竹島
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Re: 国際法や司法裁判所による解決4
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/09/25 11:45 投稿番号: [15840 / 18519]
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竹島の譲渡または放棄
――将来のための一つの賭け
竹島はこうした重荷を背負っている。しかも、交渉は袋小路に入り込んでいる。さてどうするか。日韓両国民からこの棘を抜くには、日本から大胆な打開策を提案するしかない。日本人が韓風人との和解の印に、日本が竹島を韓国に譲渡または放棄し、韓国の竹島に対する主権を認め、同時に、西日本海での漁業資源の保全のため日韓がそれぞれ資源管理を進めることができるように鬱陵島と隠岐諸島を基点として排他的経済水城の境界画定を行う。そして、竹島は自然に戻し、自然保護区として十二カイリの漁業禁止水城を設け、すべての国の科学者に開放する。日韓でこうした内容の条約を結ぶのはどうであろうか。
竹島編入の一九〇五年は、韓国人にとって、自国が日本に保護国化された年であり、五年後の一九一〇年には併合されるに至る前段の年である。竹島編入と植民地支配は無関係だとする日本の主張は法的に正しくとも、植民地支配を受けた歴史を持つ韓国人が「自分の国の土地で最初に取られたのが竹島だ」と関連付ける現在の認識を、それは間違いである、といくら説得しても良い関係は生まれない。自ら突き詰める以外にはない。そもそも加害者と被害者の意識の懸隔は埋められない。埋める努力をするほかはない。
一九六五年の日韓条約では日本はいかなる謝罪もしていない。いまだに韓国民衆のなかに、かつての日本の朝鮮統治に対するつぐないを求める声がくすぶっている。竹島が韓国人にとって日本の植民地支配の始まりのシンボルであるならば、新しい竹島を成熟した日韓の協力関係のシンボルに転換させなければならない。
新しい条約では、まず、「平壌宣言」や「戦後六十年首相談話」のように率直に韓国民に対し反省と心からのお詫びの気持ちを表明しょう。そして、その印に、第一に、将来の世代のために、日本は竹島を韓国に譲渡または放棄し竹島に対する韓国の主権を認め、同時に、第二に、韓国は鬱陵島と隠岐諸島を基点として互いの排他的経済水城の境界画定を行うことを約束する。
そして、第三に、東アジアの環境協力のシンボルとして、韓国は竹島を自然保護区とすることを約束し、すべての国の科学者に開放する。
そして、第四として、最後に、日韓両国および両国民は、東北アジア、さらにはアジアと世界の平和と繁栄のために手を携えて協力することを誓う。
この提案には韓国、日本双方から反発がくるであろう。しかし、お互いに
未来に賭けてみてもいいのではないだろうか。そういう時期に来ている。((9))
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愚生の提案に近いものもありますが、更に高い理念を掲げても良いのではと思われます。
国際法は誰のものか、国家の私利私欲を追認するためのものなのか、それともそこに暮らす人々を保護するためのものなのか、原理原則を踏まえて考えても良いでしょう。
そもそも排他的経済水域とは、そこに暮らす漁民などの経済活動を保護するのが目的のはずであり、人々が普通に生活を営めない絶海の孤島や無人島に与えるべき性質を有していないはずなのです。
ならば、独島になんの経済水域が存在しうるのか、はなはだ疑問であり、この島だけでなく両国間に存在するすべての岩礁や無人島の類について、相互に排他的経済水域を廃止し、近隣に暮らす漁民に開放することを検討すべきですね。
その上で、韓日間の合意をベースに、中国やロシアなどの近隣諸国にも、この高い理想を共有するよう働きかけることができるはずです。
この地域の未来永劫に渡る安定と繁栄の礎となるべく、両国政府には前向きな対応をお願いしたい。
これは メッセージ 15834 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: 国際法や司法裁判所による解決5
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/09/25 11:27 投稿番号: [15839 / 18519]
半月城様、Am I AHOです
>
一方、芹田氏に対する疑問ですが、同氏は「竹島編入と植民地支配は無関係だとする日本の主張は法的に正しくとも・・・・」と記し、「竹島編入」は法的に正しいとしているようですが、はたして歴史的な検証なしにそう言いきれるでしょうか?
これは推測ですが、芹田先生は「合法性の誤謬」を踏まえて発言しておられるのでは。
生半可に国際法を囓っただけの者どもが、やかましく騒ぎ立てるのとは異なり、過去の国際法による解決が必ずしも良いことではないことを熟知しておられるのでしょう。
貴台は不遡及について言及しておられますが、元来不遡及というものは法令で規制される個人を保護するものであって、規制する側の国家を縛るものではないので適当な用語とは云えないでしょう。とはいえ、その当時は有効な措置であると思われるのであれば、法の安定性で語られるべきものであって、現在の理念で遡って正義を実現する正当な目的があるのならば、比較考量して構わない問題と思われます。
ただし植民地支配とは外形的には直接関係ないとしても、一時的に力関係のバランスが一方に大きく傾いた時期の措置であったことは間違いなく、当時の日本では1905年の日韓協約以前から朝鮮は実質的に日本の保護国であったと解釈していたのは事実で、実際に当時の国際法の権威もそのように発言していますので、力で押さえつけて強引に奪ったとされても仕方のないところでしょう。
これは メッセージ 15835 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: 国際法や司法裁判所による解決5
投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2007/09/25 00:45 投稿番号: [15838 / 18519]
>長文の連続投稿だが、殆ど見るべきものが無いので最後の部分だけに反論し
ておく。
地方国立大学の名誉教授の公演聴いたときに似た反応みたいですね。
質問出なければ、スルーしたみたいでお座なりに対応しておく。。
これは メッセージ 15837 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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Re: 国際法や司法裁判所による解決5
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/24 09:29 投稿番号: [15837 / 18519]
また、本職がお出ましである。長文の連続投稿だが、殆ど見るべきものが無いので最後の部分だけに反論しておく。
>一方、芹田氏に対する疑問ですが、同氏は「竹島編入と植民地支配は無関係
>だとする日本の主張は法的に正しくとも・・・・」と記し、「竹島編入」
>は法的に正しいとしているようですが、はたして歴史的な検証なしにそう言
>いきれるでしょうか?
言い切れる。竹島について、1905年に至るまで韓国が領有権を主張したことは全く確認出来ていない。
>「竹島編入」以前の一八七七年、明治政府は竹島=独島を朝鮮領と判断して
>版図外にしましたが、それにもかかわらず、同じ政府が同じ島を「無主地」
>と強弁して「竹島編入」をおこなったことを芹田氏はどう評価されるのでし
>ょうか?
全然問題ない・・・というより、何が問題なのかがさっぱりわからない。
どなたか解説して頂きたい。
>さらに前章に紹介したように、下條正男氏は、大韓帝国勅令の石島が竹島=
>独島を指すのなら、日本政府による「竹島編入」は「違法行為」になると指
>摘しました。そうした主張に芹田氏は国際法学者としてどのようにお考えで
>しょうか?
