侵略国日本は国際社会の前科者
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東日本大震災は人工地震である(4)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/12/03 11:52 投稿番号: [8401 / 8458]
おそらくコシミズ氏の経済理論は正しい。
米ドル基軸体制とユーロとの関係、イラク戦争との関係、9.11事件との関係などじつに説得力がある。
いまアメリカが考えていることは、第二次世界大戦のときのようにアメリカ自身が戦争することが目的なのではない。
世界の何処かで誰にも分らないように戦争を起こすなり、災害を起こすなりして、世界経済を混乱させて破滅に導き、もうすでに破産状態にある借金大国アメリカを白紙の状態に戻すことにある。
まあ、たとえて言うなら、
マージャンで負けそうになった人が、マージャンパイをグチャグチャにする。
将棋で王手をかけられた人が将棋盤をひっくり返す。
囲碁で負けそうになった人が碁石をグチャグチャにする。
アメリカは、いまこのような状況に追い込まれている。とにかく何らかの事件を起こして時間稼ぎをしなければならない。世界中が気づく前に・・・。
ただしコシミズ氏の小沢氏にたいする評価については、私は留保しておく。
http://www.youtube.com/watch?v=ZR9Oe372vyM&feature=related
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552022058/bfafnac9qffckdca4o9qbaddbcr2qa4na02jbct_1/8401.html
東日本大震災は人工地震である(3)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/12/02 05:06 投稿番号: [8400 / 8458]
東北三陸沖には8000mの深さの日本海溝がある。この海溝は光が届かないので真っ暗である。潜水艦が航行するときは、お互いに衝突しないようにするため、または海底の岩石にぶつからないようにするために非常に強力な音波を出して、その反射音をキャッチして衝突を避けている。
この潜水艦が出す強力な音波は、付近を泳いでいる鯨の聴覚器官を狂わしたり傷害を与える。
東日本大震災の起こる一週間前の3月4日に茨城県鹿嶋市下津海岸にゴンドウクジラ52頭が打ち上げられている。
マスコミはなぜこのようなことを報道しないのか。
日本の安全を米軍に預けているために、米軍に好きなようにされている。
http://www.youtube.com/watch?v=Z1W8VAm0dk4&feature=related
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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東日本大震災は人工地震である(3)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/12/01 06:14 投稿番号: [8399 / 8458]
東北三陸沖には8000mの深さの日本海溝がある。この海溝は光が届かないので真っ暗である。潜水艦が航行するときは、お互いに衝突しないようにするため、または海底の岩石にぶつからないようにするために非常に強力な音波を出して、その反射音をキャッチして衝突を避けている。
この潜水艦が出す強力な音波は、付近を泳いでいる鯨の聴覚器官を狂わしたり障害を与える。
東日本大震災の起こる一週間前の3月4日に茨城県鹿嶋市下津海岸にゴンドウクジラ52頭が打ち上げられている。
マスコミはなぜこのようなことを報道しないのか。
日本の安全を米軍に預けているために、米軍に好きなようにされている。
http://www.youtube.com/watch?v=Z1W8VAm0dk4&feature=related
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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東日本大震災は人工地震である(2)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/12/01 05:31 投稿番号: [8398 / 8458]
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東日本大震災は人工地震である(2)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/30 08:17 投稿番号: [8397 / 8458]
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東日本大震災は人工地震である(1)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/29 14:21 投稿番号: [8396 / 8458]
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東日本大震災は人工地震である
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/29 13:45 投稿番号: [8395 / 8458]
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真珠湾攻撃70周年特別企画(8)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/26 19:24 投稿番号: [8394 / 8458]
アメリカ独立戦争の間、イロコイ連邦の中の4つの部族がイギリス側に付いて、サラトガ方面作戦ではオリスカニーの戦いでイギリス軍を助け、ペンシルベニアではワイオミング・バレーの虐殺、ニューヨークではチェリー・バレーの虐殺など、この地域を荒らし回った。イギリスがアメリカ南部に攻撃の目標を置いた 1779年、ジョージ・ワシントン将軍はイロコイ族の動きに対処する機会だと捉えた。
ジョージ・ワシントンはジョン・サリバンに約5,000名の兵士を付けて、ニューヨーク植民地北部のイロコイ族集落を襲わせた。この際、ワシントンは「インディアンの村をただ制圧するだけでなく、皆殺しにするように。」と指令した。
1779年の秋、サリバンはニュータウンの戦いでイロコイ族を打ち破り、焦土作戦を行って40以上の集落とその作物を破壊した。サリバンの遠征隊とは別に、ダニエル・ブロードヘッド大佐の指揮する部隊がペンシルベニア西部のイロコイ族集落を襲い、10個以上の集落を破壊した。イロコイ族の大部分はカナダに逃げ込んだが、その後の冬は寒さと飢えに苦しむことになった。この後イロコイ族の力は合衆国の中では制限され、北西部領土に対する領有主張は消えた。
イロコイ族はワシントンの軍隊によって徹底的に虐殺された。ワシントンの軍隊はイロコイ族の尻の皮を剥いでブーツトップやレギンスを作った。イロコイ連邦のセネカ族の集落はワシントンによる焦土作戦によって、30あった集落のうち28を徹底破壊された。インディアンたちはワシントンを「街の破壊者」とよんで恐怖した。
これより前の1778年、ジョージ・ロジャース・クラーク将軍が178名の兵士と共にオハイオ川にあるイギリス軍の砦を占領し、オハイオ川を支配下に置き、オハイオ川から北の土地の領有権を宣言した。
1782年8月、ケンタッキーで行われたブルーリックスの戦いはアメリカ独立戦争の最後の戦いとなった。今日のケンタッキー州ロバートソン郡にあるリッキング川沿いの丘で約50名のイギリス軍レンジャーズと300名のインディアン戦士がケンタッキー民兵182名を待ち伏せし崩壊させた。
1783年のパリ条約は、アメリカ合衆国の独立と北西部領土の領有を、紙の上で認めた。この領土は合衆国のマサチューセッツ州、コネチカット州、ニューヨーク州およびバージニア州がそれぞれ領有を主張する複雑な様相を呈した。イギリス軍は1781年のヨークタウンの戦いで決定的な敗北を喫していたが、北西部領土のアメリカ・インディアンは負けたわけではなかった。しかし、インディアン達はパリ条約の調印に参加することでもなく、ミシキナクワ(リトルタートル)やウェヤピアセンワー(ブルージャケット)といったインディアンの有力者達はこの地域のアメリカ合衆国による支配を拒んだ。オハイオ川の砦を失った後も、イギリス軍は五大湖地方の砦を維持し、同盟インディアンと武器と毛皮の交易を続けることでインディアンを支援していた。このイギリス軍の駐留は米英戦争の終結時まで続くことになった。
合衆国の大陸会議は通貨の安定と独立戦争で負った負債の償還のために西部の土地を売却した金で補おうと考えた。1785年の公有地条例はインディアンの土地(所有権を持っていようといまいとに拘わらず)を得ようとする土地投機家、測量士、および入植者に動機を与えた。大陸会議は1785年に幾つかのインディアン部族と交渉してマッキントッシュ砦の条約を結び、オハイオ領土東部の土地を手に入れた。しかし、コネチカットの入植白人が既に西部保有地に流れ込んでおり、幾つかの部族に取って置かれた保有地の一部まで広がっていた。
1787年に連合会議で採択された北西部条例によって、合衆国の法律でインディアンの領土が保証されたが、オハイオ川の北に入植者の流入が続くことになった。これらの入植者とインディアンとの紛争が起こり激しさを増した。両者の不満を抑えようとした1789年のハーマー砦の条約は失敗し、問題をこじらせてしまった。
「すべてを共有する」というインディアンの文化では、土地は誰のものでもなく、みんなのものだった。白人がやってきて勝手に農地を開いても、インディアンは大目に見ていた。しかしその数が増え、彼らに対して白人がここから出てどこかよその土地に行けと言いだすと、インディアンたちは当然怒った。インディアンにとって土地は誰かが占有するものでも、他者を排除するものでもなかった。
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真珠湾攻撃70周年特別企画(7)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/21 00:12 投稿番号: [8393 / 8458]
