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シドニー−9−あるナイトクラブーII

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 19:56 投稿番号: [2969 / 3669]
大体30代半ばぐらいの駐在員風の日本人男が真ん中の席に座っていてその男の膝の上に背を向けた姿勢で女が座って二人で性交をしていた。周りには6―7名ぐらいのもっと若くみえる連中が好奇心満々の表情で二人の情事を見つめていた。男はズボンのジッパーだけおろして取り出したはずだし女はスカートの中のパンティを抜いで結合した形勢だった。男は意気揚々の顔で後ろから休む間もなくピストン運動で女を攻略していて女は顔をうなだれて男の動きに身をまかせ連動していた。筆者は想像もしてない光景に慌ててすぐ自分の席に帰ってきたが、衝撃的な場面に唖然して同行した友に何もいえずにぼっと座ってした。5分ほど経ってから先の交接の主人公のあの女が平気にホールの中央通路を歩いていた。多分一度暴風が過ぎたようで顔はだるいがとても軽快な足取りだった。

あとで精神を収拾してその友にいったところ、まさかそんなことありえない。多分筆者の錯覚だろうといわれ、言い出した筆者が嘘吐きになった形勢だった。日本でもない豪州にきて目撃したもう一つの文化衝撃というべきか。再びそういう光景をみつけたら今度は落ち着いて、いや一緒に座って鑑賞できるか未だ自信がない。

その後も数年間商売が上手かったその店が不動産市場に物件として出たとその友に聴いて驚いた筆者が理由を尋ねたところ、女調達担当していた経営者の一人が辞めたあと、女が少なくなり自然に客も切れたそうだ。それで売りに出したそうだ。あとで日本での水商売で育った若いママが引き受けて今も経営している。一度飲みにいったらば以前のようにかわいい子がいっぱいだった。 多分そのママも自分なりの女調達に一見識がありそう。しかし以前のそういう名場面をもう一度観れるか、それとも自分が直接同じ場面を演出してその店の伝統として固めるのはどうかとも考えてみたが正直、勇気がない。

シドニー−9−あるナイトクラブーI

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 19:55 投稿番号: [2968 / 3669]
シドニーブルース-10-あるナイトクラブ 2003/11/14 17:49
メッセージ: 6016 / 6027

投稿者: ilkuji
職業上、日本人客を多く相手にしていたら退勤後、一緒に食事をしたり、もっと時間があれば日本人クラブに行ったりする。シドニーには日本会社支店が多いので商社駐在員たちが本社の業務視察に来た幹部やバイアーを連れて来て一旦食事を奢ってからこういう類のクラブに連れて来てカラオケをする。それ以上の接待をする会社もあるはずだが。

いわゆる水商売は人気のあるホステスをたくさん確保していてお客も頻繁にきてもらい、常連客になる。どころが、オーナーの立場では日本ではない現地で女を調達するのがかなり難しいらしく、いくら内部施設がよくてもセクシな女を、それも日本の女を充分調達できないと客足は競争業所に向うようになり、自然にあの店には女がいないと顔を背けられ、戸を閉じるケースも多いらしい。いわば女調達の手腕のいい業所は生残り、その方面に才能のない業所は戸を閉める徹底な適者生存の法則が適用する。

韓国の酒場とは違って日本クラブはルームサロン式じゃなくホールにテーブルがあちこち置いてあり、各テーブルに客たちが座り酒を飲みながらその気になると舞台に出てマイクを取って唄ったら壁に設置した大型スクリーンの映像に出る歌詞をみて皆でいっしょに唄うくらいなので韓国みたいに女さわりなどの余裕はなく、ただ傍に座った女や連中と話しながら遊ぶ程度なので韓国のルームサロンより酒代がやすい。そしたら韓国の酒代には触り代が含まれてることか。筆者もあちこち行ってウィスキーを飲んだりして残してきたらボトルキープしてくれるが、いろんな所にいってたらどこにどれだけ残ったのかわからくなることもおおい。余談になってしまったが。

問題は20代の若い女をどう続けて調達するかだが主に学生ビザやワーキンホリディビザで来た女たちを求人広告で募集、採用するのだが、いつ辞めるか知らないので年中募集するのが普通だ。ある日本人業所は女が多いことで有名だが、本当は日本の女が半分、残りは中国から来た女学生で構成され、いわゆる補充部隊の役割をしていた。中には日本のその業界で水を飲んでいた韓国人女もたまにみえるけれど。

シドニーでもかわいい女が多いことで有名な日本の店があったけど聴いた話では経営主3人の中、一人が日本にヤクザ友がいて定期的に女たちを選抜、供給するそうだ。女は日本で同じ類の業所で働いたあと、休暇を兼ねてオーストラリアに来てここの店で一年働いて帰るパタンだそうだ。

ある夜、日本人友人と二人でその店にいって飲んでいた。ホールが狭く長い構造の店だが入口の反対、即ち奥の先にあるトイレで小便をしてからドアーを出たら驚いてしまった。トイレドアーのそばに直角へ曲がったところにスペースがあり、そこにもう一つのテーブルがあるけどそこで見事なことが開いていた。(つづき)

シドニー−8−社内セックス−II

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 19:52 投稿番号: [2967 / 3669]
男はもっと賢くなる必要があると感じて女と協商をはじめた。女の主張はいったんビザを生かしてくれれば借りたお鐘を持っていって返すとのことだ。しかし一、二度騙されたことじゃないのでその言葉は信じられない。男は断固として言った。先に借金を返せ。そのあとでビザの話をしようと。もし返さないと韓国で当時人気裡に放送中のMBCテレビの「警察庁の人たち」かKBSテレビの「事件25時」の担当者に今までのことをシナリオで作成して伝達する。そしたらお前の詐欺行脚は放送を通じてドラマ化され全国に手配されるはずだ。それでもいいなら好きなようにしろ。女は恐くなった。数日後、全額が送られてきた。

女から電話がきてもう返したんでビザを生かしてといわれた。男は「お前みたいな女に俺が何を?」と切ってしまった。その後も何回か電話がかかってきたが、その癖が直るとの保証もなく、第二、第三の犠牲者が出来る蓋然性はいくらでもある。男は断固として拒否した。

数ヵ月後、女の家主のお婆さんから電話がきた。ある夜、女が白人男と帯同、現れては自分の荷物を持っていくと一言投げてはトラックに載せて未払いの家賃も払わずにいってしまったそうだ。何故要求しなかったかときくと、体格のよい男がいっしょに来て出入りするので生命の危険を感じ、震えていただけだったそうだ。ビザもキャンセルされた女がどうやって豪州大使館で入国ビザを取ったか不思議だ。

お婆さんの話によると逃げる前にもしょっちゅう男たちを連れて来て部屋で暫くいて帰ったりしたそうだ。さて来る男が毎度変わるそうだ。多分自分の部屋でセックスをし、金をもらったか。そのように男たちと遊んだそうだ。あの女、国を間違えて生まれたんだろう。酒場で堂々と豪語した女の言葉が思い出す。「自分の夢は全世界の男を征服することだ」と。今もシドニーのどこかで住んでいて男を征服しつつあるかな。

シドニー−8−社内セックス−I

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 19:25 投稿番号: [2966 / 3669]
シドニーブルース−8−社内セックス−I 2003/10/22 17:29
メッセージ: 5675 / 6027

投稿者: ilkuji
小さな事業体を運営している友人がある日、韓国人秘書一人を募集することになって求人広告を出した。留学生やワーキングホリデイビザ所持者の多い韓国人女性人力の中で事務職は人気があった。食堂や掃除など肉体労働職と比べて勤務時間や給料が悪くないからだ。十数名の志願者たちを面接し、その中で事務職経歴もあり奇麗な女子一名を選んだがそれが禍根だった。

26―7才ぐらいの女で本来学生ビザで来たが留学センターなどで働いた経歴もあったので採用するようになったのに採用の次の日に借金を要求した。急にお金が必要だったで高利貸し金業者から借りたのにその間返せなく、利子が利子を増やし悩みだそうだ。入社したばかりに何借金かと聞くと自分は本田車を持ってるのでその車を売ってでも返せるから心配するなといわれた。採用したばかりで友人はその女の住んでるマンションまで乗せてやって女の部屋で誘惑される通り性教育(?)も一度受けたそうだ。

それ以上拒否する状況じゃないので貸してやった。ところがだんだん借金の要求が増えて少なくは何十ドルから大きくは何千ドルまで要求するのが切りがない。あとではこれ以上は駄目だというと今まで貸してくれたお金がを返してもらいたくないかと脅迫さえされた。それで続けて貸したお金の合計がもう一万ドルを越えた。もうその車でも売って返せというと女はそうすると答えたが実はその車も金融会社から借りたお金で買ったんで売りもできない車だとわかった。

高声を交換したり胸倉を掴んだりして結局給料で返すことになったがそのお金全部返すには百年河清を俟つなのである日、女がいうにはセックスで返すそうだ。クビをしたら返してもらえないのでそれも駄目、今返せといえば殺せというんで仕方なく、お互い憎んでるのに退勤時間に二人で残ってオフィスセックスをする毎日が続いた。あとでは勤務時間中でも思い出すたびドアーを締めて二人でセックスに耽溺する変な関係へ発展した。

ある日も勤務時間中、床の上でdoggyスタイルで雲雨の情を分けてるのに電話がかかって来た。抜くにも惜しいのでその姿勢を維持しながら二人でのっそのっそいっしょに這っていって女が電話をとったこともある。今度は女が椅子に座った姿勢で二人で穴を掘りながら電話に出たこともあるそうだ。電話した相手には失礼な姿勢というか。こんなことは真似してはいけない。あるときはビデオでAVを観ながら女の欲情が発動、ソファでやることもあった。女の立場ではセックスを楽しみながら借金も返せるのでこれこそ一石二鳥じゃないか。(この記事を読みながら手淫する勘違いサルの姿が浮かぶね)

男は女の要請により彼女の就業ビザを申請するのにスポンサーになった。それから何ヶ月後、ビザが降りた。女は給料で借金を返すから生活費を稼ぐためにオフィス近所のマッサージ屋に就職、退勤後、男客の全身をマッサージし、手で男のアレを刺激、発射させる仕事をした。そして翌日、オフィスに来たら、ある男のアレが大きかったとかある男はアレをベルトで巻いていたとかなどアレの品評をした。ある客のはいくら手で振っても出ないので理由を聞いたところ、家でやってきたそうだ。(続き)

シドニー−7−豪州と戦争−II

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 19:23 投稿番号: [2965 / 3669]
シドニーブルース−7−豪州と戦争−II 2003/10/18 17:08
メッセージ: 5654 / 6027

投稿者: ilkuji

豪州は大部分の世界大戦と局地戦に毎度参戦している。遠くは南アフリカのボアー戦争から1、2次世界大戦、韓国戦およびベトナム戦など、少ない人口に比べ相当数の軍人たちが参戦、死傷した。これはいわゆる「前進防衛」の概念による国家政策として全世界のどこでも戦争の火種ができたら米英を積極的に助けて派兵し、その反対給付として豪州が攻略されるとき助けてもらう一種の政治戦略といえる。

1次大戦時、母国の英国の要請により全国の若者を徴集、ニュージランド軍と併合、単一軍を形成しANZACと名づけたあと船で印度洋を渡った。そして戦場のトルコに到着、英国軍司令官の指揮の下でトルコと一戦したとき英国軍は比較的に安全な高地で攻撃し、豪州軍は一番危険な高地から攻撃するように命じられた。そこで豪州軍が突撃命令で前進したときトルコ軍の集中射撃により兵力の半数以上が死亡した。このときから母国の英国を信じられないとの思想を基に自立の意志が拡散、今は完全な主権を独自的に行事している。

韓国戦のときも相当数の陸軍と空軍が参戦し、多くの死傷者が発生した。特にアメリカ機と共に豪州戦闘機が韓国の領空を縦横無尽縫った時節だった。ムスタンというこの機種は機体はちいさいが航速距離が長く韓国の豆畑をあちらこちらにうまく抜け出ながら勇猛性を誇っていた。

強大国の間で生き残り自国の主体性を守りながら今日まで引き続く幾つかの弱小国は韓国の歴史と比べるとき敬畏心を持ちざるを得ない。米軍基地建設を反対して意志を貫徹したスリランカとかベトナム戦争の最中、サイゴン(西貢)で米軍がベトナム女を強姦していたとき、その米軍を射殺しても国会で起立拍手を受けたあるベトナム人青年の話とか林秀卿が訪北したとき平壌幼稚園の子供たちの演劇公演で、トラと闘って勝った針鼠話は南の人たちに一つ教えてくれたことだというと言過ぎだろうか。

