捕鯨とクジラ保護

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Re: gondawara_yujiはベジタリアンの深遠な

投稿者: sadaotaisyou15 投稿日時: 2008/04/01 23:51 投稿番号: [18767 / 63339]
お前、バカだろう?
動物を一番多く殺してるのはオーストラリア人だよ。
そして、穀類を大量に消費しているのはオーストラリア人だ。
単純なことだ。
オーストラリアでは多くの家畜を肥育し、堵殺しているんだからな。
その家畜は大量の穀物を食べている。
ベジタリアンを増やしたいなら、まずオーストラリアで牧畜産業の有害さをオーストラリア人に教えてやれよ。
日本人より優秀な白人であるオーストラリア人なら、きっとお前の話に賛成してベジタリアンになって牧畜を止めるよ。
そうなりゃ、自然と日本人は牛肉を食べられなくなるからな。
話をする相手を根本的に間違えてるんだよ。
ベジタリアンのすばらしさは優秀な白人に教えてやれよ。
優秀で賢いんだから、すぐにオーストラリア人はみんなベジタリアンになるはずだからな。
そうしないと、穀物不足で飢餓になるんだから。

著作権

投稿者: twin_hayabide 投稿日時: 2008/04/01 23:38 投稿番号: [18766 / 63339]
で保護される期間は、著作者の生存中および没後50年間までです。

◆米国食肉利権と越南枯葉剤禍の関係

投稿者: ss_is_anti_whaling_business 投稿日時: 2008/04/01 23:16 投稿番号: [18760 / 63339]
日本の利権利権と言っている連中は米国の利権がどんなものか研究したことあるの?
ロビー活動というものがどれだけ薄汚いものか知っているの?
裁判を金と圧力で捻じ曲げられる世界を見たことあるの?
俺は見たから嫌になって独立したんだよ。

さて本題
不思議だね。

利権で動いている米国社会、日本が見習った利権構造はいまだにゆるぎない。
何百億円も費やす、いやもう一桁行くか?
そんな大統領選挙で選ばれた大将に何を期待する。
日本じゃ考えられぬ金額だよな。
大金を投入した支持者は何を求める。
丸見えで丸分かりの利権構造でもあれだけ堂々とやり裁判でも負けないのならそれはそれですごい。
圧力団体のすごさなんて知ってるだろ。
全米ライフル協会とか退役軍人界とか、各産業団体も利権構造を担っている。
それは日本では信じられぬほどの力を持っているよ。

タダで動くほどアメリカ人は聖人じゃないよ。

ベトナムの枯葉剤製造
コロンビア投下の枯葉剤製造
牛に打つ牛成長ホルモン剤   γーBGH
枯葉剤の研究から生まれた究極の除草剤と言われたが耐性を持つ雑草が次々と現われ大問題になった世界的に有名な除草剤。
ある特定の除草剤に耐えるよう組み替えられた除草剤耐性遺伝子組み換え作物
なんかみんな繋がってんだよな。
弁護士、ロビー活動する政治家や圧力団体。
全て同じなんだな。
捕鯨利権数十億とか言ってるバカがいるけど
その何百何千、いやそれで済まないほどの利権国家がどこにあるのか知らないバカってまだいたんだね。


1972年ストックホルムで開かれた国連人間環境会議の主題はベトナムの枯葉剤投下などについてのアメリカ批判となるはずであったが、アメリカの狙いどおりに捕鯨問題がメインテーマとなりアメリカの提案による「商業捕鯨の10年間のモラトリアム勧告」が採択された。このころはローマ・クラブの「成長の限界」に象徴されるように地球資源有限論が声高に叫ばれたときであった。もっとも、このストックホルムでの決定はあくまでも「勧告」であって拘束力は無いものであった。事実、その直後に開かれたIWCでは「勧告には科学的根拠なし」として無視された。だが、アメリカはあきらめなかった。72年以降アメリカ主導の反捕鯨運動が大々的に展開されるようになる。
・・・・・・・・・・・・
【枯葉剤   捕鯨問題】でヤフー検索
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-wave&p=%b8%cf%cd%d5%ba%de%a1%a1%ca%e1%b7%df%cc%e4%c2%ea

ウィキペディア【枯葉剤】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%AF%E8%91%89%E5%89%A4

you tube【枯葉剤】http://www.youtube.com/results?search_query=Agent+Orange&sear

今現在もアメリカはベトナムに枯葉剤の公式謝罪はしていない。
今現在の捕鯨問題は地球環境を破壊する温暖化効果ガス排出の最大の貢献国である米国への攻撃逸らしと米国や豪州の主に牛による畜産の環境へ与える負担から目を逸らすための展開にシフトしている。

クジラ肉は畜産より環境に優しい
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081204594487.html

コピペ多用するとどんどん文章が増えてきた、許してくれ。
どこかのキチガイのワトソンほどは暇ではない。

躁鬱症患者capt_paul_watson!?

投稿者: gondawara_yuji 投稿日時: 2008/04/01 23:04 投稿番号: [18759 / 63339]
■躁鬱症患者capt_paul_watson>
:ベジタリアンの深遠なをちょっとは考えてみろ!!<

◎、深遠=簡単に理解出来えない様子。と辞書にあったが結局何を言いたいのかな!?

反捕鯨の主張は誰にも理解出来ないって言っているように聞こえるが、
だったら気違い投稿は無意味じゃないのかな。

しかしオマエ狂っているとしか思えないが実際どうなんだ?
通院しているのか?   入院したほうがいいんじゃないか?

Re:gondawara_yujiは

投稿者: gondawara_yuji 投稿日時: 2008/04/01 22:47 投稿番号: [18757 / 63339]
■躁鬱病患者capt_paul_watson>
>ベジタリアンの深遠なをちょっとは考えてみろ!!    うん!!<

◇おんまえ何言うとんじゃ、日本語になっとらんぞな!

capt_paul_watsonは今日、躁状態のようである。
悪い事は言わぬ、精神安定剤を飲んで早く寝な、
この前オマエが俺に言った言葉を返すよ、もう起きてこなくてええ!^^
今日はもう気違い投稿は終わりか?   本当に迷惑 甚だしい野郎だ!!

Re: capt_paul_watsonは犯罪を犯した!2

投稿者: dorian_japan 投稿日時: 2008/04/01 22:43 投稿番号: [18753 / 63339]
著作権者に無断での音楽配信や書物掲載は違法だってしってるよね?

よく新聞などにも警察へ捕まった犯罪者が実名で報道されてるよね。

ご愁傷様でした。

南無妙法蓮華経〜南無妙法蓮華経〜

宮沢賢治は日蓮宗の熱心な信者でした。

Re: 宮沢賢治のビヂテリアン大祭_33

投稿者: abuk1357 投稿日時: 2008/04/01 22:23 投稿番号: [18752 / 63339]
ベジタリアンの方々の考えを鯨の保護へ当てはめるなら
「論点がずれている」とは言えませんね。言葉が過ぎました。
申し訳ありません。

では、ベジタリアンの方々と反捕鯨の方々に確認ですが、
・鯨は生息数を人間がコントロールできない野生動物だから
・他に食べるものがいくらでもある現代の日本が捕る必要はない
・1つの命ある生き物としてできる限り一頭でも犠牲をなくしたい
・どの動物にも人間同様、虐待されず、生きていく権利がある
・鯨は感情、知能の面で大変優れた動物だから
・鯨は水銀などで汚染されているから
他にも捕鯨に反対する理由はあるでしょうが、大まかに分けるとこんなところでしょうか?
不足があれば付け足して下さい。

Re: capt_paul_watsonは犯罪を犯した!

投稿者: dorian_japan 投稿日時: 2008/04/01 22:19 投稿番号: [18751 / 63339]
宮沢賢治の長々とした文章。
何かの書物からの引用かな?出版社および著作者に無断での掲載はりっぱな犯罪です。
訴訟大国アメリカでは確実に違法です。日本でもこの文章が他からの引用であれば犯罪です。
capt_paul_watosonは初歩的なミスを犯してしまった。

近々、ワトソン君は消え去る運命にあります。

南無〜な〜む〜・・・・・・・・ご愁傷様でした。<(_ _)>

やっぱり

投稿者: hondawara_yuzo 投稿日時: 2008/04/01 22:09 投稿番号: [18750 / 63339]
ワトソンって前からそうだったよ。 たった一人の哲学者が、こう言ってるからお前はこうだとかね。自分の力で文章を書くことが出来ないからwebや本から拾ってきて、それに哲学者の言葉を付け足せば、それでコメントの完成。そういうのを、暇があると作り貯めしてるんだ。 それと奴は言葉を知らないね。知らないくせに知ったかぶるから日本語がおかしくなる。あまり指摘されるもんだから広辞苑買ったり四文字熟語事典買ったりね。負けず嫌いなんだろうな。考えてみれば、かわいそうな奴だよ。いや、考えなくても馬鹿はかわいそうか!(大爆笑)

gondawara_yujiはベジタリアンの深遠な考え

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 22:04 投稿番号: [18749 / 63339]
をちょっとは考えてみろ!!

うん!!

Re: 宮沢賢治のビヂテリアン大祭_33

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:57 投稿番号: [18748 / 63339]
宮沢賢治のビヂテリアン大祭の投稿はこれで終わりです。

宮沢賢治という人は何年も前に、あらゆる角度でベジタリアンを考えていたことがわかりますね。

けっして、トピズレではないと思います。

宮沢賢治は「鯨を食べるな」と言うと思いますが^^;

capt_paul_watson躁鬱の症状である。

投稿者: gondawara_yuji 投稿日時: 2008/04/01 21:54 投稿番号: [18747 / 63339]
症状の治まるのを待つしかない。

capt_paul_watson哀れ・・・
正気を取り戻す(ん〜無理か?)のに可也の
日数がかかるだろう.....−−;。

気違い投稿者:capt_paul_watson!!

