ゴーマニズム宣言より一部抜粋3
投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 02:48 投稿番号: [2543 / 41162]
*ラーベ偽証の証拠
さて、ここで97年話題になったジョン・ラーべの日記『南京の真実』について触れておこう。ラーべが委員長をしていた「国際安全地帯委員会」のメンバーは「中立」は名目だけで、全員が支那に肩入れしていた。日本とドイツの間もこの当時はまだ「うす墨色」の条約しかなかったし、ドイツ人ジョン・ラーべは支那・国民党軍に武器を禿っていたジーメンス社の南京支社長だったのである。
ラーべの日記『南京の真実』には、なんとラーべが支那軍の龍大佐、周大佐という二人の将校を匿って3万ドルという大金を受け取ったことまで書いてある(同書P107)。また、嘘をついてでも日本軍を悪く印象づけようとしていた証拠も図らずも残されている。南京からドイツに帰ったラーべはー938(昭和13)年6月8日付でヒトラーに上申書を提出している。
そこには、「日本軍の非行」を縷々書きつづったあとで、こう書いている。
中国側の申し立てによりますと、十万人の民問人が殺されたとのことですが、これはいささか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人とみています。遺体の埋葬をした紅卍字会によりますと、一日二百体以上は無理だったそうですが、私が南京を去った二月二十二日には、三万の死体が埋葬できないまま、郊外の下関に放置されていたといいます。(P317)
これだけを見ると、「民間人5万〜6万人殺害、うち3万を下関に放置」と書いてあるようにしか読み取れない。ところがラーべが書いた日記の2月15日付の方を見ると、こう書いてあるのだ。
紅卍字会が埋葬していない死体があと三万体もあるということだ。いままで毎日二百人も埋葬してきたのに。そのほとんどは下関にある。この数は下関に殺到したものの、船がなかったために揚子江を渡れなかった最後の中国軍部隊が全滅したことを物語っている。(P254)
つまりラーべは2月15日の日記の時点で下関の3万体の遺体はすべて支那兵の戦死体だと知っていながら、その4か月後にヒトラーに提出した上申書ではそれをあたかも民間人であったかのように偽って報告しているのである。ついでに付け加えると、その「3万体」も伝聞であり、ラーべが自分で確かめたわけではない。誇張された数字である。
ラーべがヒトラーに上申書を出した時、すでに日独間は同盟関係の強化が図られている最中だった。そのためか、ラーべは上申書を提出して問もなくゲシュタポ(国家秘密警察)に逮捕されてしまったという。97年話題になったラーべの日記『南京の真実』、その信用度を計る上でこのことは大いに参考になると言えよう。他の記述についても「日本軍の残虐」をことさらに強調するために、故意に被害を水増しするなど誇張・捏造した箇所が相当にあると見るのが妥当である(『新・ゴー宣』第60章発表当時、157ぺージ5コマ目の記述について、「上申書には『3万は下関で戦死した兵隊』などとは書いていない」という指摘の手紙をいただきましたが、つまり、こういうことです)。
さて、ここで97年話題になったジョン・ラーべの日記『南京の真実』について触れておこう。ラーべが委員長をしていた「国際安全地帯委員会」のメンバーは「中立」は名目だけで、全員が支那に肩入れしていた。日本とドイツの間もこの当時はまだ「うす墨色」の条約しかなかったし、ドイツ人ジョン・ラーべは支那・国民党軍に武器を禿っていたジーメンス社の南京支社長だったのである。
ラーべの日記『南京の真実』には、なんとラーべが支那軍の龍大佐、周大佐という二人の将校を匿って3万ドルという大金を受け取ったことまで書いてある(同書P107)。また、嘘をついてでも日本軍を悪く印象づけようとしていた証拠も図らずも残されている。南京からドイツに帰ったラーべはー938(昭和13)年6月8日付でヒトラーに上申書を提出している。
そこには、「日本軍の非行」を縷々書きつづったあとで、こう書いている。
中国側の申し立てによりますと、十万人の民問人が殺されたとのことですが、これはいささか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人とみています。遺体の埋葬をした紅卍字会によりますと、一日二百体以上は無理だったそうですが、私が南京を去った二月二十二日には、三万の死体が埋葬できないまま、郊外の下関に放置されていたといいます。(P317)
これだけを見ると、「民間人5万〜6万人殺害、うち3万を下関に放置」と書いてあるようにしか読み取れない。ところがラーべが書いた日記の2月15日付の方を見ると、こう書いてあるのだ。
紅卍字会が埋葬していない死体があと三万体もあるということだ。いままで毎日二百人も埋葬してきたのに。そのほとんどは下関にある。この数は下関に殺到したものの、船がなかったために揚子江を渡れなかった最後の中国軍部隊が全滅したことを物語っている。(P254)
つまりラーべは2月15日の日記の時点で下関の3万体の遺体はすべて支那兵の戦死体だと知っていながら、その4か月後にヒトラーに提出した上申書ではそれをあたかも民間人であったかのように偽って報告しているのである。ついでに付け加えると、その「3万体」も伝聞であり、ラーべが自分で確かめたわけではない。誇張された数字である。
ラーべがヒトラーに上申書を出した時、すでに日独間は同盟関係の強化が図られている最中だった。そのためか、ラーべは上申書を提出して問もなくゲシュタポ(国家秘密警察)に逮捕されてしまったという。97年話題になったラーべの日記『南京の真実』、その信用度を計る上でこのことは大いに参考になると言えよう。他の記述についても「日本軍の残虐」をことさらに強調するために、故意に被害を水増しするなど誇張・捏造した箇所が相当にあると見るのが妥当である(『新・ゴー宣』第60章発表当時、157ぺージ5コマ目の記述について、「上申書には『3万は下関で戦死した兵隊』などとは書いていない」という指摘の手紙をいただきましたが、つまり、こういうことです)。
これは メッセージ 2542 (kurunsupot さん)への返信です.