ビックリ台湾!?

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Re: 誰もが騙される

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/10 19:23 投稿番号: [1838 / 3149]
  ちょっと説明不足だったかも知れませんが、この「バラエティ番組」というのは出演者全員がテレビタレントで応募の一般視聴者ではありません。ですから、どんないたずらでも許されるのです。昔は宝くじ一等一億円のいたずらなんかもありました。これを専門にやっていたのが「ドッキリ・カメラ」でした。発祥はアメリカの「CANDID CAMERA」で、台湾にも同様の番組がありました。日本人は生真面目でユーモアがないなどと言われてきましたがとんでもない誤解です。

Re: 誰もが騙される

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/10 18:57 投稿番号: [1837 / 3149]
そんなのは、冗談として許すことのできる範囲内ではないと思う。テレビを見ている人たちも笑わずに、苦い顔をするのじゃないかね。

誰もが騙される

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/10 15:55 投稿番号: [1836 / 3149]
   お笑い系の安いタレントを集めたバラエティ番組はどこの局でもやっている。こんなものをハイビジョンの大画面テレビで見る価値があるのかと思うが、先日のやつは一捻りがあって面白かった。わずか四問のクイズ正解で200万円の現金をくれるという。しかもその200万円がパネルに貼り付けられていて興奮した出演者が一斉にその現金に駆け寄った。話はマジである。司会者はさらに、100万の札束の入った封筒を掲げ、三問正解でも100万をプレゼントするというからスタジオには緊張が走る。問題は比較的やさしくて、三問正解の女の子が二人残った。彼女たちの興奮度はさらに跳ね上がった。四問目はやたらに難しくて正解者なし。司会者は二人で50万づつ分けてくださいとその封筒を女の子に渡した。

封筒の札束を取り出した女の子はキョトンとしていた。韓国の一万ウォンが100枚はいっていたのである。日本円でたかだか7万5千円だ。司会者は「100万とは言ったけど、100万円とは言ってませんよ」とクギをさした。
パネルに貼った200万円がすばらしい騙しのシチュエーションになっていたのである。これが台湾なら番組としての効果はさらに大きい。

シチュエーション【situation】
1 境遇。立場。状態。2 事態。形勢。局面。3 小説・劇・映画などで、筋を展開させるために設定された状況。

四月五日午後九時?

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/06 12:43 投稿番号: [1835 / 3149]
時差を忘れている。わしが午後八時すぎ、テレビドラマを見ている奴からチャンネル権を取り上げて、NHKのチャンネルにしたら、立派な髭を生やした後藤新平が出てきた。結局見たのは後半だけ。日本で放送された原版には蒋介石による台湾人虐殺があったが、海外版では削除されたんだそうだ。

台湾人は豚のしっぽを食うってほんとかいと老妻に聞いたら、ほんとよ、とってもおいしいのよ・・・。わしは食ったことないが、生涯食わなくてもいいよ、一億人以上の日本人が二千年来食ったことがないじゃないか。

わしの小学校では本島人学童が5%以下、弁当のおかずを内地人の学童が覗きに来ることはなかった。台北一中の内地人生徒が本島人生徒の弁当を覗いたのか。人間としてのマナーがないな。それはそうと、弁当というものは日本人の発明で、日本人の家庭のおかずは弁当に詰めて冷めた後も風味が落ちないものがいくらでもあるが、弁当というものがなかった台湾人の家庭のおかずは、弁当に詰めたら不味くて食えないものが多い。たとえば豚肉の角煮がそれ。

台湾人はみなし子になった?北一中の本島人生徒は士気がないな。戦後、日本への熱情は片思いだったと思い知らされたことは事実だが、そうわかれば台湾人としての自立を志せばよい。

Re: 四月五日午後九時

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/06 10:56 投稿番号: [1834 / 3149]
「我々は孤児(みなしご)にされたんだ」「命をかけて国の為に尽くしたんだよ。それなのに…」テレビカメラの周りに集まった日本語世代の年配者が嘆いていた。「それなのに…」のあとが続かないのは悲痛である。「差別を受けた」と激昂する人もいた。
摂政宮が台北の神社を参詣するシーンがあったが、今の園山大飯店あたりだろう。

四月五日午後九時

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/04/04 19:39 投稿番号: [1833 / 3149]
NHKスペシャル   シリーズ   JAPANデビュー   第1回「アジアの“一等国”」

