南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
>重慶爆撃
投稿者: syubinohito 投稿日時: 2005/06/10 11:43 投稿番号: [5920 / 41162]
重慶爆撃についての話題についてでしたので、
まずそちらのほうの結論を得ることからはじめてはどうかと思ったものですから。
それと、以前にあまりにも詳細な意見の相違から話題からどんどん外れていったのを見ていましたから、
あんなのは御免こうむりたいと思いましてね。
あなたのテリトリーの軍事カテで思う存分議論していただくのが適当かと思います。
これは メッセージ 5919 (ja2047 さん)への返信です.
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>>上海爆撃
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/10 10:20 投稿番号: [5919 / 41162]
>その点についてはほかのところでやってください。
主題は一般市民への無差別攻撃か否かですね。
中国空軍による上海誤爆が一般市民への無差別攻撃であると主張しているのはでりちゃんです。
あなたもこの主張がおかしいと思うと言うことでしょうか?
これは メッセージ 5918 (kintakunte2002 さん)への返信です.
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>上海爆撃
投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/06/10 07:54 投稿番号: [5918 / 41162]
その点についてはほかのところでやってください。
主題は一般市民への無差別攻撃か否かですね。
これは メッセージ 5917 (ja2047 さん)への返信です.
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援蒋ルート
投稿者: ja2047 投稿日時: 2005/06/10 06:03 投稿番号: [5915 / 41162]
>重慶爆撃と援蒋ルートを結びつけた研究成果というのは、特にわかりません。
他の方でわかる方がいれば、教えていただきたいです。
当時の重慶というのは中華民国の「抗日首都」のわけですから、
そういう意味では援蒋ルートの終点と言うことになります。
重慶市街壊滅を企図した百一号作戦の開始時期に、海軍軍令部次長名で
出された1940年4月10日付の『海軍要務令続編(航空戦之部)草案』には、
次のように書かれています。
「軍事政治経済ノ中枢機関,重要資源,主要交通線等敵国要地二対スル空中攻撃ヲ謂フ」
「第七十四
要地攻撃ノ要ハ作戦ノ推移二即応シ主トシテ戦略的要求二基キ,敵ノ軍事政治経済ノ中枢機関ヲ攻撃シテ其ノ機能ヲ停止セシメ,又ハ重要資源ヲ破壊シテ作戦ノ遂行ヲ困難ナラシムルト共ニ,敵国民ノ戦意ヲ挫折シ敵ノ作戦二破綻ヲ生ゼシメ,或ハ敵ノ主要交通線ヲ攻撃シテ兵力ノ移動,軍需品ノ補給ヲ遮断スル等戦争目的ノ達成ヲ容易ナラシムルニ在リ」
(『海軍要務令続編(航空戦之部)草案』
1940年4月10日)
このうち、
「要地攻撃ノ要ハ作戦ノ推移二即応シ主トシテ戦略的要求二基キ,敵ノ軍事政治経済ノ中枢機関ヲ攻撃シテ其ノ機能ヲ停止セシメ,又ハ重要資源ヲ破壊シテ作戦ノ遂行ヲ困難ナラシムルト共ニ,敵国民ノ戦意ヲ挫折シ」
の部分について言えば、これは立派な戦略爆撃であり、
都市恐怖爆撃を意図したものということになりますが、
「或ハ敵ノ主要交通線ヲ攻撃シテ兵力ノ移動,軍需品ノ補給ヲ遮断スル等戦争目的ノ達成ヲ容易ナラシムルニ在リ」
の部分を、「援蒋ルート終端の破壊」と解釈すれば出来ないこともないでしょう。
これは メッセージ 5913 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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『暗黒大陸中国の真実』
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/10 01:45 投稿番号: [5914 / 41162]
これは メッセージ 5911 (gorompan さん)への返信です.
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重慶爆撃
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/10 01:38 投稿番号: [5913 / 41162]
重慶爆撃と援蒋ルートを結びつけた研究成果というのは、特にわかりません。
他の方でわかる方がいれば、教えていただきたいです。
1938年から始まった重慶爆撃は当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたのですが、重慶市街にも相当数の支那軍側の対空砲台があり、そのため日本軍の被害も増大する状況となったので、1940年6月頃になって作戦指導部は市街地域の徹底した爆撃を決意しました(海軍航空隊・巌谷二三男氏、陸軍航空隊独立第一八中隊・河内山譲氏の証言)。
これらの証言には「絨毯爆撃」という言葉が用いられたりしますが、我々が東京大空襲などでイメージする絨毯爆撃とは実態は違っていると私は考えています。
重慶爆撃の場合、犠牲者はそれほど多くはなく、『重慶抗戦紀事』(1937−1945、中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編、1985年8月刊)によると、犠牲者は、1938年から1943年の約5年間で1万1889人です。
1940年後半から、日本軍が、支那軍の対空砲火陣地だけではなく、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃をしたことは事実でしょうが、それ以上の爆弾投下は爆弾等の物資の無駄遣いとなります。
ですから、支那軍が上海で行った故意にホテルやデパートを狙った爆撃や米軍が行った東京などの住宅地への焼夷弾による絨毯爆撃や広島・長崎への原爆投下と同列にするのが間違いで、それは5年間で1万人強という重慶爆撃の犠牲者の少なさが証明していると考えています。
南京戦の前にも後にも提出した日本政府の和平案を蹴って重慶に逃げ込み、その重慶の市街地から対空砲火で日本軍機を攻撃したのだから仕方がないのです。
最初から民間人密集地を狙った支那軍による上海爆撃やアメリカ軍による原爆投下や東京大空襲とはまったく異なります。
まとめると、
1.支那軍が対空砲台を市街地に設置していた。
2.1938年から始まり、当初は飛行場や軍事施設のみを攻撃していたが、相手の被害が少なく味方の被害が増大していった。
3.1940年後半からは、蒋介石政権の軍事政治経済の中枢機関、重要資源、主要交通線等を爆撃するようになった。(決して住民狙いではない)
4.したがって、証言には絨毯爆撃という言葉が使用されたりしているが、東京大空襲のような住宅地への焼夷弾のばら撒きとは違うので犠牲者は少なかった。
5.戦争の早期終結への願望も要因としてあっただろう。
よくある回答で、あまり、お役に立てずに申し訳ありません。
(参考)
旧日本軍が行なった重慶爆撃は無差別爆撃なのですか?そしてこれが無差別爆撃の先鞭をつけたとは本当ですか?
http://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000089.html
これは メッセージ 5909 (nmwgip さん)への返信です.
