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朝鮮文化の将来 六(完)

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/03/16 11:24 投稿番号: [3176 / 3669]
(六)
  そこには、宗孫と称して、一門中の宗家がある、家廟もある、他姓のものは、殆ど雑居せない。しかし、日本内地に見る如き村落共同の祭りを受ける村社とか郷社とかいったものは見あたらない。もしあるとしたら、それは、特定したある一姓の祀廟であるのであるから、あたかも、日本の中古時代に繁昌した氏神や氏寺のごとき性質を示している。姓氏を異にした人々が、共同に奉祀しようとするものは、寺院以外には見あたらぬ。支那の古典に、『神は非類を喜ばず』ということがあるが、非類は異姓をいうのである。同一血族が共同して祖先を祀るというのが、本旨であり、他姓はこれに加わることは出来ない。朝鮮の社会が、如何にして、こうした旧態を支持しているかは、別に研究を要することではあるが、かかる世相が、今日の政治文化の上に効益あるものとは、聊かも思われない。朝鮮人でも、識者は、『これら家族主義の支持は、いつまでたっても、民族の統一を促成するの障碍である』と気付いている。

  家族主義に密接なる儒教について一言しようと思う。日本も半島もかつて儒教を以て道徳の基礎としたから、儒教提唱は、一般人民に受けがよかろうと解釈するのが普通であるが、これらは、半島の儒教と内地のそれとに、著大の差別あることに気づかぬという嫌いがある。日本の儒教には、礼が伴っていない。家族倫理は、ただ理論のみであるから、生活の様式には格別影響せないが、半島では、朱子の『文公家礼』によりて組織づけられたのが儒教である。『文公家礼』の作者については、支那の本国で既に議論があり、四庫全書にも収められていない。それだのに半島にては、冠婚葬祭即ち四礼の様式は、一つでも『家礼』の形式に背馳することはならぬとしている。支那本国にて輓近孔子教に反対する学徒の多いことは、ここには影響せないとはいわれぬけれども、今の朝鮮青年で、儒教解放を叫ばぬものはない。

  今一つとの差異とは、儒教は五六百年の久しき、両班の護符であり、それ以外の階級には、適用されていないのである。両班たちの考えでは、孔子教は、仕大夫の礼で、士分以外には及ぼすべきものでないとする、ゆえに三年の喪のごとき長期の忌服は、ひとり両班のみ採用すべく、一般人民はそれにあずかるを得ないことになっていた。かかる歴史のもとに発達して来た儒教をもって、なお溌溂たる生命ありと思惟するならば、それは錯誤である。日本は、儒学を、復興するの意図があるそうだが、儒教は着古した衣類であるではないか、ほり出さなければならぬ運命のもとにある、古着をひろい上げて、再びわれ等にかぶせようとするなど、迷惑至極であると、一朝鮮の学者は述べている。半島に居住してから、僅に一年有余にしかならない、それに職業の性質上、古書堆裡に没頭しているから、外界のことは日々に疎遠になりがちだけれども、ささやかなる書意をすかしても時々さしこんでくる光りがないではない。今はただそれらの一二をかいつまんだまでである。(完)



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朝鮮文化の将来 五

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/03/16 11:19 投稿番号: [3175 / 3669]
(五)
  朝鮮人ばかりではない、他の外人でも、そうした真相を認めずにある。ただただ日本国民の領土慾から発生した戦いである、併合の野心は既にその際から現れていると一概に断定するのであるが、しかし、かかる誤解を致した近因をしらべて見るに、日本人側において、負うべき責任が多大である。近代の日本の国民教育方針が、国家主義にのみ偏し、尚武の精神に資せんがため、役にも立たぬ自負心やら自尊心やらを助長したというきらいがある。それがためには、史実を曲解しても、何とも思わない、御用学者の罪は最大である。なかんずく、国史家の責任は、見のがすべからざるものだ、例えば秀吉の文禄役についていえば、秀吉はけだし一世の英雄であり、朝鮮は申すに及ばず、支那本部までをも席捲せんとした、つまり日本国民を代表したものは秀吉であるのだ、秀吉の未完の事業を達成するということは、われ等の責任であるといった工合に説明し、小学児童の唱歌にまで、八道蹂躪を高調せしめたものである。日清戦争の真相が全く直解されなくなったということは、これでは無理とは思われない。

  文禄の役の結果した半島の生活については、何れ戦争が前後六七年もつづいたことであるから、悲しむべき事件が発生せなかったとはいわれない。が、しかし文禄の役の起った以前の半島は富裕であり、以後は貧弱になったということは史実では無い。半島には、この戦争の起る十数年前まで生長らえていた政治家で学者であった李栗谷という人がある、この人の宣祖王に進めた意見書を読むに、嘉靖より草暦にわたりて、半島の地方は疲憊の極に達していたことがわかるのであるから、戦役前まで富んでいたとは思われない、ただこの戦争の結果が貧弱の上塗りをしたとはいえるであろう。文禄の役の動機について論述する遑は無いが、秀吉の征服慾からであるという工合に即断することは、危険である。
  支那に対しても同様であると思う。秀吉という人は、政治家であったから、宣伝は巧妙であった、従って彼れの遺文で見ると、大明打ち入りということは信ぜられるけれども、秀吉の真意は、足利時代の日支貿易を再開すべく、威嚇的文字を使用したままである。徳川家光の鎖国令以後の学者の頭脳では、秀吉時代の対支思想はわかろうはずはない。英雄なるものは、往往突飛的な気分を出すものではあるが、おおくは時代の産物である朱子が、宋の太祖の批評した言葉に、後人は太祖は前代のまつりごとをすみからすみまであらためたように思うけれども、間違いである。太祖はよくよくの弊をのみあらためた、英雄の手段はこうしたものだと述べているが、これらは参考すべき人物論であると思う。秀吉の主人は、信長であり、信長の主人筋は足利氏であるから、何といっても、あらそわれない伝統的気分がある。明からもらった冠服でも封冊でも、いささかも秀吉は破棄せなかったではないか。画像を見ても、得意げに明冠をいただいているのがある。すべてこうした方面から、彼れの真面目は却てうかがわれなければならぬ。当時の京城政府の彼れに対しての見解のよう、専ら征服慾の権化であるかにみてるのは禁物である。

  日本人の皮相な解釈で、識者の笑われものになってる事件は、指摘すれば何ほどもあるが、中にも家族主義に関してである。朝鮮現代の道徳は、家族主義によりて支持されているということを耳にする日本の学者たちは、自国の家族主義に比べて見て、両民族の融和の一致点は、そこに見出さなければならぬと悦んでいるものもあるが、これほど見当違いのものはなかろう。同じく家族主義ではあるけれども、朝鮮のと内地のとは、雲泥の差が生じている。朝鮮のは大体より見て、氏族制度を脱出しかけた位の程度のもので、大家族主義の面影が見出される。半島の田舎への旅行者は、容易に知らるることと思うが、金とか趙とかいう一姓の大家族の聚落は、随所に発見される。

朝鮮文化の将来 四

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/03/16 11:15 投稿番号: [3174 / 3669]
(四)
  日本は、半島の鮮人が部落時代を脱出せない際、早くも統一国家を組織していて、その派遣官は、南鮮にも出張していた。日本は、支那のコロニーなる楽浪帯方から文化を受入れた事実はあるといえるが、それすら軽微なものであり、多くは大陸への直接交通によりてなされてある。かつて、ある大官に対して、こうした見解を述べた際、大官は、それは初耳だと不思議がっていられたこともある。またかつて、『日本の朝鮮文化に感謝すべきことといったら、近代に於いてであるといわねばならぬ、それは退渓李氏の学風が直に我が崎門派に影響したことであるけれども、今人は、それ等に感謝を払おうとはせず、却てせないでもよい古代人に感謝しようとしているではないか、日本人が崎門派の著書を検別し、退渓李氏の学風の、内地においては、いかように発展したかを紹介したならば、鮮人の理解、亦いかばかりか』といったこともある。

