竹島
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隠州視聴合紀:無人島と「日本之地」
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/17 22:26 投稿番号: [15817 / 18519]
puracyaka2007さん
無人島であることを理由に竹島松島が日本でないとする解釈の問題に関してお答えします。
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te22200様は、当時は無人島には領有権を主張する観念が無かったと考えているようですが何か根拠はあるのでしょうか。竹島松島は定住者こそいませんでしたが日本人が政府の承諾のもと公然と経済活動を行っていたのですから、これを自国領でないとするほうが相当に不自然なように思います。「此二島無人之地」をもって「日本領でない」という意味まで包含させているとすれば、当時の常識的なものの見方として無人島=無主物が成立していなければなりません。ところが、当時のセンスでも無人島に領有権を主張し得たのは、小笠原諸島に対する領有意識を見れば十分でしょう。
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誤解があるようですが、私が主張しているのは「隠州視聴合紀の著者は、無人島であることを理由の一つとして竹島松島が日本の地ではないと判断している」ということだけであり、当時の他の立場の人が一般的に島の領有問題についてどう考えていたかについては何も述べておりません。
ですから、小笠原諸島に対する領有意識などは私の主張とは関係ありません。
もっとも「遥か外洋にある島が日本の地と言えるかどうかについて、幕府の高官から地方藩士に至るまで全ての人が共通の判定基準を持っていた」と言えるならば、無関係ではなくなります。そのように言える根拠があるならば、改めて考え直しますので、教えてください。私としては、国際法の学問が未発達だったこと及び幕府が情報を広く公開する習慣が皆無だったことから、その可能性は極めて低いと考えています。
また、上記引用文の中の「領有権」「自国領」「領有意識」などの言葉にも注意が必要です。
恐らく、puracyaka2007さんは、視聴合紀の「日本之乾地」という言葉を「日本国の北西の領土」と解釈しているのだと思います。
実は私自身、過去にそのような解釈をしていたのですが、最近この解釈には問題があると気付きました。
考えてみれば当時「日本国」という概念は極めて希薄だった筈です。視聴合紀の著者が帰属意識を持っているのは出雲藩に対してであり、藩や幕府を超えた日本国という政治上の概念はほとんど意識しなかったのではないでしょうか。そのような著者が「日本之地」という言葉の中に「日本国の領土」という意味、もっと詳しく述べれば
(a)日本という統治機構の主権が及ぶ土地
という意味をどこまで込めていたかは疑問です。
むしろ、視聴合紀全体に渡って見られる歴史や伝承、風俗などへの関心の高さを考えた場合、「日本之地」を
(b)この国の古からの文化が伝えられ、行なわれている土地
という程度の意味で使った可能性も高いと思います。
勿論これは私の想像に過ぎず、根拠と呼べるものはほとんどないので、(b)の解釈が正しいと主張するつもりはありません。しかし(b)の解釈が想像に過ぎないのと同程度、(a)の解釈もまた想像に過ぎないと思うのです。
今は、(a)と(b)の二つの解釈を示しましたが、恐らくこれらは両極端であり、「日本之地」という言葉で著者が表した本当の意味は、この二つの中間にあるような気もしています。
>>>
結局のところ「竹島松島は無人島だから(日本領ではなく)乾の地は隠岐までである」というのは解釈としてあらゆる面で不自然極まりないとしか言いようがありません
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繰り返しになりますが、puracyaka2007さんが「あらゆる面で不自然極まりない」とお感じになるのは、
・日本の地かどうかの判定基準を全ての人が共有している。
・「日本之地」とは、日本国の領土のことである
という現代にあっては常識的な考え方を、そのまま17世紀の文書の解釈に適用しているためではないかと考えます。
また、#15791で示された「隠州風土記」のテキストですが、「此二島無人之地〜如自雲州望隠州」の全てを受けて「然れば」と述べていると考えることも可能で、「此二島無人之地」を除外する根拠にはならないと思います。
#15782は、半月城さんに対する批判ですので直接コメントすることは控えます。
#15793〜15795については、これまでにお答えした論点が一段落した後、なお必要がある場合のみ回答します。
これは メッセージ 15780 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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『Carte de l'empire du Japon』
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2007/09/12 22:54 投稿番号: [15816 / 18519]
Tanaka_Kunitakaさん
1873年ウイン万国博で展示された『Carte de l'empire du Japon』の掲示を有難うございます(No.15801)。この地図は、明治新政府が初めて作成した日本全図で、諸外国に対し日本領土の範囲を示した、極めて重要なものと思います。
『Carte de l'empire du Japon』は、日本の領域を実線で表し、朝鮮半島や沿海州の海岸は点線で示しています。北方地域では、SAGALINは全島、ChisimaはUrup・Yetorofu・Kunashiri・I. Shiukotanの4島だけが実線で描かれ、「樺太千島交換条約」以前の日本政府の領土認識がよく分ります。
