南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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そっかー

投稿者: nonno_special 投稿日時: 2004/08/16 14:39 投稿番号: [2578 / 41162]
>…事あるごとに日本、及び日本民族を貶めるため、「三光作戦」をはじめとする残虐非道なイメージの普及に、長年努めてきたわけですが、その成果は現在の日本人を見ていれば、十分現れているように感じます。

そうなんですか…色々勉強になりました。
しかし、日本人でも「そうだったのか」と思ってしまったということは、中国人にしてみたら、
それはそれは『日本人は何て残忍な民族なんだ!』と思うことでしょうね…
中国では今の子どもにも言い伝えられている、歪んだ中国側の見解の日中戦争。
友好なんて無理な話ですね。


>>その数は判らないけど、数の問題でもなく。

>↑
>「南京事件」について「三十四万人虐殺」という公式見解を維持できなくなった「中国共産党」政府が、最近さかんにあちこちで流している苦し紛れの屁理屈と全く同じ論理としかいえませんね。…

私は単に死者が一人でも何千万人でも虐殺は虐殺だろう   と思ったに過ぎず、
勿論中国側の考えを聞いて洗脳されたわけでもありません。

でも数がその度毎に増えたりするのは「なんで?」って感じですが…

>日中間の友好確立にはまだ

投稿者: hoax_cn 投稿日時: 2004/08/16 14:14 投稿番号: [2576 / 41162]
>中間の友好確立にはまだ大きな溝があるということは確か…

日米の友好は可能。

日中の友好は不可能

これすべて、シナの責任。

>なぜ中国側の発表の30万人説を

投稿者: hoax_cn 投稿日時: 2004/08/16 14:10 投稿番号: [2575 / 41162]
>なぜ中国側の発表の30万人説を疑われるのでしょうか


そんなの簡単。

証拠がないから。

ウソではないと言うのであれば挙証しなさい。

あなたの認める勇気とははなんだろうか?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/16 13:59 投稿番号: [2574 / 41162]
>>たとえ10万人でも大虐殺だよ。(あくまでも仮定の話だからね、仮にあったとして、の話)
>でもその場合、中国側は、20万人分は捏造でした、とちゃんと認めて世界に公表する勇気もってる?
>日本は全面的に間違ってた、あったかなかっただけが問題で、数の問題は些細なことだから、20万人分の捏造水増しはいちいち認めて公表する必要はない?
なんてことにはならんでしょう。
数は問題ではない、というのは詭弁だよ

お分かりになってはいらっしゃらない様子ですね。
それでは、なぜ中国側の発表の30万人説を疑われるのでしょうか?
10万人説を言われる方は、なぜ、当時南京の人口が20万人もいなかったと証明できるのでしょうか?

不思議なことですよ。
人口動勢調査でも行われていたのでしょうかね?
現在でも国勢調査は半年から1年を経なければ結果は出ませんよ。自己申告でありながら、、何をか言わんでしょうね?

いいですか、宣戦布告なき首都南京爆撃を海軍木更津航空隊の新鋭機96式陸上攻撃機20機が長崎大村基地から発進して、台風の中を洋上600kmを含む960kmを4時間で飛行し首都南京を無差別攻撃したのが

1937年8月15日ですよ。

それから連日連夜の爆撃に南京市民のほとんど裕福な者から、外国人も、南京から避難していったのですよ。

一方、
11月5日に第10軍が杭州湾に上陸し、
11月13日には白茆口に上陸するや、中国軍は総崩れとなって撤退、壊走がはじまったのです。

11月中旬には日本軍は上海全域を制圧
上海戦はここに終了しました。

11月19日上海派遣軍は首都南京へと進撃を開始。
11月20日大本営の設置
12月1日大本営は海軍と協力して首都南京を攻略すべし、の命令を出す。

12月11日日本国内において「南京陥落」の新聞報道が踊る(現地では戦闘中)

単純に考えて、この3ヶ月弱の期間に南京市内の人口をどのようにして、数えたのでしょうかね?

南京無差別爆撃の前には136万人の人口があったとされていますが、あなたの説で言っても100万人の人口から、どのように避難していった人口を数えたのでしょうかね?
ラーベが書いていましたか?
二つの目でどれくらいの人数を数えられますか?

あなたはいかがでしょうか?
後楽園に入っている数は誰でもどれくらい入っているかはわかるでしょうがね!

できるなら   すぐにでも「野鳥の会」にお入りなさい、歓迎されますよ。紅白にもでれるでしょうね。

小学校低学年の問題ですよ。

数の大小を取り上げても意味はありません。
それは被害の大きさを表すだけで、根本の問題では無いと思いますね。

つまりは「南京虐殺は無かった」とする人たちの言い逃れにすぎないということでしょうね。

こんな幼稚な論理に騙されるような単細胞は、そんなにはいないと思いますよ。

>うーん

投稿者: pesiticider 投稿日時: 2004/08/16 12:40 投稿番号: [2573 / 41162]
>日中戦争で、日本は「三光作戦」という戦略があったようですね。
とにかく全ての人を殺し尽くし、ものを奪い尽くし、焼き尽くせ…みたいな。

「三光作戦」の「三光」とは、「搶光」「焼光」「殺光」のことで、中国で発行されている「中国人民述語辞典」には、“「三光」は、蒋介石の「国民党」が人民を殺害する悪政のスローガンだった”と書かれていますが。
一方、台湾の「中共述語語彙」には、“「共産党」の地主への「清算闘争」用のスローガンとして、「分光」「吃光」「用光」があった”との記述が見られます。

1957年に「カッパブックス」から刊行された「三光」(神吉晴夫編)というタイトルの本には、“ドイツ人軍事顧問ゼートクが指導する「国民党軍」の「瑞金討伐作戦」を観戦した岡村寧次が、そこで「三光作戦」を学び、華北の抗日根拠地攻撃でそれの実施を主張した”と書かれていますが、実はこれは事実関係が大違いで、岡村寧次は司令部高官を集め、かつて「清軍」が中国に侵入した時に出された訓辞「不焚」「不犯」「不殺」を引用し、“焼くな、犯すな、殺すな”と訓示しているのです。この岡村の訓示を中国側が「プロパガンダ戦」に正反対の意味付けをして利用したというのが、“「日本軍」の「三光作戦」”なる日本語にさえなっていない奇妙な用語の正体です。しかし「第二次大戦」敗戦により、戦前の価値観が崩壊し極端に自虐的になった日本人の中には、日本で「共産主義」革命を起こすことを至上命題とし、敢えて中国の「プロパガンダ戦」の一翼を担うことを自らの使命と考えた一群の学者や政治家などがいて、事あるごとに日本、及び日本民族を貶めるため、「三光作戦」をはじめとする残虐非道なイメージの普及に、長年努めてきたわけですが、その成果は現在の日本人を見ていれば、十分現れているように感じます。

>その数は判らないけど、数の問題でもなく。


「南京事件」について「三十四万人虐殺」という公式見解を維持できなくなった「中国共産党」政府が、最近さかんにあちこちで流している苦し紛れの屁理屈と全く同じ論理としかいえませんね。

そもそも日本側にも「南京で市民の犠牲者、捕虜の処刑が全くなかった」などと主張している人はいないのですから、結局は数の問題なわけですよ。

三光作戦?南京事件を持ち出す意図とは?

投稿者: antimarck 投稿日時: 2004/08/16 06:22 投稿番号: [2572 / 41162]
三光作戦?光という字を「〜しつくす」という意味になど日本語では使いません。
支那の国共内戦で使われた言葉です。もし、この言葉があったとして、日本軍に関する公式資料で示せますか?
すでにこの言葉を使う時点で支那の謀略にのせられているのです。

さて、支那がこのことを持ち出す意図は現在の政治的な都合によるものです。
そのつど、捏造であることを主張すべきです。虐殺の写真と称するものは今ではすべて捏造あるいは関係のないもの(馬賊の処刑写真など)と判明しています。
特に、軍人の戦死は戦闘では殉職に当たるもので、平時の殺人にはあたらないこと、また、便衣兵の処刑は国際法上認められていることを何度でも強調すべきと思います。
戦火に巻き込まれ命を落とした一般民衆については、日中平和友好条約(1972年)が結ばれている以上、訴訟を起こすのであれば、現支那政府に起こすべきことを、繰り返し言って行くべきです。
これから50年は、支那の捏造報道は続くでしょうが、言うべきを言って、後は取り合わないことが賢明だと思います。
もともと、戦火に倒れた自国民を悼んでのことではなく(天安門事件一つとってみても自国民を大切にする国とは思えません)
、政治的なものなので、こちらの主張を繰り返すことにより、やがては沈静化していくと思います。

うーん

投稿者: nonno_special 投稿日時: 2004/08/16 02:40 投稿番号: [2571 / 41162]
「日中戦争」「南京大虐殺」などでネット検索すると色々出ています。
中には実際に戦地に行かれた方のHPもあります。