違法行為になるわけがない。これで終わりである。一つの島に複数の国が重ねて領有宣言を行うことなど当時は頻繁にあったこと。しかも、この場合、後で領有宣言を行った国が悪意(つまり、先に領有宣言を行った国が別にあることを知っていた場合)であっても差し支えないのである。こんな例は山ほどある。この場合、話し合いで決めるか、裁判で決めることになるが、いずれにしても実行支配の先後が一番重要な判断材料となる。あたかも、不動産の二重売買における権利者を登記の先後で決めるようなものである(この場合も、後に買った者が背信的悪意者でない限り保護される)。
だいたい、法律のド素人である下條正男氏の意見に対し「芹田氏は国際法学者としてどのようにお考えでしょうか?」などという言うか。
>石島は、前章に書いたように竹島=独島である可能性が強いのですが、韓国
>はそれを信じて疑わず、日本の「竹島編入」を違法行為と判断しています。
>そのため、韓国は日本が竹島=独島を「放棄」するとか「譲渡」するという
>表現すら快く思わないことでしょう。
今もって「可能性が強い」などとしか言えないのでは、法律判断以前の問題。
証明出来ないから「信じて疑わない。」なんだから、どうやら韓国人は狂信者揃いらしい。
>「放棄」や「譲渡」は所有しているものなどを断念することであり、所有し
>ていないものなどはそうするのが不可能です。こうした事情に配慮するなら、
>竹島=独島の「放棄」などを云々する前に、歴史の検証を先にすべきではな
>いでしょうか。
歴史の検証
大韓地誌(1899年):大韓帝国の領域は北緯33度15分〜42度25分。東経124度30分〜130度35分。→つまり、鬱陵島まで。
大韓全図:石島の記載なし。
竹島=独島である証明:信じて疑わない。
もう論外としか言いようがない。
これは メッセージ 15835 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: 国際法や司法裁判所による解決5
投稿者: hisatukai 投稿日時: 2007/09/23 10:21 投稿番号: [15836 / 18519]
この事案は急いで解決する必要は一切ありません。
竹島は時期がくれば武力で回復すべき国土です。
それまでは、ば韓国の経済負担事項としておけばよい。
これは メッセージ 15835 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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国際法や司法裁判所による解決5
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/09/23 09:56 投稿番号: [15835 / 18519]
これは メッセージ 15834 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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国際法や司法裁判所による解決4
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/09/23 09:39 投稿番号: [15834 / 18519]
それでは他にどのような解決への道があるでしょうか?
竹島=独島問題解決策のひとつとして、かつて日本は竹島=独島を爆破して消し去る案を提案しました。一九六二年、日韓条約予備折衝第四次会議で日本の伊関祐次郎アジア局長は「無価値な島で大きさも日比谷公園程度。爆発でもしてなくしてしまえば問題がない((8))」と述べたことが、韓国で公開された「韓日協定文書」で明らかにされました。
交渉担当者は窮余の一策として爆破案を提案したのでしょうが、もし爆破したら、それは問題解決能力のない当事者の愚かさの見本として永代にわたって語りつがれたことでしょう。両国民に英知があるなら、その場しのぎの解決策でなく、時間をかけてでも本筋の解決策を見いだすべきです。
現実的な解決策として、先ほどの芹田氏は、「竹島を「消す」ことが唯一の解決法だ」と題して、下記のように大胆な提案をしており、注目されます。
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竹島の譲渡または放棄
――将来のための一つの賭け
竹島はこうした重荷を背負っている。しかも、交渉は袋小路に入り込んでいる。さてどうするか。日韓両国民からこの棘を抜くには、日本から大胆な打開策を提案するしかない。日本人が韓風人との和解の印に、日本が竹島を韓国に譲渡または放棄し、韓国の竹島に対する主権を認め、同時に、西日本海での漁業資源の保全のため日韓がそれぞれ資源管理を進めることができるように鬱陵島と隠岐諸島を基点として排他的経済水城の境界画定を行う。そして、竹島は自然に戻し、自然保護区として十二カイリの漁業禁止水城を設け、すべての国の科学者に開放する。日韓でこうした内容の条約を結ぶのはどうであろうか。
竹島編入の一九〇五年は、韓国人にとって、自国が日本に保護国化された年であり、五年後の一九一〇年には併合されるに至る前段の年である。竹島編入と植民地支配は無関係だとする日本の主張は法的に正しくとも、植民地支配を受けた歴史を持つ韓国人が「自分の国の土地で最初に取られたのが竹島だ」と関連付ける現在の認識を、それは間違いである、といくら説得しても良い関係は生まれない。自ら突き詰める以外にはない。そもそも加害者と被害者の意識の懸隔は埋められない。埋める努力をするほかはない。
一九六五年の日韓条約では日本はいかなる謝罪もしていない。いまだに韓国民衆のなかに、かつての日本の朝鮮統治に対するつぐないを求める声がくすぶっている。竹島が韓国人にとって日本の植民地支配の始まりのシンボルであるならば、新しい竹島を成熟した日韓の協力関係のシンボルに転換させなければならない。
新しい条約では、まず、「平壌宣言」や「戦後六十年首相談話」のように率直に韓国民に対し反省と心からのお詫びの気持ちを表明しょう。そして、その印に、第一に、将来の世代のために、日本は竹島を韓国に譲渡または放棄し竹島に対する韓国の主権を認め、同時に、第二に、韓国は鬱陵島と隠岐諸島を基点として互いの排他的経済水城の境界画定を行うことを約束する。
そして、第三に、東アジアの環境協力のシンボルとして、韓国は竹島を自然保護区とすることを約束し、すべての国の科学者に開放する。
そして、第四として、最後に、日韓両国および両国民は、東北アジア、さらにはアジアと世界の平和と繁栄のために手を携えて協力することを誓う。
この提案には韓国、日本双方から反発がくるであろう。しかし、お互いに
未来に賭けてみてもいいのではないだろうか。そういう時期に来ている。((9))
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今後、世界はますますグローバル化が進み、EUのように一部地域では国境のボーダーレス化が進行していますが、東アジアにおいても平和と安定を前提にして日韓両国が共存共栄の道を歩むにあたり、対立の象徴であった竹島=独島を、未来志向で日韓友好の象徴にすることは両国の重要な課題です。その課題の解決にあたり、芹田氏の提案はたたき台として真摯に論議するに値します。
(つづく)
これは メッセージ 15833 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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国際法や司法裁判所による解決3
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/09/23 09:38 投稿番号: [15833 / 18519]
このように国際司法裁判所による解決は韓国が応じない以上、ほとんど不可能です。ちなみに、日本の外務省は国際司法裁判所についてホームページ「竹島問題、国際司法裁判所への提訴」でこう記しました。
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1. 国際司法裁判所は、紛争の両当事者が同裁判所において解決を求めるという合意があって初めて動き出すという仕組みになっています。したがって、仮 に我が国が一方的に提訴を行ったとしても、韓国側がこれに応ずる義務はなく、韓国が自主的に応じない限り国際司法裁判所の管轄権は設定されないこととなります。
2. 我が国は、一九五四(昭和二九)年九月、口上書をもって竹島の領有権問題につき国際司法裁判所に提訴することを韓国側に提案しましたが、韓国はこれに応じませんでした。また、一九六二(昭和三七)三月の日韓外相会談の際にも、小坂善太郎外務大臣より崔徳新韓国外務部長官に対し、本件問題を国際司法裁判所に付託することを提案しましたが、韓国はこれを受け入れず、現在に至っています。((6))
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一九六二年以降、日韓条約が妥結する一九六五年までの間、国際司法裁判所に関する話し合いはどうなったのか、外務省のホームページは何も記しませんでした。一部では韓国と密約があって竹島=独島問題自体を取り下げたのではないかとも報道されましたが、それをうかがわせるような資料が韓国にあります。韓国国会の韓日協定特別委員会の議事録に李東元外務部長官の発言がこう記録されました。
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この前、私が日本に行った時、独島問題に関して日本外相が再び言及したことがありました。ちょうどここに、その席に一緒にいた金東祚大使もいらっしゃいますし、延・アジア局長もいますが、外相会談ですべての問題が妥結された後に、椎名外相が私に、独島に対する韓国の領有権を否定するものではないが、独島問題を一種の韓日間の紛争の対象として認めて、第三国家または国際裁判所にまかせて今後 審議をうけるというところまでは合意してくれ、といった。
私はその場ですぐ立ち上がって椎名外相にいった。私がこのたび愛国国民たちからタマゴまで投げられながら、日本にきたのは韓日間の、明日の親善関係のため調印する目的からだ。
それにもかかわらず、あなたは独島問題によって韓日問題の妥結を阻むのか。日本において独島問題は政治問題であるかも知れないが、韓国においては国民感情を爆発させるダイナマイトだ。独島問題についてもう一度言及するなら、私は荷物をまとめて韓国に帰る、このような話をしたことがあります。
・・・・・
4番目に、紛争解決のための「ノート」交換があることだけは事実です。しかし、これは国際会議の慣例上で常識です。いくら親善国家間で結ばれた条約でも時がたつにつれ、誤解が生じうるし、摩擦があるのは歴史的に証明されています。
そうした理由で将来、特に漁業問題とか請求権問題とかにおいて、万一誤解が生じるとか、紛争がおきる時、これをどのように解決するのかという解決策に対する「ノート交換」がありました。ここには独島問題が包含されていないということは椎名外相、また日本の佐藤首相が了解したことがあります。((7))
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この発言に対して、佐藤首相や椎名外相は李長官のいう「了解」を否定しているので真相は不明ですが、いずれにしても、韓国の強硬な反対により国際司法裁判所の話は立ち消えになって日韓条約が締結されたようです。
その後、日本も日韓条約の精神にそって、国際司法裁判所への付託を提案したことは一度もありませんでした。このような経緯から、竹島=独島問題の国際司法裁判所による解決の道はあり得ないようです。
(つづく)
これは メッセージ 15832 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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国際法や司法裁判所による解決2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/09/23 09:37 投稿番号: [15832 / 18519]
ひるがえって、現時点ではどうでしょうか。もし国際司法裁判所へ竹島=独島問題が付託されたら、はたして日本に勝ち目はあるでしょうか?
