真珠湾攻撃70周年特別企画(3)
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/11/16 05:39 投稿番号: [8388 / 8458]
太平洋戦争におけるアメリカ軍の残虐性はどこから来るのだろうか。そしてアメリカ合衆国になってからの領土拡大欲はどこから来るのだろうか。
これはアメリカ史を紐解けばわかる。ヨーロッパからの白人の入植期におけるインディアン戦争に由来するものである。
そもそもの白人とインディアンとの戦争は、クリストファー・コロンブスの上陸に始まるものである。コロンブスは中米のインディアン諸部族を艦隊を率いて数年にわたり虐殺し、その人口を激減させた。インディアンたちを黄金採集のために奴隷化し、生活権を奪ったためにインディアンたちは飢餓に陥り、疫病が蔓延し、その数をさらに減らした。白人のもたらした疫病が中米のインディアンを減らしたのではない。コロンブスによる大量虐殺が、疫病によるインディアンの激減を招いたのである。
「アメリカ合衆国」成立前の東海岸では、ジョージ・ワシントンがインディアン民族の絶滅政策を進めた。ワシントンの手法は焦土作戦だった。ワシントンの軍隊は、イロコイ連邦やニューイングランド全域のインディアンを「根絶やしにせよ」とのワシントンの命令を受けていた。
アメリカ独立戦争以後、豊かで安い土地を求めて白人入植者が西進するようになると、当然そこに住むインディアンは邪魔者となり、これを排除しようとする合衆国政府とインディアンの撲滅戦争と化した。インディアンは領土を追われ、連邦政府が信託保留する土地、「保留地(Reservation)」に押し込められることを強要され、激しく抵抗するようになる。
イギリスがアメリカへの入植を始めた1610年代や1620年代は平穏に過ぎたが、ピクォート戦争の起こった1637年頃から、入植地の安全を図るためと、さらなる入植地の拡大のために、植民白人はインディアン部族間の争いを利用し、代理戦争を行わせるようになった。この戦争は17世紀(フィリップ王戦争、ウィリアム王戦争および18世紀初頭のアン女王戦争)からウンデット・ニーの虐殺で1890年にアメリカの辺境が「消滅」するまで、インディアンの土地を白人入植者のために没収し、インディアンを征服して白人に同化させると同時に、インディアン保留地へ強制移住させる、という結果になっていった。
これらの戦争でアメリカ側とインディアン側の受けた損失については様々な統計が示されてきた。最も信頼に足る数字はグレゴリー・ミクノなどによる交戦記録を厳密に照合したものであり、1850年から1890年の間だけで、21,586人の市民と兵士が死亡、負傷、または捕虜になったとしている。他の数字としては、ラッセル・ソーントンなどのやや大雑把で関係性の薄い政府の資料から外挿したもので、45,000人のインディアンと19,000人の白人が殺されたとしている。この後者の推定値の中には、辺境の虐殺によって非戦闘員がしばしば殺されたので、双方の女性子供の犠牲者も含まれている。その他にも様々な著者が、少ない者では5,000人、多い者では50万人という数字を上げている。ここでの議論に含まれていないのは、双方の残虐さである。インディアンはその残酷な戦い方で、アメリカは破壊的な作戦実行で示した残虐さは、毎年のように新聞、記録保管所、外交記録およびアメリカ独立宣言(...(イギリスは)辺境の住人、戦い方を知っている残酷なインディアンに、年齢、性別や状態に拘わらず見境無い破壊を奨励している)の中で指摘されてきた。
これはアメリカ史を紐解けばわかる。ヨーロッパからの白人の入植期におけるインディアン戦争に由来するものである。
そもそもの白人とインディアンとの戦争は、クリストファー・コロンブスの上陸に始まるものである。コロンブスは中米のインディアン諸部族を艦隊を率いて数年にわたり虐殺し、その人口を激減させた。インディアンたちを黄金採集のために奴隷化し、生活権を奪ったためにインディアンたちは飢餓に陥り、疫病が蔓延し、その数をさらに減らした。白人のもたらした疫病が中米のインディアンを減らしたのではない。コロンブスによる大量虐殺が、疫病によるインディアンの激減を招いたのである。
「アメリカ合衆国」成立前の東海岸では、ジョージ・ワシントンがインディアン民族の絶滅政策を進めた。ワシントンの手法は焦土作戦だった。ワシントンの軍隊は、イロコイ連邦やニューイングランド全域のインディアンを「根絶やしにせよ」とのワシントンの命令を受けていた。
アメリカ独立戦争以後、豊かで安い土地を求めて白人入植者が西進するようになると、当然そこに住むインディアンは邪魔者となり、これを排除しようとする合衆国政府とインディアンの撲滅戦争と化した。インディアンは領土を追われ、連邦政府が信託保留する土地、「保留地(Reservation)」に押し込められることを強要され、激しく抵抗するようになる。
イギリスがアメリカへの入植を始めた1610年代や1620年代は平穏に過ぎたが、ピクォート戦争の起こった1637年頃から、入植地の安全を図るためと、さらなる入植地の拡大のために、植民白人はインディアン部族間の争いを利用し、代理戦争を行わせるようになった。この戦争は17世紀(フィリップ王戦争、ウィリアム王戦争および18世紀初頭のアン女王戦争)からウンデット・ニーの虐殺で1890年にアメリカの辺境が「消滅」するまで、インディアンの土地を白人入植者のために没収し、インディアンを征服して白人に同化させると同時に、インディアン保留地へ強制移住させる、という結果になっていった。
これらの戦争でアメリカ側とインディアン側の受けた損失については様々な統計が示されてきた。最も信頼に足る数字はグレゴリー・ミクノなどによる交戦記録を厳密に照合したものであり、1850年から1890年の間だけで、21,586人の市民と兵士が死亡、負傷、または捕虜になったとしている。他の数字としては、ラッセル・ソーントンなどのやや大雑把で関係性の薄い政府の資料から外挿したもので、45,000人のインディアンと19,000人の白人が殺されたとしている。この後者の推定値の中には、辺境の虐殺によって非戦闘員がしばしば殺されたので、双方の女性子供の犠牲者も含まれている。その他にも様々な著者が、少ない者では5,000人、多い者では50万人という数字を上げている。ここでの議論に含まれていないのは、双方の残虐さである。インディアンはその残酷な戦い方で、アメリカは破壊的な作戦実行で示した残虐さは、毎年のように新聞、記録保管所、外交記録およびアメリカ独立宣言(...(イギリスは)辺境の住人、戦い方を知っている残酷なインディアンに、年齢、性別や状態に拘わらず見境無い破壊を奨励している)の中で指摘されてきた。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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