色々私も調べましたが、日中戦争で、日本は「三光作戦」という戦略があったようですね。
とにかく全ての人を殺し尽くし、ものを奪い尽くし、焼き尽くせ…みたいな。

信じ難いことでも、虐殺があったのは事実ではないのかな。
その数は判らないけど、数の問題でもなく。
と言っても、そのままその当時の日本人が、全てが全て思いのままにしたことでもないと思うし、
まして今の日本人にもそんな考え(「中国人は殺せ」という考え)がある訳でもないし…

まだまだ自分なりに考え中ですが、今の時点で考えられることは、
日中間の友好確立にはまだ大きな溝があるということは確か…

認める勇気

投稿者: kakinigegomen20040815 投稿日時: 2004/08/16 00:25 投稿番号: [2570 / 41162]
たとえ10万人でも大虐殺だよ。(あくまでも仮定の話だからね、仮にあったとして、の話)
でもその場合、中国側は、20万人分は捏造でした、とちゃんと認めて世界に公表する勇気もってる?
10万人虐殺されたことが証明された、だから我々のいうことが正しくて、日本は全面的に間違ってた、あったかなかっただけが問題で、数の問題は些細なことだから、20万人分の捏造水増しはいちいち認めて公表する必要はない?
なんてことにはならんでしょう。
数は問題ではない、というのは詭弁だよ。
認める勇気、は双方に要求されるものだ。
日本にだけそれを求めるのはご都合主義。
数を問題にしたくない、というのは「犠牲者の数30万人」という自分たちの主張が崩れてきたために、その部分について突っ込まれたくない、数をごまかしたことについての責任をとりたくない、と逃げを打っているようにしか見えない。
つまり、「認める勇気」がハナからないんだ。

>>>ちょっと、お尋ね?@駄目押し

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/16 00:05 投稿番号: [2569 / 41162]
##南京には135万の人口があったが、宣戦布告も警告もなく、日本軍に爆撃され、多くの人民は難民として避難してしまったのだよ。##

蒋介石軍の行為までいっしょくたにされてはたまりませんね。

蒋介石幹部&富裕層の逃亡→お決まりの清野作戦→電気が途絶える→一般民の間で強盗等の内部混乱が生じる

中支那方面軍、第五野戦重砲旅団から成る上海派遣軍、第十軍、松井石根大将が総攻撃を開始する以前に、蒋介石は唐生智を城塞都市の司令官に任命し、南京近郊の建物、民家、家財道具や財産を日本軍に利用させないために徹底的に破壊し、焼き尽くすという行為があったのは、これこそ本人も認めるように事実です。

このプロセスを見落としている以上は、議論の続行も出来ません。

それに、日本軍が南京攻略において南京城前に到着してからも、日本軍は1937年12月9日に国際法学者とも協議して作成した「攻略要領」に基づき「和平開城勧告文」を飛行機で撒布しました。国際法にのっとって無防備都市として開城すれば攻撃しないと中国側に通告したが、翌十日午後一時の回答期限になっても何の回答もなかったので総攻撃に踏み切りましたが。

##笑えるね、、、、 ##
笑えるね、、、、

>>>ちょっと、お尋ね?3

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 23:41 投稿番号: [2568 / 41162]
##100人でも虐殺じゃないのか?##
必ず軍紀に基づいて軍隊全員が行動していたというのは有得ない話です。何処かそこらで軍紀の乱れや違反はあったでしょうし、略奪も強姦も恐らくあったでしょう。しかし、30万人という虚構が崩れると「問題は数じゃない。問題を矮小化するな」という人達の論理には、ほとほと付き合いきれません。「言い逃れができないので、不確かな被害者の数を問題にし」始めたのはあなた達のサイドですよ。

##南京には135万の人口があったが、宣戦布告も警告もなく、日本軍に爆撃され、多くの人民は難民として避難してしまったのだよ。##
##30万人は多すぎるなどと何を根拠として言っているのか、常識を疑われるというものだ。##

あなたはデータを重視する方だと思っていましたが、どうやら買い被り過ぎていたようです。135万人というデータは何処から出てきたのでしょうか?証明する資料は無い様ですね。対してあなた方の賛美する「ラーベの日記」の叙述者であるラーベの上申書には7月には100万人の人口がいた、とされています。これは様様な資料から裏付けされていますね。その同じラーベが日本に対しての物資補給への報告書を出す際に、

第6号文書(Z   9)
南京国際区安全委員会
寧海路5号   1937年12月17日  

言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。〜中略〜もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
  市の一般市民の保護にかんして当委員会はなんなりとも貴下に喜んで協力することを確約します。   敬具  
委員長   ジョン・ラーベ

上記の20万人という内容、またアメリカ大使館及びラーベの、人口の凡そ4/5(ラーベは日記で80万人としている)が脱出したという報告を鑑みれば30万人説はこれだけでも崩壊しますね。

最後に。
多分、今後は1人でも100万人でも虐殺は変わらない云々の無駄な論理展開が予想されますので、レスは控えさせていただきます。説教したいのは私の方ですよ。高校生に説教されるのは立場的に嫌ですか?もう少しマトモなトピだと思ったのですが、トンだ思い違いだったようですね。では。

>>>ちょっと、お尋ね?2

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 23:40 投稿番号: [2567 / 41162]
ちなみに資料。

白茆口に上陸した第十六師団の、12月1日侍従武官に対する状況報告

作戦経過の概要
  第十六師団ハ数船隊トナリ11月12日呉淞沖ニ達シ、13日払暁、白茆口付近ニ上陸シ、一部ヲ以テ白茆口付近ヲ占領シ、主力ヲ以テ支塘鎮ニ
向ヒ前進スベキ軍命令ヲ受領ス。
  師団ハ重藤支隊ニ引続キ13日、第一船隊タル歩兵第三十旅団(第三十八連隊欠)ヲ基幹トセルモノヲ以テ佐々木支隊トシ、揚子江岸ニ
上陸シテ、連カニ支塘鎮−常熱道ニ進出シ敵ノ退路ヲ遮断セシム。佐々木支隊ハ、退却掩護ニ任ズル四、五千ノ敵ヲ撃破シ、夜間追撃ヲ
続行シテ15日常熱東方約四十粁付近ニ進出シ、「トーチカ」ヲ有スル既設陣地ニ拠ル敵ト相対ス。
  上陸地点ヨリ戦場ニ至ル間、車輌ヲ通ズル道ナク、加フルニ連日ノ降雨ノタメ泥濘ノ悪路ト化シ、部隊ノ進出意ノ如クナラズ。コノ頃、
師団砲兵全ク参加ノ見込ナク第十一師団及ビ軍砲兵ノ協力ヲ得テ本攻撃ヲ実行セリ。

  19日夜半、敵ノ退却ニ尾シテ、第一線各部隊ハ夜間追撃ヲ敢行シ、当面ノ敵ヲ駆逐シテ、22日夕、東亭鎮(無錫東方)ニ進出ス、
当時師団ハ歩兵部隊ハ之ヲ集結シタルモ砲兵ハ僅カニ四門到着シタルニ過ギズ、後方補充機関ハ未ダ上陸ヲ完了セズ。(中略)
  東亭鎮付近ノ「トーチカ」ヲ有スル既設陣地ヲ昼夜兼行デ攻撃シ、26日午後二時三十分、完全ニ無錫ヲ占領セリ。師団ハ直チニ
草場少将ノ指揮スル歩兵三大隊、軽戦車隊、野砲兵一大隊トシ、京滬鉄道ニ沿フ地区ヲ常州ニ向ヒ追撃セシム。
  追撃隊ハ各方面ヨリ退却シ無錫市内ニ充満セル敵ヲ掃蕩シ、或ハ潰走中ノ敵ニ多大ノ損害ヲ与ヘツツ追撃シ、29日午前十一時四十分
常州ヲ占領シ、続イテ丹陽ニ向ヒ追撃中、師団主力ハ11月30日常州ニ進入セリ。
  師団ノ大部ハ既ニ集結シ得タルモ、騎兵第二十連隊、野砲兵第二十二連隊ノ三中隊、大隊段列ノ主力及ビ連隊段列、輜重兵第十六連隊、
野戦病院ハ尚船上ニアリ、又各部隊ノ大行李ノ主力ハ、或ハ船上、或ハ揚陸地ニアリテ未ダ集結ノ見込立タズ。
●経    理●
  師団上陸以降ノ給養ハ、主トシテ現地物資ニ依リ、調味品及ビ副食等ノ一部ハ追送ヲ仰ギタルモ、幸イニ江蘇省特産ノ米ヲ各地ニテ得
ラルルタメ、比較的良好ナル給養ヲ実施セリ。
  師団ノ大行李及ビ輜重等隊属ノ補給機関ハ未ダ揚陸途中ニアルヲ以テ、軍隊直接ノ補給ニハ主トシテ地方小舟ヲ徴用シテ、「クリーク」
往来ニヨリ、概ネ大行李、輜重ノ代用ヲツトメツツアリ。
  馬糧ノ追送ハ容積ノ関係上頗ル困難トシツツモ、現地ニオケル刈取ノ稲ヲ利用シ、又小麦等ヲ加ヘ殆ド内地ニ見ル給飼ヲ実施シアルモ、
今日迄ニオイテ、栄養上ニハ支障ナキモノト認メアリ。
  被服ニ関シテハ、鹵獲セル靴下、綿入、朋衣等ヲ支給シ、概ネ給養上遺憾ナカラシメアリ。