投稿者: gondawara_yuji 投稿日時: 2008/04/01 21:47 投稿番号: [18746 / 63339]
レスが無いという事は、誰も見たくないと言うことだ、
今から真直ぐ医者へいけ!もう手遅れだと思うが、
他人に迷惑を掛けないことが一番だ!

Re: 宮沢賢治のビヂテリアン大祭_33

投稿者: abuk1357 投稿日時: 2008/04/01 21:46 投稿番号: [18745 / 63339]
capt_paul_watson さん、もうやめてもらえませんか?
ここは「捕鯨とクジラ保護」についての掲示板ですよね?
あなたが投稿しているものは論点がずれているように思えます。

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_33

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:40 投稿番号: [18744 / 63339]
  その時です。神学博士がまたしほしほと壇に立ちました。そしてしょんぼりと礼をして云ったのです。

「諸君、今日私は神の思召のいよいよ大きく深いことを知りました。はじめ私は混食のキリスト信者としてこの式場に臨んだのでありましたが今や神は私に敬虔なるビヂテリアンの信者たることを命じたまひました。ねがはくは先輩諸氏愚昧小生の如きをも清き諸氏の集会の中に諸氏の同朋として許したまへ。」

  そして壇を下って頭を垂れて立ちました。

  祭司次長がすぐ進んで握手しました。みんなは歓呼の声をあげ熱心に拍手してこの新らしい信者を迎へたのです。

  すると異教席はもうめちゃめちゃでした。まっ黒になって一ぺんに立ちあがり一ぺんに壇にのぼって
「悔ひ改めます。許して下さい。私どももみんなビヂテリアンになります。」と声をそろえて云ったのです。

  祭司次長がすぐ進んで一人づつ握手しました。そして一人づつ壇を下ってこっちの椅子に座りました。歓呼と拍手とで一杯でした。椅子が丁度うまい工合にあったのです。何だかあんまりみんなうまい工合でした。そのとき外ではどうんと又一発陳氏ののろしがあがりました。その陳氏がもう入って来て私に軽く会釈してまだ立ちながら向ふを見て云ひました。

「おやおやみんな改宗しましたね、あんまりあっけない、おや椅子も丁度いゝ、はてな一つあいてる、さうだ、さっきのヒルガアドに似た人だけまだ頑張ってる。」なるほどさっきのおしまひの喜劇役者に肖た人はたった一人異教徒席に座って腕を組んだり髪を掻きむしったりいかにも仰山なのでみんなはたうたうひどく笑ひました。

「あの男の煩悶なら一体何だかわからないですな。」陳氏が云ひました。

  ところがたうたうその人は立ちあがりました。そして壇にのぼりました。

「諸君、私は誤ってゐた。私は迷ってゐたのです。私は今日からビヂテリアンになります。いや私は前からビヂテリアンだったやうな気がします。どうもさっきまちがへて異教徒席に座りそのためにあんな反対演説をしたらしいのです。諸君許したまへ。且つ私考へるに本日異教徒席に座った方はみんな私のやうに席をちがへたのだらうと思ふ。どうもさうらしい。その証拠には今はみんな信者席に座ってゐる。どうです、前異教徒諸氏さうでせう。」

  私の愕いたことは神学博士をはじめみんな一ぺんに立ちあがって「さうです。」と答へたことです。

「さうでせう。して見ると私はいよいよ本心に立ち帰らなければならない。私は或はご承知でせう、ニュウヨウク座のヒルガアドです。今日は私はこのお祭を賑やかにする為に祭司次長から頼まれて一つしばゐをやったのです。このわれわれのやった大しばゐについて不愉快なお方はどうか祭司次長にその攻撃の矢を向けて下さい。私はごく気の弱い一信者ですから。」

  ヒルガアドは一礼して脱兎のやうに壇を下りたゞ一つあいた席にぴたっと座ってしまひました。

「やられたな、すっかりやられた。」陳氏は笑ひころげ哄笑歓呼拍手は祭場も破れるばかりでした。けれども私はあんまりこのあっけなさにぼんやりしてしまひました。あんまりぼんやりしましたので愉快なビヂテリアン大祭の幻想はもうこわれました。どうかあとの所はみなさんで活動写真のおしまゐのありふれた舞踏か何かを使ってご勝手にご完成をねがふしだいであります。

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_32

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:40 投稿番号: [18743 / 63339]
私は会釈して壇を下り拍手もかなり起りました。異教徒席の神学博士たちももうこれ以上論じたいやうな景色も見えませんでした。けれども異教徒席の中にだってみんな神学博士ばかりではありませんでした。丁度ヘッケルのやうな風をした眉間に大きな傷あとのある人が俄かに椅子を立ちました。私は今朝のパンフレットから考へてきっとあれは動物学者だらうと考へたのです。

  その人はまるで顔をまっ赤にしてせかせかと祭壇にのぼりました。我々は寛大に拍手しました。その人はぶるぶるふるえる手でコップに水をついでのみました。コップの外へも水がすこしこぼれました。そのふるえやうがあんまりひどいので私は少し神経病の疑さへももちました。ところが水をのむとその人は俄かにピタッと落ち着きました。それからごくしづかに何か云ひさうに口をしましたがその語はなかなか出て来ませんでした。みんなはしんとなりました。その人は突然爆発するやうに叫びました。二三度どもりました。

「な、な、な何が故に、何が故に、君たちはど、ど、動物を食はないと云ひながら、ひ、ひ、ひ、羊、羊の毛のシャッポをかぶるか。」その人は興奮の為にガタガタふるえてそれからやけに水をのみました。さあ大へんです。テントの中は割けるばかりの笑ひ声です。

  陳氏ももう手を叩いてころげまはってから云ひました。

「まるでジョン、ヒルガードそっくりだ。」

「ジョンヒルガードって何です。」私は訊ねました。

「喜劇役者ですよ。ニュウヨーク座の。けれどもヒルガードには眉間にあんな傷痕がありません。」

「なるほど。」

  そのあとはもう異教徒席も異派席もしいんとしてしまって誰も演壇に立つものがありませんでした。祭司次長がしばらく式場を見まはして今のざわめきが静まってから落ちついて異教徒席へ行きました。ほかにお立ちの方はありませんかとでも云ったやうでしたが誰もしんとして答へるものがありませんでしたので次長は一寸礼をして引き下がりました。

「すっかり参ったやうですね。」陳氏が私に云ひました。私も実際嬉しかったのです。あんなに頑強に見えたシカゴ軍があんまりもろく粉砕されたからです。斯う云ってはなんだか野球のやうですが全くさうでした。そこで電鈴がずゐぶん永く鳴りました。そのすきとほった音に私の興奮した心はもう一ぺん透明なニュウファウンドランドの九月といふやうな気分に戻りました。みんなもさうらしかったのです。陳氏は
「私はもう一発やって来ますから。」と云ひながら立ちあがって出て行きました。

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_31

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:39 投稿番号: [18742 / 63339]
「前論士は仏教徒として菜食主義を否定し肉食論を唱へたのでありますが遺憾乍ら私は又敬虔なる釈尊の弟子として前論士の所説の誤謬を指摘せざるを得ないのであります。先ず豫め茲で述べなければならないことは前論士は要するに仏教特に腐敗せる日本教権に対して一種骨董的好奇心を有するだけで決して仏弟子でもなく仏教徒でもないといふことであります。これその演説中数多如来正遍知に対してあるべからざる言辞を弄したるによって明らかである。特にその最后の言を見よ   地下の釈迦も定めし迷惑であらうと   これ何たる言であるか   何人か如来を信ずるものにしてこれを地下にありといふものありや   我等は決して斯の如き仏弟子の外皮を被り貢高邪曲の内心を有する悪魔の使徒を許すことはできないのである。見よ、彼は自らの芥子の種子ほどの智識を以てかの無上土を測らうとする、その論を更に今私は繰り返すだも恥づる処であるが実証の為にこれを指摘するならば彼は斯う云ってゐる。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以はどうしても仏教が深遠だからであると。クリスト教信者諸氏、処を換へて次の如き命題を諸氏は許容するか、仏教国に生れてクリスト教を信ずる所以はどうしてもクリスト教が深遠だからであると。諸君はその軽薄に不快を禁じ得ないだらう。私から云ふならば前論士の如きにいづれの教理が深遠なるや見当も何もつくものではないのである。次に前論士は吾等の世界に於ける善について述べられた。この世界に行はるゝ吾等の善なるものは畢竟根のない木であると、これは恐らくは如来のみ力を受けずして善はあることないといふ意味であらう私もさう信ずる。その次にこれは斯うなればよろしいとかこれはかうでなければいけないとかそんなものは何にもならない、とこれも私は如来のみ旨によらずして我等のみの計らひにてはさうであると思ふ。前論士も又その意味で云はれたやうである。但したゞ速かにかの西方の覚者に帰せよと、これは仏教の中に於て色々諍論のある処である。今はこれを避ける。たゞ我等仏教徒はまづ釈尊の所説の記録仏経に従ふといふことだけを覚悟しやう。仏経に従ふならば五種浄肉は修業未熟のものにのみ許されたこと枴迦経に明かである。これとても最后涅槃経中には今より以後汝等仏弟子の肉を食ふことを許さずとされてゐる。その五種浄肉とても前論士の云はれた如き余り残忍なる行為によらずしてといふごとき簡単なるものではない。仏教中の様々の食制に関する考は他に誰か述べられる予定があったやうであるから茲には之を略する。但し最后に前論士は釈尊の終りに受けられた供養が豚肉であるといふ、何といふ間違ひであるか豚肉ではない蕈の一種である。サンスクリットの両音相類似する所から軽卒にもあのやうな誤りを見たのである。茲に於てか私は前論士の結論を以て前論士に酬へる。仏教徒諸君   釈迦を見ならへ   釈迦の相似形となれ   釈迦の諸徳をみなその二万分一   五万分一   或は二十万分一の縮尺に於て   之を習修せよ。あゝこの語気の軽薄なることよ。私は之を自ら言ひて更にそを口にした事を恥じる。