ワシントンとルーズベルトに共通する人種差別意識。
ルーズベルト「日本人は獣である」
「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。
一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。 当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。
「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」
「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」
当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。
「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言っていい。文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。日本人を根絶しなければならない!」
ウィリアム・ハルゼー海軍元帥
日本軍との戦闘に際し「敵を殺せ!敵をもっと殺せ!猿肉をもっと作れ!」
など度々過激な発言を繰り返したことで知られているが、日本への原爆投下
に対しては批判的だった。
ハイドパーク協定
1944(昭和19)年9月18日
フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が
米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について 申し合わせた秘密協定
1972(昭和47)年に初めて公開された
ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国の
ロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良と いうとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。
「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア 人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。 ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」
トルーマンのカバートへの返事
1945年8月11日
日本人の理解する唯一の言語は、彼らを爆撃することのように思われます。
獣と相対したときは、獣として扱う他はありません。
トルーマン回想録
"Japanese are beast. So are treated as"(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)
アメリカからみると対独戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。
ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。
原爆投下は人間以下の動物とみなされた日本人の大量虐殺が目的だった
ハーバード大学総長で連邦科学行政官のジェームズ・B・コーナントの提案により、陸軍長官ヘンリー・スティムソン
は、就業労働者が多数いて、周囲に労働者住宅が密集する軍需施設がもっとも望ましい原爆投下の攻撃対象になるだろうと同意した。
これについてネーション誌は次のように解説している。
お上品な婉曲表現を剥ぎ取って考えれば、この議事録は非戦闘員である労働者とその妻子を殺戮する意図をはっきりと謳っている。これは第二次世界大戦の残虐行為の一部であった。
さら続けて、ネーション誌は指摘する。
広島は軍事上の攻撃目標ではなかった。住民の大部分は非戦闘員だった。広島を原子爆弾の攻撃目標とするにあたって、米軍参謀部と文官指導層はそのことを正確に予想していた。原爆を投下する第1の目的は、敵の非戦闘員を大量に殺戮することにあり、さらにこれによって生存者を威嚇することにあった。
リンドバーグが見たもの
彼は1944年(昭和十九年)にニューギニアの米軍基地で陸軍将校として四ヶ月過ごしたが、その体験を日記に記して後に「第二次大戦日記上巻、下巻」として出版した。
それによると彼は戦場で見たものにショックをうけた。それは兵士が嬉々として敵を殺したからではなく、米兵が日本兵に対して抱く露骨な人種蔑視の念と、それに基づく残虐行為を目のあたりにしての苦悩であった。
たとえ敵味方に別れて戦い軍服に違いがあるとしても、敵の人間としての勇気は勇気として、兵士の使命は使命として認めなければならないにもかかわらず、太平洋地域の連合軍の中には、そうした感情のカケラもないことを発見した。
そこでは士官も兵士も日本人に対する人種差別、蔑視から自分達と同じ人間とは考えず、人間以下の単なる動物としか見ていなかった。
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真珠湾攻撃70周年特別企画(6)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/18 22:33 投稿番号: [8392 / 8458]
インディアン戦争
インディアン戦争は小さな戦争の連続であった。インディアンはそれぞれの歴史を持つ様々な集団であった。戦争の間を通じて、インディアンは「白人」のように一括りで呼べるような単一の民族では無かった。様々なやり方で築かれた社会に住み、地域的なレベルで戦争と和平の決断を下した。ただし、イロコイ連邦や、スー族とシャイアン族、アラパホー族の三部族同盟、またテクムセのような調停者によって実現した一時的な同盟のように、公式の同盟を組んで共闘することが多数見られた。
インディアン戦争は大きく分けて、次の4つの時代区分に分けられる。
最初の時代は白人がアメリカに入ってきて手探りでインディアンとの共存を探った時代である。
次の時代はアメリカ合衆国が誕生してそれに続く期間であり、インディアンからの激しい抵抗があったもののアメリカの文化に同化しないインディアンが排除されて、ミシシッピ川から東にはほとんどインディアンの居住地が無くなった時代である。
3番目の時代はミシシッピ川の西に白人の入植が進み、アメリカ合衆国の国力が充実してきてアメリカ西部のインディアンが屈服させられていった時代である。
4番目は、20世紀に入ってインディアン条約が合衆国側から破棄され、部族そのものが消滅され始めた時代である。
クレイジー・ホースらが参加した、インディアンの連合軍がカスター中佐の第7騎兵隊を撃退全滅させるなどの戦果もあったが、ジェロニモの降伏やウンデット・ニーの虐殺以降、インディアンによる軍事的な反乱はなくなった。代って、20世紀になってからの「レッド・パワー運動」に代表される、権利回復要求運動が現代のインディアン戦争となった。黄金に代わってウラニウムや石炭、水といった保留地の地下資源が、合衆国の収奪対象となった。現代の「インディアン戦争」は、地下資源の収奪と環境汚染が大きなテーマとなっている。
1973年にスー族保留地内の「ウーンデッド・ニー」で、オグララ・スー族と「アメリカインディアン運動(AIM)」が同地を占拠し、「オグララ国」の独立宣言を行った「ウーンデッド・ニー占拠抗議」(のちの連邦裁判で完全合法判決を受けた)では、全米のインディアンが応援参加し、非武装のインディアンたちに対して合衆国とサウスダコタ州が戦車や戦闘ヘリまでを投入した、一大軍事衝突となった。
2003年、100年近くに及ぶインディアンたちの要求運動によって、「リトルビッグホーンの戦い」の主戦場が「カスター国立記念戦場」から「リトルビッグホーン国立記念戦場」に名称変更された。同時に「インディアン戦争」を戦ったインディアンたちの「インディアン記念碑」が建立され、地図と解説の書かれた石壁が設置された。この石壁には次のような文言が彫り込まれている。
“The Indian Wars Are Not Over.”(インディアン戦争は終わっていない)
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真珠湾攻撃70周年特別企画(5)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/17 23:38 投稿番号: [8391 / 8458]
ジョージ・ワシントンのインディアン狩り(2)
ワシントンは黒人を奴隷として所有していたのと同様に、アメリカ先住民族であるインディアンを人間扱いしていなかった。彼が名を上げた「フレンチ・インディアン戦争」では、イギリス植民地軍は多数のインディアン部族と同盟を組み、フランス軍と闘わせ、フランス側についたインディアン部族と殺し合いをさせた。ワシントンはインディアンを「生贄のけだもの(beasts of prey)」と呼んで、大統領に就任するとこれを植民の障害としてのみとらえ、「ニューイングランド一帯のインディアン部族を絶滅させるように」と閣僚に命じた。
ワシントンはのちに、合衆国によるインディアン民族に対する民族浄化について、次のようにその考えを述べている。
「インディアンの諸国を相手とする、我々のやり方の基本は“正義”であったし、それはこれからもそうでなければならない。」
1970年、インディアン権利団体「アメリカインディアン運動(AIM)」は、スー族のブラックヒルズ一帯の占有権を認めた条約の確認を合衆国に求め、ワシントンらの「顔」の彫られたラシュモア山頂上で長期占拠抗議を行った。この際、スー族運動家のラッセル・ミーンズらインディアンたちは、ジョージ・ワシントンの「顔」に小便をかけてみせた。AIMのスポークスマンでもあるミーンズはジョージ・ワシントンについて、次のように述べている。
「合衆国がイギリスから独立した理由について、うんざりするほどのプロパガンダが語られている。しかし、実際のところは、大奴隷所有者であり最大地主であるジョージ・ワシントンは、アメリカインディアンと同盟を組んだイギリスのオリジナルの条約を、西半球で守る必要がないように、イギリスとの関係を断ったのである。そして合衆国は西半球を侵略し、土地を奪ったのだ。」