1895年、日清戦争に勝利した日本は、初の植民地として台湾を支配した。敗戦まで半世紀に及んだ台湾統治の実像に迫り、近代日本とアジアの関係の原点を探る。
1895年、日清戦争に勝利した日本は、初の植民地として台湾を支配し、敗戦まで半世紀に及んで統治した。1930年代後半になると、台湾人を強制的に日本人へと変える皇民化政策が進められ、多くの台湾人が日本兵として戦場に送り込まれた。日本統治時代を生きた台湾の人々の証言、近年台湾で発見されたフィルム、2万6000冊の台湾総督府文書などを手がかりに統治の実像を明らかにし、近代日本とアジアの関係の原点を探る。

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  当時の貴重なフィルムの予告映像を見たが、こうした番組はNHKでなければ出来ない。台北の街頭では地元の年配者が日本語で話をしていた。話の途中、急にこわい表情で「日本は酷い」と声を荒げたのには驚いたが理由は聞かずともわかる。明日、見たあとでここに感想を書きたい。

ペスト菌予告

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/04/03 12:44 投稿番号: [1832 / 3149]
このトピ、もし落ちそうになったら、こんどはペスト菌のことでも書くほかない。ペスト菌はコレラ菌より単純でわかりやすい。

コレラ菌

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/31 02:22 投稿番号: [1831 / 3149]
コレラ菌の研究はまだ医学的に解決していない。たいへん複雑な一大学問であることがわかりました。コレラ菌に効く抗生剤もまだない。しかしコレラ患者に水と電解質の補給を絶やさぬようにすれば、死亡することはない。半世紀前の台湾コレラのことで検索した結果、ちょっとした素人コレラ学者になりました。電解質とは何ぞや、素人だからもう忘れた。

Re: 台湾コレラに、ついて

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2009/03/29 08:02 投稿番号: [1830 / 3149]
unhoo様

  お気遣い有難う御座います。   もう半世紀近く前の事です。

  前に記したとうり、姉は痴呆症になり昔の事は全然解りませんので

  困っている状態ですので察して下さい。仰るとうり記録は、のぞめません

  がもしかしたらと、思い書き込みました。

  どうぞご自愛の程を。

Re: 台湾コレラに、ついて(訂正)

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/27 13:21 投稿番号: [1829 / 3149]
今から37、38年前のことだし    (間違い)
今から47、48年前のことだし    (と訂正)

前回は計算違いでした。今から半世紀ほども昔のことですね。ため息が出ます。あの時20歳の若い看護婦だった女性は、その後如何なる人生を渡って、今は幸せな生活を送っているだろうか・・・と。

Re: 台湾コレラに、ついて

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/27 05:49 投稿番号: [1828 / 3149]
今から37、38年前のことだし、日本から医療チーム派遣というのでは大事件ではないので、当時の記録が発見される可能性はほとんどゼロです。当時一緒に働いた台湾人看護婦の名前や年齢がわかっているのですか。

Re: 神馬

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/19 09:55 投稿番号: [1827 / 3149]
さすがにインターネットである。ちょっと不鮮明だが台中神社の神馬を見つけることが出来た。

http://blog.goo.ne.jp/taiwankatakura/e/c4c3a348eee1b712dd4b1d63d7817ffd

Re: 神馬

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/18 15:10 投稿番号: [1826 / 3149]
  先生からのご指摘で「神馬」と入力してちょっと調べてみたが、神社にある馬は神が乗るもので武将は関係ないらしい。皇居前広場の楠正成や仙台の青葉山公園にある伊達政宗は立派な馬に乗っているので「あれにも武将が乗っていたに違いない」と勝手に判断し、とすれば鞍もあったはずとこれも思い込みで不正確なことを書いてしまった。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/d/d5/%E7%A5%9E%E9%A6%AC%E5%83%8F.jpg
「神馬」の写真を見つけたが、台中公園にあった馬の銅像は力強く生き生きとした実に見事なもので、この写真にあるぼってりした生気のない馬ではなかったことは確言しておきたい。
戦後、こうした「職人技」は目を覆うばかりに廃れてしまって、あの漫画のような「馬」でも護国神社に堂々と奉納して恥じることもない。。

神馬

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/18 12:29 投稿番号: [1825 / 3149]
わしは昭和一桁の小学生時代を高雄市で過ごし、高雄神社は遊び場所のひとつであった。だから高雄神社の境内に馬の銅像が二匹あったことをよく覚えている。その馬は実物大で、石の台(中身はコンクリート?)に乗っていた。馬だけで、騎馬の人物はなかった。馬に鞍があったかどうかは覚えていない。神馬は「しんめ」と読むのだと記憶していたが、今回確かめて間違いないとわかった。

