宮沢賢治のビヂテリアン大祭_18
投稿者: capt_paul_watson 投稿日時: 2008/04/01 20:53 投稿番号: [18720 / 63339]
「マットン博士の神学はクリスト教神学である。且つその摂理の解釈に於て少しく遺憾の点のあったことは全く前論士の如くである。然しながら茲に集られたビヂテリアン諸氏中約一割の仏教徒のあることを私は知ってゐる。私も又実は仏教徒である。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以はどうしても仏教が深遠だからである。自分は阿弥陀仏の化身親鸞僧正によって啓示されたる本願寺派の信徒である。則ち私は一仏教徒として我が同朋たるビヂテリアンの仏教徒諸氏に一語を寄せたい。この世界は苦である、この世界に行はるるものにして一として苦ならざるものない、ここはこれみな矛盾である。みな罪悪である。吾等の心象中微塵ばかりも善の痕跡を発見することができない。この世界に行はるゝ吾等の善なるものは畢竟根のない木である。吾等の感ずる正義なるものは結局自分に気持がいゝといふ丈の事である。これは斯うでなければいけないとかこれは斯うなればよろしいとかみんなそんなものは何にもならない。動物がかあいさうだから喰べないなんといふことは吾等には云へたことではない。実にそれどころではないのである。たゞ遥かにかの西方の覚者救済者阿弥陀仏に帰してこの矛盾の世界を離るべきである。それ然る后に於て菜食主義もよろしいのである。この事柄は敢て議論ではない、吾等の大教師にして仏の化身たる親鸞僧正がまのあたり肉食を行ひ爾来わが本願寺は代々これを行ってゐる。日本信者の形容を以てすれば一つの壺の水を他の一つの壺に移すが如くに肉食を継承してゐるのである。次にまた仏教の創設者釈迦牟尼を見よ。釈迦は出離の道を求めんが為に壇特山と名〔なづ〕くる林中に於て六年精進苦行した。一日米の実一粒亜麻の実一粒を食したのである。されども遂にその苦行の無益を悟り山を下りて川に身を洗ひ村女の捧げたるクリームをとりて食し遂に法悦〔エクスタシー〕を得たのである。今日牛乳や鶏卵チーズバターをさへとらざるビヂテリアンがある。これらは若し仏教徒ならば論を俟たず、仏教徒ならざるも又大に参考に資すべきである。更に釈迦は集り来れる多数の信者に対して決して肉食を禁じなかった。五種浄肉となづけてあまり残忍なる行為によらずして得たる動物の肉は之を食することを許したのである。今日のビヂテリアンは実に印度の古の聖者たちよりも食物のある点に就て厳格である。されどこれ畢竟不具である畸形である、食物のみ厳格なるも釈迦の制定したる他の律法に一も従っていない。特にビヂテリアン諸氏よくこれを銘記せよ。釈迦はその晩年
その思想いよいよ円熟するに従て全く菜食主義者ではなかったやうである。見よ、釈迦は最后に鍛工チェンダといふものの捧げたる食物を受けた。その食物は豚肉を主としてゐる、釈迦はこの豚肉の為に予め害したる胃腸を全く救ふべからざるものにしたらしい。その為にたうたう八十一歳にしてクシナガラといふ処に寂滅したのである。仏教徒諸君、釈迦を見ならへ、釈迦の行為を模範とせよ。釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或は二十万分一の縮尺〔スケール〕に於てこれを習修せよ。然る后に菜食主義もよろしからう。諸君の如き畸形の信者は恐らく地下の釈迦も迷惑であらう。」
拍手はテントもひるがへるばかりでした。
私はこの時 あんまりひどい今の語に頭がフラッとしました。そしてまるでよろよろ出て行きました。
何を云ふんだったと思ったときはもう演壇に立ってみんなを見下してゐました。
陳氏が一番向ふでしきりに拍手してゐました。みんなはまるで野原の花のやうに見えたのです。私は云ひました。
拍手はテントもひるがへるばかりでした。
私はこの時 あんまりひどい今の語に頭がフラッとしました。そしてまるでよろよろ出て行きました。
何を云ふんだったと思ったときはもう演壇に立ってみんなを見下してゐました。
陳氏が一番向ふでしきりに拍手してゐました。みんなはまるで野原の花のやうに見えたのです。私は云ひました。
これは メッセージ 18719 (capt_paul_watson さん)への返信です.
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