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真珠湾攻撃70周年特別企画(4)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/17 06:58 投稿番号: [8390 / 8458]
ジョージ・ワシントンのインディアン狩り(1)
1779年、ワシントンはジョン・A・サリバン少将に、ニューイングランドのイロコイ族への攻撃命令を下した。ワシントンはこう命じている。「村落すべてを破壊し、根絶やしにするように。同国を単に制圧するだけでなく、絶滅させるのだ。」
このインディアンに対する虐殺と絶滅の指令の際に、ワシントンは将軍にこう付け加えた。「彼らが根絶やしになる前に、なんでもいいから和平案があったら聞いておくように。」
1781年にアメリカ軍とフランス軍およびフランス艦隊が、バージニア州ヨークタウンでコーンウォリス将軍の部隊に罠を仕掛けた。ワシントンは南へ迅速に進み9月14日に軍隊に加わって、イギリス軍部隊が降伏するまで包囲を行った。イギリス軍は降伏し、それはイギリスの独立を抑えようとする試みの終了となった。ワシントンはこの戦争とその後の人生で成功者として知られているものの、イギリス軍と9回戦って3回しか勝利できなかった。
1783年のパリ条約によって、大英帝国はアメリカの独立を承認した。
この年、ワシントンはインディアンを狼と比較して、嫌悪も露わにこう発言している。「インディアンも狼も、どちらとも生贄のけだものだ。まあ、やつらはちょっと形は違っているが。」
ワシントンのインディアン絶滅方針は、彼が軍を指揮していた間、一貫していた。ワシントンの軍隊は、ブーツトップやレギンスを作るために、イロコイ族の尻の皮を剥いだ。
ワシントンによる虐殺を生き延びたインディアンたちは、ワシントンを「町の破壊者(Town Destroyer)」と呼んだ。エリー湖畔からモホーク川にかけて、30を数えたセネカ族の集落のうち、ワシントンの直接命令によって、ここまでの5年未満の間で28の町村が破壊し尽くされたのである。またこのなかには、モホーク族、オノンダーガ族、カユーガ族のすべての町と集落が含まれていた。1792年に、ワシントンについてイロコイ族の一人が次のような言葉を残している。
「今では、ワシントンの名を聞いただけで、我々の女たちは後ずさりし、顔色が悪くなる。そして、我々の子供たちは母親の首にしがみつく。」
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真珠湾攻撃70周年特別企画(4)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/16 22:07 投稿番号: [8389 / 8458]
ジョージ・ワシントンのインディアン狩り
1779年、ワシントンはジョン・A・サリバン少将に、ニューイングランドのイロコイ族への攻撃命令を下した。ワシントンはこう命じている。「村落すべてを破壊し、根絶やしにするように。同国を単に制圧するだけでなく、絶滅させるのだ。」
このインディアンに対する虐殺と絶滅の指令の際に、ワシントンは将軍にこう付け加えた。「彼らが根絶やしになる前に、なんでもいいから和平案があったら聞いておくように。」
1781年にアメリカ軍とフランス軍およびフランス艦隊が、バージニア州ヨークタウンでコーンウォリス将軍の部隊に罠を仕掛けた。ワシントンは南へ迅速に進み9月14日に軍隊に加わって、イギリス軍部隊が降伏するまで包囲を行った。イギリス軍は降伏し、それはイギリスの独立を抑えようとする試みの終了となった。ワシントンはこの戦争とその後の人生で成功者として知られているものの、イギリス軍と9回戦って3回しか勝利できなかった。
1783年のパリ条約によって、大英帝国はアメリカの独立を承認した。
この年、ワシントンはインディアンを狼と比較して、嫌悪も露わにこう発言している。「インディアンも狼も、どちらとも生贄のけだものだ。まあ、やつらはちょっと形は違っているが。」
ワシントンのインディアン絶滅方針は、彼が軍を指揮していた間、一貫していた。ワシントンの軍隊は、ブーツトップやレギンスを作るために、イロコイ族の尻の皮を剥いだ。
ワシントンによる虐殺を生き延びたインディアンたちは、ワシントンを「町の破壊者(Town Destroyer)」と呼んだ。エリー湖畔からモホーク川にかけて、30を数えたセネカ族の集落のうち、ワシントンの直接命令によって、ここまでの5年未満の間で28の町村が破壊し尽くされたのである。またこのなかには、モホーク族、オノンダーガ族、カユーガ族のすべての町と集落が含まれていた。1792年に、ワシントンについてイロコイ族の一人が次のような言葉を残している。
「今では、ワシントンの名を聞いただけで、我々の女たちは後じさりし、顔色が悪くなる。そして、我々の子供たちは母親の首にしがみつく。」
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真珠湾攻撃70周年特別企画(3)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/16 05:39 投稿番号: [8388 / 8458]
太平洋戦争におけるアメリカ軍の残虐性はどこから来るのだろうか。そしてアメリカ合衆国になってからの領土拡大欲はどこから来るのだろうか。
これはアメリカ史を紐解けばわかる。ヨーロッパからの白人の入植期におけるインディアン戦争に由来するものである。
そもそもの白人とインディアンとの戦争は、クリストファー・コロンブスの上陸に始まるものである。コロンブスは中米のインディアン諸部族を艦隊を率いて数年にわたり虐殺し、その人口を激減させた。インディアンたちを黄金採集のために奴隷化し、生活権を奪ったためにインディアンたちは飢餓に陥り、疫病が蔓延し、その数をさらに減らした。白人のもたらした疫病が中米のインディアンを減らしたのではない。コロンブスによる大量虐殺が、疫病によるインディアンの激減を招いたのである。
「アメリカ合衆国」成立前の東海岸では、ジョージ・ワシントンがインディアン民族の絶滅政策を進めた。ワシントンの手法は焦土作戦だった。ワシントンの軍隊は、イロコイ連邦やニューイングランド全域のインディアンを「根絶やしにせよ」とのワシントンの命令を受けていた。
アメリカ独立戦争以後、豊かで安い土地を求めて白人入植者が西進するようになると、当然そこに住むインディアンは邪魔者となり、これを排除しようとする合衆国政府とインディアンの撲滅戦争と化した。インディアンは領土を追われ、連邦政府が信託保留する土地、「保留地(Reservation)」に押し込められることを強要され、激しく抵抗するようになる。
イギリスがアメリカへの入植を始めた1610年代や1620年代は平穏に過ぎたが、ピクォート戦争の起こった1637年頃から、入植地の安全を図るためと、さらなる入植地の拡大のために、植民白人はインディアン部族間の争いを利用し、代理戦争を行わせるようになった。この戦争は17世紀(フィリップ王戦争、ウィリアム王戦争および18世紀初頭のアン女王戦争)からウンデット・ニーの虐殺で1890年にアメリカの辺境が「消滅」するまで、インディアンの土地を白人入植者のために没収し、インディアンを征服して白人に同化させると同時に、インディアン保留地へ強制移住させる、という結果になっていった。
これらの戦争でアメリカ側とインディアン側の受けた損失については様々な統計が示されてきた。最も信頼に足る数字はグレゴリー・ミクノなどによる交戦記録を厳密に照合したものであり、1850年から1890年の間だけで、21,586人の市民と兵士が死亡、負傷、または捕虜になったとしている。他の数字としては、ラッセル・ソーントンなどのやや大雑把で関係性の薄い政府の資料から外挿したもので、45,000人のインディアンと19,000人の白人が殺されたとしている。この後者の推定値の中には、辺境の虐殺によって非戦闘員がしばしば殺されたので、双方の女性子供の犠牲者も含まれている。その他にも様々な著者が、少ない者では5,000人、多い者では50万人という数字を上げている。ここでの議論に含まれていないのは、双方の残虐さである。インディアンはその残酷な戦い方で、アメリカは破壊的な作戦実行で示した残虐さは、毎年のように新聞、記録保管所、外交記録およびアメリカ独立宣言(...(イギリスは)辺境の住人、戦い方を知っている残酷なインディアンに、年齢、性別や状態に拘わらず見境無い破壊を奨励している)の中で指摘されてきた。
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真珠湾攻撃70周年特別企画(2)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/15 09:34 投稿番号: [8387 / 8458]
白人種の西部開拓
マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)とは、アメリカ合衆国のインディアンに対する民族浄化と黒人の奴隷使役によって進められた白人種の西部開拓を正当化する標語。「明白なる使命」や「明白なる運命」などと訳出される。
1845年、ジョン・オサリヴァンが用いたのが初出である。この際は、合衆国のテキサス共和国の併合を支持する表現として用いられ、のちに合衆国の膨張を「文明化」・「天命」とみなしてインディアン虐殺、西部侵略を正当化する標語となっていった。19世紀末に「フロンティア」が事実上消滅すると、合衆国の帝国主義的な領土拡大(米西戦争やハワイ併合など)や覇権主義を正当化するための言葉となった。
1872年に描かれた絵画「アメリカの進歩」
女神の右手には書物と電信線が抱えられており、合衆国が西部を「文明化」という名の下に征服しようとする様子を象徴している。背後には1869年に開通した大陸横断鉄道も見える。
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真珠湾攻撃70周年特別企画(1)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/12 07:21 投稿番号: [8386 / 8458]
あの真珠湾攻撃から世界史上最大とも言える日米間の大戦争(太平洋戦争)が始まった。あれから70年が過ぎようとしている。いまの日本人で当時の戦争を体験している人は少なくなった。大部分の日本人が大東亜戦争を知らない。しかしこのまま忘れ去っていいのだろうか?
