外国人が見た日本人
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Re: 外国人が見た日本人 あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/02/12 09:09 投稿番号: [178 / 178]
あげ
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Re: 外国人が見た日本人
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/02/08 06:14 投稿番号: [177 / 178]
もう、このトピ維持できないかな。
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Re: 外国人が見た日本人 age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/02/04 18:53 投稿番号: [176 / 178]
age
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きつねと私の12ヶ月
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/01/28 23:17 投稿番号: [175 / 178]
「きつねと私の12ヶ月」と、その「メイキング版」をみた。順番とおり最初に見たのは前者だが、後者を観る気になったのは前者が心に残ったから。
フランス映画だがロケはイタリアの国立公園で行ったとのこと。長い間禁猟区として野生動物は保護されていたので、そこにすむ動物たちは人をそんなに恐れない。とはいってもキツネの近縁の狼や、猛獣の部類に入る熊なども生息しているし、そんな彼らを相手にシナリオは書けない。「忍耐」、この一言が撮影隊の共有事項なのだろう。
正邪・白黒のはっきりした映画を作るのがハリウッド、万人に受けがいい。
英国映画はきっちりした枠に嵌まっているがその中身は自由闊達、洒落やエスプリが利いて錬度が高い。そんでフランス映画はエスプリにエリート臭さがあってなんだかよく分からない、というのがオレの印象。
設定はアルプスの田舎だが、主役の少女の通学路は山道で、その道を左右いずれかに逸れれば、そこは人間社会と一線を画した野生の世界だ。逆に言えば、通学路は自然の中に引かれた一本の異次元に過ぎないのだ。
ある日少女はきつねに出会い、惹かれる。子供は、自身が発見したものに執着するところがある。秘密にしたがったりもする。
少女ときつねは徐々に付き合いを深めるが、通学路と左右の森は一体化することはない。紐をつけた餌にきつねは抵抗するし、加えて『別れ』のエピソードもちょっぴり悲しい。が、納得のいくほのぼの感がある。
自然界の描写はそこそこだが主役の女の子が良い。低い鼻にあばた顔、なんともかわいらしい。あの子があってこの映画が成功したのだと思う。
70点
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Re: 外国人が見た日本人 あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/01/23 04:38 投稿番号: [174 / 178]
あげ
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age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/01/18 16:25 投稿番号: [173 / 178]
age
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age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/01/15 15:55 投稿番号: [172 / 178]
age
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カールじいさんの空飛ぶ家 ネタバレなし
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/01/11 06:07 投稿番号: [171 / 178]
カールじいさんの空飛ぶ家
子供のころ、静止画像的な「明日のジョー」を観ながら、ディズニーアニメとのなめらかな動きと比較して、日米の国力の差と達観?した思い出がある。
宮崎駿の作品が最近頻繁に話題になるので、今の日本アニメはどんなもん、と「もののけ姫」にトライしたが30分でリタイアしてしまった。結局長じて見たアニメ作品は、付き合いで劇場まで足を運んだ「ファインデング・ニモ」だけだ。それとて面白く思ったとか感動したわけじゃない。でも、まあ、全くの女子供向けだったけど、たいして退屈もしなかった。
オレとアニメの相性はこんなもん。
それが、あらゆる批評家が絶賛しているアニメが公開されているではないか。中には最初の10分で大泣きに泣いたという評論家もいた。
偉丈夫たるもの親の死にしか涙を見せちゃいけないとも聞いたが、いまや評論家も草食系のゼネレーションに入ったようだ。
ともあれ、これは心静かに鑑賞しなければならないと、ブロック・バスターでDVDを買ってきた。
ストーリーは、じいさんとばあさんが子供のころ出会い、共有する秘密の古家でともに遊び、(ここから静止画)ぞーっと親友で、ついには結婚して(子供はできなかった)大事無く年を重ね、しかしやがておばあさんが病に倒れじいさんが看病し、そして葬式を済ます。
この数分間はたしかに効果的なBGMと相まって涙腺を攻撃してくる。でもこの同情はカールじいさんに対してのものではないような。
第一、映画は始まったばかりで感情移入なんかできていないし、絵もマンガチックで現実感がない。
それでも刺激されるのは、見る者すべてが身につまされる普遍の数分間だからではないか。
命あるものには死がある。それは公平に配分され完璧に例外はない。それを「葉っぱのフレディ」のように再生への準備とは人間は見られない。種の存続のため強力にプログラミングされた恐怖心が死を個の終焉と捉えてしまうのだ。
あの、人生を回顧する走馬灯のような静止画は、形は違っても、誕生・生存・終焉という避けられないパターンが自分と必ず重なり、となれば自分が実存する現在も一時の水の流れか、という無常観が観る者に生じるのではないか。
さて、ばあさんとの思い出が詰まった家も建て替えを迫られ、じいさんは風船をいっぱい家に結びつけて空の旅にでる。目的地は生前ばあさんと計画していたところ。もちろん旅は順調ではなく、いろいろな障害を克服していくうちにじいさんは気づく。生とはなんと素晴らしいものか、目的があるということは人生があるということだ、過ぎたものにすがり鬱々と日を重ねるのではなく、後ろを見ずに前向きに生きよう、とこのじいさんは進化する。そして改めて自分探しの旅にでる。
人生はこう送りなさいという教訓のつもりか。おきやがれ!自分探しの旅は目つきの悪い元サッカースターかニートにでも任せておけ、てんだ。
大体じいさんだっていい年だ。ばあさんと天国で再会する日まで、あの古家で二人の思い出に首まで浸かって暮らすって、結構美しいじゃん。微笑ましいじゃん。それでいいじゃん。じいさんにとってばあさんこそが人生そのものだったのだから、その思い出を後ろに置いて走り出す必然性なんかない。
旅に出た後も語るものがあるとは思えないこの作品は60点。
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北朝鮮は悪い意味で別モン
投稿者: i_love_atletico_madrid 投稿日時: 2010/01/07 21:47 投稿番号: [170 / 178]
人類史上最高の天才ホーチミン!!!
