が成立したのか、原文と共に提示して頂こうか。

>2.「しかし裁判所は、1953年以降1980年までの事実関係を重視せざるを得なかったし」

1の文と接続するとなると、1953年以降の実効支配を重視したということは、

・シンガポールの分離独立とは無関係に実効支配は有効だけど(独立前の宗主国や自治の実効支配も有効)、1953年以降の実効支配の事実を考慮せざるをえなかった。
・本来は、シンガポールの分離独立後の実効支配のみが有効であるが、独立とは無関係にそれ以前も有効とする合意が成立したので、独立前の1953年からの実効支配を重視しなければならなかった。

のどちらかが考えられるけど、前者は逆接の接続詞の「しかし」の使用はおかしいわな。AHOの主張は後者の解釈しか許容しえないな〜。該当する成立した「合意」の原文を提示してミソ。

>3.「元々の権原はマレーシアにあり、しかもそれを放棄していないとの指摘が為されているにも関わらず、新興国であるシンガポールによる実効支配により権原が移ったと判定せざるを得なかった。」

AHOの脳内では1953年に「新興国」のシンガポールが存在してるのか?時空を超越したおめでたいヤツだな。

>4.「つまりそこには、新たな権原の創設効果があると認定された」
「平和的な実効支配」なんてpalmas以降権原として認められとるがな。頭大丈夫か?

Re: 国際司法裁判の新判断(反対意見)

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/06/10 19:12 投稿番号: [16757 / 18519]
>「放棄したけど、維持された」という馬鹿な論理を勝手に捏造されてもw
>放棄してないから維持されてるわけだ。
>独立前も独立後も放棄してないから、独立後の新国家形成とは関係なく維持されたわけですねん。

  残念ながら、マレーシアが放棄していないとの指摘は少数意見でね。
http://www.icj-cij.org/docket/files/130/14496.pdf

  実際は、12対4でシンガポールに権原が移ったと判決が下されたわけだが(笑)

Re: 国際司法裁判の新判断(反対意見)

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/10 17:13 投稿番号: [16756 / 18519]
「放棄したけど、維持された」という馬鹿な論理を勝手に捏造されてもw
放棄してないから維持されてるわけだ。
独立前も独立後も放棄してないから、独立後の新国家形成とは関係なく維持されたわけですねん。

Re: 個人攻撃ね〜(爆笑)

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/10 17:08 投稿番号: [16755 / 18519]
>自然とインチキ国際法は淘汰されるよ。
当然。1980年に具体化したのが「主権」という、トンデモ解釈をベースにした
ウリナラ国際法は淘汰されるだろうね。(爆笑)

さて、どうやらヘンポコ君は

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/06/10 15:25 投稿番号: [16754 / 18519]
  判決全体を検討し終わっていないようだ。

  判決文を読めば分かるとおり、マレーシアとシンガポールは、予めマレーシアからの分離独立は関係との合意が成立している。
  しかし裁判所は、1953年以降1980年までの事実関係を重視せざるを得なかったし、元々の権原はマレーシアにあり、しかもそれを放棄していないとの指摘が為されているにも関わらず、新興国であるシンガポールによる実効支配により権原が移ったと判定せざるを得なかった。
  つまりそこには、新たな権原の創設効果があると認定されたことになるだろう。
  インチキ国際法では説明不能な事態のようです。

Re: 個人攻撃ね〜(爆笑)

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/06/10 14:59 投稿番号: [16753 / 18519]
  これだから精神障害者は扱いが難しい。

  あんたが個人攻撃にのめり込もうが関係なしに、自然とインチキ国際法は淘汰されるよ。
  元々スルタンが持っていたと認定されたオリジナルタイトルが、何年にシンガポールに移ったと認定されたか、ここで誰がどう言い逃れをしたところで現実が変わる訳じゃない。

Re: 国際司法裁判の新判断(反対意見)

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/06/10 14:42 投稿番号: [16752 / 18519]
  マレーシアは権原を放棄していないってトコはスルーね(笑)

  ご苦労さん。

Re: 国際司法裁判の新判断(反対意見)

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/10 10:07 投稿番号: [16751 / 18519]
そうです。「シンガポール独立前の1953年から決定的期日である1980までの実効支配による権原が成立したという判決」への反対意見が棄却されました。