マスコミもテレビも政治家も語ろうとはしない。なぜなら彼らは真珠湾攻撃と言う「騙し討ち」をしたから、中国を侵略したから、先の大戦のことを語ってはいけないと決め込んでいるようだ。
だが自分を日本人だと思っている諸君、良く考えてみたまえ。あの太平洋戦争で日本人が100万人死んだのだ。アメリカ軍が日本人を100万人殺したのだ。日本人はこのことに関して語ってはいけないほど当時の日本軍は悪いことをしたのか。逆にアメリカはわざわざ太平洋を渡って来てまで日本人を100万人殺す理由があったのだろうか。
アメリカにははるばる太平洋を渡って来てまで日本人を100万人も殺さなければならないどんな大きな理由があったのだろう。そもそもハワイだってフィリピンだってアメリカが侵略して奪い取った島々である。そこを日本軍に攻撃されたからといって日本本土に住んでいる日本人を50万人も殺してよいものだろうか。
そして敗戦降伏した日本を占領して、「この憲法は国民の総意に基づく」と天皇を脅してウソをつかせて勝手に憲法を作って、しかもこの憲法は各議院の総議員の三分の二以上の賛成がないと改正できないようにあらかじめ仕組んでいる。まったくマッカーサーもGHQも惚れ惚れするほど悪賢い連中であった。そしてマスコミもテレビも政治家も学校の教師もみんな揃ってこの憲法はすばらしい、とくに憲法第九条は世界に類を見ないとてもすばらしいものであると誉めそやしている。いまの日本国民は騙されていることすらわからないという信じ難い現実が存在している。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき37
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/08 21:08 投稿番号: [8385 / 8458]
昭和16(1941)年になると、先に紹介したように大統領秘密命令で中国側に米空軍軍人を義勇軍という名目の下に大量の飛行機と共に投入した。
この事実は、日本の真珠湾攻撃以前に、米軍が中国への武器援助を通して、支那事変に介入するのみならず、実質的に参戦していたことを如実に示しているのである。
しかしながら、米国政府の意図はどうあれ、米国国民は世界大戦への参加を拒否していた。
ルーズベルト大統領は、米国国民を絶対に戦争に巻き込まないことを繰り返して宣伝して大統領選挙を戦い3選を果たしていた。
しかしその一方ではチャーチルとの間で米国の参戦を約束していたのである。
「(米国民との)約束を公然と破らずに、チャーチルと結んだアメリカをヨーロッパ戦争に介入させる約束を果たすただ1つの方法は、ドイツか日本を挑発してアメリカに戦争をしかけさせることであると、にらんでいた。・・・・日本は、その存在を危険にさらさずに後退できないまでに、あまりにも深く日中事変に介入していた。アメリカは、日本が面目をつぶさない限り現に保持している地点から撤退できない、という妥協の余地のまったくない提案を日本側におしつけた。」(ウェデマイヤー回想録)
かくして日本を全く絶対絶命の状態に追い詰めた米国は、いよいよハル・ノートを提出して、わが国に満州も含めた中国大陸全土からの撤兵を要求してきた。
米国が、ついにその長年の極東政策の目標であった満州獲得の本音を持ち出したのである。
勿論わが国としては到底受け入れることのできるはずのない条件であった。
「自存自衛」のため、わが国はやむを得ず大東亜戦争開戦を決意せざるを得なかったのである。
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ついでに「イギリス国歌」も歌います
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/07 22:43 投稿番号: [8384 / 8458]
「君が代」は皇室を称える歌だから嫌だと言う反日諸君、以下のイギリス国歌を聞いてみたまえ。「君が代」とよく似ているだろ。「君が代」だけが特別変わった歌と言うわけではないのだ。まあ、私も「君が代」はあまり好きではないが、反日諸君ほど嫌いというわけではない。
イギリス国歌「God Save the Queen」
1.
God save our gracious Queen,
神よ我らが慈悲深き 女王陛下を守りたまえ
Long live our noble Queen,
我等が高貴なる女王陛下の永らえんことを
God save the Queen:
神よ我らが女王陛下を守りたまえ
Send her victorious,
Happy and glorious,
勝利・幸福そして栄光を捧げよ
Long to reign over us;
御代の永らえんことを
God save the Queen.
神よ我らが女王陛下を守りたまえ
http://www.youtube.com/watch?v=AwziS2aE6Ww
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ついでに「フランス国歌」も歌います
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/06 23:01 投稿番号: [8383 / 8458]
今は亡き名女優イングリッド・バーグマンが映画「カサブランカ」の中でフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌っているが、その歌詞の内容を知っているだろうか。彼女がいかに残酷な歌を歌っているかを知ってもらいたい。
ともすれば「君が代」が反日諸君の槍玉にあげられるが、アメリカ合衆国の国歌やフランスの国歌に比べれば、「君が代」はじつに平和的な歌である。
フランス国歌
La Marseillaise「ラ・マルセイエーズ」
歌詞 1番
Allons enfants de la Patrie,
進め 祖国の子らよ
Le jour de gloire est arrive !
栄光の時が来た
Contre nous de la tyrannie,
我らに対し 暴君の
L'etendard sanglant est leve,
血塗られた軍旗は 掲げられた
L'etendard sanglant est leve,
血塗られた軍旗は 掲げられた
Entendez-vous dans les campagnes
聞こえるか 戦場で
Mugir ces feroces soldats ?
獰猛な兵士の怒号が
Ils viennent jusque dans vos bras
奴らは来る 汝らの元に
Egorger vos fils et vos compagnes !
喉を掻ききるため 汝らの子の
コーラス
Aux armes, citoyens,
市民らよ 武器を取れ
Formez vos bataillons,
軍隊を 組織せよ
Marchons, marchons !
進め! 進め!
Qu'un sang impur
敵の汚れた血で
Abreuve nos sillons !
田畑を満たすまで
Aux armes, citoyens,
市民らよ 武器を取れ
Formez vos bataillons,
軍隊を 組織せよ
Marchons, marchons !
進め! 進め!
Qu'un sang impur
敵の汚れた血で
Abreuve nos sillons !
田畑を満たすまで
http://www.youtube.com/watch?v=fqZ4GQ5ZPME&feature=fvsr
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イングリッド・バーグマンに捧げる星条旗
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/05 10:34 投稿番号: [8382 / 8458]
彼女が映画「カサブランカ」の中でフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌っている時のように、今度は私が、今は亡き名女優イングリッド・バーグマンのためにアメリカ合衆国の国歌「星条旗」を歌って進ぜよう。
以下の伴奏に合わせて歌います。
http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&v=4nxOqeW4nCo&NR=1「The Star-Spangled Banner」歌詞
(The United States national anthem)
「星条旗(米国国歌)」
1.
Oh, say can you see,
おお、見えるだろうか、
by the dawn's early light
夜明けの薄明かりの中
What so proudly we hailed
我々は誇り高く声高に叫ぶ
at the twilight's last gleaming?
Whose broad stripes and bright stars,
through the perilous fight.
O'er the ramparts we watched
were so gallantly streaming?
危難の中、城壁の上に
雄々しくひるがえる
太き縞に輝く星々を我々は目にした
And the rockets' red glare,
the bombs bursting in air,
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中
Gave proof through the night that
our flag was still there,
我等の旗は夜通し翻っていた
Oh, say does that star-spangled
banner yet wave.
ああ、星条旗はまだたなびいているか?
O'er the land of the free
and the home of the brave!