●衛    生●
  衛生ノ状態ハ概シテ良好ニシテ、将兵ノ健康度ハ逐次気候風土ニ慣馴シ、増強シツツアルヲ認ム、コノ地上陸以来ノ戦死総数計一九二
(内将校一四)、戦傷五六九(内将校二三)平病約二〇〇ニシテ、傷病者ハ迅速ニ衛生機関ニ収容セシメ、初療ノ普及ニ遺憾ナキヲ期シアリ。
(以下略)

これによると第16師団は初期のころは、補給が滞りがちになり、現地物資によった訳ですが、これがもとで軍紀が乱れが発生したようには読みとれないし(強姦だの略奪だの)、調達も経理部によって適正に処理されていたようです。

ちなみに当時の陸軍刑法。

陸軍刑法(昭和17年(1942年)改正で第八十八条ノ二を追加)
   第九章   掠奪及強姦ノ罪

第八十六条   戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ住民ノ財物ヲ掠奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス
2   前項ノ罪ヲ犯スニ当リ婦女ヲ強姦シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処ス

第八十七条   戦場ニ於テ戦死者又ハ戦傷病者ノ衣服其ノ他ノ財物ヲ褫奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス

第八十八条   前二条ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス

第八十八条ノ二   戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ処ス
2   前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処ス

第八十九条   本章ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

>>>ちょっと、お尋ね?1

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 23:39 投稿番号: [2566 / 41162]
##戦闘、追撃、略奪しながらの距離ではないでしょう。単純な計算ですよ。##

上海郊外の大場鎮、ゼークトラインを攻略した後(包囲殲滅戦は失敗)、国府軍を平行追撃したはずだし、"猛スピードで進んだ"はずなのに、100kmも寄り道をする日本軍は凄い悠長ですね。

##上海占領後は派遣軍は内地へ凱旋することになっていましたが、松井と武藤が南京攻略を策略し、当初から計画のなかった、もちろん参謀本部も南京への進撃を予定もしなければ、認めもしなかったのですよ、しかし、彼らは強行した、結果、参謀本部も、政府も後から追認したのです。##

ちなみに当初の作戦制令線は上海郊外(蘇州〜嘉興の線)までで、制令線撤廃については現地軍と参謀本部のあいだで激烈な議論の応酬があり、最終的に中央が折れて、制令線撤廃に至ったという経緯があります。とはいえ現地軍はその後も中央の統制を受け続けていたし、その都度制令線が
引かれ、また進撃経路、速度もそれぞれ中央の統制の中にあって、勝手気ままに南京を攻め落としたわけではありません。

##もちろん上海から南京までの進撃コースにおいても略奪、強姦、人民の殺戮、虐殺は行っています。##

国民党側の焦土作戦と混同してもらっては困ります。焦土作戦を行ったことは中国側も認めています。焦土作戦の目的は米、豚、鶏等の食料を日本軍に渡さない為であり、日本軍が焼き尽くされた家や村から食料を強奪できるとは到底不可能です。それに強奪するも何も住民は居ませんね。焼け野原に家を建て直し住民を集めた後で#略奪、強姦、人民の殺戮、虐殺#が行われたというのならそれはそれで凄い話です。

##でなければ、あなた方の言われる「南京虐殺は無かった」とはいつまでもウソであるということです。##

あるならあるでデータでも持ってきてください。それに否定派は肯定派が出してくる論拠を覆すことで、証拠罪定主義に基づき、十分に南京大虐殺は存在し得なかったことに成りえます。

それに
食料補給しよう=>奪う=>虐殺
の三段論法が罷り通っている時点で恐ろし
い物を感じます。まず食料現地調達=略奪では意味がぜんぜんちがうし、(現地調達=代金支払い発生、略奪=泥棒)現地調達自体はどの国の軍隊でもやっています。ちなみにアメリカ軍が長崎や佐世保の農家からキュウリやトマトを現地調達してもそれが問題にはならないし、それでアメリカの空母の中で暴動が起こったなど聞いたことがありませんね。

虐殺?大虐殺?

投稿者: asdll58 投稿日時: 2004/08/15 23:31 投稿番号: [2565 / 41162]
よく数の問題ではないという奴がいる。そいつらの言い分に従えば、

一人殺しても虐殺になり得る。それなら、数人殺せば大虐殺だ。

だが、そんなこと言いだせば、世界は虐殺、大虐殺だらけだ。古今東西、戦争で大虐殺やってない国なんてほとんど存在しないだろう。自分のことは棚に上げておいて、上記のような理屈で、数の問題ではない、日本軍は南京で大虐殺を行ったといいつのるのは筋が通らない。

いや、南京への進軍中に行った略奪暴行虐殺も計算に入れているというやつがいるが、いまここで問題にしているのは、南京市内での無辜の市民の(20万〜30万人規模の)大虐殺ではないか。

数の問題ではないとか、南京へ行軍中とか言いだすのは、すりかえにすぎない。

>>ちょっと、お尋ね?説教しょうかな?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/15 21:39 投稿番号: [2564 / 41162]
これで解決でしょうかね?

>上海-南京間は距離にして300kmです。

これは地図上での直線距離ですよ。

戦闘、追撃、略奪しながらの距離ではないでしょう。
単純な計算ですよ。

>補給基地や物資部隊などは存在し得ないことになります。食料は上海から南京に進攻中、無錫に大補給基地があってそこで補充してから充分ありました

あなたは上海派遣軍がどうのような編成で進軍して行ったか、、をどうも   ご存じない方の様ですね。

後備役、予備役の臨時招集された軍隊ですよ、しかも上海戦に限り、編成、編合された軍隊です。
松井石根大将そのものが予備役の退役軍人だったのを司令官不足から急遽、任命された人物じゃあ〜ないですか?

上海占領後は派遣軍は内地へ凱旋することになっていましたが、松井と武藤が南京攻略を策略し、当初から計画のなかった、もちろん参謀本部も南京への進撃を予定もしなければ、認めもしなかったのですよ、しかし、彼らは強行した、結果、参謀本部も、政府も後から追認したのです。
ですから、食料などの兵站機関は当然ながらありませんでした。

もう一度、よ〜く   お調べ下さいね。

でなければ、あなた方の言われる「南京虐殺は無かった」とはいつまでもウソであるということです。

もちろん上海から南京までの進撃コースにおいても略奪、強姦、人民の殺戮、虐殺は行っています。

日本軍の食料は「現地調達主義」「現地生活主義」でした。

占領するまでは調達、徴用、略奪を繰り返し、
占領すれば、田畑を耕し、鶏、豚を飼う。
占領地で畑を耕している兵隊の写真が多いのもこの為である。

あまり、いい加減なことは投稿しないようにしましょうね。

ゴーマニズム宣言より一部抜粋10

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 19:05 投稿番号: [2563 / 41162]
*中国政府と朝日が「合作」

この常軌を逸した朝日報道の中でも、最大の決定打となったのは昭和46(1971)年8月から連載された『中国の旅』だった。執筆者は本多勝一記者。これは本多記者が中国に出かけ、中国共産党政府が用意した「証人」に聞いた話を「裏付け・検証ナシ」でそのまま掲載したものである。「裏付けナシ」という、新聞記事の常識を無視した企画が新聞本紙、週刊朝日、朝日ジャーナル、アサヒグラフなど、あらゆる媒体を使って大々的に展開、翌年には単行本化され、ベストセラーになった。

文革真っただ中、今で言えば北朝鮮政府が選んだ人に北朝鮮の国情と金正日の人柄を聞いてくるようなもので、現在冷静に読み返してみると、もう笑うしかない代物になってしまっている。なにしろ出る人出る人、口々に「生きたまま顔の皮を剥いだ」だの「肝を取り出して煮て食った」だの、中国・漢民族の伝統文化の発想にしかない残虐行為を「日本兵がやった」とする証言を延々続け、最後に「今は毛沢東主席のおかげでしあわせです」と判で押したように語るのである。当の中国政府が、文革を権力闘争による同胞2000万大虐殺を伴うとてつもない犯罪行為、と認めている現在も、なぜかこの本は出版されている。

この連載の中で「南京」も大々的にとりあげられ、中国の証言そのままに「犠牲者30万人」が改めて大宣伝された。実は東京裁判の時には南京の事件は「南京暴虐事件」などの名称で呼ばれていた。「南京大虐殺」の名が一般的になったのは『中国の旅』から後のことである。言い様によっては「南京大虐殺」は朝日新聞が作った、とも言えるのである。
『中国の旅』キャンペーンには「事実と違う」という声も多く寄せられていた。しかし朝日はその反論をすべて無視し、中国のプロパガンダである反日宣伝の物量作戦を続行した。あくまでもこれに反論しようとする者は、今より遙かに「日本の良心」としての権威があった朝日新聞の正義の前に「日中友好の敵」「軍国主義者」のレッテルを貼られ、沈黙させられた。
「被害者の証言を疑う者は悪魔」。「従軍慰安婦」の時にも繰り返された構図である。(以下略)

ゴーマニズム宣言より一部抜粋9

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 19:04 投稿番号: [2562 / 41162]
*大虐殺宣伝屋は誰か?