つまり、「シンガポール独立前の1953年からの実効支配が法的に有効」だったということですw。独立前だったか後かだったなんてどうでもいいわけ。
ご愁傷様。

個人攻撃ね〜(爆笑)

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/10 09:59 投稿番号: [16750 / 18519]
事実の指摘は個人攻撃とはいわんと思うが。

「1980年に具体化」したものを答えられずに、
何ら事実に基づく指摘をすることなく、
このような醜態を晒した方が言う言葉ですかねw
---------------------------- -
【AHO No.16712】
貴方がもし精神障害者ならば、これまでの発言に不適切な表現がありましたことをお詫びします。
どうぞお大事に。

Re: 国際司法裁判の新判断(反対意見)

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/06/10 09:05 投稿番号: [16749 / 18519]
  思った通り、この採用されなかった反対意見は完全にスルーしましたね。

  インチキ国際法だと説明不能なのでしょう(笑)

個人攻撃に走るワケか

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/06/10 08:30 投稿番号: [16748 / 18519]
  それで現実が変わると思ってるのかね。哀れな。

  ふふふ

AHOが火病になったワケ2

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/09 20:32 投稿番号: [16747 / 18519]
ミドルロックについては、独立前も後も含めて実効支配の証拠がマレーシア、シンガポールの両国になかった。このため、裁判所はジョホール国の原始的権原がマレーシアの継承されたものとした(original title to Middle Rocks should remain with Malaysia as the successor to the Sultan of Johor)。これに対するAHOのコメントを検証してみる。
----------------------------------------------------------------
【AHO:No.16671(1959年の独立前の実効支配が認められたことへの反論)】
歴史的な経緯はふまえつつ、最終的に具体化したのは1980年、ミドルロックは1993年。いずれも独立後。
【AHO:No. 16685(ミドルロックの原始的権原が認められたことへの反論)】
それで主権が確立したと認めたんか?(爆)インチキ国際法の限界だな。
【AHO:No. 16690】
  裁判所は、シンガポールによる独立後の占有がないことを1993年まで検討しているね。   スルタンの時代に確立したのならば、検討する必要はないからね(笑)
【AHO:No. 16693(16671の1993年の原文提示要求に対し】
  やっぱりね。
  インチキ国際法じゃペドラ・ブランカとミドルロックで判断が分かれた訳が理解できないだろうさ。
【AHO:No.16699】
  これで、裁判所がミドルロックとサウスリッジについては1993年までの二国間協議まで検討しているのが分かる。
----------------------------------------------------------------
さて、AHOは、No16685までは原始的権原以外の何らかの権原が1993年に具体化されたものとしてコメントをしている。なお、1993年に具体化されたのは「主権」でなく「紛争」であることは指摘済み。このAHOな間違いと原始的権原の継承の原文を私がNo.16689で提示したことにより、結果ではなくプロセスへと話題をすり替える。「何の権原が認められたか」ではなく、「1993年までの実効支配を裁判所が検証した」とね。結局、ミドルロックに関しては、独立前後にかかわらず、マレーシアやシンガポールの如何なる実効支配も確認されず、原始的権原が認められた。独立後の実効支配という名の侵略に重きをおきたいAHOにとっては、独立後の如何なる行為に基づかない本判例は全く困った存在ということになる。恥ずかしい勘違いは明らかになるわ、自説は否定されるわで火病になるわけだ。

AHOが火病になったワケ

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/09 16:52 投稿番号: [16746 / 18519]
<独立云々に関するAHOのコメントの経緯>
【AHO:No.16658】
結局はシンガポール独立後の諸行為を決定的なものと認定しました。
【AHO:No.16671(1959年の独立前の実効支配が認められたことへの反論)】
歴史的な経緯はふまえつつ、最終的に具体化したのは1980年、ミドルロックは1993年。いずれも独立後。
【AHO: No.16685(ミドルロックの原始的権原に対して)】
それで主権が確立したと認めたんか?(爆)
【AHO: No. 16697】
新興国の独立=新国家の形成をインチキ国際法でどうやって説明するか、楽しみです。
【AHO: No. 16708】
  「新国家の形成段階における一定の事実」の意味わかるか?
---------------------------------------------------------- -
さて、AHOは、「独立後」であることを強調し、宗主国の同意なくして独立国が勝手に宗主国の領域権原を搾取できると考えているものと思われます。No.16671は、PedraBranca島においてシンガポール独立前の1959年のレポートが裁判所に有効と認定されている事実の反論としてAHOがコメントしたものです。即ち、1980年及び1993年に具体化したものが「領域権原若しくは主権」でなければ、反論として成立してないことになります。しかし、1980年に具体化したものでは「領域権原」ではなく、「紛争」であり決定的期日と設定された年です。
<原文>
It further observes that the dispute as to sovereignty over Middle Rocks and South Ledge crystallized on 6 February 1993