「松島竹島」に関して、幕府は「松島竹島」を日本領とは考えていませんでした(No.15627)。高橋景保の『日本邊界略圖』(1809)や伊能忠敬の地図を元にした『官板実測日本地圖』(1867)に「松島竹島」は記載されていません(No.15697)。しかし『Carte de l'empire du Japon』では、明白な朝鮮領の済州島は載せませんでしたが、Matsou I.とTake I.は記され、明治新政府は日本領と考えていたように見えます。
『Carte de l'empire du Japon』に松島と竹島を載せたのは、旧幕府の見解と訣別し、日本海西部沿岸地方の人々が行い伝えてきた「竹島渡海」を重視したからでしょう(No.15679)。この地図の説明として、和銅の風土記につぐ官撰地誌『日本地誌提要』は書かれました(No.15715)。塚本明毅は、日本領とした松島と竹島を隠岐國条に配し、「土俗相傳テ云フ」として隠岐からの距離を示し、日本人渡航の事跡を記録しました。
『日本地誌提要』の隠岐から松島と竹島への距離、「六拾九里三拾五町」と「百里四町」は現在からみると過大で、この数字を何からとったかは不明ですが、江戸時代には島嶼間の距離は一般に大きく見積もられていたようです(No.12406)。
1876年10月5日内務省地理寮は地籍編纂のため島根県へ竹島を照会しました。島根県では竹島に関連する文書を添え、10月16日「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を内務省に提出しました。内務省は、竹島関連文書を調べ、1877年3月「竹島外一島之儀本邦関係無之儀」と結論し、太政官の承認を得ました。
1875年9月、地誌事業は「博ク古今ノ沿革ヲ攻拠」する必要があるとして、塚本明毅は自ら建言して地誌課を地理寮から太政官正院修史局に移しました(石田龍次郎『日本における近代地理学の成立』大明堂, 1984)。地誌課は1877年12月再び内務省地理局に戻されましたが、1877年3月の「竹島外一島本邦関係無之」とした内務省の決定には、竹島事情に最も詳しい地誌課は殆んど関与しなかったと思われます。『日本地誌提要』で「松島竹島」を隠岐の属島とした塚本明毅は、この決定に不満を感じていたでしょう。
太政官指令があるので、塚本明毅は、『大日本府縣管轄圖』(1879)や『大日本國全圖』(1880)、及び『大日本府縣分轄圖』(1881)の山陰地方に、竹島・松島を載せることは出来ませんでした(No.15815)。しかし、彼は『大日本府縣分轄圖』内の『大日本全國略圖』に竹島・松島を載せました。この地図は、Tanaka_Kunitakaさんの指摘どおり(No.15802)、『Carte de l'empire du Japon』と似ており、それを元に作られたものでしょう。
『大日本全國略圖』の竹島・松島の位置は、ahirutousagi2さん(Nos.2811, 2888, 3153, 9693, 9798, 12407, 12431, 12491, 14830, 15634)とhenchin_pokoider01さん(Nos.2810, 3165, 9786, 14857, 15636, 15657)が繰り返し何度も主張したように、アルゴノート島・ダジュレー島であるように見えます。
幕府海軍で測量と地図作成では小野友五郎と並び称された塚本明毅は、『大日本全國略圖』の竹島と松島の位置が、存在しないと分っているアルゴノート島と鬱陵島であるダジュレー島に相当することを承知していたでしょう。塚本明毅は、竹島を烏有のアルゴノート島、松島を「竹島一件」で放棄した鬱陵島の位置に比定することにより、十分な議論もなく竹島と松島を放棄した太政官指令に、ささやかな抗議の意味を込めたのかもしれません。
これは メッセージ 15815 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: 竹島・松島に関する正院地誌課の結論
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2007/09/12 22:36 投稿番号: [15815 / 18519]
半月城さん
ご意見と新しい資料の紹介を有難うございます。
>塚本明毅は、内務省地理局において明治初期の日本地図の製作を監修しました。もし、かれに竹島・松島を日本領にする意図があったのなら、地理局発行の『大日本國全圖』(1890)や『大日本府縣分轄圖』(1881)の山陰地方などに竹島・松島を載せたのではないでしょうか。
1877年3月の太政官指令で「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」とされたので、内務省地理局地誌課長として塚本明毅は、『大日本國全圖』(1880)や『大日本府縣分轄圖』(1881)の山陰地方などに竹島・松島を載せることが出来なかった、と思います。ただし、官撰地誌『日本地誌提要』は、1878年1月刊行にもかかわらず、林羅山『本朝地理志略』の書式(Nos.10197, 10287, 15278)を変えなかったことに興味をもっています。
>『日本地誌提要』「隠岐」条の編纂は太政官正院地誌課(1871-74)によりおこなわれましたが、その時、すでに竹島・松島を日本領にするのが無理だという調査結果が出ていたと思われます。
同意します。紅葉山文庫・旧幕府昌平坂学問所の資料等から、すぐに竹島・松島を日本領にするのが無理だという調査結果は出たと思います。しかし塚本明毅は、「松島竹島」を「隠岐」条に配することにより、17世紀の竹島渡海事業や、幕末明治初期の日本海西部沿岸地方の人々の竹島渡航の事跡を残そうとしたのではないかと思います(No.15679)。
>幕府が竹島(欝陵島)を放棄した事情を記した『磯竹島事略』(磯竹嶋覺書)を正院地誌課は知っていたか、あるいはもしかすると自ら編纂したのではないかと思われます。
磯竹嶋覺書は、自民党調査役大熊良一氏の『竹島史稿』(原書房, 1968)に「中邨元起校正『磯竹島覚書』(写本)明治八年」とあり、中邨(村)元起が関ったと思われます。中村元起(1820-1884)は、林復齋の塾頭を務めた高遠藩儒で廃藩後、筑摩県で松本「開智学校」創設に加わった後、太政官に出仕し歴史・地理の編纂に当った、とされています。地理局地誌課職員一覧によると、中村元起は明治6年から同10年1月まで在籍し、『日本地誌提要』「編纂姓氏」に十三等出仕中村元起とあります。『磯竹嶋覺書』は正院地誌課が自ら編纂したと思います。