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1.『パール博士のことば』
投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/09 22:14 投稿番号: [5912 / 41162]
『パール博士のことば』(東京裁判後、来日されたときの挿話)
田中正明著
■「パール判事に学べ」
産経新聞は平成6年8月18日のオピニオンアップで大きく「パール判事に学べ/見直したい東洋の誇り」と題する主張を尾崎諭説委員の署名入りで発表した。パール判事とはいうまでもなく極東国際軍事裁判(俗称・東京裁判)のインド代表判事ラダビノード・パール博士のことである。この裁判で11人の判事のうちただ一人、被告全員無罪の判決(少数意見)を下した判事で、尾崎氏は次のごとく述べている。パール博士の外貌をわかりやすくデッサンしているので、やや長文であるが引用させていただく。
《ラダビノード・パール(1886〜1967年)。現在、どれほど多くの日本人がこの恩人の名をご記憶だろうか。
東京裁判(1946〜1948年)で、日本は満州事変(1931年)から盧溝橋事件(1937年)を経て日中戦争に突入し、日米開戦(1941年)、そして終戦に到るまでのプロセスを「侵略戦争」と判定され、この「侵略戦争」を計画し、準備し、開始し、遂行したことは、「平和に対する罪」に当たるとして東條英機ら7人の絞首刑が遂行された。
パール判事は、この東京裁判で日本が国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けてくれたインド人判事である。田中正明著『パール博士の日本無罪論』によれば、同判事は日本の教科書が東京裁判史観に立って「日本は侵略の暴挙を犯した」「日本は国際的な犯罪を犯した」などと教えていることを大変に憂えて「日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、頽廃に流されて行くのをわたくしは平然と見過ごすわけにはいかない。」とまでいって励ましてくれたのである。
日本が敗戦で呆然自失し、思想的にも文化的にも、日本人のアイデンティティーを失っていた時代に、パール判事の言葉はどれだけ日本人に勇気と希望を与えてくれたことか。わたしたちは決してこの恩義を忘れてはなるまい。
このパール判事の冷静かつ公平な歴史感と人権に感服し、義兄弟の契りまで結んだ平凡社創設者下中弥三郎は、世界連邦アジア会議を開催してそのゲストとしてパール博士を招致した。その没後二人を記念する建設委員会によって創設されたのが、箱根町の丘の上にあるパール記念館である。正式には「パール下中記念館」と呼ばれている。》
以上が産経新聞の要約である。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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正常国家となる為に
投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/08 22:51 投稿番号: [5910 / 41162]
■ 正常国家となる為に
横浜市
田村
一
自由党総裁小沢一郎氏曰く、「日本が普通の国(正常な国家)になる為には、先ず憲法改正(特に9条)と東京裁判史観から脱出することである」と。
一、米国製即席強制憲法について
現在の日本国憲法は、戦後、対日占領軍マッカーサー司令官の命令で、部下が僅か一週間で作成した米軍強制の即席憲法である。それを、旧社会党(現社民連)・共産党や進歩的(実は退歩的で対日占領政策迎合派=占領政策を利用して左翼革命を企図している)護憲派の面々は、改正に反対している。しかし先進国は、いずれも戦後五十年間に何回も憲法を改正している。
憲法は国の基本法であるが、時代に応じて改正するのが常識である。況んや敵国の都合で押しつけられた「間に合わせの強制憲法」であるから、尚更改正する必要がある。
憲法改正の機会は、過去に三回あったと言われる。一回目は昭和二十七年四月二八日の、サンフランシスコの平和条約発効日、二回目は平成三年、ソ連共産党崩壊の時、三回目は平成七年の、戦後五十周年記念の時である。三回とも、護憲派の反日的文化人に妨害された上に、決断力のない優柔不断な政治家揃いで改憲の機会を失ったと言われる。
二、東京裁判について
(1)
東京裁判の特質
ドイツを裁いたニュルンベルグ裁判と同様である。即ち、戦争の原因と理由の全べてを敗戦国指導者の野望と恣意に帰して、勝者は善であり正義であり、敗者は悪であり不正義であると規定して、自分達の悪事所業には目を瞑(つむ)って知らぬ顔で、実に不公正極まる暴君的裁判である。
(2)
東京裁判史観を断ち切れ
東京裁判史観は、始めから敗者日本(戦前の強大国日本)を再起不能にするための戦略で、特に精神的に強力な日本人を骨抜き水母(くらげ)に、且つ負け犬の卑下根性に改造するのが占領政策の目的であった。所謂武士道的精神を抜き取ることに全力を傾注した対日占領政策であった。民主主義と称しながら愚民主義を押し付けたのである。教育勅語も放棄させて、人権尊重というまやかしで利己主義を助長し、民族の団結を破壊したのである。しかも独立の気概も喪失させ、米国の属国的な存在にしたのである。日本が一人前の独立国を望むなら、「東京裁判史観」という戦勝国の呪縛から脱出しなければならない。
東京裁判の仕掛人である三人の主役(対日占領軍司令官マッカーサー元帥、ウェッブ裁判長、キーナン首席検事)は、裁判終了後帰国して、夫々が「あの戦争は日本の安全保障の為であり、あの裁判は大きな誤りであった。」と反省の発言を行った。これを考えると、「大東亜戦争」は正に日本自衛の聖戦であり、戦勝国が別称する「太平洋戦争」こそ、白人帝国主義侵略の不正義且つ悪の戦争であったことを白状しているのである。
大東亜戦争が間違った戦争でなかったもう一つの証拠は、戦争には負けたが、日本が多大の犠牲を払った結果、負けるが勝ちの「身を殺して仁を為す」の大成果を挙げたからである。それは戦後に、アジアからアフリカに及ぶ百ヶ国もの独立国が生まれた。それもイスラエルを除いては、皆有色人種である。東亜の一角で日本が頑張った努力で、白人の世界侵略を防止し、植民地の多数が解放された。アトランタ・オリンピックに一九七ヶ国の多くの国が参加出来たのも、日本が大東亜戦争を戦った成果である。
タイ国元首相クウリット・プラモート氏の次の言葉が何よりの証拠である。「十二月八日(大東亜戦争開戦日)を忘れるな。日本のお蔭でアジア諸国は全べて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話が出来るのは誰のお蔭か?。それは、身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったからである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。我々は此の日を忘れてはならない。」と。」
元陸軍海上挺進第35戦隊長
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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ご質問:deliciousicecoffee様
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2005/06/08 22:51 投稿番号: [5909 / 41162]
私信、トピずれの質問をご容赦下さい。
ご博識を見込み、一つお教え頂きたい事があります。
南京大虐殺、従軍慰安婦、万人坑等の嘘が暴かれた今、反日親中派が最後に拠り所とするプロパガンダの材料は重慶爆撃だと思われます。
重慶爆撃については軍事史に相当詳しい人々の間でも違法な無差別爆撃という評価が大半であるように見えます。
しかし重慶は援蒋ルートの終着点である軍事物資集積地であり、明らかな軍事拠点であって、重慶爆撃は暫定首都に対する戦略爆撃というより、後方兵站基地に対する攻撃、補給路の遮断という観点から論じるのが正当ではないかと考えています。
インドシナ進駐からインパール作戦まで日本軍の戦略目標は援蒋ルートの遮断により中国軍の継戦能力を失わせることで一貫していました。
その中で「民間人に損害を与え戦争継続の意思を失わせる」という無差別爆撃の思想は場違いに感じます。
そもそも蒋介石が首都としての重慶に与えられた被害で継戦意思を失うだろう、などと当時の軍部が考えたでしょうか。
蒋介石は南京を捨てているのです。
重慶は暫定首都に過ぎないのですから、被害が激しくなれば更に奥地へ逃亡すると普通なら考えるはずです。
重慶が単なる首都としての機能しか持っていなかったのであれば。
無差別爆撃であるなら、米軍のように主要都市を虱潰しに空襲せず、重慶しか爆撃しなかったことも説明がつきません。
重慶に爆撃が集中したのは、都市の破壊ではない標的が重慶にはあったと考えるべきではないでしょうか。
重慶爆撃も援蒋ルートの遮断により中国軍の継戦能力を失わせるという目的の下に行われたと考えれば、日本軍の戦略に一貫性が保たれますし、この観点に立てば、市内に高射砲台を設置し、市中が攻撃目標となる口実をわざわざ与えるかのごとき重慶政府の対応も納得のいくものです。
(つまり、高射砲台は市中に集積された軍事物資を防守する為の物と見れば自然)
そこでご質問なのですが、重慶爆撃と援蒋ルートを結びつけた研究成果をご存じないでしょうか?