  併合の行われた際、ロシアの極東局長ツルベッコイ氏は、日韓併合の形式こそおろかなものはない、まるで裁判官と犯人とが、合意のもとに死刑を執行したというふれ出しではないか、その東洋式なることが、看取されるといったことがある。吾人は、今更それ等の批評をとって、答問したくはないが、周囲の事情によんどころなくせられたとはいえ、姑息の譏は、遂に免れないであろう。朝鮮人の歴史的誤解も詮索すれば、畢竟そこから出発するわけである。併合の前提として、第一に指摘せられるのは、日本の併合の野心は、日清戦争の当時において既に決定していたというのである。日本人すらも、この解釈に肯定を与えんとするかたむきがあるから困る。

  日清戦争当時における日本の実力に対する国民の自信の、いかようであったかは、少しく注意すればただちに了解されるので、政府にも民間にも、絶対的勝利は愚か半島より清兵を撃退することすら勝算は持たないのであった。つまりあの戦役は、勝算なしに始めたから、成歓牙山で大勝したという報が□舞いこんでも安心は出来ず平壌大捷の報を手にするまでは、官民ともにおっかなおっかなですごした。戦の初めに、堂々たる軍人が家族を日光に避難せしめたことがある。日光なら、敵弾はとどかぬからとの見込みであったらしい。こんな笑話は、何程でもある。

  戦争前三年ほどに、清国の水師提督丁汝昌は、堅鋭無比の名を博していた北洋艦隊をひきいて、横浜まで遊弋し、示威をやったことがある。彼れは、帰路長崎に寄港して一夕の宴を張ったものだ。ホンタという芸妓が姿色あったので彼れはお気に召したらしい、彼の女の肩をたたきながら、『こちらに来てから、何にも負けはしないが、お前にはまいった』といったとのことである。丁提督の眼中に日本のなかったことがわかる。既に戦いが開けてから、海洋島で両国の艦隊が衝突した、樺山将軍が、西京丸という仮装艦に乗り込み死に物ぐるいに敵艦隊を突き切ったという話しは、この際のことであるが、勝利はわが艦隊に帰したということを知ったのは、大分後のことで、実は意外に感じたほどであったのである。

  海軍の方は、陸軍に比して、一層敵に怖れを抱いたという事実がある。海陸の大捷がつづいてから今までとは反対に、官民とも有頂天になり、北京城頂に旭日旗を立てなければ戦いは休めぬというような誇大妄想に駆られたが、それは患者が熱にうかされたようなもので、思慮ある階級では一日も速に局面を収めたいものと機を窺っていた、例の陸奥伯手記を見ると、その辺の消息は明かであるが、当時日本には、条約改正という開国以来の懸案が、今やワシントンの上院に附議せられていた間際であるから、事を隣邦に構うることを不利とした事情がある、朝鮮併合などとは、以ての外の妄想である。支那が半島より手を引いてくれれば十分であるとした、それに井上伯などが京城政府の改善を企ててみたが、紊乱するばかりで、一向寸効も挙がらない。この戦役の効果を述べるのが主題でないから省略するが、今日の鮮人の想像のごとき、併合の野心が、日清戦争の際からだというのは、全く事実では無い。寧ろ日本の国力に対する買い被りの嫌いがある。

朝鮮文化の将来 三

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/03/16 11:09 投稿番号: [3173 / 3669]
(三)
  たとえば、総督政治の初期に移植した街路樹のごときがそれである。ポプラとかアカシヤとかいった樹木の繁茂は、他の植物に比して迅かであるから、期年ならず、旅行者の目をよろこばずには足るが、さればといって、これら樹木の移植によりては、何程の道路の保護にもならず、まして土質変改の用に資すというわけにゆかないから、年一年に残折してしまっている。口さがないものは、あれが総督政治の象徴だなどというものもある。前にも述べて置いたごとく、琉球併合のごときは、明治四年の廃藩置県で、片がついたわけであった、それが、西南戦役後、早くも国籍問題すらひき起こしている。十六七年に米国前大統領グランド氏が来遊した際、政府は、氏を日光にさそい、その地で故伊藤公に問題の解決をいいふくめたものである。

  何でも琉球群島を折半し南部を支那に北部を日本に帰するという妥協案であったかと思う。グランド氏は、後北京で醇親王かに説きつけたが、時が時であったから、北京では相手にもせず、ぐずぐずにすんでしまった。しかしすまないのは琉球人で日清役の際、北京に特使して日本との関係から離脱せんとした。日本は、さだめて、負けを取るであろうと予測したからであるが、それが、やっとのこと日露戦役でけりがついたのである。沖縄の始末ですら、そうした長い時日を要したことを思えば、朝鮮問題の経過は何でもないが、しかし、ここには沖縄とは違った事情がある。

  おもなるものは、朝鮮人の、われ等日本文化に対しての不理解である。今日のところ、日鮮融和上の障碍といえば、−これより著大なるものはあるまい。朝鮮の智識階級の日本に対しての感想を率直にいえば、日本は、力においてこそ、われ等に勝ってはいるが、文化においては、見るべきものはない、力が強い、金があるから、姑くまけているばかりである。昔支那民族は、匈奴や女真の蛮人に頸を下げさせられたことはあるが匈奴や女真が文化に長じたというのではなく、兵力が強かったというだけである。ゆえにその頸を下げたのは、心服したというわけではない、一時の機宜の処置で覊糜の計ともいうべきである。日本関係とて同様である。われ等が所有しつつあるが如き文化は、日本には望まれない、よい加減にほうって置くがよいといった気分は、おおくの人々の頭脳に徂徠している。かかる解釈は、一見馬鹿らしく思わるるけれども、その馬鹿らしい気分が朝鮮の伝統的であるから、日本人も甘受せなければならぬ事情がある。

  しかと記憶はせないが、数年前に南鮮のある儒生から、万東廟の修繕を総督府に申請して来たことがあった。万東廟は、老論の祖宗尤庵が支那への奉効の為として創建した明の天子の祀廟である。儒生のいうのには、日本の万東廟に責があることは朝鮮と区別はない、足利氏の時、日本も支那の封冊を受たではないかというのである。あの請願を受けとった人々は、あまりに時代錯誤であるとしたけれども、日本の今日あるのは、支那文化の賜であり、西洋のそれでは無い、日本が、今、強国になったからとて、文化の祖先に辜負してはすまないというのが、一般朝鮮人の解釈であり、そうした点においては、憚りながら半島が先達である、日本が支那の弟子なら、半島は兄弟子であるとする。前の沖縄解決の際、松田道之という人が、那覇にのりこんで、琉球が日本に併合されなければならぬことを説いた際、琉球人もこうした解釈を主張した。中山の文化は、支那に負うところがあるからとの理由で、支那への藩属関係を支持せんとした。松田はそれを拒んで、その筆法なら、日本は今西洋の学説を学んでいるから、西洋の属国であるといえるかとへこましたことがあるが、朝鮮人の今日に徴すると、松田道之氏の説明ではへこみそうにもない。こうした点は、総督政治には、深く諒解してもらいたいと毎々思っている。
  吾人をしていわしむれば、こうした朝鮮人の誤解を助長した責めは、なかばは日本人の社会それ自らであると思えるので、仔細にわたらずとも、何程も指摘することを得るのである。古代の朝鮮文化の日本に影響した始末を認めて、それに感謝を捧げることは、われ等また人後には落ちないつもりであるが、しかし、普通日本社会に理解されたり、宣伝者などにいい触らされたような解釈は、事実に反するばかりではなく、いたずらに朝鮮人の誤った自負心を助長することになる。どういうことかといえば、日本の文化は、昔朝鮮よりおくれていたから、事ごとに半島に師承したという歴史がある、つまり、日本文化の啓蒙は、鮮人によりてなされたというのが多であるが、これ等は、鮮人と半島にあっ□支那のコロニーとを区別しない浅はかな見解であるといってよい。