実は戦後しばらくの間、「南京虐殺」は忘れられた存在だった。「大宅壮一文庫・雑誌記事索引総目録」を検索すると、占領下の昭和21年にティンパーリーの文が1回載っただけで、その後年10年間該当する記事がない。そして昭和31年に吉本隆明らが「多くの文学者が戦時下の言論活動の総括をしていない」と批判、「戦争責任論争」として一時話題になった時期に4件だけ「南京虐殺」が登場する。ちなみにそのうちの1件が先に紹介した「今井記者のニセ手記」である。そしてその後は昭和46年のー月まで14年近くもの間、1件の該当記事もない。
戦後すっかり風潮が変わり、「日本軍国主義」を告発することが正義とされる世の中になったのに、昭和31年の一時期を除けば25年もの間、「南京大虐殺」をほとんど誰も語っていなかったのだ。本当に「大虐殺」があったのなら、このような現象はありえない。

もしこのまま時が流れ、冷静に事実の検証が行なわれていれば、「南京虐殺」は『私は貝になりたい』のように、不正な戦犯裁判による占領下日本の悲劇の一つとして歴史に残っていたかも知れないのだ。ところが現実には未だに南京で大虐殺があったということが常識になっている。しかも東京裁判ですら認定できなかった「犠牲者30万人、計画的・組織的虐殺」が事実として宣伝されている。なぜそんなことが起きたのだろうか。

大宅壮一文庫によると、25年近くほとんど誰も語っていなかった「南京虐殺」の記事が、昭和46(1971)年一年間で突然12件も登場する。70年代からコトは始まったのだ。戦後四半世紀も経ってから、日本人が自ら「東京裁判」をもう一度やるような行為を始め、忘れられていた「南京」に強引に光を当て、さらに膨らませた「大虐殺」として日本国中に自ら流布した、それが今日の問題の根源なのだ。
ではその日本人とは誰か?
「朝日新聞」である。

既に稲垣武氏、片岡正巳氏、井沢元彦氏ら多くの人が指摘し、一部は朝日新聞も認めているように、70年代前半、朝日新聞は報道機関としての立場を外れ、完全に中国に偏向していた。常軌を逸して中国に肩入れした広岡知男社長から「たとえ事実でも中国に都合の悪いことは書くな」という趣旨の命令が出され、現実に実行されていたのである。これは裏を返せば「たとえウソでも中国に都合のいいことを書け」と言っているようなもので、実際にそのような記事も書かれていた。70年安保を前に、佐藤.ニクソン会談で沖縄返還・日米安保強化の声明が出された際、中国政府はこれを「日本軍国主義の復活だ、日本は未だ中国の戦争被害者に謝罪していない」と猛烈に非難した。日本の「軍国主義化」など実際にはありえないことは明白で、これはその後も事あるごとに繰り返される中国の反日プロパガンダにすぎなかったのだが、朝日新聞はこれを直輸入して記事にし、大宣伝し始めたのである。

当時の中国は文化大革命の真っただ中、「日本は世界征服の陰謀の第一歩として中国を侵略した」というトンデモない内容の反日偽書『田中上秦文』を『毛沢東語録』とともに大量頒布し、ありとあらゆる「日本軍の蛮行」を捏造しまくり、「その悪鬼・日本から我々を救って下さったのは毛沢東主席だ」という大宣伝を行なって国内をまとめていた。その一環として「南京大虐殺」も使われていたのだが、朝日はそんなプロパガンダを直輸入し、検証もせずに大宣伝したのだ。そして反戦・反権力ブームの当時の世相がそれを後押しし、他のマスコミも追随した。それが、戦後消えていた「南京虐殺」が突然大々的にマスコミに登場した理由なのである。

>> 知らなかった・・・

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 19:03 投稿番号: [2561 / 41162]
>彼らにとっては、歴史は当然捏造するものであり、

高句麗問題で韓国が中国に対して「歴史の歪曲であり捏造だ」と声を大にして叫んでいる姿は因果応報とでもいう他無いですね。日本人も含め普通に学校へいき教科書を読むだけの人達(マジョリティ)は歴史など教科書に書いてあることが唯一無比であり、疑うことなど知らないので無理もないでしょうが・・・

>アメリカは、中国と共同で捏造した歴史を使って計画的に、日本人に罪の意識を植え付けたのです。まさに洗脳です。

W.G.I.P(ウォーギルドインフォメーションプログラム)というヤツですね。しかし、ただアメリカは酷い酷いといっているだけでは何も始まりません。彼等戦勝国にとってはそれが戦後における対日政策への戦略だったのですから(皮肉なことにアメリカは5年後冷戦の激化に伴い自ら否定する羽目になりますが)。アメリカの陰謀だアメリカの性だ、と憲法改正でも良く持ち出されますが、戦後60年間日本が変えてこなかったのも事実です。それを"他国の性でかえれなかった"としてしまっては隣国のお友達と同じレベルです。

ゴーマニズム宣言より一部抜粋8

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 19:02 投稿番号: [2560 / 41162]
*日本側は理路整然

「東京裁判」で提出されたこれらの「証言」や「証拠」に対して弁護側は「弁駁書」を提出して一つ一つに詳細な反論を加えた。さらに日本軍の南京攻略の際、その前に支那軍自身が「清野作戦」による焼き払いや掠奪を行なっていたこと、支那軍司令官・唐生智が兵隊を置いて逃げたために大混乱になっていたこと、民間人と区別のつかない「便衣兵」という戦術の卑劣さとその徹底ぶり、そのために生じた「便衣兵狩り」の必然性、投降兵処断の合法性、さらに当時の日本軍は軍規を厳しく徹底していたこと、などをあげて徹底的に反論した。

弁護側最終弁論では、こう結論づけている。「これを要するに所謂『南京掠奪暴行事件』なるものの真相をつぶさに究明すれば、南京陥落に際し中国兵が行った破壊的行為、中国要人の戦場放棄により生じた無政府状態の下に跳梁した不逞市民の犯罪行為、これに加えるに、中国軍民の執拗極まりない侮日思潮と、常軌を逸した敵対行動に憤慨した日本軍の即断行動、物資に窮した日本軍の徴発行為および、国籍を超えた性的交渉等について、戦乱時の恐怖心に駆られた群集心理に基づいてあるいは捏造され、あるいは誇張された噂話が、折柄、抗日侮日に熱狂した中国人とこれを支持した第三国人等によって、針小棒大に全世界に宣伝されたのである。そうであればこそ、当時南京攻略に従軍し、かつその後同地に滞在して事情に精通した真面目な日本軍の将兵は、終戦後初めてアメリカ側より以上のような宣伝報告を聴き唖然とした旨、本法廷で幾多の証人が証言したのである。」

歴史史料から見る限り、これこそが「南京虐殺」の真相だったと言うしかない。
「東京裁判」における検察・弁護双方のやり取りは、当時法廷係として審理の大部分を傍聴された富士信夫氏の著書『「南京大虐殺」はこうして作られた東京裁判の欺瞞』に詳しい。先入観なしに読めば、検察側の杜撰な主張に対し、弁護側の主張が実に理路整然としていることが明白である。普通の裁判であればこれで有罪判決が出るということは考えがたい。だがこれは「裁判」の名を借りた政治ショーだったのだ。(中略)

>こいつは反論できないので、

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 18:50 投稿番号: [2559 / 41162]
確かに反論も出来ない人達(私にとっては味方ですが)が罵倒している姿は情けないし、笑えますね、、

私はここにはフラッと立ち寄っただけでいつもは別のトピに居ますが、何処のトピにも相手を対等に扱わず罵るだけの輩がいて困ったものです。

意見は違ってもあなたの様な人の方がよっぽどマシですよ。

>>ちょっと、お尋ね

投稿者: kihachi426 投稿日時: 2004/08/15 18:44 投稿番号: [2558 / 41162]
誰も反論しないとは情けない。

##上海より南京までの約400kmの行程##

上海-南京間は距離にして300kmです。

##また、南京陥落後の兵士の食料などについての、記述がありませんが、如何ほどの食料を持って行かれたのでしょうか?##
##また、南京場内においての食事の塩梅はいかがでしたでしょうか?##

あなたの論理によりますと、補給基地や物資部隊などは存在し得ないことになります。食料は上海から南京に進攻中、無錫に大補給基地があってそこで補充してから充分ありました。そもそも何で難民だらけの安全区にわざわざ入って略奪する必要があるのでしょうか。安全区にいたのは避難もできない貧乏な難民だけです。

##腹の減った8万人からの兵隊が約400kmを銃を担いで、疾風のごとく、##

400kmという長距離肯定で味方の物資補給が否定されるのであれば一体、中国共産党の大西遷(瑞金-延安)の行程では一体どのような行為が行われていたのでしょうね。南京から重慶に退いた国民党軍はどうだったのでしょう。南洋諸島においてのアメリカ軍は?人間食べるものを食べないと、生きてはいけませんよね。

##唯一   この点が不明なところではないでしょうか?##

疑問は解消されましたね。こちらとしても喜ばしいことです。


とりあえず、ご苦労様です。

嘘をつき続けるって

投稿者: chicken_noodle_36 投稿日時: 2004/08/15 17:16 投稿番号: [2557 / 41162]
大変だね!