前章「松島渡海免許」論争に書いたように、今や「松島渡海免許」なるものは存在しなかったことが明らかにされました。
さらに必ずや新たな争点になるであろう太政官の竹島=独島版図外指令に関しては、外務省は「歴史的な事実などに対しては現在調査、分析中で、現時点では日本政府の立場でコメントできない((4))」というありさまです。
このコメントに端的に見られるように、日本政府は最近の研究成果に評価を決めかねている状態であり、とても裁判に臨めるような状況にはないようです。さらに、裁判になった場合はその報道をつうじて、明治政府が竹島=独島を版図外にした史実などが広く日本国民に知られるようになりますが、それに矛盾する「固有領土」説を主張していた外務省の立場は苦しくなるのは目に見えています。
そんな実状からすると、外務省が国際司法裁判所での解決を韓国に提案することは、実際にはあり得ないと思われます。
他方、日本が国際司法裁判所による解決を提案することは日韓条約に反します。同条約の交換公文は「両国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかつた場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によって解決を図るものとする」と定めており、国際司法裁判所へ提訴する前に第三国へ調停を依頼する必要があります。
国際法を重視するなら、まずは日韓条約を順守して、国際司法裁判所を云々すべきではありません。また、たとえ日本が日韓条約を無視して一方的に国際司法裁判所に竹島=独島問題を提訴したとしても、韓国はそれに応じる義務はなく、それは単に政治宣伝の効果しかありません。それを国際法学者の芹田氏はこう記しました。
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国際司法裁判所に紛争を付託して解決するためには両当事国の合意がなければならない。日本は国際司法裁判所規程 第三十六条二項に基づく同裁判所の義務的管轄権 受諾宣言を一九五八年九月に行っており、「この宣言の日付以後の事態または事実に関して同日以後に発生するすべての紛争」については同一の相互条件で、相手国に訴えられた場合には、受けて立つことにしている。
しかし、韓国は、国連加盟以後も、裁判所の義務的管轄権を受諾する宣言を行っていない。たとえ韓国が加盟時に受諾宣言を行っていたとしても、紛争が李ライン設定によって一九五二年に発生したものと考えられれば、日本の受諾宣言が「この宣言の日付以後の事態または事実に関して同日以後に発生するすべての紛争」に限定している以上、特別の合意がない限り、裁判所による裁判で紛争を解決することはできない。
残された方法は、日本が一方的に国際司法裁判所に訴えるものである。しかし、現在の日本にはこの方法を採る意思があるとは思えないし、政治的には一方的付託はしてはならないものと思われる。
なぜなら、一方的付託の例は、冷戦時代にあったが、アルバニア領海のコルフ海峡における英国艦船の触雷事件に関して国連安全保障理事会の決議等もあり、英国が一方的にアルバニアを訴えて応訴意思を確認されたコルフ海峡事件以外には、米国が旧ソ連を相手に航空機撃墜事件を一方的に訴えた事件など応訴が無く、裁判所によって訴訟の中止の決定がなされているからである。
そして、こうした一方的提訴は、相手国が裁判所の管轄権を受諾していないことを知りつつ、相手国が裁判による平和的解決を回避する国であることを世界に知らしめようとするもので、裁判所の政治的利用として必ずしも好ましいものではないからである。
冷戦時代の敵対関係にある国同士ならいざ知らず、現在の日韓の関係はあえて相手国を貶めようとするような関係では全くない。ましてや、冷戦時代でさえ友好国であり、潜在的敵国関係にはない。((5))
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(つづく)
これは メッセージ 15831 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15832.html
国際法や司法裁判所による解決1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/09/23 09:36 投稿番号: [15831 / 18519]
半月城です。内藤・朴『竹島=独島論争』(新幹社、2007)から、第3章5節「国際司法裁判所や国際法による解決」を転載します。蛇足ながら、著作権は何ら問題ありません。
*******************
一般に、紛争やもめ事は最後には裁判所で決着をつけるという考えから、国際間のもめ事も同じように国際司法裁判所で解決すべきだという声を日本でよく耳にします。
しかし、両者には決定的な違いがあります。国内の場合は憲法や法律などが明文化され、裁きの判断基準が明確になっているのですが、国際間の場合はそのような基準の明文規定が存在しません。
存在するのは単に ①国家間の条約類、②これまでの国際慣習、③法の一般原則などであり、これらが総称して国際法と呼ばれます。したがって、①の条約類以外はほとんど成文化されていません。特に ②の国際慣習は過去の事例の積み重ねであり、今日の価値基準とは必ずしも一致していないのが特徴です。そのいい例が戦争ですが、第二次世界大戦以前は、侵略戦争はおおむね合法とされました。
そのような帝国主義時代の国際法は日本では万国公法と呼ばれましたが、これについて明治の元勲である木戸孝允は「万国公法は小国を奪う一道具」と喝破しました。
万国公法は、弱肉強食の時代に覇権を追い求めた大国が、貪欲に領土拡張をおこなった際にお互いの利害調整をはかって積みあげた強者間の、いわば「狼どもの国際法」でした。実際、イギリスのアヘン戦争のように、万国公法は侵略のための道具として利用されてきました。そうした過去の戦争は、法の不可遡及の原則により現在でも合法とされます。
そのような判断基準を引き継いで、現在の国際司法裁判所は過去の案件を裁くことになりますので、とかく国際法は植民地支配を受けた国などに対しては不利に働きがちです。したがって、国際司法裁判所でたとえ合法とされても、それは不当である場合が往々にしてありえます。
さて、竹島=独島問題ですが、日本ではこの問題の解決に国際司法裁判所への付託を言いだす政治家がかなり見られます。たとえば、島根県の澄田信義知事は「両国の外交努力により平和的に解決されるべき」としたうえで、国に対し「国際司法裁判所に判断を仰ぐべき」との提案を行いました((1))。
一方、竹島=独島問題の研究者の方は、概して同裁判所による解決に慎重な姿勢を示しています。たとえば、下條正男氏です。第四節に書いたように、同氏は「それはやめたほうがいいと思いますね」と語りました。また、塚本孝氏も国際司法裁判所による解決には慎重なようで、北方領土問題に関連してこう記しました。
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国際司法裁判所への付託を提議すべきかどうかは、法理上のことのみならず多角的な分析を経るのでなければ軽々に論じられないことは無論である。また、領土にかかわる問題であって敗訴を含めたリスクを伴うことを思えば、選挙で選ばれる者のみが判断に責任を負うことのできる問題であるかもしれない。しかし、いろいろな場合を想定して準備をしておくことは、なお必要ではないかと思われる。((2))
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かつて、日本は国際司法裁判所への付託を一九五四年に韓国へ提案したことがありました。おそらく日本は裁判で勝てると思いこんでいたのでしょう。なにしろ、その当時の日本は、江戸時代の「松島渡海免許」なるものを竹島=独島の有力な実効支配の根拠としていたので優勢でした。その一方で、明治時代の最高官庁である太政官が竹島=独島を版図外と指令した史実などは公開されず、一般に知られていない状況でした。
対する韓国は、朝鮮戦争の戦禍ですべてが潰滅ないしは混乱状態にあり、竹島=独島問題の研究も不十分で、とても裁判どころではない状況でした。韓国政府は日本の提案に対して次のように拒否しました。
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紛争を国際司法裁判所に付託しようとする日本政府の提案は司法的な装いとして虚偽の主張をしている一つの企図にすぎない。韓国は初めから領土権をもっており、その権利についての確認を国際司法裁判所に求めようとすることの理由を認めることはできない。いかなる紛争もあり得ることがないにもかかわらず、類似的な領土紛争を造作するのは日本である。((3))
