ゴーマニズム宣言より一部抜粋2
投稿者: kurunsupot 投稿日時: 2004/08/15 02:47 投稿番号: [2542 / 41162]
*どこにもない「虐殺」
「戦時中、日本国内では"南京虐殺"は隠蔽されていた」…戦後繰り返し言われ、教科書にも載っているこの言葉を疑えと言われても急には疑えない人もいるだろう。ではとりあえず〃南京虐殺"は日本国内では隠蔽されていた、と仮定しよう。だが、たとえ本国内で情報が隠蔽されていたとしても、もし本当に南京で虐殺があったのなら、他の国々や「被害国」の支那では大々的に報道されていたはずだ。国際連盟でも問題になったはずだ。当時の関係各国の公文書、文献、新聞記事などは数多く現存している。そこに「南京虐殺」が書かれているかどうか調べてみればよい。
当時の南京の史料としてまず挙げられるのがジョン・ラーべが委員長を務めた「南京安全地帯国際委員会」の報告書である。これには南京陥落直後の人口が20万人と記されている。まずここに注目だ。「30万人大虐殺」とも書われるが、人口20万人の南京でどうすれば30万人虐殺できるのか?30万でなくとも、1万でも2万でも、もし虐殺があったのなら、その後の人口は減っているはずだ。ところが記録ではその後もずっと「20万人」と記載され続け、1か月後には5万人増えて「25万人」になっている。「虐殺で人口が減った」とはどこにも書かれていない。それどころか逆に「人が増えて食糧が足りない」と記録には残っているのだ。
この報告書には「日本兵の犯罪行為」を告発する文書も数多く残されている。だがこれは第58章に描かれたとおり、支那人の言う「被害報告」を何の検証もせずタイプしたもので、目撃者の氏名すら記載されていないものが多い。「どこの誰が見たのかわからない目撃談」…-とういうのは「噂」とか「風説」と呼ばれるもので、たとえ裁判所に提出しても犯罪を立証するための証拠とならない。そんないいかげんな報告書を全部事実だと仮定しても殺人49件しかない。しかも、支那・国民党の外交顧問を務めた徐淑希という教授が後にこの報告書を編集し、中華民国の公式見解として『南京安全地帯の記録』(別名・『南京安全区當案』)という題で出版したが、そこでは殺人は25件に減っている。中華民国の公式見解にする際に、半分近くが信懸性ナシと判断されたためか、削除されているのである!
当の被害国であるはずの中華民国の当時の公式見解にも「南京虐殺」が登場しない! これは一体どういうことだろうか? この『南京安全地帯の記録』や第60章で紹介した『蒋介石秘録』だけではない。重慶に移った国民党政府は何度も何度も日本を非難する声明を出しているが、なんとその中に「南京虐殺」は一度も登場したことがない。他のどんな記録を見ても「南京虐殺」は出てこない。一方の共産党軍の記録にも出てこない。毛沢東は南京陥落の半年後、南京戦の日本軍の戦略を総括する有名な『持久戦について』という演説をしているが、そこでも「日本軍は南京で虐殺をした」とは一言も言っていない。それどころか逆に、日本軍が南京で国民党軍を全滅させなかったのは戦略的に失敗だったと発言しているのだ。
アメリカ、イギリス、フランスなどは、昭和12年9月に日本軍が南京を空襲した際に抗議しているが、その年の12月にそこで虐殺があったなどという抗議は一切していない。そして国際連盟も、南京陥落の半年後に「支那に、同情の意を表明する」との文言を含む決議文を採択したが、そのどこにも「虐殺」のギの字も出てこない。国際連盟にこの決議文を採択させるために、支那・国民党政府の外交官は相当の外交努力をしているが、その際にも「南京虐殺」を提訴した形跡すら全くない。
要するに、当時の史料に「南京虐殺」が書かれているものは、ただの一つも存在しない! これが、紛れもない現実なのである。
-…なのに、それから8年経って戦争が終わると、突然「南京で虐殺があった"」と世界中で言い出すのだ。これは一体どういう事だろうか? 世界中のすべての国が共同で、終戦まで「南京虐殺」を隠蔽したとでも言うのだろうか??