内務省は、島根県提出の文書と独自調査から、「竹島外一島之儀本邦関係無之儀」と結論しました。この決定には、前島密と共に郵便創業に加わり、大久保利通に重用された地理局長杉浦譲の判断が大きかったと思います。しかし当時、太政官正院修史館(局)地誌課長であった塚本明毅は、『Carte de l'empire du Japon』や『日本地誌提要』で日本領とした島をいとも簡単に放棄したことに対し、割り切れない思いを抱いていたでしょう。
竹島外一島を版図外とした太政官指令は、政府に近い知識人さえ知らなかったようです。「松島竹島」を「居民統屬ナク」と記した(No.15715)大槻修二の弟で、国語辞書『言海』の著者大槻文彦は1878年8月、次のように書いています「今ヤ北ハ唐太千島ノ交換アリテ魯国トノ紛紜ヲ終ヘ、西ハ朝鮮ト和成テ葛藤始メテ解ケ、東南ノ小笠原島、英人既ニ其所有ノ権ヲ放棄シ、南方ノ琉球モ亦将ニ其両属ノ名ヲ処置セムトス。此時ニ当リテ此二島ノ事措テ問ハザルハ亦遺憾トスベシ。其ノ後レテ人ニ制セラレシ唐太ノ如ク、其数年ノ異議ヲ起シヽ小笠原島ノ如クハ、我レ竹島松島ニ於テ望ム所ニアラズ。乃チ二島ノ事ヲ記シテ世ノ志士ノ説ヲ起サムトス。」『洋々社談』(高田宏『言葉の海へ』新潮社, 1978)。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=52010827&VOL_NUM=00000&KOMA=287&ITYPE=0内務省は、一部とはいえ日本領或は所属不明との認識があった「竹島松島」を、独自の判断で放棄したので、異論が出るのを恐れたのかもしれません。
これは メッセージ 15720 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15815.html
『籌海図編』 in 1562
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/12 05:36 投稿番号: [15814 / 18519]
これは メッセージ 15813 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15814.html
『重纂福建通志』 in 1838
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/11 22:15 投稿番号: [15813 / 18519]
これは メッセージ 15812 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15813.html
『福建通志』 in 1873
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/11 21:03 投稿番号: [15812 / 18519]
これは メッセージ 15811 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15812.html
『China Sea Directory』 in 1873
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/10 07:57 投稿番号: [15811 / 18519]
これは メッセージ 15810 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15811.html
『増訂大日本輿地全図』 in 1864
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/09 20:39 投稿番号: [15810 / 18519]
これは メッセージ 15803 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15810.html
Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2007/09/09 15:51 投稿番号: [15809 / 18519]
>>>
しかし、国代記では隠州の外の土地については○○州××や高麗などと隠州の外であることをはっきりと示しています。ところが、竹島松島については○○州という肩書きはありません。国代記の当該部分は隠州の地理について示したものですから、何の肩書きも無ければ隠州の内と解釈するのが相当と思います。
<<<
>「竹島松島が日本六十余州のどれにも属さず、また高麗にも属さない」という場合も肩書きは付きません。
付ける肩書きがありませんから。
>肩書きが無いからといって、隠州の内と解釈するのは早計だと思います。
隠州視聴合紀の記載で、竹島、松島に雲州とか高麗の頭書きがなければ、
素直に読めば隠州の内ってことでしょうよ。
これは メッセージ 15808 (te22200 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15809.html
Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/09 12:29 投稿番号: [15808 / 18519]
puracyaka2007さん
>>>
しかし、国代記では隠州の外の土地については○○州××や高麗などと隠州の外であることをはっきりと示しています。ところが、竹島松島については○○州という肩書きはありません。国代記の当該部分は隠州の地理について示したものですから、何の肩書きも無ければ隠州の内と解釈するのが相当と思います。
<<<
「竹島松島が日本六十余州のどれにも属さず、また高麗にも属さない」という場合も肩書きは付きません。
付ける肩書きがありませんから。
肩書きが無いからといって、隠州の内と解釈するのは早計だと思います。
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現に、隠岐古記集では隠州視聴合紀を元本としながら、竹島松島が隠州内の扱いになっている
<<<
本当ですか?