シドニー−7−豪州と戦争−I

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 19:21 投稿番号: [2964 / 3669]
シドニーブルース−7−豪州と戦争−I 2003/10/18 17:06
メッセージ: 5653 / 6027

投稿者: ilkuji
シドニーの北部にあるパームビーチの近所にヨットクラブがある。入口に立つと表示板が建っているし警告文が書いてある。「日本人および日本人配偶者のいる豪州人立入禁止」。興味深いのはその下に「韓国人および韓国人配偶者のいる豪州人もお断り」となっている。今はもうないけど13年前、シドニーのある日刊新聞に紹介されたこの警告文は次の由来がある。

そのヨットクラブの会長は歴戦の勇士として第二次大戦当時、豪州の領土だったパプアニューギニを侵攻した日本軍と戦ったとき、彼の子供頃からの親友だった戦友が日本軍に捕虜になり日本刀で斬られた痛い記憶を持っているそうだ。たとえ過去の事だとしても彼をそれが忘れられなく会長の職権でこの規則を制定し、自分が時代遅れの人物だと批難されても仕方がないし、自分の死んだあと、後任者が規定を変えるのは自分の関与することじゃないとのインタービュー記事が載った。

日本人は敵国の国民だったので仕方ないとして韓国人は何故会員になれないかと聞くと彼曰く「当時韓国人たちは日本軍として参戦し、連合軍捕虜収容所で捕虜たちを苛酷に取扱ったので容赦できないとの意味を含んでいる」そうだ。日本軍に徴兵されたり軍属で参戦した一部韓国人が捕虜収容所で捕虜虐待で批難された過去がある。一部は日本軍上官に良い勤務評価を受けるために必要以上の虐待行為をしたのも事実である。当時国内でも日本警察の手先の韓国人がもっと残酷行為を自国民にしたのも事実だから海外だと変わるわけないか。

今も一部知覚のない韓人年寄りがシドニーで暮らしながら、戦争中、日本軍として功を立てて天皇からもらった勲章を大切に保管していて日本人観光客に見せて誇る例もある。韓人たちには自慢できないことだから日本人ワーキングホリディみたいな若者たちに見せて自慢したら彼らが韓国をどう思うか一度でも考えてみただろうか。正に情けないことだ。解放以降制定された「反民族行為処罰特別法」がありのまま施行されたとしたら処罰を避けられなかったはずの彼らが大手を振るようになったのは国の将来のために大きな不幸だった。

筆者の一族の白山先生は代々に地主階層として多くの土地を所有していたが抗日運動をしながら上海臨時政府の独立資金調達策として自分の土地および他の財産を全部処分しても足りなくなり朝鮮人地主たちを訪ねて物乞いしながら寄付するように訴えたが大部分の地主は一言で拒否した。そこで仕方なく彼は覆面をして地主の家に潜入、寝ている地主に刀を取出し、脅迫、お金を強制に集金したあと、覆面を脱いで自分だと知らせてからその家を出だという。そのように集金したお金を臨時政府に送った。他に満州で学校、農場を設立し、二世たちの民族教育と物産奨励運動をしながら抗日活動をしていたことで無数に逮捕、投獄されたが、結局解放も迎えずに1942年、満州の日本警察拘置所で獄死した。

解放後、上海から帰ってきた臨時政府の要員たちが彼の遺品をみせてもらったところ、彼からもらった資金明細書と彼の遺品の明細書が一銭も違わなく一致することをみて彼らは白山の墓の前で慟哭したそうだ。実は彼らも白山が募金した資金の中、ある程度は自分の生活のために控除したと予想したのに、彼の潔白を疑った自分たちが恥ずかしかったのだ。彼の子孫たちは離れ離れになって、今は慶南の生家だけ残っていて独立有功者の家として国家が管理している。(続き)

シドニー−6−海原の序曲-II

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 19:19 投稿番号: [2963 / 3669]
シドニーブルース−6−海原の序曲−II 2003/10/10 17:55
メッセージ: 5573 / 6027

投稿者: ilkuji
このオージー、猫を二匹育てるのに二匹とも蚤(ノミ)だらけだ。韓国さえも今は蚤や虱が珍しいというのにノミのために眠れないほどだった。授業中、体のあちこちがかゆくて掻きたいけど同じクラスの狐みたいな日本の女の子たちの目か恐くて掻きもできず、なかなか苦しかった。家に戻ってきてあの男に会ってノミのことを話したら自分は大丈夫なのになんで君だけそうなのかと反問する。白人たちは皮膚が荒いのでノミが噛んだって感じもしないはずだし不味いからそうだろうが、それまではいえないししんどかった。

この人、ベランダーの花鉢にモミジみたいな木を植えて毎日水をいれる。マリファナだがクリスマスパーティのとき吸うからと‘my babyがよく育つ’と喜んでいた。彼は片っ方の脚をびっこひいているのに気づいた。脚の血管が曲がっていて機械で引張る手術を受けるようになっているそうだ。クリスマスを迎え、彼の友達が居室にいっぱいになった。彼の要請により筆者も学校の韓国の学生たちを招待した。本来彼は調理師なので各種料理を作って食卓の上においてブフェー式で食べるのに、彼の連中に瞳の焦点がはずれている男がいた。ガソリンみたいなエッキスをちいさな瓶にいれて来ては匂いを吸うようにいわれ、やってみたら頭がくらっとして目眩がする。これを常に吸うから瞳がはずれただろう。

酒が足りなく韓国学生たちがお金を却出、もっと買ってきたのにもこの男、我らが全部飲んだとぐずぐすいう。慣習が合わなく起きた出来事だと思っていたのにこの男は不平を鳴らしながら喧嘩を売る。離れる時期になったと判断して荷物を包んで最初泊まった旅館に戻って来た。実家に帰ってくるように。

その後、筆者は他の州にいって4年ほど住んだ後、シドニーへ戻ってきた。その後、また5年ほど流れたあと、だから約10年後、シドニーの南部にあるパブに入ったとき、酔っ払って大きな声で歌いながらwheelchair に乗っている男がいて近づいてみたら彼だった。さて両方とも脚がない。挨拶をしてから事由を尋ねたところ、脚手術の途中、他の脚の組織を取って移植しようとしたのに間違えて両脚共切断したとの答えだった。たとえ喧嘩して別れた人だがその話をきくと可哀相だった。人生無常というべきか。

シドニー−6−海原の序曲-I

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 19:17 投稿番号: [2962 / 3669]
シドニーブルース-6-海原の序曲-I 2003/10/ 9 18:37
メッセージ: 5567 / 6027

投稿者: ilkuji
20年前、寒さが未だ去ってない2月の下旬、筆者はシドニー行きの飛行機に乗った。豪州とは航海士時節、西部豪州の隠れ港に石炭と岩塩を載せに来ただけなのでシドニーという都市に対して情報がほとんどなかった。

シドニーに到着するととても暑くて冬用洋服を着て来て汗を流した記憶がある。まず食事が提供される旅館で荷物を解いた。一部屋に二人づつ使う古い旅館だったが大部分失業者たちが泊まっていて失業手当てをもらって旅館費を払って朝から酒に酔った姿をしていた。特異なのは、道を歩いてたら三脚をした犬をしょっちゅ見かけることだ。車が多いのでひかられ脚を無くしたケースが多い。韓国では犬がかたわなら売るか無くすけど、ここでそんなことをしたら動物愛護協会の告発により刑務所行きも覚悟しなければならない。

毎朝英語学校まで30分を徒歩で行くのに中間くらいいくと三脚の犬が必ず見守っていて避けるためにカバンをかけたまま走らなきゃならない。そしたら犬が吠えながら追いかけてくるのでもっと早く走らなきゃならない。ジョギングが要らない日常になった。なにより苦役なのは口に合わない飲食を食べるときだが、食パンに入れて食べる豆と赤いスープの匂いに吐き気がして朝ご飯を省略するのが茶版事だ。韓国の鎮海で海軍動員訓練を受けたとき出る飲食、カボチャ総菜、カボチャ汁、カボチャ焼きなど、主にカボチャを材料にした料理だけど変わって臭いのを、それでも一食三副食だというんでいうことがなかった。現役軍人はてんから缶詰を買ってご飯だけもらって混ぜて食べる。今は良くなっただろうか。

豪州にはVegemite (ベジマイト)という食べ物がある。野菜のエキス、チーズ、エナメル食用色素、塩などを混ぜて発酵したものでトストに塗って食べるけど苦い味でなんでこんなことを食べるかと思うほどだ。しかし豪州人には食卓から抜けないほど愛用されている。これを美味しく食えれば豪州人になったといえるそうだ。20年経った今はうちの家にもおいてある。そして美味しすぎる。それでも豪州人になったとは信じない。

数ヶ月経ってから別の家を取って引っ越すことにした。韓国食品店にいってキムチを買いながらご飯の作り方を聞いてそのとおりやってみたらまま食べられる。毎朝 Cockatoo(コッカツー)という鳥が窓辺の木に座って鳴くのにそのうるささが目ざますので目覚し時計がいらない。鸚鵡に似ているが嘴が曲がって体型が大きい。頭がとても賢いそうだ。家主は弁護士だがとても粘っこい人だ。家賃は週払いだけど一日でも遅かったら部屋のドアの前に‘早く払え’と督促状を貼り付ける人だ。韓国人の感覚では細かくみえて頻繁に入ってきてはあれこれ干渉するのが嫌だったので他のところへ引っ越そうと学校側と相談した。そこで紹介されたところが豪州人男が一人で暮らすマンションだが自分の所有だそうだ。

50代くらいの人で船乗りで調理師だそうだ。主に国内港を出入りするので3―4日に一度家に来たらまた3―4日泊まっていくのだが来るたび大きなカバンに冷凍食品をいっぱい持ってくる。厨房の冷凍庫から取り出してくるそうだ。厨房長が叱らないかと聞いたところ、 Who cares?と答える。それで冷凍庫が空いたらいつでも会社側がいっぱい入れてくれるから全然気にしないそうだ。厨房長はトラックで持っていくという。大笑いをした。多分韓国の船なら始末書を書いて追い出されたはずだ。(続き)

Re: 鍋犬さん、最近このトピ

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 18:10 投稿番号: [2961 / 3669]
>原稿,発見されてよかったですね。

お蔭様で・・・オリンさんはほんま
グレイトですね。w

>ちょっと,今から日本に行くので。

いいなぁ。近いのでいつでもすぐ
実家にゆけるし。
飛行機で1時間と10時間の差。
これじゃ行きたくてもしょっちゅうは
行けませんね。www

Re: 鍋犬さん、最近このトピ

投稿者: bosintang 投稿日時: 2006/06/16 16:16 投稿番号: [2960 / 3669]
どうも。

これもひとえにイル氏と白薔薇氏のおかげです。

原稿,発見されてよかったですね。

教育問題が話題になっているので,過去の投稿を紹介。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=706

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&mid=711

別のトピにもいくつか書いたけれど,時間があるときに探してみます。

ちょっと,今から日本に行くので。

Re: 京城帝国大学

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/16 15:30 投稿番号: [2959 / 3669]
>日本帝国は、朝鮮の秀才らに、この大学で教育を受ける機会を付与することで、植民統治に必要な支持層を作っておくのに成功する。教授陣は、100%日本人で、学生の数においては、日本人対朝鮮人の比率は、始終2:1[29]だった。

この数字は当然である。寧ろ朝鮮人が多いとの見方も出来る。
朝鮮に近代教育を持ち込んだのは1911年以降、その間にどれだけの子弟が最高学府に行けると思う?全部が行ける訳ではない。それを現在と比較して少ないと言うのは、理論的に整合性が無い。無理やり植民地統治に必要な支持層に結びつける実態の無いイデオロギーありきの駄文。

前にも述べた通り、日本でも最初の教師は外国人で日本人は殆どいなかった。朝鮮人は近代教育を受け初めて間もない、従って西洋の学問を教える教師がいなかったことを証明しているに過ぎない。

事実に基づかぬ駄文を信じるから朝鮮人は益々「ものの本質」が分からなくなる。

時々、この種イデオロギーありきのサヨクの駄文は、物事の本質を分からせぬよう朝鮮人の愚民化を図る策謀でなかろうかと錯覚する。笑

Re: 近代日本の教育と朝鮮 ⑥

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/16 15:14 投稿番号: [2958 / 3669]
>それに反し、学部の設立認可済私立各種学校は2100余校、生徒数八万余、伝統的教育機関である書堂に至っては
1911年で16,540、生徒数141,604人と、普通学校など比較の対象ではなかった。