キューバ革命の英雄カストロ!!!
カストロの戦友で死ぬまでメリケンに徹底抗戦してボリビアで処刑されたゲバラ!!!
↑の猛者たちは人類の偉大なる誇り!!!
↑の猛者たちは共産主義だが
何ら間違った方向に向かわなかった!!!
名目だけの共産主義の独裁国家の北朝鮮とは別モン!!!
金 正日が死んだら
名前は忘れたが 金 正日の3男が後継者になるらしいが
今の体制では何も変わらないだろう…
このままの体制が続くか…
クーデターが起きるか…
いずれにしろ北朝鮮は永久に発展途上国だろう!!!
『頭』が『金一族』じゃ〜…
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イングロリオス・バスターズ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/01/04 12:37 投稿番号: [169 / 178]
イングロリオス
バスターズ
ネタバレ映画鑑賞
『デス・プルーフ in グラインドハウス』以来2年ぶりのタラティーノ映画。前作は意味のない会話をダラダラ続け、後半のクォーターでたまった鬱憤を解消するといった構成だったが、今回も会話の部分が長い。しかし今作はその会話の部分が剃刀の刃の上を歩くような緊張感を演出する。
それにしても奇妙な映画だ。設定は1941年ドイツ占領下のフランス。ナチによるユダヤ人狩りが猖獗を極めている。ブラピ中佐が率いるアメリカ軍特殊部隊がそれに呼応し、逆にナチ将校狩りで逆襲している。アメリカの参戦前だから特殊部隊のメンバーは迫害されているユダヤ人が中心だ。
冒頭、緩やかに起伏する田園風景の中を一台のジープと追走する2台のオートバイが丘の上の農家をめざし、砂ぼこりをかき立てながら近づいてくる。牧歌的な風景のはずだが緊迫感がただよいはじめる。
ジープの主はユダヤハンターの異名を取るナチ親衛隊のハンス・ライダ大佐。かれはユダヤ女性を匿っている農夫を相手にネチネチと、雑談とも尋問とも言えない質問をくりかえす。こういった尋問はこの後レストランで、地下酒場で(このときの尋問者は若い少佐、これも良い!)、劇場で、そして捕らわれたブラッド・ピットとの間で交わされ、それ自体が上質なサスペンスとなっている。この大佐といい地下酒場の少佐や一等兵、加えて映写室でヒロインに言い寄る若手将校など、ドイツ演劇人のレベルは高い。彼らの演技力がこの映画の背骨を構成し、パルプフィクションをしのぐ大ヒットにしたのは間違いないだろう。
画面は残酷である。しかしブラピのマンガ的なキャラが陰鬱さを相殺してグロさはそういやらしくない。
ただ、最後がどうも合点がいかないのだ。タランティーノよ、それでよいのか、と。
例のいやらしいナチ大佐が、捕らわれたブラピにアメリカへの亡命を持ちかける。ナチの情報と引き換えにナンケットでの快適な生活を保障しろという。ピットのボスである将軍と直接電話で交渉して取引は成立した。
即日捕虜のブラピとその部下、それに大佐とその部下の4人で山道にある独米境界線(あるはずがないがタランティーノだから)に向かう。そこを一歩跨げば敵領という設定だ。境界を越えて4人は下車し相対する。大佐はブラピたちの後ろ手錠をはずさせ拳銃を返す。さらに「我々は公式にレイン中佐の捕虜となる」と宣言し自分の帯剣をブラピに捧げ出す。軍人としての降伏儀式だ。
ブラピはナチの二人に後ろ手錠を掛けるよう部下に命じる。
「必要なのか?」と不審がるが大佐は、それでも従った。すると即座にブラピはナチスの部下の方を射殺する。将軍との約束だ!と猛烈に抗議する大佐。しかしブラピは大佐がアメリカで身分を隠して生活をするのは耐えられない、ナチだということを隠せないようにしてやる、とナイフで大佐の額に卍を刻み込む。「俺の最高傑作だ」というブラピの台詞と大佐の悲鳴の中エンドロールとなる。
ナチスの情報が欲しいので殺しはしないようだが、大佐の甘い生活in America は潰してやったという、カタルシスを得たようだ。
普通ならそのカタルシスは、情報を得て役に立たなくなった大佐を、恨みを持っているアメリカ在住ユダヤ人(女・子供か老人)が暗殺するとかというオチで開放するのだろうが、軍隊=規律=武士に二言はない、が建前の軍人=武士が、自国を信じて投降した敵将を、無抵抗にしておいてから散々にいたぶるのは違和を感じる。窮鳥ふところに入らずんば・・、ましてやこの取引でブラピ他一命の命は救われたのだから、なおさらだ。タランティーノは日本の武士道に共鳴しているのではなかったのか。ブラピの行為は卑怯未練といえないだろうか。
しかし、ナチスの残虐非道振りは欧米の映画で絶えることなく公開される。ドイツ人やドイツ系アメリカ人はたまんないだろうな。「おい、ユダヤ人狩りはフランス政府とタッグを組んでやったんだぜ!」と、抗弁の一つもしたくなるだろうに。
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あけまして
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2010/01/01 19:50 投稿番号: [168 / 178]
おめでとうございます。
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Re: 外国人が見た日本人 age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/30 02:06 投稿番号: [167 / 178]
age
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韓国映画 「チェイサー」ネタバレシアター
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/27 05:48 投稿番号: [166 / 178]
ネタバレ映画批評
「チェイサー」
前評判の高かったクライムムービーである。いままでオレが見た韓国映画は「シュリ」「MUSA」「ブラザーフッド」「オールドボーイ」そして「殺人の追憶」と、韓流が吹き荒れた?わりに数が少ない。
では最近観た邦画はどうだったろう。「どろろ」「腑抜けども、悲しみの涙を見せろ」「おくりびと」「ジョゼと虎と魚たち」などで、こちらも少ない。やはりノー天気なハリウッド映画がオレのお好みだ。
もちろん(オレにとって)面白ければ国籍は問わないが、韓国映画の作風は邦画とはかなり違うようだ。
映画がヒットするということは、その内容に観客が共鳴したということで、言えば国民性を知る素直な物差しともなろう。この映画は500万人を動員するほど韓国人の感性にマッチしたのだ。さて「チェイサー/追撃者」とはどんな映画なのか。