隠岐古記集で竹島松島を隠州内として扱っている部分のテキストを教えてください。
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ところで「隠州から竹島松島に行く」という表現になったのは、冒頭で隠岐国=隠岐島と記述したことによる文章構成の都合に過ぎないと思うのです。
<<<
すみません、どういう都合か、もう少し具体的に説明していただけませんか。
>>>
>(ロ)については、Cで述べたように、隠州の物産についての記述と竹島の物産についての記述に明確に差があることを考え合わせるべきです。
隠岐が松江藩預かりであったのに対し、竹島松島はそうではありません。その違いの反映と考えても矛盾はありません。
<<<
「矛盾はありません」とは、随分消極的な表現ですね。#15781では
(#15781)>>>
ましてや、アザラシがいるだの五十猛がどうのという講釈を試みているのですから。
<<<
のように、物産が記述されていることこそが、竹島松島が隠州内であることの動かぬ証拠のように書いていらっしゃいましたが。
> 国代記の当該部分が隠州の地理について示したものである以上、
> 竹島松島が隠州外であるならこれは異質な情報です。
(中略)
> 異質な情報を挿入するのならその旨を断ってから書くべきでしょう。
> ところが、何の断り書きもありません。
断り書きはありませんが、竹島に関する詳細情報は割注として書かれています。従って著者は、この記述が文章の本筋から外れた異質な情報であると認識していたことが窺えます。
>>>
「隠岐の出雲藩の番所では、竹島渡海についても何がしかの管理をしていたから、それを考えれば、竹島に関する情報を書くことは、竹島が隠州に入るかどうかに関係無く意味のあること」なのかも知れませんが、
<<<
一応肯定して下さったということは、#15781 でお書きになっていた
(#15781)>>>
竹島・松島が隠州の内か外かですが、これは内だと思います。内でないなら、そもそも言及する必要すらありません。
<<<
という点については、お考えを修正されたということでよろしいでしょうか。
これは メッセージ 15807 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15808.html
Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/08 04:13 投稿番号: [15807 / 18519]
te22200様こんにちわ。まとめて返答いたします。
>「隠州から西北に行くと松島があり、その向こうに竹島がある」というのですから、隠州と竹島松島は別ものと考えられていることが分かります。(15804)
>(イ)については、隠州視聴合紀では、伯州赤碕浦、石州温泉津など明らかに隠州の外の土地にも言及しているのですから、これだけでは理由になりません。
確かに、「隠州から竹島松島に行く」というのであれば、竹島松島が隠州ではないという読みは成り立ちうるでしょう。しかし、国代記では隠州の外の土地については○○州××や高麗などと隠州の外であることをはっきりと示しています。ところが、竹島松島については○○州という肩書きはありません。国代記の当該部分は隠州の地理について示したものですから、何の肩書きも無ければ隠州の内と解釈するのが相当と思います。現に、隠岐古記集では隠州視聴合紀を元本としながら、竹島松島が隠州内の扱いになっていることは看過すべきではないでしょう。ところで「隠州から竹島松島に行く」という表現になったのは、冒頭で隠岐国=隠岐島と記述したことによる文章構成の都合に過ぎないと思うのです。
>(ロ) 物産について述べていること
>(ロ)については、Cで述べたように、隠州の物産についての記述と竹島の物産についての記述に明確に差があることを考え合わせるべきです。
隠岐が松江藩預かりであったのに対し、竹島松島はそうではありません。その違いの反映と考えても矛盾はありません。
>(ハ) 島名について五十猛との関連を述べていること
(ハ)は後年の挿入という見解もあるので省いてもいいのですが、国代記の当該部分が隠州の地理について示したものである以上、竹島松島が隠州外であるならこれは異質な情報です。「隠岐の出雲藩の番所では、竹島渡海についても何がしかの管理をしていたから、それを考えれば、竹島に関する情報を書くことは、竹島が隠州に入るかどうかに関係無く意味のあること」なのかも知れませんが、異質な情報を挿入するのならその旨を断ってから書くべきでしょう。ところが、何の断り書きもありません。
これは メッセージ 15806 (te22200 さん)への返信です.
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Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/07 09:54 投稿番号: [15806 / 18519]
【D】
竹島松島が隠州に含まれる理由としてpuracyaka2007さんが述べていらっしゃるのは次の三つですね。
(イ) 隠州視聴合紀で竹島松島に言及していること
(ロ) 物産について述べていること
(ハ) 島名について五十猛との関連を述べていること
(イ)については、隠州視聴合紀では、伯州赤碕浦、石州温泉津など明らかに隠州の外の土地にも言及しているのですから、これだけでは理由になりません。
(ロ)については、Cで述べたように、隠州の物産についての記述と竹島の物産についての記述に明確に差があることを考え合わせるべきです。
当時、竹島の存在についてほとんど知られていなかったであろうことを思えば、隠州について述べるついでに竹島についても多少詳しく述べておくことに、別に不自然さはありません。
実際、竹島の物産については、割注として「ついでに述べられ」ています。
隠岐の出雲藩の番所では、竹島渡海についても何がしかの管理をしていたそうですから、それを考えれば、竹島に関する情報を書くことは、竹島が隠州に入るかどうかに関係無く意味のあることです。
(ハ) の五十猛のことについても、(ロ)について述べたことと同じです。竹島が隠州に含まれていなくても、その程度のことが書かれているのは別に不思議ではありません。
また、私は、五十猛云々の記述は、後世に追加された注だと思っております。詳しくはこの会議室の #9600 に書きました。
(終わり)
これは メッセージ 15805 (te22200 さん)への返信です.
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Re: 隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/07 09:53 投稿番号: [15805 / 18519]
以下に私が「隠州視聴合紀において竹島松島は隠州に含まれない」と考える理由を述べます。
【A】
国代記は冒頭 (1)〜(8)で隠州の地理についての概説を述べており、その中の(4)〜(7)で隠州の構成要素を記しています。ここに竹島松島の記述が無いのですから、竹島松島は隠州に含めていないと考えることが妥当です。
【B】
(9)〜(13)のそれぞれの書き出しを見ると、次のようになっています。
(9) 従是南…
(10)辰巳…
(11)未申…
(12)自子至卯…
(13)戌亥間…
「従是」と書かれているのは(9)だけですが、(10)〜(13)についても、繰り返しになるので省略しただけのことであり、「従是」を補って読むのが妥当です。つまり
(9) 従是南…
(10')従是辰巳…
(11')従是未申…
(12')従是自子至卯…
(13')従是戌亥間…
です。
また、「従是」の「是」は「隠州」を指すと考えて良いでしょう。
つまり、(13),(14)について省略されているものを文脈から補って書けば
(13'') 従隠州戌亥間行二日一夜有松島
(14) 又一日程有竹島
となると思います。
「隠州から西北に行くと松島があり、その向こうに竹島がある」というのですから、隠州と竹島松島は別ものと考えられていることが分かります。
【C】
隠州の物産については、(20)〜(23)で詳しく述べられています。竹島が隠州に含まれるならば、竹島の物産についてもここに書くべきですが、実際には、(16)の割注で簡単に書かれているだけです。
(続く)
これは メッセージ 15804 (te22200 さん)への返信です.