  私は次に宗教の精神より肉食しないことの当然を論じやうと思ふ。キリスト教の精神は一言にして云はゞ神の愛であらう。神天地をつくり給ふたとのつくるといふやうな語は要するにわれわれに対する一つの譬諭である、表現である。マットン博士のやうに誤った摂理論を出さなくてもよろしい。畢竟は愛である。あらゆる生物に対する愛である。どうしてそれを殺して食べることが当然のことであらう。

  仏教の精神によるならば慈悲である、如来の慈悲である完全なる智慧を具へたる愛である   仏教の出発点は一切の生物がこのやうに苦しくこのやうにかなしい我等とこれら一切の生物と諸共にこの苦の状態を離れたいと斯う云ふのである。その生物とは何であるか、そのことあまりに深刻にして諸氏の胸を傷つけるであらうがこれ真理であるから避け得ない、率直に述べやうと思ふ。総ての生物はみな無量の劫〔カルバ〕の昔から流転に流転を重ねて来た。流転の階段は大きく分けて九つある。われらはまのあたりその二つを見る。一つのたましひはある時は人を感ずる。ある時は畜生、則ち我等が呼ぶ所の動物中に生れる。ある時は天上にも生れる。その間にはいろいろの他のたましひと近づいたり離れたりする。則ち友人や恋人や兄弟や親子やである。それらが互にはなれ又生を隔ててはもうお互に見知らない。無限の間には無限の組合せが可能である。だから我々のまはりの生物はみな永い間の親子兄弟である。異教の諸氏はこの考をあまり真剣で恐ろしいと思ふだらう。恐ろしいまでこの世界は真剣な世界なのだ。私はこれだけを述べやうと思ったのである。」

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_30

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:38 投稿番号: [18741 / 63339]
  拍手はテントもひるがへるばかりでした。

  私はこの時   あんまりひどい今の語に頭がフラッとしました。そしてまるでよろよろ出て行きました。

  何を云ふんだったと思ったときはもう演壇に立ってみんなを見下してゐました。

  陳氏が一番向ふでしきりに拍手してゐました。みんなはまるで野原の花のやうに見えたのです。私は云ひました。

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_29

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:36 投稿番号: [18740 / 63339]
「マットン博士の神学はクリスト教神学である。且つその摂理の解釈に於て少しく遺憾の点のあったことは全く前論士の如くである。然しながら茲に集られたビヂテリアン諸氏中約一割の仏教徒のあることを私は知ってゐる。私も又実は仏教徒である。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以はどうしても仏教が深遠だからである。自分は阿弥陀仏の化身親鸞僧正によって啓示されたる本願寺派の信徒である。則ち私は一仏教徒として我が同朋たるビヂテリアンの仏教徒諸氏に一語を寄せたい。この世界は苦である、この世界に行はるるものにして一として苦ならざるものない、ここはこれみな矛盾である。みな罪悪である。吾等の心象中微塵ばかりも善の痕跡を発見することができない。この世界に行はるゝ吾等の善なるものは畢竟根のない木である。吾等の感ずる正義なるものは結局自分に気持がいゝといふ丈の事である。これは斯うでなければいけないとかこれは斯うなればよろしいとかみんなそんなものは何にもならない。動物がかあいさうだから喰べないなんといふことは吾等には云へたことではない。実にそれどころではないのである。たゞ遥かにかの西方の覚者救済者阿弥陀仏に帰してこの矛盾の世界を離るべきである。それ然る后に於て菜食主義もよろしいのである。この事柄は敢て議論ではない、吾等の大教師にして仏の化身たる親鸞僧正がまのあたり肉食を行ひ爾来わが本願寺は代々これを行ってゐる。日本信者の形容を以てすれば一つの壺の水を他の一つの壺に移すが如くに肉食を継承してゐるのである。次にまた仏教の創設者釈迦牟尼を見よ。釈迦は出離の道を求めんが為に壇特山と名〔なづ〕くる林中に於て六年精進苦行した。一日米の実一粒亜麻の実一粒を食したのである。されども遂にその苦行の無益を悟り山を下りて川に身を洗ひ村女の捧げたるクリームをとりて食し遂に法悦〔エクスタシー〕を得たのである。今日牛乳や鶏卵チーズバターをさへとらざるビヂテリアンがある。これらは若し仏教徒ならば論を俟たず、仏教徒ならざるも又大に参考に資すべきである。更に釈迦は集り来れる多数の信者に対して決して肉食を禁じなかった。五種浄肉となづけてあまり残忍なる行為によらずして得たる動物の肉は之を食することを許したのである。今日のビヂテリアンは実に印度の古の聖者たちよりも食物のある点に就て厳格である。されどこれ畢竟不具である畸形である、食物のみ厳格なるも釈迦の制定したる他の律法に一も従っていない。特にビヂテリアン諸氏よくこれを銘記せよ。釈迦はその晩年   その思想いよいよ円熟するに従て全く菜食主義者ではなかったやうである。見よ、釈迦は最后に鍛工チェンダといふものの捧げたる食物を受けた。その食物は豚肉を主としてゐる、釈迦はこの豚肉の為に予め害したる胃腸を全く救ふべからざるものにしたらしい。その為にたうたう八十一歳にしてクシナガラといふ処に寂滅したのである。仏教徒諸君、釈迦を見ならへ、釈迦の行為を模範とせよ。釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或は二十万分一の縮尺〔スケール〕に於てこれを習修せよ。然る后に菜食主義もよろしからう。諸君の如き畸形の信者は恐らく地下の釈迦も迷惑であらう。」

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_28

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:34 投稿番号: [18739 / 63339]
「異教論難に対し私はプログラムに許されてある通り宗教演説を以て答へやうと思ふのであります。

  ヘルシウムマットン博士の御所説は実に三段論法の典型であります。まづ博士の神学を挙げて二度之を満場に承認せしめこれを以て大前提とし次にビヂテリアンが之に背くことを述べて小前提とし最后にビヂテリアンが故に神に背くことを断定し菜食なる小善の故に神に背くの大罪を犯すことを暗示致されました。実に簡潔明瞭なる所論であります。

  然るにこの典型的論理に私が多少疑問あることは最遺憾に存ずる次第であります。

  第一に博士の一九二〇年代に適するやうにクリスト教旧神学中より抽出されました簡潔の神学はたゞこの語だけで見ますればこれいかにも適当であります。今日此処に集まりました人人はあながちクリスト教徒ばかりではありません、されどいづれの宗教に於てもこれを云はんと欲するものであります。但しこれ敢て博士の神学でもありません。これ最普通のことであります。

  第二にその神学の解釈に至っては私の最疑義を有する所であります。殊にも摂理の解釈に至っては到底博士は信者とは云はれませぬ。摂理なる観念は敢てキリスト教に限らずこれ一般宗教通有のものでありますがその解釈を誤ること我が神学博士のごときもの孰れの宗教に於ても又実に多々あるのであります。今一度博士の所説を繰り返すならば私は筆記して置きましたが、読んで見ます、その中の出来事はみな神の摂理である。総ては総てはみこゝろである。誠に畏き極みである。主の恵み讃ふべく主のみこゝろは測るべからざる哉、すべてこれ摂理である。み恵みである   善である。と斯うです。これを更に約言するとき之を更に約言するときは斯うなります。現象は総て神の摂理中なるが故に善なりと、まあよろしいやうでありますが又ごくあぶないのであります。ここの善といふのは神より見たる善であります。絶対善であります。それをもし私たちから見た善と解釈するとき始めて先刻のマットン博士の所説を生じます。現象はみな善である、私が牛を食ふ、摂理で善である、私が怒ってマットン博士をなぐる、摂理で善である、なぜならこれは現象で摂理の中のでき事で神のみ旨は測るべからざる哉と、斯うなる、私が諸君にピストルを向けて諸君の帰国の旅費をみんな巻きあげる、大へんよろしい、私が誰かにをどされて旅費を巻きあげ損ねさうになる、一発やる、その人が死ぬ、摂理で善である。もっと面白いのはここにビヂテリアンといふ一類が動物をたべないと云ってゐる。神の摂理である善である然るに何故にマットン博士は東洋流に形容するならば怒髪天を衝いてこれを駁撃するか。こゝに至って畢竟マットン博士の所説は自家撞着に終るものなることを示す。この結論は実にいゝ語であります。これ然しながら不肖私の語ではない、実にシカゴ畜産組合の肉食宣伝のパンフレット中に今朝拝見したものである。終に臨んで勇敢なるマットン博士に深甚なる敬意を寄せます。」

  拍手は天幕をひるがへしさうでありました。

「大分露骨ですね、あんまり教育家らしくもないビヂテリアンですね。」と陳さんが大笑ひをしながら申しました。

  処がその拍手のまだ鳴りやまないふちにもう異教徒席の中から瘠せぎすの神経質らしい人が祭壇にかけ上りました。その人は手をぶるぶる顫わせ眼もひきつってゐるやうに見えました。それでもコップの水を呑んで少し落ち着いたらしく一足進んで演説をはじめました。