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(つづく)
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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何やってんだ日本! 『朝日新聞』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/22 18:28 投稿番号: [15830 / 18519]
これは メッセージ 15829 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15830.html
『南島風土記』 in 1950
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/22 09:58 投稿番号: [15829 / 18519]
これは メッセージ 15827 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15829.html
Re: 隠州視聴合紀:無人島と「日本之地」
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/22 07:09 投稿番号: [15828 / 18519]
te22200様、こんにちわ。
>もっとも「遥か外洋にある島が日本の地と言えるかどうかについて、幕府の高
>官から地方藩士に至るまで全ての人が共通の判定基準を持っていた」と言える
>ならば、無関係ではなくなります。そのように言える根拠があるならば、改め
>て考え直しますので、教えてください。私としては、国際法の学問が未発達
>だったこと及び幕府が情報を広く公開する習慣が皆無だったことから、その可
>能性は極めて低いと考えています。
共通の判定基準があったかどうかは判りませんが、ある島があって自国民だけが利用して他の国から何の抗議も無ければその島が自国領と思うのは当然でしょう。特に、当時は海外渡航が禁止されていたのだから、日本の領土がどこまでかというのは、重要な概念だったのではありませんか?
岡嶋正義の「因府歴年大雑集」に安竜福に関係して次のような記事があるそうです。「・・・小屋がけ唐人弐人罷ある様候へ共参り候壱人は通詞にて有之此嶋ハ日本の嶋成にいか様の義にて参候やあれに日本の舟有之候て・・・」と。要は、朝鮮語の出来る者が、安竜福らに「竹島は日本の島だ、何の用で来たのか」ということを言っているわけです。この「通詞」がさして身分のある人とは思えませんが、この人ですら日本の島と言っているわけです。無人島だから日本の島ではないどという気配は全くありません。
ついでに言うと、安竜福自身、長崎奉行所の取り調べに際して「・・日本之内竹嶋と申所之由は、此度承申候御事」と述べているくらいですから、安竜福に接触した日本人が竹島は日本領であると主張したのは疑いようもありません。
幕府のことは前に言及しましたが、無人島→無主地なんて、かなり無理があるとしか思えません。
これは メッセージ 15817 (te22200 さん)への返信です.
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『中華人民共和国分省地図』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/22 01:59 投稿番号: [15827 / 18519]
これは メッセージ 15825 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15827.html
半月城さんも長いですねぇ。
投稿者: boshind 投稿日時: 2007/09/21 15:51 投稿番号: [15826 / 18519]
結論ありきの討論を長い間続けられるエネルギーは素晴らしいですねぇ^^
さて
ご自身のサイトで、
国際司法裁判所への誤解
2004/12/12
Yahoo!掲示板「竹島」#6387
半月城です。
Re:6333
>だから、日本政府は国際裁判所で白黒付けようと言うんでしょう。
ちょっと待ってください。現在、日本政府は竹島=独島問題を国際司法裁判所に提訴
していると誤解している人が多いようですが、これは明らかな間違いです。
意外に思われるかもしれませんが、過去 50年間、「日本政府は国際裁判所で白黒付
けよう」として動いたことは一度もありませんでした。
とありますが、近年、日本は毎年韓国政府に国際裁判所で決着をつけましょうと手紙を送っていることが明らかになってます。ニュースにもなりましたよね^^
韓国政府は完全無視しているらしいですがw
これって「日本政府が国際裁判所で白黒付けようとして動いたこと」にあたりますよねぇ^^
訂正はされないんですか?w
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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『中華人民共和国分省精図』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/21 08:25 投稿番号: [15825 / 18519]
これは メッセージ 15824 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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『大日本府県分轄図』 拡大版
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/20 00:53 投稿番号: [15824 / 18519]
これは メッセージ 15821 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15824.html
Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/19 04:18 投稿番号: [15823 / 18519]
te22200様、回答が前後しますが。
>本当ですか?
>隠岐古記集で竹島松島を隠州内として扱っている部分のテキストを教えてくださ
>い。
大君外交と「武威」をお持ちなら、該当頁を参照して下さい。竹島・松島を隠州から除外しているようにはとても読めません。大日本史でも隠岐古記集を根拠として竹島・松島を隠州内として扱っているらしいです。
>>ところで「隠州から竹島松島に行く」という表現になったのは、冒頭で隠岐
>>国=隠岐島と記述したことによる文章構成の都合に過ぎないと思うのです。
>すみません、どういう都合か、もう少し具体的に説明していただけませんか。
先に島前、島後の説明をしてしまったためでしょう。
蛇足かもしれませんが、似たような表現は今でもけっこうあるんですよ。
これは見島観光協会が作った見島の紹介文です。
「見島は山口県萩市の沖、北北西に約45kmの海上に浮かぶ、人口約1,300人(平成11年4月現在)の小さな離島です。古くから海上交通の要所として、大変重要な島でした。」
http://www.hagi.or.jp/mishima/ところで、見島はどこの市町村にあると思いますか。
こういったやや混乱した表記は実際には沢山あるのです。
>という点については、お考えを修正されたということでよろしいでしょうか。
いえ、全然。
竹島松島が「隠州視聴合紀」で隠州の内と解釈しても何の問題もありませんから。
基本的には国代記はテキスト量が少ないので、最終的には他の情報とつきあわせて判断しなければならないと思うのです。たとえば、他の史料で竹島がどこの州として扱われているかとか、当時の社会情勢などとです。島根県の報告書が出ていますが、同時代の史料で竹島を隠岐国に含めていると考えられるものはやはりあるようです。
te22200様が言うように隠岐国から竹島に行くとも読める部分はありますが、これは大した問題とも思われません。また、池内氏が言うように、添付地図に記載されていないなどというのも地図の本質を理解していないだけのことです。
これは メッセージ 15808 (te22200 さん)への返信です.
