(特集)朴大統領とKILLING FIELD-I
投稿者: xsizepistol88 投稿日時: 2007/03/01 12:53 投稿番号: [3163 / 3669]
時代がおかしい訳か朴大統領を崇拝する奇怪な団体が出来たり記念館を建立しようと発狂をする者たちらがいて経済が難しいからと朴の圧制時節を懐かしがるとんでもないことが起きている。年月が流れると歴史となり月色に染まると神話となると聴いたけど韓国の軍事クデターの元祖ながら民主化を渇望する国民たちの熱望を戦車で轢いたのにかえって救国の英雄で描写され、春の端境期問題を解決した経済開発の始祖で仰がれる朴。果たして彼がそういう賛辞を受ける資格があるのか、ここで暫く点検してみたいと思う。まず朴のクデターは救国の決断だったのかの質問に肯定的に答えるには軍事反乱を起した当時、私心がなかったのかを調べてみたらわかるだろう。
朴は戦後、韓国で南朝鮮労働党(略称:南労党)の軍内組織策として頭の非常に良い天才らを包摂し、それが特務隊(軍内諜報機関、現在の機務司)に発覚され拷問と懐柔をうけた末に自分が包摂した人事らの名前を全部吐いた。自分が生き残るために自分が包摂したものたちを死の場へ追い込んだのだ。当時、韓国社会は極度の理念論争に包まれ政界は勿論、社会各分野、甚だしくは中、高校でも左・右に分かれ頭が爆発するほど戦った。創設初期の海軍士官学校で特に第2期生らの中で左翼思想を持ったものが多いと乗り夕で右翼性向の強い3期性たちが先輩たちを襲撃してバットで叩き殺した事件もあった。そういうわけで海軍士官学校は2期卒業者がほとんどいない。朴は自分の包摂した人たちの名前をはいった代価で生き残り、包摂された人たちは連行され銃殺された。
その事件で軍隊から追い出された朴は朝鮮戦争のお陰で軍に復帰するが南労党という過去行跡のために要視察対象だった。朴が軍生活中、比較的に清廉したのが皆が注視している状況で変なことをしたらばすぐ軍服を脱がなければならないと知っているからだとみられる。4.19学生革命後、張都英が弱冠35歳に陸軍参謀総長になったばすぐ過去行跡に問題があるか自由党時、不正を働いた軍内人事らを除隊させるため粛正作業を断行し、朴がこの除隊予定者リストに載っているのを心服部下が秘密裡に教えてtくれた。朴としてはそのままおいたら軍から追い出される運命になったので自爆の心情でクデターを起したのだ。この部分は朴の養子の全斗換が10.26事態(朴の暗殺事件)以降、当時の陸参総長により閑職の東海岸警備司令部へ左遷されるようになると12.12クデターを起したのととても似ている。歴史は繰り返すのだ。
CIAソウル支局で朴の反乱動きを事前に探知し当時、米国の大統領のケネディーに報告したところ、ケネディーは朴の過去行跡を調べさせては快哉を叫んだ。日本による植民地経験のある韓国人の立場でみれば、自発的に日本軍に志願し、反共国家の韓国で南労党経歴のある者ならそういう弱点を利用してキャロットと鞭で懐柔することでコントロルしやすく、それが米国の国益を図るのにもっと便利だとの結論を下したのだ。そういうわけで朴が反乱を起したとき、当時の張勉総理がカルメル修女院に隠れ込んでアメリカ大使館に3日間電話うぃ数十回かけて鎮圧を要請したが、前もって本国から鎮圧養成を無視するように訓令をもらっていた大使は受話器を下に置いといたし、結局、朴がクデターに成功したのだ。
朴は戦後、韓国で南朝鮮労働党(略称:南労党)の軍内組織策として頭の非常に良い天才らを包摂し、それが特務隊(軍内諜報機関、現在の機務司)に発覚され拷問と懐柔をうけた末に自分が包摂した人事らの名前を全部吐いた。自分が生き残るために自分が包摂したものたちを死の場へ追い込んだのだ。当時、韓国社会は極度の理念論争に包まれ政界は勿論、社会各分野、甚だしくは中、高校でも左・右に分かれ頭が爆発するほど戦った。創設初期の海軍士官学校で特に第2期生らの中で左翼思想を持ったものが多いと乗り夕で右翼性向の強い3期性たちが先輩たちを襲撃してバットで叩き殺した事件もあった。そういうわけで海軍士官学校は2期卒業者がほとんどいない。朴は自分の包摂した人たちの名前をはいった代価で生き残り、包摂された人たちは連行され銃殺された。
その事件で軍隊から追い出された朴は朝鮮戦争のお陰で軍に復帰するが南労党という過去行跡のために要視察対象だった。朴が軍生活中、比較的に清廉したのが皆が注視している状況で変なことをしたらばすぐ軍服を脱がなければならないと知っているからだとみられる。4.19学生革命後、張都英が弱冠35歳に陸軍参謀総長になったばすぐ過去行跡に問題があるか自由党時、不正を働いた軍内人事らを除隊させるため粛正作業を断行し、朴がこの除隊予定者リストに載っているのを心服部下が秘密裡に教えてtくれた。朴としてはそのままおいたら軍から追い出される運命になったので自爆の心情でクデターを起したのだ。この部分は朴の養子の全斗換が10.26事態(朴の暗殺事件)以降、当時の陸参総長により閑職の東海岸警備司令部へ左遷されるようになると12.12クデターを起したのととても似ている。歴史は繰り返すのだ。
CIAソウル支局で朴の反乱動きを事前に探知し当時、米国の大統領のケネディーに報告したところ、ケネディーは朴の過去行跡を調べさせては快哉を叫んだ。日本による植民地経験のある韓国人の立場でみれば、自発的に日本軍に志願し、反共国家の韓国で南労党経歴のある者ならそういう弱点を利用してキャロットと鞭で懐柔することでコントロルしやすく、それが米国の国益を図るのにもっと便利だとの結論を下したのだ。そういうわけで朴が反乱を起したとき、当時の張勉総理がカルメル修女院に隠れ込んでアメリカ大使館に3日間電話うぃ数十回かけて鎮圧を要請したが、前もって本国から鎮圧養成を無視するように訓令をもらっていた大使は受話器を下に置いといたし、結局、朴がクデターに成功したのだ。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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