朝鮮文化の将来 二

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/03/16 11:04 投稿番号: [3172 / 3669]
(二)
  既に、清貧を名誉としたのであるから、ひたすら物慾に打ち克とうとのみつとめた傾向がある。両班はそうした階級の名称である。今日では、だいぶ両班の名称は濫用されて来て、有銭者が両班であるかに思うけれども、もともと、両班は、清貧なることが看板である。朴址源という半島近代の学者があったが、両班伝なる一戯文を書きのこしている。その筋書によるに一人の両班があって、負債に耐えきれず、一人の富者を求めてそれに両班の株を估却した。県の知事は、二人者の間に立ち、株の授受に関しての券文を立てたのである。買方の富者は、かくて、両班になりはしたが、その清苦にして而も利得の薄いことに気づいてから、後といわず即座に券文を破棄して、もとの平民に立ち戻ったというのが、それである。戯文とはいえ、両班の生活をさらけ出すには余りある上、券文が、名高い文選に出ている王褒の僮約に似ているというので、すっかり文壇を騒がせたものだ。両班とて金銭を、離れて存在し得るものではない。

  祖先以来の田宅を估却して金銭にかえることは、普通に行わるる手段であるが、しかし、その場合両班のとる手段は振るっている。もともと、金銭はけがれたものという立て前の両班であるから、売買はもとより、現金の授受を好まない、そこで一個の方法が案出せられた。方法とは、まず自分の家奴に一札を下付する、『外ではない、某所の土地や奴婢の売却については、なんじに一任するから、左様心得置くべし』という指令である。家奴は、右の一札をば買方に提示し、官衙でもおなじくそれを認めて憑拠とし、売買は、とどこおりないことになる。しかし、ここで吾人に考えられることは、家奴は、果して上典(主人)の指令に忠実であるであろうが、家奴を通じての売買のことである。家奴ほど主人に反感をいだいていたものはない。掌隷院という中央奴婢局の記録が、文録役に最初に焼きすてられたというのも、信ずべき事実であるまいか。日本の奈良朝あたりに、今述べたようの土地売買形式があったものか、どうかはわからないが、ともかくも、こうした慣習は、さなきだに経済思想にという両班をば、益々迂闊ならしめた。

  こうした習慣に満足していた社会に、近代化した日本の社会人が放漫に進出したわけである。およそ健全なる経済戦は双方各の把持する地位の相等しいということに与り、もし他の一方にして、劣勢なる場合そこに悲しむべき事件の起ることは請合である。白人の昔アフリカの蛮人や南洋土人に対して仕むけた態度はまだしも、明治初年における吾等の受けた侮辱の歴史は、古老の茶話にも新である。しかし、それ等は、専ら外人をとがめがたく、省みて警めなければならぬ性質のものである。つまり経済思想においての劣敗者の受くべき自然の径路はどの方面から観ても不快ならざるものはない。朝鮮に進展した新日本の社会的底面が、アイスで築き上げられたということは名誉とはいえぬけれどももし鮮人が、これをもって自責の資となすの明があったら、今少しく現代の経済思想が発達しそうにも思われ、従ってこうした不快事は軽減さるべき筈である。現に鴨緑江ただ一条を隔てたばかりの満洲に、そのことの絶えて聞こえないというのは、支那の社会の経済思想は、堅実にしてアイスの手に乗ずべき間隙が無いからである。反対に悪性の支那人に偽証文などをつかませられて、困りぬいている邦人は、決して少くはない。

  総督政治が、そうした社会的底面の上に打ち建てられていることは、何程の苦痛であるかわからない。さればといって、かかる社会上の歴史的疾患ともいうべき性質のものは、頓服薬などでなおし得べきものではないから、根気よくおもむろに時の解決を待つべきものと吾人は思っているが、日本人に通有なる功をいそぐというくせは、何かというと、現れてくる。

朝鮮文化の将来 一

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/03/16 10:39 投稿番号: [3171 / 3669]
(一)
  朝鮮問題は、過般の大震災に出会して、一部の人々は悲観論をしているが、これは容易に与することは出来ない。といって、朝鮮の現状が、吾れ等の希望にそうものとは、思わない。もともと、半島は、南洋や、アフリカの植民地と同一の性質のもとに置かれる筈のものではない、千幾百年かの文化と歴史とを有し、その文化のあるものは、曾ては、吾人の文化に影響したという事実がある。日本人は、とかくに功をいそぐという癖があってならない。今少しくせかず、いそがず、自然の命ずるままに問題の推移を見たらばと思う。琉球問題ですら、数十年の日子を費して、はじめて解決を告げたではないか。

  朝鮮問題について、忘れてはならぬことは、併合以前に於いて、日本の社会の、半島に及ぼした実際的経過である。満洲に生活した人々は、朝鮮を訪問して、容易に気づかるることと思うが、朝鮮の日本人の社会はせまくるしくて堪らない。その人々は、とかくにこせこせしている。土地柄であるとのみは申されないと思う満洲には南満鉄道という王国があり、その官庁と称するものは、遥か旅順の片田舎に引きこんでいるからでもあろうが、のんびりした気分は、どこかに溢れている。満洲の社会の、安定的でないということも、自由な空気を助けているのであろうが、しかし、それは全体的では無い。満洲に於ける日本人社会の発展を考えて見ると、日本内地の社会の延長ではあるけれども、日露戦争後、東京の政治経済力が、ただちに大連及びその地方にはたらきかけたのが、今日出来上っている社会の底面である。戦争当時もしくは、その以前より居住した日本人で、新社会に交渉を有するものといったら、幾何もなく、ありとしたら、浪人ぐらいのところであった。

  戦争当時、花大人たちの客分であった人々が、時おり酒を被って気をはく、ほどの無邪気さを演ずるに過ぎないから、単調な植民地には、そうした人々の気分は、まんざらではなかったともいえる。朝鮮は、これに反している。併合の批判は、別に述べることとするが、それまでの径路を見るには、重に内地の延長そのものに外ならなかった。大体より見て、長崎、山口等、西南諸県の延長と見れば、大差がない。ただ満洲における日露戦役に相当するものは、半島では日清役であるから、その日本人の地位に影響したことは、著大であるけれども、内地の経済も政治も未だ積極的なるを得ない時代のことであったから、東京という文化の力が、ただちに半島に移植されずにすんだ、移植されたのは、前に述べた西南沿海地方の社会の、自然のままの延長に外ならなかったのである。この点は満鮮両地の日本人社会の底面に差異を生じた原因の重なるものと考えるが、さらに両地の主人側の素質からいえば、軽視されざる事実がある。

  日清戦争を終えて数年後のことである。故小村濤太郎侯に従って京城より帰京した吾等の一友人は『京城は、アイスの手中に落ちた』といったことがあるが、その報道は、吾等をして、今にも尚ある強い鋭角的な響音を耳底に感知させずにはやまぬ。アイス跋扈が、内地社会の放慢なる延長に原因することは争われないけれども、しかし、翻って這般不快事の由来を顧みるに、鮮人側の責に負うべきものが多半であるのである。曲解であると思わるるかも知れないが読者にして、満洲にそうした不快事の頻発せないということに気づけば、この事件の真相は容易に諒解される筈であると思う。

  低級な経済思想といえば、半島の鮮人ほどはなはだしいものはまれである。それには、種々の原因がある、幾百年かの悪政も、これに結果していよう。生活の程度を高めるということは、寧ろ罪悪であるとした哲学の所有者は、半島の民族である。支那にても、こうした宣伝は、道教や儒者などの口から、かなり発せられているが、それは貧富の懸隔が、あまりにはなはだしく、人々の慾望が、際限なく発展しやすい社会状態であったからである。支那の名君といった人々で、産業の均等主義を宣言しないものはない。唐末五代の周の世宗は、元微之の均田図を見て感服した、朱子は、そのことをほめて、世宗は治世に意があったといっている。長髪賊の首領洪秀全でも、初めは、均田主義で起った西漢末の王莽も、均田主義を標榜したが、その失敗は、おなじく主義に禍せられたので、あの場合は、王莽でなくとも、貧富問題には手を焼いたにきまっている。支那歴代のこうした政治的断面を述べることは目的ではないが、要するに、支那の均田主義は、支那それ自らの対症でなければならない。朝鮮の学者は、それを刻意模倣したわけである。多少の必要はあったが、行りすぎる程に模倣した。清貧哲学の発生したということは実は無理はない。

