ビックリ台湾!?

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Re: 李登輝氏は単純な人物(二)

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/27 23:54 投稿番号: [1798 / 3149]
  台湾の友人に「李登輝氏が中国から三億元を貰ったと陳水扁が暴露したそうだが、これについて台湾ではどのように受け止められているか」というメールを送ったがまだ返事はない。双方がいかに不仲ではあっても、いやしくも中華民国総統であった人が事実無根のデッチアゲをして不当な攻撃をするとは思えない。しかも、総統職にあれば国家機関が集めたあらゆる情報が入り、中には思いもよらぬ極秘情報があっても異とするに足りない。
国際政治には謀略がつきもので政敵を倒すには醜聞が最も安上がりでてっとり早いが、へたをすればそれを仕組んだ者が逆にやられてしまう危険もあるだろう。李登輝がその在職中にあったときの頭脳、経験、政治力、胆力は陳水扁などには足元にも及ばないほど秀絶なものであったから、仮に三億元を手に入れ、それが暴露されても「話にもならぬ戯言」と一蹴すれば簡単に済んでしまうだろう。「そりゃ、そうだろう。あれほど李登輝を目の仇にした宿敵の北京政府がカネを出すはずはない」とだれもが納得するからである。台湾では逮捕収監によって、強度のノイローゼに罹った前総統の戯言だと無視されているに違いない。しかし、unhoo先生のように「ありうる」という少数意見の人もいるだろう。世の中には「まさか」と思うようなことが現実に起こるものだ。

総統へ昇格の道

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/27 23:29 投稿番号: [1797 / 3149]
蒋経国の死により、蒋政権が作った憲法では副総統李登輝が直ちに総統に昇格する。しかし当時の新聞ニュースでは、李登輝氏は頑強な牽制に遭ったのではないかと思われる。李登輝氏はその日からすぐ大直の蒋経国官邸へ遺体を礼拝しに日参した。桃園縣では遺体を安置する建物の建築が始まったが、その建物が落成するに一ヶ月以上かかった。その間李登輝総統は毎日少なくとも一回、日によっては二回、多い日には三回も総督府から大直官邸まで4kmの道のりを、車隊を連ねて礼拝のためにに往復した。そうやって自分は先総統から副総統に選ばれ、先総統時代から存在する憲法によって総統に昇格したのであると示威に努めた。その様子は、詳しく書くことを避けて筆を擱く。

Re: 李登輝氏は単純な人物(二)

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/27 18:40 投稿番号: [1796 / 3149]
  以前、出稼ぎのフィリピン人が、彼のお婆さんあたりから直接聞いた話をしてくれた。戦前のマニラに日本人の商人がいて現地妻と暮らしていた。商売は聞きそびれてよく覚えていないが小売業で細々と暮らしていたらしい。酒飲みで魯鈍で仕事もせず地元の不良たちとオートバイで遊びまわり、まわりからは「日本人でもあんな馬鹿がいるんだね」と笑われていたという。日本軍がマニラに進攻してきたとき、一時的に姿を消したが、やがてマニラの占領とともに彼は佐官級の軍服を着てその町内に現れ皆を驚かせた。日本軍が戦前から東南アジアの各地に間諜を放っていたのは事実で、その正体が最後まで暴露されなかったから彼が一流の特務であったのは間違いない。

だが、およそスパイほど割に合わない仕事はない。見つかれば拷問と処刑は確実で、首尾よく目的を遂げても「ご苦労であった」でお仕舞いかもしれない。

李登輝氏は京大に学び、マルクス主義を知り、さらには日本軍の下士官として千葉の高射砲部隊に配属され、三月十日の東京大空襲では大いに奮戦してB29をかなり撃墜したという。戦後は台湾に帰り、中国共産党とも関係を持ち、2.28を体験して白色テロの犠牲になりかかったこともある。その後はアメリカにも留学している。彼は時と場所で常に言うことが変わり、台独については言葉を濁す。「親日」は隠さないが、彼の生い立ちを考えれば不自然ではない。つまり、彼は絶対に尻尾を掴ませなかった人で、その正体は本当にわからない。例の三億元も、私は「ありえない」とは言ったが、人生経験の豊かなunhoo先生は「ありうる」と言う。たしかに拘置所にいる前総統が発狂でもしていない限り、それを無視することもできない。

李登輝氏は単純な人物(二)

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/27 12:44 投稿番号: [1795 / 3149]
蒋政権集団がどうやって農業経済の役所の一職員だった李登輝氏に目をつけて、官選台北市長に任命したのかはわからないが、官選市長から官選省主席になり、継いで副総統になったのは、李登輝氏が権謀術策を運用したのでも、蒋経国に諂って機嫌を取ったのでもなく、無為無策で勤めたから、蒋政権集団から危険のない男と思われて、取り立てられたのだ。

李氏が副総統に取り立てられたとき、蒋経国の健康状態はすでにわるく、副総統が総統に昇格する日が来ることは、誰にもわかっていた。この時期に、今まで政治的野心のなかった李氏の心の中で昇格総統になる準備が成熟して行ったのである。

李登輝氏は単純な人物

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/27 05:52 投稿番号: [1794 / 3149]
李登輝氏は当時の総統蒋経国によって台北市長に任命された。当時台北市長は民選でなく官選であった。それまで李登輝氏は政治には関係のない農業経済の役所の一職員だった。

李登輝氏の前任の官選台北市長は林洋港氏、彼は台湾人で、李登輝氏よりも4歳若く、能吏というタイプだったらしい。蒋経国一党がどうやって李登輝という人物を見つけたのか、わしのような普通人は知る由もない。当時の新聞論説でも、今まで聞いたことのない人物だと書いていた。