そのようなものがあれば、一度目を通しておきたいと考えております。
これは メッセージ 5751 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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RE:>>>>コヒーさん
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/08 21:59 投稿番号: [5908 / 41162]
>読み終わりましたらできればでいいのですが、
>内容の紹介をお願いできませんか。
年内に読み終わるかどうかわかりませんが、読み終わりましたら可能な限り紹介したいと思っております。
これは メッセージ 5907 (kintakunte2002 さん)への返信です.
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>>>>コヒーさん
投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/06/08 06:53 投稿番号: [5907 / 41162]
読み終わりましたらできればでいいのですが、
内容の紹介をお願いできませんか。
勝手なお願いとは存じますが、よろしくお願いします。
これは メッセージ 5901 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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>● ラダ・ビノード・パール
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:49 投稿番号: [5906 / 41162]
感動しました。
これは メッセージ 5904 (yominokuni57 さん)への返信です.
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日本の対米和平打診は1945年2月から
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:47 投稿番号: [5905 / 41162]
>3月8日に天皇は内閣、軍部からこの大戦の戦況を聞き、敗戦は間違い無いとの感触を得ながら、敵に一撃を加えてからの和平を選択し、終戦を長引かせた、その結果、神風、その他の特攻隊の編成、と東京、大阪、その他都市部への無差別爆撃、広島、長崎、原爆投下、ソ連の参戦によりシベリア抑留等々、最高位責任者のとしての判断を誤り、多大の死ななくてもよい、兵士、民衆を殺してしまっている。民を思う政治が行われたか?
米戦略爆撃調査は1946年7月、トルーマン大統領に「日本の戦争終結努力」と題する報告を提出した。日本指導部との面接調査を基にしたこの報告は、単なる流言とされていた降伏の打診が、かなり早い時点からしばしば行われていたことを確認している。
同報告によれば、1944年2月には日本指導部の多くが、この戦争には勝てないと判断し、妥協による和平努力を主張している。しかも、この「妥協による和平」は日本の戦前の地位を引き上げようというものではなかった。寧ろ、高木惣吉海軍少将は、日本は朝鮮と台湾の放棄を前提にして交渉すべきであると主張していたのだ。
1944年7月には、和平派は東条内閣を倒すところまで力を強めていた。そして後継内閣は最高戦争指導会議を設置した。その主な仕事は戦争からの離脱だった。
1945年2月には早くも、和平打診に関する情報がアメリカの新聞で報道されている。当時、この提案は公式に無視、ないしは否定されたが、ようやく、その事実を裏付ける証拠が出てきた。3月には日本政府が和平交渉の可能性を模索していたことは事実だ。交渉は中国を仲介者とし、1931年以前の国境線を基礎にするものだった。そして、同年5月までに駐ソ日本大使は「結果が如何なるものであれ、『戦前の条件より後退したものであっても』」、それを前提に可能な和平提案を協議するよう訓令を受けている。これほど早い時期に日本政府内部で降伏を唱える人々が影響力を持ち始めていたことを、米戦略爆撃調査報告は確認しているのだ。同報告は「天皇、枢密院議長、首相、外相、海相は1945年5月に、連合国の条件による敗戦を受け入れることになっても、戦争は終結させなければならないとの結論に達していた」
いまや政府内部の指導権を握った和平派は、こうした大きな支持を得て、この月のうちに具体的行動を起こした。既に見たように、モスクワ駐在日本大使は交渉打診の訓令を受けていた。そして近衛公を交渉のためモスクワに送ることも計画された。できれば無条件降伏より緩い条件を期待してはいたが、いづれにしても和平のための交渉だった。
1945年5月付けのワシントン・ポストは、日本の降伏条件について伝えたシカゴ・サンのフレデリック・クー記者の記事を転載している。それは、日本軍部の全面降伏、中国から奪った領土と戦争中に占領した全領土の放棄を求めたカイロ宣言を、本土は占領しないという条件で受け入れるというものだった。同記者が伝えた和平提案は、米戦略爆撃調査が報告する日本政府の協議内容と一致している。クー記者はまた、米国務省が4月にこの和平提案を受け取ったと伝えたが、これに対して国務省は公式提案は何も受け取っていないと答えていた。
5月12日、ハルぜー提督が「太平洋の某所」で従軍牧師グループに語った話から判断すると、戦争状況を把握する立場の人は日本の和平工作を予測していたようだ。同提督は日本が間もなくかなり積極的に和平打診をしてくるだろうが、「日本を2度と戦争できなくなるまで叩き潰して、はじめて戦争目的は成就する。我々はそこまで徹底しなければならない」と語っている。
『アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ著
(P143)
これは メッセージ 5896 (yominokuni56 さん)への返信です.
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● ラダ・ビノード・パール
投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/07 22:42 投稿番号: [5904 / 41162]
ラダ・ビノード・パール
法学教授・国際連合国際法委員会委員長
■ 日本人戦犯7人の全員無罪を主張
■ 極東軍事裁判
パール判事は、この裁判が最初から日本を侵略国と決め付けていることに不快感を示した。そしてこの
裁判の本質は連合国側の政治目的を達成するために設置されたに過ぎず、日本の敗戦を被告達の侵
略行為によるものと裁く事によって、日本大衆を心理的に支配しようとしていると批判した。
さらに、検察側の掲げる日本の侵略行為の傍証を、歴史の偽造だとまで断言した。かつて欧米諸国がア
ジア諸国に対して行った行為こそ、まさに侵略そのものであると訴え、全被告を無罪だと主張した。
パール判事の判決を聞いて
殉難者が遺した歌
・東條英機
百年の後の世かとぞ思いしに今このふみを眼のあたりに見る
・板垣征四郎
ふたとせにあまるさばきの庭のうちこのひとふみを見るぞとうとき
すぐれたる人のふみ見て思うかなやみ夜を照らすともしびのごと
・木村兵太郎
闇の夜を照らすひかりのふみ仰ぎこころ安けく逝くぞうれ志き
■ その後のパール博士
1950年10月、パール博士は二度目の来日をされた。約1ヶ月間の滞在中に次の言葉を残されている。
「この度の極東国際軍事裁判の最大の犠牲は《法の真理》である。われわれはこの《法の真理》を奪い返さ
ねばならぬ。」
「たとえばいま朝鮮戦争で細菌戦がやかましい問題となり、中国はこれを提訴している。しかし東京裁判
において法の真理を蹂躙してしまったために《中立裁判》は開けず、国際法違反であるこの細菌戦ひとつ
裁くことさえできないではないか。捕虜送還問題しかり、戦犯釈放問題しかりである。幾十万人の人権と生
命にかかわる重大問題が、国際法の正義と真理にのっとって裁くことができないとはどうしたことか。」
「戦争が犯罪であるというなら、いま朝鮮で戦っている将軍をはじめ、トルーマン、スターリン、李承晩、金
日成、毛沢東にいたるまで、戦争犯罪人として裁くべきである。戦争が犯罪でないというなら、なぜ日本とド
イツの指導者のみを裁いたのか。勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそ
