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明治天皇

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/11/07 10:16 投稿番号: [151 / 178]
「天皇睦仁(明治天皇)は外見上、日本人としては大柄で、恰幅が良かった。筆者が知っている30年の間、彼はあまり変わっていない。公式の場所に出るときは、いつも彼は軍服を着けていた。一時かれは乗馬に熱中したが、後にはただ軍事上の機会しか馬に乗らなかった。しかも彼は、自分の腕前を見せびらかすようなことは全くなかったが、それというのも、もともと慎み深くて、内気に近い性質であったからである。
彼は一定の機会しか皇居を離れなかったー即ち閲兵式、開会式、開通式その他の公式の祝典、旅行などの場合である。
それ以外は、いつも皇居内で過ごしていたが、それも、高い塀で他の御苑から隔てられた、あまり大きくない庭のある、数室の小さい一廓に住んでいたのである。そこが天皇にとっていかに居心地がよかったかは、あの東京の不快極まる夏の暑さですら、そこから天皇を追い出すことができなかったことでわかる。
国内の各所に離宮や御用邸があるが、それらの一つにかれが気晴らしのため、相当長期にわたって滞在したことは決してなかった。
彼は華美な祭典や公式の行列を好まなかった。この点で、かれの個性は、とかく半ば神秘的に見たがる日本人一般の天皇感と一致する。
天皇睦人は、その長期にわたる治世中、絶えず有能な相談相手を側近にもつという、まれな幸運に恵まれた。しかし、かれ自身が、これらの人々を遇するにふさわしい態度をとり、一度その真価を認めると、どんな厳しい非難や中傷があっても、その信頼をまげなかった点は、なんといっても彼自身の功績である。また、外国のもの一切を、大慌てに同化しようとした時代に、かれがいつも用心深く、控えめに出た点もかれの功績である。
かれこそは疑いもなく、心から国家と国民の繁栄を念じていた君主であった。そしてかれの生涯が、めずらしい幸運に恵まれていたように、彼の治世は、その国家にとって、まれに見る幸運の時代であった。」

エルヴィン・ベルツ   「ベルツの日記」岩波文庫1955

ドイツの医学者。一八七六(明治八)年、日本政府の招聘で東京医学校(東京大学医学部の前身)教師となり、以後三〇年間滞日して日本医学の発展に寄与、『日本の近代医学の父』といわれた。
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