書堂は漢字を教えるだけの塾。近代教育をしてはいない。だから韓国が自力で近代化できなかった原因の一つ。

141,604人と言うが、たったの1.4%の恵まれた子弟しか行ってない。

併合前の朝鮮の教育が実際どうだったか、当時を知る両班の手記

筆者紹介   伊東致昊氏は、韓末の栄将尹英烈男の長男として元治元年生、早く米国に遊学明治二十九年韓国外務大臣として複雑多端な当時の外交陣頭に起ち敏腕を振い、併合後は官界を退き開城に今の松都中学の前身たる漢英学院を建設して専ら育英事業に献身努力す、また大正五年に朝鮮基督教青年会長に就任半島青年の父として精神的指導をなして今日に至る

****************

  この意義深い始政三十周年記念日を迎えるに当り、先ず私は朝鮮教育界の七十年前を回顧して誠に感慨無量なるものがある。当時における半島人の教育状況を、方法、目的、範囲等の三つに分けて今日のそれと比較考察してみるに、私の様な八十歳に近い老年のものには全く隔世の感がある。

教育の方法
  即ち当時七歳の私自身が、既にその不完全な方法による極めて狭い範囲の教育によって出発したのだった。
つまりそのころは教育機関として別に政府が施設をするわけでもなく、ただ民間の有力な人人(両班)が書堂というものを普通の有力な家庭に設けて漢文の先生を招き、月謝として一年に籾で何十石かを支払うことになり、方方からこれも一部有力な人々の子孫達のみが集って教育を受けたものだった。
また豊裕な家庭(これも両班のみ)では家庭教師を置いて子弟教育に当ったものだ。

こんなわけで  
教育の恩沢を受けるものは半島人口のほんの一割に過ぎず、後の九割に当る一般大衆は教育から全く除外されむしろ教育の必要すら感じなかった程であった。女子教育においては問題外であった。

目的と範囲
  そんなわけで当時の教育の科目は単なる漢学一方で、特権階級のみが、これを習得して官位を得る一つの試験準備的な役割のみに使われていたものだ。

従ってその教育方法も至って幼稚なもので、朝先生から何章かの漢文を教えられると、それを一生懸命に暗誦して夕方先生の前でその通りに暗誦さえすれば立派に勉強したことになった。

その次が書を習い達筆を期することにあり、再興の過程に達したとき、はじめて漢詩を創り、それで一通りの学問を卒えたことになっており、今日の如く自然科学者が数学とか、美術とかを教える多彩な総合的教育とは凡そ縁遠いものであった、

むしろ才能のあるものが図画のようなものを描いたり跳ね廻って運動でもやるものなら先生から学徒の異端者の如く見られ処罰すら受けたのである。

こんな不完全な教育の中から経国済世に足る優れた大人物が生れ得なかったのもむしろ当然すぎることであろう。

而も此教育制度は李朝末まで続いた。
此誤れる教育制度こそは李朝の滅亡を招来したものであった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当時の朝鮮人自らが書いた手記をみれば、佐野の文がいかに空疎なものかわかるはず。

Re: シドニー−5−セックス教習-II

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 15:05 投稿番号: [2957 / 3669]
余談だが、5年ほど前、韓国の「千里眼」という
ウェブサイトの読者投稿欄にこの原稿を
最後に連載を止めたところ、管理者から
メールが来て当時最も照会数が多かった
話なのになんで連載を中断するのか、続けて
くれないかと誘われて苦笑したことが
あるにだ。www

鍋犬さん、最近このトピ

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 14:54 投稿番号: [2956 / 3669]
売れてるじゃないですか?w
一番回数進度が速いんですけど。w

Re: >朝鮮の教育制度

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/16 14:49 投稿番号: [2955 / 3669]
>こんなのを期待してたんですが。
http://www3.plala.or.jp/seon/desk/edojuku.htm

書堂以外、日本の藩校や私塾のような学校があるとは聞いたことありませんね。
開国以来、外国人宣教師による教会付設の学校というのはあったでしょうが、李朝自らが教育機関を設けたとしても、前述の公立小学校程度だと思います。
そもそも皆さんご指摘のように、近代教育の教師がいなし、身分差別があるのですから、無理な話だと思います。

シドニー−5−セックス教習-II

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 14:48 投稿番号: [2954 / 3669]
シドニーブルース−5−セックス教習−II 2003/10/ 4 10:57
メッセージ: 5515 / 6027

投稿者: ilkuji
男の話によると最初は真剣に英語を学びたくてあの女の家に通ったのに後で自分が払った授業料に比べ、それほどの価値の無い授業だと思い、本金が惜しくて首飾りをもらったという。授業料に花代が含まれたはずがないのに損失を挽回させるためにもらったって笑わせる話だ。もらったというのも矛盾なのは、どんな女が自分の使っている女性用首飾りを男にプレゼントするかな。愛情の証票としてやったとしても、もらう側が物を指定して‘これ頂戴’と要求するって納得ができないことだろう。‘私的なことに私は関与したくない。ただし本来の持ち主が返してほしいというので返すのが正しいじゃないか’と忠告した。男もそうするというんでその話はそこで終えた。

その後あの女に出会ったが1年が経っても未だ返してもらってないという。多分あの男、女がブスで歳が自分より高いんで花代は自分がもらうべきだと思ったわけか。女はオーストラリアを離れた。どこへいくか、どれくらいで帰ってくるかもいわずに、ある日ひょいと行ってしまったのだ。

ある日たまに飲みに行ってことのある日本カラオケクラブのオーナーが来て自分のクラブで働いている日本人ホステスの就業ビザを取ってほしいという。ビザ手続をしながらそのクラブに寄ったところ、あのホステスが挨拶に来たのに、それほど目立つ美貌ではないのに何故マスターはビザを取ってやろうとするのか不思議に思った。後で聞いた話ではお客さんたちに人気があるそうだ。外貌より愛嬌で分け前に与るケースかな。ビザの件で筆者の事務所を訪ねると彼女がお客さんだが筆者が飲みにいくときはこちらが彼女の客なので手を取ったりたまにはキスもした。その後も何回か行ったけどいつの間にか彼女が見えなくなった。

それから又何年かの年月が流れ、首飾り事件の主人公の男から電話がかかってきて‘結婚したので配偶者に永住権を与えたい’といい、手続方法を聞かれた。自分は既に永住権を取ったそうだ。しかし日本で結婚してきたのにまた何結婚かと尋ねると、元の婦人とはもう離婚して新しい女子に出会ったし筆者も知っている女だそうだ。好奇心で私が知っている女子って誰かと聞くとあのクラブで働いたあのホステスだとの答えだった。つまりあのホステスと結婚し、そこを辞めさせたらしい。どうやって彼女と出会ったかと聞くと彼もたまにあのクラブに寄ってたのにそこで彼女と付き合いはじめたそうだ。

ビザ代行をしてやったことしか直接的な連関はないけれど周りの人により縛られた妙な縁というべきか。人口の少ない所に住んでいたらこんなことが起きる確率がもっと高いのか。そういえば筆者は過去、タスマニアにある人口6万の田舎の村で住んでいたけれど一ヶ月経ったら皆が皆を知るというほど狭い世の中になってしまう。狭いとこに住んだら、どうしても身動きが易しくないのも人間の事だろうか。

シドニーブルース−5−セックス教習-I

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 14:27 投稿番号: [2953 / 3669]
シドニーブルース-―5話―セックス教習-I 2003/10/ 1 18:47
メッセージ: 5512 / 6027

投稿者: ilkuji
日本から若い夫婦がシドニーへ観光ビザでやってきた。大した資本金のない状態で日本では暮らしにくく新しい世界へ目を回し運命を換えたかったわけか。ある日、夫婦が市内の日本食堂で昼食を食べながらその食堂のオーナーの話に耳を貸してたところ、ビジネスパートナーを求めているというんである程度投資をして同業をすることにした。しかしビザ条件自体が就業禁止なので筆者に相談をしにきた。過去、食品管理経歴が何年あるというのでその点を最大限強調、適切な手続を通じて二人は就業ビザを取り、2―3年ほど食堂仕事を助けながらお弁当の配達もした。

ある日、筆者の友人のオージー女性が個人相談を尋ねてきたので応じた。女子は毎日専業仕事が終った後、家でアルバイトで非英語圏から来た人たちを相手に英語の個人教習をしていたのに偶然、その日本人男が広告をみて英語を学びたいと言ってあの女子の家を出入りするようになったらしい。どころがこの男が女子の高い首飾りを盗んでいったので筆者にどうすればいいかと尋ねた。盗んだとは所有主がいないとき持っていったとのことだが、その男が持ったいったのはどうやってわかったかと反問したらば自分がいっしょにいたとき持って行ったんで当然見守っていたそうだ。女子の陳述にあやしい部分が多いので、正直話してみろと押した。

女子が諦めた様に答えたのは、実はその男と数回自分の家で英語を教えていたが、師弟の間に英語教習が肉体交接へ発展したらしい。多分英語を学んで交接のとき使おうとしたのかどうかはわからないものの、一旦関係が始まると名目は英語教習だが実際には男女相悦之事を楽しむために会うようになったらしい。教習の前半は英語レッソン、後半は交接という時間表を作ったのか。女はまだ独身だったし男のいない夜が寂しいわけだろうか。それから男はせっかくオーストラリアまでに来たしビザも取ったので先ずは白馬に乗りながら豪州を学びたかっただろうか。

そういう教習が続けていたある日、男が女の化粧台の上にあった首飾りをみては貸してもらいたいといったそうだ。かゆい所(?)を掻いてくれる愛弟子(?)が貸してというんで理由も聞かずに持っていくようにいったそうだ。さて、その翌日から愛弟子が連絡も切ったまま来なくなって焦てただろう。かなり高い飾りなので諦めるわけにはいかないし、そうだと一人で悩んでいても妙策がないので結局筆者に助けてほしいと言ったのだ。その男のビザ申請当時、筆者が担当したことを女は知っていて男のファイルも当然筆者が保管しているし、そこに男の住所と電話番号が出ているのだ。

我らの職業倫理綱領にはお客さんのファイルを私的に利用してはいけないとなっているが、これは貸したのに返してくれないので女が盗まれたというと刑事問題へ発展する要素がある。しかし女がそもそも男にくれたことを男がもう現れないから心が変わって貸してやったといったかも知れないと思うと、二人の間の個人的なことに下手に飛び込むのもできない問題だった。そこでそのままおいといたのに、1年ほど経った後、その男が筆者の事務所にビザ延長問題で寄ったのでそっと聞いてみた。(続き)

シドニーブルース−4−新婦拉致

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 14:25 投稿番号: [2952 / 3669]
シドニーブルース−第4話−新婦拉致 2003/ 9/17 19:12
メッセージ: 5479 / 6027

投稿者: ilkuji
世界的な新婚旅行地で脚光を浴びてる豪州。特にシドニー、ゴルドコスト
もしくはケアンズには多くの日本人新婚さんたちで混んでいる。最近はどこにも
サースのために閑古鳥が鳴いているが。てんから新婚旅行を兼ねて結婚式を
ここに来て揚げて帰る日本人も多い。生涯一度のイベントとして多くの親戚と
友人たちを招待して成婚宣言をする従来の結婚式の概念が変わっていくという
べきか。国内で礼式を揚げるには式場レンタル費用と披露宴などたくさん経費が
かかる。勿論一生一度の行事なので借金をしてもやりたいなら仕方ないけど
費用も節減できて当事者二人たけで外国に来て異国的な雰囲気で挙式しアルバム、
ビデオなどを作ってもらって帰ることが日本では若い世代の新たな結婚慣習
として落ち着いた。祝儀なら本国に帰って披露宴を開き、ビデオとアルバムを
見せながら集金するパタンである。少し余裕のある家庭なら両家の父母を連れて
くることもあるが。

某夫婦は日本で結婚式を揚げたあと、皆がやってるようにシドニーへ新婚旅行に
来た。ホテルにチェックインしたあと、二人は市内観光を兼ねて買い物に出た。
どころがショッピングセンターから新婦がいきなり消えた。一人に残された新郎は
いくら待っても連絡がなく、警察に行方不明届けを出した。比較的に治安がよく、
観光地でいい評判を持ってる旅行業界は勿論、警察の立場でも深刻な問題で
あった。今まで積んできた安全な旅行地のイメージに大きな打撃を受けるように
なった。そういう渦中に消えた二日後、新婦から新郎に電話がかかってきて
「自分は拉致されて今、ゴルドコストに来ている」といわれた。警察は特別斑を
構成、現地へ急派する一片、シドニーでの本人の行跡を捜査しはじめた。連日、
新聞では「新婚旅行中、拉致され」との題名の記事が特筆大書され、放送も
負けずに捜査速報を伝える状況へ発展した。