こには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろ
う筈がない。われわれは何よりもまず、この失われた《法の真理》を奪い返さねばならぬ。」
「今後も世界に戦争は絶えることはないであろう。しかして、そのたびに国際法は幣履のごとく破られるで
あろう。だが、爾今、国際軍事裁判は開かれることなく、世界は国際的無法社会に突入する。その責任は
ニュルンベルクと東京で開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果であることをわれわれは忘れてはならない。」
「日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独
立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観と
いう歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。
日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい。」
「いまや英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュルンベルクの軍事裁判が、果して正当か否かとい
う激しい論争や反省が展開されている。げんに英国法曹界の長老ロード・ハンキーは<パール判事の無罪論こ
そ正論である>として『戦犯裁判の錯誤』と題する著書まで出版している。しかるに直接の被害国であり、げん
に同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本においてこの重大な国際問題のソッポに向いているのはどうした
ことか。なぜ進んでこの論争に加わらないのか。なぜ堂々と国際正義を樹立しようとしないのか・・・」
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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たまっている宿題を、念のため、
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:20 投稿番号: [5903 / 41162]
念のため、他にも宿題がかなりたまっているから一応知らせておくね。
#5756や#5775や#5783や#5787や#5799や#5802や#5814や#5879や#5882で俺が述べた質問や反論に対して、まったく応答がないのだが、
1.「夜間空襲のもう一つの恐怖は 日本軍爆撃機が「毒ガス」を散布することである。(ウイルソン文書)」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5756
2.支那軍がわざと上海の市街地を狙って爆撃し、日本軍の仕業に転嫁して逆宣伝したことを認めるんだな?#4553、#5397、#5775
3.11月にブリュッセルで開かれた9カ国会議で、「日本の支那侵略に対して警告を発した」は、嘘っぱちのでっち上げだったことを認めるんだな?#5783
4.日本の不拡大方針は終始継続されたことを認めるんだな?#5787
5.第2次上海事変は軍令部並びに第3艦隊が周到に作戦準備をして開始したものではないことを認めるんだな?#5799
6.支那側は停戦協定を何度も繰り返し破り、8月9日に予定されていた和平会談も支那が海軍陸戦隊の大山中尉を上海の虹橋飛行場近くで惨殺してぶち壊し、さらに上海戦の後11月6日に蒋介石に伝えられた和平条件も蹴って南京戦を強行したことを認めるんだな?#5799
7.石射猪太郎の陸軍に対する憎しみが常道を逸していたことを認めるんだな?#5802
8.上海戦は、蒋介石が攻撃を始めて日本が防衛した戦争だったと認めるんだな?#5814
9.上海戦における日本軍の損害が予想を超えた理由は、日本の不拡大方針による小出しの兵力投入と、支那軍の細菌戦のせいだったことを認めるんだな?#5814
10.日本軍の食糧は、日本本土からの補給を原則としたが、補給が不如意になって現地調達する際にも、支那軍のように強奪するのではなく、カネを払って調達したことを認めるんだな?#5851、#5868、#5879
11.南京戦の前に多くの南京市民は南京を脱出し、残った20万人も全員が国際安全区に避難して無事だったことを認めるんだな?#5882、(#4674、#5696)
12.上海から南京への道路沿いの村々や周辺の村落を破壊、略奪、放火したのは支那軍であり、支那はそのような焦土作戦(清野作戦、焦土戦術)をしておいて、「三光作戦」と称して日本軍の仕業に転嫁したことを認めるんだな?#5882
(以下はtatetayonさんからの引継ぎ)
1.英国が「アヘン戦争の反省をした」とする根拠・事実を示しなさい。#5514
2.「首相、官房長官、外務大臣は靖国神社参拝は自粛する」との覚え書を示しなさい。#5514
これは メッセージ 5902 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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句容県誌についての質問 >yominokuni56
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:14 投稿番号: [5902 / 41162]
>日本軍は村を去る前に村落に放火し、全村八〇余戸は全て焼失した。
>睨塘村虐殺事件は120余名が殺害されたが多くは他村の農民で、睨塘村民は7人が犠牲となり、そのうち2名が女性であった。(句容県誌)(日本軍侵占句容期間暴行録)
その「句容県誌」(日本軍侵占句容期間暴行録)という記録は、いつ、誰が、書いたんだ?
どうして、南京軍事法廷や東京裁判(1946年〜1948年)に、証拠として提出されなかったんだ?
つーか、その句容県の睨塘村虐殺事件というのを俺は初めて聞くのだが、いつから話題になってるんだ?
オマエが質問や反論に答えないから宿題は増え続ける一方だが、まずはこの質問への回答よろしく!
これは メッセージ 5895 (yominokuni56 さん)への返信です.
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>>>コヒーさん
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/07 22:05 投稿番号: [5901 / 41162]
>そうです。でも飛ばし読みです。
お〜、そうですか。
早いですね。
>ワシントンの日本大使館盗聴で、大使館よりはやく、日本の和平交渉うちきり(事実上の宣戦布告)を傍受していながらハワイ基地への通報を(故意に?)「遅らせ」日本に先に手を出させた。
ハワイへの通報を遅らせたのは、「故意に」であると認識していました。
やはり、その本でも、そのことについて述べられているわけですね。
>ところが思わぬ大惨事だったので、米国民に取り繕うために、二枚舌の演説をした。
真珠湾攻撃による被害は、ルーズベルトの予想を遙かに超えたようですね。
まだ、本が届いていませんが、読むのを楽しみにしています。
お知らせ、ありがとうございました。
これは メッセージ 5893 (asdll58 さん)への返信です.
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>>東 京 裁 判 天皇 裕仁
投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/06/07 13:34 投稿番号: [5900 / 41162]
>その結果、神風、その他の特攻隊の編成、と東京、大阪、その他都市部への無差別爆撃、広島、長崎、原爆投下、ソ連の参戦によりシベリア抑留等々、最高位責任者のとしての判断を誤り、多大の死ななくてもよい、兵士、民衆を殺してしまっている。民を思う政治が行われたか?
その結果?これは短絡では?
タイムスパンのとりかたというのはこのこと。
ナチズム台頭の直接の原因(責任)は、敗戦国ドイツにたいする過酷なヴェルサイユ条約だともいえる。
これは メッセージ 5896 (yominokuni56 さん)への返信です.