自由の地
勇者の故郷の上に
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イングリッド・バーグマン「カサブランカ」
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/05 01:55 投稿番号: [8381 / 8458]
前に述べた文の後半部分をもう一度掲載する。
宋美齢とイングリッド・バーグマンの意外な関係を発見して驚いたからである。
また、同時期に抗日戦への義捐金を募るためにカリフォルニア州ハリウッドで演説した際には、メアリー・ピックフォード、ハンフリー・ボガートやキャサリン・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンなどのハリウッドスターから称賛と支持を受け、『タイム』誌の表紙を飾るなど、第二次世界大戦中を通じて中華民国のファーストレディとして、そして夫で英語を話せない蒋介石のスポークスマン兼中華民国のロビイスト的役割を果たし、アメリカをはじめとする連合国における中華民国、そして日本に対する世論に大きく影響を与えた。
第二次世界大戦にアメリカが参戦した1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開された、親ドイツのヴィシー政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画「カサブランカ」でヒロインを演じるイングリッド・バーグマン(イルザ)が、店内でドイツの愛国歌「ラインの守り」を歌うドイツ士官たちに対抗して「ラ・マルセイエーズ」を歌う感動的なシーンは誰でも知っているだろう。
この映画ではドイツ軍は悪役になっている。しかし当時、日本はドイツと同盟を結んでいた。彼女がこの映画の中でドイツに対して抱いていた感情と同じかもっと激しい感情を、彼女は宋美齢の演説を聴きながら日本に対して持ったに違いない。しかもその感情は演技ではなく実際の現実としての彼女の感情である。しかしそのときの彼女の抱いた感情は誤解に基づくものである。
彼女が映画「カサブランカ」の中でフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌っている時のように、今度は私が、今は亡き名女優イングリッド・バーグマンのためにアメリカ合衆国の国歌「星条旗」を歌って進ぜよう。
http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&v=4nxOqeW4nCo&NR=1
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イングリッド・バーグマン「カサブランカ」
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/05 00:35 投稿番号: [8380 / 8458]
前に述べた文の後半部分をもう一度掲載する。
宋美齢とイングリッド・バーグマンの意外な関係を発見して驚いたからである。
また、同時期に抗日戦への義捐金を募るためにカリフォルニア州ハリウッドで演説した際には、メアリー・ピックフォード、ハンフリー・ボガートやキャサリン・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンなどのハリウッドスターから称賛と支持を受け、『タイム』誌の表紙を飾るなど、第二次世界大戦中を通じて中華民国のファーストレディとして、そして夫で英語を話せない蒋介石のスポークスマン兼中華民国のロビイスト的役割を果たし、アメリカをはじめとする連合国における中華民国、そして日本に対する世論に大きく影響を与えた。
第二次世界大戦にアメリカが参戦した1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開された、親ドイツのヴィシー政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画「カサブランカ」でヒロインを演じるイングリッド・バーグマン(イルザ)が、店内でドイツの愛国歌「ラインの守り」を歌うドイツ士官たちに対抗して「ラ・マルセイエーズ」を歌う感動的なシーンは誰でも知っているだろう。
この映画ではドイツ軍は悪役になっている。しかし当時、日本はドイツと同盟を結んでいた。彼女がこの映画の中でドイツに対して抱いていた感情と同じかもっと激しい感情を、彼女は宋美齢の演説を聴きながら日本に対して持ったに違いない。しかもその感情は演技ではなく実際の現実としての彼女の感情である。しかしそのときの彼女の抱いた感情は誤解に基づくものである。
彼女が映画「カサブランカ」の中でフランス国家「ラ・マルセイエーズ」を歌っている時のように、今度は私が、今は亡き名女優イングリッド・バーグマンのためにアメリカ国家を歌って進ぜよう。
http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&v=4nxOqeW4nCo&NR=1
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき36
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/03 23:39 投稿番号: [8379 / 8458]
宋美齢とアイリス・チャン
「日本軍は極悪非道」というイメージを米国国民に植え付けた二大中国系悪女。
二人に共通しているのは、米国育ちで英語ペラペラ。
宋美齢はアメリカ人より流暢な英語で、涙を流しながら「日本軍の極悪非道」を米国国民に訴えた。
アイリス・チャンは日本軍が南京大虐殺をやったと「ザ・レイプ・オブ・南京」で嘘八百とニセモノ写真を載せて、米国でこの本をベストセラーにした。
宋美齢は親中派のフランクリン・ルーズベルト大統領やその妻エレノアと親密な関係を構築し、日中戦争から第二次世界大戦に至るアメリカの対日政策に大きな影響を与えたといわれる。
第二次世界大戦中の1942年11月から1943年5月には、ルーズベルト大統領直々の招聘でアメリカに滞在し、アメリカ全土を巡回し自ら英語で演説し抗日戦への援助を訴え続けた。特に1943年2月18日には、ワシントンD.C.のアメリカ連邦議会において宝石をちりばめた中華民国空軍のバッジを着けたチャイナドレス姿で抗日戦へのさらなる協力を求める演説を行い、並み入る連邦議員のみならず全米から称賛を浴びその支持を増やした。
また、同時期に抗日戦への義捐金を募るためにカリフォルニア州ハリウッドで演説した際には、メアリー・ピックフォード、ハンフリー・ボガートやキャサリン・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンなどのハリウッドスターから称賛と支持を受け、『タイム』誌の表紙を飾るなど、第二次世界大戦中を通じて中華民国のファーストレディとして、そして夫で英語を話せない蒋介石のスポークスマン兼中華民国のロビイスト的役割を果たし、アメリカをはじめとする連合国における中華民国、そして日本に対する世論に大きく影響を与えた。
また1943年11月には、蒋介石とルーズベルト、イギリスのウィンストン・チャーチルがエジプトのカイロに集まって戦後の対日処理を決めたカイロ会談にも蒋介石とともに同席した。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき35
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/02 23:08 投稿番号: [8377 / 8458]
宋美齢
流暢な英語で、米国で反日キャンペーンを繰り広げ、日本軍は中国で極悪非道をやっていると言いふらして米国世論を味方につけた。
1937年に日本との間に勃発した日中戦争では、アメリカからの軍事援助の獲得を目指し、「国民党航空委員会秘書長」の肩書で、蒋介石の「通訳」として、駐中華民国大使館附陸軍武官のジョセフ・スティルウェルやアメリカ陸軍航空隊のクレア・リー・シェンノート大佐との交渉に同席し、アメリカからの有形無形の軍事援助を引き出し、日中戦争中から第二次世界大戦の初頭にかけて日本軍と対峙した「アメリカ合衆国義勇軍(フライング・タイガース)」の設立や中華民国空軍の近代化に大きく貢献した。
姉妹がウェルズリー大学の卒業生で、『タイム』や『ライフ』の発行者であるヘンリー・ルースは、日中戦争の間を通じて反日キャンペーンとともに対中支援キャンペーンを行い、『タイム』の1937年度「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に日中戦争を戦う蒋介石を選び、誌上でアメリカ市民に対中支援を訴えるなど、宋に協力を惜しまなかった。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき34
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/31 22:38 投稿番号: [8376 / 8458]
翌昭和14年(1939)年12月には、日本に対して航空機用のガソリンを禁輸するモーラル・エンパーゴが発動された。
更に昭和15(1940)年8月には、より低品質のハイオクタン航空ガソリン、9月にはくず鉄の対日前面禁輸、12月には鉄鉱や一定の鉄鉱製品の前面禁輸、昭和16(1941)年1月には銅、亜鉛、ニッケル、2月にはラジウム、ウラニウムの禁輸に踏み切るなど対日禁輸を真綿で首を締めるようにじわじわと進めたのである。
対日経済制裁を段階的に強化していった米国側の意図は「日本を脅かす唯一の道は、日本に何も与えないことである」とスチムソン陸軍長官の発言、「日本が三国同盟から離脱し、南進もせず、中国と泥沼戦争をつづける枠内で、必要最小限度の石油を供給する」といったルーズベルト大統領の発言に代表されるように、経済制裁によって日本を戦わずして屈服させることにあった。
しかしこの経済圧迫戦略は、必要最小限の石油を供給するといっても、日本が本当に必要とする航空機ガソリンは与えないのであるから、困った日本が石油を求めて行動を起こすことは十分予測出来たはずである。
実は本音としては、日本側が行動を起こせるだけの必要最小限の石油を日本に持たせた上で日本の行動を待っていたとも考えられるのである。
日本は、米国に代わる石油供給源を求めようとし、蘭印政府と昭和15(1940)年7月から交渉を始めた。
ところが蘭印政府は既に米国政府から対日圧迫の協力を求められており、日本へは強硬姿勢を貫いた。
一方米国側は、日本と蘭印間で交渉が行われている最中に、日本軍侵入の際にはすべての油田を破壊する命令を現地米総領事が出し、米陸軍も80機の戦闘機を派遣した。
これに対抗して、わが国は、戦略物資の宝庫とされた南部仏印が、米英に保障占領される事態を予防するために南部仏印への進駐に踏み切った。
