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近代日本の教育と朝鮮 ⑥

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/16 04:11 投稿番号: [2920 / 3669]
教育制度にみる日本人・朝鮮人の差別的処遇

本節においては、植民地朝鮮における日本の教育を、教育制度と政治、経済、社会の変遷
を中心に時期区分し、其の中での日本人と朝鮮人の位置をあきらかにする。

時期区分に関しては教員養成制度にのみ着目すれば、自ずと別の区分もあり得るが、
教育政策全般の中でとらえ返したほうが、より位置付けしやすいと考えた。

各期の最初に、各時期の特徴を概観するので、各区分の意味はそこに譲る。

A.1894年(甲午改革)〜1910年(韓国併合)

この期は、いわゆる韓国「併合」以前であり、本来「日本教育史」として観察することは不遜なことである。

しかし、その後の準備過程として、明かに日本政府の意思が働いており、かつ1905年以降
に至っては、完全に「併合」後の施策に連続する政策をみることができる。

また植民地学務官僚の意識においてもこの時期は連続したものとしてとらえられている。

近代における日本と朝鮮の関係は遅くとも1870年から見て行かねばならないが、ここでは
近代的学校法令等がだされる1895年前後から見て行く。

ただし「大日本国大朝鮮国終好条規」が調印された翌1877年には、すでに釜山に日本人小学校が開設されていること、そのために、1927年には釜山及び釜山教育会によって「釜山教育50年史」
なるものがだされていることは、覚えておくべきであろう。

1894年、金弘集政権による「甲午改革」がなされた。

これは一面、封建的制約を取り除く「近代化」であったが、あくまでも日本の資本の利益のためのもの以外にはなり得なかった。

つづく1895年に「漢城師範学校官制」「同校規則」「小学校令」「小学校教即大綱」等、一連の近代学校法制が出されている。

しかし、このとき、庶政の改革にすでに日本人顧問が関与し、例えば「漢城師範学校規則」において
、その「教育の要旨」として示されているところを見れば、当時日本で通用していた1892年文部省令第八号
「尋常師範学校ノ学科及其程度改正ノ事」による尋常師範学校の教育の要旨との類似を見て取ることが出来る。

1905年、日韓協約により日本の介入は制度的にも確立され、学部には幣原担が参与官として参画した。

「統監府」の設置された1906年、学校制度も改編された。

この時点から普通学校(小学校を改称)の教科に日本語が加えられ、地理、歴史において「隣邦」が強調
される等、日本への隷属の意識がはかられている。

一方、教育年限の短縮に見られる「愚民化」など「「併合」後、朝鮮でおこなわれた日本の植民地支配の前提
となるようなものが、すべてこの過程でできている」といわれている言葉が、教育に関しても妥当している。

師範学校をめぐる法令をとり上げてみれば、先の「漢城師範学校規則」に代わる「師範学校規則」において
、その「教育の要旨」に新たに四項が追加され、日本の1892年尋常師範学校の教育の要旨と完全に一致して
しまったこと、「尊王愛国」の語が「尊君愛国」にかわっている点などに、日本の意図と、その法令整備の
過程がみてとれる。

また、「教育」の実質的担当者という側面からみるとき、各普通学校には朝鮮語も知らない日本人が「教監」
として派遣され、事実上校長として朝鮮人教員の上に力をふるっていた。

当時の言葉でいうところの「高等程度諸学校」すなわち成均館、法学校、漢城師範・高等・外国語・高等女学校.、
平壌高等学校等の教員構成を見てとれば、1908年、日本人32人対朝鮮人61人、1909年、42人対74人、1910年、
48人対71人と、日本人教員が三分の一を占める割合であった。

しかし、このように制度の制定に際し、日本が力をふるい、その意図を実現したといっても、未だそれは表層
に留まるともいい得るものであった。

1910年時点で普通学校は、官立一、公立五九、私立(補助指定私立学校-政府より日本人教員一人と朝鮮人教員もしくは
二人を派遣)四一、計101校、その生徒数は官公立あわせて12,732人、私立4,214人であり、その中には当局者が
「所謂模範教育の範囲に入らなかった」という「乙種公立普通学校」も含まれている。

それに反し、学部の設立認可済私立各種学校は2100余校、生徒数八万余、伝統的教育機関である書堂に至っては
1911年で16,540、生徒数141,604人と、普通学校など比較の対象ではなかった。

民衆の間では「子供を普通学校に入れると男の子は卒業後内地に連れて行って兵隊にして鉄砲の玉除けにするのだ。
女子は内地に連れて行ってカルボに売るのだ」という言われ、入学勧誘も困難であった。
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