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隠州視聴合紀:竹島松島を隠州に含むか
投稿者: te22200 投稿日時: 2007/09/07 09:52 投稿番号: [15804 / 18519]
puracyaka2007さん、こんにちは。
いくつかの論点を示していただいていますが、あまり時間もとれないので、まずは「隠州視聴合紀において竹島松島は隠州に含まれるか」という点について論じます。残りの点についても、改めて少しずつ書いていきたいと思います。
まず、説明のため隠州視聴合紀のテキストを示します。出典は池内敏「前近代竹島の歴史学的研究序説」で、(1)〜(19)については史料四、(20)〜(23)については史料一から写しました。
[ ] で括ってある部分は割注です。
(1) 隠州在北海中
(2) 故隠岐嶋
(3) [按、倭訓海中言遠幾故名歟]
(4) 其在巽地言島前也
(5) 知夫郡・海部郡属焉
(6) 其位震地言島後
(7) 周吉郡・穏地郡属焉
(8) 其府者周吉郡南岸西郷豊崎也
(9) 従是南至雲州美穂関三十五里
(10)辰巳至伯州赤碕浦四十里
(11)未申至石州温泉津五十八里
(12)自子至卯無可往地
(13)戌亥間行二日一夜有松島
(14)又一日程有竹島
(15)[俗言磯竹島]
(16)[多竹・魚・海鹿]
(17)此二島無人之地
(18)見高麗如自雲州望隠岐
(19)然則日本之乾地、以此州為限矣
(20)民部図帳曰、凡諸健児免徭役、隠岐国以国造田三町地子充之
(21)然近代所賦毎年一萬千六百余斛
(22)其余又以漆・椿実(キノミ)・山椒・紫藻(ノリ)・鯛・鰯・〓(トビウヲ)・鯖・石決明(アハビ)・烏賊・馬皮等
(23)是慶長年中堀尾氏之所定也
(〓 = 魚ヘンに「搖」の右側)
ご存知のように隠州視聴合紀の国代記は、
a. 地理に関する部分
b. 物産に関する部分
c. 歴史に関する部分
の3部構成になっており、上に載せたのはa,bの全文です。
(続く)
これは メッセージ 15795 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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大日本府県管轄図 と 大日本府県分轄図
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/06 23:40 投稿番号: [15803 / 18519]
これは メッセージ 15802 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15803.html
『大日本府県分轄図』 in 1881
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/05 01:59 投稿番号: [15802 / 18519]
これは メッセージ 15801 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15802.html
『Exposition Universelle』 in 1873
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/04 20:38 投稿番号: [15801 / 18519]
「けんかをやめて」で思い出したのですが、私はよく弟と兄弟喧嘩をしていたのですが、小学生の時にあるドラマを見て弟と喧嘩しなくなりました。それは、大河ドラマ「独眼流政宗」です。秀吉が北条攻めをしているときに、秀吉が政宗に小田原に参陣するよう書状が着ました。
政宗の母お東の方は、兄(政宗から見たら伯父)の最上義光に相談したところ、「ひょこひょこ小田原参陣したらやられる。かといって書状を無視して奥州にとどまっていても北条滅亡後にやられる。自分のお腹を痛めて生んだ子だろ?政宗の首を切って太閤に差し出せ。家督は政宗の弟に継がせればよい」。
で、お東の方は決心して、政宗出陣の前日に毒を盛るんですね。政宗がハッと気づいて「これが心づくしの御膳であるか!」と言ったら、お東の方は「母の慈悲じゃ」と泣きながら言うんです。も〜そこら辺から自分は号泣ですよ。で、助かった政宗は弟の屋敷に行って、「お前を担ぎ出す勢力がいる、母は切れん、分かるな?」と言って、最後に一目母上に会いたいと言って懇願して泣く弟を切っちゃうんですね。小学生だった自分はその時凄い衝撃を受けました。(大河ドラマの)翌日は月曜ですが、もうその日は昨日のことばかり思い出して、弟切るなんて・・・、僕は政宗みたいにはならない、これから弟大切にしようと思いました。それから兄弟喧嘩しなくなりました。
さて、掲題の件ですが、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/vienne-1873/http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/(後日掲載予定)
next, coming up
『Atlas zur Geschichte der Japanischen』
『吐[カ]喇及尖閣群島』
『増訂大日本輿地全図』
『地質学雑誌』(*1898年第5巻)
『韓国水産誌』
『大日本府県分轄図』
『Exposition Universelle』(本日アップロード完了)
九月第二週の尖閣/竹島掲示板エンディングテーマ「独眼竜政宗」
http://www.youtube.com/watch?v=00kWZxIMCJY
これは メッセージ 15799 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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渡嘉敷村の歴史(2/5)
投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2007/09/04 15:54 投稿番号: [15800 / 18519]
これは メッセージ 15799 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15800.html
『日本一鑑』 in 1555
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/03 23:16 投稿番号: [15799 / 18519]
これは メッセージ 15798 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15799.html
『朝鮮現勢便覧』 in 1935
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/03 08:53 投稿番号: [15798 / 18519]
これは メッセージ 15797 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15798.html
『新刊輿地全図』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 22:45 投稿番号: [15797 / 18519]
これは メッセージ 15796 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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琉球への使録一覧
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 18:12 投稿番号: [15796 / 18519]
これは メッセージ 15792 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 17:56 投稿番号: [15795 / 18519]
続けます。
A2竹島が朝鮮領であり、この州が隠岐島である場合
△
B2竹島が無主地であり、この州が隠岐島である場合
△
C1竹島が日本領であり、この州が竹島である場合
○