当初、日本軍は米国の援蒋ルート遮断のため北部仏印に進駐したのだが、さらに米国は対日経済圧迫に踏み切ったため、日本は石油資源を求めて、仏政府と交渉、南印に進駐したのである。
日本の前面屈服か戦争かを求めていた米国にとって、この南部仏印進駐とその後に予想される蘭印進駐によって日本が国力を回復し、米国の経済制裁に自力で回復できる状態になることは絶対に避けなければならない事態であった。
そこで米軍は、石油の全面禁輸、日本資産の凍結という報復手段によって直ちに応じた。
しかも南米産油国からの輸入を防ぐためパナマ運河も閉鎖したのである。
米国には、この行為が日米戦争につながるとの認識は当然明確にあった。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき33
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/29 17:26 投稿番号: [8375 / 8458]
米国による経済圧迫強化
当時米国は、東南アジア植民地の中でも、蘭印を重要視していた。
というのも、日本が蘭印を占領すれば、日本の戦力が充実し米国からの物資をほとんど輸入せずとも中国を制圧できることが明らかであるし、あるいは欧州大戦において対独劣勢にある英国が継戦し得るためにも蘭印のゴムやスズといった資源が不可欠と見なしていたからである。
ところが、オランダおよびフランスがドイツに席巻された状態で日本が北部仏印進駐を行ったため、米国はこれを日本による蘭印占領の第一歩と見なし、危機感を募らせたのである。
なぜならば、米国の対日経済圧迫戦略への挑戦と受けとめられたからである。
すなわち米国は、対日戦略をオレンジ作戦という名称でかねて研究してきたが、昭和13(1938)年に策定された新オレンジ計画では、明確に対日圧迫戦略依存していた石油に置かれていた。
蘭印はその石油の宝庫でもあったからである。
新オレンジ作戦に基づいて翌14年の陸海軍統合会議で策定されたレインボー計画では、石油禁輸をイギリス、オランダにも強く求めるなど、対日圧迫は計画的かつ着実におしすすめることとされた。
その第一歩は、昭和13年1月の航空機及びその部品に対するモーラル・エンパーゴ(道義的禁輸)同年2月の対日クレジット供与停止であった。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき32
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/28 22:28 投稿番号: [8374 / 8458]
昭和12(1937)年7月に勃発した支那事変の推移は、翌年末までには、首都南京はじめ、主要貿易都市、工業都市を日本が押さえたことにより、中国独自では継戦は不可能な状態となっていた。
従って、日中関係の和平が回復してもおかしくないのだが、それがそうならなかったのは、これまで述べてきたように、米・ソが「対日戦継続を条件」に武器・資金援助を行ったからである。
そしてこの蒋介石政権に対する武器援助のために確保された輸送ルートが、いわゆる援蒋ルートと称されたのである。
援蒋ルートには、フランス植民地経由の仏印ルート緒及び英国植民地経由のビルマルートがあった。
わが国にとって、支那事変を解決するためには、蒋政権の継戦能力を維持させている軍事援助ルートを断つことは作戦上不可欠である。
そこでわが国は、支那事変勃発直後から、支那沿岸を封鎖して、蒋政権向けの軍事物資の流入を遮断していた。
しかし、ビルマルート、仏印ルートが健在で、ここから大量の軍事物資が輸送され続けた。
このためわが国は、英仏両国軍事物資の輸送禁絶を外交ルートで交渉したり、中国側の軍事援助物資の輸送拠点である広東、南寧を攻略したり、輸送ルートを爆撃するなどの軍事作戦を実施したりしたが、いずれも十分な効果が挙がらなかった。
そこで英仏領内を軍事占領して援助ルートを実力で遮断することが不可避であると判断したわが国は、フランス政府との外交交渉によって、北部仏印への軍事進駐を含む対中国作戦への仏印側の協力を取り付けた。
また英国に迫ってビルマルートを閉鎖させることに成功したのである。
これに対して、日中間の和平をのぞまない米国のルーズベルト大統領は、英国の対日妥協を撤回させて援蒋ルートを再開させ、また日本に対して鉄・くず鉄に関する実質的輸出禁止措置をとった。
その上で日本側が過激な行動をとれば、直ちに日米間の貿易を全面禁止することとし、またハワイ―フィリピン、南太平洋のサモア―蘭印(オランダ領東インド)の2つの航路の警備の実施を、海軍長官に指示しているのである。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき31
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/27 23:27 投稿番号: [8373 / 8458]
試みにその主なものを年表によって示すと次のような事例がある。
昭和 2(1927)年
7月25日
張作霖、米国資本を背景に満鉄併行線の1つ打通線を満鉄併行線敷設禁止協定(対華21箇条の1つ)を無視して完成。
9月
満鉄併行線の1つ、奉海線が、米国からレール、英国から車両を輸入して完成する。
昭和 6(1931)年
米国は、張学良軍の対日軍備充実のための、年間戦車100台、飛行機数10台、弾丸100万発の生産能力のある兵器工場建設を援助。
更に米国は、総額2千600万ドルに及ぶ資金援助を3年間で行うことを決定。
昭和 8(1933)年
8月 米国農務省が8千万ドルの小麦と綿花借款を南京の国民政府に与える。
昭和 9(1934)年
2月17日 中国広東空軍司令部と米航空機器公司との間で、米国の援助による空軍3年計画契約交渉が行われていることが明らかになる。
2月20日 米国の借款により、米軍用機購入と米海軍予備将校の指導を条件として、福州およびアモイに飛行場を建設。
昭和 14(1939)年
9月 米国輸出入銀行が中国国際貿易委員会に対して4千500万ドルの資金援助を行う。
昭和 15(1940)年
3月30日 米国は、蒋政権に対する2千万ドルの資金援助を発表。
9月25日 米国、中国への追加の資金援助として2千500万ドル供与を発表。
11月30日 ルーズベルト大統領は、蒋介石に1億ドルの資金援助と50機の新式戦闘機を送ることを約束。1億ドルのうち2500万ドルは、中国の航空計画及び地上兵器部品の購入のために使用された。
昭和 16(1941)年
2月 米、P-40B戦闘機、100機の対支援助を決定。その不足する装備武器と弾薬150万発については、大統領命令で米陸軍基地から直接補給された。
4月15日 パウリー米インターコンチネント社社長が中国との間で航空機パイロットの米国義勇団に関する条約を結び、259名のパイロットを中国に派遣することとなった。
4月22日 米国陸軍省、中国に引渡し得る軍需品リスト(4千510万ドル相当)を提示。
5月6日 ルーズベルト大統領、中国向けのトラック300台の2週間以内のビルマ・ラングーン向け出荷を承認。また4934万ドル相当の軍需物資の中国供与を決定。
7月23日 米国統合委員会、軍事使節団派遣と米志願兵による中国からの日本軍爆撃を目的としてB-17、500機の対支派遣を決定。この統合委員会での確認事項は次のようなものであった。
イ、中国及びその周辺地域又は海域で作戦中の日本軍に有効な反撃を加えるため、第一陣として269機の戦闘機と66機の爆撃機を装備すること。
ロ、米国は中国人の飛行及び航空機整備の訓練のための手段を提供すること。
ハ、米国によって与えられた大量の兵器の適切な使用について助言を与えるため、米国は、軍事使節団を中国に派遣すべきこと
開戦後には、17億2330万ドルという莫大な援助を行い、日米戦争と日中戦争の両方を戦わざるを得ない局面に日本を追い込んだのである。
昭和 17(1942)年
米国、総計3億ドルの対中援助を行う。
昭和 18(1943)年
米国、総計5930万ドル相当の対中援助を行う。
昭和 19(1944)年
米国、総計1億50万ドル相当の対中援助を行う。
秋、米国、OSS(現在のCIA)局長代理ドノバンを中国に派遣し、トラック2千台、ジープ200台を供与。また大量のスパイ用の必要機材を与える。
昭和 20(1945)年
米国、総計12億6330万ドル(邦貨約53億9430万円=現在換算6兆2736億円)相当の対中援助を行う。
こうした巨額の軍事援助を通して、中国の蒋政権は米国への依存を深め、米国の軍事援助抜きでは政権の存在も危ういほどになっていったのである。
これが崩壊寸前の蒋政権が継続し得たゆえんである。
ここに日中の戦争が泥沼化し、終わりなき戦いとなった最大の要因があるのである。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき30
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/26 22:32 投稿番号: [8372 / 8458]
米国の対中軍事援助の実態
諸記録を総合すると、米国は、開戦前にすでに1億7千万ドルの巨額にのぼる援助を行っていた。
とりわけ米国の対中軍事援助の眼目は、中国空軍の育成である。
米国は、秘密裡(ひみつり)に中国国民党政府と契約して、飛行場建設、飛行士の訓練も含めて全面的に指導していたのである。その成果は早くも昭和8(1933)年11月12日の中国空軍における第1回演習の実施として現れている。
これについてペック米総領事は「米国の観点からもこの壮大なる光景は特別の意味がある。参加艦艇はすべて米国製であり、参加飛行士はすべて米国仕込みである」と発言し、その成果を誇っているほどであった。
さらに日支事変の勃発後には、慢性的な財政難にあえぐ中国国民党政府が日本と妥協し、満州国を認めることがないよう、継戦能力維持のために資金援助、武器援助を実施しているのである。
それも交戦国への武器援助を禁止した中立法をすり抜けるために、当初は中国政府所有の銀を相場以上で購入したり、資金を経済援助名目(すなわち非軍事目的)で供与して、それを中国政府が武器代金に当てるのを黙認するなどの方法を取っていたのである。
日米開戦後には、更に巨額の援助が行われている。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき29
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/25 02:51 投稿番号: [8371 / 8458]
フランクリン・ルーズベルトの人物像のつづき5
日米交渉から開戦まで
4月からは日中間の戦争調停と日米間の合意を目指す日米交渉が本格化した。しかし日独伊三国同盟問題や満州国など日米の溝は大きく、交渉はまとまらなかった。当時日本の指導部は日米の国力の差を考え対米戦争に対して消極的であった。