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_27

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:33 投稿番号: [18738 / 63339]
「このお方は神学博士ヘルシウス、マットン博士でありましてカナダ大学の教授であります。此の度はシカゴ畜産組合の顧問として本大祭に御出席を得只今より我々の主張の不備の点を御指摘下さる次第であります。一寸招介申しあげます。」とかう云ふのでありました。私たちは寛大に拍手しました。

  マットン博士はしづかにフラスコから水を呑み肩をぶるぶるっとゆすり腹を抱へそれから極めて徐ろに述べ始めました。

「ビヂテリアン同情派諸君。本日はこの光彩ある大祭に出席の栄を得ましたことは私の真実光栄とする処であります。

  就てはこれより約五分間私の奉ずる神学の立場より諸氏の信条を厳正に批判して見たいと思ふのであります。然るに私の奉ずる神学とは然く狭隘なるものではない。私の奉ずる神学はたゞ二言にして尽す。たゞ一なるまことの神はゐまし給ふ、それから神の摂理ははかるべからずと斯うである。これに賛せざる諸君よ、諸君は尚かの中世の煩瑣〔はんさ〕哲学の残骸を以てこの明るく楽しく流動止まざる一千九百二十年代の人心に臨まんとするのであるか。今日宗教の最大要件は簡潔である。吾人の哲学はこの二語を以て既に千六百万人の世界各地に散在する信徒を得た。否   凡そ神を信ずる者にしてこの二語を奉ぜざるものありや、細部の諍論は暫らく措け   凡そ何人か神を信ずるものにしてこの二語を否定するものありや。」

咆哮し終ってマットン博士は卓を打ち式場を見廻しました。満場森として声もなかったのです。博士は続けました。

「讃ふべきかな神よ。神はまことにして変り給はない、神はすべてを創り給ふた。美しき自然よ。風は不断のオルガンを弾じ雲はトマトの如く又馬齢薯の如くである。路のかたはらなる草花は或は赤く或は白い。金剛石は硬く滑石は軟らかである、牧場は緑に海は青い。その牧場にはうるはしき牛佇立し羊群馳ける。その海には青く装へる鰯も泳ぎ大なる鯨も浮ぶ。いみじくも造られたる天地よ、自然よ。どうです諸君ご異議がありますか。」

  式場はしいんとして返事がありませんでした。博士は実に得意になってかゝとで一つのびあがり手で円くぐるっと環を描きました。

「その中の出来事はみな神の摂理である。総ては総てはみこゝろである。誠に畏き極みである。主の恵み讃ふべく主のみこゝろは測るべからざる哉。われらこの美しき世界の中にパンを食み羊毛と麻と木綿とを着、セルリイと蕪菁〔ターニップ〕とを食み又豚と鮭とをたべる。すべてこれ摂理である。み恵みである。善である。どうです諸君。ご異議がありますか。」

  博士は今度は少し心配さうに顔色を悪くしてそっと式場を見まはしました。それから   まるで脱兎のやうな勢で結論にはいりました。

「私はシカゴ畜産組合の顧問でも何でもない。たゞ神の正義を伝へんが為に茲に来た。諸君、諸君は神を信ずる。何が故に神に従はないか。何故に神の恩恵を拒むのであるか。速にこれを悔悟して従順なる神の僕となれ。」

  博士は最后に大咆哮を一つやって電光のやうに自分の席に戻りそこから横目でぢっと式場を見まはしました。拍手が起りましたが同時に大笑ひも起りました。といふのは私たちは式場の神聖を乱すまいと思ってできる丈けこらえてゐたのでしたがあんまり博士の議論が面白いのでしまひにはたうたうこらえ切れなくなったのでした。一番前列に居た小さな信者が立ちあがって祭司次長に何か云ひました。次長は大きくうなづきました。

  その人はこの村の小学校の先生なやうでした。落ちついて祭壇に立ってそれから叮寧にさっきのマットン博士に会釈しました。博士はたしかに青くなってぶるぶる顫えてゐました。その信者は次に式場全体に挨拶しました。拍手は強く起りました。その人は少しニュウファウンドのなまりを入れて演説をはじめました。

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_26

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:32 投稿番号: [18737 / 63339]
陳氏は嵐のやうな拍手と一諸に私の処へ帰って来ました。私が陳氏に立って敬意を示してゐる間に演壇にはもう次の論士が立ってゐました。

「諸君、しづかにし給へ。まだそんなによろこぶには早い。なぜならビヂテリアン諸君の主張は比較解剖学の見地からして正に根底から顛覆するからである。見給へ諸君の歯は何枚あります。三十二枚、さうです。でその中四枚が門歯四枚が犬歯それから残りが臼歯と智歯です。でそんなら門歯は何のため、門歯は食物を噛み取る為臼歯は何のため植物を擦り砕くため、犬歯はそんなら何のためこれは肉を裂くためです。これでお判りでせう。臼歯は草食動物にあり犬歯は肉食類にある。人類に混食が一番適当なことはこれで見てもわかるのです。則ち人類は混食してゐるのが一番自然なのです。ですから我々は肉食をやめるなんて考へてはいけません。」ずゐぶんみんな堪えたのでしたがあんまりその人の身振りが滑稽でおまけにいかにも小学校の二年生に教へるやうに云ふもんですからたうたうみんなどっと吹き出しました。私共の席から一人がすぐ出て行きました。

「只今の比較解剖学からのご説はどうも腑に落ちないのであります。まづ第一に人類の歯に混食が丁度適当だといふのにいろいろ議論も起りませうがまあこれは大体その通りとしていかゞです、その次に、人類に混食が一番自然だから菜食してはいかんといふのは。

  自然だからその通りでいゝといふことはよく云ひますがこれは実はいゝことも悪いこともあります。たとへば我々は畑をつくります。そしてある目的の作物を育てるのでありますがこの際一番自然なことは畑一杯草が生えて作物が負けてしまふことです。これは一番自然です。前論士がもし農場を経営なすった際には参観さして戴きたい。又人間には盗むといふやうな考があります。これは極めて自然のことであります。そんならそのまゝでいゝではないか。と斯うなります。又異教派の方にも大分諸方から鉄道などでお出でになった方もあるやうでありますが鉄道で一番自然なこと則ちなるべく人力を加へないやうにしまするならば衝突や脱線や人を轢いたりするなどがいゝやうであります。そんならそれでいゝではないかポイントマンだのタブレットだの面倒臭いことやめてしまへと斯う云ふことになりますがどなたもご異議はありませんか。」

斯う云ってその人はさっさっと席に戻ってしまひました。すると異教席からすぐ又一人立ちました。

「私は実は宣伝書にも云って置いた通り充分詳しく論じやうと思ったがさっきからのくしゃくしゃしたつまらない議論で頭が痛くなったからほんの一言申し上げる、魚などは諸君が喰べないたって死ぬ、鰯なら人間に食はれるか鯨に呑まれるかどっちかだ。つぐみなら人に食べられるか鷹にとられるかどっちかだ。そのときと鰯もつぐみもまっ黒な鯨やくちばしの尖ったキスも出来ないやうな鷹に食べられるよりも仁慈あるビヂテリアン諸氏に泪をほろほろそゝがれて喰べられた方がいゝと云はないだらうか。それから今度は菜食だからって一向安心にならない。農業の方では害虫の学問があって薬をかけたり焼いたり潰したりして虫を殺すことを考へてゐる。百姓はみんなそれをやる。鯨を食べるならば一疋を一万人でも食べられ、又その為に百万疋の鰯を助けることになるのだが甘藍を一つたべるとその為に青虫を百疋も殺してゐることになる。まるで諸君の考と反対のことばかり行われてゐるのです。いかがです。」

すぐ又一人立ちました。

「私はたゞ一分でお答へする。第一に魚がどんなに死ぬからってそれが私たちの必ずそれを喰べる理由にはならない。又私たちが魚をたべたからって魚が喜ぶかどうかそんなこともわからない。どうせ何かに殺されるだらうからってこっちが殺してやらうと云ふ訳には参りません。人間が魚をとらなければ海が魚で埋まってしまふといふ勘定さへあるがそんなめのこ勘定で往くもんぢゃない。結局こんな間接のことまで論じてゐたんぢゃきりがない、たゞわれわれはまっすぐにどうもいけないと思ふことをしないだけだ。野菜も又犠牲を払ふといふがそれはわれわれはよく知ってゐる。だから物を浪費しないことは大切なことなのだ。但し穀作や何かならばそんなにひどく虫を殺したりもしないのだ。極端な例でだけ比較をすればいくらでもこんな変な議論は立つのです。結局我々はどうしても正しいと思ふことをするだけなのだ。」

  拍手が起りました。その人は壇を下りました。

  異教徒席の中から赭い髪を立てた肥った丈の高い人が東洋風に形容しましたら正に怒髪天を衝くといふ風で大股に祭壇に上って行きました。私たちは寛大に拍手しました。

  祭司が一人出てその人と並んで招介しました。

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_25

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:30 投稿番号: [18733 / 63339]
「只今のご論旨は大へん面白いので私も早速空気を吸ふのをやめたいと思ひましたがその前に一寸一言ご返事をしたいと存じます。どうぞその間空気を吸ふことをお許し下さい。