という結果になりましたが、実質的にはC1の立場しかあり得ません。つまり、竹島が日本領でないと「見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣」が意味のある文にならないのです。
では「此州」の州は島なのでしょうか。いえ、これは州でよいのです。隠州視聴合紀ではそのような使い分けはしていませんし、単純に竹島が隠州の内であると解釈すれば何ら矛盾は生じません。また、竹島・松島が隠州の外であるとしたら、なぜわざわざ竹島・松島に言及する必要があるのでしょうか。竹島・松島が隠州の内であるからこそ言及したのだとするのが自然ではないでしょうか。
以上をもって、隠州視聴合紀では竹島までを日本領と見なしていたことをほぼ完璧に立証し得たものと自負するものです。
これは メッセージ 15794 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 16:11 投稿番号: [15794 / 18519]
続けます。
A1竹島が朝鮮領であり、この州が竹島である場合
「(朝鮮領であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は竹島をもって限りとす。」
これは完全に意味不明です。よって×
A2竹島が朝鮮領であり、この州が隠岐島である場合
「(朝鮮領であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は隠岐島をもって限りとす。」
A1よりはマシですが、これは奇妙な文章です。前節と後節に論理的関連がありません。とりあえず△
B1竹島が無主地であり、この州が竹島である場合
「(無主地であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は竹島をもって限りとす。」
A1と同様、完全に意味不明です。×
B2竹島が無主地であり、この州が隠岐島である場合
「(無主地であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は隠岐島をもって限りとす。」
A2と同様、奇妙な文章です。とりあえず△
C1竹島が日本領であり、この州が竹島である場合
「(日本領であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は竹島をもって限りとす。」
高麗が外国であることは自明ですから、この文章は特に問題は無いようです。○
C2竹島が日本領であり、この州が隠岐島である場合
「(日本領であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は隠岐島をもって限りとす。」
これはダメですね。×
これは メッセージ 15793 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 16:04 投稿番号: [15793 / 18519]
続けます。
>此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、
>然則日本之乾地、以此州為限矣
の部分について。
訳は「竹島から高麗を見ること雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は此の州をもって限りとす。」となります。ところで「然則」ですが、漢和辞書を引くと「重文において接続を表し、「しからばすなわち」と読むが、そのはたらきは2つに分かれる。ア、前節の事実や条件を受けて後節においてある事態の出現を推定する。「そうであるからには」「そうであるならば」などと訳す。イ、前節と異なる内容を後節に導くもので、逆接を表し、「しかしながら」「そうではあるが」などと訳す。」などとあります。隠州視聴合紀の場合はアであるのはいうまでもありません。
さて、「竹島から高麗を見ること雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は此の州をもって限りとす。」の「この州」は竹島なのか隠岐島なのかということについて考察してみます。
まず、竹島が朝鮮領なのか、無主地なのか、日本領なのかに分け、それぞれの場合にこの州が竹島を指す場合と隠岐島を指す場合で意味を検討してみます。
これは メッセージ 15791 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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『唐土歴代州郡沿革地図』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 12:52 投稿番号: [15792 / 18519]
これは メッセージ 15790 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15792.html
Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 12:10 投稿番号: [15791 / 18519]
続き。
>此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、
>然則日本之乾地、以此州為限矣
の部分ですが、然則は此二島無人之地ではなく、見高麗如自雲州望隠州にかかります。根拠ですが、「隠州視聴合紀」を元にした文献に「隠州風土記」(1736年頃)というものがありますが、その中に「俗云磯竹嶋、此二島無人之地也、或云、春夏秋之間朝鮮人来漁鮑・海鹿之類乎、寛文年中迄者自隠州往滞舟而漁採桐・栴檀・竹芳之類帰也、近年闕其、従竹島見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣」という一文があるからです。訳すと「竹島から高麗を見ること雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は此の州をもって限りとす。」となります。隠州視聴合紀の該当部分も全く同意なので改めて訳文は付しませんが、この一文は何を意味するのでしょうか。また、「この州」とは具体的にどこを指すのでしょうか。
これは メッセージ 15780 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15791.html
『石見外記』
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 11:34 投稿番号: [15790 / 18519]
これは メッセージ 15788 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15790.html
Re: 日本の公的な官撰地図、舩杉批判3
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 10:35 投稿番号: [15789 / 18519]
ああそうですね、これは誤読です。
これは メッセージ 15787 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15789.html
『日本水路誌 第二巻』 とイギリス海軍
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 10:06 投稿番号: [15788 / 18519]
これは メッセージ 15785 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15788.html
Re: 日本の公的な官撰地図、舩杉批判3
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/09/02 09:52 投稿番号: [15787 / 18519]
半月城です。
puracyaka2007さんのNo.15783ですが、「一九〇九年に発行した地図」が下記の記述を覆す根拠になるとお考えですか?
>以上の変遷を総合すると、日本政府の公的な地理担当部署の認識は、神代の
>昔から1954年にいたるまで、「領土編入」から終戦までの一時期を除いて、
>竹島=独島を日本領と認識したことは一度もなかったようです。
そもそも、puracyaka2007さんは「領土編入」がいつなされたのかについての「基礎知識」をお持ちなのでしょうか?