稲葉君山

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/03/16 10:32 投稿番号: [3170 / 3669]
朝鮮文化史研究   /」 稲葉君山 \26,250 1925

日韓歴史共同委員会における永島広紀のレポート「日本における近現代日韓関係史研究」によれば、
稲葉岩吉(君山)は内藤湖南の高弟にして京城帝国大学史学科教授、後に満州建国大学教授を歴任、また1925年6月発足の「朝鮮史編修会」の修史官も務めた方のようです。

上に紹介した本は古本にして高額。手に入れにくいと思われるので、代わりに大正13年大阪毎日新聞に連載された同氏の論文を紹介します。

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00473960&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00473960

大阪毎日新聞 1924.2.24-1924.2.29(大正13)
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朝鮮文化の将来   (一〜六)
稲葉君山
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驚くべきことに今の量産型韓国人と同じことを当時の朝鮮人が言っていたことが分かります。

これは初めて知ったことですが、元アメリカ大統領グランド氏が日本に来た時、伊藤博文に琉球を清と分割領有する案を出していたそうです。また琉球人のなかに清に帰属する動きもあったようです。

以下論文の中味を6回にわたってコピペします。
文中に「アイス」という言葉が出てきます。意味がわかる方、教えていただければ幸いです。

Re: ◆コリア関連書籍◆

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/12 10:42 投稿番号: [3169 / 3669]
揚げないと退出してやるから。
18.

Re: ◆コリア関連書籍◆

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/08 14:30 投稿番号: [3168 / 3669]
上げ、18.

Re: ◆コリア関連書籍◆

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/03 10:41 投稿番号: [3167 / 3669]
age

訂正にだ

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/01 13:46 投稿番号: [3166 / 3669]
十ーーー>銃

ほかに又、誤字があるかなぁ。
他人の手落ちに喜んで
鬼ように飛び掛る海賊ら。w

(特集)朴大統領とKILLING FIELD-III

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/01 12:55 投稿番号: [3165 / 3669]
釜馬事態どき、釜山で大学生たちのデモ鎮圧に動員された空輸部隊の軍人らを目の前で目撃したことがある。軍トラクを包んで1メートル間隔の横隊に並んでは帯剣をつけたM16(半自動小銃)を取り執銃した状態で前方30センチに目の焦点を合わしているのに誰一人も目一回も瞬かないでその焦点を維持するのだ。上官がこいつらにデモ群衆に撃つ様にいえば躊躇しないで引き金を引く形状だった。釜馬事態の激烈さは筆者が目撃したので誰よりもよく知っているが、日さえ落ちると毎晩、市街地は文字とおり戦場へ変った。当時、警護室長の車智哲という奴は口癖のように朴に主張したのが「2百万名を殺して政権を取ったカンボジアのポルポット政権をみてください。何もなく安楽に暮らしているんじゃないですか?釜馬事態ですか?市民・学生合わせて50万名くらい殺しても全然平気です。ご命令を下してください、閣下」だった。

歴史に仮定はないと言うが朴が死ななかったらどんな風に解決されただろうか朴が放送に出演して談話を発表し国民が望むなら下野するといい辞退しただろうか?18年間執権中に起ったあらゆる非違に対し法律の寛容で赦免をうけて実家のある亀尾で静かに余生を過していただろうか?何より軍人がクデターヲ起したのはどこの国によっても銃殺刑に該当する大逆罪なのにその罪を赦免されると思い帰郷できたはずか?結論は「朴は退きたくてもそれができない状況だった」とのことだ。そしたら答えは明瞭になる。朴は車智哲の忠言のとおり釜山、馬山に戒厳令を宣布し戦車で、帯剣で、M16で、機関銃で市民・学生らを掃除したはずだ。いわば韓国版KILLING FIELDになるのは自明な理だった。カンボジアに引き続き、killing field で悪名を轟かしたはずの韓国だった。それでも誰の口から朴への賛美歌が出るだろうか。

経済開発したのも事実で輸出が増えたのも事実だ。独裁政権が民主政権よりある範囲までは効率的なのも事実だ。討論手順を無視して独裁者一人の指示により全国は一糸乱れずに動く。鼠を掴んで皮を抜いてコートを作り輸出するから鼠を掴んで来いと指示し割り当てをくれて、目標量を満たせないならクビだといえば寝なく、鼻血を流しても鼠を掴むだろう。そうやって輸出して国民所得が少し上がり給料が上がったとしたら、自由を全部返納し奴隷になり少しの経済的余裕を持ったので幸せな暮らしをさせてくれたと感謝をすべきか。

韓国が経済発展したなら国民たちが帯を締めて熱心に働いて30万名の軍人がベトナムで死にながら送ってくれた血ついたドラで経済発展したのだ。軍事クデターが氾濫する開発独裁が茂る中南米の令をみても独裁国家が窮極的に経済的に成功した国はない。市長経済を軍隊式に無理往生に適切に動くわけがないことだ。一時的な可視効果をみせるため、既存のざいばつに特恵をやり輸出を伸ばし、それを政府のおかげだと宣伝するのはいいけど、そういう特恵のためにざいばつなど金持ちだけ豊かになり貧乏じゃもっと貧しくなる富益富、貧益貧現状が加速されたのも朴時代の産物だ。財閥は特恵に恩返しに莫大な政治資金を献納して特権を享受する政権と財閥の共生関係、すなわち政経癒着の伝統が確立されたのもその時代であり、これが韓国のこしつ病の総体的不正腐敗で固まった。

朴に学ぶただ一つの教訓があるなら、二度と韓国にクデターが発生してはいけないし政治軍人が生まれてはいけないとのことだ。。アジア人のメンタリティは西洋人とはたいぶ違う。上官の指示が不当でもなんでも上官が撃てといえば撃つ。もし豪州兵士に上官が民間人を撃てといえばどうだろう。おそらくBullshit!   と十を投げては家に帰るんじゃなかろうか。朴への郷愁はもう彼の墓に再び埋めてやろう。(尾)

(特集)朴大統領とKILLING FIELD-II

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/01 12:54 投稿番号: [3164 / 3669]
朴が日本の満州軍官学校に志願したとき、日本が戦争に負けるとは思わなかったし、永遠にアジアの盟主になるのを疑ってなかったので一緒になり一身の栄達を図ったわけである。天皇に忠誠を誓い天皇から勲章をもらうのを最大の人生目標にした朴。そういう日本が敗亡したらば失望も大きかったはずだ。そんな彼が南労党員になったのは案外の変身だと思うかも知れないが厳密にいえば思想の転換じゃなく、デグ暴動で警察に射殺された左翼運動家の兄の勧誘が原因だとみるほうが正確だろう。機会が与えられ権力を取り立身揚名できるなら左翼でも反共でも、親米であれ親日であれ朴には理念や思想はどうでも良かったのだ。

朴の在任期間中、経済開発はクデターと独裁を正当化させる手段で使われた。経済開発5ヵ年計画は本来4.19以降、合法的に受権した民主党が立案し実践を目の前にしていたのだ。朴は執権後、その計画書の著者名を民主党から自分の名前へ置換えたのだ。今日、6−70歳おじいさんから3−40歳まで会食で酒を飲むときには、それでも朴時代がよかったと朴賛歌を合唱する。それは朴が徹底的に洗脳教育をさせた結果じゃなかろうか。経済開発で成功した大統領というトレード・マークが朴の全ての不法、違法行為と不正腐敗を隠蔽し正当化させる唯一な手段だったからだ。筆者も当時、韓国で中、高校に通ったとき、3選改憲に維新に釜馬事態(釜山と馬山で起きた反独裁民衆蜂起事件)などの激動期を通ったけど、嫌悪感を持つほど放送、新聞などメヂアは朴の口になり朴への賛美と政治宣伝に日が立ち、日が暮れる日々だった。