ご苦労さん。

↓こいつは反論できないので、こう言う?

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/15 15:57 投稿番号: [2556 / 41162]
>まともに取り合わないほうがよい。

ということは   まともな答えが無い、、?

ということか?

虐殺とは何万に以上を言うのだ?

100人でも虐殺じゃないのか?

通州事件の被害者は230名くらいではなかったか?
これは虐殺ではないのか?

10万人の被害者と30万人の被害者と、どこで虐殺と分けるのだろうか?

どちらにしても大きな被害であることに違いはない。

それとも、言い逃れができないので、不確かな被害者の数を問題にしているだけなのだろうか?

そうだとしたら、実に情けない反論であることに間違いはないと思うね!

南京には135万の人口があったが、宣戦布告も警告もなく、日本軍に爆撃され、多くの人民は難民として避難してしまったのだよ。その後、上海派遣軍が南京を攻略し、虐殺事件を起こしたのだよ。
30万人は多すぎるなどと何を根拠として言っているのか、常識を疑われるというものだ。

数ヶ月間の人口動勢など、誰が調べられるというのだろうか?
馬鹿らしいこと、この上ないね。

認める勇気のない連中が、自虐的に、数を問題にしているだけか?

笑えるね、、、、

> 知らなかった・・・

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 13:37 投稿番号: [2555 / 41162]
私は以前、中国に対して特に悪い印象は持っていませんでした。
しかし、最近中国や韓国に関して自分で調べ始めてみて、
いかに私がお人好しで何も知らなかったのかを知り、愕然としました。

日本人の感覚で中国が言うことを受け取ると大けがをします。
日本人は、正直ですが、中国や韓国は、日本に怪我をさせる意図を持って
様々な発言をするからです。

日本人にとって歴史は史実を探るものですが、中国や韓国にとって
歴史は、自分たちに都合がいいように捏造するものなのです。
これは、中国の歴史が繰り返し異民族に征服され、そのたびに
過去の価値観や歴史の一切を否定するということを繰り返して
きたことと無縁ではないでしょう。

彼らにとっては、歴史は当然捏造するものであり、嘘をつくことは
当たり前のことであり、正直に話すことなど馬鹿なことと考えているようです、
台湾の黄文雄さん(ジャーナリスト)が、「中国人は『詐』の
民族であり、日本人は『誠』の民族である」と喝破しましたが、
まさにその通りだと思います。嘘に対する感覚がまるで違うのです。


中学生ならば、小林よしのりの「新ゴーマニズム宣言第5巻」の一部に
「南京大虐殺」が取り上げられていますので、これがいいのではないか
と思います。漫画形式ですし(笑)。
ただ、内容はかなり濃密ですから親のサポートが必要かもしれません。

日本が台湾や韓国支配してどのような統治をしたかについては
「新ゴーマニズム宣言:台湾論」がいいとおもいます。
大人であれば、黄文雄さんの著書「日本人が台湾に残した武士道」
と「韓国は日本人がつくった」(徳間書店)の2冊がいいと思います。
私は、「日本人が台湾に残した武士道」を読んで長年の謎が解け、
何十年にもわたる洗脳から目が覚めました。

アメリカは、中国と共同で捏造した歴史を使って計画的に
日本人に罪の意識を植え付けたのです。まさに洗脳です。
幸いにして私は洗脳がつい最近解けましたが、いまでも
極めて多くの日本人が洗脳され、中国や韓国の駒となって
同じ日本人を責め続けています。

彼らは、そういう人達を腹の中でせせら笑っているでしょう。
日本人にとっての悲劇です。

参考です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=2499

↓こいつは難癖をつけるために聞いている

投稿者: kitachousen_funsai 投稿日時: 2004/08/15 13:30 投稿番号: [2554 / 41162]
まともに取り合わないほうがよい。

ゴーマニズム宣言より、、ちょっと、お尋ね

投稿者: oityantyan 投稿日時: 2004/08/15 13:27 投稿番号: [2553 / 41162]
おたずね致しますが、
上海より南京までの約400kmの行程において、また、南京陥落後の兵士の食料などについての、記述がありませんが、如何ほどの食料を持って行かれたのでしょうか?

虐殺がなかったとされる方々の意見を聞きましても、どなたも食料については、ご存じない様です。

腹の減った8万人からの兵隊が約400kmを銃を担いで、疾風のごとく、南京に攻め込むのですから、その途中での食事はいかがしていたのでしょうか?
また、南京場内においての食事の塩梅はいかがでしたでしょうか?

唯一   この点が不明なところではないでしょうか?

人間食べるものを食べないと、生きてはいけませんよね。

>>>>既に落ち目のアイリス・チャン

投稿者: asdll58 投稿日時: 2004/08/15 12:49 投稿番号: [2552 / 41162]
>目的は   狭く「日本人の名誉回復」よりも、「人民共和国の諜報活動・特定人種の迫害・人種的憎悪の煽動に反対する」の方がいい。

うむ、これはいい。

>完璧な英語で   そのためにはネイティブを雇うなりお金もかけて   事実に基づく、偽造の立証をするサイトを   いくつも立ち上げたらいい。

賛成!英語のサイトもあるが、間違いの多いのが多い。何度か忠告のメールを送ったが、反応あったのかどうかこころもとない。

それから、日本的論理がすけてみえる英語で、これではあまり相手にされない。相手の発想にたって論じないと通じない。

>いまさらそれをいっていても仕方がない。

たんに嘆いているだけなら仕方がないが、敵を知り己を知ることは、大事なことでしょう。自覚があれば徐々にではあれ、「改善」は可能だと思う。

日本人もずいぶん海外旅行や滞在などするようになったから、焼け石に水以上の効果はあると思う。

国民性という土台の部分も変えていくようにしないと困難な問題だと思います。

ゴーマニズム宣言より一部抜粋7

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 12:32 投稿番号: [2551 / 41162]
*東京裁判の茶番劇

そして翌昭和21年から「東京裁判」が始まる。これは「太平洋戦争史」ででっち上げた「日本=絶対悪、連合国=絶対善」というストーリーを既成事実化するために行なわれた政治ショーだった。ここにも「南京虐殺」が登場する事になる。ところが裁判の最初から、検察側が主張する被害者数が言う人ごとにバラバラという支離滅裂状態だった。証言台に立ったベイツは何度も無視され続けて来た「4万人虐殺説」を披露。主席検察官キーナンは「数万人」とあいまいにごまかした。最もデタラメだったのは中華民国の主張で、「確認した死者30万、さらに末確認の死老20万」と言ったすぐ後に「被殺害者確数34万人」と書き、さらに別の所には「279568名」などと書いてあった。

これだけでもいかにデタラメな裁判だったか分かろうものだが、それだけではない。「東京裁判」には「偽証罪」というものが存在しない。「立証責任」も存在しない。つまりウソ証言言いっ放しでもOK、インチキ証拠出しっ放しでもOKという、とんでもない裁判だったのである。そもそも裁判官席にいるのは「中立国」の人間ではない。全員、それまで敵だった連合国の人間である。「南京虐殺」の「被害者」ということになっている中華民国も裁判官席にいるのだ。こんな裁判で中立・公正が保たれるわけがない。要するに中世の魔女狩り裁判と同じである。これは「裁判」ではなく「リンチ」だった。

「南京虐殺」はこのような「裁判」にかけられたのである。当然ながら証人も証拠も、怪しいものだらけだった。2日間もしゃべりまくりながら、そのほとんどを目撃していなかったというマギーの腰砕け証言は第58章に紹介したとおりだが、他の証人も似たり寄ったりである。自分の体験談を話しているはずなのに、「ノートを読んでいる」ようにしか見えない人。日本兵にあちこち連れ回され、行く先々で残虐な行為を見せつけられながらも自分は全く無傷という「特別に日本兵に好まれていた」としか思えない支那人。「5万7418人が閉じ込められ、虐殺されるのを目撃した」と、万単位の被害者を端数まで言い当てるスゴイ能力の持ち主。そして、やたらと出てくる「虐殺現場からの唯一の生還者」。これらがすべて「偽証罪なし」で真偽を問わず、採用されたのである。