今まで観た韓国映画で評価できたのが唯一「殺人の追憶」だった。
実話を素にした未解決連続殺人事件を扱ったこの映画にオレは80点の評価を(勝手に)与えた。そして「チェイサー」はその「殺人の追憶」に勝るとも劣らない作品だという前評判だ。同じく実話がベースで、前作の被害者は10人だが今回は21人も殺しているのだ。期待に胸が膨らんだ。
しかし、最初に事態の中心となるデリヘル嬢に違和感を覚える。
援助交際も華やかな昨今、性で金を稼ぐ現代女性に陰影などは微塵もない。みんな明るく元気に春を売っている。それなのにこのデルヘル嬢は薄幸人妻風美人で可憐、雨に打たれた秋海棠の花、おまけにその娘(8歳くらい?)は、おい、整形してんのか!というほどの美少女だ。これがブスとハナたれガキだったら勝手に殺されろとそっぽを向くのが人情だが、この時代錯誤なキャスティングが観客の感情移入の後押しをする。
犯人は金持ちの夫婦を殺害してその家に住みつき、娼婦を呼んでは次々と殺していた。
伏目がちで、ひ弱そうな、それでいて一筋縄では決していかないしたたかさがにじみ出る犯人像、観客からすればみごとなほど憎々しい男だ。なんという役者か知らねども適役である。
さて、風邪を押して出勤したデリヘル嬢は、呼ばれた高級住宅街の邸宅で、早く済まして帰るつもりが、なんと大きな金槌で執拗に頭を殴られる。ゴツン、ゴツン。
彼女は半殺し状態で浴室の壁に両手を上げた立ち姿でフックに引っ掛けられる。後ほどゆっくりいたぶって殺す為にだ。犯人が出て行った後浴室を見ると、拷問の末解体された二人のデルヘル嬢の肉塊が目に入ってきた。これほど絶望的な数時間後を予見させる局面があるだろうか。
いっぽういたいけな娘が母親を求めて夜のソウルを走り回る。随伴者はデリヘルクラブの経営者。電話番号から犯人を捉まえなんとか夜の明ける前に警察に突き出すことができた。
だが、犯人は人を食った応対で行方不明のデリヘル嬢の監禁場所は吐かず、ついに証拠不十分で釈放されてしまう。しかし疑いを捨てきれない警察は女刑事を尾行に付ける。彼は所在投げにぶらぶらとアジトに戻っていく。
方や壁際のデリヘル嬢、幸運にもフックがはずれ、今はタイルの欠片で手枷を切りほどこうと必死の努力を続けている。
さて犯人が帰宅する前に脱出することができるのか、このタイムリミットに観客は引きずりこまれる。
ついに拘束を解くことができたデリヘル嬢は煌々と陽の照る野外に転びでる。
惨劇の館は高級住宅街にあった。血みどろのデリヘル嬢は最小の衣服を見に纏い、か細い声を張り上げながら助けを求めて道をよろめき歩く。が、家々の者寂として顔を出す者とていない。
もし道路上で犯人と出会ったら・・、観客は焦る。・・と、盲亀の浮木か、街外れに一軒の雑貨屋が。助かった。娘に会いたい一身、地獄から奇跡の脱出を果たした健気なデリヘル嬢が、ついに愛娘としっかり抱き合うエピローグが約束されたと、少なくともオレは思った。
デリヘル嬢は、雑貨屋のおばさんに分けを話して警察に電話を掛け、奥の部屋でパトカーが到着するまで待つ。犯人には刑事の尾行。
だが、しかしか案山子か、そこに「偶然」犯人がタバコを買いに立ち寄るのだ!おいおい。そしておしゃべりな店番のおかげで見つかり、デリヘル嬢は改めて金槌で殴り殺される。尾行の刑事はそのド悲劇に気づかない。
おいおい、あの奇跡の脱出劇はなんだったんだ。ここで殺しちゃ意味がなくなるべ。脚本も監督が書いているが、その場面はオリジナルだろう、筆先一本で「偶然」を演出し、そんな救いのない結末を用意することもねえだろうに。
あういう結末が韓国人の好みなんかよー、と彼らの感性に暗澹となる。二度見る気のしない一本。70点。
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Re: 外国人が見た日本人 あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/23 13:10 投稿番号: [165 / 178]
椰子の葉陰でクリスマス。
南の島にも雪が降る。
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魯迅
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/19 16:53 投稿番号: [164 / 178]
「(私の講義、ノートが取れますか?)とかれは訊ねた。
(どうにか)
(見せてごらん)
私は筆記したノートをさし出した。かれは受け取って、一両日して返してくれた。
そして、今後は毎週もってきて見せるようにと言った。持ち帰って開いてみて、私はびっくりした。同時にある種の困惑と感激に襲われた。私のノートは、はじめから終わりまで全部朱筆で添削してあり、たくさんの抜けたところを書き加えただけでなく、文法の誤りまでことごとく訂正してあった。このことが彼の担任の骨学、血管学、神経学の授業全部にわたってつづけられた。(中略)
私は、今でもよく彼のことを思い出す。わが師と仰ぐ人の中で、かれはもっとも私を感激させ、もっとも私を励ましてくれた人のひとりだ。私はよく考える。かれが私に熱烈な期待をかけ、辛抱強く教えてくれたこと、それは小さくいえば中国のためである。中国に新しい医学が生まれることを期待したのだ。大きくいえば学術のためである。新しい医学が中国に伝わることを期待したのだ。私の目から見て、また私の心において、彼は偉大な人格である。その姓名を知る人がよし少ないにせよ。
かれが手を加えたノートを私は三冊の厚い本にとじ、永久に保存するつもりで大切にしまっておいた。不幸にも七年前、引越しの途中で木の箱がひとつこわれ、中の書物が半分なくなり、あいにくこのノートも失われた。探すように運送屋を督促したが返事がなかった。だが彼の写真だけは今でも北京のわが寓居の東の壁に、机の向かいに掛けてある。夜ごと仕事にあきて怠けたくなるとき、顔を上げて灯かりのもとに色の黒い、痩せたかれの顔が、今にも節をつけて語り出しそうなのを見ると、たちまち良心がよびもどされ、勇気も加わる。
そこで一服たばこを吸って、『聖人君子』たちから忌み嫌われる文章を書きつぐことになる。」
魯迅
「魯迅文集」筑摩書房 1976
近代中国の文学者。1902(明治三十五)から約7年留学生として滞日。その間に仙台の医学専門学校で藤野厳九郎から医学を教わる。「狂人日記」、「阿Q正伝」などの小説が有名。
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Re: 外国人が見た日本人 age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/14 17:16 投稿番号: [163 / 178]