拉致され一週間経って、新婦がシドニーのある郊外にあるモテルで発見された。
発見というより警察が見つけたというべきか。拉致というのも嘘であり、何より
モテルの部屋で他の日本人男と投宿中だったのが判明された。警察は勿論、現地
言論たちはイメージ回復次元で本人たちに記者会見を提案し、彼らはそれに
応じた。会見中、女は顔を揚げられなく、始終一貫頭を下げた姿勢で座って
いるぶりが、まるで人のパーティに強制動員された鶏みたかった。反面、男は
怒った顔で正面を見つめている写真が新聞第一面の半分を占有していた。
記者たちの追及に遂に女が告白した。実は結婚前から付き合っていた男がいた。
その男と離れて今の夫と結婚はしたが、どうしても前情が忘れられなく密かに
隠し男を連れて新婚旅行に来たのだ。勿論、新郎の男は女が内縁の男を連れて
来るなんて知らずに、後ろから刺されたような形だった。それも3人で同じ
飛行機で来たとか。

ホテルには一旦新郎と投宿したが、女は機会を覗いていてショッピング途中、
逃げたのだ。そして連れて来た男とシティから遠くない郊外のモテルに投宿し
二重の新婚旅行の気分を満喫したのだ。女が拉致されゴルドコストにきている
との電話をかけたのも、警察力を分散させ捜査網から抜け出るためのトリック
だった。ある女の幼稚なイタズラのおかげで治安が良いシドニーのイメージに
損傷を受けた警察が執拗に追跡して揚げた凱歌だった。二人はその足で日本に
帰った。後日談によると日本に着いた途端、二人は別れて各自の実家へ直行し、
十日後、女のほうから先に男の家に電話がかかって来たそうだ。「この間は
ご迷惑をかけて大変申し訳なく、責任を痛感、結婚の破棄を提議いたします」
との内容のメッセージを受けて男側は「そうしよう」と即時応答、二人は別れた
そうだ。

その事件があってからシドニーでは black joke が流行った。「男一人連れて新婚
旅行来るには寂しいからもう一人付けて来い」類の。

シドニーブルース−3−a blue night−2

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 14:23 投稿番号: [2951 / 3669]
韓国女の要求により結婚式を揚げてから女だけ一旦韓国に帰った。永住権を取るためだった。女が帰ってから筆者に来て大使館に出す手紙を作成してくれるように頼むから助けたことがある。、筆者に会う度、これから浮気しないで奥さんのために生きていくと誓ったりした。そうだ。これからいたずらじゃないから以前のように別れないで仲良く暮らすように激励した。食品店は前の女が完全に引き受けたのでこの男は一人暮らししながらワイフが戻ってくるのを待っていた。

1年ほど経ってからその食品店を寄ったとき、彼の前妻がいうには韓国女学生は永住権を取って帰ってきたのに暫くして彼と別れたそうだ。驚いて理由を聞いたところ、たまに女学生が店に来ていうには「自分には学歴差のため、話が通じない。大学院生の私が中卒の男とふさわしいわけない」などと不平したそうだ。最初から学歴差を知らずに付き合ったわけでもないし、それも自分が選択した道なのに今更そんなこというって、多分最初から永住権取得の目的で馬鹿みたいなこの男を利用したんじゃないか。

その後、キングスクロスに行ったが偶然にあの男に出会ったら自分に家にいこうと誘うので付いていった。同じ年頃の男数名がシェアーするマンションだったが暮らしが修羅場だった。「兄貴!糞食う?」というんでなにかと思ったら大麻草を巻いて水瓶にパイプを入れて吸っていた。水瓶の水がフィルト役割をするらしい。女と別れてそのマンションで暮らしながらたまに麻薬を飲んだ女を誰かが連れて来たらグループセックスをしながら住んでいるそうだ。仕事は?と聞いたらあの洗濯場で人の服を洗ってやるそうだ。あの洗濯場も実は前妻の日本人女の再婚相手の韓国人男が運営する所である。

与えられた環境の影響を受けるのも人間だし、それによって人より不利なときもあるものの結局自分の道は自分が決めることじゃないか。そんな馬鹿な男を利用した女も悪いが、そうだと自己放棄して大麻草などを吸いながらなんの希望も無しにただ末梢神経の快楽だけに耽溺するぶりをみながらその場を出る筆者の足が、その夜に限ってとても重かった。

シドニーブルース−3−a blue night−1

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 14:22 投稿番号: [2950 / 3669]
シドニーブルース−第3話−a blue night 2003/ 9/ 9 20:51
メッセージ: 5468 / 6027

投稿者: ilkuji
シドニーの歓楽街、キングスクロスの裏道には海外から旅行に来たバックパッカーたちのためのモテルが整然と立ち並んでて彼らを相手にする洗濯所が一軒ある。今日も寝不足の眼をして働きにくる中年にはいった男がいる。洗濯所だとしても韓国の洗濯屋みたいに服にアイロンをかけたりドライクリニングをしてくれる所じゃなく自分の服を持ってきてコインを入れ洗濯機で洗って脱水機で乾燥させ持っていくぐらいだが。この男には彼なりの公開したくない事情がある。

韓国で中学校に通うとき家でオーストラリアへ移民いくという話を聴いて、移民行けばどうせ同じ教科課程を1年間繰り返すといわれ、のらくらしはじめた。最初は学校にいって様子をみて逃げたが後ではてんから学校にいかずに毎日たまつき場で同じ年頃の子供たちと玉をついたり遊んだりしたらあまりにも楽しかったそうだ。ところですぐ行くといわれた移民が延期に延期を重ねてる間、数年間遊びばかりしていたら同じ年齢として履修する学校課程に遅れてしまった。やっと移民は来たけど自分より何歳年下の級友たちと交わうのもできず、何より基礎学力を積む時期を逃がしてしまい、進度を追いかけて行くのが簡単じゃなかった。そのわけで中学過程を1年ほど通った後、中退してしまった。

とにかくオーストラリア市民なので豪州と日本間のビザ協定によりWHビザで日本にいってある女を付き合った。そしてその女を連れてシドニーに戻って来ては日本食品店を開いた。結婚でもなく同居しながら二人で食品店を経営したが、近所に英語学校が何軒がありその学校に通ってる日本人女の子たちが誘うとおりフリーセックスも楽しみながらそれなりに楽しく過ごした。ある日は近所の英語学校の日本人女子学生が彼に惚れて、一晩のセックスを要求した。男にとっては損することはないが「同棲女に聞かないと」と一旦断わった。そしたらあの学生が彼の同棲女に「ちょっと彼を貸してもらいたい」と打ち明け、許可を取ったそうだ。とにかくセックスの運はある男というべきか。その際、同居していた女と仲がわるくなり結局別れることになった。

別れる直前、女の要求により結婚式を揚げてすぐ離婚した。豪州法に従って女に店を全部渡して空手で出たのだ。しかし引き続きのため、ある期間いっしょに店を運営したのに近所の英語学校に通っていた韓国女学生を付き合うようになった。その女は韓国で音楽大学を卒業しオーストラリアにきて英語を学びながら大学院進学を計画していたのに毎日二人で狂乱の夜を過ごしながら未来を設計した。(つづき)

Re: >朝鮮の教育制度

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/06/16 14:21 投稿番号: [2949 / 3669]
tripさんありがとうございます。

>朝鮮国にも我邦の小学校を真似たる公立小学校あれども

妓生学校はともかく日本の真似をした小学校ですか。
こんなのを期待してたんですが。
http://www3.plala.or.jp/seon/desk/edojuku.htm

シドニーブルース−第2話―新婦強盗

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 14:18 投稿番号: [2948 / 3669]
シドニーブルース―第2話―新婦強盗 2003/ 9/ 4 17:45
メッセージ: 5457 / 6027

投稿者: ilkuji
シドニーの韓国人社会でよく膾炙される有名な実話がある。結婚適齢期の男が
ソウルに出た。そして一級ホテルに部屋を取った後、有名日刊紙に広告を出した。
「豪州で暮らしている僑民医者が新婦を求めている」と。豪州に住んでいて
医者だというから全国的に閨秀のある家では非常状態になった。

一日数百回の問合わせ電話で電話機には火が付き、ホテルは毎日志願者たちで
満員謝礼だった。来るなら来るとおり一名づつ面接をした。そしてその中で
父親が建設会社社長の美人閨秀を選んで豪州に戻って来て結婚式を揚げた。

医者というんで信じて、ついて来た新婦は一・二ヶ月経ったら少しづつ夫の
ことについて疑いはじめた。医者なのに何故朝、仕事に行かずにいつも夕方に
なり、のんびり起きて仕事に出る準備をするのだ。不思議に思って夫に聞いて
みたところ、医者初年生なので夜間当直が多いとの答えだった。

そうかなと思ったが、いくら待っても朝出勤する気配はない。ある日、夫が夕方
出勤するとき、この新婦が尾行をしてみた。医者なら当然病院へ行くべきなのに
大路上の病院を全部通り過ぎて裏道へそっと入る。後ろをついていったら、
そこはある韓国食堂だったそうだ。

実はその男、そこで厨房補助をしていたとの話。騙されたと泣いて胸を打っても
もう遅い。今ごろなら引き返しに女の家族が来て実家へ連れて行くのも茶飯事
だが、その新婦の家は頑固なところがあり、一度お嫁に行かせた娘を引き返す
のはできないと放棄したそうだ。そして女の家から資金を出し彼ら自身の食堂を
開業した。

その際、子供も生まれ、可愛いし自営業なので、それなりに幸せだと女は自慰した。
その男、名字が白なので僑民社会では「白強盗」という別名がついたとの話だ。

>朝鮮の教育制度

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/16 14:04 投稿番号: [2947 / 3669]
>朝鮮の教育制度って何があったの?
>正直書堂しかしらないのだが。

明治37年出版の書物にこういう記述がありました。
参考までに。

-------------------------------------------------- -
近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/index.html
タイトル : 世界の婦人
出版事項 : 東京:現代社,明37.1
著者標目 : 小林,秋子

『(六〇)朝鮮婦人と妓生学校
○亡半死の朝鮮国にも我邦の小学校を真似たる公立小学校あれども、校勢何れも振はず、其最も盛大と称せらるる校舎にても、在校生徒僅か三十名にして、日々実際登校するものとては、僅々十数名に上らず、○○教育の有様いとも憐れなるに、之れに反して其勢いの隆々たるは妓生学校なり、妓生教育とは妓生を養う所にして、一校各百名以上の生徒あり、彼の小学校は無月謝なるに三十名に充たず、妓生学校は多額の月謝を貪るに、○○且つ此くの如く多数の生徒を有するは他なし、朝鮮にては一般平民と、郡守観察使の如き役人とは、其懸隔甚だしく、恰も維新前我国に於ける百姓町人と大名との如き○にて、到底青雲によぢ登るなどは、一般平民の望む○はざる所なれば、妓生学校を卒業して官妓となり、以て大官高位の人に接近し、○○艶言を以て其心を左右し、而して俄然平民に○らんと欲するが故なりと云ふ、所謂半亡国に於ける出世の近道とは浅間しき話にあらずや』
(印字がにじんで読めない字が多く、○で表示しました。なお旧漢字は現代当用漢字に。)

Re: 近代日本の教育と朝鮮 ②

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/16 14:02 投稿番号: [2946 / 3669]
>教育内容が日本より低く、終業年限も当初4年であったことから愚民化と
>いっている。

はあ?愚民化ってのは、西欧のアジアアフリカ植民地支配のように、
馬車馬のように働かせて搾取するようなやり方を言うんだよ。

だいたい、日本と同じじゃないから恨むってどうなんよ?
乗っ取られたり、買収された会社の社員と、親会社の社員が同じ待遇なんてあるか?
そんなの当たり前のことだろ。

あんたのご先祖は日本に土下座するしか能がなかったくせに、
後になって『日本人と同じじゃなかった。。日本と何から何まで同じじゃなきゃヤダ』って恨むのがおかしいんだよ。
慈善事業じゃないんだからさ。

おかしいよ、あんたの頭は。

Re: 近代日本の教育と朝鮮 ⑦

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/16 13:42 投稿番号: [2945 / 3669]
B 1910年〜1919年(3・1独立運動)

この期は、政治的・経済的「支配」のためのむきだしの暴力支配の時期である。

朝鮮人は政策的外形の上でも統治の対象としてのみ見られ、この後の時期の
ような形式的な同一視もなされなかった。

「教育」の特徴は、「併合」前に引き続く、短い教育年限の「愚民化」に端的に
現れ、朝鮮人教員も補助としてしか認められなかった。

植民地人の養成としての総督府の「教育」方針は、自立を希求する朝鮮人の姿を
「徒に空理を談し」ととらえ、この地に設定されるべき「教育」の目的を
「実に就き(略)勤倹の美風を涵養する」とする、「併合」の公表された
1910年8月29日の統監寺内正毅の論告に明かにされている。