  さて只今のご論旨ではビヂテリアンたるものすべからく無菌の水と岩石ぐらゐを喰べて海抜二千尺以上ぐらゐの高い処に生活すべしといふのでありましたが、なるほど私共の中には一酸化炭素と水とから砂糖を合成する事をしきりに研究してゐる人もあります。けれども茲ではまづ生物連続が面白かったやうですからそれを色々応用して見ます。則ち人類から他の哺乳類鳥類爬虫類魚類それから節足動物とか軟体動物とか乃至原生動物それから一転して植物、の細菌類   それから多細胞の羊歯類顕花植物と斯う連続してゐるからもし動物がかあいさうなら生物みんな可哀さうになれ、顕花植物なども食べても切ってもいかんといふのですが、連続をしてゐるものはまだいろいろあります。仮令ば人間の一生は連続してゐる、嬰児期幼児期少年少女期青年処女期壮年期老年期とまあ斯うでせう、処が実はこれは便宜上勝手に分類したので実は連続してゐるはっきりした堺はない、ですから、若し四十になる人が代議士に出るならば必ず生れたばかりの嬰児も代議士を志願してフロックコートを着て政見を発表したり燕尾服を着て交際したりしなければいけない、又小学校の一年生にエービースィーを教えるなら大学校でもなぜ文学より見たる理論化学とか、相対性学説の難点とかそんなことばかりやってエービースィーを教へないか、と斯う云ふことになります。或は他の例を以てするならば元来変態心理と正常な心理とは連続的でありますから人類は須く瘋癲病院を解放するか或はみんな瘋癲病院に入らなければいけないと斯うなるのであります。この変てこな議論が一見菜食にだけ適用するやうに思はれるのはそれは思ふ人がまだこの問題を真剣に考へ真実に実行しなかった証拠であります。斯んなことはよくあるのです。

  いくら連続してゐてもその両端では大分ちがってゐます。太陽スペクトルの七色をごらんなさい。これなどは両端に赤と菫とがありまん中に黄があります。ちがってゐますからどうも仕方ないのです。植物に対してだってそれをあはれみいたましく思ふことは勿論です。印度の聖者たちは実際故なく草を伐り花をふむことも戒めました。然しながらこれは牛を殺すのと大へんな距離がある。それは常識でわかります。人間から身体の構造が遠ざかるに従ってだんだん意識が薄くなるかどうかそれは少しもわかりませんがとにかくわれわれは植物を食べるときそんなにひどく煩悶しません。そこはそれ相応にうまくできてゐるのであります。バクテリヤの事が大へんやかましいやうでしたが一体バクテリヤがそこにあるのを殺すといふやうなことは馬を殺すといふやうなのと非常なちがひです。バクテリヤは次から次と分裂し死滅しまるで速かに速かに変化してるのです。それを殺すと云った処で馬を殺すといふやうのとは大分ちがひます。又バクテリヤの意識だってよくはわかりませんがとにかく私共が生れつきバクテリヤについては殺すとかかあいさうだとかあんまりひどく考へない。それでいゝのです。又仕方ないのです。但しこれも人類の文化が進み人類の感情が進んだときどう変るかそれはわかりません。印度の聖者たちは濾さない水は呑みません。普通の布の水濾しでは原生動物は通りますまいがバクテリヤは通りませう。まあこれらについてはいくら理論上何と云はれても私たちにさう思へないとお答へ致すより仕方ありません。やがて理論的にも又その通り証明されるにちがひありません。私の国の孟子〔メンシアス〕と云ふ人は徳の高い人は家畜の殺される処又料理される処を見ないと云ひました。ごく穏健な考であります。自然はそんなおとしあなみたいなことはしませんから。私共は私共に具はった感官の状態私共をめぐった条件に於て菜食をしたいと斯う云ふのであります。こゝに於て私は敢て高山に遁げません。」

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_24

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:29 投稿番号: [18732 / 63339]
  すると前の論士が立ちあがりました。大へん悔悟したやうな顔はしてゐましたが何だかどこか噴き出したいのを堪えてゐたやうにも見えました。しょんぼり壇に登って来て
「悔悟します。今日から私もビヂテリアンになります。」と云って今の青年の手をとったのでした。みんなは実にひどく拍手しました。二人は連れ立って私たちの方へ下り技師もその空いた席へ腰かけて肩ですうすう息をしてゐました。ところが勿論この事の為に異教席の憤懣はひどいものでした。一人のやっぱり技師らしい男がずゐぶん粗暴な態度で壇に昇りました。

「諸君、私の疑問に答へたまへ。

  動物と植物との間には確たる境堺がない。パンフレットにも書いて置いた通りそれは人類の勝手に設けた分類に過ぎない。動物がかあいさうならいつの間にか植物もかあいさうになる筈だ。動物の中の原生動物と植物の中の細菌類とは殆んど相密接せるものである。又動物の中にだってヒドラや珊瑚類のやうに植物に似たやつもあれば植物の中にだって食虫植物もある、睡眠を摂る植物もある、睡る植物などは毎晩邪魔して睡らせないと枯れてしまふ、食虫植物には小鳥を捕るのもあり人間を殺すやつさへあるぞ。殊にバクテリヤなどは先頃まで度々分類学者が動物の中へ入れたんだ。今はまあ植物の中へ入れてあるがそれはほんのはづみなのだ。そんな曖昧な動物かも知れないものは勿論仁慈に富めるビヂテリアン諸氏は食べたり殺したりしないだらう。ところがどうだ諸君諸君が一寸菜っ葉へ酢をかけてたべる、そのとき諸君の胃袋に入って死んでしまふバクテリアの数は百億や二百億ぢゃ利けゃしない。諸君が一寸葡萄をたべるその一房にいくらの細菌や酵母がついてゐるか、もっと早いとこ諸君が町の空気を吸ふ一回に多いときなら一万ぐらゐの細菌が殺される。そんな工合で毎日生きてゐながら私はビヂテリアンですから牛肉はたべません、なんて、牛肉はいくら喰べたって一つの命の百分の一にもならないのだ、偽善と云はうか無智と云はうかとても話にならない。本たうに動物が可あいさうなら植物を喰べたり殺したりするのも廃し給へ。動物と植物とを殺すのをやめるためにまず水と食塩だけ呑み給へ。水はごくいゝ湧水にかぎる、それも新鮮な処にかぎる、すこし置いたんぢゃもうバクテリアが入るからね、空気は高山や森のだけ吸ひ給へ、町のはだめだ。さあ諸君みんなどこかしんとした山の中へ行っていゝ空気といゝ水と岩塩でもたべながらこのビヂテリアン大祭をやるやうにし給へ。こゝの空気は吸っちゃいけないよ。吸っちゃいけないよ。」

拍手は起り、笑声も起りましたが多くの人はだまって考へてゐました。その男はもう大得意でチラッとさっき懺悔してビヂテリアンになった友人の方を見て自分の席へ帰りました。すると私の愕いたことはこの時まで腕を拱いてぢっと座っていた陳氏がいきなり立って行ったことでした。支那服で祭壇に立ってはじめて私の顔を見て一寸かすかに会釈しました。それから落ち着いて流暢な英語で反駁演説をはじめたのです。

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_23

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:28 投稿番号: [18730 / 63339]
「あの人は私は知ってますよ。ニュウヨウクで二三遍話したんです。大学生です。」

  その青年は少し激昂した風で演説し始めました。

「ご質問に対してできる丈簡単にお答へしやうと思ひます。

  人類の食料は動物と植物と約半々だ。そのうち動物を食べないぢゃ食料が半分に減る。いかにもご尤なお考ではありますが大分乱暴な処もある様であります。動物と植物と半々だ、これがまづいけません。半々といふのは何が半々ですか。多分は目方でお測りになるおつもりか知れませんが目方で比較なさるのは大へんご損です。食物の中で消化される分の熱量ででもご比較になったら割合正確だらうと存じます。さう云ふにしますと一般に動物質の方が消化率も大きいのでありますからよほどお得になります。お得にはなりますがとてもとても半々なんといふわけには参りますまい。こんな珍らしい議論の必要が従来あんまりありませんでしたので恐らくこの計算はまだ誰も致しますまいが計算法だけ申し上げて置きませう。どうぞシカゴ畜産組合の事務所でゆっくり御計算を願ひます。即ち世界中の小麦と大麦米や燕麦蕪菁や甘藍あらゆる食品の産額を発見して先ず第一にその中から各々家畜の喰べる分をさし引きます。その際あんまりびっくりなさいませんやうに。次にその残りの各々から蛋白質脂肪含水炭素の可消化量を計算してそれから各の発する熱量を計算して合計します。四千三百兆大カロリーとか何とか大体出て参りませう。今度は牛羊、豚、馬、鶏鯨といふ工合に今の通りやります。合計二千三百兆大カロリーとか何とか出て来ませう。両方合せてそれをざっと二十億で割って三百六十五で割って営養研究所の方にでも見てお貰いなさい。計算がちがってゐるかどうか多分ご返事なさるでせう。

  さて、ところが只今までの議論は一向私には何でもないのでありまして第一のご質問の答辯の要点はこの次です。則ち論難者は、そのうち動物を食べないぢゃ食料が半分に減ずるといふこいつです。冗談ぢゃありませんぜ。一体その動物は何を食って生きてゐますか。空気や岩石や水を食べてゐるのぢゃないのです。牛や馬や羊は燕麦や牧草をたべる。その為に作った南瓜や蕪菁もたべる。ごらんなさい。人間が自分のたべる穀物や野菜の代りに家畜の喰べるものを作ってゐるのです。牛一頭を養うには八エーカーの牧草地が要ります。そこに一番計算の早い小麦を作って見ませうか。十人の人の一年の食糧が毎年とれます。牛ならどうです。一年の間に肥る分左様百六十キログラムの牛肉で十人の人が一年生きてゐられますか。一人一日五十グラムですよ。親指三本の大さですよ。腹が空りはしませんか。