ちょっとあきれています。
これは メッセージ 15783 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15787.html
Re: 江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉批判
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 00:52 投稿番号: [15786 / 18519]
まあこんなもんでしょうなあ。
http://www.occidentalism.org/?p=325韓国側が于山島がLiancourt Rocks (独島)であるなどと主張するのは、そうでも言わなければ韓国側には1905年以前に領有権を主張したどころか、その島の存在すら知っていたかどうかを示すものは、記録も、地図も存在しないのです。問題は、韓国の歴史文献には、于山島がLiancourt Rocks (独島)であることをにおわせるような文章さえ、何も無いのです。それどころか、全ての証拠が、于山島は、鬱陵島の隣にある島、ほぼ確実に鬱陵島の東沖4km以内に浮かぶ小さな島、竹嶼/竹島(Jukdo)である事を示しているのです。
これは メッセージ 15784 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15786.html
『地学雑誌』 in 1900
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 00:48 投稿番号: [15785 / 18519]
さくらパパはとんでもないですね。
http://may.2chan.net/26/src/1188422432085.jpg小沢一郎、さくらパパ、姫井。民主党追求3点セットです。がんばれ自民!
さて、掲題の件ですが、下記に記述します。
『地学雑誌』の第一二輯第一四〇〜一四一巻(一九〇〇年八〜九月)にのった沖縄県師範学校教諭黒岩恒の論文「尖閣列島探険記事」には、明治十八年(一八八五年)九月十四日付で、沖縄県美里間切(まきり)詰め山方筆者大城永常が、県庁にさしだした報告書を引用しているが、それには、「魚釣(よこん)島と申所は久米島より午未(うまひつじ)の間(南々西)にこれ有り、島長一里七、八合程、横八、九合程、久米島より距離百七、八里程」とある。
この島は、位置と地形から見て釣魚島であることは明らかだが、そうだとすれば、琉球ではこの当時、漢字では中国語の釣魚島を日本語におきかえた魚釣島と書き、琉球語で「ヨコン」とよんでいたことになる。また同年九月二十二日付で、沖縄県令西村捨三が山県内務卿に上げた上申書は、「久米赤嶋、久場島及ビ魚釣島ハ、古来本県ニ於テ称スル所ノ名ニシテ」という。この久米赤嶋は中国文献の赤尾嶼、久場島は黄尾嶼である。また魚釣島は釣魚島である。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/(後日記述予定)
どうですか、凄い調査/研究ですね。中国が八重山と同じ漢字表記ですが、日本は漢字表記が魚釣(うおつり)となってます。しかしこれは琉球のヨコン(魚釣)から来ているのです。私は尖閣諸島に蹴りをつけたら、石島・独島がウソであることを証明してみせます。
next, coming up
『Atlas zur Geschichte der Japanischen』
『日本一鑑』
『吐[カ]喇及尖閣群島』
『地学雑誌』(本日アップロード完了)
『新刊輿地全図』
『石見外記』
『唐土歴代州郡沿革地図』
『新刊輿地全図』
『増訂大日本輿地全図』
『人民日報』1972年05月18日
『人民日報』1978年06月14日
『人民日報』1996年08月31日
『人民日報』1996年09月18日
『人民日報』1996年10月18日
『人民日報』1997年09月07日
九月上旬の尖閣/竹島掲示板エンディングテーマ「けんかをやめて」
http://www.youtube.com/watch?v=QI99ox_SUOAhttp://www.youtube.com/watch?v=QJ-c1gaUUi0
これは メッセージ 15778 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15785.html
Re: 江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉批判
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 00:31 投稿番号: [15784 / 18519]
>このように「竹島一件」以降の江戸時代における日本政府の竹島・松島に対
>する認識は自国領に非ずという政策で一貫していました。そうした認識を地
>図上で確認するなら、地図の対象は幕府が描いた官撰地図に限定すべきで
>す。個人が自己の主観で描いた地図は、それがいかに優れていようとも日本
>政府の認識とは無縁です。
>そうした基本的なことを無視してか、舩杉氏は幕府の官撰地図にはまったく
>ふれなかったなかったようでした。ま、伊能忠敬の地図にせよ、幕府の絵図
>にせよ、官撰地図はすべて竹島・松島を描いていないので、江戸時代の官撰
>地図に言及するのは竹島問題研究会としてはタブーなのかも知れません。
ところで、朝鮮の官撰地図には竹島は記載されているのですかねえ。
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/mapdaikan.html
これは メッセージ 15689 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15784.html
Re: 日本の公的な官撰地図、舩杉批判3
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 00:06 投稿番号: [15783 / 18519]
>以上の変遷を総合すると、日本政府の公的な地理担当部署の認識は、神代の
>昔から1954年にいたるまで、「領土編入」から終戦までの一時期を除いて、
>竹島=独島を日本領と認識したことは一度もなかったようです。
ハイハイ、相変わらずのプロパガンダですねえ。
山陰中央新報
2006/10/31
の記事
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=333839006陸地測量部の地図に「竹島」記載
日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で、現在の国土地理院にあたる陸地測量部が一九〇九年に発行した地図「東亜輿地図」に、竹島が島根県に属することを示す記載のあることが、島根大法文学部の舩杉力修助教授の調査で分かった。
当時の日本政府が竹島を自国領と認識していたことを裏付ける資料。舩杉助教授によると、韓国側研究者が竹島が韓国領であるとの論拠としている十七世紀中盤から近年まで日本の官製地図に竹島の記載がない、との主張を覆すことになる。東亜輿地図は百万分の一の縮尺。日本とシベリア東部から中国南部までの東アジア全域を二百四十一区域に分け、陸地測量部が一八九四年から製作を始めた。舩杉助教授が国立公文書館に所蔵されているのを確認した。