「戦時中、日本国内では"南京虐殺"は隠蔽されていた」…戦後繰り返し言われ、教科書にも載っているこの言葉を疑えと言われても急には疑えない人もいるだろう。ではとりあえず〃南京虐殺"は日本国内では隠蔽されていた、と仮定しよう。だが、たとえ本国内で情報が隠蔽されていたとしても、もし本当に南京で虐殺があったのなら、他の国々や「被害国」の支那では大々的に報道されていたはずだ。国際連盟でも問題になったはずだ。当時の関係各国の公文書、文献、新聞記事などは数多く現存している。そこに「南京虐殺」が書かれているかどうか調べてみればよい。
当時の南京の史料としてまず挙げられるのがジョン・ラーべが委員長を務めた「南京安全地帯国際委員会」の報告書である。これには南京陥落直後の人口が20万人と記されている。まずここに注目だ。「30万人大虐殺」とも書われるが、人口20万人の南京でどうすれば30万人虐殺できるのか?30万でなくとも、1万でも2万でも、もし虐殺があったのなら、その後の人口は減っているはずだ。ところが記録ではその後もずっと「20万人」と記載され続け、1か月後には5万人増えて「25万人」になっている。「虐殺で人口が減った」とはどこにも書かれていない。それどころか逆に「人が増えて食糧が足りない」と記録には残っているのだ。
この報告書には「日本兵の犯罪行為」を告発する文書も数多く残されている。だがこれは第58章に描かれたとおり、支那人の言う「被害報告」を何の検証もせずタイプしたもので、目撃者の氏名すら記載されていないものが多い。「どこの誰が見たのかわからない目撃談」…-とういうのは「噂」とか「風説」と呼ばれるもので、たとえ裁判所に提出しても犯罪を立証するための証拠とならない。そんないいかげんな報告書を全部事実だと仮定しても殺人49件しかない。しかも、支那・国民党の外交顧問を務めた徐淑希という教授が後にこの報告書を編集し、中華民国の公式見解として『南京安全地帯の記録』(別名・『南京安全区當案』)という題で出版したが、そこでは殺人は25件に減っている。中華民国の公式見解にする際に、半分近くが信懸性ナシと判断されたためか、削除されているのである!
当の被害国であるはずの中華民国の当時の公式見解にも「南京虐殺」が登場しない! これは一体どういうことだろうか? この『南京安全地帯の記録』や第60章で紹介した『蒋介石秘録』だけではない。重慶に移った国民党政府は何度も何度も日本を非難する声明を出しているが、なんとその中に「南京虐殺」は一度も登場したことがない。他のどんな記録を見ても「南京虐殺」は出てこない。一方の共産党軍の記録にも出てこない。毛沢東は南京陥落の半年後、南京戦の日本軍の戦略を総括する有名な『持久戦について』という演説をしているが、そこでも「日本軍は南京で虐殺をした」とは一言も言っていない。それどころか逆に、日本軍が南京で国民党軍を全滅させなかったのは戦略的に失敗だったと発言しているのだ。
アメリカ、イギリス、フランスなどは、昭和12年9月に日本軍が南京を空襲した際に抗議しているが、その年の12月にそこで虐殺があったなどという抗議は一切していない。そして国際連盟も、南京陥落の半年後に「支那に、同情の意を表明する」との文言を含む決議文を採択したが、そのどこにも「虐殺」のギの字も出てこない。国際連盟にこの決議文を採択させるために、支那・国民党政府の外交官は相当の外交努力をしているが、その際にも「南京虐殺」を提訴した形跡すら全くない。
要するに、当時の史料に「南京虐殺」が書かれているものは、ただの一つも存在しない! これが、紛れもない現実なのである。
-…なのに、それから8年経って戦争が終わると、突然「南京で虐殺があった"」と世界中で言い出すのだ。これは一体どういう事だろうか? 世界中のすべての国が共同で、終戦まで「南京虐殺」を隠蔽したとでも言うのだろうか??
これは メッセージ 2541 (kurunsupot さん)への返信です.