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昔の中国軍の実態
投稿者: kaka8950jc 投稿日時: 2005/06/07 13:14 投稿番号: [5899 / 41162]
暗黒大陸『中国の真実』
ラルフ
タウンゼント(1900−1975)
1931年アメリカ上海副領事その後福建省の副領事として赴任。原書は1933年発行。
兵の装備はお粗末なもので、街中で見かける宣伝用の兵隊は別として、食料は殆んど支給されない。
したがって、行く先々で食券代代わりに銃剣を振り回して食糧を略奪する。
荷物運搬用の牛馬の代わりになる苦力を大量に捕獲する。したがって軍が動くという噂が流れると、苦力でごった返していた通りがガランとなる。
捕まったらその扱いは残酷で目を覆うものがある。過酷な仕事やらされ、抵抗しなくても、ただ「殴って楽しむため」棍棒や銃で殴るのである。銃を持たない苦力は食の調達にも苦労する。
戦場では兵隊さえ嫌がるところへ回される。互いの捕膚の圧倒的な多数は徴発された苦力であるそして戦闘記録にある「捕獲捕膚」とは敵方で虐殺された者」と読み替えてよい。
兵隊は略奪した食糧を腹いっぱい食える。
食うために兵隊になるから命を懸けて戦わない。
最後まで戦う事はまずない。それぞれ5万人の兵力がぶっかる戦では、2,3百人の戦死者がでたら「勝負あった」となる。兵士には敢闘精神が無い。日本人や欧米人と違い「闘争心」「何が何でも勝利を」という気迫がない。
所詮、食うためにたまたま兵隊に入ったたのだから、弾に当って死んだら元も子もない。両軍ただ睨みあうだけである。勿論前線では小競り合いがあり、少々犠牲者も出るが、本隊は相手が自陣に攻め込まないかぎり数ヵ月ものらりくらりして、本格的な攻撃はしない。
犠牲者は圧倒的に住民である。
多くの死者が出る。ところが兵隊の死者はごく少ない。
殆んどが戦場となった地域の住民である。しかも殆んどが餓死である。
米粒一つ残さず「友軍」に略奪されるからである。
一つ例を挙げよう。
1931年5月、江西省と湖南省における対共産党戦に関する楊将軍の報告である。
江西
死者18万6千人
難民の死者210万人
焼失家屋10万棟
湖南
死者7万二千人
焼失家屋12万棟
次は1932年の湖北省での共産党の略奪報告(湖北省の知事)である
死者
35万人
家を失った難民
350万人
焼失家屋9万8千棟
これはほんの一部に過ぎない。この数字を疑う理由は無い。
数字には無いが、
『住民を守るべき軍が逆に食糧を取り上げ、飢えさせ。あるいは焼き打ちにする。』
将軍たちはこういうことは報告しないのである。
共産党の支配地区には「どちらもひどいが防衛軍(国民党かな?)より共産党がまだまし」というものも多い。宣教師の家族達も「その通りだ」と言っていた。
共産党のやり方はこうである。金のありそうな者を拷問する、羽振りが良く資本主義者と思われる者は即刻殺す。だから金持ちは共産党が来る前にさっさ逃げる。貧乏人だけが残り、餓死者が出るのである。
ほんの一部を紹介しました。
これを読むと日本軍が、中国戦線で百戦百勝だったことがよくわかります。
叉南京戦での当時の国民党軍の行動様式が想像されます。誰が虐殺したのか?
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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へっ、へっ、へ
投稿者: spywatcher56 投稿日時: 2005/06/07 11:14 投稿番号: [5898 / 41162]
yominokuni56よ、
お前は最近たるんでおるぞ。
書き込みの内容は、ネタ切れ、
文章はお粗末。
中共日本支部による
勤務評定も低いぞ。
ま、夏のボーナスはないと思うべきだナ。
これは メッセージ 5896 (yominokuni56 さん)への返信です.
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小泉を応援しよう
投稿者: nonnnonnnotiku 投稿日時: 2005/06/07 07:09 投稿番号: [5897 / 41162]
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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>東 京 裁 判 天皇 裕仁
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/07 06:56 投稿番号: [5896 / 41162]
>東京裁判において国際法学者のパール博士はこういいました。「勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪で
戦争犯罪最高責任者天皇裕仁を訴状にあげよ!
>います。アメリカが行った原子爆弾の投下。シナ側が行った便衣兵。この2つのことを見ただけでも国際法違反で
3月8日に天皇は内閣、軍部からこの大戦の戦況を聞き、敗戦は間違い無いとの感触を得ながら、敵に一撃を加えてからの和平を選択し、終戦を長引かせた、その結果、神風、その他の特攻隊の編成、と東京、大阪、その他都市部への無差別爆撃、広島、長崎、原爆投下、ソ連の参戦によりシベリア抑留等々、最高位責任者のとしての判断を誤り、多大の死ななくてもよい、兵士、民衆を殺してしまっている。民を思う政治が行われたか?
>「日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が
無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域に
は存在してゐたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生する
そうかい(笑)
アンタは強盗にも同情をよせる心の広い人だね。
「罪と罰」でも読んでみたらどうだろうか?
才能ある青年が
金持ちの老婆を殺害し、無能な老婆が金を持っていても社会の役には立たない、貧乏人で有能な自分が金を使うことが社会の為になる、、だから、殺して金を奪った、、何処が悪い?といっているようなものだな(笑)
いっそ、、刑務所も無くしてしまったらどうだ、、、(笑)
これは メッセージ 5887 (yominokuni57 さん)への返信です.
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機銃掃射による殺戮、攻撃が開始された
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/07 06:42 投稿番号: [5895 / 41162]
11月29日りっ水に中国軍総司令部があるという情報を得て、海軍航空隊の戦闘機、爆撃機計36機が相次いでりっ水市街を攻撃した。(中国方面海軍作戦)
昼食時の突然空襲に、県城は一瞬にして地獄絵と化し、投下爆弾により家屋の破壊、火災の発生、逃げ出した民衆の群れに爆弾が投下され、機銃掃射による殺戮が行われた。
防空壕にも爆弾は命中し避難していた100余名の命が失われている、一時間あまりの空襲で市民1200余名、倒壊家屋5000間(数千戸)が破壊された(県誌)
句容県における虐殺行為
12月4日午前8時40分丹陽を攻略した第16師団(京都師団長中島今朝吾中将)の先頭が句容(南京から約50km)の東方約15kmにある睨塘村に侵攻、南京戦区に突入した。(飯沼守日記)
句容は南京外囲防御陣地線の主要な県城であり、東部はトーチカで防御を固め、城内には砲兵学校があった。国民党軍が睨塘の西の句容に通じる橋を爆破したため侵攻を阻まれた第16師団所属の歩兵第30連隊はその日、睨塘村に宿営することになった。
そこで、村民虐殺事件が発生した。
村民の避難順序は、中国国内戦の経験から、殺害されるか連行される危険のある、青年男子が真っ先に遠くへ避難し、次に女、子供が避難し、殺害されるおそれの少ない老人が家と家畜、作物を守るために残るとうパターンを実行していた。
日本軍が睨塘村にやって来たとき、女や老人、子供はまだ、避難はしていなく、進入してきた日本軍の銃声を聞き、慌てて、女や子供は夕闇にまぎれて逃亡した。
日本軍は逃げ遅れた村民と他所から逃げてきた難民など40数名を捕らえ、睨安仁という村民の家に押し込めて、火をつけ、焼き殺してしまった。
翌朝9時頃
日本軍の部隊が国民党軍の捕虜も含めた他村の村人約80名を捕縛し、句容公路(丹陽〜句容)沿いに連行し、機関銃で全員を射殺した。
日本軍は村を去る前に村落に放火し、全村八〇余戸は全て焼失した。
睨塘村虐殺事件は120余名が殺害されたが多くは他村の農民で、睨塘村民は7人が犠牲となり、そのうち2名が女性であった。(句容県誌)(日本軍侵占句容期間暴行録)
12月5日朝9時頃
日本軍の一部隊が句容県城の北にある本湖村に食料徴発と部落掃蕩にやって来た。
これを遠くから見ていた村民は、てっきり国民党の軍隊と思いこみ、村の自衛団約30名に招集をかけ、槍や刀を持って、集合し、整列して歓迎しようとしたところ、全員捕縛されてしまった。
付近で捕らえられた青壮年男子も加えて40数名が村の酒醸造小屋に押し込められ、火をはなたれて、焼き殺されてしまった。
当時満16歳であった万仁勝だけがただ一人やけどを負いながらも生き延びている。
農村では通信手段が全く無かったので、街道から離れた村では日本軍の侵攻に全く、気づかず、このような悲劇が起きている。
これは メッセージ 5873 (yominokuni56 さん)への返信です.
