南京の人口、支那の焦土(清野)作戦
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/06 22:20 投稿番号: [5882 / 41162]
>南京防衛軍がこの地に集結し、防御陣地で日本軍の侵攻を阻止しようとしたため、南京特別市区全域が南京攻略戦の戦場となったのであり、南京の虐殺事件もこの広域において発生している。
それも嘘だな。
#4674や#5696で述べたが、南京戦が始まる前に80万人以上の南京市民が、南京から上海や漢口や香港などへ脱出していた。
南京に残った約20万人も全員が国際安全区に避難していて虐殺事件なんてなかった。
>道路沿いの村々や、周辺の村落、市場として栄えた鎮や県城が日本軍の攻撃と破壊、略奪、放火の標的とされ、中国人はその惨劇に巻き込まれていった。
支那軍は上海から南京へ敗走する途中で、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするために、食料などを奪い、民家などを焼き払う清野作戦を行った。
支那は日本軍が近づくと「鎮江」の街を焼き払い、また、南京の周り半径16キロ以内の建物を全て焼き払った。
ラーベ:
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。
孫元良:
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。
第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏:
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。
徐永昌の日記:
11月26日、聞くところによれば、蒋介石は、不安分子が栗水、栗陽などで強奪・強盗などを働いたと聞いて激怒したとの事。
以下は翌年(1938年)のニュースだが、蒋介石を支援をしていたイギリスの通信社も、蒋介石が焦土戦術を命令したニュースを報じている。
〔昭和13年7月12日 東京朝日〕
【漢口発特電十一日発(ルーター特約)】
蒋政権当局は支那軍に対し九江退却に先立ち、 日本軍の軍事行動に便宜を与えるごとき財産或いは建造物は、 何物たるを問わずこれを破壊し去るよう命令を発した。
九江に権益を有する外国商社のうち亜細亜石油公司及び怡和・太古の両汽船会社 (いずれも英国人経営) は、その所有財産が右破壊令の対象となることを恐れ、 蒋介石に対し右破壊令の施行範囲を最小限に留むるか、または、特殊の物件に限り適用するよう、今や躍起となって申し入れを行っている。
しかし、支那側は、もしこれら各社の施設が日本軍の手に渡れば、必ず日本軍の軍事行動を助けることは必定であるから、支那側は、退却に先立ちその欲するところにより、これらの施設を破壊する完全なる権利を有するとの見解をとっていることは明らかである。
商社側は依然申し入れを行っている。なお近く南昌、信陽、岳州等の諸都市に対しても、おそらく同様の命令が発せられるものと見られている。
それも嘘だな。
#4674や#5696で述べたが、南京戦が始まる前に80万人以上の南京市民が、南京から上海や漢口や香港などへ脱出していた。
南京に残った約20万人も全員が国際安全区に避難していて虐殺事件なんてなかった。
>道路沿いの村々や、周辺の村落、市場として栄えた鎮や県城が日本軍の攻撃と破壊、略奪、放火の標的とされ、中国人はその惨劇に巻き込まれていった。
支那軍は上海から南京へ敗走する途中で、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするために、食料などを奪い、民家などを焼き払う清野作戦を行った。
支那は日本軍が近づくと「鎮江」の街を焼き払い、また、南京の周り半径16キロ以内の建物を全て焼き払った。
ラーベ:
11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、ひどい略奪が行われたという。済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。日本人の進攻を防ぐため。
孫元良:
やがて我々は崑山から蘇州に後退し、ここで一休みできる筈だったが、蘇州は既に秩序が乱れ収拾不能な都市になっており、我々に休む間を与えなかった。
第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏:
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し…放火・破壊した、支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。
徐永昌の日記:
11月26日、聞くところによれば、蒋介石は、不安分子が栗水、栗陽などで強奪・強盗などを働いたと聞いて激怒したとの事。
以下は翌年(1938年)のニュースだが、蒋介石を支援をしていたイギリスの通信社も、蒋介石が焦土戦術を命令したニュースを報じている。
〔昭和13年7月12日 東京朝日〕
【漢口発特電十一日発(ルーター特約)】
蒋政権当局は支那軍に対し九江退却に先立ち、 日本軍の軍事行動に便宜を与えるごとき財産或いは建造物は、 何物たるを問わずこれを破壊し去るよう命令を発した。
九江に権益を有する外国商社のうち亜細亜石油公司及び怡和・太古の両汽船会社 (いずれも英国人経営) は、その所有財産が右破壊令の対象となることを恐れ、 蒋介石に対し右破壊令の施行範囲を最小限に留むるか、または、特殊の物件に限り適用するよう、今や躍起となって申し入れを行っている。
しかし、支那側は、もしこれら各社の施設が日本軍の手に渡れば、必ず日本軍の軍事行動を助けることは必定であるから、支那側は、退却に先立ちその欲するところにより、これらの施設を破壊する完全なる権利を有するとの見解をとっていることは明らかである。
商社側は依然申し入れを行っている。なお近く南昌、信陽、岳州等の諸都市に対しても、おそらく同様の命令が発せられるものと見られている。
これは メッセージ 5873 (yominokuni56 さん)への返信です.