李登輝氏が台北市長に任命されると、林洋港氏は台湾省主席に昇任した。

数年後李登輝氏が台湾省主席に昇任し、林洋港氏が行政院院長(日本の総理大臣に近い)に昇任した。このように4歳若い林洋港氏は常に李登輝氏の一歩先を歩き、しかも評判がよかった。

そのころ、台湾人副総統の謝○○氏(今、名が思い出せない)が老齢で引退し、後任の台湾人副総統に林洋港氏でなく李登輝氏が任命された。そのとき蒋経国総統の糖尿病はすでに重く、いつでも病死の可能性があり、副総統が総統に昇格する可能性が大きい。蒋政権一味は蒋経国死亡後の昇格総統になる人物として林洋港氏でなく李登輝氏を選んだのである。この選択がおこなわれた理由は、わしのような普通人には探知する方法がないが、当時の新聞か雑誌に、次のような記事があった。

李登輝氏は自分の周囲に忠実な子分を養っておくということをしない性格の人で、台北市長だったときも、台湾省主席だったときも、一匹狼でやって行った。それに比べると林洋港氏は大勢の取り巻きを作る人だった。今蒋経国総統が死亡して、副総統が総統に昇格した場合、その昇格総統が子分のたくさんある林洋港では、蒋政権の残党が政権を取りもっどすに苦労する。それに比べると取り巻きが一人もいない李登輝なら、総統昇格後数ヵ月たって、総統職を辞するように勧告し、前総統に祭り上げ、蒋政権の残党から新しい総統を産生するのは容易であろう。そういう理由で李登輝氏が副総統に選ばれたのだ・・・と。

共匪

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/26 12:53 投稿番号: [1793 / 3149]
  いま、「共産主義」はすっかり廃れてしまったので「共匪」という言葉も死語に近い。現在の中国が文革期の時代とはすっかり様変わりして、世界で最も過激な資本主義国家に変貌しているのは誰の目にも明らかだ。中ソ論争に絡むソ連との戦争の恐怖や文化大革命の混乱などは中国の年配者なら自らの体験としてしっかり記憶にあるはずだ。ところが、中国共産党はなおも7000万の党員と200万の軍隊を擁し、依然として全中国を支配している。このあたりは「君子豹変」中国人の真髄をみる思いである。

改革開放が目を見張るほどの成功を遂げた中国は今世紀の半ばに達する以前に、世界一の超大国になる可能性が高い。もちろん別の見方をする人もいて、「独裁政権というものは脆く、中国は国内の抜き差しならぬ諸矛盾から、いずれソ連のように崩壊するだろう」という意見もある。
もう十数年前、「改革開放」がまっしぐらに突き進んでいるころ、横浜国立大学の中国人留学生と懇意になり、彼の一時帰国時に「毛沢東選集」を買ってきてくれるよう頼んだことがある。自分の持っている日本語版と対比して読み、あわせて中国語の学習をしようと目論んだのだが、あれほど頼んだのに買ってこなかった。彼の曰く「どこの書店にもない。店員に聞いてみると予約でいっぱいで、それも全然入ってこないから入手は不可能だ」という。「まったく不思議だ、不思議だ」と首をひねっていた。中国の書店で「毛沢東選集」が買えないとは俄かには信じられなかったが、結局、これが紛れもない事実だとわかった。改革開放の急激な変化について行けず、目の前で広がる格差と不正に憤慨しながらもなす術を知らない中年以上の人々に毛沢東や周恩来の時代を懐かしむ流れがあったのだろう。だが文革を発動し、恐ろしいほどの混乱と破壊を招いたご当人の著作は事実上の発禁処分になっていたものと思われる。いま、それが本屋で買えたとしても、看向銭に浸った中国の若者たちは堅苦しそうな(読めば面白いのだが)毛沢東の本などは見向きもしないだろう。

Re: 李登輝氏に中国から3億元

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/26 08:44 投稿番号: [1792 / 3149]
  李登輝氏は一介の農業学者から権謀術数の渦巻く台湾の政界に乗り出し、蒋経国に取り入ってついには総統まで上り詰めた人ですからタダ者でないことは確かです。中華民国総統となれば、袁世凱の例に倣って皇帝になることだって不可能ではありません。そういうお方には三億元ばかりの銭は何程の物でもないでしょう。
しかし、今の台湾は堂々たる民主国家として世界に認知されています。どこの国でもほとんど例外なく外国からの政治資金提供は法律で禁止しているはずで台湾も例外ではないでしょう。そうしたなか、三億元の動かぬ証拠が出てきて、李登輝さんがそれを認めたら台湾の国民は「バカな共匪を出し抜いた。えらい、えらい」と言いますかね。
もしそれが事実だとしたら、「そんなことがありうる事だろうか」と率直な疑問を呈したわたしは、unhoo先生から冷ややかに「中国や台湾のことなどは何にも判っちゃいないな」と言われても黙り込むしかない。

李登輝氏に中国から3億元

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/26 04:53 投稿番号: [1791 / 3149]
>李登輝氏に中国から3億元の資金というのは確かに「爆弾発言」だ。だが、そんなことがありうる事だろうか。
____________________