AHOは、sovereignty over Middle Rocks and South Ledgeがcrystallizedされたと勘違いしているものと推察されます。濁った水晶体で判例をみるため、このようなAHOな間違いができるのでしょう。そして、AHOが指摘したこの1980年及び1993年の決定的期日は、戦後の韓国の占有の法的効果を否定していることになるわけです。見事な墓穴です。哀れなAHOが火病になるのもわかるといった所です。更に彼は、墓穴を掘り続けます。
------------------------------------------------------------------------------ -
【AHO: No. 16737】
  中でも個人的に注目したのは、1953年からシンガポール独立後の1980年(決定的期日)までの実効支配では短すぎると云う意見です。
------------------------------------------------------------------------------ -
そうです。この判決はシンガポール及びマレーシアの独立の後や前かなんて意識してません。シンガポール独立前の1953年からの実効支配の有無が決め手になったわけです。

国際司法裁判所の新しい判決(近接性)

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/08 13:57 投稿番号: [16745 / 18519]
<地理的位置>
PedraBranca島、Middle Rocks、South Ledgeの位置関係は
http://www.icj-cij.org/docket/files/130/14506.pdfのp3参照のこと

<3島間とマレーシア半島からの距離>
マレーシアからPedraBranca島は約14km(7.6海里)、シンガポールから約44.4km(24海里)
マレーシアからMiddle Rocksは約14.6km(7.9海里)
マレーシアからSouth Ledgeは約14.8km(8海里)
PedraBranca島からMiddle Rocksは約1.1km(0.6海里)
PedraBranca島からSouth Ledgeは約4km(2.2海里)

<地形的特徴>
・PedraBranca島は干潮時に幅60m、長さ137mの島。
・Middle Rocksは、海上0.6m〜1.2m程度顔を出している岩。
・South Ledgeは、低潮高地(満潮時に水没)

<シンガポールの主張>
・地理的・形態的に同一であり、PedraBranca島の領海内にあるMiddle RocksとSouth Ledgeは、PedraBranca島の主権と同じである。
・Middle RocksとSouth Ledgeは経済的(財政的?)に独立できない島である。

<マレーシアの主張>
・Middle RocksとSouth Ledgeは歴史的、地形的にPedraBranca島と同一のグループを構成していない。両島は1824年の英蘭条約によりジョホールの主権下にあった。

<判決>
・Middle RocksとSouth Ledgeには、シンガポール領とされたPedraBranca島の出来事には影響されない。

-------------------------------------------------------- -
【この判例から見る竹島】
PedraBranca島からたった1kmしか離れていない岩を、法的に同一グループとみなすことはできないとしている。よって、鬱陵島から90km以上も離れた竹島について、江戸時代の竹島(現鬱陵島)渡海禁止をもって一緒に松島(現竹島)も放棄されたとみなす推論及び主張に何ら正当性がないことが明かとなった。Pulau Ligitan and Pulau Sipadanの判例でも、75km(40海里)離れている島を付属島と考えることはできないとされている。

国際司法裁判所の新しい判決(決定的期日)

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/08 12:39 投稿番号: [16744 / 18519]
【PedraBranca島】
<事実>
・1953年以降シンガポールがPedraBranca島を実効支配。
・1979年12月にマレーシアの国立地理院の長官がPedraBranca島を自国領とする「マレーシアの領海及び大陸棚の境界」という地図を発行した。
・1980年2月にシンガポールは、マレーシアの主張を否定し地図を修整するように外交文書(diplomatic Note)を送付した。
・シンガポールの抗議書は1993年から1994年の一連の政府間協議につながったが、紛争は解決されなかった。
・2003年に両国がICJへの付託に合意。