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Re: 隠州視聴合紀:無人島と「日本之地」
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/19 03:37 投稿番号: [15822 / 18519]
te22200様、こんにちわ。
>誤解があるようですが、私が主張しているのは「隠州視聴合紀の著者は、無
>人島であることを理由の一つとして竹島松島が日本の地ではないと判断して
>いる」ということだけであり、当時の他の立場の人が一般的に島の領有問題
>についてどう考えていたかについては何も述べておりません。
私も以前はこのように考えていました。しかし、これではうまくないのです。
「隠州視聴合紀」は一種の報告書です。はじめから他人に読んでもらうことを意図して作成されたものです。「2島が無人島であるならば誰のものでもない。」と個人的に判断するのは自由ですが、他人に読ませる文書ならば、無人島であることと無主地であることに論理的関係があるというとことについて、ある程度の一般的な了解が必要なのです。たとえば、「ボロ家に住んでいるならば、貧乏だろう。」という文があるとします。何の違和感もありません。世の中の常識に適っているからです。「ボロ家に住んでいるならば、インテリだろう。」ではおかしいでしょう。「ボロ家に住んでいる」ことと「インテリであること」には論理的関係が希薄だし、常識とも合致しません。だから、何の説明も無くこんなことは普通は書きません。逆に、斉藤豊仙が無人島→無主地を何の説明も無く主張しているとするならば、少なくとも違和感が無い程度には一般的了解があったのではないかという推測が成り立つ訳です。ご理解いただけますか?
>小笠原諸島に対する領有意識などは私の主張とは関係ありません。
だから無関係とは言えないのです。
>また、上記引用文の中の「領有権」「自国領」「領有意識」などの言葉にも
>注意が必要です。
から
>という現代にあっては常識的な考え方を、そのまま17世紀の文書の解釈に適
>用しているためではないかと考えます。
までは全然同意しませんし反論も出来ますが、どうせお互いに納得しないので止めておきます。
>また、#15791で示された「隠州風土記」のテキストですが、「此二島無人之地
>〜如自雲州望隠州」の全てを受けて「然れば」と述べていると考えることも可
>能で、「此二島無人之地」を除外する根拠にはならないと思います。
そのように読めなくもないのかも知れませんが(個人的には文章構成上殆ど無理だと思いますが)、隠岐古記集では「日本の乾地此国を以て限りとする也」を最初に持ってきて、「此二島無人之地」を削除する一方、「見高麗如自州望隠州」はほぼそのまま使っています。つまり、「然則日本之乾地」を受けているのはやはり「見高麗如自州望隠州」なのではないでしょうか。
これは メッセージ 15817 (te22200 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15822.html
Re: 沖縄に行ってきます
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/18 22:57 投稿番号: [15821 / 18519]
これは メッセージ 15820 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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沖縄に行ってきます
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/18 22:14 投稿番号: [15820 / 18519]
これは メッセージ 15819 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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『地質学雑誌』 in 1898
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/18 21:46 投稿番号: [15819 / 18519]
これは メッセージ 15814 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15819.html
Re: 隠州視聴合紀:無人島と「日本之地」
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2007/09/18 10:57 投稿番号: [15818 / 18519]
te22200さんwrote:
>また、#15791で示された「隠州風土記」のテキストですが、「此二島無人之地〜如自雲州望隠州」の全てを受けて「然れば」と述べていると考えることも可能で、「此二島無人之地」を除外する根拠にはならないと思います。
関連して、「従竹島見高麗如自雲州望隠州」の部分について一言。
「従竹島見高麗」とあるからには、漢文の約束事としては、竹島が従で高麗が主でしょうね。この部分だけを見る限りでは、そう云うことになります。
あるいは、筆者が漢文の約束事に無知であった可能性もきわめて薄いけれども考えられなくもありませんが、まあ、それはないでしょう。
これは メッセージ 15817 (te22200 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15818.html
隠州視聴合紀:無人島と「日本之地」
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/17 22:26 投稿番号: [15817 / 18519]
puracyaka2007さん
無人島であることを理由に竹島松島が日本でないとする解釈の問題に関してお答えします。
>>>
te22200様は、当時は無人島には領有権を主張する観念が無かったと考えているようですが何か根拠はあるのでしょうか。竹島松島は定住者こそいませんでしたが日本人が政府の承諾のもと公然と経済活動を行っていたのですから、これを自国領でないとするほうが相当に不自然なように思います。「此二島無人之地」をもって「日本領でない」という意味まで包含させているとすれば、当時の常識的なものの見方として無人島=無主物が成立していなければなりません。ところが、当時のセンスでも無人島に領有権を主張し得たのは、小笠原諸島に対する領有意識を見れば十分でしょう。
<<<
誤解があるようですが、私が主張しているのは「隠州視聴合紀の著者は、無人島であることを理由の一つとして竹島松島が日本の地ではないと判断している」ということだけであり、当時の他の立場の人が一般的に島の領有問題についてどう考えていたかについては何も述べておりません。
ですから、小笠原諸島に対する領有意識などは私の主張とは関係ありません。
もっとも「遥か外洋にある島が日本の地と言えるかどうかについて、幕府の高官から地方藩士に至るまで全ての人が共通の判定基準を持っていた」と言えるならば、無関係ではなくなります。そのように言える根拠があるならば、改めて考え直しますので、教えてください。私としては、国際法の学問が未発達だったこと及び幕府が情報を広く公開する習慣が皆無だったことから、その可能性は極めて低いと考えています。
また、上記引用文の中の「領有権」「自国領」「領有意識」などの言葉にも注意が必要です。
恐らく、puracyaka2007さんは、視聴合紀の「日本之乾地」という言葉を「日本国の北西の領土」と解釈しているのだと思います。
実は私自身、過去にそのような解釈をしていたのですが、最近この解釈には問題があると気付きました。
考えてみれば当時「日本国」という概念は極めて希薄だった筈です。視聴合紀の著者が帰属意識を持っているのは出雲藩に対してであり、藩や幕府を超えた日本国という政治上の概念はほとんど意識しなかったのではないでしょうか。そのような著者が「日本之地」という言葉の中に「日本国の領土」という意味、もっと詳しく述べれば
(a)日本という統治機構の主権が及ぶ土地
という意味をどこまで込めていたかは疑問です。
むしろ、視聴合紀全体に渡って見られる歴史や伝承、風俗などへの関心の高さを考えた場合、「日本之地」を
(b)この国の古からの文化が伝えられ、行なわれている土地
という程度の意味で使った可能性も高いと思います。
勿論これは私の想像に過ぎず、根拠と呼べるものはほとんどないので、(b)の解釈が正しいと主張するつもりはありません。しかし(b)の解釈が想像に過ぎないのと同程度、(a)の解釈もまた想像に過ぎないと思うのです。
今は、(a)と(b)の二つの解釈を示しましたが、恐らくこれらは両極端であり、「日本之地」という言葉で著者が表した本当の意味は、この二つの中間にあるような気もしています。
>>>
結局のところ「竹島松島は無人島だから(日本領ではなく)乾の地は隠岐までである」というのは解釈としてあらゆる面で不自然極まりないとしか言いようがありません
<<<
繰り返しになりますが、puracyaka2007さんが「あらゆる面で不自然極まりない」とお感じになるのは、
・日本の地かどうかの判定基準を全ての人が共有している。
・「日本之地」とは、日本国の領土のことである
という現代にあっては常識的な考え方を、そのまま17世紀の文書の解釈に適用しているためではないかと考えます。
また、#15791で示された「隠州風土記」のテキストですが、「此二島無人之地〜如自雲州望隠州」の全てを受けて「然れば」と述べていると考えることも可能で、「此二島無人之地」を除外する根拠にはならないと思います。