わしは、有りうると思います。共匪はみなバカですから。で、李登輝総統はお金だけ取っておいて、後は知らん顔してたんですね。えらい、えらい。

Re: 階段で転んだ。

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/25 18:32 投稿番号: [1790 / 3149]
陳・前総統が爆弾発言 】
陳水扁・前総統は24日の公判で、梅毒で強制退去となった黒人タレントの「チョコレート」と馬英九総統の親密な関係を写したCDがあったが、去年の総統選挙時に特捜班の検察官がこれを知り、謝長廷陣営に公開を中止させ、馬英九陣営に通報したと爆弾発言した。さらに、陳・前総統の自宅の捜索で李登輝・元総統が中国から3億元の資金を得た証拠を得ながら何もしていないと、これまた爆弾発言した。

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「チョコレート」の件はどうでもいいが、李登輝氏に中国から3億元の資金というのは確かに「爆弾発言」だ。だが、そんなことがありうる事だろうか。北京政府が当時の李登輝総統に「台独を放棄し、運動を弾圧してくれ、統一について話し合いたいから北京に来てくれ。この通り、カネは出す」とでも言ってきたのだろうか。中国は僅か三億元で台湾を譲り渡して貰える、すくなくとも李登輝が統一の話し合いに応じてくれるとでも思ったのだろうか。到底、ありうるべき話ではなく、陳水扁の妄言を信じる人はどこにもいないだろう。

Re: 階段で転んだ。

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/23 03:02 投稿番号: [1789 / 3149]
日本では電車の中で老人に席を譲る人はないようです。台湾では、わしがまだ60に達する前からバスで席を譲られるので、そんなに老けて見えるのかと戸惑った。しかしわしよりも5歳若い友人が、席を譲られて困ると言ったので、わしだけでないことがわかりました。

台北に市内および近郊を走る電車(捷運線電車)が走るようになったのはわしが70代の半ばに達してからですが、わしが車内に踏み込んだとき、満員でなくても入り口あたりに空き席がなければ、必ず座っている人が席を譲ってくれます。それもごつい男学生よりも、うら若い小姐が機敏に立ち上がって席を譲ります。

最近見た中国發のニュースでは、北京では老人が若者に席を譲ることが善い行為として奨励されているそうだ。若者は勉強したり仕事したりで疲れているが、老人は何もしていないから、老人は若い者に席を譲るべきだというのです。これは姥捨て思想の始まりですな。

町を歩いている人がつまずいて転んだら、台湾ではたしかに人がすぐ駆けつけてきます。

階段で転んだ。

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/22 19:07 投稿番号: [1788 / 3149]
  今月、張さんたちと新宿に行った帰り、小田急・町田駅の階段上がり口で張さんが転んだ。夕刻の雑踏のなか、わたしはその数段前にいて気づかず、一緒に歩いていた張さんの姪がすぐに抱き起こした。その直後はかなり痛がっていて二人で当人を両脇から支え、乗り換えの横浜線のホームまでたどり着いた。痛みは翌朝には引いて、帰国したあとで念のため掛かり付けの医者にレントゲンを撮ってもらったが幸いに骨折などはなかったという。
今日になって、無料の国際電話「スカイプ」でその話が出た。
「台湾では人が転べば周囲の人が足を止め、声を掛けてくれる。しかし、日本はそんなことはない」と言う。パパ譲りの「崇日」で、何かというと「日本はいい、台湾はダメ」という人の言葉だからこれはちょっとショックだった。たしかに、今のガサついた日本の都会では駅の階段上り口で足を踏み外して転んだ人がいてもすぐに声を掛け、介抱してくれる人はまずいないだろう。
台湾ではそれがあるらしい。国家社会がまだまだ健全な証拠だろう。

検査

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/21 16:59 投稿番号: [1787 / 3149]
   台湾はその外貨準備を始め、富裕な近代国家であることは疑いようもない。張さんはすでに帰国したが、いまだに解せないことがある。例えば、日本の量販店で電器製品などをを買ったとする。カードで買った場合は品物を受け取り、レシートにサインをして終わりだが、張さんからは以前、「日本では買ったときにどうして品物の検査をしないのか」とよく聞かれた。「日本は壊れたものは売らない」と説明して、それでとっくに了解したものと思っていたが、こんど、デジタルカメラを買ったときも「検査は? 検査は?」とわたしに聞いてきた。まさかとは思うが、台湾では店員が客の前で品物を箱から出して正常に作動するかどうかのチェックをするのだろうか。これがアフリカなどで中古の家電を売買する店頭でならそれも必要だろうが、巨大な消費社会であるはずの台湾では考えられない。多分、昔の台湾ではそういうこともあって、張さんが時代から大きく遅れているのだろう。もう歳だからやむを得ない。

Re: 外国語

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/20 05:38 投稿番号: [1786 / 3149]
ある日本人に「娘という字は、台湾ではお母さんのことです」と言ったらびっくりして、同席のわし以外の台湾人に「ほんとですか、ほんとですか」と尋ねた。わしへの礼儀を忘れるほどびっくりしたんですな。

ただし台湾語で新娘とは花嫁のことで、新しいお母さんという意味ではない。

娘という字は女性に対する敬語でもあった。道教の女神の名は、最後に娘の字が敬称としてつく。

漢字で書かれた万葉集でも、娘の字を貴婦人への敬称として使っている。

支那では娘の字をdaughterやgirlの意味に使うことはないようだ。

デパート

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/15 20:52 投稿番号: [1785 / 3149]
  昨日は「バレンタイン・デー」。何十年も昔からの菓子メーカーの力闘努力が奏功してこの日は三日前の「建国記念の日」などは及びもつかない日本の重要な行事になっている。残念ながらわたしには無縁のことでチョコの欠片すらありつけなかったが、先週、張さんたちと出掛けたデパートのバレンタイン特設売り場は凄かった。その日の厖大な需要をあて込んだデパートが欧州各国のチョコレートをメーカー別のブースに分けてショーケースに並べていた。照明を落とし、赤いカーペットまで敷いて高級感を演出してたのはさすが日本のデパート商法である。私も近くを通ったがその女だらけの場所立ち入ることは出来なかったので値段まではわからなかった。
デパートは貧乏人には用のないところだと言っては身もふたもないが、何一つとっても安物なんか置いていない。ただ、日本の深刻な高齢化はここにも及んでいて女店員もいい歳のオバサンばかりである。台湾のデパートでは当たり前の若くて可愛い小姐服務員は至って少ない。

Re: ビックリ台湾!?