証拠として提出された資料も相当怪しいものだった。例えば「死体埋葬表」というものがあった。死
体の埋葬数を確認できれば被害者数が推定できる、ということで埋葬をしたという「紅卍字会」「崇養堂」という2つの宗教系慈善団体の記録表が提出されたのだ。これによると「紅卍字会」が4万3071体、「崇善堂」が11万2267体の遺体を埋葬した、としてその埋葬の日付、場所などを詳細に記してある。
だがこれが、まったく信用できない代物だった。第一その死体が兵隊か民間人かは区別されていない
し、誰が殺したのかもわからない。その上、これは東京裁判の直前に作成されたものである。8年以上も前の遺体埋葬の記録をどうやったら作れるというのだろうか?   しかも遺体を埋葬したという2つの団体のうち、「紅卍字会」が遺体の埋葬をしていたことは先程紹介したラーべの日記や上申書にも書かれているし、他の資料や証言でも確認できる(ただし4万3000体の埋葬というのは水増しで、実際はー万3000からー万5000と推計されている)が、もう一方、11万以上もの遺体を埋葬したことになっている「崇善堂」なる団体が、実際に活動しているところを見た人は一人も存在しない。ラーべの日記にも出てこない。

「崇善堂」の埋葬記録表を見ていくと、昭和12年の12月から翌年3月までの間の埋葬数は「7549体」で、埋葬場所も詳しく書いている。1日平均110体程度である。ラーべ日記の「1日200体」よりも少ない。ところが4月の記録になると突然、たった23日間で「10万4718体」埋葬した、というとんでもない数字が出てくる。埋葬場所も「付近の荒地菜園」としか書いていない杜撰さである。最初は細かく表を作っていたが、途中で面倒臭くなって、いい加減に投げ出してしまったとしか思えない。捏造資料であることが一目瞭然である。

ちなみに「崇善堂」はこの死体埋葬作業をー隊12人の埋葬隊4隊で行なった、としている。当時はブルドーザーもパワーショベルもなく、トラックも軍用ぐらいしかない。遺体の運送も埋葬もすべて手作業で、2メートルの穴を掘って埋めていたのだ。「48人で23日間に10万4718体も埋葬」……こんな記録を誰が信用できるだろうか?
実際、作家の阿羅健一氏が当時の南京市の史料を発見し、「崇善堂」なる団体は埋葬事業を全くしていなかったことを証明している。ところが、どう見てもインチキなこの「埋葬統計表」が東京裁判では証拠として採用され、判決文にもそのまま引用されたのである。

ゴーマニズム宣言より一部抜粋6

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 12:31 投稿番号: [2550 / 41162]
*「南京虐殺」、登場!

昭和20年8月15日、終戦。
アメリカGHQは日本占領政策として、すべての情報を統制した。戦時中は言論の自由がなかったなどと言われるが、実はアメリカ占領下の方が遥かに言論は規制されていたのである。日本軍の場合、検閲で削除されると「伏せ字」になる。これだと「検閲で削除された」ということははっきりわかる。しかしGHQのやり方はもっと巧妙で、検閲して情報統制していることすら隠蔽していたのだ。
その上でGHQは日本人が大東亜戦争を戦った理想や正義をすべて否定し、罪悪感を植え付けるための洗脳作戦「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を実行した。そのために大東亜共栄圏の理想を表わす「大東亜戦争」の名称は使用を禁じられ、「太平洋戦争」に改めさせられた。そして昭和20年12月8日から、すべての全国新聞にGHQが執筆した「太平洋戦争史-真実なき軍国日本の崩壊」が強制的に連載された。

この「太平洋戦争史」は、昭和6年の満州事変以降のすべての日本の行為を軍部・政府の共同謀議の陰謀による侵略行為とし、日本軍は至る所で悪行の限りを尽くし、正義の連合国軍がこれを退治したというストーリーで、現在の自虐史観の原型となったものである。少し近現代史を知っている者なら、戦前の日本は政府も軍部もバラバラで共同謀議などありようもなかった、というのは常識だろう。史実を無視した、陰謀史観によるプロパガンダのための善玉・悪玉二元論の読み物、それが「太平洋戦争史」である。そして、その中に「南京虐殺」が登場したのだった。

日本人は公正なジャーナリストの報道で「南京虐殺」を初めて知ったわけではない。徹底した情報統
制の下、日本を悪玉に仕立て上げるために書かれたプロパガンダ読み物で知らされたのである。ちなみにここに書かれた虐殺数は「2万人」だった。そしてこの時、日本人には反論する言論の自由は一切なかった。

ゴーマニズム宣言より一部抜粋5

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 12:30 投稿番号: [2549 / 41162]
*「記録」をぜひ見たい!

南京陥落から4か月間だけ、「日本軍が虐殺をやった」という怪しげな「証言」が大量に出回り、それが安全地帯委員会の記録になり、ティンパーリーの本になり、ラーべの日記になり、一部の新聞記事になった。ところがこれはその後ほとんど追認されなかった。
当時から「誤報」と認識されていたのでラーべの日記を読むと、ラーべの家ばかりに日本兵が侵入し、ラーべの家の周りばかりに放火が集中している。他の国際委員会のメンバーの記録にも、誰某に呼ばれて行ってみるとたまたま掠奪や強姦の現場を目撃した、あるいは放火が始まった、といった不自然なものがやたら多い。
東中野教授は、安全地帯に潜伏していた支那軍の「撹乱工作員」が日本兵に化け、西洋人に目撃させていたのであろうと指摘、それを裏付ける新聞記事も紹介している。これによって、長年疑問とされていた証言の謎も氷解したのである。

当時のあらゆる史料に「南京虐殺」を認定できるものは全くない。それが現実である。もし「南京で
虐殺があった」と主張するなら、それを証明できる、史料批判に耐える当時の一等史料をぜひ見せてほしい。それをせずに「南京虐殺があった」と主張するのは、「歴史の偽造」になる。
これら東中野教授の研究成果は著書『「南京虐殺」の徹底検証』にまとめられている。これは南京虐殺論争に終止符を打つ決定的な一冊である。
そんなわけで、南京占領から半年ほどの時点で、日本軍が虐殺をしたなどという噂話はすっかり消えていた。ベイツは相変わらず「南京4万人虐殺説」をあちこちに売り込もうとしていたが、ほとんど誰にも相手にされていなかった。

ところがその噂話を、とんでもない尾ひれをつけて蒸し返した者がいた。後に『中国の赤い星』で有名になるエドガー・スノーである。この人は中国シンパであり、極端な反日主義者であった。南京占領から3年経った昭和16年春、スノーは『アジアの戦争』という本を書いた。これはティンパーリーの本を元に、対日憎悪の念の限りを叩きつけたもので、日本民族はフィリピン奥地の首狩族と同じだ、と書き立て、日本軍は「首狩時代の伝統を残しながら近代医学の技術と戦争科学をマスターしている」などという調子で、常軌を逸した「日本軍の蛮行」がでっち上げられている。もちろんスノーは南京戦に関して何も取材していない。ティンパーリーの本と自分の日本差別の意識だけで、根拠もなく「南京市内で4万2千、郊外で30万人」の民間人が虐殺された、と書いたのだった。

この年の暮れに日米は開戦する。そんな時期に出た本だけに、これは反日感情を盛り上げる役割を果たしたとは言えるかもしれないが、こんな本の記述をそのまま事実として認定し、南京で虐殺があったなどと信じ込み、日本を断罪しようなどというものは誰もいなかった。少なくとも戦争が終わるまでは。

ゴーマニズム宣言より一部抜粋4

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 12:29 投稿番号: [2548 / 41162]
*消えた「虐殺説」

委員長のラーべですらこんなもんだから、他の安全地帯委員はもっと露骨に反日宣伝に協力している。ベイツやフィッチがティンパーリーという記者にデマだらけの手紙を送り、それが編集されて『戦争とは何か』という反日宣伝本になったのは第60章に描いたとおりだが、ここでベイツは「4万人が殺され、うちー万2千人が民間人」と書いている。
このティンパーリー本に載った「ベイツのメモ」はその後、4冊の本に転載された。ところがその4回の転載からは、いずれも「4万人虐殺」の記述の部分がすっぽり削除されている。信憑性ナシと判断され、その部分が転載されなかったのである。転載された4冊のうちの一冊は中華民国の「公式資料」から作成された『チャイニーズ・イヤーブックー938-39』だが、ここでも「4万人虐殺」は削除されている。つまり、中華民国の公式見解でも「4万人虐殺」は信懸性ナシとして削除されたのだ。
当時は中華民国の公式見解でも虐殺は否定されていた……この大事実を発見されたのは、亜細亜大学の東中野修道教授である。教授は8年間かけて当時の史料を収集し、徹底的な検証により、当時の記録に「虐殺」が全くないことを実証された。