その「愚民化」ともいえる「教育」制度の枠組みはすでに完成されていた。

そのため、すぐに植民地教育制度を宣言することなく、「朝鮮に於ける朝鮮人
の教育は本令に依る」という「朝鮮教育令」は、翌1911年8月23日になってから
公布された。

この時点における日本人・朝鮮人の「教育」の目的の違いは、制度としても明らかであった。

普通学校4年、高等普通学校4年という短い教育年限は、せいぜい社会において日本人の
下で日本語を話す朝鮮人を養成しようとするものであった。

そのことは師範学校を認めず、日本人と同じ資格をもつ教員とはしないということにも
現れていた。

かたや、日本人の補助としての地位には朝鮮人を必要としていた。

普通学校教員でいえば、日本人の校長の下に、朝鮮人教員を配置するという構成である。

それがために、高等普通学校、女子高等普通学校に、師範科、教員速成科を設け、本科卒業後
、一カ年の師範科を経て訓導とし、あるいは本科二学年修了後、教員速成科を経て副訓導とすることとしていた。

高等普通学校を経由するという経済的負担を前提とし、かつ経済的条件を通じて日本の「支配」への
従順さをみるという形で、選別がなされたことがうかがわれる。

また、初期の官立高等普通学校の生徒は、旧韓未の高等学校を承継していたためか、1914年までは師範科も設置せず、
それまでは朝鮮人は訓導となることも認めず、副訓導に留める方針であったことが感じられる。

なお、この他に「廃止せられた旧官立漢城師範学校の事業及び生徒を承継した」ものとして、
「京城高等普通学校附属臨時教員養成所」があった。

三カ年であることから、資格はやはり副訓導とされたものと思われる。

この養成所は、1913年には日本人中学校卒業者をも受け入れ、普通学校の日本人教員と合わせ
養成するようになり、後の京城師範学校第二部(普通学校教員養成)の基ともなる。

日本人の場合は、中学校卒業後一年間の教育であったので、資格としては訓導となり、
養成所卒業後一〜ニ年で校長として朝鮮人教員の上に立つようになっていた。

また、朝鮮内における日本人教育に関しては、早くも1911年に「朝鮮総督府中学校附属臨時小学校教員養成所」が
設置されている。

これは1921年、に「朝鮮総督府師範学校」となり、翌1922年には、「(第二次)朝鮮教育令」の公布とともに、
京城師範学校第一部(小学校教員養成)となっていく。

朝鮮において朝鮮人の教育より、日本人の教育が優先する課題として考えられている事は、これまた
「植民地」の「教育」の一つの特徴といえよう。

シドニーブルース−第1話−悲恋−2

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 11:58 投稿番号: [2944 / 3669]
シドニーブルース−第1話−悲恋−2 2003/ 8/26 20:21
メッセージ: 5390 / 6027

投稿者: ilkuji
その食堂にある日、異変が発生した。顔が小さく体が細い奇麗な20代のウェイトレスが入ったのだ。日本人社会では肉の味よりもうあの娘さんを見にいくという話がでるほど人気者になった。彼女は韓国で女警察出身であの店のオーナーのめいだそうだ。男はみんな用事もなく誰もが彼女にいいかけたりデート申請もする。筆者の会社の広告を出しているある日系新聞社の営業担当者は同行した筆者に通訳を頼んで熱心にデート申請をした。この男、結婚指輪を指からそっと引張りだしポケットに入れたあと、野菜皿を持って来た彼女に「週末にはなにをするのか」と聞いた。その娘は乗馬練習しに行くと答えたところ、男曰く「私が馬になってやれば駄目か」と懇請した。

筆者との記者のインタービュー記事が韓国系新聞に載ったあとからこの娘さんの態度がすこしづつ友好的に変わるのを感じだ。たまたま「酒を飲みすぎると良くないよ」とか心配の言葉もかけてくれた。当時独身だった筆者はある日、日本女性のお客さんを連れていった。なかなか美人だったがそのウェイトレスが我らを見た一瞬、表情が冷たく変わる。それからその日に限ってとても不親切に筆者を待遇した。わけが分からなかったが仕方なかった。次にいったことろ、他の女従業員が耳打ちしたことは、その娘さんが実は筆者のことが好きだったが奇麗な日本人女性を連れて来たのでとても傷ついたそうだ。多分恋人だと誤解したらしい。その後、その娘さんがみえなくなり、みんなわけを知りたがったが、噂によるとお嫁にいったそうだ。傷ついたままに。

ある日は日本人秘書を連れていって食事をしながら酒を飲んでいたら隣のテーブルに一人で座っていた男がこちらに声をかけた。韓国語はしゃべっているものの、少し片言だと思ったら、自分は日本人で奥さんが韓国人だと自己紹介をした。隔意なしに対話をしていたら、この男、みんなで一緒にカラオケボックスに行こうと提案した。そこでいっしょに出ていって彼が住んでいるコリアタウンに行って奥さんを呼び出した。階段を織りて来る奥さんはあのウェイトレスだった。筆者も慌てたが向こうもとても慌てたらしい。暫くあの二人で話してから日本人男が筆者に来て奥さんが行かないというと伝えた。ぼっとした状態で車を運転して帰って来た。お嫁にいった相手があの男だったのか。わけがわからない秘書は「せっかくここまで来たのに」とぶつぶついう。

あと数年経って、筆者も結婚して家族を連れてコリアタウンへドライブにいって韓国ビデオ屋に寄った。子供を抱いてテープを借りにカウンターに立っていたらある中年女性が子供を抱いて入口を入り筆者に挨拶をする。別に会った記憶がないと思って無視したのに近づいて隣に立つのをみたらあのウェイトレスだった。挨拶をして簡単に話したら自分の子供も2才だそうだ。いきなりビビアン・リー主演の「草原の光」という映画の場面が思い出した。

死ぬほど愛してたが運命は二人を分けておいて最後には他の女と結婚した男が子供を抱いてビビアン・リーに会って挨拶だけ交換してまた別れるのが最後の場面だと憶えているけど、彼女と筆者も偶然に予期してないときにそんなところで会ったが二人共それぞれ子供を抱いてお互いをぼっと見つめることで終わった。たとえ映画みたいに熱烈な愛の表現はしなかったものの、内心お互い好んでいてても終にそれぞれの道を歩いていってしまったのだ。帰って来る車の中で悔恨が満潮のように押し寄った。草原の光よ、花の栄光よ。

シドニーブルース−第1話−悲恋−1

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 11:57 投稿番号: [2943 / 3669]
シドニーブルース−第1話−悲恋−1 2003/ 8/26 20:19
メッセージ: 5389 / 6006

投稿者: ilkuji
愛も名誉も名も残さず一生涯進もうとの熱い誓い。
同志は消え、旗だけ翻って新天地が来るまで動揺するな。
年月は流れても山川は知っている。起きて叫ぶ熱い歓性。
先に立って進むので生者よ、従え。 先に立って進むので生者よ、従え。

シドニーの韓国領事館と米国領事館の前で拳をぐっと握って力一杯歌ったこの歌。白起完先生が作詞したこの歌は本来死んだ人の立場で「先に立って行くので」という歌詞だたが後で「進むので」へ変わった。韓国で拳闘選手として60年代を風靡し、隠退後、拳闘解説家としてTVに週末拳闘番組を定着させたA氏はシドニーへ移民を来た。またB選手のコーチとして韓国拳闘界の巨木だったC氏も豪州に移民を来てシドニーに定着した。今はお二人共古希を眺める歳だがシドニーに韓国拳闘界の二巨木が住んでいるのは偶然だろうか。

当時B選手のコーチとして活躍したC氏はその選手が日本遠征競技中、薬物中毒説を提起し側近としてその事件に連累され韓国の中央情報部に引っ張られものすごい困辱を受けた。競技がはじめるとき、なんとなく力がなくなったと選手がコーチに訴えたがコーチは多分疲れただけだろうと耳を貸さなく競技を続行させ結局負けだのだ。それを後で選手が薬物に中毒されたろうという噂が流れ、そのコーチが相手方に買収され薬物を選手を飲ませたとの疑いを受けたのだ。でも証拠がないので有耶無耶で釈放された。ところが何故情報部がそんなことまで関与するかときくかも知れないが情報部は当時無所不為の権限を持っていてなんでもできだ。スポーツさえ統治手段で利用した朴政権にとってはコーチ一人引っ張って拷問することはなんでもないことだっただろう。

ノテウ執権当時、国内状況は林秀卿の訪北事件や白骨団によるデモ学生殺害、それによった抗議焚身などなど連日、難政局だった。シドニーに住んでいた留学生と血気旺盛な居留民の青年たちが奮起したのは自然的な現状だった。当時タクシ運転をしながら生計を立てていた筆者は偶然に彼らのノテウ政権への反対運動消息を接してカンタベリにある彼らの本部を訪ねた。

みんな学校に通ってて留学生活に経済的に貧乏な彼らが運動をしていることに感銘を受けて参加を決心した。一銭でも稼いでいる筆者が焼酎でも一本持っていて彼らを慰め、助言し、自分自身も知らなかった事実もたくさん学んだことを否認できない。後ろで物心両面で我らを助けてくれた巨木お二人に感謝と敬意を表したいと思う。

当事、林秀卿の 訪北事件に連累し拘束された我らのメンバーのために本団体が情報部の国際課の要注意対象になり、情報部の奴等が直接巨木の一人に自宅に行って数日間いろいろの狼藉を働いた。今振向いても正に情けない国の情けない奴等だった。

そういう渦中に拳闘解説家だった方が生計を立てるために食堂二階にあった倉庫を改造し簡易食堂兼酒場を開いた。天井をきれいに修理し、ゴミが積んでいた倉庫を掃除、ドラム缶を改造し食卓を作り、炭火をつけ、肉を直接焼いて食べるようにした。前代未聞の食堂だけどお肉が美味い。わずかドラム缶3―4個で始めた事業だった。最初は運動メンバーたちの会食で通ってたがその頃コンサルティング業務をはじめた筆者が何回か日本人お客さんを連れていって試食をさせたところ、口コミで伝えられ、もうお客さんの中、日本人が半数を上回るときもある。案外にそういうスタイルの酒場がシドニーの日本人社会でヒットしたのだ。

今は内部を拡張し階段も改築して、ままわるくない食堂になった。筆者は車で40分かかるそこまで日本人お客さんを頻繁に載せてやって、もう常連客も多い。その食堂が開かれて商売がいいといわれ、韓国人社会で同じ業種が続いて立った。しかし元祖には勝てないはずだ。まだ他の店でそんな味を味わったことはない。(続き)

Re: 近代日本の教育と朝鮮 ②

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/06/16 11:45 投稿番号: [2942 / 3669]
>教育内容が日本より低く、終業年限も当初4年であったことから愚民化と
いっている。

これを差別というなら分かるが普通愚民化とはいわないんじゃないの。

>0ではない。朝鮮は文明3000年の歴史を誇る国家です。
当然教育制度もあり日本が0からすべて学校を作ったと言うことは間違い

朝鮮の教育制度って何があったの?
正直書堂しかしらないのだが。これは私営でしかも漢文しか教えていないと思うが。
日本だと庶民には寺子屋があり、各藩には藩校があったけど朝鮮には藩校に対応するものがあったの?