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/14 19:08 投稿番号: [1784 / 3149]
  昨日、張さん一行が無事に帰国した。はとバスのコースで普段なら間違っても行かない帝国ホテルのバイキングも体験したが、そもそも帝国ホテルに闖入したのも初めてだ。ただ、バスの団体さんは裏口から入ってホテルの案内人に従い、17階のバイキングまでエレベータで直行である。はとバスの客を表玄関から入れてあの広大なロビーを渡らせるなどということはない。もちろん、立派なバイキング料理ではあったが外国人を一人も見かけなかったから、あれは主に団体向けで宿泊者には別の場所があるに違いない。その前日は電車を乗り継いで渋谷と新宿に行ったが帰りの電車はちょっと奮発した。新宿から出ている小田急のロマンスカーで、ホームに待機していたその電車に乗るのだと知った張さんたちは破顔一笑、嬉しそうな声をあげた。

Re: 焼きそば

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/14 09:57 投稿番号: [1783 / 3149]
  「焼きそば」とは「炒麺」のことで、中華料理ですからもちろん「蕎麦」ではありません。しかし、われわれはそれを「焼きそば」と言っています。たしかに「蕎麦」ではないので平仮名を使っています。
漢字の本場の人からみれば日本では相当に生半可でいい加減な漢字を使っていると思われているのではないでしょうか。「焼肉」とか「焼魚」と言いますが、焼けば灰になってしまいます。
「せっかく立派な文字を教えてやったのに意味もわからずに間違った使い方をしている」と思われているに違いありません。

徒手空拳の青年が日本に来て僅か二十年で多くの店舗を持つとは驚きですが、実は昨日、張さん一行と中華街を歩いていたら同じ場所にまだ「一号店」がありました。「梅蘭」で検索すれば出てきます。

「日本人は我々を商売の天才のように言うが、冗談じゃない。我々は逆立ちしたってソニーは経営できない」昔、横浜在住の華僑の人がそう言っていましたが、なんの、中国や台湾には多くの堂々とした大企業があり、商売に日本人も台湾人も中国人もありません。

Re: 焼きそば

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/14 03:58 投稿番号: [1782 / 3149]
その焼きそばは,蕎麦ではなくて、麺だろうと思いますが。なんだかそんな料理では、蕎麦ではだめだという気がする。

昭和11年の春から夏にかけての4ヶ月、プライベートな理由でわしは東京は阿佐ヶ谷の父の友人(台湾人)の家に厄介になっていました。そのときわしと仲良しになった5歳年上の台湾人の学生が、よく夕食にわしを「支那そば」食いに誘い出しました。双方自分で食った分は自分で払うという条件で、あの店この店と食い歩き、愉快な思い出になっています。商品名は支那そばでも、たいていは麺で、ごく稀に蕎麦の店があっただけでした。まだ子どもだったわしには、どちらでもよかった。あの時代の阿佐ヶ谷はまだ郊外で、広い原っぱが残っていて、すばらしかったですよ。

焼きそば

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/11 20:49 投稿番号: [1781 / 3149]
  20年ほど前、横浜中華街の裏通りにあった「梅蘭」という小さな店に紛れ込んだことがある。二十代の若い男が廃業した寿司屋の店舗のまま借受け、改装もせずに脇に調理のガスレンジを置いて、「焼きそば」を作っていた。なんと、メニューはその「焼きそば」だけだという。聞けば中国から来たばかりで日本語も覚束なかったが、その「焼きそば」は肉や野菜を炒めた具が揚げた麺に包まれているという日本人には目新しいものだった。
今、彼の店は横浜と東京に十数店舗を構え、今日、はとバスで張さん達と行った「六本木ヒルズ」にも彼の豪華な店があった。店の前のスタンドには多くの中国料理を網羅した立派な装丁のメニューが置いてあったが、その第1ページにはあの「焼きそば」が大写しで載っていた。
めでたいと言うほかはない。

Re: 外国語

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/11 08:09 投稿番号: [1780 / 3149]
  東京や横浜あたりしか知らないが、近頃のJR鉄道の駅名表示にはローマ字と中国の簡体字、さらにハングル文字が併記されている。ローマ字は世界中の人が読めるから当然としても簡体字とハングルの表示にはちょっと驚く。「別にそこまでしなくても」という気もするが、その「費用対効果」は大きなものだろう。事情の知らない初来日の中国人や韓国人が見たら驚天動地の出来事に違いない。「日本人にこれほどの大度があるとは知らなかった。われわれの言葉で駅名を表示してくれるとは…。わが国の駅には日本語の表示など逆立ちしたって見つからない。これは日本人を考え直さなければならんぞ」と思ってくれるに違いない。そう思いたい。