age
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六代目尾上菊五郎
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/12 10:13 投稿番号: [162 / 178]
「飛行機を使わずに、八十日で世界を一周して見せるという、パリのある大新聞相手の諸旅行の途次、一九三八年五月一六日、ジャン・コクトーは神戸に上陸、京都、横浜に小休止の後、東京に来た。彼の東京滞在の五日の間、僕は帝国ホテルに同宿、専ら案内役をつとめた。
神戸の波止場でコクトーは、石蹴り遊びの輪をチョークで歩道に描いている小娘を見て、「北斎の花押にも劣らぬ完全な円周にそれがなっているのには驚いた。できればその円をそのままパリへ土産に持参したい」と、その新聞に送った記事に書いている。(中略)
滞京の四日目、アメリカに出発する前夜、コクトーはNHKから「日本への挨拶」を、ラジオに託したが、その中で、「私は一昨夜、歌舞伎座で、『鏡獅子』を見物しましたが、あなた方の名優六代目菊五郎、あれは神職です。出囃子の音曲と、彼の曲麗な所作が作り出す神々しい礼拝のあの気持ちは、西洋で神秘劇と呼んでいるあの宗教劇などとは、似ても似つかぬもの、菊五郎の所作は舞台の上の宗教神事の高さだと私は申し上げます、長いくせに退屈の全然感じられないあの舞踊、あの見事さを、私は一生忘れ得まいと思います」云々。
コクトーは忘れなかった。十年後に彼が製作しルイ・デリュック賞まで受けた映画の傑作『美女と野獣』の構想は、あのとき歌舞伎座で、旅の行きずりに見ていった『鏡獅子』に、その発想を得たものだと、後に種明かしをしている」
堀口大学
『秋黄昏』小澤書店
1982
「上手の襖が開き、観衆の喝采とともに菊五郎が登場する。彼は若い娘の役に扮している。侍や女官たちが嫌がる彼を舞台の中央へと押しやる。彼は臆病さに駆り立てられる。舞台袖へと彼が人々を引きずっていくと、皆はもう一度彼を押し出し、踊るようにと懇願する。『彼』か、あるいは『彼女』か?やはり『彼女』というべきであろう。でっぷりとしてやや重たげなこの五十男には、優美な娘以外の何ものも残っていないのである。(中略)
長くはあっても冗長ではないこの舞踊だけでも私たちの旅の価値はあった。これを見るだけのためででも、私はこの旅を試みたであろう』
ジャン・コクトー
『コクトー、1936年の日本を歩く』中央公論社
2004
フランスの詩人・劇作家・小説家。後に映画監督や画家としても名を馳せた。
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Re: 外国人が見た日本人 あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/10 19:25 投稿番号: [161 / 178]
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新渡戸稲造
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/05 10:04 投稿番号: [160 / 178]
「武士道についてのこの小著述(英文で書かれ、アメリカでロングセラーになった『武士道』)は、アングロ・サクソン国民への重要なるメッセージたるにとどまらない。それはこの世紀の最大の問題、すなわち東洋と西洋との調和と一致の解決に対する著しき寄与である。
古来多くの文明があったが、来るべきより善き世界において文明は一つであろう。すでに東洋ならびに西洋という語は、おたがいの無知と侮辱の一切の積荷とともに過去のものにならんとしつつある。アジアの智慧ならびに集団主義と欧米の勢力ならびに個人主義との有力なる中間項として、日本はすでに不撓(ふとう=困難に屈しないこと)の力をもって働きつつある。
古今の学に通じ、世界文学の教養を有する新渡戸博士は、この点において素晴らしく適材適所なることを示している。博士は真の就成者であり調和者である』
ウィリアム・エリオット・グリフィス
「緒言」岩波書店
1991
アメリカの教育家。1870(明治3)年に福井藩の招きで来日。大学で修身・理学などを教えた。4年滞日。日本について十数冊の著述がある。
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Re: 外国人が見た日本人 age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/03 02:23 投稿番号: [159 / 178]
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伊藤博文
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/11/28 13:22 投稿番号: [158 / 178]
「伊藤博文は普通、その追悼文の中で、日本のもっとも偉大な政治家の一人であったと称えられている。しかし、このような見方は、故人にとって正しいものではない。もっとも偉大なうちの一人ではなく、かれこそは、その国で比肩するもののない、最大の政治家なのである。(中略)
彼は天性目立たない、落ち着いた人柄であった。彼が、高位高官の金ピカ服を身につけるのは、本当に止むを得ないときだけで、すぐさまそれを、くつろいだ和服か背広に着替えてしまうのであった。事実、彼の幾多の言動から、彼が外見的なもの一さい無頓着であったことは、疑う余地がない。それならばこそ、自国や諸外国から数多く受けた名誉表彰も、彼の人柄にはなんら影響を及ぼさなかった。侯爵としての伊藤も、個人的な交際では、筆者が三十年前に初めて知ったときの平民伊藤と全く同じで、素朴な、いつも機嫌の良い人物であった。
しかも、彼はこの幸せな気質、その平静さを、どんな場合でも決して失うことはなかった。
日清戦争の最中の、責任の重い日々であろうと、日露開戦前の、苦悩に満ちた交渉時代であろうと、あるいはまた官職を離れた当時であろうと、かれはいつ会っても、まるで心配を知らない人間のように、微笑をたたえて、冗談をとばすのであった。かれは酒と、女と、タバコを好んだ。しかもかれは、あえてそれを隠そうとはしなかった。かれは言ったー一体君たちは、わしにどうしろというのだ?日々のめんどうな政務をおえた後で、頭ががんがんするとき、しゃちほこ張った召使よりも、きれいな「芸者」の手から傾ける晩酌は、わしにとって、はるかにうまいではないかーと」
