真珠湾奇襲計画は筒抜けのつづき34
投稿者: kabu_kachan7 投稿日時: 2011/10/31 22:38 投稿番号: [8376 / 8458]
翌昭和14年(1939)年12月には、日本に対して航空機用のガソリンを禁輸するモーラル・エンパーゴが発動された。
更に昭和15(1940)年8月には、より低品質のハイオクタン航空ガソリン、9月にはくず鉄の対日前面禁輸、12月には鉄鉱や一定の鉄鉱製品の前面禁輸、昭和16(1941)年1月には銅、亜鉛、ニッケル、2月にはラジウム、ウラニウムの禁輸に踏み切るなど対日禁輸を真綿で首を締めるようにじわじわと進めたのである。
対日経済制裁を段階的に強化していった米国側の意図は「日本を脅かす唯一の道は、日本に何も与えないことである」とスチムソン陸軍長官の発言、「日本が三国同盟から離脱し、南進もせず、中国と泥沼戦争をつづける枠内で、必要最小限度の石油を供給する」といったルーズベルト大統領の発言に代表されるように、経済制裁によって日本を戦わずして屈服させることにあった。
しかしこの経済圧迫戦略は、必要最小限の石油を供給するといっても、日本が本当に必要とする航空機ガソリンは与えないのであるから、困った日本が石油を求めて行動を起こすことは十分予測出来たはずである。
実は本音としては、日本側が行動を起こせるだけの必要最小限の石油を日本に持たせた上で日本の行動を待っていたとも考えられるのである。
日本は、米国に代わる石油供給源を求めようとし、蘭印政府と昭和15(1940)年7月から交渉を始めた。
ところが蘭印政府は既に米国政府から対日圧迫の協力を求められており、日本へは強硬姿勢を貫いた。
一方米国側は、日本と蘭印間で交渉が行われている最中に、日本軍侵入の際にはすべての油田を破壊する命令を現地米総領事が出し、米陸軍も80機の戦闘機を派遣した。
これに対抗して、わが国は、戦略物資の宝庫とされた南部仏印が、米英に保障占領される事態を予防するために南部仏印への進駐に踏み切った。
当初、日本軍は米国の援蒋ルート遮断のため北部仏印に進駐したのだが、さらに米国は対日経済圧迫に踏み切ったため、日本は石油資源を求めて、仏政府と交渉、南印に進駐したのである。
日本の前面屈服か戦争かを求めていた米国にとって、この南部仏印進駐とその後に予想される蘭印進駐によって日本が国力を回復し、米国の経済制裁に自力で回復できる状態になることは絶対に避けなければならない事態であった。
そこで米軍は、石油の全面禁輸、日本資産の凍結という報復手段によって直ちに応じた。
しかも南米産油国からの輸入を防ぐためパナマ運河も閉鎖したのである。
米国には、この行為が日米戦争につながるとの認識は当然明確にあった。
これは メッセージ 1 (keisatsufushouji さん)への返信です.
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