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南京の歴史
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/06/07 06:38 投稿番号: [5894 / 41162]
IV 歴史と対外開放
戦国時代、この一帯は金陵とよばれる小村にすぎなかった。「三国志」で知られる呉の孫権が都をおき、建業と名づけてから南京の歴史がはじまる。
東晋以降は健康と名をあらため、宋、斉、梁、陳、南唐など多くの王朝の都がおかれた。1368年、元をほろぼした明は、この地に国都をたて、南京と命名した。明の朱元璋は20年の歳月をかけて周囲37km、高さ最高21mの巨大な城壁をきずいた。現在、日中が協力して「南京城壁保存修復事業」がおこなわれている。
1421年に明が北京に遷都したのちも、南京は国都に準じる都市として重視された。
中国近代史の中で、南京はその中心舞台として名高い。太平天国のときには11年間(1853〜64)にわたって都がおかれ、天京とよばれた。1911年にはじまる辛亥革命では、孫文らが中心となって清朝をたおし、中華民国の臨時政府を南京に樹立した(1912)。
27年には国民政府の所在地となり、特別市としてあつかわれる。日中戦争で南京にせめいった日本軍は大虐殺をおこない、市内は血の海と化した(1937)。
49年、南京は人民解放軍によって解放された。→ 南京大虐殺
エンカルタより
これは メッセージ 5873 (yominokuni56 さん)への返信です.
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>>コヒーさん
投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/06/07 06:00 投稿番号: [5893 / 41162]
>それって、もしかして、『President Roosevelt and the Coming of the War, 1941: Appearances and Realities』Charles Austin Beard(チャールズ・ビアード著)を読んだのですか?
そうです。でも飛ばし読みです。タイムスパンにもよりますが、私がビアードの言うことを理解した限りでは、
1940年ころには、ルーズベルト政権は明らかに(枢軸国にたいする)参戦意図があり、日本に先に手を出させようと画策していた。ハルノートは、最後の駄目押しみたいなもの。
ワシントンの日本大使館盗聴で、大使館よりはやく、日本の和平交渉うちきり(事実上の宣戦布告)を傍受していながらハワイ基地への通報を(故意に?)「遅らせ」日本に先に手を出させた。
にもかかわらず、
ルーズベルトは、日本のパールハーバー攻撃(12月7日)の翌日、アメリカ国民にたいして、米国は最後まで日本との和平交渉に努力していたのに日本は突然卑劣な攻撃をしかけてきた米国は参戦するというようなアピールをしている。
ビアードからは、このようなことが読み取れます。
米国政府の二枚舌といったのはこのことです。
米国政府は日本の宣戦布告をパールハーバー以前に知っていた。これは、だれも否定できない歴史的事実。
そして、これは、ビアードなどを覗いた私個人の印象ですが、米国政府は、日本がパールハーバーをあのような形で攻撃することは予想しなかったにしろ、なんらかの形で攻撃(たとえば、ハワイの日系住民にまぎれたゲリラ攻撃)してくることはあるていど予想していた。そして、日本に先に手を出させるために、故意にハワイ基地司令官への警告を遅らせた。
ところが思わぬ大惨事だったので、米国民に取り繕うために、二枚舌の演説をした。それをサポートするために、大統領の息のかかった調査委員会をハワイに送って、キンメルなどに責任をなすりつけた。
これは メッセージ 5884 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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「捕虜の供述場面より」
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/06/07 02:17 投稿番号: [5892 / 41162]
(昭和十三年五月十一日)
衛兵所の柱に捕虜が一人繋がれている。慓悍な顔付をしている。通訳が色々と聞いている。
誰やらに似てるなと思ったら、ふいとAの顔が浮んだ。色が少し黒いがそっくりだ。
ぎろぎろした鋭い眼光だが、声は低く、おどおどしながら答えている。
三十二歳で、姓名は雷国東(らいこくとう)、百二十三師所属で、生れは湖南省、上組戦に参加したるも鉄砲をくれなかった。
給与、米一日一斤、副食物はくれない。給料、一カ月一元八十仙、多くも二元三十仙位、募集広告には八元三十仙とあったが、食料、服料等を差引かれ、煙草代もない。
板橋集(はんきょうしゅう)北方の小隆集(しょうりゅうしゅう)の戦闘で、気が附いたら味方は皆逃げてしまって、自分一人残っておった。小銃の外拳銃も持っていた由。革製の財布には、中に穴のあいた一厘銭と、骰子(さいころ)が二つと、一通の手紙とが入っている。 (麦と兵隊
150頁)(KO生、堺市)
(宮崎正弘のコメント)戦後へんてこな戦争文学が山となって、五味川純平、野間宏ほか。
こんにちは誰も読まない作品を書いていました。
石川達三や大岡昇平の作品も、どことなくなじめない戦争の描写をしており、
対照的に火野さんは実にのびやかな、真実の風景描写で、前者のひとたちと天地の開きがありますね。
ともかく火野葦平『麦と兵隊』は名作です。
これは メッセージ 5891 (hangyosyufu さん)への返信です.
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家の中は掠奪の跡歴然
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/06/07 02:09 投稿番号: [5891 / 41162]
(昭和十二年十一月六日)
本道上を行くと、海上に浮ぶ数十隻の艦船が見え、舟艇に依って縦々と兵隊が上陸をしていた。馬が上って来る。砲車が上って来る。
私達が大平丸に置いて来た背嚢が陸上げされているそれを背負う。その附近には既に上陸を終った部隊が密集し、車輌が道傍にずらりと並んでいる。我々の部隊がその混雑の間をかき分けて行くと、やあ、大変でしたなあ、御苦労さんでした、と口々に声を掛ける。
昨日まで船に居る時には同じ服装だったものが、今日は我々は泥鼠の一隊のごとく、新装のぴかぴかした兵隊の間を通り抜ける。すると我々は一寸兄貴のような気持にもなる。すると、又、何と甘くてお人よしであることには、御苦労でしたなあ、ありがとう、と一口云われると、それでもうさっぱりして、昨日からの苦しさなんぞさらりと忘れてしまうのである。
我々が通る左手には、水中に作られた針金で張った障害のための木柵や、陣地や、支那兵の起き伏していたらしいアンペラ張りの小屋等が幾つも見られた。
我々の部隊は一里ばかり行った所から右に折れて小さな部落に入った。松林鎮という所である。小さいクリークの橋を渡ると、すぐ部諭w)・フ入口に、手にしっかりと喇叭を握った支那兵が死んでいた。子供のように小さい兵隊だった。私はその屍体に向って敬礼をした。
付近には脱ぎ棄てられた支那兵の服や、地図や、椅子などが散乱している。全く土民の姿を見かけない。家の中は掠奪の跡歴然として惨澹たるものである。到る処の家に、正規兵の軍帽や、鉄兜や、銃等が遺棄されてある。(土と兵隊/52頁)
「捕虜の供述場面より」(支那軍が劣悪なる状況下で防禦戦に臨んでいたことが窺い知れる)
これは メッセージ 5890 (hangyosyufu さん)への返信です.