Re: 鳥居

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/15 17:05 投稿番号: [1824 / 3149]
さて、ちょっと気になったので加筆したい、その二頭の馬にそれぞれ武将が乗っていたとして、一人は尊皇一途の楠正成に違いあるまいが、もう一人は誰だろう。戦前、足利尊氏は逆賊として忌避されていたから彼ではないだろう。源頼朝あたりが無難だろうか。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のなかでなら、秀吉だろうか。

Re: 鳥居

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/15 16:41 投稿番号: [1823 / 3149]
鳥居は大きく分けて二種類あるという。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85
台中公園のものは神明鳥居に間違いなさそうだ。「ウィキペディア」で仕入れたばかりの知識だが、「笠木」とは鳥居の一番上の横柱を言う。「なーるほど・ザ・台湾」によると、台中公園の芝に寝かせてあるその「笠木」には「台中神社」という字が縦に彫ってあるから、それが笠木であるはずがないという。だが、それが柱だとすると余計おかしなことになる。鳥居は四本の柱を組み合わせたもので、それらの寸法の違いから、やはりそれは「笠木」でいいのではないかと思う。

さて、話は33年前に戻る。今でもハッキリ覚えているが、初めての訪台で区公所に勤務の張さんと知り合い、台中公園に案内していただいた。
「ここは昔、神社があったのです。銅で出来た大きな鳥居がありました」
「鳥居は今もありますか」
「今はありません」
という会話を覚えている。グーグルアースで見ると、それも「寝かせた鳥居」のあたりだ。ただ、その時はそれがあったのかどうか気がつかなかった。しかもそれは木製で銅ではないようだ。その近くに、向き合った二頭の堂々とした銅製の馬がコンクリートの台座の上にあって、鞍に彫ってあったはずの紋章がグラインダーで削られていたのも覚えている。おそらく、その馬上には有名な日本の武将が騎乗していたのだろうと推測するがどうだろうか。鞍をつけた馬だけでは不自然である。だとしてもご当人たちはとっくに馬から下ろされて行方はわからない。

台湾コレラに、ついて

投稿者: yuwfui 投稿日時: 2009/03/14 09:13 投稿番号: [1822 / 3149]
   natunokaze様

  昭和36〜37年頃台湾でコレラが流行り、日赤(日本赤十字)から

  医療チームが派遣されました。人数は判りませんが、私の姉も看護婦

  として台南へ行ったそうですが現在病気で何も覚えて無いようです。

  10年前在台当時に調べようと思いましたが、何の伝手も無く方法

  も判らず諦めましたが、心残りです。日赤が治療を施した病院名

  や一緒に働いた台湾の看護婦の方々の消息を、知る術はないですか?

Re: デジタルカメラ

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/13 10:40 投稿番号: [1821 / 3149]
unhoo先生

  ご自分で現像をされたとなれば、昔の貴重な写真を大量に保管されているのではないかと思います。わたしも一眼レフは持っていますが、もう全然使わないでカメラバッグに仕舞い放しにしておいたらボディにカビが生えていました。冷蔵庫に入れておいたフィルムもいつ捨てたのか、もう姿はありません
銀塩カメラは今でもカメラ量販店の片隅に置いてはありますが、それも何十万もするプロ用の高級一眼レフに限られていて、売れている様子もありません。捨てるわけにもいかないからというのが店の本音でありましょう。銀塩カメラが姿を消したと言っても、日本のカメラメーカーはすべてデジタルの移行に成功し、厖大なレンズ群はそのまま継承できるわけですからメーカーには何の問題もないはずです。こうした技術の蓄積があらばこそ今のところは外国の追随を許さないわけですが、半世紀後にはどうなっているかわかりません。なにしろ、アメリカ繁栄の象徴であった、あのゼネラルモータースも倒産するかどうかの瀬戸際に立たされているわけですから。

Re: デジタルカメラ

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/13 09:20 投稿番号: [1820 / 3149]
  カメラや電器製品の大手量販店で買い物をしたとき、「会員カード」を見せると即座に電脳で一点一円の「ポイント」をつけてくれる。次回からの買い物でそれを引き出して使えるのだが、だったら始めから値引きしてくれればいいと思うのは私ばかりではあるまい。ただ、店側にとっては、これで客がまた確実に来てくれるという素晴らしいアイディアである。インターネットの店舗はそうした「小細工」はないが、そのポイントを計算に入れても量販店よりさらに安いのが普通だ。