政権が危機に逢着するたび突発する間諜団事件。間諜は朴政権が危機のときたび捕まってくれるようであまりにも絶妙に事件が起きた。あとで明らかになったのは大体無実な人たちを取って来ては水拷問にBBQチッキンや七星板に揚げて嘘で白状してもらっては危機のたびに一つづつ爆発させたそうだ。三国志を全部暗記していた朴。軍隊でも情報通で育った彼がそれくらいの術数を駆使したのはおそらく当たり前のことかもしれない。何より彼が容赦されないことは無実な若者たちを逮捕して拷問で「国家転覆目的」の団体を造作し、当時権力の女中だった司法府を動かし死刑宣告をおろしては24時間以内に死刑を執行したのだ。いわば「人民革命党」事件だが10月維新宣布を前にして国民たちに恐怖感を与えて、見せしめに凝らした典型的な間諜造作事件だった。民主主義の原則という牽制と均衡の主体の三軸の行政、立法、司法の3権を手の内に握って絶対権力を行事した朴。それも統一を渇望する国民たちの念願を担保にして維新憲法を発表し国民たちが返納した自由は南北対話が切られても返してくれずに永遠に差圧しようとした者。

(特集)朴大統領とKILLING FIELD-I

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/01 12:53 投稿番号: [3163 / 3669]
時代がおかしい訳か朴大統領を崇拝する奇怪な団体が出来たり記念館を建立しようと発狂をする者たちらがいて経済が難しいからと朴の圧制時節を懐かしがるとんでもないことが起きている。年月が流れると歴史となり月色に染まると神話となると聴いたけど韓国の軍事クデターの元祖ながら民主化を渇望する国民たちの熱望を戦車で轢いたのにかえって救国の英雄で描写され、春の端境期問題を解決した経済開発の始祖で仰がれる朴。果たして彼がそういう賛辞を受ける資格があるのか、ここで暫く点検してみたいと思う。まず朴のクデターは救国の決断だったのかの質問に肯定的に答えるには軍事反乱を起した当時、私心がなかったのかを調べてみたらわかるだろう。

朴は戦後、韓国で南朝鮮労働党(略称:南労党)の軍内組織策として頭の非常に良い天才らを包摂し、それが特務隊(軍内諜報機関、現在の機務司)に発覚され拷問と懐柔をうけた末に自分が包摂した人事らの名前を全部吐いた。自分が生き残るために自分が包摂したものたちを死の場へ追い込んだのだ。当時、韓国社会は極度の理念論争に包まれ政界は勿論、社会各分野、甚だしくは中、高校でも左・右に分かれ頭が爆発するほど戦った。創設初期の海軍士官学校で特に第2期生らの中で左翼思想を持ったものが多いと乗り夕で右翼性向の強い3期性たちが先輩たちを襲撃してバットで叩き殺した事件もあった。そういうわけで海軍士官学校は2期卒業者がほとんどいない。朴は自分の包摂した人たちの名前をはいった代価で生き残り、包摂された人たちは連行され銃殺された。

その事件で軍隊から追い出された朴は朝鮮戦争のお陰で軍に復帰するが南労党という過去行跡のために要視察対象だった。朴が軍生活中、比較的に清廉したのが皆が注視している状況で変なことをしたらばすぐ軍服を脱がなければならないと知っているからだとみられる。4.19学生革命後、張都英が弱冠35歳に陸軍参謀総長になったばすぐ過去行跡に問題があるか自由党時、不正を働いた軍内人事らを除隊させるため粛正作業を断行し、朴がこの除隊予定者リストに載っているのを心服部下が秘密裡に教えてtくれた。朴としてはそのままおいたら軍から追い出される運命になったので自爆の心情でクデターを起したのだ。この部分は朴の養子の全斗換が10.26事態(朴の暗殺事件)以降、当時の陸参総長により閑職の東海岸警備司令部へ左遷されるようになると12.12クデターを起したのととても似ている。歴史は繰り返すのだ。

CIAソウル支局で朴の反乱動きを事前に探知し当時、米国の大統領のケネディーに報告したところ、ケネディーは朴の過去行跡を調べさせては快哉を叫んだ。日本による植民地経験のある韓国人の立場でみれば、自発的に日本軍に志願し、反共国家の韓国で南労党経歴のある者ならそういう弱点を利用してキャロットと鞭で懐柔することでコントロルしやすく、それが米国の国益を図るのにもっと便利だとの結論を下したのだ。そういうわけで朴が反乱を起したとき、当時の張勉総理がカルメル修女院に隠れ込んでアメリカ大使館に3日間電話うぃ数十回かけて鎮圧を要請したが、前もって本国から鎮圧養成を無視するように訓令をもらっていた大使は受話器を下に置いといたし、結局、朴がクデターに成功したのだ。

れRe: れ: 歴史民俗朝鮮漫談

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/02/28 02:33 投稿番号: [3162 / 3669]
>単なるゴシップっぽい話から民俗学的なヒントがある話まで、けっこう収録されているように思いました。

買い、ですね、私には。
「IKSAL」には、「皮肉」「自虐」その他、いろんな要素が混じってるようです。まぁ
気が遠くなるほど(なってるか)永〜〜く「被支配民族」でしたから、その中で
生まれた「笑い」が「IKSAL」だとか(語学学校の発表で、これについて簡単な
話しをしました。途中から、誰もついて来れなくなりました…涙)。いまも興味
の対象なんですね、「IKSAL」は。

Re: れ: 歴史民俗朝鮮漫談

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2007/02/28 01:53 投稿番号: [3161 / 3669]
>ふむふむ。史料としては、「役立たず」っぽいですが、朝鮮人の笑いの根本(?/ ヨーロッパのウィットやユーモア、日本の洒落にあたる)「IKSAL」について知るには、かなり役立つと思われますね。

他の史料ともつきあわせて記述の信憑性を担保すればいいだけの話なんですけどね。
単なるゴシップっぽい話から民俗学的なヒントがある話まで、けっこう収録されているように思いました。

れ: 歴史民俗朝鮮漫談

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/02/28 01:39 投稿番号: [3160 / 3669]
>漫談であるがゆえに、記述の根拠となる出典史料が明記されていないことが多く、
>論を立てる際の直接的な史料として使用することは避けるべきかとも考える。

ふむふむ。史料としては、「役立たず」っぽいですが、朝鮮人の笑いの根本
(?/ ヨーロッパのウィットやユーモア、日本の洒落にあたる)「IKSAL」に
ついて知るには、かなり役立つと思われますね。

歴史民俗朝鮮漫談

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2007/02/28 01:28 投稿番号: [3159 / 3669]
今村鞆   国書刊行会

前回あげた今村の「朝鮮風俗集」は、大正3年(1914)に斯道舘から刊行されたものであり、竜渓書舎が2001年に復刻刊行したものであるが、こちらは、南山吟社が昭和3年に刊行したものを1995年に復刻刊行したものである。

漫談と銘打たれているように、コラム・エッセイ形式の文章から構成されている。朝鮮の民俗学的な話が内容であり、学問的なものよりくだけた話が多く、読みやすいのでは。

ただ、漫談であるがゆえに、記述の根拠となる出典史料が明記されていないことが多く、論を立てる際の直接的な史料として使用することは避けるべきかとも考える。

Re: 朝鮮風俗集

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/02/24 17:58 投稿番号: [3158 / 3669]
いつの話しているの?
死んでも朝鮮朝鮮か?
だから俺も倭倭倭と
いうしかない。

朝鮮風俗集

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2007/02/21 00:29 投稿番号: [3157 / 3669]
今村鞆   竜渓書舎

朝鮮の風習や民話などを収録した書物。収録された話には興味深いものが多い。

余談だが、一時期、朝鮮半島の「試し腹」という風習の直接出典とされたが、調査の結果、全く関係ないことが判明している。(師父も確認済み)

あげ

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/02/17 11:51 投稿番号: [3156 / 3669]

韓国の軍隊

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/02/12 13:43 投稿番号: [3155 / 3669]
サブタイトルは「徴兵制は社会に何をもたらしているか」
尹戴善著   中公新書   2004年刊行