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「土と兵隊」
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/06/07 02:04 投稿番号: [5890 / 41162]
(昭和五十年十二月
第三十一刷
新潮社文庫より)
「支那兵はみんな持っていく…」
(「三光」だの「屠城」だのという思想を持つ支那ならではの出来事と思うが、日本の教科書に、日本軍が支那で「三光作戦」を実施したと記述しているのには、「怒り心頭」である。)
(昭和十三年五月八日)
主の居なくなった部落の家の蔭から呑気そうに鶏が餌を拾いながら出て来る。野犬が非常に多く、麦畑の中で何かを引き裂いて食っているのもあった。
小休止した或る部落で、外には人影さえないのに、桑の木の下の円筒形の石の上に見嚢らしい老婆がたった一人腰かけていた。
最初老婆は日本の兵隊をおどおどした眼付で見ていたが、やがて立ち上ると、腰をかがめて歩き出し、何やら手を上げ下げし、変な身振りをして泣きはじめた。
どうしたのだろうと思っていると、梅本君は、あれは、支那の兵隊は部落に来ると、米も銭も衣服も姑娘(くーにゃん)も何もかも洗いざらい持って行ってしまうが、日本の兵隊は何にも盗らないから非常によい、と追従を云っているのだ、と云った。(麦と兵隊
130頁)
「支那兵の略奪」
(杭州湾上陸作戦に陸軍伍長火野葦平として参戦中の目撃談=この部分のみ「土と兵隊」より抜粋)
これは メッセージ 5889 (hangyosyufu さん)への返信です.
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火野葦平の「麦と兵隊」
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/06/07 02:00 投稿番号: [5889 / 41162]
戦時中、住居の近くの寺に分宿していた陸軍の兵隊さんに可愛がってもらった思い出を持つ愚生は兵隊さんが大好きであった。
「肩を並べて兄さんと/今日も学校に行けるのは/兵隊さんのお蔭です/お国のために/お国のために戦った/兵隊さんのお蔭です」。大きな声で九歳の愚生らはそう歌って遊んでいた。
終戦後、中学生になってからと記憶しているのだが、火野葦平の「麦と兵隊」を読み、子供なりに、矢張り「兵隊さんは凄い」と感じたものであった。そして先日、五十数年ぶりに同書を読み返す機会に廻りあえたのである。
昭和十三年八月号の「改造」に、昭和十三年五月の徐州会戦従軍記「麦と兵隊」が発表されたとき、作者は「これは徐州会戦従軍日記で、単に一兵隊の狭い体験を書いた戦場記録にすぎないものであり、小説ではない」と言っている。
つまり「麦と兵隊」は従軍記録で、同年の五月四日から五月二十二日までの様子を書き綴ったものであるという。
当然検閲もあり、どうしても書くことを許されないことも多々あっただろうが、それでも、兵隊の優しさ、苦労、支那兵(蒋介石軍)のこと、支那の農民のことなどを窺い知ることはできるのである。
なお、南京入城は昭和十二年十二月六日であった。
これは メッセージ 5888 (hangyosyufu さん)への返信です.
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「偉業の達成」
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/06/07 01:56 投稿番号: [5888 / 41162]
昭和六十一(1986)年に南京で開館した「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念舘」の建設は、当時の日本社会党・田辺誠書記らの再度に亘る要請から始まったという。
「虐殺とか屠殺とか、日本人はそんなことは絶対にしない」という思いは強くとも、論理的、物証的に反論できないのが国民一般であろう。
それを東中野先生が心血を注いで検証されたのである。
まさに西尾先生曰く「偉業の達成」であった。三年の歳月と三万五千枚以上の写真の点検結果集大成は、日本人の心を持つ日本人を「安心の境地」に導いてくれたのである。
藤岡先生が代表を務められる「自由主義史観研究会」の歴史検証法は「実証的な歴史研究」を行うことから始まると洩れ伺っているが、東中野先生の検証作業とともにこれは真に難行、苦行であろう。日本人として深甚の感謝を捧げなければならない。
今日、生存者で「大勲位菊花大綬章」を所持しているのは中曽根康弘元総理のみであるようだが、軍人出身でありながら、靖国の英霊を「分祀」せよだの、支那共産党の友人のために靖国参拝を中止したとか、日米関係を「ロン、やす」の蜜月関係にもっていったことなど、支那にもアメリカにもよい顔をする「風見鶏」(誰がつけたか知らないが、謂い得て妙、見事なネーミングである)に「大勲位」はあまりにも大きすぎる。
民族の誇りのために心血を注いだ人士にこそ授与されるべきものと思うだけに…。
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東 京 裁 判
投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/06/06 23:39 投稿番号: [5887 / 41162]
■ 東京裁判
東京裁判において国際法学者のパール博士はこういいました。「勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪で
あるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による
暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、
信頼も平和もあろうはずはない」この言葉の意味を深く受け止めなければいけないと思います。
東京裁判それを一言で言えば勝者による敗者への「復讐裁判」です。一方的な復讐裁判それが東京裁判だと思
います。アメリカが行った原子爆弾の投下。シナ側が行った便衣兵。この2つのことを見ただけでも国際法違反で
あります。しかし、それらのことは裁かれることはなかった。このことを見ただけでも本当に正当な裁判であったの
かどうかわかると思います。
また、アメリカが行った経済封鎖などにより日本は戦争に追い込まれました。(日本が侵略のために戦争を行った
とする考えをもう一度見直すべきでしょう)
「日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が
無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域に
は存在してゐたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生する
であらうことを彼らは恐れてゐました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要
に迫られてのことだったのです」{「東京裁判
日本の弁明」小堀桂一郎編、講談社学術文庫からの引用です}
これはマッカーサー自身が言った言葉です。この言葉は何を意味しているのでしょうか?もう一度よくこの言葉を受け
止めて考え直してみる必要があると思います。
また、パール博士は次のように述べました。米国が日本に送った通牒を受け取ったならば、日本でなくてもモナコ王
国やルクセンブルク大公国でさえも米国に対して矛をとって立ちあがったであろうと述べています。パール博士のこの
言葉は日本の開戦当時おかれていた現状をよく表す言葉だと思います。
東京裁判それは国際法を無視した勝者による復讐裁判。このような正当でない裁判によって、我々は裁かれたので
す。そして、未だに多くの日本人がその東京裁判史観から立ち直れないでいます。私は思います。今こそ日本人の手
によって大東亜戦争・東京裁判・南京事件などについて再認識の必要があるのではないかと。我々1人1人が自らの
国・歴史などについて考えるようになれば、きっと明るい未来は見えてくると思います。アメリカが正義であり、日本が
悪であるとする考えを早く拭い捨てなくてはいけません。自らの国を嘆き憎み愛せない国民の住む国は滅びます。自
らの国の真実の歴史を知らない国は滅びます。日本がその様なことにならないように、本当に心から願っています。
日本国を愛し日本人である喜びをもてる子供たちが育っていけるような環境の整備が待ち望まれます。そして、日本
人が自らの国の歴史を知り世界の国々の人々と真の友好関係をきずいていける日が来ることを希います。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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東アジアの戦争は誰の思惑で動いていたか
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/06/06 23:37 投稿番号: [5886 / 41162]
>なんか大平洋戦争はルーズベルトの感情でおきたみたいだな
ルーズベルトは、親中反日の急先鋒ですから、親日のグルーが何を言っても聞く耳は持たず、親中の国務省政府顧問ホーンベックなどの意見を採用しやすかったとは思います。
(禁輸措置後の近衛との会談交渉を強硬に反対して潰したのもホーンベックです。)
しかし、ルーズベルトは極東自体にどれほど執着していたのでしょうか?