南京陥落当初の英字新聞などには、ティンパーリーの本と同様に、「強姦2万人」などといった、伝聞による大袈裟な日本軍の残虐行為を検証ナシで報道した記事がいくつか存在する。ところが南京陥落から7か月ほど後、「支那事変一周年特集」の本が数多くの新聞社・出版社から刊行され、南京陥落についても多く書かれているのに、その際、どの本も陥落当初の「強姦2万人」の報道などは再録しなかったし、まして「大虐殺」があったなどとは一行も書いていない。つまりそれらの記事も「ベイツのメモ」と同様、信愚性ナシと判断されたのだ。
ちなみに「大虐殺」があったとする学者はそのような事実を無視し、陥落当初の記事だけを根拠に「南京大虐殺は当時から報道されていた」と主張している。しかも日本語訳の際、「残虐行為」などの訳語が適当である所を「虐殺」に"意図的に誤訳"している、と原文を読んだ東中野教授は指摘している。

jptmd2004が支持する拷問は事実

投稿者: jiptmd2004 投稿日時: 2004/08/15 10:13 投稿番号: [2547 / 41162]
jptmd2004は、このような拷問をおこなうのは同然だと主張する残虐な中国人
拷問を支持するjptmd2004は拷問の共犯者です。
南京大虐殺などと嘘をつき続ける中国人
南京大虐殺は嘘でも、中国共産党による拷問は事実です。
残虐非道な中国共産党の手による拷問

http://minghui-jp.org/2004/07/17/phss_040717_01.htm

知らなかった・・・

投稿者: gifun_nikararete 投稿日時: 2004/08/15 10:00 投稿番号: [2546 / 41162]
知ろうとしなかった。
学生当時に冷静に考えれば、60万人も殺すわけも、殺せるわけも無いわけで、私は何を教わって来たんだろうか?今読むべき本は何でしょうか?中学生にも分かる本をお教え下さい。

人民共和国の対米工作(3)

投稿者: seekthetruth24 投稿日時: 2004/08/15 04:55 投稿番号: [2545 / 41162]
ちなみに

ミッキーカンター(弁護士、元USTR)

クリントン

彼らが   90年代の日本たたき   日本経済弱体化作戦の先頭にいたことは   偶然ではない。

>>>既に落ち目のアイリス・チャン

投稿者: seekthetruth24 投稿日時: 2004/08/15 04:52 投稿番号: [2544 / 41162]
ウェブは役に立つ、と思います。実際、嘘つき・煽動連中は   皆ウェブサイトを(英語で)持っていて   活動に生かしている。これはインテリジェンスというもので、インテリジェンスに対してはインテリジェンスで対抗する。英語で。

  たとえば   こういう内容(下)のサイトがたくさんあり、まっとうなものも多いのですが、日本語で日本人同士でだけやっている。これでは仕方がない。

完璧な英語で   そのためにはネイティブを雇うなりお金もかけて   事実に基づく、偽造の立証をするサイトを   いくつも立ち上げたらいい。目的は   狭く「日本人の名誉回復」よりも、「人民共和国の諜報活動・特定人種の迫害・人種的憎悪の煽動に反対する」の方がいい。90年代と違い   世界の人々も   ようやく   人民共和国の周辺国抑圧・軍備膨張・拡張主義・そのためには罪をでっち上げるやり方、に   脅威を感じるようになってきたから   追い風だと思います。

国民性はそうかもしれませんが   いまさらそれをいっていても仕方がない。我々と我々の子孫   すべてにかかわる問題だから。
ちなみにamazon.comの書評では   すでに本書に批判的なレビューが   米国内でも多数出てきている

政府や既成マスコミ(非朝日・岩波)がやらないなら   我々一人一人でやるしかない。泣き寝入りしてはいけない。

http://www.history.gr.jp/nanking/

そこで『レイプ・オブ・ナンキン』の写真を検証してみると。。。。。。(中略)
  たとえば生首が10個前後並んでいる写真は(組写真の1つ)は、チャンの本には「南京の犠牲者」と説明してあるが、1930年に中国官憲によって処刑された匪賊の首であることが判明している。
  結論から言えば11枚の写真は「やらせ」「すりかえ」「合成」が多く、1937年の南京周辺と推定出来るものは1枚もないと断言できる。そうはいっても、断言の根拠を知りたいと言う人もいようから、2、3の写真について説明を加えよう。
。。。。。。。
  ともあれ、慰安婦の強制連行写真にしては、のんびりとした風情で、赤ん坊を抱いた女性もいれば、子供が少なくとも4人、にこにこ顔の少年も1人見える。兵隊は行軍時と同様に肩に鉄砲をかついでいるが、銃剣はつけていない。
  久しく疑問を抱いていたこの写真が、実は写真週刊誌『アサヒグラフ』の1937年11月10日号に掲載され、翌年3月に朝日新聞社から発売された『支那事変写真全輯−中−上海戦線』にも転職されていることに気がついたのは、今年の1月になってであった。
  問題の写真、「硝煙下の桃源郷−江南の『日の丸部落』」の標題で、熊崎玉樹特派員が撮影した4枚の組写真のうちの1枚である。
  全体の説明文を見ると、日付は10月14日、舞台は上海郊外の宝山県で「我が軍の庇護によって平和に還った2つの部落がある。その1つは『日の丸部落』とといわれる盛家橋部落で・・・・約400名の村民は、我が軍の保護によって敗残支那兵の略奪をまぬがれ、意を安んじて土に親しんでいる桃源郷」とある。
  ここは綿作が盛んで、組写真には日本兵がつきそい老若そろって秋日和のなかで民謡を歌いながら綿をつみ取るシーンも入っている。問題の「連行写真」(写真(3)−3)には我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群」というキャプションがついていた。
 
  それにしても、写真のキャプションを正反対に書き換えた犯人は誰なのか。私は熊崎カメラマンに代わって追跡してみようと思いたった。。。。。

ゴーマニズム宣言より一部抜粋3

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 02:48 投稿番号: [2543 / 41162]
*ラーベ偽証の証拠

さて、ここで97年話題になったジョン・ラーべの日記『南京の真実』について触れておこう。ラーべが委員長をしていた「国際安全地帯委員会」のメンバーは「中立」は名目だけで、全員が支那に肩入れしていた。日本とドイツの間もこの当時はまだ「うす墨色」の条約しかなかったし、ドイツ人ジョン・ラーべは支那・国民党軍に武器を禿っていたジーメンス社の南京支社長だったのである。
ラーべの日記『南京の真実』には、なんとラーべが支那軍の龍大佐、周大佐という二人の将校を匿って3万ドルという大金を受け取ったことまで書いてある(同書P107)。また、嘘をついてでも日本軍を悪く印象づけようとしていた証拠も図らずも残されている。南京からドイツに帰ったラーべはー938(昭和13)年6月8日付でヒトラーに上申書を提出している。

そこには、「日本軍の非行」を縷々書きつづったあとで、こう書いている。
中国側の申し立てによりますと、十万人の民問人が殺されたとのことですが、これはいささか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人とみています。遺体の埋葬をした紅卍字会によりますと、一日二百体以上は無理だったそうですが、私が南京を去った二月二十二日には、三万の死体が埋葬できないまま、郊外の下関に放置されていたといいます。(P317)

これだけを見ると、「民間人5万〜6万人殺害、うち3万を下関に放置」と書いてあるようにしか読み取れない。ところがラーべが書いた日記の2月15日付の方を見ると、こう書いてあるのだ。
紅卍字会が埋葬していない死体があと三万体もあるということだ。いままで毎日二百人も埋葬してきたのに。そのほとんどは下関にある。この数は下関に殺到したものの、船がなかったために揚子江を渡れなかった最後の中国軍部隊が全滅したことを物語っている。(P254)
つまりラーべは2月15日の日記の時点で下関の3万体の遺体はすべて支那兵の戦死体だと知っていながら、その4か月後にヒトラーに提出した上申書ではそれをあたかも民間人であったかのように偽って報告しているのである。ついでに付け加えると、その「3万体」も伝聞であり、ラーべが自分で確かめたわけではない。誇張された数字である。

ラーべがヒトラーに上申書を出した時、すでに日独間は同盟関係の強化が図られている最中だった。そのためか、ラーべは上申書を提出して問もなくゲシュタポ(国家秘密警察)に逮捕されてしまったという。97年話題になったラーべの日記『南京の真実』、その信用度を計る上でこのことは大いに参考になると言えよう。他の記述についても「日本軍の残虐」をことさらに強調するために、故意に被害を水増しするなど誇張・捏造した箇所が相当にあると見るのが妥当である(『新・ゴー宣』第60章発表当時、157ぺージ5コマ目の記述について、「上申書には『3万は下関で戦死した兵隊』などとは書いていない」という指摘の手紙をいただきましたが、つまり、こういうことです)。

ゴーマニズム宣言より一部抜粋2

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 02:47 投稿番号: [2542 / 41162]
*どこにもない「虐殺」