竹島は、島根県東部と鳥取県、隠岐を中心とした日本海沿岸を描いた「松江」の地図に見られ、隠岐諸島の北西部に「竹島(島根県隠岐)」と、さらに北西に「鬱陵島(松島)韓国江原道」の記載がある。
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/touayoti.html
これは メッセージ 15698 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15783.html
Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/01 20:03 投稿番号: [15782 / 18519]
続き。
投稿するのに多少調べてみましたが、こんな人がいるんですねえwww
http://www.han.org/a/half-moon/hm111.html「大日本史」によれば、『隠州視聴合記』からは竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は隠岐国すなわち隠州付属ではないということが読みとれます。これについてはすでに詳述したので(注5)、ここでは要点のみを書きます。『大日本史』は隠岐国についてこう記しました。
(中略)
同書は『隠州視聴合記』の記述を引用したときは松島と竹島を隠岐国に入れず、それと別に隠岐古記(1823)や隠岐紀行を引用してはじめて松島、竹島を隠岐国所属としました。
と書いた同じ人が12290で
古く「此州」を隠州と読んだのは『大日本史』だけではありません。
『隠岐国古記』を編纂した大西教保も同様です。
『隠岐国古記』は1823年『隠州視聴合記』を底本にして、さらに増補された史料なので、それは『隠州視聴合記』の最良の注釈書ともいえます。
だって(大笑)。最良の注釈書が松島と竹島を隠岐国に入れているのなら、元本だって同じ。だいたい、隠岐国古記の書きぶりなんて隠州視聴合記と殆ど一緒。簡潔に過ぎる隠州視聴合記の記述に注釈を加えたら竹島・松島が隠岐国に属することがはっきりしたってことでしょ。「『隠州視聴合記』からは竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は隠岐国すなわち隠州付属ではない」ということは読みとれません(きっぱり)。隠州視聴合記の記述も竹島・松島ともに隠岐国に属するでいいのです。なんせ、最良の注釈書がそういう立場なんだからwww
これは メッセージ 15781 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15782.html
Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/01 19:13 投稿番号: [15781 / 18519]
続き。
竹島・松島が隠州の内か外かですが、これは内だと思います。内でないなら、そもそも言及する必要すらありません。ましてや、アザラシがいるだの五十猛がどうのという講釈を試みているのですから。
これは メッセージ 15780 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15781.html
Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/01 17:11 投稿番号: [15780 / 18519]
続きです。
此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、
然則日本之乾地、以此州為限矣
の解釈問題ということになります。
te22200様は、当時は無人島には領有権を主張する観念が無かったと考えているようですが何か根拠はあるのでしょうか。竹島松島は定住者こそいませんでしたが日本人が政府の承諾のもと公然と経済活動を行っていたのですから、これを自国領でないとするほうが相当に不自然なように思います。「此二島無人之地」をもって「日本領でない」という意味まで包含させているとすれば、当時の常識的なものの見方として無人島=無主物が成立していなければなりません。ところが、当時のセンスでも無人島に領有権を主張し得たのは、小笠原諸島に対する領有意識を見れば十分でしょう。参考までに碩学の主張を見ますと、故太寿堂京大教授は「17,18世紀に援用された先占法規によると、領土権の取得に必要な先占は、土地の使用や定住という物理的占有の意味に重点がおかれていた」と述べています。竹島・松島については、明らかに日本人が「土地の使用」をしており、斉藤豊仙がそれを知っていたことは言うまでもありません。結局のところ「竹島松島は無人島だから(日本領ではなく)乾の地は隠岐までである」というのは解釈としてあらゆる面で不自然極まりないとしか言いようがありません(その他、当時の鎖国状況を考えると、外国領という解釈は100%あり得ません)。私の解釈はこうです。此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、の部分の後段ですが、「高麗を見ること雲州より隠州を望むがごとし」は竹島と朝鮮の距離が出雲から隠岐と同じくらいだという意味と、竹島から先は朝鮮だという2つの意味を詩的に(気取った)表現しただけのことです。だから、ここの部分は「竹島から先は朝鮮なんだから、日本の乾は竹島までである。」と言っているに過ぎないのです。
乱文ご容赦。
これは メッセージ 15779 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15780.html
Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/01 15:52 投稿番号: [15779 / 18519]
te22200様はじめ、皆様こんにちわ。
実に久し振りに投稿します。
>実際、「隠州視聴合記」の本文には、竹島・松島を朝鮮領とした記述はありま
>せんし、むしろこれらの島から「高麗を見る」という表現があることを考えれ
>ば、竹島と高麗を別のものと認識していると考えるべきです。
ここまでは同意しますが、次の意見は同意しかねます。隠州視聴合記は、やはり竹島・松島は隠州のうちと考えているとしか思えません。
>個人的には以前 (#10265-10269) 述べたように、「隠州視聴合記」の文章は、
>「竹島と松島は無人島であるから日本の国土とは言いがたく、従って日本の西
>北限は隠州である」
>と解釈するのが正しいと思うので、その点からも無人島と認識している竹島松
>島を朝鮮領と認識する筈はないと考えます。
そうでしょうか。私も一時期そのように考えましたが、やはりこれは竹島松島までが日本領と解釈すべきものです。次回に理由を述べます。
これは メッセージ 15616 (te22200 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15779.html
『華夷一覧図』 in 1790年代
投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/01 01:16 投稿番号: [15778 / 18519]
これは メッセージ 15776 (Tanaka_Kunitaka さん)への返信です.
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