魯迅
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/12/19 16:53 投稿番号: [164 / 178]
「(私の講義、ノートが取れますか?)とかれは訊ねた。
(どうにか)
(見せてごらん)
私は筆記したノートをさし出した。かれは受け取って、一両日して返してくれた。
そして、今後は毎週もってきて見せるようにと言った。持ち帰って開いてみて、私はびっくりした。同時にある種の困惑と感激に襲われた。私のノートは、はじめから終わりまで全部朱筆で添削してあり、たくさんの抜けたところを書き加えただけでなく、文法の誤りまでことごとく訂正してあった。このことが彼の担任の骨学、血管学、神経学の授業全部にわたってつづけられた。(中略)
私は、今でもよく彼のことを思い出す。わが師と仰ぐ人の中で、かれはもっとも私を感激させ、もっとも私を励ましてくれた人のひとりだ。私はよく考える。かれが私に熱烈な期待をかけ、辛抱強く教えてくれたこと、それは小さくいえば中国のためである。中国に新しい医学が生まれることを期待したのだ。大きくいえば学術のためである。新しい医学が中国に伝わることを期待したのだ。私の目から見て、また私の心において、彼は偉大な人格である。その姓名を知る人がよし少ないにせよ。
かれが手を加えたノートを私は三冊の厚い本にとじ、永久に保存するつもりで大切にしまっておいた。不幸にも七年前、引越しの途中で木の箱がひとつこわれ、中の書物が半分なくなり、あいにくこのノートも失われた。探すように運送屋を督促したが返事がなかった。だが彼の写真だけは今でも北京のわが寓居の東の壁に、机の向かいに掛けてある。夜ごと仕事にあきて怠けたくなるとき、顔を上げて灯かりのもとに色の黒い、痩せたかれの顔が、今にも節をつけて語り出しそうなのを見ると、たちまち良心がよびもどされ、勇気も加わる。
そこで一服たばこを吸って、『聖人君子』たちから忌み嫌われる文章を書きつぐことになる。」
魯迅
「魯迅文集」筑摩書房 1976
近代中国の文学者。1902(明治三十五)から約7年留学生として滞日。その間に仙台の医学専門学校で藤野厳九郎から医学を教わる。「狂人日記」、「阿Q正伝」などの小説が有名。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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