軍制度や歴史・背景について書かれています。

国防部発刊の「国防日報」に掲載された盧武鉉大統領の文章がすてきです。とても後年、軍をクズ扱いする人物とはおもえない。(苦笑)

帝国憲法と朝鮮

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/02/06 12:05 投稿番号: [3154 / 3669]
友邦シリーズ第4弾です。
帝国議会において朝鮮人国会議員はいましたが、朝鮮や台湾を代表する議員はいませんでした。
何故かと言えば、内地で決定する法律は内地のみに適用し、まだまだ民度が遅れている朝鮮・台湾に対する法律は当地の総督府で作ればいいというのが当時の考え方でした。
ですから法律を適用しない地域の国会議員は必要ないということです。

ではこれら国会議員を送り出していない朝鮮・台湾に帝国憲法は及んでいるのか?
当時さまざまな議論があったようです。

なお蛇足ながら朝鮮にも府議会、邑議会、面議会という地方議会があり、選挙は行われていました。

帝国憲法と朝鮮
友邦シリーズ・第14号

日本統治下における朝鮮の法制   財団法人友邦協会
質疑   「憲法施行問題を中心に」   朝鮮資料研究会

p10

萩原彦三   元咸鏡南道知事  
大正5年に朝鮮総督府に入り、参事官、文書課長、学務課長、土地改良課長、水産課長を歴任

穂積真六郎   元朝鮮総督府殖産局長   大正3年に総督府に入る。


穂積
憲法は内地延長主義で朝鮮・台湾にも行われるというなら、どうして選挙法が適用されないのかという疑問がありますが、これは憲法上の問題ではなく、そういう法律をつくらないから朝鮮には施行されないことになるんですね。

萩原
実際問題として無理なのです。
非常に民度が違っているのに選挙法を適用するのは無理なのです。例えば、衆議院議員の竹腰与三郎先生などは、憲法が施行されるなら早く台湾・朝鮮から代議士を出したらいいじゃあないか、と主張されていたんです。これに対して政府は、結局まだ民度が低いからダメだ、というわけです。
それなら美濃部先生のように憲法は行われないんだといった方が割り切った意見になるんですが、当時の日本政府の考えは、いつも植民地ではないんだけれども本国とは違うんだというものなんです。

穂積
それは、憲法は行われるけれども、勅令で選挙法を出さないから実質上選挙は行われないんだということですか。

萩原
結論はなぜ勅令で出さないかということなんですが、それは民度が低いからということなのです。
結局、憲法は行われるけれども本国とは違うということです。
それならば違うように扱ったらいいではないかと言われると政府の見解はいつも矛盾していたわけです。



p14〜15


「台湾に施行すべき法令」とか「朝鮮に施行すべき法令」そのものが憲法違反だという議論もあったのですね。

萩原
そうなんです。


それはどうなったんですか。

萩原
ありましたけれど、学者の少数意見ですので、国会は結局原案を承認してしまったんです。


そういう意見の人を納得させるような説明はあったんでしょうか。

萩原
納得するもしないも、国会で議決してしまったんです。


そうしますと、日本の政府の態度は矛盾していたんですね。

萩原
そうなんです。割り切っていないのです。矛盾しているといえば矛盾しているのです。とにかく一方で憲法は行われるのだから、法律を要する事項は法律でなければきめられない。しかし法律は出すわけにはいかないから朝鮮総督府や台湾総督府にまかせて法律を作らせるといっているわけです。
しかし憲法を全部施行するならそんなことをしないで、全部国会でやらなければいけない。国会でやるなら民意を反映するために、その地方からも代議士を出さなくてはならないわけです。しかし、代議士は出さない、だから法律は施行しないというわけです。すると、どこに憲法が行われているのだというわけです。そうした議論になると第一条が行われているのだというわけです。

穂積
第一章天皇のところ全部ですか。

萩原
天皇のところでも第四条になると穂積八束先生が大反対です。
「憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と書いてあるのに憲法によらないのは憲法違反だというわけです。



http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_50005808.html

瀋陽日記

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/02/03 23:37 投稿番号: [3153 / 3669]
李錫浩訳。1975年大洋書籍刊行。韓国名著大全集シリーズの一環らしい。

李氏朝鮮の第16代王仁祖の長子で、清に人質として送られた昭顕世子の瀋陽滞在中の記録。
1637年の丙子胡乱敗戦後、人質として清の都瀋陽(盛京)に送られてからの記録であるのだが、1642年という中途半端な時点(朝鮮帰国は1645年)までの分しかないのは、正直期待外れ。

原文の漢文とハングル訳がついている。昨日買ったところなので、ゆっくり読みますね。

ソウル城下に漢江は流れる

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/01/27 15:47 投稿番号: [3152 / 3669]
サブタイトルは「朝鮮風俗史夜話」

林鐘国著   朴海錫・姜徳相訳   平凡社

近世のソウルの芸者、料亭や住宅にまつわる話、奴婢・白丁・僧や巫堂、妓生の話などを紹介。
サブタイトルだけを見るとキワモノっぽいのですが、中身は真っ当。手軽に読めて楽な本です。

Re: 朝鮮近代史料研究―友邦シリーズ

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/01/22 15:10 投稿番号: [3151 / 3669]
http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/5681.html

おっ!これは懐かしい。ハンボードじゃないですか。しかも投稿者が米津篤八氏とは。
私の記憶に間違いがなければ、彼は朝日系のジャーナリストだったはず。奥さんが朝鮮人で「反・嫌韓流」にも寄稿してたと思ったが。

過去ログに反論しても無意味かもしれないが、ちょっとだけ。

>友邦協会の資料は、それはそれで日本が朝鮮をいかに統治
したかを知るための貴重な文献ではあるのですが、
「中立」の視点・客観的なデータではありえず、その内容を鵜呑みにすれば、朝鮮
侵略を肯定する形になることは当たり前です。
殺人事件において、被害者の証言を無視し、加害者の言い分だけを聞いて、事件の全体像がわかったと言い張るようなものです。

殺人事件の加害者、被害者にたとえることからして、米津氏自身が既に「中立」ではありえず、
他人には「被害者」の証言を無視するなといいながら、彼自身は「加害者」の証言を無視するというダブルスタンダードに陥ってる。
だいたい今までは「被害者」からの話ばかりで、「加害者」からの話は少ない。その意味で総督府高官の体験談をまとめた−友邦シリーズ−は貴重な文献といえます。もし言っていることに間違いがあるというなら、そこを指摘すればいいだけの話。

>自分が依拠する資料・情報がいかなる意図に基づいているかを考えぬまま、お題目のように「中立」を唱えることは、欺瞞に他なりません。

これはそっくりそのまま、米津氏自身に帰ってくる言葉であることを自覚すべき。

以下は米津氏の論争相手である「まっくん」氏の参考図書ですが、そのまま推薦図書にしたい。

>「保護および併合−日韓外交資料弟8巻」市川正明著
>「朝鮮事情」ダレ著金容権訳 平凡社・東洋文庫
>「朝鮮の土地調査」荻原 彦三 友邦協会
>「韓国財政の整理改革」荻原 彦三 友邦協会
>「朝鮮半島の林野荒廃の原因、自然環境保全と森林の歴史」三宅 正久 農林出版kk
>「宇垣総督の農村振興運動」 山口 盛 友邦協会
>「李朝末期の通過とその整理」高久 敏男 友邦協会
>「李容九の生涯」大東 国男 時事通信社
>「両班、李朝社会の特権階級」宮嶋 博 中央公論社・中公新書
>「李朝滅亡」片岡 次雄 新潮社

Re: 朝鮮近代史料研究―友邦シリーズ

投稿者: bluesky070120 投稿日時: 2007/01/20 01:03 投稿番号: [3150 / 3669]
財団法人友邦協会とは、日本に引き揚げてきた朝鮮総督府関係者が作った「日韓友好」を
唱える団体です。元総督府財務局長だった故・水田直昌氏が理事長を務めていましたが、
もう解散したようです。

現在、友邦協会の資料は学習院大学の東洋文化研究所に寄託されています。これまた総督
府関係者の団体である社団法人中央日韓協会の会員になれば、利用することができます。
ちなみに年会費は5000円だそうです。

友邦協会の資料は、それはそれで日本が朝鮮をいかに統治
したかを知るための貴重な文献ではあるのですが、
「中立」の視点・客観的なデータではありえず、その内容を鵜呑みにすれば、朝鮮
侵略を肯定する形になることは当たり前です。
殺人事件において、被害者の証言を無視し、加害者の言い分だけを聞いて、事件の全体像
がわかったと言い張るようなものです。

自分が依拠する資料・情報がいかなる意図に基づいているかを考えぬまま、お題目のよう
に「中立」を唱えることは、欺瞞に他なりません。総督府の関係者の言い分を無批判に取
り入れること=朝鮮統治の肯定に他ならないことを、自覚していただければと思います。
http://www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/5681.html

れ: ◆コリア関連書籍◆

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2007/01/07 14:32 投稿番号: [3146 / 3669]
あら、ジョゲン・犬屑ちゃん!   生きてたの?