#15782は、半月城さんに対する批判ですので直接コメントすることは控えます。
#15793〜15795については、これまでにお答えした論点が一段落した後、なお必要がある場合のみ回答します。
これは メッセージ 15780 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15817.html
『Carte de l'empire du Japon』
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2007/09/12 22:54 投稿番号: [15816 / 18519]
Tanaka_Kunitakaさん
1873年ウイン万国博で展示された『Carte de l'empire du Japon』の掲示を有難うございます(No.15801)。この地図は、明治新政府が初めて作成した日本全図で、諸外国に対し日本領土の範囲を示した、極めて重要なものと思います。
『Carte de l'empire du Japon』は、日本の領域を実線で表し、朝鮮半島や沿海州の海岸は点線で示しています。北方地域では、SAGALINは全島、ChisimaはUrup・Yetorofu・Kunashiri・I. Shiukotanの4島だけが実線で描かれ、「樺太千島交換条約」以前の日本政府の領土認識がよく分ります。
「松島竹島」に関して、幕府は「松島竹島」を日本領とは考えていませんでした(No.15627)。高橋景保の『日本邊界略圖』(1809)や伊能忠敬の地図を元にした『官板実測日本地圖』(1867)に「松島竹島」は記載されていません(No.15697)。しかし『Carte de l'empire du Japon』では、明白な朝鮮領の済州島は載せませんでしたが、Matsou I.とTake I.は記され、明治新政府は日本領と考えていたように見えます。
『Carte de l'empire du Japon』に松島と竹島を載せたのは、旧幕府の見解と訣別し、日本海西部沿岸地方の人々が行い伝えてきた「竹島渡海」を重視したからでしょう(No.15679)。この地図の説明として、和銅の風土記につぐ官撰地誌『日本地誌提要』は書かれました(No.15715)。塚本明毅は、日本領とした松島と竹島を隠岐國条に配し、「土俗相傳テ云フ」として隠岐からの距離を示し、日本人渡航の事跡を記録しました。
『日本地誌提要』の隠岐から松島と竹島への距離、「六拾九里三拾五町」と「百里四町」は現在からみると過大で、この数字を何からとったかは不明ですが、江戸時代には島嶼間の距離は一般に大きく見積もられていたようです(No.12406)。
1876年10月5日内務省地理寮は地籍編纂のため島根県へ竹島を照会しました。島根県では竹島に関連する文書を添え、10月16日「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を内務省に提出しました。内務省は、竹島関連文書を調べ、1877年3月「竹島外一島之儀本邦関係無之儀」と結論し、太政官の承認を得ました。
1875年9月、地誌事業は「博ク古今ノ沿革ヲ攻拠」する必要があるとして、塚本明毅は自ら建言して地誌課を地理寮から太政官正院修史局に移しました(石田龍次郎『日本における近代地理学の成立』大明堂, 1984)。地誌課は1877年12月再び内務省地理局に戻されましたが、1877年3月の「竹島外一島本邦関係無之」とした内務省の決定には、竹島事情に最も詳しい地誌課は殆んど関与しなかったと思われます。『日本地誌提要』で「松島竹島」を隠岐の属島とした塚本明毅は、この決定に不満を感じていたでしょう。
太政官指令があるので、塚本明毅は、『大日本府縣管轄圖』(1879)や『大日本國全圖』(1880)、及び『大日本府縣分轄圖』(1881)の山陰地方に、竹島・松島を載せることは出来ませんでした(No.15815)。しかし、彼は『大日本府縣分轄圖』内の『大日本全國略圖』に竹島・松島を載せました。この地図は、Tanaka_Kunitakaさんの指摘どおり(No.15802)、『Carte de l'empire du Japon』と似ており、それを元に作られたものでしょう。
『大日本全國略圖』の竹島・松島の位置は、ahirutousagi2さん(Nos.2811, 2888, 3153, 9693, 9798, 12407, 12431, 12491, 14830, 15634)とhenchin_pokoider01さん(Nos.2810, 3165, 9786, 14857, 15636, 15657)が繰り返し何度も主張したように、アルゴノート島・ダジュレー島であるように見えます。
幕府海軍で測量と地図作成では小野友五郎と並び称された塚本明毅は、『大日本全國略圖』の竹島と松島の位置が、存在しないと分っているアルゴノート島と鬱陵島であるダジュレー島に相当することを承知していたでしょう。塚本明毅は、竹島を烏有のアルゴノート島、松島を「竹島一件」で放棄した鬱陵島の位置に比定することにより、十分な議論もなく竹島と松島を放棄した太政官指令に、ささやかな抗議の意味を込めたのかもしれません。
これは メッセージ 15815 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15816.html
Re: 竹島・松島に関する正院地誌課の結論
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2007/09/12 22:36 投稿番号: [15815 / 18519]
半月城さん
ご意見と新しい資料の紹介を有難うございます。
>塚本明毅は、内務省地理局において明治初期の日本地図の製作を監修しました。もし、かれに竹島・松島を日本領にする意図があったのなら、地理局発行の『大日本國全圖』(1890)や『大日本府縣分轄圖』(1881)の山陰地方などに竹島・松島を載せたのではないでしょうか。
1877年3月の太政官指令で「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とされたので、内務省地理局地誌課長として塚本明毅は、『大日本國全圖』(1880)や『大日本府縣分轄圖』(1881)の山陰地方などに竹島・松島を載せることが出来なかった、と思います。ただし、官撰地誌『日本地誌提要』は、1878年1月刊行にもかかわらず、林羅山『本朝地理志略』の書式(Nos.10197, 10287, 15278)を変えなかったことに興味をもっています。
>『日本地誌提要』「隠岐」条の編纂は太政官正院地誌課(1871-74)によりおこなわれましたが、その時、すでに竹島・松島を日本領にするのが無理だという調査結果が出ていたと思われます。
同意します。紅葉山文庫・旧幕府昌平坂学問所の資料等から、すぐに竹島・松島を日本領にするのが無理だという調査結果は出たと思います。しかし塚本明毅は、「松島竹島」を「隠岐」条に配することにより、17世紀の竹島渡海事業や、幕末明治初期の日本海西部沿岸地方の人々の竹島渡航の事跡を残そうとしたのではないかと思います(No.15679)。
>幕府が竹島(欝陵島)を放棄した事情を記した『磯竹島事略』(磯竹嶋覺書)を正院地誌課は知っていたか、あるいはもしかすると自ら編纂したのではないかと思われます。
磯竹嶋覺書は、自民党調査役大熊良一氏の『竹島史稿』(原書房, 1968)に「中邨元起校正『磯竹島覚書』(写本)明治八年」とあり、中邨(村)元起が関ったと思われます。中村元起(1820-1884)は、林復齋の塾頭を務めた高遠藩儒で廃藩後、筑摩県で松本「開智学校」創設に加わった後、太政官に出仕し歴史・地理の編纂に当った、とされています。地理局地誌課職員一覧によると、中村元起は明治6年から同10年1月まで在籍し、『日本地誌提要』「編纂姓氏」に十三等出仕中村元起とあります。『磯竹嶋覺書』は正院地誌課が自ら編纂したと思います。
内務省は、島根県提出の文書と独自調査から、「竹島外一島之儀本邦関係無之儀」と結論しました。この決定には、前島密と共に郵便創業に加わり、大久保利通に重用された地理局長杉浦譲の判断が大きかったと思います。しかし当時、太政官正院修史館(局)地誌課長であった塚本明毅は、『Carte de l'empire du Japon』や『日本地誌提要』で日本領とした島をいとも簡単に放棄したことに対し、割り切れない思いを抱いていたでしょう。
竹島外一島を版図外とした太政官指令は、政府に近い知識人さえ知らなかったようです。「松島竹島」を「居民統屬ナク」と記した(No.15715)大槻修二の弟で、国語辞書『言海』の著者大槻文彦は1878年8月、次のように書いています「今ヤ北ハ唐太千島ノ交換アリテ魯国トノ紛紜ヲ終ヘ、西ハ朝鮮ト和成テ葛藤始メテ解ケ、東南ノ小笠原島、英人既ニ其所有ノ権ヲ放棄シ、南方ノ琉球モ亦将ニ其両属ノ名ヲ処置セムトス。此時ニ当リテ此二島ノ事措テ問ハザルハ亦遺憾トスベシ。其ノ後レテ人ニ制セラレシ唐太ノ如ク、其数年ノ異議ヲ起シヽ小笠原島ノ如クハ、我レ竹島松島ニ於テ望ム所ニアラズ。乃チ二島ノ事ヲ記シテ世ノ志士ノ説ヲ起サムトス。」『洋々社談』(高田宏『言葉の海へ』新潮社, 1978)。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=52010827&VOL_NUM=00000&KOMA=287&ITYPE=0内務省は、一部とはいえ日本領或は所属不明との認識があった「竹島松島」を、独自の判断で放棄したので、異論が出るのを恐れたのかもしれません。
これは メッセージ 15720 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15815.html