しかし、1941年7月2日に策定された情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱によるフランス領インドシナやオランダ領東インドへの進駐計画はアメリカとの衝突をも予期したものであった。日本が平和目的であるとしながらも南部フランス領インドシナ進駐をほのめかすようになると、7月25日に在アメリカの日本資産凍結を行った。しかし7月28日に進駐が実行され、8月1日にアメリカは「日本を含む全侵略国」への石油禁輸を行った。第二次世界大戦における自陣営拡大の希望を持つドイツとイギリスは日米交渉打ち切りを外部から働きかけていた。
またルーズベルトは1941年7月21日に宣戦布告なしに中国から日本本土を爆撃する計画に署名をしている。しかし作戦のための爆撃機が中国に届く前に日本の真珠湾攻撃が先に行われたため、宣戦布告なしの爆撃作戦は行われなかった。
8月17日の野村・ルーズベルト会談において、豊田禎次郎外相は首脳会談による調整を提案したが、ルーズベルトは日本側の態度変更がない限り応じられないと回答した。またハミルトン・フィッシュ(en:Hamilton Fish III)によれば、近衛首相はルーズベルト大統領との会談を希望したが、すでに対日戦を決意していたルーズベルトは会談の要請を拒絶したという。また在日米国大使のジョセフ・グルーも首脳会談の開催を強く要請したが、ルーズベルト政権は「会談の必要なし」として却下している。
11月27日に日本側が最後通告と受け取ったハル・ノートが手交された。日本側は12月1日の御前会議で対米開戦を正式決定したが、12月6日にルーズベルトは昭和天皇宛に「平和を志向し関係改善を目指す」親電を送った。しかしこの日は日本側の交渉打ち切り文書である「対米覚書」が野村吉三郎大使に渡された日だった。
1941年12月7日(日本時間で12月8日)の日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発し、翌日、「Pearl Harbor Address to the Nation」(=真珠湾攻撃を国民に告げる)として、日本への宣戦布告を議会に求めた(演説の冒頭で「a date which will live in infamy=屈辱の日」の表現を用いた)。上院は全会一致、下院は女性議員1人が反対したのみで、宣戦布告を認めた。その後、ルーズベルトがイギリス首相チャーチルに「我々は同じ船に乗りました、日本は攻撃してきました」と報告した際、チャーチルは手を叩いて喜んだ。その後議会で日本軍の「卑劣な騙し討ち」を非難し、宣戦布告の誓約に署名した。
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日本人としての自覚を持て!
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/22 04:31 投稿番号: [8370 / 8458]
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき28
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/20 23:02 投稿番号: [8369 / 8458]
フランクリン・ルーズベルトの人物像のつづき4
対中支援工作
すでにルーズベルトは、1937年の盧溝橋事件勃発後に日中戦争で中国国民党を追い込む日本に圧力をかけ、大量の軍事物資を援蒋ルートを通じて蒋介石率いる国民党政権に送り続けた。また自らが率先して組織させたアメリカの退役軍人を中心とした義勇軍「フライング・タイガース」や軍事顧問としてクレア・L・シェンノートを中華民国に派遣させるなどしていた。なお蒋介石は、1928年から1937年までドイツ軍事顧問団による指導を受けていた。1939年には日米通商航海条約の廃棄を通告し、日米関係は無条約時代に入った。また蒋介石の顧問に任命されていたオーエン・ラティモアは日本軍の中国撤兵を要求する暫定協定に反対するよう蒋介石に助言してもいる。
レンドリース法
1941年3月にはレンドリース法(武器貸与法)を成立させ、大量の戦闘機・武器や軍需物資を中華民国、イギリス、ソビエト連邦、フランスその他の連合国に対して供給した。終戦までに総額501億ドル(2007年の価値に換算してほぼ7000億ドル)の物資が供給され、そのうち314億ドルがイギリスへ、113億ドルがソビエト連邦へ、32億ドルがフランスへ、16億ドルが中国へ提供された。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき27
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/18 20:02 投稿番号: [8368 / 8458]
カーチス・ルメイの人物像のつづき2
ルメイは第二次世界大戦時に日本の都市に対する無差別戦略爆撃を立案・指揮者であることから、日本国内では叙勲に対し「勲章は誰の血であがなわれた物か」と批判が根強くあり、国会でも社会党などを中心として反対論があった。批判が強い状況での叙勲の経緯については、源田実の特攻隊戦術の責任不問との交換材料など、さまざまな推測がなされている。なお、ルメイは叙勲について自ら進んで公表することはなかったが『NHK特集
東京大空襲』でのNHKの取材にインタビューには応じず、勲章を見せ(間接的に)責任不問を示した。現在でも授章を取り消し・返還をするべきだと批判する意見がある。
ルメイの行為は、多くの罪の無い民間人を殺戮したことに加え、貴重な文化財(寺院・仏閣・城郭など)を灰燼に帰す結果をもたらしたために、特に対日作戦について、前任者であるハンセル准将と違い、一部政治家、文化財研究家からは強く非難されている。特に日本では、ルメイは残虐な無差別戦略爆撃の父として評価が定まっている。右派においてもアメリカに批判的な者の場合、小林よしのりのように、著作で批判的に取り上げる例がある。また、ルメイに近い戦勝国で計画を進める側の立場にあったマクナマラも『フォッグ・オブ・ウオー』で「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」とも述べている。
しかしルメイの立場から見れば、その戦略はあくまでも戦争において敵の損失を最大化させるという爆撃部隊における合理性と効率を追求したものであるという。ルメイ自身は「アメリカが敗戦するなら自分は戦争犯罪人として処せられる」と述べている。また、ドイツ本土への爆撃に赴く搭乗員に対して次のようにも述べている。
君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供のうえに崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたのなら、そんなものは忘れることだ。
ドイツ空襲の意見を聞かれて - E・バートレット・カー著・大谷勲訳『戦略・東京大空襲』
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき26
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/18 09:36 投稿番号: [8367 / 8458]
カーチス・ルメイの人物像
第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人である。戦略爆撃の専門家、東京大空襲を初めとする日本の焦土化作戦を立案した。後に、空軍参謀総長になった。
対日焦土化作戦の立案
焦土となった東京市街第21爆撃集団司令官時代、ルメイは対日作戦として、日本の都市の無差別戦略爆撃を立案した。そもそも、第21爆撃集団への異動の理由は、前任者であるヘイウッド・ハンセル准将の精密爆撃作戦が効果が薄いと判断し、航空隊司令官ヘンリー・アーノルド大将自らの指示により行われたことによる。この従来の方法では、高高度からの爆撃の標的破壊率が5%に過ぎなかった。また、青木慶一によれば、アーノルドの参謀総長を務めていたローリス・ノースタッド少将も民家焼夷攻撃論者であった。1945年1月3日の名古屋空襲ではノースタッドは無差別焼夷弾攻撃を命じたにも拘らず、ハンセルは従来の工場攻撃に重点を置き、焼夷弾爆撃は一部の機体に試行的に実施させたに過ぎなかった。このことが、ルメイへの交替を決心させる契機となったという。ルメイも当初は工場爆撃を主とする考え方に与する立場であったが、ノースタッドの命令を忠実に実行する意思は持っていた。
この時ルメイが考案した日本本土爆撃の主なポイントは、次の4点である。
高高度からの爆撃をやめ、低空(1,800メートル以下)からの爆撃とする。
爆弾は焼夷弾のみとし、最大積載とする。
搭載燃料を最小限とし、防御用の銃座は外す。
攻撃は夜間とする。
さらに、日本の「木と紙でできた家屋」を効率良く破壊延焼する専用焼夷弾を開発した。
またルメイの「低く飛べ」と言う命令に兵士が「危ないですよ」と言うと、ルメイは葉巻を真っ二つに噛み千切り、「なんでもいいから低く飛ぶんだ」と怒鳴ったという。
このルメイの焦土化作戦は、東京大空襲をはじめ大成功をおさめた。標的となった日本の都市は、軍需工場、民間住宅地の区別なく徹底的に焼き払われ壊滅的な打撃を受けた。焦土化作戦は東京・大阪等の大都市を焼き払った後は、地方の中小都市までが対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」・「皆殺しのルメイ」と渾名された。この点は南北戦争時の海への進軍とその後の北上進撃で南部諸州の盟主だったジョージア州やサウスカロライナ州を壊滅させ南部人を震え上がらせた同じオハイオ州出身の北軍のウィリアム・シャーマン将軍の戦争の考え方を踏襲している。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき25
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/16 00:37 投稿番号: [8366 / 8458]
ここでおさらい。
日本人なら必ず覚えておかなければならない事柄である。
中国式に言うなら「心の奥に刻み込め」ということになる。
ただし「南京大虐殺」はウソの作り話。
以下の出来事は実際にあった本当の話。
この区別のつかない人は小学生以下の頭脳の持ち主である。
アメリカが世界に誇る三大日本人虐殺。
第1位
広島原爆投下
(当時の死者数14万人)
第2位
東京大空襲
(当時の死者数10万人)
第3位
長崎原爆投下
(当時の死者数7万人)
日本人の大虐殺を計画し実行した三大虐殺者。
第1位
フランクリン・ルーズベルト
原子爆弾の開発計画であるマンハッタン計画を推進した最高責任者。
第2位
カーチス・ルメイ
東京大空襲を始めとする日本本土空襲を計画実行した張本人。
第3位
ハリー・S・トルーマン
広島・長崎の原爆投下を命令した当時の最高責任者。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき24