エルヴィン・ベルツ
「伊藤博文をしのぶ」
岩沼文庫1955
ドイツの医学者。「日本近代医学の父」といわれた。
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Re: 外国人が見た日本人 あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/11/26 18:41 投稿番号: [157 / 178]
あげ
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朝鮮人という悪性外国人が見た・・・
投稿者: chon_chonchon_chonchonchon_kusa 投稿日時: 2009/11/21 09:45 投稿番号: [156 / 178]
という鮮人トピw
ゲラゲラ♪
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徳川慶喜
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/11/21 08:51 投稿番号: [155 / 178]
「訪問客の中でも最も著名な人物は前将軍徳川公爵であった。(中略)
彼が失脚する寸前、三十歳の時の彼を覚えているが、徳川公爵は私が今まで会った人物の中でも際立って上品な風貌を備えた人であった。しかも、それだけではなかった。彼はきわめて人好きのする優雅な態度と魅力的な物腰を備えていた。背は高くなかったが、非常に均整がとれていた。顔立ちは彫が深く、口も歯も非の打ちどころがなかった。顔色は明るいオリーブ色で、その手も脚も彫刻家のモデルにしたいほど優美であった。彼がほほえむと、顔全体が明るくなった。年をとった現在でも、彼の立派な外見はほとんど変わらず、その魅力はすべてそのまま残っていた。
我々が初めて謁見した日のことを、昨日のことのように良く覚えている。それは堂々とした建築物である大阪城で行われた。ハリー・バークス公使とサトウ氏と私は迷路のような廊下を通って、美しい装飾を施した大きな畳敷きの部屋に案内された。テーブルを囲んで椅子が並べられてあり、そこに将軍の顧問官である御老中と我々が座ったが、一つだけ席が空いていた。突然、貴人の入場を告げる合図の息を吸う音が建物や廊下で聞こえた。だんだんにその音が近くなり、ついに襖が両側に開かれると、そこにはほんの一,二秒の間であったが、威厳のある姿がじっと動かずに彫刻のように立っていた。
我々が立ち上がって礼をすると、将軍は微笑して優雅に礼を返し、我々に座るよう手まねで合図して空いていた席に座った。
流血無しでは済まされなかったさまざまな策謀を経て、この偉大なる帝国の支配者となり、事実上の国王であった彼は、一転して反逆者として取扱われ、後になって許されて再び天皇のご愛顧を賜るようになったのである。徳川公爵ほど栄枯盛衰の波乱に満ちた人生を経験した人は他にまずいないであろう。
数日後、アーサー殿下の昼食会に招かれた彼と再び会ったので、その時かなり長い話をした。私の名前が変わったので(筆者ミットフォードは男爵となり、この時リースディル卿を名乗っていた)最初、私が誰だか分からなかったようでであったが、説明すると私のことを思い出して、極めて打ち解けた態度で話を始めた。『あなたと大阪で会った時から思うと、世の中はずいぶん変わりましたね』というのが彼の最初の言葉であった。本当に大きく変わったものだ。
最後に彼を見たときの事を覚えている。それは伏見の戦いの後で、戦いに敗れた将軍が、大阪に馬に乗って戻ってくるところであった。彼は護衛の武士たちに囲まれて、冑をかぶり、面頬をつけ、日本の古式豊かな鎧を着て、軍勢の先頭に立っていた。
それは決して忘れることのできない絵のような光景であったが、その日は歴史の上で運命の分かれ道になった日であったのである。
彼が帰るとき、私は玄関まで送っていった。馬車が待っていたが、彼は供の者も連れずただ一人それに乗って帰っていった。昔はあらゆるものがひざまずいてお辞儀をする中を、槍持ちや弓手や大勢の家来たちを従えて威風堂々と華やかな行列を進めるのが常であったのに、いまやただ一人の供も連れていない。しかし、彼は今でも偉大な人物である。将軍職は廃止されたが、徳川家の最長老である彼は現在でも重要な貴族である。あの波乱に満ちた時代に、彼自身でさえも時代遅れで、見せかけだけで、とても支えきれないと思っていた栄光ある地位についていた頃に較べれば、現在の落ち着いた老いの日々は、より幸せではあるまいか」
アルジャーノン・バートラム・フリーマン・ミットフォード
『ミットフォード日本日記―英国貴族の見た明治』講談社学術文庫2001
イギリスの外交官・著述家。英国公使館として1866(慶応二)年に来日。六年余り幕府と明治新政府との外交折衝に奔走した。
1906年、英国国王から明治天皇にガーター勲章を捧呈する使節団の主席随員として再来日。
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Re: 外国人が見た日本人 age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/11/17 09:38 投稿番号: [154 / 178]
age
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乃木希典
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/11/14 05:28 投稿番号: [153 / 178]
「将軍は天皇陛下に赤心を捧げていた。陛下の崩御とともに、もはや生きながらう責務は終わった。すなわち従容として自殺して逝ったのだ。将軍は、日本古来の理想主義の焔が、西洋文明との接触によって衰え来たったのを、あるいはこの殉死によってふたたび燃え立たしめることができようと、胸中ひそかに思っていたのかも知れぬ。とにかく将軍の生涯は、いかなる困難も危険も問うところではない。敢然身を挺して退かない男児の典型として、二つとないものである。
将軍は一切を甘受してなんらの不平もない。生を重んじるのはただ、忠義と尊敬とを集中するその対象に奉仕せんがためであった。
乃木大将にとっては、天皇は日本帝国の権化であり、最後に生命を天皇に捧げるのは、すなわち、日本帝国に捧げることであった。
将軍すでに自己の事業の終われるのを感じ、疾くも平安静寂の境に入るべきであったとして、その機会を熱望していたのである。