確かにアメリカ(ルーズベルト)は、蒋介石を助けるために日本を大陸から追い出そうとしていましたし、蒋介石政権下で満州や中国での権益拡大を目論んでいました。
蒋介石の国民党軍は、盧溝橋事件の頃は中国共産党軍を粉砕し掛けていましたが、日本の中国侵入によって南京まで押しやられさらに重慶にまで追い込まれていました。
そして、今度は「日本を処理するためにアメリカが用いられる番」だということです。
最後には、ソ連の支援を受けた中国共産軍が国民党を台湾に追い落とし、アメリカをシャットアウトしてしまったので満州からも中国からも追い出されたわけです。
(アメリカはかろうじて朝鮮半島を占拠していましたが、中国共産党軍に支援された北朝鮮軍によってあわや朝鮮半島からも追い出されるところでした)
全体を通してみると、「東アジアでアメリカが主体的に動けたのは日本を攻撃するところだけ」だったことが分かります。
これは メッセージ 5876 (nekomaru4 さん)への返信です.
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宋美齢は南京プロパガンダの発信源
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2005/06/06 23:09 投稿番号: [5885 / 41162]
>父は孫文の支援者として知られる浙江財閥の宋嘉樹。姉の宋靄齢、宋慶齢と共に「宋氏(家)三姉妹」としても有名。
宋氏三姉妹といえば、
次女慶齢は、第二革命に失敗して日本に亡命中の「孫文」のもとに「秘書として手伝いたい」とやってきて、結局日本で結婚しました。
孫文の死後も意志をつごうとやっていたはずですが、中華人民共和国が成立したときには毛沢東や周恩来からも一目置かれて副主席をやっていました。
長女の靄齢が結婚した財閥で銀行家の孔祥煕は、蒋介石の財政基盤を支えました。
そして三女の美齢は、蒋介石と結婚しました。
特に問題なのは
>西安事件に際して蒋介石に抗日を訴え、また、自らの英語力を生かし、中華民国のファーストレディとして、夫である蒋介石のスポークスマン兼ロビイスト的役割を果たした。特に親中派のフランクリン・D・ルーズベルト大統領とは仲が良く、アメリカ合衆国の対日参戦に影響を与えたと言われる。
ここですね。美齢も蒋介石もクリスチャンで(本物でしょうか?)教会を通じてアメリカの上流階級層に日本の侵略に苦しめられている中国の有様を訴えました。
美齢は「南京で市民が暴行されている」とも訴えていました。美しく誠実そうな美齢が「嘘(大げさに)言っている」とは上流社会の婦人や旦那は考えもしなかったでしょう。(思ってもとても口に出せる雰囲気ではなかったでしょう。)
おそらくアメリカで流布していた南京事件のルーツはここではないでしょうか?
(そして、中国人の常で、「桁違いに被害がエスカレート」していくわけですが。)
つい最近まで生きていたようで、南京事件の真相を語って欲しかったです。
これは メッセージ 5878 (hi_de_buw さん)への返信です.
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>コヒーさん
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/06 22:42 投稿番号: [5884 / 41162]
それって、もしかして、『President Roosevelt and the Coming of the War, 1941: Appearances and Realities』Charles Austin Beard(チャールズ・ビアード著)を読んだのですか?
私は投稿で何度も採り上げた手前、「読まなければ…」と思い、アマゾンに注文して待っているところです。
私は日本語の本を読むのもとても遅いので、英語の本だと何ヶ月かかるか分かりません。
まあ、ノンビリ行きます。
これは メッセージ 5880 (asdll58 さん)への返信です.
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>>>>公式にルーズベルトの陰謀です
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/06 22:34 投稿番号: [5883 / 41162]
なんかはっきり憶えていないのですが、そんなふうな話を聞いたか見たかしたような気がします。
hi_de_buwさんが紹介された宋美齢がアメリカ民衆に対して宣伝をしておき、ルーズベルトがトップダウンで戦争に導いたように思います。
これは メッセージ 5876 (nekomaru4 さん)への返信です.
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南京の人口、支那の焦土(清野)作戦
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/06 22:20 投稿番号: [5882 / 41162]
>南京防衛軍がこの地に集結し、防御陣地で日本軍の侵攻を阻止しようとしたため、南京特別市区全域が南京攻略戦の戦場となったのであり、南京の虐殺事件もこの広域において発生している。
それも嘘だな。
#4674や#5696で述べたが、南京戦が始まる前に80万人以上の南京市民が、南京から上海や漢口や香港などへ脱出していた。
南京に残った約20万人も全員が国際安全区に避難していて虐殺事件なんてなかった。
>道路沿いの村々や、周辺の村落、市場として栄えた鎮や県城が日本軍の攻撃と破壊、略奪、放火の標的とされ、中国人はその惨劇に巻き込まれていった。
支那軍は上海から南京へ敗走する途中で、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするために、食料などを奪い、民家などを焼き払う清野作戦を行った。
支那は日本軍が近づくと「鎮江」の街を焼き払い、また、南京の周り半径16キロ以内の建物を全て焼き払った。
ラーベ:
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。
孫元良:
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。
第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏:
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。
徐永昌の日記:
11月26日、聞くところによれば、蒋介石は、不安分子が栗水、栗陽などで強奪・強盗などを働いたと聞いて激怒したとの事。
以下は翌年(1938年)のニュースだが、蒋介石を支援をしていたイギリスの通信社も、蒋介石が焦土戦術を命令したニュースを報じている。
〔昭和13年7月12日
東京朝日〕
【漢口発特電十一日発(ルーター特約)】
蒋政権当局は支那軍に対し九江退却に先立ち、 日本軍の軍事行動に便宜を与えるごとき財産或いは建造物は、 何物たるを問わずこれを破壊し去るよう命令を発した。
九江に権益を有する外国商社のうち亜細亜石油公司及び怡和・太古の両汽船会社 (いずれも英国人経営) は、その所有財産が右破壊令の対象となることを恐れ、 蒋介石に対し右破壊令の施行範囲を最小限に留むるか、または、特殊の物件に限り適用するよう、今や躍起となって申し入れを行っている。
しかし、支那側は、もしこれら各社の施設が日本軍の手に渡れば、必ず日本軍の軍事行動を助けることは必定であるから、支那側は、退却に先立ちその欲するところにより、これらの施設を破壊する完全なる権利を有するとの見解をとっていることは明らかである。
商社側は依然申し入れを行っている。なお近く南昌、信陽、岳州等の諸都市に対しても、おそらく同様の命令が発せられるものと見られている。
これは メッセージ 5873 (yominokuni56 さん)への返信です.
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>南京城に日章旗が翻るまで支那は和平蹴る
投稿者: asdll58 投稿日時: 2005/06/06 21:20 投稿番号: [5881 / 41162]
>時、既に遅し。
つーか、停戦協定を何度も繰り返し破り、上海戦の前に予定されていた和平会談を海軍陸戦隊の大山中尉の惨殺によって潰し、11月6日に伝えられた和平条件も蹴っていたのだから、お話にならない。
なるほどね。
これは メッセージ 5867 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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