  先月、張さんとその姪が来た時、ビックカメラでふたりに腕時計を買ってあげた。その前日、姪っ子にはインターネットで買っておいたビデオカメラをあげたので、張さんには別にデジタルカメラを買ってやる約束をした。とにかく、それでバランスがとれる。ところが張さん、「高い時計を買ってもらったから、カメラは要らない」と殊勝なことを言う。わたしも「あっ、そう」と、にべもない返事をした。本人も言ったあとで「しまった」と思ったことだろう。黙っていれば、その店でカメラが買えたのである。時計を二個も買ったからカードには一万二千円の「ポイント」がついた。翌日、それを張さんに言ったところ、「たとえば、それにお金を足してカメラが買えるか」と聞く。もちろん「買えない」とは言えない。早くもその日の午後、カードについていたポイントはキレイにゼロになってしまった。「足りないお金」もわたしが出したから張さんはすばらしい質問をしたことになる。

Re: デジタルカメラ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/13 02:33 投稿番号: [1819 / 3149]
銀塩カメラという言葉が発生しましたな。わしは少年時代から中年時代まで写真キチであった。もちろん銀塩カメラの時代です。60歳代の中ごろ(昭和の終わりごろ)に、ついに写真遊びに飽きた。熱心だった時代は、自宅に暗室を作って、現像、焼付け、引き伸ばしをやった。現像液はメトール(別名エロン)、ハイドロキノン、無水亜硫酸ソーダ、無水炭酸ソーダ、ブロムカリを買って来て、コダックのD-76, D-72 という処方を自分で調合して使った。定着液も自家調合である。

今では銀塩フィルムはもう売っていないのじゃないかな。わしの本棚のなかに銀塩フィルム未開封のものが三本残っているが、今では骨董品になっているんじゃないかと空想している。

鳥居

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/12 14:04 投稿番号: [1818 / 3149]
【 台中神社の鳥居、間違えて並べられたまま 】
台中公園内に台中神社跡があるが、そこの芝生に鳥居が横たわって並べられている。しかし、この組み合わせ方が間違ったままになっている。鳥居の柱の石が笠木(横梁)として並べられている。笠木は摩耗しているとはいえ、縦書きで「台中神社」との字が読み取れる。もし、笠木なら横書きになるはず。2年前に台中市文化資産課長が並べ直すことを約束したが、転勤で今までそのままとなっている。

********************

  グーグルアースを見ていると、「これは何だろう」と、時折、変なものに出くわすことがある。近くに例の写真のマークでもあればそれで一発解決ということもあるが、たいていの場合はわからず仕舞いだ。しかし、人はそうした些細な事でも脳の中に記憶として留めていて、何かの拍子に思い出す。上の記事は今日の「な〜るほど・ザ・台湾」から配信されたもので、台中公園の鳥居の話題だ。そこで思い出したのである。以前、グーグルアースで、その台中公園に「横倒しになった鳥居のように見える物体」を見つけたのだが、それが何物なのか皆目見当がつかなかった。現在の台湾の公園に鳥居があるはずもなく、昔のそれを横に寝かせておく理由もないだろうから、それは偶然「鳥居のように見える」何物かだと思うほかはなかった。この記事で、あれが紛れもない鳥居だったと合点できた。
今の台湾ではさすがに鳥居を立たせておくのはマズイが、横にしておけば構わないようだ。ただ、記事にある意味がちょっとわかりづらい。

Re: 為替レート

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/12 10:15 投稿番号: [1817 / 3149]
>3/9に今回、初めて北市重慶南路にある第一銀行総行(本店)?で両替しました。だいたい同時刻、レートは、0.3510。お隣のでは、0.3501。
____________________

そのあたりがあなたの行動範囲であるならば、華南銀行総行よりもすこし南(衡陽路の方向)へ行くと台湾銀行の小さな支店があり、更に南へすこし行くと台湾企銀の支店があります。そこへも行ってレートを見たらどうでしょう。