かくのごとき理想を抱いたかくのごとき人物が、今日のこの時代に現存したことは、吾人西洋の生活に育てられたものの愕かずにはいられないことである。偉大な人傑の生まれ出て、位人臣を極めたり、大望を達したりすることはある。しかしその影には、どことなく自己中心的思想の潜在することが多い。偉大なる愛国者の興起することもある。しかし満身ただ忠誠、個人的存在を没却して、純理想主義に立脚する点において、近世誰あってこの日本の古武士乃木大将に匹儔(ひっちゅう)することができよう。古代ギリシャ勃興期においては、こうした人傑の輩出したことがある。しかしそれは全く環境を異にした時代の人々であったのだ。
わが乃木大将は、その後半生を近代産業国の怱忙熱閙(そうぼうねっとう)の中に過した。その間に処して将軍は徹頭徹尾変わることなき、古のスパルタ人であった。文明の産出する最善のものは、採ってこれを用いることができた。
しかしいかなる国家的栄誉も、個人的私望も、祖先の樹立した古の武士道を服膺する、その鉄石の精神を動揺さすことはできなかった。
日本古来の理想主義は、深く将軍の胸底に燃えて、絶えて焔の細ることがなかった。
生きては純真忠誠、ひたすら天皇と祖国とに対する責務の一念を貫き、死してもまた純真忠誠、『土薄き磽地(いしじ)に落とす』べからざる教訓の種を遺した。吾人西洋に生まれ、齷齪(あくせく)としてただ財宝と地位と名聞とを追求して止まぬ間にも、しばらく退いて、かくのごとき人物によって表現せらるる所以の道を思うべきである。
日本帝国よりすれば、国民的理想の復興であり、諸外国からすればまた、個人的生活の上衣をかなぐり捨て、全生命を捧げて、世のため国のために奉公の義を全うせんと志し、その志を達すれば欣然として死に就くことのできる人物の、なお存在する所以を悟るべき、一大刺激となるのである」
スタンレー・ウォッシュバン
『乃木大将と日本人』講談社学術文庫1980
アメリカの新聞記者。日露戦争中に『シカゴ・ニューズ』紙特派員として日本陸軍第三軍に従軍し旅順―奉天の乃木大将を取材。第一次大戦では露軍に従軍した。
いやー、明治の人が訳したんだろうけど、英文ではどうだったんだろう。
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Re: 外国人が見た日本人 age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/11/09 19:35 投稿番号: [152 / 178]
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明治天皇
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/11/07 10:16 投稿番号: [151 / 178]
「天皇睦仁(明治天皇)は外見上、日本人としては大柄で、恰幅が良かった。筆者が知っている30年の間、彼はあまり変わっていない。公式の場所に出るときは、いつも彼は軍服を着けていた。一時かれは乗馬に熱中したが、後にはただ軍事上の機会しか馬に乗らなかった。しかも彼は、自分の腕前を見せびらかすようなことは全くなかったが、それというのも、もともと慎み深くて、内気に近い性質であったからである。
彼は一定の機会しか皇居を離れなかったー即ち閲兵式、開会式、開通式その他の公式の祝典、旅行などの場合である。
それ以外は、いつも皇居内で過ごしていたが、それも、高い塀で他の御苑から隔てられた、あまり大きくない庭のある、数室の小さい一廓に住んでいたのである。そこが天皇にとっていかに居心地がよかったかは、あの東京の不快極まる夏の暑さですら、そこから天皇を追い出すことができなかったことでわかる。
国内の各所に離宮や御用邸があるが、それらの一つにかれが気晴らしのため、相当長期にわたって滞在したことは決してなかった。
彼は華美な祭典や公式の行列を好まなかった。この点で、かれの個性は、とかく半ば神秘的に見たがる日本人一般の天皇感と一致する。
天皇睦人は、その長期にわたる治世中、絶えず有能な相談相手を側近にもつという、まれな幸運に恵まれた。しかし、かれ自身が、これらの人々を遇するにふさわしい態度をとり、一度その真価を認めると、どんな厳しい非難や中傷があっても、その信頼をまげなかった点は、なんといっても彼自身の功績である。また、外国のもの一切を、大慌てに同化しようとした時代に、かれがいつも用心深く、控えめに出た点もかれの功績である。
かれこそは疑いもなく、心から国家と国民の繁栄を念じていた君主であった。そしてかれの生涯が、めずらしい幸運に恵まれていたように、彼の治世は、その国家にとって、まれに見る幸運の時代であった。」
エルヴィン・ベルツ
「ベルツの日記」岩波文庫1955
ドイツの医学者。一八七六(明治八)年、日本政府の招聘で東京医学校(東京大学医学部の前身)教師となり、以後三〇年間滞日して日本医学の発展に寄与、『日本の近代医学の父』といわれた。
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Re: 外国人が見た日本人 あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/11/03 21:04 投稿番号: [150 / 178]
あげ
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西郷隆盛
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/10/31 09:37 投稿番号: [149 / 178]
「汽船がふたたび戻って来たとき、私はまた出かけていって、もっと面白い人物と知りあった。小さいが炯々とした丸い目玉の、たくましい大男が寝台の上に横になっていた。この男の名前は島津左仲というのだと、おしえられた。
私は、その男の片腕に刀傷があるのに気がついた。
それから幾月もたってから、私はふたたびこの男に会ったが、その時には本名の西郷吉之助を名乗っていた。」
「私たちが食事の席につくや否や、西郷が到着したとの知らせがあったので、急いで飯をかっこみ、すぐに薩摩人の別の定宿にかけつけた。前から、もしやと疑っていたのだが、西郷は、一八六五年十一月に島津左仲と称して私に紹介された男と同一人物であることが分かった。そこで、わたしが偽名のことを言うと、西郷は大笑いした。
型のごとく挨拶をかわしたあとも、この人物は甚だ感じが鈍そうで、一向に話をしようとはせず、私はいささか持てあました。しかし、黒ダイヤのように光る大きな目玉をしているが、しゃべるときの微笑にはなんとも言い知れぬ親しみがあった」
アーネスト・サトウ
「一外交官の見た明治維新」岩波文庫1960.
