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Re: 近代日本の教育と朝鮮 ⑥

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/16 15:14 投稿番号: [2958 / 3669]
>それに反し、学部の設立認可済私立各種学校は2100余校、生徒数八万余、伝統的教育機関である書堂に至っては
1911年で16,540、生徒数141,604人と、普通学校など比較の対象ではなかった。

書堂は漢字を教えるだけの塾。近代教育をしてはいない。だから韓国が自力で近代化できなかった原因の一つ。

141,604人と言うが、たったの1.4%の恵まれた子弟しか行ってない。

併合前の朝鮮の教育が実際どうだったか、当時を知る両班の手記

筆者紹介   伊東致昊氏は、韓末の栄将尹英烈男の長男として元治元年生、早く米国に遊学明治二十九年韓国外務大臣として複雑多端な当時の外交陣頭に起ち敏腕を振い、併合後は官界を退き開城に今の松都中学の前身たる漢英学院を建設して専ら育英事業に献身努力す、また大正五年に朝鮮基督教青年会長に就任半島青年の父として精神的指導をなして今日に至る

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  この意義深い始政三十周年記念日を迎えるに当り、先ず私は朝鮮教育界の七十年前を回顧して誠に感慨無量なるものがある。当時における半島人の教育状況を、方法、目的、範囲等の三つに分けて今日のそれと比較考察してみるに、私の様な八十歳に近い老年のものには全く隔世の感がある。

教育の方法
  即ち当時七歳の私自身が、既にその不完全な方法による極めて狭い範囲の教育によって出発したのだった。
つまりそのころは教育機関として別に政府が施設をするわけでもなく、ただ民間の有力な人人(両班)が書堂というものを普通の有力な家庭に設けて漢文の先生を招き、月謝として一年に籾で何十石かを支払うことになり、方方からこれも一部有力な人々の子孫達のみが集って教育を受けたものだった。
また豊裕な家庭(これも両班のみ)では家庭教師を置いて子弟教育に当ったものだ。

こんなわけで  
教育の恩沢を受けるものは半島人口のほんの一割に過ぎず、後の九割に当る一般大衆は教育から全く除外されむしろ教育の必要すら感じなかった程であった。女子教育においては問題外であった。

目的と範囲
  そんなわけで当時の教育の科目は単なる漢学一方で、特権階級のみが、これを習得して官位を得る一つの試験準備的な役割のみに使われていたものだ。

従ってその教育方法も至って幼稚なもので、朝先生から何章かの漢文を教えられると、それを一生懸命に暗誦して夕方先生の前でその通りに暗誦さえすれば立派に勉強したことになった。

その次が書を習い達筆を期することにあり、再興の過程に達したとき、はじめて漢詩を創り、それで一通りの学問を卒えたことになっており、今日の如く自然科学者が数学とか、美術とかを教える多彩な総合的教育とは凡そ縁遠いものであった、

むしろ才能のあるものが図画のようなものを描いたり跳ね廻って運動でもやるものなら先生から学徒の異端者の如く見られ処罰すら受けたのである。

こんな不完全な教育の中から経国済世に足る優れた大人物が生れ得なかったのもむしろ当然すぎることであろう。

而も此教育制度は李朝末まで続いた。
此誤れる教育制度こそは李朝の滅亡を招来したものであった。

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当時の朝鮮人自らが書いた手記をみれば、佐野の文がいかに空疎なものかわかるはず。
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