>学校を作っただけで朝鮮人は貧しさのために就学率は30%前後と言われている。卒業性も入学時よりはるかに少ない

確か併合末期には50%を超えたと思うけど、併合中期まではそんなものかな。
で前の4年制の話だけど貧しくて就学率30%だったら6年制にするのはかわいそうなんじゃないの?もっと勉強したければ上の学校だってあったわけだし。

>施設を作っただけで義務教育制度は1943年に1946年より実施するという計画
があっただけです。

これも就学率が低い段階で教育を強制する必要は無いと思うが。
また1面で最低1校できれば2校ぐらいないと義務にするのは無理だと思うけど。
1946年実施というのはやっと学校の数が整った結果じゃないの。
ちなみに簡易国民学校へいけば学費は無料でした。まあ授業数は少なかったけど。

船窓夜話シリーズを終えながら

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 11:37 投稿番号: [2941 / 3669]
船窓夜話シリーズを終えながら 2003/ 8/23 16:32
メッセージ: 5355 / 6027

投稿者: ilkuji
2002年9月6日に海洋手記という題名で始めたこの手記はほぼ1年に

かけて読者の方々と哀歓を一緒にして来ました。喧嘩と和解を繰り返した年月。

拙作でありながら良い友人を切っ掛けになりました。友情のある建議、

アドバイス、忠告、叱りなどなど去った1年間は民間次元での韓日友好について

色々考えさせるいい機会でした。日本に暮らしたことのない筆者がいかに

ネット上で真剣に友好関係を建ててゆけるか、それはお互い虚心坦懐な姿勢で

相手を理解しようと努力する態度から始めることじゃないですか。シリーズを

終えながら特に、暖かい友情で包容してくれたフッカー氏。氏は連載途中で

お仕事が忙しく書込みを中断されました。もう一度ネットで会いたいですね。

それから旅人木さん、マーボーおっさん。おっさんがいらっしゃらなかったら

船窓夜話も無かったはずです。感謝しております。あまり怒らないように

お願いします。(笑)その他、親旧犬鍋氏は出版のとき校正を提供しております。

深く友情に感謝します。ユスラ氏、漢字しりとき会、楽しみにしております。

サルチン氏、いい友でした。オリン妹、愛しているよ!
シブ教授、どうもありがとう。近いうちソウルで会って屋台で焼酎を

飲みましょう。その他、方々と楽しく、ときには喧嘩しながら
もお互い学ぶことはあったと思います。

拙作を出版するようになると来日しますんで、そのときは宜しくお願いします。(笑)

予告しましたとおり新しい連載物として「シドニーブルース」がはじまります

ので相変わらずご愛読、喧嘩をお願いします。(爆)簡単だけど、このしリースの

終わりにします。皆様どうもありがとうございました。


一求知より

船窓夜話ー第三十弾(最終編)―帰国−3

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 11:35 投稿番号: [2940 / 3669]
船窓夜話―第30話(最終編)―帰国―3 2003/ 8/23 15:13
メッセージ: 5354 / 6027

投稿者: ilkuji
さらに疑惑を呼んだのは当時事件の直前、問題の航空機では乗務員たちが意図的に客席の窓のシャッターを全部下ろしたとのことだ。夜なのでわざと下ろさなくてもいいのに何故そうしただろう。もしかしてソ連空軍機が出動することを予想し乗客たちに見せないためじゃなかろうかと。ゼイムスボンド映画のようにあの飛行機の機番が007だったのもアイロニだな。

話が back to the future みたいに未来に向ったが、日本の成田に到着したときは既に丸一日間飛行機に乗っていたのに気が付いた。成田から大阪まで国内線で着き空港の近所になるナラベというホテルに投宿した。遅くcheck inして疲れたが帰国前夜に異国で一杯しなくてはと思い、同僚といっしょにホテルの前にあるホルモン焼き屋によった。1年3ヶ月の乗船生活を振り向けば複雑な気持ちになった。歯に噛まれるホルモンは乗船生活ほど固かった。お酒を一本全部飲んだと記憶する。夜遅くホテル部屋に戻ってきて実家に電話をしようと手話機を取ったら女のうめく声が聞こえる。多分別の部屋の電話線と混線しているようでたまに男の声も聞こえる。その部屋では男女間の情交を楽しんでいるらしく、一人で寝る他人の心に葛藤を煽る。

翌日釜山行飛行機を取り帰国した。空港で荷物を持って市内バスに乗るとみんな変な目でみる。カバンに荷物標がついてるので飛行機から降りたのは間違いなさそうだけどタクシに乗らずに市内バスかとのことだろう。全てが終わったとの安堵のため息と共に二度と船には乗らないと決心したのもその頃だろうか。

(大尾)

船窓夜話ー第三十一弾(最終編)―帰国-2

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 11:33 投稿番号: [2939 / 3669]
船窓夜話-第30話(最終編)-帰国-2 2003/ 8/23 15:10
メッセージ: 5353 / 6027

投稿者: ilkuji
パリー離陸後10何時間を飛行してアラスカのアンカリジについた。いったん着陸し、みんなで降りた。空港ロビーで2時間の休憩時間が与えられた。その間航空機は機内掃除および燃料供給をうけ再び離陸するようになる。空港ロビーの中でもかなり寒く感じた。こんな寒い国に住んでいる人口も少なくないとわかったとき人間の環境適用力の限界はどこまでかと思わせた。他ならないここでその3年後、さすがの航空機が離陸し世界の言論を集中させた事件が発生するようになる。

1983年5月ニューヨークの空港を離陸した大韓航空機1台がこのアンカリジに寄港、ソウルを向って再離陸したあと永遠に帰って来ない旅に立ったのだ。当時乗客リストには296名が搭乗したことになっているのに実際はもっと6名が乗ったという。その6名は誰だろうか。一説によるとアメリカのCIAというけど勿論、米国側は極口否認している。当時アメリカ人乗客の中には共和党の強硬派上院議員が乗っていたが執権党の共和党の大統領のレイガンはソ連空軍による民間航空機撃墜事件を「悪の帝国による蛮行」と規定し糾弾することで凄い政治的利得を取ったしソ連など共産国家に対する圧力カードで使うことで彼の軍備増強路線に力を載せてやる契機となった。

事件の経緯については、アンカリジ離陸後、飛行中コンピューター故障でソ連領空を侵犯したとのことが大韓航空の主張だが信じにくい。当時新聞にはカムチャカ半島とサハリンを混同して機長が領空を侵犯したことに気づかずに運行中というけどカムチャカ半島とサハリンは遠いので信憑性のない主張である。そしたら真実は何だろう。大韓航空機がソ連領空に入る3時間前、すでに同じ領空を侵犯した航空機があった。米空軍戦略爆撃機が同じ領空にはいって大きく8字を描きながら飛行した。カムチャカにあったソ連空軍基地では超非常がかかり、戦闘機が発進待機中だった。そうするとあの米空軍機は公海上へ逃げたのだ。

そういう超非常状態で今度は大韓航空機が同じ領空に入ったのだ。例のソ連空軍機が出動し民間航空機であるのを探知し、左右でエスコートしながら問題の航空機に無線、発光信号などを送り着陸するように指示したそうだ。しかし大韓航空機はこれを無視、最後に空軍機が動体信号さえ送ったそうだ。これは他の手段が通じないとき最後の手段として翼を振って着陸を指示することだ。そかし民間航空機は着陸する意図をみせずに飛び続けたそうだ。そこで空軍機は地上の本部に下命を要請、本部は撃墜しろとの命令を下達したのだ。こういうことで北海道にあった日本航空自衛隊の基地レーダーのスクリン上であの航空機は永遠に消えてしまったのだ。

アンカリジの空港ロビーで問題の航空機に搭乗しようと待機していたある韓国人家族と偶然に同じソファに座っていたあるアメリカ人中年男子がその家族の中、8才ぐらいの女の子を見て「お前、可愛いね。お名前は?」と聞いたことがある。その男は目的地の違う他の飛行機に乗ったので別れたが後でその事件が起きたのを新聞で読んで「あの可愛い子供がそんな惨事に会ったとは」と哀痛していたそうだ。運命の擦れ違った悲運の遭遇というべきか。

アメリカ側は事故後、飛行機の black box を太平洋上で回収したが大韓航空側に渡さなかったし、記録を公開していない。そもそも乗客リストに無い6名は何故搭乗したし black boxの返還を拒否している態度に対し多くの人たちが疑問を提起しているのも事実である。米国がソ連の防空網をテストするためCIA要員を載せて機長にわざとソ連領空へ入るように要求したとの説が有力だが、これに対してアメリカ側は「そしたら何故民間航空機を入れたろうか」と反問する。しかし疑問を提起した側は「むしろ民間航空機なのでまさか撃墜はしないだろうと計算したんじゃないか」との反論も手強い。(続き)

船窓夜話ー第三十弾(最終編)―帰国-1

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 11:32 投稿番号: [2938 / 3669]
船窓夜話―第30話(最終編)―帰国-1 2003/ 8/23 15:06
メッセージ: 5352 / 6027

投稿者: ilkuji
ヨーロッパ航路に投入され、北海と地中海を縫い走っていた頃、1年の乗船契約期間がほぼ完了する時点で船長が船員を一人一人呼んで契約期間を延長しないかと誘っていた。船員を全員交代させるには本国から新たな船員を送出すべきで帰国する船員たちの費用もかなりかかるのでできれば既に採用していた船員を継続雇いたいからだろう。筆者にも昇進してやるからそのままいるように誘ったが、家にも行けずに苦労したのにもう一年乗るのが想像もつかないので一言で断った。2等航海士は1等にしてやるというから嬉しくて継続乗船すると言ったらしい。大体そのようにして半数は残り、半数は離れるようにしたのに、残るグループは大体船長や1等航海士と衝突しトラブルを起こした側というのがアイロニだった。

どころが下船1週間前、会社から電文が来て「人力送出会社が替わったので全船員交替になった」とのことだ。新たな会社側から自分たちの船員を乗せるとの意味である。トラブル起こし実力もないのにこの機会で昇進しようとした船員あちの夢が霧散されたのだ。フランスのセルブール港で全員交替した。セルブールとは映画「セルブールの傘」の舞台になったところだが観光もできず新船員たちとの引き続きと引き受けが終わったあと、みんな待機中のバスに乗りパリーを向って出発した。バスに乗り走りながら今度こそ帰国するのかと思い安堵の息をついた。

6時間ぐらい続けて走り、夜遅くパリーの市内に到着した。パリーの市内は車道が建物より低くなっていてノンストップでバスや乗用車が全速疾走するのが異彩だった。ホテルに荷物をおいて帰国のお土産でも買おうとショッピングに出た。当時はフランスなら有名ブランドのランコム化粧品を買うべきだといわれ、コンパックトと口紅をいくつか買った。店の女性店員が「ジャポン?ジャポン?」というから何だと思ったら日本人かとの質問だった。コリアと答えたら「あ、コレー」という。他の店で東洋人店員がいるので日本人かと聞いたところベトナム出身だけど日本語もできるというので何ができるかと聞いたらば、「スズキ、ホンダ、トヨタ」というのでみんな笑った。

翌日荷物を持って降りてきたら食事をしようというのでロビーに繋がっているレストランに入った。何かが出るのでさっさと食べてみんな起きるのに又何かが出てくる。再び座って食ってから立ったのに又座るようにいわれた。後でわかったのが前菜、メイン、デサートの順で出てきただけだ。メインだけ食べてた癖があり田舎者に見えたはずだ。常に果物ぐらいは食後、食べたけどな。パリーの空港で飛行機に乗った。

日本航空のせいかほとんどが日本人乗客だった。当時はソ連領空を過ぎないように北極を通過、アラスカ経由、日本到着で乗換える旅程だった。食事が終わると乗務員たちが窓のシャッターを全部降ろす。北極を通過する航路なので夜は無く毎日昼間だけ持続する白夜現状があり、シャッターを降ろさないと眠れないわけである。映画ばかり観るのも退屈なので寝ようとしたら再び食事、食事の後、睡眠、食事の順番が繰り替える。下を眺めたら雪に覆われた白い氷しかみえない。継続座っていたら足に痺れが来そうで後ろにいって大きな窓を通じて下をみていた。

傍にある日本女性が立っているのでことばをかけてみた。団体で1週間のヨーロッパ観光を終えて帰るOLだそうだけど優しく答えてくれるので好感を持ち簡単に自己紹介をしたあと彼女の連絡先をもらった。30分ぐらい経ってから再びあの窓にいったら先のあの女性が近づいて来て、さき渡した自分の住所を返してほしいという。自分は帰ってすぐ結婚するからもしかして他の男から手紙が来たら夫が疑うからだと言って「すみません」という。わかったと住所の書いた紙を渡すと握手をされた。毎時に細心な女性の繊細さを感じた同時に少しほろ苦い気分だった。最初に試した機内恋愛はそういうわけで失敗裡に終わったのだ。(続き)

船窓夜話ー第二十九弾―NZのカモメ

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 11:29 投稿番号: [2937 / 3669]
船窓夜話―第29話―ニュージランドのカモメ 2003/ 7/29 18:36
メッセージ: 5169 / 6027

投稿者: ilkuji
総トン数1万トンを超える大型貨物船、M/V Asia Graceは日本で年次ドック修理および検査を終えてニュージランドへ向かった。今回の航程で山の中の鬱蒼な雨林から生産される抱えを越す原木を日本へ運搬する任務を任せられた。高級家具の材料で使われる原木は大人二人が腕を開いてやっと手を繋げるほど大きな木である。鏡みたいに静かな太平洋。運のいい航海だった。