Re: 外国語

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/10 22:13 投稿番号: [1779 / 3149]
「漢文」は高校になると選択科目ではあるが独立した教科になっている。しかし、これは「中国語」として教えられるのではなく、語順を変え、すべて「訓読み」、つまり日本語として学ぶのである。昔の日本人は「レ点・一,二、三」などの印をつけて語順を変え、外国語の書物を直接、日本語で読むという奇想天外なことを考え出した。もちろん、当時は比べようもない文化先進国の書を読みたいとする欲求が産み出したものに違いない。したがって、訓読みの漢文を中国人が聞いても何を読んでいるのか絶対にわからず、さらに現代の中国人の大多数が、教養のある日本人の多くが日本語で古代の漢文を読むことができるとは知らないだろう。

外国語

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/10 21:28 投稿番号: [1778 / 3149]
  昨日、張さんの姪が薬局で「乳酸菌・新表飛鳴」と書いた紙を女店員に見せたが、相手は首を傾げるばかりで、結局買えなかったという。その紙片を今日になって見せてもらった。「表」は一応、「ピャオ」と発音するとして、「飛」は「飛機」の「フェイ」だと知っていたが、「鳴」がよく判らない。取りあえず音読みで「メイ」と読めば「新ピャオフェイメイ」とあいなる。さらに「乳酸菌」という漢字に助けられて、これは「新ビィオフェルミン」の事だと判断できた。この薬は有名で日本では誰もが知っている。
薬局の店員を責めるつもりはないが、「これは乳酸菌製剤のことで、新○○」のことだと推定すれば、新ビィオフェルミンを取り出して「これですか?」と応対できるはずだが無理だったのか。薬局の白衣は着ているが商品知識もなく気が利かない女店員は困りものだ。

テーマが「外国語」と大きいから続編も書きたい。

Re: お正月がやっと終わる

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/09 08:43 投稿番号: [1777 / 3149]
  昔の「台湾旅行ガイド」には必ず「マル公園」が載っている。「公園と言ってもロータリーの中の屋台街で、どの店もびっくりするほど安くておいしい」などというのが決まり文句だ。何度か行ったが、そんなに安くもなかったし、味などは覚えていない。ただ、どう考えても市有地に違いないはずのこの屋台街がなんと戦前からあったというから驚きである。これは台湾からの帰路、台北で少年時代を過ごした人から直接聞いた話だから間違いはないだろう。当時の警察は相当に厳しかったと思うが、最初は饅頭やアイスキャンデーなどの担い商いから始まって次第に既得権化していったものと推測する。不法占拠の露天市場がいよいよ撤去となると市有地に公設市場を作って安く賃貸するようなことがあるがマル公園もその類だろうか。

これも伝聞だが、戦前の台湾では小学生が学校の帰りにアイスキャンデーなどを買い食いしたのが見つかったら翌日は職員室に呼ばれてこっぴどく叱られたという。家に帰り着くまでは就学中とされたのだろうが今の台湾でもそうなのだろうか。もちろん、今の堕落し、形骸化た日本の教育現場では考えも及ばないことである。

「買い食い」で叱られたのは小学生ばかりではない。昔の軍隊は初年兵を引き連れて野外の行軍がよく行われたが、これには決まって「買い食い事件」がおきる。休憩になると初年兵が甘いもの食いたさにその辺りの店に飛び込み、大福だの今川焼きだのを隠し持った銅貨で買って、ムシャムシャと頬張る。そのときは引率の下士官や古年兵は何も言わない。だが、兵営に帰り着いたら最後、全員が猛烈なビンタを喰らうのである。わたしは長い間、ビンタとは平手打ちのことだと思っていたが、握りこぶしで殴るのだと知って驚いた。ところが、さらに驚いたことに、戦前か、戦時中かは聞き漏らしたが、陸軍内務班ではそうした暴力が「私的制裁」とされて厳重に禁止されたと当時の体験者から直接聞いたことがある。ただ、それも一部の一時的現象だったのではないかと思わざるをえない。昔から欧米の軍隊ではナチスドイツも含めて大声で怒鳴ることはあっても殴る蹴るの隊内暴力がない。旧軍との違いが際立つがどこに原因があるのだろうか。

話が大きく逸れてしまった。

お正月がやっと終わる

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/09 02:10 投稿番号: [1776 / 3149]
今から50年前の台北は、円公園と呼ばれていた建成円環が唯一の夜市だった。そこにある屋台店は、旧正月の数日前から休んで、上元(旧暦一月十五日)が過ぎてから、やっと復業するのが多かった。一年中働き続けだったから、旧正月は故郷の田舎へ帰って、のんびりと休んでいたのだろう。商売道具のテント小屋、食卓、腰掛は、自分の「領土」に置き残す。腰掛は食卓にさかさまに置いて、縄でくくりつけておく。食卓と食卓も縄で結わえておく。そうしただけで、誰も彼の領土を侵犯せず、テント小屋や腰掛や食卓を盗む人もなく、警察や政府も干渉しなかった。今考えるとすこぶる不思議なので、わしの記憶違いがあるのかもしれない。

Re: ビックリ台湾!?

投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/02/03 09:20 投稿番号: [1775 / 3149]
春節連続休暇明けの昨日、失業保険給付申請が昨年の30倍、1.2万人だったそうです。
地方都市のIT関連のリストラが多いようです。
まだまだ続く不景気世界でしょうか・・・。

Re: ビックリ台湾!?

