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朝鮮文化の将来 二

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/03/16 11:04 投稿番号: [3172 / 3669]
(二)
  既に、清貧を名誉としたのであるから、ひたすら物慾に打ち克とうとのみつとめた傾向がある。両班はそうした階級の名称である。今日では、だいぶ両班の名称は濫用されて来て、有銭者が両班であるかに思うけれども、もともと、両班は、清貧なることが看板である。朴址源という半島近代の学者があったが、両班伝なる一戯文を書きのこしている。その筋書によるに一人の両班があって、負債に耐えきれず、一人の富者を求めてそれに両班の株を估却した。県の知事は、二人者の間に立ち、株の授受に関しての券文を立てたのである。買方の富者は、かくて、両班になりはしたが、その清苦にして而も利得の薄いことに気づいてから、後といわず即座に券文を破棄して、もとの平民に立ち戻ったというのが、それである。戯文とはいえ、両班の生活をさらけ出すには余りある上、券文が、名高い文選に出ている王褒の僮約に似ているというので、すっかり文壇を騒がせたものだ。両班とて金銭を、離れて存在し得るものではない。

  祖先以来の田宅を估却して金銭にかえることは、普通に行わるる手段であるが、しかし、その場合両班のとる手段は振るっている。もともと、金銭はけがれたものという立て前の両班であるから、売買はもとより、現金の授受を好まない、そこで一個の方法が案出せられた。方法とは、まず自分の家奴に一札を下付する、『外ではない、某所の土地や奴婢の売却については、なんじに一任するから、左様心得置くべし』という指令である。家奴は、右の一札をば買方に提示し、官衙でもおなじくそれを認めて憑拠とし、売買は、とどこおりないことになる。しかし、ここで吾人に考えられることは、家奴は、果して上典(主人)の指令に忠実であるであろうが、家奴を通じての売買のことである。家奴ほど主人に反感をいだいていたものはない。掌隷院という中央奴婢局の記録が、文録役に最初に焼きすてられたというのも、信ずべき事実であるまいか。日本の奈良朝あたりに、今述べたようの土地売買形式があったものか、どうかはわからないが、ともかくも、こうした慣習は、さなきだに経済思想にという両班をば、益々迂闊ならしめた。

  こうした習慣に満足していた社会に、近代化した日本の社会人が放漫に進出したわけである。およそ健全なる経済戦は双方各の把持する地位の相等しいということに与り、もし他の一方にして、劣勢なる場合そこに悲しむべき事件の起ることは請合である。白人の昔アフリカの蛮人や南洋土人に対して仕むけた態度はまだしも、明治初年における吾等の受けた侮辱の歴史は、古老の茶話にも新である。しかし、それ等は、専ら外人をとがめがたく、省みて警めなければならぬ性質のものである。つまり経済思想においての劣敗者の受くべき自然の径路はどの方面から観ても不快ならざるものはない。朝鮮に進展した新日本の社会的底面が、アイスで築き上げられたということは名誉とはいえぬけれどももし鮮人が、これをもって自責の資となすの明があったら、今少しく現代の経済思想が発達しそうにも思われ、従ってこうした不快事は軽減さるべき筈である。現に鴨緑江ただ一条を隔てたばかりの満洲に、そのことの絶えて聞こえないというのは、支那の社会の経済思想は、堅実にしてアイスの手に乗ずべき間隙が無いからである。反対に悪性の支那人に偽証文などをつかませられて、困りぬいている邦人は、決して少くはない。

  総督政治が、そうした社会的底面の上に打ち建てられていることは、何程の苦痛であるかわからない。さればといって、かかる社会上の歴史的疾患ともいうべき性質のものは、頓服薬などでなおし得べきものではないから、根気よくおもむろに時の解決を待つべきものと吾人は思っているが、日本人に通有なる功をいそぐというくせは、何かというと、現れてくる。
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