<両国の主張>
・両国は、シンガポール及びマレーシアがお互いの主張に対して公式に反対した、1980年に紛争が具体化したことに合意。

<判決>
・裁判所はシンガポールが抗議の外交文書を送付した1980年2月に紛争が具体化(=決定的期日)したことを認定。

【Middle RocksとSouth Ledge】
・Middle RocksとSouth Ledgeについては、PedraBranca島に初めて両岩を含めて両国が交渉を行った1993年2月に紛争が具体化されたと認定。

-------------------------------------------------------- -
【この判例から見る竹島】
面白いのは、実効支配をしている側であるシンガポールの抗議をもって紛争の具体化として認めている点である。最近も教科書問題で柳明桓外相が、重家俊範駐韓大使を外交通商省にわざわざ呼び出して公式に抗議してくれている。「まだまだ、紛争は続いてまっせ」と韓国側が宣伝してくれているわけである。なお、国際法では文書じゃなく口頭でも拘束力をもつ(ex 東グリーンランドの判例におけるノルウェー外相のイーレン宣言)。

Re: アホ曰く「相対的に比較考量するのは当

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/08 12:06 投稿番号: [16743 / 18519]
判例の原文を読めばわかるけど、「独立云々」なんて法理は一切説いてない。というか独立前のイギリス、独立後のシンガポールなのか全く意識してない。目次からして「1953年以降」で一括りだからね。
1953年以降且つ1980年のクリティカルデート前の実効支配が決め手となっているわけで、パルマスや東グリーンランドの判例と全く同じ。ミドルロックについては1953年以前の原始的権原を認めたという点では新しいかな。

Re: アホ曰く「相対的に比較考量するのは当

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/06/08 00:25 投稿番号: [16741 / 18519]
無駄だってw
あやつはいくら言えって言っても、はぐらかすだけだからさw
挙句に人を精神異常者扱いして逃げるだけww
どうしようもないカスなんだからさ。
散々証拠出せって言っても出せずに、逃げたくせに、いつ逃げた?とか言い出すからたちが悪い。まあ記憶障害があるようだから、しょうがないけどねw

沈興沢独島形便報告書

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/06/07 20:47 投稿番号: [16740 / 18519]
  1906年(明治39年)3月、島根県職員一行が領土編入後の竹島を視察した後に鬱陵島へ渡り、郡守・沈興沢を訪問し、竹島が日本領となったことを告げた。

  郡主沈興沢は上司である江原道観察使に、「本郡所属の独島は外洋100余里に在るが、日本人が来て、その独島が日本領になったと言っている」という趣旨の報告を送り、その報告は、さらに中央政府に送付された。

  その報告に接した議政府参政大臣は、同年5月20日付け指令第3号で江原道観察使に指示を出したが、それは「報告を見たが獨島領地の件は事実無根のことだが、該島の形便と日本人の行動を更に調べて報告せよ」というような内容だった。

(形便:成り行き、ことの次第、都合、具合、仕儀、形勢、事情、情勢)




  ところで、この指令第3号に対応して作成された報告書は見かけないですね。無いんでしょうか。もともと作成されなかったのか、作成されたけれども現存していないのか、それとも、あるけれども何か事情があって隠蔽されているのか。「該島の形便」についてはどういう報告が書かれたんでしょうかね。

Re: 日韓会談における竹島=独島問題2

投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2008/06/03 21:26 投稿番号: [16739 / 18519]
>啖呵と言うより、李外相の言葉は、煎じ詰めれば「独島のことを言われると困るから、これ以上は言わないでくれ」ということになるので、「お願い」とでも評する方が適当でしょう。このころの韓国の当事者は正直だったなあと思います。


そうですね李外相は竹島問題で席立つべきだった。
啖呵?
それが出来なかった乞食民族。
日韓基本条約による日本の援助がなければ南チョンは現在もインド・北朝鮮並の最貧国。
日韓基本条約はアメリカのごり押しで決まった条約だ、日本は日本人の請求権を全て放棄した上、韓国に援助させられた。
半ケツは馬鹿だから分からないのでしょう。

国際司法裁判の新判断(反対意見)

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/06/03 19:52 投稿番号: [16737 / 18519]
http://www.icj-cij.org/docket/files/130/14496.pdf