投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/02/02 11:17 投稿番号: [1774 / 3149]
やっと今年の春節期間連続9天の休みも明け、本日が本当の意味の「開工」の日で、各地で爆竹の音でかなり煩いです。
恭喜發財。

昨日、中視(テレビ局)を見ているとダンスコンテストの節目(番組)に審査員として、通訳付きでTRFのSamさんが出ていました。優勝賞金NT$100萬元(約270万円くらい)。

あと、NHK朝の連続テレビ小説のリバイバルが放映されます。著作権切れでしょうか?1991年、鈴木京香と倉田てつお出演の「君の名は」です。台湾では、「阿信(おしん)に次ぐ知られた作品です。たぶん・・・。数寄屋橋の予告編が流れていますが、鈴木京香は、若くスリムです。

Re: カシオしか買わない

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/29 16:49 投稿番号: [1773 / 3149]
>昭和一桁時代に子どもにいちばん人気のあったおもちゃは、歯車仕掛けのおもちゃでした。たとえばブリキ製のおもちゃの自動車…

これがいまでは恐ろしいほどの高値を呼んでいて、状態が良ければ戦前のモノなら数十万、戦後のものでも五万、十万はザラです。熱心な蒐集者がたくさんいるんですね。2、30年前、アメリカで古い玩具が高値で取引されているのを知った一人の日本人がいました。これはカネになると気づいた彼は全国の玩具屋をクルマで回って、古くなって売れなくなった玩具を大量に集め、今では大変な金持ちになっています。何事も先手必勝です。

昔から腕時計は実用より趣味と贅沢の道具になっていますね。ダイヤをちりばめたローレックスがありますが、それはローレックス社の認可を受けた香港の時計工房が改造したもので、スイスでは造っていません。この時計の需要はほとんどアジア地域に限られていて、華僑や中国人が主な得意先だそうです。カネを出せば誰でも買えるものを見せびらかすのは読書人のやることではないのですが、ダイヤのローレックスは悪趣味もいいところです。

以下の時計は「グランド・セイコー」の最上級品ですが機械式ではなく「クォーツ」です。もちろん、「はい、これはクォーツでございますが、このシリーズには機械式も揃っています。いえ、むしろ、そちらのほうがお安くなっています」という精工社の慇懃な声が聞こえてくるようです。

http://www.seiko-watch.co.jp/gs/collection/detail.html?pid=SBGX019

カシオしか買わない

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/29 11:33 投稿番号: [1772 / 3149]
わしは東京へ行くたびに、秋葉原の道端でカシオの使い捨てウォッチを買っています。電池が5年持つとか7年持つとか宣伝しています。5年、7年と使うと、プラスチックのベルトが老化して切れることがある。

二十数年前に日本がクオーツ時計の製造に成功して、スイスの機械時計が壊滅に瀕したとき、必死に「クオーツ時計は玩具に過ぎない」とデマ宣伝をして、世界の人を騙し、滅亡を免れたが、わしから見れば歯車仕掛けの時計こそ時代遅れのおもちゃです。

昭和一桁時代に子どもにいちばん人気のあったおもちゃは、歯車仕掛けのおもちゃでした。たとえばブリキ製のおもちゃの自動車、ぜんまいを巻き上げると、歯車仕掛けでたった5秒ぐらい走ります。現在の機械時計は原理的にはそれと同じです。そんな物を目玉が飛び出すような大金で買って、自慢し合っているのです。(バカだなあと言いたいけれども、礼儀上自制しています。おっと、言ってしまった。)

精工表

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/24 11:14 投稿番号: [1771 / 3149]
  人は何事も身分相応にするのが無難だが腕時計は維持費がかからないし、毎年の税金もないからちょっといい時計を持つくらいは構わないだろう。もう何年も前だが、張さんの母親にSEIKOの腕時計をプレゼントしたことがある。老婆だから安物でいいというわけにはいかない。張さんの一族が必ず「どんな時計か」と注目するだろうし、文字盤にSEIKOと入っていれば日本円一万や二万では買えないのは台湾人も知っている。「わたしはこの歳になって初めて腕時計をはめた」と感謝してくれたのにはこちらが嬉しかった。

台中の巨大なレストランでは何人ものウエイトレスが申し合わせたようにローレックスを填めていたが、この時計は最低でも40万円くらいはするから彼女たちには大変な「物入り」だったに違いない。ウエイトレスがローレックスをはめてはいけないということは絶対にないが、時計や眼鏡には「時と場所」があり、一流のホテルやレストランだったらオーナーや店長から厳しく禁止されるだろう。

Re: ビックリ台湾!?

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/22 02:54 投稿番号: [1770 / 3149]
>今回のいわゆる「禁煙法」は、平和ボケしている日本からの喫煙者には、我慢が出来ないようですね。

わしは非喫煙者だから、平気ですがな。

Re: ビックリ台湾!?

投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/01/21 12:22 投稿番号: [1769 / 3149]
今回のいわゆる「禁煙法」は、平和ボケしている日本からの喫煙者には、我慢が出来ないようですね。
某サイトでは、この話が持ちっきりです。世話が焼けます・・・。

Re: 就学率

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/17 15:32 投稿番号: [1768 / 3149]
  三義の小学校校庭でおこなわれた結婚式の披露宴に参加したとき、無人の校舎に「侵入」して教室を見回ったことがある。無人だから授業参観とはいかないが、壁の様々な張り紙から台湾の教育の一端は窺い知ることができた。数名の「優等生」と「不良生徒」の実名がその理由とともに書き込まれた張り紙があったのには驚かされた。これは日本にはない「制度」だが、外国のことだから批評は避けよう。台湾の教育水準は世界的にも高く、それが繁栄する台湾の基礎にもなっているのだが、この反作用として弊害著しいアジア的学歴社会を作り上げているのも事実である。