Re: 為替レート

投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/03/11 12:52 投稿番号: [1816 / 3149]
3/9に今回、初めて北市重慶南路にある第一銀行総行(本店)?で両替しました。だいたい同時刻、レートは、0.3510。お隣の華南銀行総行では、0.3501。今日あたりのレートは、0.34台です。当日、10万円で90元(弁当約1個分)の差で第一銀行が良かったです。両行とも手続き費は、取りません。また、仕事は、第一銀行がパスポートのコピーなどしない分、速いです。

昨年のリーマンショック以来、個人的に敏感になっています。

デジタルカメラ

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/11 12:52 投稿番号: [1815 / 3149]
  デジタルカメラの進歩が止まらない。被写体の人物の顔に自動で焦点を合わせる「顔認識」機能はほとんどのカメラについている。最近では、複数の人物が被写体となる場合、予め登録しておいた「特定人物」をカメラが探し出し、その人の顔に自動で焦点を合わせるという優れた機能まで出現している。さらに驚くのは、人物の瞼を開き、眼をパッチリとさせる「整形」まで出来て、「いくらなんでも、それはやりすぎではないか」と思うようものまで出てきた。普通の撮影なら500万でも充分な画素数も1000万以上が主流となり、マスコミのカメラマンも例外なくデジタルカメラを使っていて、メーカーもフィルムカメラから完全に撤退してしまった。

出たばかりの新製品は値引きも僅かだが、一年も経つと半値になる。先日、「ビック・カメラ」で張さん買ってあげたカメラは台湾では幾ら位するのかと「ヤフー奇摩」で調べてみたが殆ど差がなかった。値段が大きく違えば素人でも「運び屋」をして稼げるがそうは問屋が卸さない。白状するが、わたしも昔はただ台湾に遊びに行くだけでは能がないと思い、なにか商売になるものはないかとあれこれ考えるだけは考えたが、結局、なにも出来なかった。

Re: 為替レート

投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/03/11 09:27 投稿番号: [1814 / 3149]
>為替レートで弁当を食う人にはじめて見参。

1食80元の弁当に換算してです。
喰うに困らない人は、いいですね・・・。

古董

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/08 14:26 投稿番号: [1813 / 3149]
  日本では「骨董」という。この底無し沼に引き擦り込まれたらタダでは済まない。鑑識眼を養うには長い修養と経験が要るし、素人が欲と道連れで集めだせば古物商のいいカモになって一財産が消える。

昔から、旧家を廻って古物を買い集める人がいて、「うぶ出し屋」とか言うそうだ。ときには凄いものを見つけることがあるが、もちろん顔には出さない。商売だからテクニックがある。品物を前にして、自分が欲しくないものはビックリするような高値を付けて相手を喜ばせる。「これがいくら、あれがいくら」と、たちどころに数百万の値段になる。狙った本命のブツは数万円の値段をつけおき、何も買わないで帰るんじゃ悪いというような顔でそれ持ち帰るのである。

わたしも陶器や漆器の類が好きでインターネットのオークションに嵌ったことがあるが、集めてもきりがないし、カネも続かないから最近では見ないことにしている。
昨年の夏、オークションで変なモノを見つけた。一本角のある兜で、一瞬、第一次大戦のドイツ軍のヘルメットかと思ったが、そうではなく、中国の古い青銅兜だった。出土品らしく緑青がわいてボロボロだが原形は保っている。それが、なぜ日本の東北地方から出品されたのか、いつ頃のどこのモノなのか、出品者に問い合わせても「蔵にあった物で、由来などは何もわからない」という返事しかなかった。数日後、それが私に落ちて送られてきた。品物は写真で見て判っているし、オークションで売るのも面倒だから箱も開けずに放っていた。
先日、張さんの弟に、それを台湾のオークションで売ったらどうかとメールを出して、今月初めEMS特急便で送ってやった。彼は早速、NT50000の最低落札価格をつけて出品した。わたしのほうの原価はこれより桁違いに安い。

http://goods.ruten.com.tw/item/show?11090306842139

Re: 為替レート

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/08 11:26 投稿番号: [1812 / 3149]
>10万円≒35,000元、今朝のレートだと34,770元、230元の差、
弁当3個弱分が飛んじゃった。

為替レートで弁当を食う人にはじめて見参。

為替レート

投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/03/05 10:28 投稿番号: [1811 / 3149]
最近、華南銀行より第一銀行がレートが良いのを発見。
昨日まで0.35台だったのに今朝は、0.3477で始まっている。
10万円≒35,000元、今朝のレートだと34,770元、230元の差、
弁当3個弱分が飛んじゃった。