  よくおわかりにならないやうですがもっと手短かに云ひますともし人間が自然と相談して牛肉や豚肉の代りに何か損にならないものをよこして呉れと云へば今よりもっとたくさんの人間が生きて行かれる位多くの喰べものを向ふではよこすと斯う云ふことです。但しこれは海産物と廃物によって養う分の家畜は論外であります。然しながらそれを計算に入れても又大丈夫です。家畜だってみんな喰べるものばかりでなく羊のやうに毛を貰うもの馬や牛のやうに労働をして貰うものいろいろあります。

  次に食料が半分になっちゃ人間も半分になる、いかにも面白いですが仲々その食料が半分にならない。減る処か事によると少し増えるかも知れません。ですから大丈夫戦争も起らなければ無期徒刑をご心配して下さらなくても大丈夫です。却って菜食はみんなの心を平和にし互に正しく愛し合ふことができるのです。多くの宗教で肉食を禁ずることが大切の儀式にはつきものになってゐるのでもわかりませう。戦争どこぢゃない菜食はあなた方にも永遠の平和を齎してせっかく避暑に来てゐながら自働車まで雇って変な宣伝をやったり大祭へ踏み込んで来ていやな事を云って婦人たちを卒倒させたりしなくてもいゝやうになります。又我々だって無期徒刑ぢゃない、人類の仲間からと哺乳動物組合、鳥類連盟、魚類事務所などからまで勲章や感謝状を沢山贈られる訳です。どうです。おわかりになったらあなたもビヂテリアンにおなりなさい。」

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_22

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:25 投稿番号: [18729 / 63339]
「只今のご質問はいかにもご尤であります。多少御実験などもお話になりましたが実は遺憾乍らそれはみな実験になって居りません。

  動物は衝動と本能ばかりだと仰っしゃいましたがまあさうして置きます。その本能や衝動が生きたいといふことで一杯です。それを殺すのはいけないとこれだけでお答には充分であります。然しながら更に詳しいことは動物心理学の沢山の実験がこれを提供致すだらうと思ひます。又実は動物は本能と衝動ばかりではないのであります。今朝のパンフレットで見ましても生物は一つの大きな連続であると申されました。人間の心もちがだんだん人間に近いものから遠いものに行はれて居ります。人間の苦しいことは感覚のあるものはやっぱりみんな苦しい人間の悲しいことは強い弱いの区別はあってもやっぱりどの動物も悲しいのです。仲々あのパンフレットにある豚のやうに愉快には行かないのであります。飼犬が主人の少年の病死の時その墓を離れず食物もとらずたうたう餓死した有名な例、鹿や猿の子が殺されたときそれを慕って親もわざと殺されることなど誰でも知ってゐます。馬が何年もその主人を覚えてゐて偶に会ったとき涙を流したりするのです。前論者の、ビヂテリアンは人間の感情を以て強て動物を律しやうとするといふのに対して、私は実に反対者たちは動物が人間と少しばかり形が違ってゐるのに眼を欺むかれてその本心から起って来る哀憐の感情をなくしてゐるとご忠告申し上げたいのであります。誰だって自分の都合のいゝやうに物事を考へたいものではありますがどこ迄もそれで通るものではありません。元来私どもの感情はさう無茶苦茶に間違ってゐるものではないのでありましてどうしても本心から起って来る心持は全く客観的に見てその通りなのであります。動物は全く可哀さうなもんです。人もほんたうに哀れなものです。私は全論士にも少し深く上調子でなしに世界をごらんになることを望みます。」

拍手が強く起りました。拍手の中から髪を長くしたせいの低い男がいきなり異教席を立って壇に登りました。

「私はやはりシカゴ畜産組合の技師です。諸君、今朝のマルサス人口論を基とした議論は読んで下すったでせう。どうですそれにちがひありますまい。地球上の人類の食物の半分は動物で半分は植物です。そのうち動物を喰べないぢゃ食物が半分になる。たゞさえ食物が足りなくて戦争だのいろいろ騒動が起ってるのに更にそれを半分に縮減しやうといふのはどんなほかに立派な理くつがあっても正気の沙汰と思はれない。人間の半分十億人が食物がなくて死んでしまふ、死ぬ前にはいろいろ大騒ぎが起るその時ビヂテリアンたちはどうします。自分たちの起した戦争の中へはいってわれらの敵国を打ち亡ぼせと云って鉄砲や剣を持って突貫しますか。それともあゝこんな筈ぢゃなかった神よと云ってみんな一諸にナイヤガラかどこかへ飛び込みますか。そんなことをしたって追ひ付きません。いや、それよりもこんなことになるのはどこの国の政治家でもすぐわかる、これはいかんと云ふわけでお気の毒ながら諸君をみんな終身徴役にしちまひます。まさか死刑にはなりますまいが終身徴役だってそんないゝもんぢゃありませんよ。どうです。今のうち懺悔してやめてしまっては。」

拍手も笑声も起りました。私たちの方から若い脊広の青年が立って行きました。

gondawara_yuji は見なくて結構

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:10 投稿番号: [18728 / 63339]
たぶん、 gondawara_yuji は見てもわからないと思う。

のほほんと生きて、脳味噌が干からびてるもんな^^;

気違いコピペ連続投稿!(ーー;)

投稿者: gondawara_yuji 投稿日時: 2008/04/01 21:08 投稿番号: [18727 / 63339]
好きなだけ投稿しろ!

タダ、誰も見んぞ!

無意味な投稿ってこっだ!!

Re: 幼稚よのう〜哀れ gondawara_yuji

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:03 投稿番号: [18726 / 63339]
誹謗・中傷者には誹謗中傷を

紳士・淑女には真摯な対応を

密猟者には鉄槌を

が我々の身上です。

”いただきます”のような欺瞞の精神はありません^^;

気違い、嘘つき、騙りのgondawara_yuji

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 21:00 投稿番号: [18725 / 63339]
てか

幼稚な言動のgondawara_yuji

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 20:58 投稿番号: [18724 / 63339]
てか

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_21

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 20:55 投稿番号: [18723 / 63339]
老人は会釈して壇を下り拍手は天幕もひるがへるやうでした。祭司次長は立って異教席の方を見ました。異教席から瘠せた顔色の悪いドイツ刈りの男が立ちました。祭司次長は軽く会釈しました。その人も答礼して壇に上ったのです。その人は大へん皮肉な目付きをして式場全体をきろきろ見下してから云ひました。

「今朝私どもがみなさんにさしあげて置いた五六枚のパンフレットはどなたも大低お読み下すった事と思ふ。私はたしかに評判の通りシカゴ畜産組合の理事で又屠畜会社の技師です。ところが正直のところシカゴ畜産組合がこのビヂテリアン大祭を決して苦にするわけはない。何となれば只今前論者の云はれたやうなトラピスト風の人間といふものは今日全人類の一万分一もあるもんぢゃない。やっぱりあたり前の人間には肉類は食料として滋養も多く美味である。ビヂテリアン諸氏が折角菜食を実行し又宣伝するのを見た処で感服はしても容易に真似はしない。則ち肉類の需要が減ずるものでもなし又私たちの組合がこわれたり会社が破産したりするものではない。だから一向反対宣伝も要らなければこの軽業テントの中に入って異教席といふこの光栄ある場所に私が数時間窮屈をする必要もない。然しながら実は私は六月からこちらへ避暑に来て居りました。そしてこの大祭にぶっつかったのですから職業柄私の方ではほんの余興のつもりでしたが少し邪魔を入れて見やうかと本社へ云ってやりましたら社長や何かみな大へん面白がって賛成して運動費などもよこし慰労旁々技師も五人寄越しました。そこで私たちは大急ぎで銘々一つずつパンフレットも作り自働車などまで雇ってそれを撒きちらしましたが実は、なあに、一向あなた方が菜っ葉や何かばかりお上がりにならうと痛くもかゆくもないのです。然しまあやりかけた事ですからこれからも一度あのパンフレットを銘々一人ずつご説明して苦しいご返答を伺はうと思ひます。実は私の方でもあの通り速記者もたのんであります、ご答弁は私の方の機関雑誌畜産之友に載せますからご承知を願ひます。で私のおたづね致したいことはパンフレットにもありました通り動物がかあいさうだからたべないとあなた方は仰っしゃるが動物といふものは一種の器械です。消化吸収呼吸排泄循環生殖と斯う云ふことをやる器械です。死ぬのが恐いとか明日病気になって困るとか誰それと絶交しやうとかそんな面倒なことを考へては居りません。動物の神経だなんといふものはたゞ本能と衝動のためにあるです。神経なんといふのはほんの少ししか働きません。その証拠にはご覧なさい鶏では強制肥育といふことをやる、鶏の咽喉にゴム管をあてゝ食物をぐんぐん押し込んでやる。ふだんの五倍も十倍も押し込む、それでちゃんと肥るのです、面白い位肥るのです。又犬の胃液の分泌や何かの工合を見るには犬の胸を切って胃の后部を露出して幽門の所を腸と離してゴム管に結ぶそしてて食物をやる、どうです犬は食べると思ひますか食べないと思ひますか。あっ、どうかしましたか。」

  実際どうかしたのでした。あんまり話がひどかった為に婦人の中で四五人卒倒者があり他の婦人たちも大低歯を食ひしばって泣いたり耳をふさいで縮まったりしてゐたのです。式場は俄に大騒ぎになりシカゴの畜産技師も祭壇の上で困って立ってゐました。正気を失った人たちはみんなの手で私たちのそばを通って外に担ぎ出され職業の医者な人たちは十二三人も立って出て行きました。しばらくたって式場はしいんとなりました。婦人たちはみんなひどく激昂してゐましたが何分相手が異教の論難者でしたので卑怯に思はれない為に誰も異議を述べませんでした。シカゴの技師ははんけちで叮寧に口を拭ってから又云ひました。