『籌海図編』 in 1562
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/12 05:36 投稿番号: [15814 / 18519]
これは メッセージ 15813 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15814.html
『重纂福建通志』 in 1838
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/11 22:15 投稿番号: [15813 / 18519]
これは メッセージ 15812 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15813.html
『福建通志』 in 1873
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/11 21:03 投稿番号: [15812 / 18519]
これは メッセージ 15811 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15812.html
『China Sea Directory』 in 1873
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/10 07:57 投稿番号: [15811 / 18519]
これは メッセージ 15810 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15811.html
『増訂大日本輿地全図』 in 1864
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/09 20:39 投稿番号: [15810 / 18519]
これは メッセージ 15803 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15810.html
Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2007/09/09 15:51 投稿番号: [15809 / 18519]
>>>
しかし、国代記では隠州の外の土地については○○州××や高麗などと隠州の外であることをはっきりと示しています。ところが、竹島松島については○○州という肩書きはありません。国代記の当該部分は隠州の地理について示したものですから、何の肩書きも無ければ隠州の内と解釈するのが相当と思います。
<<<
>「竹島松島が日本六十余州のどれにも属さず、また高麗にも属さない」という場合も肩書きは付きません。
付ける肩書きがありませんから。
>肩書きが無いからといって、隠州の内と解釈するのは早計だと思います。
隠州視聴合紀の記載で、竹島、松島に雲州とか高麗の頭書きがなければ、
素直に読めば隠州の内ってことでしょうよ。
これは メッセージ 15808 (te22200 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15809.html
Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/09 12:29 投稿番号: [15808 / 18519]
puracyaka2007さん
>>>
しかし、国代記では隠州の外の土地については○○州××や高麗などと隠州の外であることをはっきりと示しています。ところが、竹島松島については○○州という肩書きはありません。国代記の当該部分は隠州の地理について示したものですから、何の肩書きも無ければ隠州の内と解釈するのが相当と思います。
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「竹島松島が日本六十余州のどれにも属さず、また高麗にも属さない」という場合も肩書きは付きません。
付ける肩書きがありませんから。
肩書きが無いからといって、隠州の内と解釈するのは早計だと思います。
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現に、隠岐古記集では隠州視聴合紀を元本としながら、竹島松島が隠州内の扱いになっている
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本当ですか?
隠岐古記集で竹島松島を隠州内として扱っている部分のテキストを教えてください。
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ところで「隠州から竹島松島に行く」という表現になったのは、冒頭で隠岐国=隠岐島と記述したことによる文章構成の都合に過ぎないと思うのです。
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すみません、どういう都合か、もう少し具体的に説明していただけませんか。
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>(ロ)については、Cで述べたように、隠州の物産についての記述と竹島の物産についての記述に明確に差があることを考え合わせるべきです。
隠岐が松江藩預かりであったのに対し、竹島松島はそうではありません。その違いの反映と考えても矛盾はありません。
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「矛盾はありません」とは、随分消極的な表現ですね。#15781では
(#15781)>>>
ましてや、アザラシがいるだの五十猛がどうのという講釈を試みているのですから。
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のように、物産が記述されていることこそが、竹島松島が隠州内であることの動かぬ証拠のように書いていらっしゃいましたが。
> 国代記の当該部分が隠州の地理について示したものである以上、
> 竹島松島が隠州外であるならこれは異質な情報です。
(中略)
> 異質な情報を挿入するのならその旨を断ってから書くべきでしょう。
> ところが、何の断り書きもありません。
断り書きはありませんが、竹島に関する詳細情報は割注として書かれています。従って著者は、この記述が文章の本筋から外れた異質な情報であると認識していたことが窺えます。
>>>
「隠岐の出雲藩の番所では、竹島渡海についても何がしかの管理をしていたから、それを考えれば、竹島に関する情報を書くことは、竹島が隠州に入るかどうかに関係無く意味のあること」なのかも知れませんが、
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一応肯定して下さったということは、#15781 でお書きになっていた
(#15781)>>>
竹島・松島が隠州の内か外かですが、これは内だと思います。内でないなら、そもそも言及する必要すらありません。
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という点については、お考えを修正されたということでよろしいでしょうか。
これは メッセージ 15807 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/08 04:13 投稿番号: [15807 / 18519]
te22200様こんにちわ。まとめて返答いたします。
>「隠州から西北に行くと松島があり、その向こうに竹島がある」というのですから、隠州と竹島松島は別ものと考えられていることが分かります。(15804)
>(イ)については、隠州視聴合紀では、伯州赤碕浦、石州温泉津など明らかに隠州の外の土地にも言及しているのですから、これだけでは理由になりません。
確かに、「隠州から竹島松島に行く」というのであれば、竹島松島が隠州ではないという読みは成り立ちうるでしょう。しかし、国代記では隠州の外の土地については○○州××や高麗などと隠州の外であることをはっきりと示しています。ところが、竹島松島については○○州という肩書きはありません。国代記の当該部分は隠州の地理について示したものですから、何の肩書きも無ければ隠州の内と解釈するのが相当と思います。現に、隠岐古記集では隠州視聴合紀を元本としながら、竹島松島が隠州内の扱いになっていることは看過すべきではないでしょう。ところで「隠州から竹島松島に行く」という表現になったのは、冒頭で隠岐国=隠岐島と記述したことによる文章構成の都合に過ぎないと思うのです。
>(ロ) 物産について述べていること
>(ロ)については、Cで述べたように、隠州の物産についての記述と竹島の物産についての記述に明確に差があることを考え合わせるべきです。
隠岐が松江藩預かりであったのに対し、竹島松島はそうではありません。その違いの反映と考えても矛盾はありません。
>(ハ) 島名について五十猛との関連を述べていること
(ハ)は後年の挿入という見解もあるので省いてもいいのですが、国代記の当該部分が隠州の地理について示したものである以上、竹島松島が隠州外であるならこれは異質な情報です。「隠岐の出雲藩の番所では、竹島渡海についても何がしかの管理をしていたから、それを考えれば、竹島に関する情報を書くことは、竹島が隠州に入るかどうかに関係無く意味のあること」なのかも知れませんが、異質な情報を挿入するのならその旨を断ってから書くべきでしょう。ところが、何の断り書きもありません。
これは メッセージ 15806 (te22200 さん)への返信です.