Re: 蒋経国の車隊

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/04 17:08 投稿番号: [1810 / 3149]
  親衛隊が憲兵を射殺とは恐いお話ですが、戒厳下の台湾ではありそうなことです。

三木のり平という喜劇役者がいて、その懐旧談「のり平のパーッといきましょう」を読み終わった。昔の人の話は聞いておくもので、自分の知らない話がずいぶん出てきた。

「寿司で思い出した。食い物がこの頃ずいぶん変わったな。いま、寿司屋に行くと《大トロ時価》なんて書いてある。冗談じゃない。僕の家は待合をやっていたから、よく知っているけどね、トロを食うのは下衆の人間って決まっていた。トロは捨てるところだったんだから。そうだよ、「トロは車夫馬丁の食い物」って相場が決まってたんだ。ところが、どうだい、いまじゃ、それが最高級だもんな。寿司というものはね、基本的には生で食うもんじやないんだ。全部、煮てあるか、焼いてあるか。イカでもシャコでもハマグリでもアナゴでも。マグロはヅケっていって、醤油に漬けておくものだし、コハダは酢でしめとくとかな。だからイカを注文するんでもさ、『煮たイカかい、焼いたイカかい』なんて板前が言ったもんだよ。刺身はあったよ。ああ、刺身を食べるっていうのは、すごい高級なことだったんだ」【後略】

寿司とは、なんでもかんでもナマの魚介類がのってるものだと思っていたんですが、そうじゃなかったんですね。昔は冷蔵庫なんかなかったからだそうですが、なるほど聞いて見なきゃわからないものです。

蒋経国の車隊

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/04 13:16 投稿番号: [1809 / 3149]
長い間忘れていたことを思い出した。蒋経国が総統だった時代の総統車隊は、ピストルの名手が乗った車が先行し、総統車のうしろにも親衛隊の車が数台続いていた。予定通路には憲兵が警備に立っていた。中国語で言うところの「如臨大敵」(大敵に臨むが如し)であった。そして、警備の憲兵はその職務に立つのがこわくてたまらないのだそうだ。何故かというと、以前にこんな事件があったというのだ・・・警備の憲兵の中に姿勢が規定と違う者があった。たちまち先行車の中のピストルの名手がその憲兵を射ち倒した。すると後続車から数人の親衛隊が走り出して、倒れた憲兵を担いで行った・・・。こういう事件があったという話が憲兵の間に流布していたので、警備の役を命じられた憲兵はみな戦々競々だったという。

この話をわしに聞かせたのは市政府の一公務員で、彼は親しくなった一人の憲兵から聞いたのである。二十数年前にわしがその公務員からこの話を聞いたとき、疑わずに事実だと信じたものである。当時は人々がこの話を事実と信ずる雰囲気があった。今になって思い出すと、ほんとかなあと思うのだが。

李登輝総統の時代に変わると、一瞬間で総統車隊の通り道の憲兵の警備がなくなり、赤信号では総統車隊も停車することになった。この点でも李登輝は偉い。陳水扁政府は李登輝政府よりもさらに「怖くない政府」だったが、陳水扁退陣後の台湾には、検察ファッショの陰影が現れた。李、陳の二代の政府が、蒋政権の刑事訴訟法をチェックしなかったのは不幸であった。

蒋政権が持ってきた刑事訴訟法は1917年(一次大戦の最中)に編成されたもので、その後少数の条文が改訂されたとは言え、基本的には検察官は自分の心証だけで人民を有罪と推定して拘禁する権力があり、しかも拘禁期間に制限がない。現代文明国の「人民は有罪の判決を受けて、その判決が確定するあらざれば、無罪の推定を受ける」という思想は、蒋政権が持ってきた下等な刑事訴訟法にはないのである。

薄青色の高さ2mぐらいのポストみたいな物

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/03 14:26 投稿番号: [1808 / 3149]
  それは信号の制御器だろうと思います。もちろん、自動制御なのですが、非常時には警察官が扉の鍵を開けて手動で操作することもできるはずです。日本では今でも、
天皇陛下が御料車で御通行のみぎりは必ず警察官の手動操作です。昔、中国の訒小平閣下が「ご来臨」の折にも、各地の「ご視察」はすべて「NON STOP」でありました。