常に12ノットが精一杯だった船が一時間に15ノットで走った。ドック中、羽の切られたプロペラーを新しいものに交換したためだった。ところで筆者の当直時間には18ノットで走る。不思議だなと思って機関室のコントロールルームに電話をかけたら三等機関士がわざとRPM(分当回転数)を上げたという。パイプも漏れるので治療を受けたくてもっと早くNZに着くためだと平気にいう。陸地で買春したのがネックでパイプから濃が出るのでかなりつらいらしい。そうだとしてもETA(入港予定時刻)よりは早くついても荷役作業に入るまで滞船料がかかるのでいいことではない。いったんスピードをダウンさせ、正常速度を維持した。Mountain Manganui という入港予定地を目指して二等航海士は海図に航路を描き、巨大で速力のいい船は南太平洋を気勢よく切った。

朝はやく田舎っぽいちいさな港に到着、錨を降ろし、入港手続を待っていた。さて2時間ほど経ったのに又出港のスタンバイベルが鳴る。間違ったポートに入ったとの電文をエイゼントからもらったのだ。NZには処女航海の船長および二等航海士の手落ちにより本来予定地より北の方にあるMangonuiに入ったのだ。地名が似ていたので混同したのだ。Mountain Manganuiとは正式名称じゃなくTaurangaというポートにある島の名であるが、慣例的にそう呼んでいたのだ。船長は恥ずかしくなり、顔が真っ赤になってその夜、サロン士官たちを呼び、ウィスキーを暴飲した。

船員なら誰でもNZに行きたがる。それは荷役施設が不十分なので人力にもっと依存していてその分、荷役期間がもっと長くかかるし、労働組合により統制される陸上人夫たちは少しでも雨が降ったり強風が吹いても作業を中断し帰ってしまうから船員たちはゆっくり余暇を楽しみながら上陸もできる。もうひとつ良い点は遊び女たちが船に乗船、同居もするとの、当時では破格的な話を聴いたからである。NZは人口3百万ぐらいで人口より羊も数が多く、結婚できない男が羊と獣姦をするとの信じにくい伝説を持ってる国。聴いたとおり接岸したあと、 本船に女たちがさっさと集まり始めた。原住民のマオリ族と白人の混血女がいるかと思ったら金髪の純粋な白人女もいる。みんな家ではやることのない女性だろうか。年齢も20―30代ほど。不幸に彼女らは筆者のような幹部船員は好きじゃないという。なんとなく官僚的な雰囲気がするからかなぁ。

上がって来た女たちは皆ベッドルームの下にある一般船員たちと各自パートナーを決めてから同居をしはじめた。そして船員が外出するときは一緒に出かけて買い物もするしDBバーで踊りながら人生を楽しむ彼女ら。非難する必要はないはずだ。今度は一等航海士が何かをみせてやった。外出してバーで付き合った女性に誘われ、彼女の家で一泊しながら交接を楽しんだことまでは良かったけど、朝、いきなり入って来た若い男が夫だと思って驚いたらしい。けどその男は彼女の息子だったそうだ。お母さんの新たなセックスフレンドに挨拶しに入ったという。でも、どうしても年齢帯も似ているあの息子が気になって朝ご飯も断わって逃げて来たそうだ。夕方にはみんな本船に戻ってきて食堂でディスコパーティで徹夜しながら船員たちは楽しく遊んだ。

2週間の荷役を終えて出港するときは涙の離別の場面もみえる。そして次の船が入ったら又新たなパートナーを作り、楽しく遊ぶ彼女ら。NZのカモメと名づけてみた。

船窓夜話ー第二十八弾―助平女―3

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 10:14 投稿番号: [2936 / 3669]
船窓夜話―第28話―助平女―3 2003/ 7/26 17:19
メッセージ: 5158 / 6027

投稿者: ilkuji
入った途端、女がまた特有の性欲が発動したらしく手が荒れの辺りに来る。恥ずかしくてルームのライトを暗くしたら女がびっくりして明るく戻す。理由を聴いたところ暗くしたらそれこそ外から怪異と思い、覗くかも知れないとのことである。エンジョイはするけど周りを徹底に意識して行動するぶりが、どうみてもプロである。堪らないのか、女はパンティを脱いで 自分のハンドバックに入れてからソファーに横たわってフェラを要求する。当時には女性として大胆な要求だった。恥ずかしすぎるけど仕方なくアソコを舌で愛撫してやったら女は耐えられないのか短い悲鳴を上げる。やはり塩分の多いせいか塩辛かった。到底堪らないと女は立ち上がって出ようという。

後ろをついていくと女はスカートの中にノーパンのまま、立っていて私にサックを買って来いという。スカートは便利なもので他人は知るはずがない。しかし昼間にサックを買いに薬局に入るのが恥ずかしくて惑っていたら女が堂々に薬局に入りそれを買って来る。そして二人で松島行きのバスに乗った。

海辺の絶壁の上に立っているこざっぱりした旅館にチェクインした。赤色の煉瓦屋だったと憶えている。部屋に入ったら女は早速ヌードになる。勿論ノーパンなので脱ぐのも簡単だろうが。サックを差し込み正常位で挿入した。その当時騎乗位とか、後背位、駅弁などは想像もつかなかった。ところが別に膣壁に触れる気配がない。アソコを使いすぎで伸びたのか。いわば茫々大海に船一隻みたいなもんだ。それにルームサロンで飲んだ酒のせいかなかなか出ない。仕方なく女が手で射精させた。そして外にでて別れた。女は未だノーパンのままでバスに乗る。女がある日、性交を頻繁にする女は太股が細いといったけど多分自分のことだとわかった。

数日後、再び喫茶店で会うと女がにやりと笑いながら‘(その行為は)無かったことにしよう’という。その後にも女は発情するたび電話で私を呼び出し、私は性の奴隷になり出ていくしかなかった。ビザが下りて出国する日、空港に出る直前に女から又電話がかかって来た。来いという。オーストラリアに行くと言っても信じない気配だ。そして別れた。1年経ってから一時帰国したらその間、女から何回か電話がかかってきたと家族にいわれた。今はどこで性を満喫しているだろうか。(終)

巡査の居る風景五

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/06/16 10:13 投稿番号: [2935 / 3669]


  趙教英はぼんやりと、暗い旧アメリカ領事館の前を歩いて居た。彼は考えるともなく、昨夜来の事を考えて居た。
  ………昨夜家に帰ってから、又急に署長から呼び出しがあったのだ。彼は急いで署に行くと、恐る恐る署長室に這入って行った。署長は黙って彼に一枚の紙と日割の給料の袋とを渡した。ははあ、来たなと思った。四五日前、徽文高等普通学校の生徒とK中学の生徒とが大勢で喧嘩をした。その懲戒について彼は課長と少し言い争ったのだ。
  彼は黙ってその紙切れを受けとって表に出た。それから(家には帰らないで)灯の中を暫くさまよって、其の金を握ったままふらふらと、S門外の淫売屋にはいって行った。そして今晩の今になって、やっと出て来たのであった。…………
  彼は今それを遠い昔のことの様に思い出した。
  薄い霧が低く這って居た。街燈の光が街路樹の枝を通して、縞になって鋪道に落ちた。「一体、どうしろと云うのだ。」と、彼は濁った頭の奥で、何だか他人のことでも考える様に考えた。
「彼等はどうなるのだ。」妻子の青白い顔が目前にちらつき初めた。
  と、ふと彼は、彼の知って居る裏通りのある二階屋の一室のことを思い浮べた。
  其処には粗末な椅子が五六脚と、手製のテーブルが一つ置いてある。テーブルの上には蝋燭が二本立って居る。蝋燭の光はそこに集った同志達の顔をおぼろげに照し出す。赤い顔をして卓を叩くもの。髪をかきむしって考えて居るもの。黙って紙の上に鉛筆を走らせるもの。みんなが前途の希望に燃え立って居るのだ。やがて彼等の間からひそひそした相談が洩れる。「京城―上海―東京」「…………………」…………………。
  彼はぼんやりとこんな有様を画いて見た。そして自分自身の惨めさをそれに比べて見た。「どうにかしなくてはいけないのだ。とにかく。」

  気がつくと何時の間にか殖産銀行の横に来て居た。冷たい扉を閉した此の大きな石造建築の柱の蔭にはチゲの群がその担架を横に捨てたまま石ころの様に眠って居た。
「オイ、オイ。」彼は煙草臭い彼等の中に身を投ずると、その中の一人を揺り起そうとした。「………………。」何か訳の分らぬことをいいながら、其のチゲは脂だらけの眼を眠そうに一寸開けたかと思うと、直ぐに又閉じて了った。うるさそうに痩せた手を動かして、教英の手を払いのけて一つ寝がえりを打つと、白い田虫に囲まれた其の口から長い煙管がコトンと鋪道に落ちた。
「お前は、お前たちは。」突然何とも知れぬ妙な感激が彼の中に湧いて来た。彼は一つ身を慄わすと、彼等のボロの間に首をつっこんで泣き初めた。
「お前たちは、お前たちは。此の半島は………此の民族は………。」
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http://www.wao.or.jp/library/nakajima/junsa.htm

船窓夜話ー第二十八弾―助平女―2

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 10:12 投稿番号: [2934 / 3669]
船窓夜話―第28話―助平女―2   2003/ 7/19 16:56
メッセージ: 5061 / 6027

投稿者: ilkuji
その際、私は下船してオーストラリアに行くためビザ手続をしていた。ソウルを何度も往復を繰り返していたら何週間後、女から又電話がかかってきた。出てみたら、まま奇麗な顔をした女の友を連れて来ていて‘暑いから2泊くらい3人でバカンス行こう’と誘われた。釜山にも海水浴場はあるけどいつも混んでいるし水が汚いので静かな海に行きたいというから学校のとき、同窓生たちといっしょに行ってた鎮河にいくことにした。

女の友がいうには女が二人、男は一人で自分に不公平だと不満そうにいうけど、いきなりもう一人の男をどこかから連れてくるのも無理なので三人で行こうというと、そしたら‘男の私を公平に剃刀(かみそり)で切って分けよう’という。剃刀の話が出たら男のアレを切られた事件などが思い出してひやっとしたがしょうがない。上手くいくと女二人を連れていって3Pをする幸運もあるはずだと期待をしたかどうかは憶えていない。

剃刀話がでたら思い出す事件がある。一時期「女子高校時節」という歌で人気歌手になった女がいた。一方当時に放送社に人気DJがいて彼が育てて人気歌手になったケースがかなりあったのにその女歌手もこのDJが育てた。無名の歌手を一躍人気歌手へ上乗させた功もあるので大川海水浴場に連れていって遊びながら女に体を要求したらしい。そしたら女は剃刀を取出してアレを切ってしまい、自分も死ぬと騒いだ事件である。とにかく女刈りに上手いのはいいが剃刀には気をつけないとあの方面の人生が終ることもあるからな。

約束日の朝、あうようにした釜山駅の広場にルックサックを負って行ったけどいくら待っても女たちが見当たらない。一時間広場を徘徊したが無駄で家に帰ってきた、後で女に会ったらむしろなんで来なかったと怒る。どこで待ったかと聞くと駅の待合室で待ってたが来ないので寝ばかりしたという。本当かどうかはわからない。

ある日は二人でバスに乗り走ってたところ、人たちは一人二人皆降りてしまって後ろの席に座った二人だけ残ってたのに女が小遣いあるかと聞きながらいきなり私のズボンのポケットに手を入れてお金を探すぶりをする。その手でそっとアレを触るので自分も無意識的に‘うん、気持ちいい’というとそのまま触り続ける。バス運転手がバックミラーで見ては怪訝な顔つきをする。女の手の動作はみえないけどなんか表情で分かったかな。その日も排泄できなく可哀相なアレだけ冷かされた。

ある日会ったときは女がきっと観たい映画があるというので南浦洞の釜山劇場にいって当時のアメリカ映画「The postman rings bell twice」をみることにした。韓国題名が「郵便集配人はベルを二回鳴らす」であり、内容はあるごろつきが人の家に仮に居住していたがあの人妻と不倫関係を結び、ふたりで逃げ出したが女が横死するとの内容である。その映画が韓国で上映をはじめたら全国の郵便集配人たちが決起した。“我々が人妻を誘うごろつきか”と上映を中止しろと。

実はアメリカでは postman は郵便集配人の意味じゃなくごろつきなのに題名翻訳が間違えて起きた寸劇だった。米国英語と英国英語の違いがここにあるというべきか。あの映画の場面の中、ごろつき役割のジャック・ニコルソンが主婦の女と台所の調理台の上で開く激しいラブシーンを女は観たかっただろうが。映画が終わり、喫茶店に座ってる女は暫くその場面を反芻するように戦慄していた。そしてまたルームサロンに行こうと誘う。(続き)