「なるほど実にビヂテリアン諸氏の動物に対する同情は大きなものであります。も少し言辞に気をつけて申し上げます。えゝ、犬はそれを食べます。ぐんぐん喰べます。お判りですか。又家畜を去勢します。則ち生殖に対する焦燥や何かの為に費される勢力〔エネルギー〕 を保存するやうにします。さあ、家畜は肥りますよ、全く動物は一つの器械でその脚を疾くするには走らせる、肥らせるには食べさせる、卵をとるにはつるませる、乳汁をとるには子を近くに置いて子に呑ませないやうにする、どうでも勝手次第なもんです。決して心配はありません。まだまだ述べたいのですが又卒倒されると困りますからこゝまでに致して置きます。」

  その人は壇を下りました。拍手と一処に六七人の人が私どもの方から立ちましたが祭司次長が割合前の方のモオニングの若い人をさしまねきました。その人は落ち着いた風で少し微笑ひながら演説しました。

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_20

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 20:55 投稿番号: [18722 / 63339]
「私はビヂテリアン諸氏の主張に対して二個条の疑問がある。

  第一植物性食品の消化率が動物性食品に比して著しく小さいこと。尤も動物性食品には含水炭素が殆んどないからこれは当然植物から採らなければならない。然しながらもし蛋白質と脂肪とについて考へるならば何といっても植物性のものは消化が悪い。単に分析表を見て牛肉と落花生と営養価が同じだと云って牛肉の代りにそっくり豆を喰べるといふわけにはいかない。人によっては植物蛋白を殆んど消化しないぢゃないかと思はれることもあるのだ。ビヂテリアン諸氏は之等のことは充分ご承知であらうが尚之を以て多くの病弱者や老衰者並に嬰児にまで及ぼさうとするのはどう云ふものであらうか。

  第二は植物性食品はどう考へても動物性食品より美味しくない。これは何としても否定することができない。元来食事はたゞ営養をとる為のものでなく又一種の享楽である。享楽と云ふよりは欠くべからざる精神爽快剤〔レフレツシユメント〕である。労働に疲れ種々の患難に包まれて意気銷沈した時には或は小さな歌謡を口吟む、談笑する音楽を聴く観劇や小遠足にも出ることが大へん効果あるやうに食事も又一の心身回復剤である。この快楽を菜食ならば著しく減ずると思ふ。殊に愉快に食べたものならば実際消化もいゝのだ。これをビヂテリアン諸氏はどうお考であるか伺ひたい。」

  大へん温和しい論旨でしたので私たちは実際本気に拍手しました。すると私たちの席から三人ばかり祭司次長の方へ手をあげて立った人がありましたが祭司次長は一番前の老人を招きました。その人は白髯でやはり牧師らしい黒い服装をしてゐましたが壇に昇って重い調子で答へたのでした。

「只今の御質疑に答へたいと存じます。

  植物性の脂肪や蛋白質の消化があまりよくないことは明かであります。さればといって甚不良なのではなく、たゞ動物質の食品に比して幾分劣るといふのであります。全然植物性蛋白や脂肪を消化しないといふ人はまあありますまい、あるとすればその人は又動物性の蛋白や脂肪も消化しないのです。さてどう云ふわけで植物性のものが消化がよくないかと云へば蛋白質の方はどうもやっぱりその蛋白質分子の構造によるやうでありますが脂肪の消化率の少いのはそれが多く繊維素の細胞壁に包まれてゐる関係のやうであります。どちらも次第に菜食になれて参りますと消化もだんだん良くなるのであります。色々実験の成績もございますから后でご覧を願ひます。又病弱者老衰者嬰児等の中には全く菜食ではいけない人もありませう、私どもの派ではそれらに対してまで菜食を強ひやうと致すのではありません。たゞなるべく動物互に相喰むのは決して当然のことでない何とかしてさうでなくしたいといふ位の意味であります。尤も老人病弱者にても若し肉食を嫌ふものがあれば之に適するやうな消化のいゝ食品をつくる事に就ては私共只今充分努力を致して居るのであります。仮令ば蛋白質をば少しく分解して割合簡単な形の消化し易いものを作る等であります。

  第二に食事は一つの享楽である菜食によってその多分は奪はれるとこれはやはり肉食者よりのお考であります。なるほど普通混食をしてゐるときは野菜は肉類より美味しくないのですが、けれどももし肉類を食べるときその動物の苦痛を考へるならば到底美味しくはなくなるのであります。従って無理に食べても消化も悪いのであります。勿論菜食を一年以上もしますなれば仲々肉類は不愉快な臭や何かありまして好ましくないのであります。元来食物の味といふものはこれは他の感覚と同じく対象よりはその感官自身の精粗によるものでありまして、精粗といふよりは善悪によるものでありまして、よい感官はよいものを感じ悪い感官はいゝものも悪く感ずるのであります。同じ水を呑んでも徳のある人とない人とでは大へんにちがって感じます。パンと塩と水とをたべてゐる修道院の聖者たちにはパンの中の糊精や蛋白質酵素単糖類脂肪などみな微妙な味覚となって感ぜられるのであります。もしパンがライ麦のならばライ麦のいゝ所を感じて喜びます。これらは感官が静寂になってゐるからです。水を呑んでも石灰の多い水、炭酸の入った水、冷たい水、又川の柔らかな水みなしづかにそれを享楽することができるのであります。これらは感官が澄んで静まってゐるからです。ところが感官が荒さんで来るとどこ迄でも限りなく粗く悪くなって行きます。まあ大低パンの本統の味などはわからなくなって非常に多くの調味料を用ひたりします。則ち享楽は必らず肉食にばかりあるのではない。寧ろ清らかな透明な限りのない愉快と安静とが菜食にあるといふことを申しあげるのであります。」

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_19

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 20:54 投稿番号: [18721 / 63339]
「前論士は仏教徒として菜食主義を否定し肉食論を唱へたのでありますが遺憾乍ら私は又敬虔なる釈尊の弟子として前論士の所説の誤謬を指摘せざるを得ないのであります。先ず豫め茲で述べなければならないことは前論士は要するに仏教特に腐敗せる日本教権に対して一種骨董的好奇心を有するだけで決して仏弟子でもなく仏教徒でもないといふことであります。これその演説中数多如来正遍知に対してあるべからざる言辞を弄したるによって明らかである。特にその最后の言を見よ   地下の釈迦も定めし迷惑であらうと   これ何たる言であるか   何人か如来を信ずるものにしてこれを地下にありといふものありや   我等は決して斯の如き仏弟子の外皮を被り貢高邪曲の内心を有する悪魔の使徒を許すことはできないのである。見よ、彼は自らの芥子の種子ほどの智識を以てかの無上土を測らうとする、その論を更に今私は繰り返すだも恥づる処であるが実証の為にこれを指摘するならば彼は斯う云ってゐる。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以はどうしても仏教が深遠だからであると。クリスト教信者諸氏、処を換へて次の如き命題を諸氏は許容するか、仏教国に生れてクリスト教を信ずる所以はどうしてもクリスト教が深遠だからであると。諸君はその軽薄に不快を禁じ得ないだらう。私から云ふならば前論士の如きにいづれの教理が深遠なるや見当も何もつくものではないのである。次に前論士は吾等の世界に於ける善について述べられた。この世界に行はるゝ吾等の善なるものは畢竟根のない木であると、これは恐らくは如来のみ力を受けずして善はあることないといふ意味であらう私もさう信ずる。その次にこれは斯うなればよろしいとかこれはかうでなければいけないとかそんなものは何にもならない、とこれも私は如来のみ旨によらずして我等のみの計らひにてはさうであると思ふ。前論士も又その意味で云はれたやうである。但したゞ速かにかの西方の覚者に帰せよと、これは仏教の中に於て色々諍論のある処である。今はこれを避ける。たゞ我等仏教徒はまづ釈尊の所説の記録仏経に従ふといふことだけを覚悟しやう。仏経に従ふならば五種浄肉は修業未熟のものにのみ許されたこと枴迦経に明かである。これとても最后涅槃経中には今より以後汝等仏弟子の肉を食ふことを許さずとされてゐる。その五種浄肉とても前論士の云はれた如き余り残忍なる行為によらずしてといふごとき簡単なるものではない。仏教中の様々の食制に関する考は他に誰か述べられる予定があったやうであるから茲には之を略する。但し最后に前論士は釈尊の終りに受けられた供養が豚肉であるといふ、何といふ間違ひであるか豚肉ではない蕈の一種である。サンスクリットの両音相類似する所から軽卒にもあのやうな誤りを見たのである。茲に於てか私は前論士の結論を以て前論士に酬へる。仏教徒諸君   釈迦を見ならへ   釈迦の相似形となれ   釈迦の諸徳をみなその二万分一   五万分一   或は二十万分一の縮尺に於て   之を習修せよ。あゝこの語気の軽薄なることよ。私は之を自ら言ひて更にそを口にした事を恥じる。

  私は次に宗教の精神より肉食しないことの当然を論じやうと思ふ。キリスト教の精神は一言にして云はゞ神の愛であらう。神天地をつくり給ふたとのつくるといふやうな語は要するにわれわれに対する一つの譬諭である、表現である。マットン博士のやうに誤った摂理論を出さなくてもよろしい。畢竟は愛である。あらゆる生物に対する愛である。どうしてそれを殺して食べることが当然のことであらう。