Re: 犬鍋さんに素朴な質問

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/01/02 12:17 投稿番号: [3144 / 3669]
細かい翻訳の手落ちはどうやら今度こそ
ポイントを避けて逃げてはいけません。w
「小中華主義」の国がその「憧れ」の中国が嫌いだって
おかしいと思いませんか?YES?NO?
貴下の引用した統計からみると
韓国も日本も米国が一番好きとなってますね。
米国の傀儡国の日本としては当然でしょうか?
しかし自主国のつもりの韓国の米国好きは
やはり親米教育のお陰でしょうね。(苦笑

Re: 犬鍋さんに素朴な質問

投稿者: bosintang 投稿日時: 2007/01/01 19:32 投稿番号: [3143 / 3669]
これですね。
http://www1.odn.ne.jp/youth-study/reserch/2006/shukei.pdf

「中国に対する他の3国の学生の評価では、韓国の学生が最低の点数を与えた反面、韓国に対する評価は中国の学生が最高の点数を与え、両国の学生間に食い違い現象が現れている。」

「その国のことが好き」という項目のことですかね?
韓国が好む国   1米国(24.3)   2日本(24.0)   3中国(7.2)
中国が好む国   1韓国(46.9)   2米国(33.8)   3日本(24.5)
日本が好む国   1米国(39.6)   2韓国(16.7)   3中国(10.2)
米国が好む国   1日本(45.2)   2中国(30.4)   3韓国(21.3)

韓国と米国の学生の相互評価にも食い違い現象が現れていますね。

韓国の記事の「普通の生活水準以上になってこそ満足する」を日本語訳でみると、「人並みの生活をすれば充分である」になっていて、ぜんぜん違う。この数字が韓国が低いということは、他人より金持ちになりたいってことでしょう?

金に対する関心度も、韓国記事は間違っている。

韓国の新聞記事の質が低いことを表す資料でしょうか?

犬鍋さんに素朴な質問

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2006/12/30 10:28 投稿番号: [3142 / 3669]
常に韓国人は「小中華思想を持っている」と批判して
来たでしょう?
勿論俺は全然同意してないですが、最近韓中間の
世論調査は貴下の所信が間違えてるとみせてるようで
わるいけど公開します。

要するに中国の学生は「韓国最高」といってるが
韓国学生は「中国最低」と答えたそうです。
韓国に好感を持っている中国人にはわるいけど、
これが韓国人の中国人に対しての評価にだ。
何か異見でも?w

http://news.hankooki.com/lpage/world/200612/h2006122921390222450.htm

笞刑の廃止

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/12/29 11:53 投稿番号: [3141 / 3669]
友邦シリーズ第3弾です。
笞刑を廃止したのは朝鮮総督府で間違いないですが、併合後10年ほどは続いていたようです。


笞刑の廃止
「朝鮮財政余話」   財団法人友邦協会

元朝鮮総督府財務局長   水田直昌口述

p16〜17



かようにして斎藤総督が来られましてから、朝鮮統治の上に一大転換があり文化政治になったわけであります。一方財政面に於いても今までのものとは百八十度の転換を致しました。 今まで本国の補助を仰ぐということになっておりましたのを、朝鮮財政の独立ということをもって功を急いだために、この騒擾になったというところから、第二期は所謂文化政治ということを標榜して諸施策を施したのであります。具体的に申しますと、朝鮮人の官吏の数を増しそして待遇も改善する。あるいは教育機関を拡充する、医療機関の充実を図る等のことであります。 またその当時までは笞刑ということもしていました。罪人を台の上に這わせて二十とか三十とか尻を叩く。こうすれば監獄の必要はない。また飯を食わせる必要もない。しかし尻を叩かれて一ヶ月も二ヶ月も癒らない。これは非人道的だということで、大正8年文化政治になってからは笞刑は廃止されました。そうなりますと監獄を造らなければならず、監獄の営繕費や飯を食わせる等の費用等が必要になる。 我々が参りまして始めて気が付いたのですが、教育のない文化の低いものにどうこういっても判らない。矢張りある程度までこういう刑罰が必要であったのでしょう。それを廃止したのであります。 朝鮮は三月頃から5月頃までは春窮期と申して、人口の8割を占める農民に食物がない。草根、木皮、干草、団栗、橡の実などを食う。これが朝鮮農民の実情である。従って大正7、8年まではそういう風な立派な監獄に入って飯を食わせてもらうということは却って喜ぶことになるが、大正8年に非人道的なことでよくないというので笞刑を廃止し、憲兵制度を廃止して警察に致しました。そして順次警察巡査の拡充を図ることになったのであります。



http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_1383748.html

農村振興運動

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/12/25 15:15 投稿番号: [3140 / 3669]
友邦シリーズ第2弾です。


「財政・金融政策から見た朝鮮統治とその終局」
  財団法人   友邦協会   朝鮮資料編纂会
朝鮮総督府   元財務局長   水田直昌氏

本当に良くなってきたのは、昭和6,7年、宇垣総督の農村振興運動の後です。私はある所で言いましたが、朝鮮には春窮という熟語がございます。
これはつまり昭和5,6年前までは、秋の米をとって年貢を納めて、残りはたいてい3月まで食ってしまいます。年貢が搾取ですから・・。
そうすると、6、7月頃の麦、粟の取れる迄どうするかというと、どんぐりを食い、草の根、松の皮、若芽、こぶ、ひじき、つまり草根木皮、海草、これは本当に文字通りそうです。そういうもので三、四、五の約百日ぐらいは命をつなぐというのが、免れざる運命なりとして、当然のこととしてやっておった。そこで春窮という言葉が出た。

〇端境期がえらくはやく来る。

麦、粟、豆をとっているうちに米がとれるということになって、浮かぶ瀬が無い。
米をとる者は前借しておる。
米をとると年貢を納めたり、前借にとられてしまう。
そこで宇垣総督の農村振興運動は、高利債の整理、収支の均衡、食糧の充実ということに重点がおかれた。収支の均衡というのは家計収支の均衡です。
この三つを目標にして、農村振興運動というものが起こされたわけです。
幸いに米が豊作でもあったし、高利貸しの整理というと全体の二,三割で、金融組合だけでは足らぬから、預金部の低利資金を何百万円か毎年金融組合に、殖産銀行及び連合会を通じて借りた。
高利債の借り換えをやっても、又すぐ借りるようではいけないから、三日にあげずその家に臨んだものです。
そうして便所の世話からやった。というのは朝鮮は厠をつくる習慣が農村にありません。
そこらにいって小便、大便をやってくる。
町の中ではオンドルの中に壷があって、夜壷に小便して、朝窓からパッと捨てる。
朝通って行くときに窓からやられることがある。
そこで便所を造る費用を予算で補助してくれと言って来た。
農村振興運動で・・。
僕等そんな馬鹿なことがあるかと言ったが聞いてみるとやはり便所をつくって、甕を埋めて、それを肥料として使うことを指導するわけです。そういうことからやった。

〇民度が低いのですね

低いのです。農村振興はそういうところからやった。それから堆肥を作ることをやかましくやった。
〇堆肥は元は作らなかったのですか?