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Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/07 09:54 投稿番号: [15806 / 18519]
【D】
竹島松島が隠州に含まれる理由としてpuracyaka2007さんが述べていらっしゃるのは次の三つですね。
(イ) 隠州視聴合紀で竹島松島に言及していること
(ロ) 物産について述べていること
(ハ) 島名について五十猛との関連を述べていること
(イ)については、隠州視聴合紀では、伯州赤碕浦、石州温泉津など明らかに隠州の外の土地にも言及しているのですから、これだけでは理由になりません。
(ロ)については、Cで述べたように、隠州の物産についての記述と竹島の物産についての記述に明確に差があることを考え合わせるべきです。
当時、竹島の存在についてほとんど知られていなかったであろうことを思えば、隠州について述べるついでに竹島についても多少詳しく述べておくことに、別に不自然さはありません。
実際、竹島の物産については、割注として「ついでに述べられ」ています。
隠岐の出雲藩の番所では、竹島渡海についても何がしかの管理をしていたそうですから、それを考えれば、竹島に関する情報を書くことは、竹島が隠州に入るかどうかに関係無く意味のあることです。
(ハ) の五十猛のことについても、(ロ)について述べたことと同じです。竹島が隠州に含まれていなくても、その程度のことが書かれているのは別に不思議ではありません。
また、私は、五十猛云々の記述は、後世に追加された注だと思っております。詳しくはこの会議室の #9600 に書きました。
(終わり)
これは メッセージ 15805 (te22200 さん)への返信です.
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Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/07 09:53 投稿番号: [15805 / 18519]
以下に私が「隠州視聴合紀において竹島松島は隠州に含まれない」と考える理由を述べます。
【A】
国代記は冒頭 (1)〜(8)で隠州の地理についての概説を述べており、その中の(4)〜(7)で隠州の構成要素を記しています。ここに竹島松島の記述が無いのですから、竹島松島は隠州に含めていないと考えることが妥当です。
【B】
(9)〜(13)のそれぞれの書き出しを見ると、次のようになっています。
(9) 従是南…
(10)辰巳…
(11)未申…
(12)自子至卯…
(13)戌亥間…
「従是」と書かれているのは(9)だけですが、(10)〜(13)についても、繰り返しになるので省略しただけのことであり、「従是」を補って読むのが妥当です。つまり
(9) 従是南…
(10')従是辰巳…
(11')従是未申…
(12')従是自子至卯…
(13')従是戌亥間…
です。
また、「従是」の「是」は「隠州」を指すと考えて良いでしょう。
つまり、(13),(14)について省略されているものを文脈から補って書けば
(13'') 従隠州戌亥間行二日一夜有松島
(14) 又一日程有竹島
となると思います。
「隠州から西北に行くと松島があり、その向こうに竹島がある」というのですから、隠州と竹島松島は別ものと考えられていることが分かります。
【C】
隠州の物産については、(20)〜(23)で詳しく述べられています。竹島が隠州に含まれるならば、竹島の物産についてもここに書くべきですが、実際には、(16)の割注で簡単に書かれているだけです。
(続く)
これは メッセージ 15804 (te22200 さん)への返信です.
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隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/07 09:52 投稿番号: [15804 / 18519]
puracyaka2007さん、こんにちは。
いくつかの論点を示していただいていますが、あまり時間もとれないので、まずは「隠州視聴合紀において竹島松島は隠州に含まれるか」という点について論じます。残りの点についても、改めて少しずつ書いていきたいと思います。
まず、説明のため隠州視聴合紀のテキストを示します。出典は池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」で、(1)〜(19)については史料四、(20)〜(23)については史料一から写しました。
[ ] で括ってある部分は割注です。
(1) 隠州在北海中
(2) 故隠岐嶋
(3) [按、倭訓海中言遠幾故名歟]
(4) 其在巽地言島前也
(5) 知夫郡・海部郡属焉
(6) 其位震地言島後
(7) 周吉郡・穏地郡属焉
(8) 其府者周吉郡南岸西郷豊崎也
(9) 従是南至雲州美穂関三十五里
(10)辰巳至伯州赤碕浦四十里
(11)未申至石州温泉津五十八里
(12)自子至卯無可往地
(13)戌亥間行二日一夜有松島
(14)又一日程有竹島
(15)[俗言磯竹島]
(16)[多竹・魚・海鹿]
(17)此二島無人之地
(18)見高麗如自雲州望隠岐
(19)然則日本之乾地、以此州為限矣
(20)民部図帳曰、凡諸健児免徭役、隠岐国以国造田三町地子充之
(21)然近代所賦毎年一萬千六百余斛
(22)其余又以漆・椿実(キノミ)・山椒・紫藻(ノリ)・鯛・鰯・〓(トビウヲ)・鯖・石決明(アハビ)・烏賊・馬皮等
(23)是慶長年中堀尾氏之所定也
(〓 = 魚ヘンに「搖」の右側)
ご存知のように隠州視聴合紀の国代記は、
a. 地理に関する部分
b. 物産に関する部分
c. 歴史に関する部分
の3部構成になっており、上に載せたのはa,bの全文です。
(続く)
これは メッセージ 15795 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15804.html
大日本府県管轄図 と 大日本府県分轄図
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/06 23:40 投稿番号: [15803 / 18519]
これは メッセージ 15802 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15803.html
『大日本府県分轄図』 in 1881
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/05 01:59 投稿番号: [15802 / 18519]
これは メッセージ 15801 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15802.html
『Exposition Universelle』 in 1873
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/04 20:38 投稿番号: [15801 / 18519]
「けんかをやめて」で思い出したのですが、私はよく弟と兄弟喧嘩をしていたのですが、小学生の時にあるドラマを見て弟と喧嘩しなくなりました。それは、大河ドラマ「独眼流政宗」です。秀吉が北条攻めをしているときに、秀吉が政宗に小田原に参陣するよう書状が着ました。
政宗の母お東の方は、兄(政宗から見たら伯父)の最上義光に相談したところ、「ひょこひょこ小田原参陣したらやられる。かといって書状を無視して奥州にとどまっていても北条滅亡後にやられる。自分のお腹を痛めて生んだ子だろ?政宗の首を切って太閤に差し出せ。家督は政宗の弟に継がせればよい」。
で、お東の方は決心して、政宗出陣の前日に毒を盛るんですね。政宗がハッと気づいて「これが心づくしの御膳であるか!」と言ったら、お東の方は「母の慈悲じゃ」と泣きながら言うんです。も〜そこら辺から自分は号泣ですよ。で、助かった政宗は弟の屋敷に行って、「お前を担ぎ出す勢力がいる、母は切れん、分かるな?」と言って、最後に一目母上に会いたいと言って懇願して泣く弟を切っちゃうんですね。小学生だった自分はその時凄い衝撃を受けました。(大河ドラマの)翌日は月曜ですが、もうその日は昨日のことばかり思い出して、弟切るなんて・・・、僕は政宗みたいにはならない、これから弟大切にしようと思いました。それから兄弟喧嘩しなくなりました。
さて、掲題の件ですが、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/vienne-1873/http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/(後日掲載予定)
next, coming up
『Atlas zur Geschichte der Japanischen』
『吐[カ]喇及尖閣群島』
『増訂大日本輿地全図』
『地質学雑誌』(*1898年第5巻)
『韓国水産誌』
『大日本府県分轄図』
『Exposition Universelle』(本日アップロード完了)
九月第二週の尖閣/竹島掲示板エンディングテーマ「独眼竜政宗」
http://www.youtube.com/watch?v=00kWZxIMCJY
これは メッセージ 15799 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15801.html
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