  ペドラ・ブランカはシンガポールの領土と判決が下りましたが、Judge Parra-Aranguren は別の意見を持っているようです。

  中でも個人的に注目したのは、1953年からシンガポール独立後の1980年(決定的期日)までの実効支配では短すぎると云う意見です。
  更には、マレーシアは島の権原を明示的に放棄したとは認められない、ペドラブランカはマレーシアの領土とするなどの趣旨で個別意見を述べています。

  現代国際法の大きな流れの中では、もはや彼の意見は少数意見に過ぎないことを良く表しているように思われます。

Re: 日韓会談における竹島=独島問題2

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/06/02 13:48 投稿番号: [16736 / 18519]
  chaamieyさんのご見解は了解しましたし、自由心証主義ですから、そこは干渉しようとは思いません。

  ただ当方にも自由心証主義は適用されると考えておりますので、椎名外相も強調しているように「書かなければいかぬはずなんです。書いてないんです。」と云う以上は、口頭での了解については否定も肯定もしていないと解釈しているとご了解ください。

国際司法裁判所の新しい判決(公的地図)

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/06/01 22:47 投稿番号: [16735 / 18519]
両国は、境界を画定する合意書に添付された地図のような権原を確立するような地図がないことに同意が、地図は彼らの主権に対する見解を示唆するものと主張した。

<公的地図の状況>
・シンガポールは1995年までPedra Branca島を自国領として表示した公的地図を発行しなかった。
・マレーシアは、1962,65,70,74,75年にPedra Branca島に「(SINGAPORE) or (SINGAPURA)」と注記した公的地図を発行した。

判決:シンガポールが1995年まで同島を領土として含めた地図を発行しなかったことより、マレーシアの地図に重きをおく。マレーシアの地図は、マレーシアが同島がシンガポールの主権下にあると考えていたことを確認されるだろう。

<竹島との関係>
1905年以降の竹島を日本領として明記した地図の少なさを指摘する声があるが、権原には影響を及ぼさないであろう。更に、アルゴノート、ダジュレーの地図を用いて竹島と強弁したところで権原を確立できるわけではない。

142巻前半 & ドーハの悲劇

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/06/01 21:42 投稿番号: [16734 / 18519]
今日のバレーは勝って良かったですが、昨日は24対17であと一点というところで負けてしまって残念です。勝ちが見えた途端、油断してしまったのでしょう。後はアジア諸国全部に勝たないと男子バレーは北京へ行けません。

明日はサッカーアジア3次予選でオマーン戦があります。これは絶対勝たないと、もし負けるようなことがあればW杯には行けません。何故なら同じ中東のバーレーンがわざとオマーンに負けて日本を3位に蹴落とす可能性があるからです。バレーのイタリア戦とドーハの悲劇から学ぶことは、勝てる試合は必ず勝つことです。そこで今週の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。試合後、女子アナウンサー半泣きしています。そして若き日の岡田監督は言葉に出ません。。。


さて、掲題の件ですが、『地学雑誌』「142巻」の前半の文章起こしを掲載しました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「142巻」の中盤の文章起こしをします。


http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)

next, coming up(竹島資料は休憩中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「142巻」の中盤の文章起こしをします。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/2a13san1108-koga/
『明治四十二年 公文雑算』 画像を縮尺して文章起こし
『尖閣諸島の領土権について』琉球政府声明
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『琉球国図』
『韓国地理』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kaimon-1892/
『大韓帝国石島上申書』は半月城氏の文章起こし完了後にアップロード後48時間以内


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ「ドーハの悲劇」
1994年アメリカワールドカップアジア地区最終予選 岡田監督泣く
http://www.youtube.com/watch?v=Q0f0z6pEifA&NR=1
ドーハの悲劇 まとめ   あの時日本は、そしてさんまのコメント
http://www.youtube.com/watch?v=kfVjqt_K4QA

Re: 日韓会談における竹島=独島問題2

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/05/31 23:46 投稿番号: [16733 / 18519]
>佐藤首相の答弁は、単に条約に書いてないと言い逃れしただけであり、明らかに口頭での約束の有無については言及を避けておりますので、状況証拠としてはクロでしょうね。