イギリスの外交官。1862(文久2)年来日。横浜の英領事館通訳官・江戸の公使館書記官を歴任し、イギリスを倒幕支持に転じさせることに貢献。『ジャパンタイムス紙に寄稿した匿名の『英国策論』は大きな影響を与えた。
一九二七年日本公使として再び来日。合計二七年間滞日。
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Re: 外国人が見た日本人 age
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/10/27 14:13 投稿番号: [148 / 178]
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一休宗純
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/10/24 07:15 投稿番号: [147 / 178]
「私は強く引かれた人物は一休宗純ですね。私はもともと彼について研究したこともなければ、一休のことをとくに勉強したわけではありませんが、ただ一休の肖像画を見て、不思議に個性のある肖像画だと思ったのです。たいていの禅宗の高僧の絵だったら、いかにも立派な人間だったろうとか、そういう印象を受けるはずですが、一休の肖像はご存知のようになまなましくて、生きている人間と変わらないほど個性がはっきりしています。あれを見て、いったいどんな人間なのか知りたくなったのがはじまりなのです。もちろん前から一休についての童話みたいな頓智噺はいろいろ聞いたことがありましたが、しかし一休の漢詩は全然知らなかったし、伝記の詳しいことはなにも知らなかったものですから、『狂雲集』など読めば読むほどほんとに不思議な人物だと思いました。しかも、変な言い方ですけど、ぼくは<この人を理解できた>と思った・・・
この経験を講演としてはじめてアメリカで発表したのですが、ぼくの講演であんなに成功したものはなかったでしょう。若い人が多く、みんな感激していました。それは私の講演が上手だったからでなく、やはり一休の悩みに不思議な普遍性があって、現代人に訴えるような力があるからです。彼は、偽善者を徹底的に嫌って、罵って、ある意味ではずいぶんわがままな、ある意味では不道徳な生活をしたのですが、しかし、彼の怒り、彼の憤慨は、ほんとに身をもって理解できるような気がしました。私は禅宗のことを、臨済はどうとか、道元はどうだとか言えるような柄ではありませんが、ただ一休という人物にひかれて、全く世界史の中で有数の偉人だったと思うようになったのです」
司馬遼太郎・キーン共書『日本人と日本文化』中公新書
ドナルド・キーン=アメリカの日本文学研究者。文芸評論家。1953(昭和28)年京都大学大学院に留学。コロンビア大学名誉教授。1986年「ドナルド・キーン日本文化センターを設立。
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トピ主の祖国朝鮮と比べてどうなの?
投稿者: hey_hey_bakachon_hey_bakachon 投稿日時: 2009/10/21 13:59 投稿番号: [146 / 178]
w
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Re: 外国人が見た日本人 あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/10/21 13:31 投稿番号: [145 / 178]
今北国のもみじが佳境。
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徳川家康
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/10/17 16:30 投稿番号: [144 / 178]
「皇帝(家康)の衣服は青色の光沢ある織物に銀を以て多数の星及び月を縫い出したるものにして、腰に剣を帯し、頭には帽子または他の冠ものなく、髪を組みて色紐を以て結びあり。
彼は六十歳中背の老人にして、尊敬すべく愉快なる容貌を有し、太子(秀忠)のごとく色黒からず、また彼より肥満せり。
予は案内の書記官とともに進み、通常王宮において我らの君なる王(ドン・フェペ国王)に対して行う敬礼をなし、あらかじめ予に対し、握手を求め、また手に接吻すべからずと注意ありたれば、予が為に置かれたる椅子に接して起立せり、予は椅子に達するとともに最敬礼をなせしが、彼はこれまで要望を変ぜらりしが、少しく頭を下げ、予に対して大いに好意を示して微笑、手を挙げて着座の合図をなせり。予はまた甚だ低き敬礼をなし、起立しいたるに、彼は再び勧めたれば座に着けり。
彼は次に帽子をかぶることを予に命じ、而してケレド(祈祷文)三唱の時間沈黙したる後、彼はその傍に在りし書記官二人を招き、予が来着を喜べる旨を伝え、また労苦および不幸のため痛心するは止むを得ずといえども、その国に来たりしが故に楽しみまた心を励ますべし、我君ドン・フェリペ王の予が為になすべきはことごとく之をなし、さらに大なることをなすべしと伝えせしめたり。
予はその言を聞き、またこれに答えるにつき起立脱帽せんとせしが、彼はこれを許さざりき。予は大なる恩遇を与えたる殿下の手に接吻し、このごとく大なる国君の前に出ずることは、予は経歴した所よりもさらに大なる艱苦より恢復せしむる力あり、予はその宮廷に来たり、予が主の宮廷に劣らざる恩遇を受けて恢復に向かい、大なる満足を感ずと述べたり。
しばらくして彼は再び予に対い、熟慮の上、予が給養その他のために要する一切の品を書記官などに通知すべし、望むものは必ずこれを与うべしと言えり」
ドン・ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ
『ドン・ロドリゴ日本見聞録・ビスカイノ金銀島探検報告』
イスパニアの植民地長官。1609年4月暴風で房総半島に漂着。日本各地を歴訪。家康に日本・メキシコ間貿易のあっせんを依頼され、翌年8月に帰国。
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Re: 外国人が見た日本人 あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/10/12 18:47 投稿番号: [143 / 178]