船窓夜話ー第二十八弾―助平女―1

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 10:10 投稿番号: [2933 / 3669]
船窓夜話―第28話―助平女―1 2003/ 7/18 19:41
メッセージ: 5057 / 6027

投稿者: ilkuji
遠洋船で世界を一周した後、再び対日船で勉めていた頃の出来事である。釜山から日本の神戸まで一度往復したら三日、また三日休んで出港するので家族のある人は家庭生活ができる。停泊当直中、逃げて家に行って来たり外で誰かに出会えるので遠洋船と比べて個人的な時間が持てるのが便利だった。南浦洞で市内バスに乗った。始発点から出たばかりのバスなので中はほとんど空いていて習慣的に一番後ろの左側窓際の席に座った。

次の乗場に着いたら若い女性三人が上がって来て二人は私の傍に、もう一人は私の前の席に座り、休む暇もなくぺちゃくちゃしゃべる。形勢をみたら三名の女に囲まれた状態だった。そろそろ痩せ我慢が発動した。海兵隊の訓練所での中尉のいったことが思い出した。‘バスの中で好きな女が見つかったら先ずは彼女の目を直視しながら足を踏め。それが彼女には相当の衝撃療法で効くはずだ。そしたら女が慌てて降りるはず。そのとき追いかけて降りろ。その後は能力により食うか食われるかだろう。’これ、無料で女刈りの講義をしているのね。

座っているので足を踏むのもおかしいので、とりあえず“お嬢さん!”と呼んだ。三名の視線が一斉に私に集中した。“面白い話、私も入れてください”というと“いいわよ”と答える。その後は1対3でこちらから対話をリードしていた。大体三名の身分を対話と服装をみて判断、全部当てた。驚いた彼女らは“どうしてそんなによくも当てるの?”と聞く。それで“女性心理学を勉強したいる”と答えた。実はその中尉から教えてもらったこともあるし、制服時代の刈り経歴もあるが・・・乗客はだんだん増えてきたが対話の花はバスの後ろで満開した。皆、羨ましさ半分、嫉み半分の目付きで我らを見つめていた。私も海兵隊の赤い名刹を付けてみた者なので気おされるわけにはいかない。

暫くの間、話をしていたら降りるところに近づく。名刺を持っている身分でもないので紙に自分の名前と電話番号を書いた。みんなが見つめているところで三名全員に渡そうとしてもカサノバみたくて駄目だ。誰に渡すかを悩んでたら傍の傍に座ってる姉ちゃんが一番気に入るので後ろから渡した。あの女性は“そしたら、ここで降りましょう”といったけど、少し息抜きをしたほうがいいと思って‘連絡して’と言ってから皆の視線を受けながら満員バスから降りた。

十日ほど経ってからあの女から電話ががかって来た。会おうというので出て見たら西面にあるルームサロンだけど一番奥のルームで待っていた。座ったらすぐ私のアレに手が来る。慌てたが気分が悪くはなかった。しかしながら軍事訓練の際に女刈り方は学んだが刈った後、食べる方法は学んでないのがあまりにも惜しかった。ただ女の手がズボンの上からアレを冷かすままにおいとくしかできなかった。旅館でやるなら基本動作くらいは知っているものの、いつ、誰もが入るかわからない所で何かをするなんて未だ想像が付かない状態で葛藤だけ増えて来る。その日はビールだけ飲んで別れた。(続き)

船窓夜話ー第二十八弾―中央洞にて―2

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 10:09 投稿番号: [2932 / 3669]
船窓夜話―第27話―中央洞にて―2 2003/ 7/12 17:52
メッセージ: 5003 / 6027

投稿者: ilkuji
外国人が来たとき、その国の初めの印象は税官員であり彼らをみたらあの国が分かるというけど当時、税官員たちは相当腐っていた。船員たちが袋を取って埠頭を出るとき、お金やお土産やをもらって通過させ、もし袋持っていないと面白くないからわけもなく船に来て言いがかりを付けたり脅迫する。そのわけで彼らも頻繁に替わるけど。

1級舵手も実家が釜山なので袋を売って小遣いにもするし、家に行くたびお金をすこし作っていく。会食をするときは女を触るくせがあり、酒場で触ってて外に連れて来てもさわりつづける。偶然に同じ村にある人参茶室のママが気に入って当直時間たびにあのママの話しかしない。その間、あのママと望みの性交が成功したらしく、物凄く誇っていた。

1航士は家が鎮海にあり、海軍水兵出身で性格が豪放で遊ぶときはあっさりした人である。反面、船長は全羅道出身で、出身は関係ないが小心で性格が鋭い人だ。タバコも酒も飲まない人で女好きかは知られていない。二人は常に対立し神経戦を開いたりした。ある日、日本から機械を載せて当時、造船所を建てていた玉浦に入るようになっていたが台風の余波で船があまりにも揺れてほとんど沈没直前だった。波がおそり込みブリッジの下まで水が上がって来て船は葉のように揺れた。そして心を空けた。死ぬなら死ぬと。そしたら恐れが消えた。

船長は1航士が見えないとわざわざ連れて来いという。寝ている1航士を連れていったら「この非常状態に当直じゃないって一人で寝むれるか」と叱る。翌日の朝、玉浦に到着したとだん、私だけ残って皆上陸に出てしまった。生返って来たとマッコリパーティにいったのだ。やっと生返ってきたのに一人で空いた船を守るのは辛かった。

釜山に寄港して酒場で飲んで女をさわり、傷を慰めながら上司を悪口したらストレスがすこし解ける。中央洞の裏道に無数に並んでたあの豚カルビ屋はまだあるのか。袋売って酒飲んで、交通費に女にチップ払ったらしたらポケットは又空く。そしたらまた来日を約束し袋を取りに行く。ごく一袋持ってきてルームサロンで渓谷酒でも飲めるなら幸せな暮しだろうか。

船窓夜話ー第二十七弾―中央洞にて―1

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 10:06 投稿番号: [2931 / 3669]
船窓夜話―第27話―中央洞にて―1 2003/ 7/12 17:51
メッセージ: 5002 / 6027

投稿者: ilkuji
五六島の向うの水平線上に落ちる落照を眺めながら暫くぼっとしていた。ある年、年暇を取り、家で休んでいたとき、友といっしょに松島海水浴場にいったことがある。いきなり冬の海が観たくなったわけか、それとも海の上で見る海と陸地で眺める海は感じが違うからだろうか。多くの東西古今の有名詩人が海を歌ったが、彼らの海は船で見つめる海、すなわち自分がそこにいる海より、はるかに遠く、浪漫的な面が目立つ詩が多いのではと考えてみた。陸地で見る海には台風もなく、波の揺れもない。彼らがもし船上で詩を書いても同じ興奮と情緒に基礎した詩が作られただろうか。

とにかく誰もいない寂しい初冬の海を眺めながら浜を歩いてたらいきなり冷たい雨さえ降り始めた。雨はすぐアラシになり、取っていた傘をうるさく叩く。雨を避けるために近所の酒場に入った。酒場だとしてもテーブル二本くらいしかない小さなところだが、焼酎に魚鍋を頼んだ。土砂降りの海を見つめながら焼酎を飲むのも、それなりの韻致があった。特に唐からしをいっぱい入れて真っ赤に作った魚鍋はよく似合う酒の肴だった。

友と二人で焼酎を一本づつ飲み終えた頃、赤い傘をかけた女の子が一人で浜を歩いてる姿が目に入った。雨の海には貝が皮を開けるように女が現れるのか。誰が冷やかしをするかを友に聞いたところ、自分は恥ずかしくてできないそうだ。そこで海兵隊の訓練を受けた無敵海兵の精神で「俺が取りに行く」と公言して席を離れた。といっても酔ったのも勇気を煽る作用をしたんじゃないかな。

女の子に近づいて誘った。驚いたぶりをする女の子は静かに断わった。23才くらいかな。このとき先ずは断わらないと、それこそ女の魅力が半減するはずだ。もう一度誘ったところ、「縁があれば今度また会うでしょう」との答えだった。縁がなかったせいか未だに会ったことはない。あの女の子を思い出してタバコを吸っていたとき、電話ベルが鳴る。

一等航海士のどろりとした声が電話の向こうから聞えて来た。今すぐ中央洞の酒場に来るようにいわれた。出港がその夜なのに飲んでもいいか心配しながら埠頭を出てその酒場を訪ねた。1航士はホステスを抱いて私に一つ教えてやるという。タバコを口に噛んだまま女の口へ伝えるとのことだ。多分新入者の私の気をくじくためだろう。

新任航海士のとき、脚の裏に火が付くほど忙しく走りまくって働いていて、偶に中央洞にある船舶会社の事務所に寄ると全然違う世界みたかった。若い女たちがのんびり週刊誌を読んだり女同士で笑ったりする。そのとき、女に言葉をかけたのがきっかけで掴まって結婚した同期生もいる。

新任三等航海士として初めて乗船した船は対日船だった。当直は1級舵手と一緒だったが、30代半ばで腹が少し出た人だが、もの凄く女好きだった。 対日船で国籍船なので給料が少ないため、生活がきつい。船員たちは袋(物品)商売をする。日本に行って医薬品や、こま油、こま、味噌など農産品を少量買って来て売る。たまに規模の大きくやる者もいたが。(続き)

船窓夜話ー第二十六弾―薮医者

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/16 09:45 投稿番号: [2930 / 3669]
船窓夜話―第26話―薮医者 2003/ 6/21 17:12
メッセージ: 4610 / 6027

投稿者: ilkuji
甲板員たちの日課は主に貨物を載せたり降ろす起重機の運転、甲板および外板ペンキおよび掃除、貨物倉掃除および管理である。貨物を降ろした後、ゴミで汚くなった貨物倉を掃除しないと次の貨物を載せるとき困る。甲板長を作業番長にして甲板員全員が貨物倉に降りていって掃除し、ゴミを出した後、水ホースで洗う。少なくとも総トン数1万トン以上の貨物船は貨物倉の深さが70―100メターに至る。階段を降りるとき注意しないと床の上に墜落し死亡か身障者になることもある。

ある晴れた日、波一点ない明鏡之水みたいな南太平洋を航海していたとき、甲板員たちが水ホースで床を洗ってした。その中でも階級の低い4等甲板員がホースの先の鉄ノズルを取っていたのに重くて疲れるので暫くノズルをしばらく行かせた。そうするとノズルは水圧により揺れながらその甲板員の顔面を無慈悲に打ん殴った。

航海当直でブリッジで勤めていた筆者に急な連絡が来て降りてみたら右目の眉毛のあたりを鉄ノズルで強打され血を水道水みたいに流してした。医者のいない商船では簡単な救急処置で使う薬品しかない。船内医薬品担当航海士として筆者ができることは抗生剤軟膏を塗って包帯で巻くだけだった。処置を済ませて残りの当直を終えて部屋に戻って来た。そして書類業務をし夕食後、夜間当直に上がっていた。

しばらく夜の水平線を見つめていたら甲板員一人が再び上がって来てどうしても患者の血が止まらないと報告した。4甲員の部屋にいってみたら他甲板員二人が横になっている彼の顔を交代で血を拭いていたが止まらなくそのまま置いたら血液不足で生命の危険な状態だった。茫々大海で寄港する所もないし・・・

慌てて薬品倉庫に行って全てのクスリを調べたがほとんどスペイン語で書いてあって何が何かが全然分からない。前任航海士がスペイン寄港時に薬品を仕込んだようだった。長い間迷っていたとき、平たい缶を見つけて蓋を開けてみたら薬品の付いているガーゼだった。もしかしてという心でそれを患者の傷につけた。そうしたら嘘のように血が止まった。後で分かったけど、それがパラピンガーゼで止血用で使われるものだった。全く体験で学んだ医薬品知識というべきか。そういえば前任航海士との引続きのとき、スペイン語を勉強しなさいと言われたことが思い出した。スペイン語がわからないと患者が死ぬべきか。

ある日は下級船員同士で酒飲んで遊んでたがつい喧嘩が始まった。ところで喋っている途中で相手の拳で顎を打たれて自分の歯により舌が切断された船員がいた。舌が切られた人は喋られなく出血しながら吼えるから皆怖くて近づけなかった。二日くらいそのまま置いといたら唖子になるはずだった。

筆者は手術用針と糸の代わりに普通の服修繕用の針と糸を持ち、切られた舌の一片と本体を縫合してみようとした。麻酔剤があるわけないので患者は痛くてかんかんになって飛び上がる。そこで数人が手足をしっかり握って動かないようにさせて縫合手術を敢行するほかなかった。数日後、患者の口を開けてみたら幸いに舌は貼ってあった。難術だった。
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