  佐藤首相は、口頭での約束の有無については言及を避けてはおらず、そんなことはしていないと明言しています。(第050回国会   日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会 昭和40年10月27日)

○松本委員
   ちょっとここで確認しておきたいのですが、いま読んだ向こうの公式の報告によれば、佐藤総理が了解したということを向こうは言っているのですよ。その点はどうなんですか。事実なんですか。

○佐藤内閣総理大臣
   私は、その点は、ただいまはっきり、そういうことはございませんと申し上げます。

○椎名国務大臣
   総理と同様、私は了解した覚えはございません。
   それから、これほど両国の間で非常に熾烈に争った問題が、まさに紛争であることは間違いない。それで、もしも――いまお読みになった議事録に随所に出てきますが、もうすべて私が唯々諾々として了解したように書いてあるように聞きましたが、それならば、この紛争から竹島問題を除外するということを書かなければいかぬはずなんです。書いてないんです。まあそのことによっても、私は厳正な態度をもって終始この問題に対処したということがお分かりになると思います。

Re: 日韓会談における竹島=独島問題2

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/05/31 15:50 投稿番号: [16732 / 18519]
  半月城さん
>   もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中からそれを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ちました(注4)。

  その発言は日本の国会でも取り上げられ、審議されました。
  第50回国会衆議院日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会の議事録に残っています。
  社会党の松本七郎委員が質問する中で、韓国国会の速記録を証拠に「解決策に対するノート交換がありました。これには独島問題が包含されていないということを、椎名外相、また日本の佐藤首相が了解しました。」と書いてあると追求しています。
  そこで当時の佐藤総理は「もともと条約そのものは、書いてあること、書いてないこと、これは区別する。書いてあるところによりましてそれぞれの国が規律せられるのでありますから、書いたところの文字で判断していただく、それ以外のことはないということをはっきり申し上げておきます。」と答弁しています。
  佐藤首相の答弁は、単に条約に書いてないと言い逃れしただけであり、明らかに口頭での約束の有無については言及を避けておりますので、状況証拠としてはクロでしょうね。

Re: 日韓会談における竹島=独島問題2

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/05/31 15:40 投稿番号: [16731 / 18519]
    −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してくれ、といった。
   私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的からだ。
   それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本において独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させるダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰る、このような話をしたことがあります。
  (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  >李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。



  啖呵と言うより、李外相の言葉は、煎じ詰めれば「独島のことを言われると困るから、これ以上は言わないでくれ」ということになるので、「お願い」とでも評する方が適当でしょう。このころの韓国の当事者は正直だったなあと思います。

Re: 大日本輿地図 & 半月城氏へ

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/05/31 13:53 投稿番号: [16730 / 18519]
   半月城です。
   田中さんの提案をどう理解したらいいのでしょうか?   撹乱戦術なのかどうか半信半疑です。もし本気だとしたら、私としても「石島資料のためなら、一肌も二肌も脱ぎましょう」と言った手前、また、誰かさんの「男に二言はない」というセリフの手前、後に引くわけにはいきません。
   その場合、過去の因縁を考えると直接取引は無理です。第3者に入っていただく必要があります。第3者としては、資料中心の中立的な人で双方が信頼できる方が望ましいのですが、はたして見つかるかどうか。

日韓会談における竹島=独島問題2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/05/31 13:36 投稿番号: [16729 / 18519]
   もともと竹島=独島問題は日韓会談の当初の議題になかったのに、日本が途中からそれを持ちだして最後までねばる姿勢は李外相にはゴリ押しとうつったことでしょう。1965年、李外相はついに堪忍袋の緒が切れたのか、次のようにダイナマイト発言を放ちました(注4)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に独島に対する韓国の領有権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三国か、または国際裁判所にまかせて、今後 審議をうけるというところまでは合意してくれ、といった。
   私はその場ですぐ立上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の明日の親善関係のため、調印する目的からだ。
   それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本において独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させるダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰る、このような話をしたことがあります。
  (韓国国会「韓日協定特」議事録、1965.8.9)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   李外相の啖呵はさぞかし迫力があったことでしょう。当時、ただでさえ日韓協定に反対が熾烈だった韓国で、もし当初の議題にもなかった竹島=独島問題で韓国が譲歩したら、朴正煕政権は存立すら危うかったかも知れません。