  日本はすでに受験生より「定員」の方が多い大学過剰状態になっていて、この時期の電車の車内は名も知れない私大の広告で溢れている。小学校の国語の教科書が読めれば合格まちがいなしの「大学」はいくらでもあって、卒業した大学名を口にしない人がいるのも情けない。

Re: 就学率

投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/01/16 05:49 投稿番号: [1767 / 3149]
unhoo様:
昭和19年3月、戦争たけなわの時期の本島人師弟の初等教育の就学率は
71.15%で、原住民のそれは83.38%となっています。アジアで
この率は内地を除いて第二の高い就学率をもっていました。ただ本島人の
学生は放課後遊べなくて、直ぐ家に帰り、農業などの手助けをやりました。
3年間本島人の師弟が放課後、田畑で仕事をしているのを頻繁にみたものです。ところが、昭和20年4月に勤労奉仕や中等学校学生で軍隊兵舎の中
で多くの本島人同期と会うことになり、24時間一緒に過ごしたので、同じ
境遇になりましたね。私は古い木製の小学校校舎と比較して二つの公学校
の校舎が新しく近代的で広いのが羨ましい限りでありました(鳳山西公学校と大東国民学校、ともに本島人専門校)。

Re: 踊子

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/11 21:57 投稿番号: [1766 / 3149]
  戦後、この川端作品は当代の人気少女が抜擢され、美空ひばり、吉永小百合、山口百恵などが「踊子」を演じている。もう30年も前になるが、香港の映画館で内藤洋子の「伊豆の踊子」を上映していた。わたしは、この旅芸人の踊子と学生の淡い恋という、それも伊豆の山々や温泉地を舞台にした日本的情緒満点の映画に香港の若い人がどんな反応を示すだろうか、と興味を持ち、入場しようとしたが上映中ということで切符を売ってくれなかった。日本ならどんなに混んでいても平気で切符を売るが、おそらく日本の方が例外なのだろう。

「伊豆の踊子」はもう映画化されることはあるまい。この平成の御代には「日本的情緒」など、どこを探してもない。

踊子

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/10 20:22 投稿番号: [1765 / 3149]
聞き比べたところ、こちらのほうが良かったので再度の紹介です。押し付けがましいようだったら陳謝、陳謝。

http://jp.youtube.com/watch?v=nJtUTKVeNUc&feature=related

Re: 「学生さん」が調子を出しすぎ

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/10 20:12 投稿番号: [1764 / 3149]
  戦前の大学生は「学士様」として世間から尊敬を受けていました。これが陸軍大学、海軍大学なら下にも置かれないほどの超エリートでしたが、今の三流大学ではろくに字も読めないバカが溢れています。


「踊子」三浦洸一

http://jp.youtube.com/watch?v=xrOmmyZki20&feature=related

Re: 幻の皇民化教育

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/10 13:28 投稿番号: [1763 / 3149]
なんじゃらほい。『小林総督も黄さんも今は亡い。だからわしだけしか知らないこの秘話を公開するのである』などとマジ(「まじめな話」という意味の俗語)で締め括られては、まさか冗談とは思えず、露ほども疑いませんでした。「高橋、これ着よ」の報復を受けましたかね。ただ、戦時中は特高も「マジ」で張り切っていたと思いますから、「前総督の殺害計画」なるものを聞き出したら何十人もの拘引者が出て、白状するまで凄惨な拷問が続き、到底、「冗談」では済まなかったでありましょう。

子供の頃、住んでいた家の近くに、髭を生やして偉そうにしていた老人がいました。実際、いかにも恐そうでしが、近所の人が「あの人は特高だったんだよ」と言っていたのを思い出しました。あんなのに捕まったら生きた心地もしなかろうと思うような雰囲気がありましたね。


  蒋介石とその手下が支配していた頃の台湾にも恐ろしい「特別警察」があったと思いますが、これを一掃して今日の民主台湾を切り開いた李登輝さんは立派でした。わたしの初訪台はまだ戒厳令下で、町中に政治スローガンを書いた立て看板などがあり、それらを8ミリ映写機で撮影した記憶があります。
民主化が実現した現在の台湾では、馬政権になっても当面は「台独人士」が不当に弾圧されるようなことはないでしょうが、この「親中政権」に対しては中国が硬軟両用の様々な政治干渉をしてくることでしょう。台湾の指導者はやはり台湾人のほうがすっきりしていていいと思いますが、前総統はあまりにも力不足で政治家としての能力に欠けていたようです。

「学生さん」が調子を出しすぎ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/08 18:09 投稿番号: [1762 / 3149]
tokyo_cachito3 さん

小林総督暗殺計画は冗談ですよ。

川端康成の『伊豆の踊り子』では、主人公の旧制高等学校の学生が、どこへ行っても学生さん、学生さんと尊敬されていますね。大正や昭和の初期では実際にそうだったのです。で、「学生さん」の一人である黄先輩は、恭しく別れの挨拶に来た後輩の凡才君に、初めは先輩として激励の言葉を述べていたが、だんだん調子を出しすぎて、あんなことを言ってしまった。それを凡才君は本当だと思って、泡を吹いてしまった。

しかしいくら凡才でも、三、四日後には落ち着きが出て、笑ってしまったでしょう。

何十年もたって、わしが黄先輩に出会ったとき、あんな大法螺を昔吹いたことを覚えているか知りたくて、質問してみたのです。そしたらちゃんと覚えていて、ぺしゃんこになって恥じ入りました。