  台湾ではどうでしょうか。中華民国総統が公用車でお出かけの時、その高級車が赤信号で止まるようなら立派な民主国家として世界に通用するでしょうが、いかがでしょうか。他のアジア諸国では聞かずとも判りきったことであります。
ただ、フィリピンのアキノ大統領の時代は手動ではありませんでした。

Re: 2.28記念碑はすでに有る

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/03 10:38 投稿番号: [1807 / 3149]
  わざわざタクシーで確認にお出かけとは恐れ入りました。すでに記念碑はあったのですか。事件の後、その顛末を日本語で書きしるした本は意外に多く、大きな図書館には何冊かの蔵書が眠っています。もちろんすべて台湾人の著作で、当時、事件は完全に封圧され、いつ終わるとも知れない蒋政権のもとで出版の自由があろうはずもなく、彼らはこの大事件をせめて日本語の本にでも残しておこうとしたのでしょう。「天馬茶房」はこの事件の発端には必ず出てくる名前ですが、この「茶房」とは、日本でいうところの喫茶店ではなく、台湾でよく見かける「天仁銘茶」のような店でありましょうか。

  碑文は漢字と英文だそうですが、台湾を訪れる外国人は日本人が最も多く、双方の交流も盛んですから「日本語」も欲しかったですね。と言っても、日本語も日の丸も東アジア全体で忌避されていますからこれは無理な注文でしょう。

2.28記念碑はすでに有る

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/03 04:19 投稿番号: [1806 / 3149]
現場を見たくて、3月2日の午後末娘同伴、タクシーで現場へ乗りつける。末娘は2.28事件当時はまだ生まれていなかったが、事件のことは知っている上に、記念碑がすでにあることも知っている。

>グーグルアースは各所に小さな青色の四角いマークがあって、そこを押すと写真が出てくる。南京西路と延平北路の交差点付近にもそのマークがあったからクリックして写真を見ると「新銀座」という看板の建物が出てきた。

↑上文はtokyo_cachito3 さんの投書の一部であるが、延平北路よりも東50mのところにも、四角いマークがあって、それをクリックするとやはり新銀座の写真が出てくる。そのマークのある場所が偶然にも実在の記念碑の位置にきわめて近い。

記念碑の碑面は1m四方ぐらいの台湾大理石製で、コンクリートの脚で、水平より20度ぐらい傾けて、人が立って読むに都合のよい高さに支えられてある。碑文は漢字の横書きと英語とで刻まれている。碑面の上半が漢字、下半が英語。碑文の漢字は1000字ぐらいかな、英語には漢字と同じ内容のことが書かれてあるはずだ。字に塗った金塗料が剥げちょろで、甚だ読みにくいので、読まなかった。記念碑を建てた年月日だけでも見ておくべきだったが、不覚だった。おそらくは陳水扁氏が台北市長だった時期に建てたのであろうと思う。

記念碑の在る場所は、事件が発生した横丁の入り口である。グーグルアースの写真では、その横丁は建物の影になっているが、tokyo_cachito さんが駐車場にはいる道と言ったのがその横丁である。駐車場は臨時のものであったので、今では建物が建てられてある。事件当時横丁の奥行きは20mほどしかなく、突き当たりに「天馬茶房」という喫茶店があった。以前人々は「事件が起こった場所は天馬茶房のある小巷」と言っていたようだ。今では天馬茶房は取り払われ、横丁はずっと向こうまで通り抜けになっている。

わしが最初に記念碑を建てるべき地点として経緯度を与えた場所は、グーグルアースの写真が撮られた当時(2006年)は建築工事の最中だったのであって、今では工事が完成して建物になり、横丁などはない。

四角いマークをクリックすると出てくる新銀座の写真には、薄青色の高さ2mぐらいのポストみたいな物が歩道にデンと坐わっている。あれは電力会社が据え付けた鉄製の四角な箱で、中に何か電気設備が有る。触ると感電の危険があると、けしからん張り紙が貼ってある。台北市にはそのような電気設備がたくさんあって、それがきまって交通の邪魔になる場所にある。市民の抗議に対して電力会社は、その場所でなくちゃだめなので仕方がないと答える。