   韓国にとって竹島=独島問題はダイナマイトであるという実例は前の盧武鉉大統領にもありました。大統領は就任当初「未来志向の日韓関係」をうたい、大統領からは過去の歴史問題を持ちださないと日本へ約束しました。
   その後、大統領は日本の動きにガマンを重ねたのですが、島根県が「竹島の日」を条例で制定するや、韓国の世論が沸騰し、ついに大統領は靖国神社参拝問題とあわせて日本を批判する姿勢に転じました。当然、両国関係は冷えていきました。
   その冷却した日韓関係を李明博・新大統領が「未来志向の日韓関係」をうたい文句にして修復したのは喜ばしいことです。今後、李大統領が竹島=独島問題をきっかけに盧武鉉政権と同じ轍を踏まなければいいのですが、その兆候が教科書指導要領書問題ですでにあり、今後が憂慮されます。

(注1)http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
(注2)第7次韓日会談 本会議及び首席代表会談,1964−65、資料1469
   http://www.donga.com/news/d_story/politics/K_J_agreement65/data.html
   この翻訳がhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/1459.pdfにあるが、「利害」を「理解」と訳すなどのミスがある。
(注3)半月城通信<日本の「竹島ゴール」変更、裁判から調停へ>
  http://www.han.org/a/half-moon/hm115.html#No.862
(注4)内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社、2008, P254

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

日韓会談における竹島=独島問題1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/05/31 13:34 投稿番号: [16728 / 18519]
   半月城です。

   どうも、日韓会談における日本側の発言は矛盾しているようです。1962年の金・大平会談で韓国側が「第三国による調停」方式案を提示しましたが、これに対する日本の反応は puracyaka2007が書いたように下記のとおりです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
6. 独島問題
  日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談で第3国による調停 (mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   その後、不思議なことに日本側代表は1964年の第7次会談において「日本政府としては第三者の調停に関心を持ったことはない」として、こう発言したようです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
5.独島問題に関して

   韓国側は、独島は共同規制水域の外に位置することになり、平和線と関連がなくなったので、日本側にも実質的な利害がなくなったことを示唆する一方、領土権に関する問題なので韓国の国民感情が非常に深刻で、したがって平和線問題に結びつけて独島問題までが論議されるなら、韓日間の問題をより複雑にし、むずかしくするだろうと強調した後、一時示唆されたという第三者の調停も韓国の与論は受け入れないだろうと思われる点にかんがみて、日本政府としてもこの点を慎重に考慮し、韓国内の与論も直接把握しながら解決策を研究してほしいと述べた。

   日本側は、日本政府としては第三者の調停に対して関心を持ったことはないが、これは第一に、その結果に対する遵守の可能性がとても希薄で、第二に、第三国として米国を予想するが、そうなると韓日間の問題が米国の影響下で解決される印象を与えることになり、日本の野党の反対が強いと思われるので、日本政府としては   GOOD OFFICE,MEDIATION CONCILIATIONだけでは駄目だという立場、即ち問題を確実に解決する方法を希望しているが、これに対して継続して研究して見ると言った。
   また日本側は独島問題はPR問題もあるので、外相会談のような高位層間の解決方式が良いという立場を表明した(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この記録を読むと、日韓両国は「第三者による調停」に乗り気でなかったことがわかります。特に、日本は「野党の反対」などを理由に調停方式だけではダメだと拒否しました。案の定、日本政府の予想どおり、社会党の羽生三七氏などは調停方式に反対しました(注3)。
   結局、実務者同士では解決がむずかしいということで、竹島=独島問題は外相会談へ預けられることになりました。1964年2月にソウルで開かれた会談ですが、李東元外相は椎名外相に対し「あなた方は何のために、それ(竹島=独島)についてしょっちゅう言いがかりをつけるのかと滔々と述べた」ようです。
(つづく)