  仏教の精神によるならば慈悲である、如来の慈悲である完全なる智慧を具へたる愛である   仏教の出発点は一切の生物がこのやうに苦しくこのやうにかなしい我等とこれら一切の生物と諸共にこの苦の状態を離れたいと斯う云ふのである。その生物とは何であるか、そのことあまりに深刻にして諸氏の胸を傷つけるであらうがこれ真理であるから避け得ない、率直に述べやうと思ふ。総ての生物はみな無量の劫〔カルバ〕の昔から流転に流転を重ねて来た。流転の階段は大きく分けて九つある。われらはまのあたりその二つを見る。一つのたましひはある時は人を感ずる。ある時は畜生、則ち我等が呼ぶ所の動物中に生れる。ある時は天上にも生れる。その間にはいろいろの他のたましひと近づいたり離れたりする。則ち友人や恋人や兄弟や親子やである。それらが互にはなれ又生を隔ててはもうお互に見知らない。無限の間には無限の組合せが可能である。だから我々のまはりの生物はみな永い間の親子兄弟である。異教の諸氏はこの考をあまり真剣で恐ろしいと思ふだらう。恐ろしいまでこの世界は真剣な世界なのだ。私はこれだけを述べやうと思ったのである。」

宮沢賢治のビヂテリアン大祭_18

投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 20:53 投稿番号: [18720 / 63339]
「マットン博士の神学はクリスト教神学である。且つその摂理の解釈に於て少しく遺憾の点のあったことは全く前論士の如くである。然しながら茲に集られたビヂテリアン諸氏中約一割の仏教徒のあることを私は知ってゐる。私も又実は仏教徒である。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以はどうしても仏教が深遠だからである。自分は阿弥陀仏の化身親鸞僧正によって啓示されたる本願寺派の信徒である。則ち私は一仏教徒として我が同朋たるビヂテリアンの仏教徒諸氏に一語を寄せたい。この世界は苦である、この世界に行はるるものにして一として苦ならざるものない、ここはこれみな矛盾である。みな罪悪である。吾等の心象中微塵ばかりも善の痕跡を発見することができない。この世界に行はるゝ吾等の善なるものは畢竟根のない木である。吾等の感ずる正義なるものは結局自分に気持がいゝといふ丈の事である。これは斯うでなければいけないとかこれは斯うなればよろしいとかみんなそんなものは何にもならない。動物がかあいさうだから喰べないなんといふことは吾等には云へたことではない。実にそれどころではないのである。たゞ遥かにかの西方の覚者救済者阿弥陀仏に帰してこの矛盾の世界を離るべきである。それ然る后に於て菜食主義もよろしいのである。この事柄は敢て議論ではない、吾等の大教師にして仏の化身たる親鸞僧正がまのあたり肉食を行ひ爾来わが本願寺は代々これを行ってゐる。日本信者の形容を以てすれば一つの壺の水を他の一つの壺に移すが如くに肉食を継承してゐるのである。次にまた仏教の創設者釈迦牟尼を見よ。釈迦は出離の道を求めんが為に壇特山と名〔なづ〕くる林中に於て六年精進苦行した。一日米の実一粒亜麻の実一粒を食したのである。されども遂にその苦行の無益を悟り山を下りて川に身を洗ひ村女の捧げたるクリームをとりて食し遂に法悦〔エクスタシー〕を得たのである。今日牛乳や鶏卵チーズバターをさへとらざるビヂテリアンがある。これらは若し仏教徒ならば論を俟たず、仏教徒ならざるも又大に参考に資すべきである。更に釈迦は集り来れる多数の信者に対して決して肉食を禁じなかった。五種浄肉となづけてあまり残忍なる行為によらずして得たる動物の肉は之を食することを許したのである。今日のビヂテリアンは実に印度の古の聖者たちよりも食物のある点に就て厳格である。されどこれ畢竟不具である畸形である、食物のみ厳格なるも釈迦の制定したる他の律法に一も従っていない。特にビヂテリアン諸氏よくこれを銘記せよ。釈迦はその晩年   その思想いよいよ円熟するに従て全く菜食主義者ではなかったやうである。見よ、釈迦は最后に鍛工チェンダといふものの捧げたる食物を受けた。その食物は豚肉を主としてゐる、釈迦はこの豚肉の為に予め害したる胃腸を全く救ふべからざるものにしたらしい。その為にたうたう八十一歳にしてクシナガラといふ処に寂滅したのである。仏教徒諸君、釈迦を見ならへ、釈迦の行為を模範とせよ。釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或は二十万分一の縮尺〔スケール〕に於てこれを習修せよ。然る后に菜食主義もよろしからう。諸君の如き畸形の信者は恐らく地下の釈迦も迷惑であらう。」

  拍手はテントもひるがへるばかりでした。

  私はこの時   あんまりひどい今の語に頭がフラッとしました。そしてまるでよろよろ出て行きました。

  何を云ふんだったと思ったときはもう演壇に立ってみんなを見下してゐました。

  陳氏が一番向ふでしきりに拍手してゐました。みんなはまるで野原の花のやうに見えたのです。私は云ひました。

トピずれだ!

投稿者: gondawara_yuji 投稿日時: 2008/04/01 20:25 投稿番号: [18706 / 63339]
気違い、嘘つき、騙りの   capt_paul_watson、
今更何を言っても、オマエは誰二も相手にされない。

掲示板から立ち去れ。
日本から立ち去れ。
偽白人はこの世から消えろ!!

クジラの在庫、山積みだ。

投稿者: vanilla_taste1 投稿日時: 2008/04/01 20:19 投稿番号: [18704 / 63339]
在庫だらけでも税金を大量に使ってクジラ捕る利権者達。

捕鯨費用は、価格に転嫁。
鯨肉、まずくて、激高値。

しかも、調査費用、警護、外交費は、税金で国民負担。

調査捕鯨を続けると、日本は赤字国債乱発を続けるぞ。
悪食じじいしか、くわねぇのに。

以後、ニュースより転載。

水産庁の委託を受けた日本鯨類研究所が今年も、南極海での調査捕鯨に出発した。海外の環境保護団体からは批判の嵐だ。11年ぶりに政権を奪取した豪州の労働党は「監視の必要性があれば、軍を派遣して(捕鯨船を)追跡する」(マクレランド氏)と語気を強めた。

海外勢が日本の調査捕鯨に神経を尖らすのには理由がある。国際捕鯨委員会(IWC)の決定で商業捕鯨が停止された翌年の1987年にスタートした調査捕鯨は年々、規模を拡大。南極海から北西太平洋にも範囲を広げ、捕鯨対象種も増やしていった。11月に出航した今回の捕鯨は、春までに850頭のミンククジラに、ナガスクジラ、ザトウクジラ各50頭を加え約1千頭を捕獲する。これは商業捕鯨を強行しているノルウェーの捕獲頭数をも上回る可能性があり、「日本は調査の名を借りて、世界最大の捕鯨国に復活している」との批判を浴びている。

調査捕鯨の問題点は、これだけではない。捕鯨の費用は、捕獲した鯨肉の販売でまかなう仕組みだが、その販売価格は「必要な費用から逆算して決める」(水産庁関係者)。このため、鯨肉は牛肉の2倍近い高値に跳ね上がっている。「高値なのに、それほどおいしくない鯨肉」(流通関係者)は毎年売れ残り、年々在庫が積み上がっているのが実情だ。海外から見れば、売れもしない鯨肉を捕獲するために毎年、捕鯨船を送り出す水産庁の行動が、常軌を逸したものに見えるのも当然だ。捕鯨の是非をめぐる論議は感情的になりがちだが、鯨肉在庫を膨らませる日本側にも問題がある。

傲慢capt_paul_watson気違い言動!

投稿者: gondawara_yuji 投稿日時: 2008/04/01 20:14 投稿番号: [18702 / 63339]
■気違いcapt_paul_watson>
てか   我々に絡むのはやめてくれないかね、と言って聞くような奴じゃないか<

◇「てか」   と言う幼稚なレスしかできない気違いcapt_paul_watson
◇幼稚な言動、これは何を言いたいんだ???
俺が絡んで気違い投稿を少なくしようとしているんだが、意味無いか?^^

Re: 幼稚よのう〜哀れ gondawara_yuji

投稿者: maeenntotyau 投稿日時: 2008/04/01 20:06 投稿番号: [18699 / 63339]
>てか

菜食主義になると「てか」を連発するようになるのかね?
言ってることと行動がずいぶん違うが菜食の影響かね?

Re: 引用元。

投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2008/04/01 20:00 投稿番号: [18694 / 63339]
>そこから丸写しでほぼ間違い無さそうですね。

あ、本当ですね。
そう言えば、以前ここも見た記憶がありました。


菜食主義者であることは、私にとってはある種敬服するべき生き方だと考えていますが、「誰でもがそうすべきである」といわれれば、それには抵抗感があります。ましてや、彼らの主張には、魚介類や、鯨を食べるべきではないと否定できるような栄養学的な指摘はほとんどありません。これについては、彼らが書けば書くほど、ますますこれらの海産物を食べることを奨励しているように感じてしまいます。

彼らの主張は、日本に対して、経済的利益のために肉食を習慣づけることを画策して食による支配を着々と進めている、かの軍事大国に進言した方が効率がいいと思いますけどねえ。ワトソン氏は、自らシーシェパードのメンバーだと公言しているのですから、まずは身内から説得するのが「筋」というものだと思います。

この自分たちの文化を善として疑わず、他を悪と否定して、グローバリズムと称して、自分たちの文化を他に強引に押し着せる彼らの無遠慮な数々の行動には、いい加減辟易としています。


まあ何はともあれ、ありがとうございました。
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