あげ
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関白秀吉
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/10/10 08:37 投稿番号: [142 / 178]
「その部屋は縦十三畳、横四畳の広さがあり、樹木や鳥が黄金をもって描かれており、関白は奥の上座に座し、絶大な威厳と貫録を示していた。
副管区長が入室し、最初の室の入口において直ちに関白に向かい屈伸した。副管区長に続き、他の司祭たちが一人一人同じように身をかがめて敬礼しながら進んでいくと、キリシタンの秘書が声高々とおのおののバテレンにつき誰で何と呼ぶか関白に披露した。先と同じ順序で我々は身を起こし、後方に退いて入口近くに着席した。
関白はあたかもはるかな聖幕屋(聖書に書かれた移動式組み立て神殿)にあるがごとく、元来あまり見栄えのせぬその容貌の特徴は我らの席からは辛うじて識別できるほどであった。間もなく関白は我らに対し、自室にすぐ隣接した部屋に入るようにと命じ、我らがそこに席を移すと、諸候らをその部屋の片側にある廊下に退かせ、ジェスト(高山)右近には、汝はキリシタンだから伴天連の近くに来るがよいと言い、彼だけは我らとともに同室するよう命じた。
関白は、異教徒の諸候らの前で右近に我らのことを話したが、こうしたことは関白の右近に対する特別な好意であった。
ほどなく種々の果実を盛った黄金色の高い足つきの盆のようなものが二つ運ばれ、司祭らの前に差し出され、司祭らはそのおのおのから果実を一つずつ手に取った。
やがて関白は自室から立ち上がり、副管区長師のすぐ近くに来て座ったが、両人の間には畳半畳ほどの隔たりもなかった。彼はおもむろに司祭に語りかけ、いくつか自身が行おうと決心していることを打ち明けた。同席の日本人たちは誰も皆、彼がこれほど打ち解けた態度を伴天連に示している様子に接し、関白の性分から稀有なことと驚嘆した。彼はその時通訳をしていたルイス・フロイス師にすぐ着目し、彼と信長時代の五畿内での昔話をゆるゆる始めた。また彼は、伴天連らがひたすらにその教えを伝え広めようと望んで、母国から遠く隔たったこの日本に滞在している心ばえを称賛し、それを何度か繰り返した。それから以下のように語った。
余も伴天連らが一つのことに専念しているように、すでに最高の地位に達し、日本全国を帰服せしめたうえに、もはや領国も金も銀もこれ以上獲得しようとは思わぬし、その他なんの物も欲しくない。ただ余の名声と権勢を死後に伝えしめることを望むのみである」
ルイス・フロイス『完訳日本史(4)豊臣秀吉編』
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Re: 織田信長
投稿者: ioiorururu910 投稿日時: 2009/10/09 08:43 投稿番号: [141 / 178]
いいシリーズですね
今後に期待です
最近Yのトピ消しが多いので注意中です
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Re: 外国人が見た日本人 あげ
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/10/07 06:05 投稿番号: [140 / 178]
あげ
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織田信長
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/10/03 09:03 投稿番号: [139 / 178]
この項からは各時代の日本人に会った外国人が、その印象を記し残したものを紹介する。
織田信長
「信長は尾張の国の三分の一の主君なる殿(秀忠)の第二子であった。彼は天下を統治し始めた時には三十七歳ぐらいであったろう。中ぐらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにおかなかった。いくつかのことには人情味と慈愛を示した。彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。貪欲でなく、甚だ決断を秘め、戦術にきわめて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。
彼はわずかしか、またはほとんどまったく家臣の忠言に従わず、一同から極めて畏敬されていた。酒を飲まず、食を節し、人の取り扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。彼は日本のすべての王侯を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。そして人々は彼に絶対君主に対するように服従した。
彼は戦雲が己に背いても心気広闊、忍耐強かった。彼はよき理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊祟、並びにあらゆる異教的占トや迷信的慣習の軽蔑者であった。形だけは当初法華宗に属しているような態度を示したが、顕位に就いて後は尊大にすべての偶像を見下げ、若干の点、禅宗の見解に従い、霊魂の不滅、来世の賞罰などはないと見なした。
彼は自邸においてきわめて清潔であり、自己のあらゆることをすこぶる丹念に仕上げ、対談の際、遷延することや、だらだらした前置きを嫌い、ごく卑賎の家来とも親しく話をした。
彼が格別愛好したのは著名な茶の湯の器、良馬、刀剣、鷹狩りであり、目前で身分の高いものも低い者も裸体で相撲を取らせることをはなはだ好んだ。
また、何びとも武器を携えて彼の前にまかり出ることを許さなかった。
彼は少しく憂鬱な面影を有し、困難な企てに着手するに当たってははなはだ大胆不敵で、万事において人々は彼に服従した』
ルイス・フロイス「完訳フロイス日本史」中央公論社2000年
ポルトガルのイエズス会宣教師。伝道のため一五六三(永禄六)年来日。日本副管区長から「日本史」の編述を命じられる。秀吉の伴天連追放令の後マカオに退去したが再び来日し、長崎で没。三五年間布教し、信長との会見は一八回に及んだ。
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