今頃tokyo_cachito さんが記者会を開いて、「知られざる大東亜戦争秘話」を尾ひれをつけてとうとうと演説してるんじゃないかと心配です。

なお、台湾のために特別に編成された皇民化教育は存在しなかった、実際は日本国内の国民教育にだんだん近づいただけだのだとわしは主張します。「皇民化教育」は実在せず、幻にすぎないとわしは申すのであります。

Re: 幻の皇民化教育

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/07 22:58 投稿番号: [1761 / 3149]
驚くべきお話です。これぞまさに、長く続いた「ビックリ台湾!? 」の嚆矢でありましょう。昭和17年の三月ならば「大東亜戦争」も勝ち戦の真っ只中で、シンガポールも陥落して「勝った、勝った」の興奮状態の最中です。
台湾も戦時の緊張はあったでしょうが、不穏な動きもなく、内政は安定し、「南進」の基地としてなんの問題もなかったと思っていました。しかし、台湾の青年のなかには「皇民化」に憤り、その「下手人」である前総督を殺害せんとする動きがあったのですか!

unhoo先生も強圧的な皇民化に憤る同世代の台湾青年たちの心情は理解できたのではないでしょうか。

しかし、その黄さんも内地に勉強に行こうとする後輩に「君たちに任せる、しっかりやれよ」はちょっと無責任な気がします。

植民地統治など所詮は支配と被支配の関係で、支配されるほうは面従腹背、いずれ支配者は出て行くというのが歴史の真実でした。

幻の皇民化教育

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/07 21:39 投稿番号: [1760 / 3149]
小林躋造総督(任期:昭和11年9月2日〜15年11月27日)は皇民化教育を強行したと言われ、彼自身も皇民化教育を大いにやったつもりでいた。今でも日本人も台湾人も、小林総督は皇民化教育というワルイことをやったと言っている。

そこで皇民化教育の内容はと調べてみると、明治以来日本の政府が日本国民に対して行った教育と同じだとしか思えない。日本政府が日本国民に対して行った教育は、すべて皇民化教育であった。日本政府には皇民化教育でない教育哲学はなかった。皇民化教育でない教育を行う人材もなかった。ただ日本国内では皇民化教育という言葉が発生しなかっただけだ。

小林総督は台湾でこれまでよりももっと日本国内の教育に近い教育を行っただけなのに、自分では特別な教育をやったのだと思い込んで、皇民化教育という言葉を発明して得意になっていた。やがて小林は皇民化教育をやりすぎて島民の反感を買っているという声が内地の政界に起こり、総督が長谷川清という海軍大将に変えられた。ちなみに、小林総督も海軍大将であった。

後を受けた長谷川総督の教育政策は、皇民化という言葉をあまり出さないことにしただけだけなのだが、本島人は今度の総督のほうがいいと言い出した。

小林総督は、「皇民化教育」をやったために、一度暗殺の危機に遭遇した。そのいきさつはこうだ。昭和17年の三月のある晩、旧制中学を卒業したばかりの本島人友人がわしを尋ねてきて「俺は学力不足で、台湾の上級学校に受かる自信がないから、内地の受かりやすい学校へ申し込んだ。君とはこれでお別れだ。また会うのは何年先かわからない。お元気で・・・」。ところが一時間後に彼は真夜中の拙宅の門を叩いた。非常に慌てた様子で、馬のように口から泡を吹いていた。「君と別れてから、先輩の台北高校3年の黄さんに別れの挨拶に行ったんだ。そしたら黄さんが言うには、お前内地へ行ったら小林躋造を暗殺せいと言うのだ。あいつは歴代の総督のうちでいちばん酷いことをしたんだ。俺たちの仲間はずっと前からあいつを暗殺しようとしていたが、台湾では警戒が厳しく隙がなかった。内地なら警戒がないから、君たちに任せる。しっかりやれよ・・・と言われた。内地行きの船は明日の午前基隆出帆だから、さよなら」と後も見ずに立ち去った。

黄さんから重大使命を負わされたわが友は、日本の受かりやすい学校にも受からず、東京で一年浪人することになった。東京の冬が来て、彼は馴れぬ寒さのため、肝炎でで他界した。

戦後三、四十年もたった。わしは黄さんとは親しくなかったが、学生時代は顔見知りであった。ある席で黄さんに会った。機会を捉えて「戦争中東京で亡くなった友人は、日本へ行く前に、あなたから小林総督暗殺を命ぜられたと言いましたよ」と言った。黄さんはぺしゃんこになって、人差し指で自分の頭をさして、くるくる回した。これは台湾では自分の阿呆を認めた時のしぐさである。小林総督も黄さんも今は亡い。だからわしだけしか知らないこの秘話を公開するのである。

Re: 就学率

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/07 09:16 投稿番号: [1759 / 3149]
明治42年=1909年の台湾における「公学校」の就学率は僅か5.54%に過ぎず、しかも女子の場合はその三分の一程度とされるので、僅々2%に満たない女子にしか教育が施されませんでした。同時期の内地の就学率は凡そ40%ですから、これはやはり植民地の台湾人に対しては、少なくとも明治期には初等教育すら考慮されなかったことになります。
わたしは台湾の老夫妻の夫の方が流暢な日本語を話し、その太太は殆ど話せなかった例をいくつか知っていますが、その理由についてはこれで氷解しました。つまり彼女達は就学せず、日本語教育を受けていなかったのです。
昭和も二桁になって戦争の時代になると「皇民化」政策により、初等教育も急速に整備、普及していきました。

http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2003/0308/ronbun1-2.html
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