>>>既に落ち目のアイリス・チャン
投稿者: seekthetruth24 投稿日時: 2004/08/15 04:52 投稿番号: [2544 / 41162]
ウェブは役に立つ、と思います。実際、嘘つき・煽動連中は
皆ウェブサイトを(英語で)持っていて
活動に生かしている。これはインテリジェンスというもので、インテリジェンスに対してはインテリジェンスで対抗する。英語で。
たとえば こういう内容(下)のサイトがたくさんあり、まっとうなものも多いのですが、日本語で日本人同士でだけやっている。これでは仕方がない。
完璧な英語で そのためにはネイティブを雇うなりお金もかけて 事実に基づく、偽造の立証をするサイトを いくつも立ち上げたらいい。目的は 狭く「日本人の名誉回復」よりも、「人民共和国の諜報活動・特定人種の迫害・人種的憎悪の煽動に反対する」の方がいい。90年代と違い 世界の人々も ようやく 人民共和国の周辺国抑圧・軍備膨張・拡張主義・そのためには罪をでっち上げるやり方、に 脅威を感じるようになってきたから 追い風だと思います。
国民性はそうかもしれませんが いまさらそれをいっていても仕方がない。我々と我々の子孫 すべてにかかわる問題だから。
ちなみにamazon.comの書評では すでに本書に批判的なレビューが 米国内でも多数出てきている
政府や既成マスコミ(非朝日・岩波)がやらないなら 我々一人一人でやるしかない。泣き寝入りしてはいけない。
http://www.history.gr.jp/nanking/
そこで『レイプ・オブ・ナンキン』の写真を検証してみると。。。。。。(中略)
たとえば生首が10個前後並んでいる写真は(組写真の1つ)は、チャンの本には「南京の犠牲者」と説明してあるが、1930年に中国官憲によって処刑された匪賊の首であることが判明している。
結論から言えば11枚の写真は「やらせ」「すりかえ」「合成」が多く、1937年の南京周辺と推定出来るものは1枚もないと断言できる。そうはいっても、断言の根拠を知りたいと言う人もいようから、2、3の写真について説明を加えよう。
。。。。。。。
ともあれ、慰安婦の強制連行写真にしては、のんびりとした風情で、赤ん坊を抱いた女性もいれば、子供が少なくとも4人、にこにこ顔の少年も1人見える。兵隊は行軍時と同様に肩に鉄砲をかついでいるが、銃剣はつけていない。
久しく疑問を抱いていたこの写真が、実は写真週刊誌『アサヒグラフ』の1937年11月10日号に掲載され、翌年3月に朝日新聞社から発売された『支那事変写真全輯−中−上海戦線』にも転職されていることに気がついたのは、今年の1月になってであった。
問題の写真、「硝煙下の桃源郷−江南の『日の丸部落』」の標題で、熊崎玉樹特派員が撮影した4枚の組写真のうちの1枚である。
全体の説明文を見ると、日付は10月14日、舞台は上海郊外の宝山県で「我が軍の庇護によって平和に還った2つの部落がある。その1つは『日の丸部落』とといわれる盛家橋部落で・・・・約400名の村民は、我が軍の保護によって敗残支那兵の略奪をまぬがれ、意を安んじて土に親しんでいる桃源郷」とある。
ここは綿作が盛んで、組写真には日本兵がつきそい老若そろって秋日和のなかで民謡を歌いながら綿をつみ取るシーンも入っている。問題の「連行写真」(写真(3)−3)には我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群」というキャプションがついていた。
それにしても、写真のキャプションを正反対に書き換えた犯人は誰なのか。私は熊崎カメラマンに代わって追跡してみようと思いたった。。。。。
たとえば こういう内容(下)のサイトがたくさんあり、まっとうなものも多いのですが、日本語で日本人同士でだけやっている。これでは仕方がない。
完璧な英語で そのためにはネイティブを雇うなりお金もかけて 事実に基づく、偽造の立証をするサイトを いくつも立ち上げたらいい。目的は 狭く「日本人の名誉回復」よりも、「人民共和国の諜報活動・特定人種の迫害・人種的憎悪の煽動に反対する」の方がいい。90年代と違い 世界の人々も ようやく 人民共和国の周辺国抑圧・軍備膨張・拡張主義・そのためには罪をでっち上げるやり方、に 脅威を感じるようになってきたから 追い風だと思います。
国民性はそうかもしれませんが いまさらそれをいっていても仕方がない。我々と我々の子孫 すべてにかかわる問題だから。
ちなみにamazon.comの書評では すでに本書に批判的なレビューが 米国内でも多数出てきている
政府や既成マスコミ(非朝日・岩波)がやらないなら 我々一人一人でやるしかない。泣き寝入りしてはいけない。
http://www.history.gr.jp/nanking/
そこで『レイプ・オブ・ナンキン』の写真を検証してみると。。。。。。(中略)
たとえば生首が10個前後並んでいる写真は(組写真の1つ)は、チャンの本には「南京の犠牲者」と説明してあるが、1930年に中国官憲によって処刑された匪賊の首であることが判明している。
結論から言えば11枚の写真は「やらせ」「すりかえ」「合成」が多く、1937年の南京周辺と推定出来るものは1枚もないと断言できる。そうはいっても、断言の根拠を知りたいと言う人もいようから、2、3の写真について説明を加えよう。
。。。。。。。
ともあれ、慰安婦の強制連行写真にしては、のんびりとした風情で、赤ん坊を抱いた女性もいれば、子供が少なくとも4人、にこにこ顔の少年も1人見える。兵隊は行軍時と同様に肩に鉄砲をかついでいるが、銃剣はつけていない。
久しく疑問を抱いていたこの写真が、実は写真週刊誌『アサヒグラフ』の1937年11月10日号に掲載され、翌年3月に朝日新聞社から発売された『支那事変写真全輯−中−上海戦線』にも転職されていることに気がついたのは、今年の1月になってであった。
問題の写真、「硝煙下の桃源郷−江南の『日の丸部落』」の標題で、熊崎玉樹特派員が撮影した4枚の組写真のうちの1枚である。
全体の説明文を見ると、日付は10月14日、舞台は上海郊外の宝山県で「我が軍の庇護によって平和に還った2つの部落がある。その1つは『日の丸部落』とといわれる盛家橋部落で・・・・約400名の村民は、我が軍の保護によって敗残支那兵の略奪をまぬがれ、意を安んじて土に親しんでいる桃源郷」とある。
ここは綿作が盛んで、組写真には日本兵がつきそい老若そろって秋日和のなかで民謡を歌いながら綿をつみ取るシーンも入っている。問題の「連行写真」(写真(3)−3)には我が兵士に護られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女子供の群」というキャプションがついていた。
それにしても、写真のキャプションを正反対に書き換えた犯人は誰なのか。私は熊崎カメラマンに代わって追跡してみようと思いたった。。。。。
これは メッセージ 2540 (asdll58 さん)への返信です.