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/14 23:00 投稿番号: [8365 / 8458]
フランクリン・ルーズベルトの人物像のつづき3
ミッドウェー海戦で大敗して以来、戦況は一転して悲壮感を帯びてきた。昭和19(1944)年7月には、サイパンが陥落し、日本本土がアメリカの爆撃圏となった。
東京大空襲とは、アメリカ軍が主にB29編隊を使って東京に行なった一連の大規模な空襲を指す。なかでも被害が大きかったのが、昭和20(1945)年10日の江東地区への空襲であった。
昭和20年3月9日の深夜から翌日未明にかけて、300機以上のアメリカの長距離爆撃機(主にB29)が東京下町一帯(現在の墨田区、江東区あたり)を低空から無差別爆撃した。死者は12万人以上、罹災者は100万人以上にのぼった。そのほとんどが一般市民、それも老人、女、子供だった。健全な男子はほとんど出征しているのだからアメリカ軍は町にどういう人たちが残されていたかはわかっていた。まさに東京大虐殺といってもまったく過言とはいえない。
このように一般市民を狙う空襲は、当時の常識ではありえないことだった。ハーグ条約も民家の爆撃は禁じていた。要するにアメリカは一般市民の大虐殺・ホロコーストをしでかしたわけだ。以後東京への空襲は約130回も続いた。日本の家が木と紙でできていることから、アメリカは焼夷弾がもっとも効率的に人を虐殺できることを知ってそれを用いて絨毯爆撃を行なったのだ。
アメリカはその後、日本全国61都市に同様の無差別爆撃を行い、原爆投下を含め、空襲による被害者は50万人以上と言われる。
非戦闘員に対する無差別殺戮という非人道的蛮行は明らかな戦時国際法違反(戦争犯罪)である。もはや戦争の大局が決し、日本から報復される心配がなくなったため行われた大虐殺であった。
この空襲を指揮したのはカーチス・ルメイというアメリカ軍の少佐だ。
世界一の生産力を持つアメリカと、アメリカの援助を受けたイギリスが、爆弾の雨を降らせ、一般市民を無差別に大虐殺するという恐ろしい作戦を思いついた。
ドイツによるユダヤ人大虐殺に勝るとも劣らない悪行であった。この大虐殺の最大の責任者はフランクリン・ルーズベルトであり、カーチス・ルメイである。原爆を使った大虐殺を行ったトルーマンともども、間違いなく20世紀を代表する大虐殺者といってよかろう。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき23
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/13 23:23 投稿番号: [8364 / 8458]
フランクリン・ルーズベルトの人物像のつづき2
原子爆弾の開発政策(マンハッタン計画)
ルーズベルトは、1939年にレオ・シラードとアルベルト・アインシュタインのからの書簡を契機に、原子爆弾の開発計画であるマンハッタン計画を推進した。1941年にイギリスからユダヤ系科学者オットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスの記した核エネルギーの兵器応用のアイディアを伝えられ、核兵器実現の可能性が高まると、1942年6月、ルーズベルトは国家プロジェクトとしての研究着手を決意する。プロジェクトの実施にあたっては「陸軍マンハッタン工兵管区」と名称が付けられた組織が行うこととなった。責任者はレズリー・リチャード・グローヴス准将が1942年9月に着任した。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき22
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/12 21:41 投稿番号: [8363 / 8458]
フランクリン・ルーズベルトの人物像
白人は一般的に人種差別観念の持ち主だが、このフランクリン・ルーズベルトはその中でも徹底した人種差別論者で、特に日本人に対する憎悪は強烈だった。彼は国家としての日本の存在を容認したくなかった。
ヘンリー・スチムソンとともに日本と日本人を最も軽蔑し憎悪した、札付きの反日派巨頭。
「欧米人は人類の支配者」という独善的信条を持つがゆえに、日本は決して対等な相手ではありえず、協調、共存を拒絶し、日本に屈従と隷属のみを求めた。
ハイドパーク協定
1944(昭和19)年9月18日
フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相が
米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について 申し合わせた秘密協定。
1972(昭和47)年に初めて公開されたニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸でルーズベルトと会談した英国のロナルド・キャンベル大使がルーズベルトから「劣等アジア人種」の品種改良と いうとんでもない提案を受けたと本国に宛てた書簡に書き残している。
「インド系、あるいはユーラシア系とアジア系を、さらにはヨーロッパ人とアジア 人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。 ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」
トルーマンのカバートへの返事
1945年8月11日
日本人の理解する唯一の言語は、彼らを爆撃することのように思われます。
獣と相対したときは、獣として扱う他はありません。
トルーマン回想録
"Japanese are beast. So are treated as"(「日本人は獣だ。だから、そのように扱った」)
アメリカからみると対独戦より対日戦の方が、はるかに「人種戦争」という面が濃厚であった。
ダワー教授によれば、アメリカ側の、日本人に対するステレオタイプの典型は「猿」であり、野蛮人、劣等人間、人間以下、害虫、と続いた。それは、個性もなく次々とわいてくるものであったという。
原爆投下は人間以下の動物とみなされた日本人の大量虐殺が目的だった。
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真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき21
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/11 20:03 投稿番号: [8362 / 8458]
フランクリン・ルーズベルト
真珠湾攻撃と対日宣戦布告要請演説(全文+和訳)のつづき
The facts of yesterday and today speak for themselves.
昨日そして本日の出来事はそれら自体が雄弁に主張しています。
The people of the United States have already formed their opinions and well understand the implications to the very life and safety of our nation.
合衆国の国民は、既にその意見をまとめ、かつ自国民の安全と自国の安全性それ自体の重要性を十分に理解しています。
As commander in chief of the Army and Navy, I have directed that all measures be taken for our defense.
陸海軍の最高指揮官として、私は我が国の防衛のためのあらゆる手段を講じるよう命令を下しました。
But always will our whole nation remember the character of the onslaught against us.
しかしながら、我が国の国民の誰であれ、私たちに向けられた猛襲の性質を忘れることはないでしょう。
No matter how long it may take us to overcome this premeditated invasion, the American people in their righteous might will win through to absolute victory.
この計画的な侵略行為を克服するのにどんなに時間がかかろうとも、合衆国の国民はその正当性に基づいて、完全な勝利を勝ち取る所存です。
I believe that I interpret the will of the Congress and of the people when I assert that we will not only defend ourselves to the uttermost, but will make it very certain that this form of treachery shall never again endanger us.
私は、議会および国民の総意を推察し、我が国が最高レベルで自国の防衛を図るべきのみならず、このような悪辣な行為によって再び我が国が危機に晒されるべきではないことを明らかにすべきときであると信じます。
Hostilities exist.
敵は現存しています。
There is no blinking at the fact that our people, our territory, and our interests are in grave danger.
わが国民、わが国土、そしてわが国の権益が重大な危機に見舞われてることに疑いの余地はありません。
With confidence in our armed forces, with the unbounding determination of
our people, we will gain the inevitable triumph
--
so help us God.
我が軍への信頼と、我が国民による自由な意思によって、私たちは必ずや最終的な勝利を獲得するでしょう。
--
主よ私たちにご加護を。
I ask that the Congress declare that since the unprovoked and dastardly attack by Japan on Sunday, December 7th, 1941, a state of war has existed between the United States and the Japanese empire.
わたしは議会に対して、1941年12月7日に日本から蒙った謂れが無く卑劣な攻撃を以って、合衆国と日本帝国とが戦争状態に入った旨の布告を宣言するよう要請します。
END
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