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呉天錫『韓国近代教育史』

投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/02/03 17:55 投稿番号: [711 / 3669]
>>書堂の数は1908年に約1万。1912年に1万6540ヵ所、14万1604人、1918年に2万4294ヵ所、26万4835人。
>この数字は総督府資料にもとづくものですか

そうです。
Kmechanさんは、総督府の数字に相当な不信感をもっているようですが、総督府が書堂の統計を捏造する理由がありますか?   私には思いつきません。

>「彼らは私立学校や書堂などの民族主義教育機関を抑圧し、自分達の植民地統治に有用な下級技術労働力の養成だけを策した。」
「当時官立普通学校は収容能力がかなり制限されていただけでなく、学費が高く、わが労働者や農民、そして都市貧民には教育の機会が与えられなかった。

「1920年には各地に夜学が設立されたが、これらの夜学は民族主義の色彩が強く、教える科目も朝鮮語中心であった。
そしてどの夜学も朝鮮語で授業を行い、朝鮮文をもっとも重視することで官立学校とは対象的であった。そのため日帝は民族主義的色彩が濃い夜学を弾圧し閉鎖させ、一面一校主義施策を強行し公立普通学校を
増設し   と韓国教科書にありますが、
この夜学については書かれていないのでしょうか

私の持っている、森田芳夫『韓国における国語・国史教育―朝鮮王朝期・日本統治期・解放後』と、呉天錫『韓国近代教育史』(原著1964、翻訳1979高麗書林)の2冊には、1920年に夜学が隆盛したという記述は見あたりません。

呉天錫は、1920年から35年までの教育の発展状況を次の3期に分けています。

1.上昇期(1920-25)
1920年に全国に595校しかなかった学校(普通学校)は、26年には1336校に増え、収容学生数は107,200名から448,990名へ増加。6年間で学校数で2倍以上、学生数で4倍以上、学齢児童の就学率は4.6%から17.6%。
2.沈滞期(1926-32)
世界恐慌の影響が韓国に及び、農産物の価格が暴落して農村経済の不況がもたらされた。この6年間に学校数は1,336校から1,929校へと、前期同様約600の増加をみたが、学生数は438,990から512,604とわずか73,000の増加にとどまり、就学率も、18.9%と、1.3%の成長にとどまる。
3.回復期(1932-35)
農村簡易学校制度と、1面1校の完遂により、学校数が31年の2,543から35年の3,563へ、学生数が587,951から863,195へ増加。
(2,3における数字に大きな食い違いがあるが、理由は不明。出典は大野謙一『朝鮮教育問題管見』京城、朝鮮教育会、1936)

〈参考〉
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=4z9qbfma4o4abbza4rbcna4fa4ka4na4ga49 a4aba1a9&sid=1835396&mid=675
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