「戦時中、日本国内では"南京虐殺"は隠蔽されていた」…戦後繰り返し言われ、教科書にも載っているこの言葉を疑えと言われても急には疑えない人もいるだろう。ではとりあえず〃南京虐殺"は日本国内では隠蔽されていた、と仮定しよう。だが、たとえ本国内で情報が隠蔽されていたとしても、もし本当に南京で虐殺があったのなら、他の国々や「被害国」の支那では大々的に報道されていたはずだ。国際連盟でも問題になったはずだ。当時の関係各国の公文書、文献、新聞記事などは数多く現存している。そこに「南京虐殺」が書かれているかどうか調べてみればよい。
当時の南京の史料としてまず挙げられるのがジョン・ラーべが委員長を務めた「南京安全地帯国際委員会」の報告書である。これには南京陥落直後の人口が20万人と記されている。まずここに注目だ。「30万人大虐殺」とも書われるが、人口20万人の南京でどうすれば30万人虐殺できるのか?30万でなくとも、1万でも2万でも、もし虐殺があったのなら、その後の人口は減っているはずだ。ところが記録ではその後もずっと「20万人」と記載され続け、1か月後には5万人増えて「25万人」になっている。「虐殺で人口が減った」とはどこにも書かれていない。それどころか逆に「人が増えて食糧が足りない」と記録には残っているのだ。

この報告書には「日本兵の犯罪行為」を告発する文書も数多く残されている。だがこれは第58章に描かれたとおり、支那人の言う「被害報告」を何の検証もせずタイプしたもので、目撃者の氏名すら記載されていないものが多い。「どこの誰が見たのかわからない目撃談」…-とういうのは「噂」とか「風説」と呼ばれるもので、たとえ裁判所に提出しても犯罪を立証するための証拠とならない。そんないいかげんな報告書を全部事実だと仮定しても殺人49件しかない。しかも、支那・国民党の外交顧問を務めた徐淑希という教授が後にこの報告書を編集し、中華民国の公式見解として『南京安全地帯の記録』(別名・『南京安全区當案』)という題で出版したが、そこでは殺人は25件に減っている。中華民国の公式見解にする際に、半分近くが信懸性ナシと判断されたためか、削除されているのである!

当の被害国であるはずの中華民国の当時の公式見解にも「南京虐殺」が登場しない! これは一体どういうことだろうか?   この『南京安全地帯の記録』や第60章で紹介した『蒋介石秘録』だけではない。重慶に移った国民党政府は何度も何度も日本を非難する声明を出しているが、なんとその中に「南京虐殺」は一度も登場したことがない。他のどんな記録を見ても「南京虐殺」は出てこない。一方の共産党軍の記録にも出てこない。毛沢東は南京陥落の半年後、南京戦の日本軍の戦略を総括する有名な『持久戦について』という演説をしているが、そこでも「日本軍は南京で虐殺をした」とは一言も言っていない。それどころか逆に、日本軍が南京で国民党軍を全滅させなかったのは戦略的に失敗だったと発言しているのだ。

アメリカ、イギリス、フランスなどは、昭和12年9月に日本軍が南京を空襲した際に抗議しているが、その年の12月にそこで虐殺があったなどという抗議は一切していない。そして国際連盟も、南京陥落の半年後に「支那に、同情の意を表明する」との文言を含む決議文を採択したが、そのどこにも「虐殺」のギの字も出てこない。国際連盟にこの決議文を採択させるために、支那・国民党政府の外交官は相当の外交努力をしているが、その際にも「南京虐殺」を提訴した形跡すら全くない。
要するに、当時の史料に「南京虐殺」が書かれているものは、ただの一つも存在しない!   これが、紛れもない現実なのである。

-…なのに、それから8年経って戦争が終わると、突然「南京で虐殺があった"」と世界中で言い出すのだ。これは一体どういう事だろうか?   世界中のすべての国が共同で、終戦まで「南京虐殺」を隠蔽したとでも言うのだろうか??

ゴーマニズム宣言より一部抜粋1

投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 02:47 投稿番号: [2541 / 41162]
南京大虐殺について資料が豊富で良くまとまっているので掲載してみました。

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《南京の本当の真相はこうだ》

*まずは常識を問う

まずは先入観ぬきで、「常識」だけで考えてほしい。
一国の軍隊がある国の首都を占領し、そこで罪もない人間を数万人虐殺したとする。そんな事実があ
ったとして、その情報を8年間にもわたって完璧に隠蔽することが果たして可能だろうか。
「南京虐殺」があったとされるのは昭和12(1937)年12月13日の南京陥落から2か月間である。ところが日本人が初めて「南京虐殺」の情報を聞いたのはそれから8年も後のことだった。丸8年もの間「南京で虐殺があった」などと聞いた日本人は誰一人なく、戦争が終わってから唐突に出てきた虐殺話に誰もが耳を疑ったのである。

60年も前の戦時中のことだから、その頃は情報が統制されていたんだろう、と思うかもしれない。だが大東亜戦争であの「大本営発表」が勝ち戦の情報を流し続けていた時でも、その情報を疑いつつ聞いていた人は多かった。まして数万人を虐殺したとなれば当然、膨大な数の目撃者、当事者が存在するはずだ。どう統制すればすべての情報を誰の目にも留まらぬようにできるというのだろうか?
「南京」についてだけ、国民の一人も疑わないほどの完璧な情報統制ができたというのだろうか?
第一、もし情報を隠していたのなら、隠していたという証拠は必ず残る。なにしろ万単位の虐殺の事実を8年も隠蔽しようというのだから。ところが戦後53年、そんな証拠は一切出ていない。

昭和12年12月、まさに「南京虐殺」があったといわれる期間に、南京には120人以上の報道陣がいた。石川達三、大宅壮一、林芙美子、西条八十といった高名な文化人もいた。だが誰も虐殺があったなどとは言っていない。もし情報統制で口止めされていたのであれば、戦後には絶対にそのことを暴露し、虐殺の目撃談を話したはずだ。ところが誰もが一貫して戦後も「虐殺はなかった」と主張していた。戦時中、前線の兵隊の掠奪・強姦などの不法行為を小説『生きてゐる兵隊』に書き、軍の検閲で発禁にされて有罪判決まで受けた石川達三ですら「虐殺などなかった」と断一言しているのだ。120人以上の報道陣の中で、戦後になって「虐殺はあった」と証言したのはわずか3人。後で詳述するが、これはいずれも虚偽であることが判明している。
それでも「情報統制で、知らされなかった」と思えるだろうか?現在、教科書にはこう書いてある。
「ナンキン占領のとき、大勢の中国の民衆が虐殺されたが(南京虐殺事件)、日本の国民には知らされなかった」〔日本文教出版・中学歴史〕

まずは常識を問う。本当にこんなことが、あり得るだろうか?   この教科書記述、ひょっとしてこう書いてあるのと、同然なのではないか?「1947年7月、米軍は墜落したUFOから宇宙人の死体を回収したが(ロズウェル事件)、米国の国民には知らされなかった」

>>>既に落ち目のアイリス・チャン

投稿者: asdll58 投稿日時: 2004/08/14 14:21 投稿番号: [2540 / 41162]
>回復不可能と悲観するまでもないことです。

「回復不可能」ではなく「ほとんど回復不可能」と言ったのです。

すくなくとも、あれは針小棒大だったと(世界の)一般人の認識が変わるのは、相当の努力と時間がかかるでしょう。彼らには、下意識でそう見たいという動機があるのじゃないかとさえ思います。その下意識(感情)を変えるというのはなかなか難しい。

>たとえば下の拙稿参照のこと。

それぞれもっともなことですが、一番日本人の国民性に苦手なことですね。井蛙のうえに、謙譲の美徳みたいなものが骨身に染み込んでいるらしいから。

>(ちなみにこの本は   米国の歴史家の間からも評判が悪く   廃刊も近いだろう。)

一握りの歴史家(それもチャイナ関係の)影響力なんて、多寡が知れています。彼らがチャン本批判の本を出版するだけでなく、マスコミや政治家を巻き込んだ大々的なキャンペーンでもやってくれるならいざしらず。教室や学界などで、どれほどの影響力があるのか。こころでは、困ったことだくらいには思っていても、親身になってわざわざ声を大にして弁じてくれる者はほとんど皆無でしょう。学界や教室においてさえ。

>廃刊も近いだろう。

廃刊で、図書館から一掃されるならまだしも、すでに、英語圏(いな英語圏以外でさえ)の大学図書館、その他の公立図書館で、この本を置いていない所は少ないのではないでしょうか。

チャンのやったこと、やっていることは、ほとんど犯罪的な行為だと思うが、だれか訴訟しないか。政府などがやるべきか。そういうお前がやれ。(笑)

地道に根気よくか。抗議のメールか。

ネットも多少役に立つかも知れない。内弁慶、謙譲の美徳みたいな国民性があって、抗議の嵐みたいなことが苦手な国民だからなあ。

やくざみたいな脅しや罵倒は得意らしいけど。

それから、これはどうなりましたか?

投稿者: sennen_no_sippo 投稿日時: 2004/08/14 13:52 投稿番号: [2538 / 41162]
興味津々なのですが。


http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9 oa29ta4n13&sid=1143582&mid=2495&thr=2495&cur=2495

はい

投稿者: yume365niti 投稿日時: 2004/08/14 09:55 投稿番号: [2537 / 41162]
ありがとうございました。
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