そんなことはわからない。肥料をやるという観念がてんでない。

〇随分幼稚なものですね。

そういうことから育て上げていったわけです。米でもパッとばらまく。苗代なんかつくらない。

〇じき播きですか?

じき播きです。苗代をつくってやること、植えるのは縄を引っ張って正条植えでやること、そういうことから教える。私が驚いたのは、便所を造ることに補助金を出してやるということでした。
そういうことは日本人に珍しいことです。
そういうように手を引いてやる。

(中略)

貯蓄の奨励にしても、在来は金をためても、何とかかんとか因縁をつけて取り上げてしまう。
だから貯蓄なんかばからしい。
これを払拭するのに相当かかる。
金をためたらためただけのことがあるということを実地で知らせなければならぬ。
金をためても余計に税金なんか取らぬのだ、ためたら私有財産で自分のものになるのだということを実施をもって教え込むには、10年、15年かかる。
昭和6,7,8年ころの農村振興以後やっとそれが出かかって来た。金とかいろいろ朝鮮の資源がヲット開発される。日本の資本が入ってくる
産物が多くなる。
急激に富の蓄積が昭和7,8年以後出来てきた訳です。

http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/24974885.html

Re: 親愛なる隣国の倭の方々へ

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/12/18 09:37 投稿番号: [3139 / 3669]
>本来貴国は韓国の
>文化属国として2千年間、熱心に
>韓国を文化、学問を吸収し、学んで
>来たことは永遠に消えるもんじゃない
>ことを忘れてはいけません。

日本が貴国から学んだことなど、
聖徳太子が遣隋使を派遣した6世紀末以降、一切ございません。

6世紀以前は中国文明を朝鮮半島から、
コップの水(中国文明)を吸うストローとして朝鮮半島を活用しましたが、
遣隋使以降は日本は大陸文化は中国から直接学びましたからね。
訂正しておきますよ♪

親愛なる隣国の倭の方々へ

投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2006/12/18 09:07 投稿番号: [3138 / 3669]
我が国が旧韓末、間違った祖先を持った
ために貴国みたいな未開野蛮国の植民地へ
転落したことは凄く残念で痛惜之念を
消せないものの、本来貴国は韓国の
文化属国として2千年間、熱心に
韓国を文化、学問を吸収し、学んで
来たことは永遠に消えるもんじゃない
ことを忘れてはいけません。
戦後は敵の米国のシモベになって
しましましたね。魂を取られてプライドの
もってなく、米国に恐怖感だけを
持ち、ゾンビーみたいに米国の玩具に
なった貴国。アジア人としての最小限の
自尊心さえ持てないならそれこそ、
玉砕でも試行したほうがいいじゃない
でしょうか?

朝鮮近代史料研究―友邦シリーズ

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/12/12 12:08 投稿番号: [3137 / 3669]
朝鮮総督府高官らに日本の植民地支配の実態を聞き、録音したテープの中から厳選して活字化した「友邦シリーズ」30冊を、内容別に編纂、復刻。5~9巻では、歴史・農業・産業・会社に関する証言を収録する。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877331220/Lvdrfree-22?dev-t=D1KDF7Q74DD3A2%26camp=2025%26link_code=xm2

友邦シリーズの一部を紹介します。

http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_1440575.html

郡守
友邦シリーズ・第15号
朝鮮総督府官制とその行政    財団法人友邦協会
「朝鮮の官制・行政問題を萩原氏にきく」  
p22〜23

管理人註:
萩原彦三   元咸鏡南道知事  
大正5年に朝鮮総督府に入り、参事官、文書課長、学務課長、土地改良課長、水産課長を歴任

穂積真六郎   元朝鮮総督府殖産局長



萩原
面長さんは殆んど全部朝鮮人です。


道知事は日本人ですね。

萩原
道知事も13道の中半分くらいまで朝鮮人でした。


郡守は朝鮮人が多かったですね。


ここから下は朝鮮人ですね。郡守3年やれば金持ちになれるといわれましたから。

穂積
だけど、もう日本の領土になってからは3年くらい郡守をやっても貧乏するばかりですよ。郡守というのは非常に苦しかったです。3年やれば一生喰えるといわれたのは李朝時代のことですが、名前はやはり郡守ですから、みんながなりたがったようです。だがいざなってみると朝鮮の悪い癖で一里・一邑みんな寄ってきてたかるのです。
だから郡守になった人達は、みんな苦しかったらしいですよ。


いつごろのことですか。宇垣総督以降ですか。

穂積
日本になってからずっと・・・・。

萩原
それは徴税権をとられてしまったからです。昔は郡守が税金をとったものです。そこで適当にやっていたのです。
それを弊害があるというので税務署を独立させたのです。目賀田顧問が行って徴税機構が改められた時のことですが、それを取り上げては困るというので、えらい騒ぎがおこったものです。


一般の人は郡守というと昔の郡守の印象が残っているのに、実質上は税金などが取れないから給料だけでやるわけですね。

穂積
徴税権と警察権とを取り上げられてしまったら・・・。


一番重要なものを取り上げてしまったのですね。


私がいる時などまだ郡守といったらものすごく大金持ちという印象をうけていました。

穂積
だから地方に行くと郡守がみなこぼしていましたよ。
一般からは昔の郡守のつもりで扱われるし、実際はちっともいいことはないしと言ってね。

萩原
それでもみんななりたがっていたな。

金石文に見る百済武寧王の世界

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/05 19:05 投稿番号: [3136 / 3669]
蘇鎮轍   彩流社

隅田八幡神社銅鏡、七支刀の銘文、倭王武の上表文などを分析し、百済武寧王は若い頃倭王武であった、銅鏡・七支刀は武寧王が倭王に下賜したものだ、と主張する本。

ざっと斜め読みし終えて、現在きちんと読んでいる最中です。

朝鮮民族を読み解く

投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/12/02 02:20 投稿番号: [3135 / 3669]
古田博司   ちくま学芸文庫

既出かもしれませんが、出しておきます。

本書で展開されている「ウリ」と「ナム」についての考察は、かなり重要な示唆を含んでいるものでしょう。

朝鮮王朝社会と儒教

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/22 21:43 投稿番号: [3133 / 3669]
李泰鎮著   六反田豊訳   法政大学出版局   2000年出版

著者は、李朝社会には内在的に近代化の萌芽があり、儒教は役に立ったということを結論としたいようです。
そのために、党争は、日本人学者が李朝停滞論を強調し朝鮮社会を低く遅れたものとするために打ち出したとしたり、後期の両班など社会指導層に見られる、「民」と「国」を重ねて重視するという論説を民主国家の萌芽であるかのように書いていたりします。

そのほかにも、壬辰倭乱の解析では、軍事学には疎いところをさらけ出すなど、なかなかおいしい本ではあります。

国家を騙した科学者

投稿者: hjnioui 投稿日時: 2006/11/19 11:50 投稿番号: [3132 / 3669]
  この本は読まないだろうと思っていました。
  しかし、週刊誌サンデー毎日の書評で、捏造発覚後の黄禹錫教授擁護運動を、著者李成柱氏が原因を未熟な民主主義に求めたことを否定し、評者池田清彦氏は生命工学はカルトの標的になりやすい構造を持っているからだと述べています。池田清彦氏て何者?ということから、少し興味を持ちました。

  それで、他の方の評を調べてみると、科学者の論文捏造はどこの国でもあり、普遍性のある問題というテーマで扱われているようです。科学者や医学者の方々のブログでも、韓国での出来事と言うより、わが身のこととして論じていることが印象的でした。
  池田氏は構造主義生物学を提唱する高名な生物学者で、科学や医療研究の近いところにおられるようで、生命工学カルト説はさほど強引な主張でもないようです。
  ということで、わが町の図書館に予約を入れました。

  なお著者、東亜日報の元記者李成柱氏について。
  黄教授擁護派であった李氏は、黄教授の倫理問題だけでなく、韓国独特の社会構造にも切り込みつつ、結果、自社メディアに失望して退職してしまったとのこと。
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