Re: 独島問題に対する韓国の最終的立場

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/05/31 01:16 投稿番号: [16727 / 18519]
http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
6. 独島問題説明35の超要約
・日本側の国際司法裁判所に対する提訴案に対し、「日本側の執拗な追及の回避」「現状維持」「既成事実化」のため、第3国による調停という代案を提示した。
・国際司法裁判所には日本人判事が任命されていて、その雰囲気がわが側に不利。
・判決前にわが側が既に独島に設置した施設及び警備員を撤去しなければならない怖れもがある。
・北傀が利害関係のある当局として参加を主張する怖れがある。
・国際司法裁判所に提訴するという案はわが側としては受諾できない。
************************************************************************
これに対するアホ氏コメント
アメリカの立場は、調停を依頼されたら国際司法裁判所への付託を勧告するものでしたので、韓国側の提案は、実質的に一旦第三国による調停を経て国際司法裁判所へ付託する道を開くものだったようです。
察するに、韓日会談で直接国際司法裁判所への付託を同意すれば、国民感情だけでなく、北韓が介入するおそれがあるなど、当時の情勢としてはとても飲めるものではなかったようです。
それを一旦アメリカに下駄を預けることにより回避しようとする智恵が韓国側提案には込められていたようです。
この提案を蹴った日本は、自ら国際司法裁判所へ付託する途を閉ざしたも同然でしょう。

どう読んだって「国際司法裁判所へ付託」を拒否して逃げ回っていたのは韓国なのに、いつの間にやら「国際司法裁判所へ付託する途を閉ざした」のは日本ということになってます。すごいですねーwwww

Re: 独島問題に対する韓国の最終的立場

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/05/31 00:59 投稿番号: [16726 / 18519]
(参考)
http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku.html
韓日会談文書は韓国側文書が公開されている。
この中でも特に独島問題に関する韓国の最終的立場が明らかになっており、非常に興味深い。(上記URLの763番に翻訳文あり)

アメリカの立場は、調停を依頼されたら国際司法裁判所への付託を勧告するものでしたので、韓国側の提案は、実質的に一旦第三国による調停を経て国際司法裁判所へ付託する道を開くものだったようです。
察するに、韓日会談で直接国際司法裁判所への付託を同意すれば、国民感情だけでなく、北韓が介入するおそれがあるなど、当時の情勢としてはとても飲めるものではなかったようです。
それを一旦アメリカに下駄を預けることにより回避しようとする智恵が韓国側提案には込められていたようです。
この提案を蹴った日本は、自ら国際司法裁判所へ付託する途を閉ざしたも同然でしょう。
************************************************************************
http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/honyaku/honyaku-2/763.pdf
6. 独島問題
日本側の国際司法裁判所に対する提訴提議に対して、韓国側は1962.11.12.金・大平会談で第3国による調停(mediation)という代案を提示したが、これに対して日本側は「調停機関による調停」即ち国際法上の協議の調停(conciliation)で、一定の期間(例えば1年)の間に解決を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている。(別添2の6 両側の立場備考参照)本問題は国民感情に直結する問題なので、現在のわが側立場から後退することなく、第3 国調停(mediation)の方法をそのまま堅持することとする。(説明35 参照)
説明35. 独島問題は元来韓日会談の懸案問題ではなかったが、韓日会談の枠の外ではこの問題が両国間の論争の対象になり続けていた。日本側は1962.3.の外相会談時に独島問題を提起したことがあり、その後日本政府当局者は国会での答弁や、その他の発言で、独島問題の最終的な解決を見られなくても、少なくても何らかの方式で解決をするという原則だけでも、国交正常化以前に決定しなければならないという立場を強力に取っている。1962.11.12.金・大平会談で本問題が再び提起され、日本側は国際司法裁判所に対する提訴という従前の立場を再び明らかにしたが、わが側は日本側の執拗な追及を回避すると同時に可及的に現状維持を目論み、独島に対するわが国の領有権を既成事実化する道を備えるために、第3国による調停という代案を提示した。これに対して日本側は、第3国による調停が一定期間(例えば1年)の間に結末を見られない場合には、国際司法裁判所に提訴しようという立場を取っている。しかし現在の国際司法裁判所には日本人判事が任命されていて、その雰囲気がわが側に不利なだけでなく、国際司法裁判所に提訴することになると同裁判所の規定に従って、判決前にわが側が既に独島に設置した施設及び警備員を撤去しなければならない怖れもあると同時に、北傀が利害関係のある当局として参加を主張する怖れもあるので、国際司法裁判所に提訴するという案はわが側としては受諾できないものだ。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | [ メッセージ # オフセット ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)