Re: 2.28記念碑を建てるべき地点

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/01 19:00 投稿番号: [1805 / 3149]
   グーグルアースは各所に小さな青色の四角いマークがあって、そこを押すと写真が出てくる。南京西路と延平北路の交差点付近にもそのマークがあったからクリックして写真を見ると「新銀座」という看板の建物が出てきた。多分、日本統治時代のものだろう。「新銀座」とはどんな商売の店なのか、これだけの建物だから「ヤフー奇摩」で検索すればなにか判るだろうと思い、そこで「新銀座・南京西路」と入力してみた。はたして、いくつかのサイトが出てきて以下の記事と写真のサイトを見つけた。

http://www.wretch.cc/blog/afboy/16987374

鄢美人大酒家 北市列&#27511;史建物

〔記者林秀姿/台北報導〕叱&#21522;一時的「鄢美人大酒家」日前被台北市文化局登&#37636;為&#27511;史建物,文化局認為,「鄢美人大酒家」的建物緊鄰台北二二八事件現場,而且建築立面與其樓仍保留一九三○年代的形貌,具有&#27511;史氛圍,加上該建物曾經營酒家,見證早期台北酒家&#27511;史興衰,也是繼歸綏街文萌樓(日治時期公娼館)被列為市定古蹟後,第二件「情色場所」被登&#37636;為&#27511;史建物的文資案。

写真を見比べた結果、様子は変わっているが、「新銀座」と「黒美人」は同一の建物だと判断できたのは大収穫だった。と言うのも、もう30年近くも前だが、わたしはその「黒美人」に這入ったことさえあるのだ。日本の若い女にはまず見られない、均整がとれ、すらりとしてなお肉感的な小姐の旗袍姿も昨日のことのように覚えている。そして、そのなかの記事に、「鄢美人大酒家」的建物緊鄰台北二二八事件現場,とあるのを読んで、いつどこで聞き覚えたか忘れたが、「2.28事件の発端の場所は黒美人のあたり」というかすかな記憶も蘇ってきた。

あらためてunhoo先生にお礼を述べたい。

Re: 2.28記念碑を建てるべき地点

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/01 17:19 投稿番号: [1804 / 3149]
>もう20メートルほどで延平北路ですが、その場所から「北へ入る8m幅の横丁」が見当たりません。それは駐車場の東側から北に延びる一方通行の横丁のことだと思いますが、どうでしょうか。
____________________

青屋根の建物の大きさは東西に10m、南北に20mですね。わしにはその建物が8m幅の横丁に接しているように見えます。横丁であるか横丁でないかを確かめるために現地へ行って見ようかと、ふと思ったが、一人で行っちゃオートバイに突き飛ばされる。もしわしが見当をつけた場所が現在も以前も横丁でないなら、そこは事件発生ばしょではない。そこより東へ30mのところににある「駐車場の東側から北に延びる一方通行の横丁」の入り口が事件発生の正しい場所です。

とにかく事件発生場所は、北へ行く横丁の入り口です。その横丁に入って行くと、右側の第一間の店が「男装社」という当時台北市では有名なテーラーでした。

Re: 2.28記念碑を建てるべき地点

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/01 13:30 投稿番号: [1803 / 3149]

  林江邁さんの「その後」を検索して以下のサイトを見つけました。逮捕もされず、またタバコ屋をやっていたんですね。

http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/b24844215d9a7228b036368cb1981094

  …228事件後、足腰がしっかりしている邁は、台北円環付近でたばこを売り、自分で自分の身を立てていた。そのたばこ屋台は遠東劇場の斜向かいにあり、太原路から路地に入ったところの小さな家に住んでいた。働きものだった邁は、商売がよくないときは、太原路で地面や排水溝の日雇い清掃員をやって日銭を稼いで家計を補ったりした。

Re: 2.28記念碑を建てるべき地点

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/03/01 11:55 投稿番号: [1802 / 3149]
unhoo先生

  ご丁寧にありがとうございました。グーグルアースの「25°03′14.42″N,   121°30′43.38″E」の地点には。「2.28事件発端の場所」というタイトルをつけて黄色のピンを刺しておきました。そこは薄青色の屋根の建物と15台ほどの駐車場の間になり、もう20メートルほどで延平北路ですが、その場所から「北へ入る8m幅の横丁」が見当たりません。それは駐車場の東側から北に延びる一方通行の横丁のことだと思いますが、どうでしょうか。
現在、台北には2.28記念公園などがありますが、民進党政権時代にその駐車場でも買い取って其処にこそ記念碑、記念館を建てるべきではなかったかと思います。
あと、当時40歳で二人の子供を抱えた寡婦の林江邁さんはその後どうなったのでしょうか。まさか、逮捕されてその後は行方不明なんてことはないでしょうね。

2.28記念碑を建てるべき地点

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/03/01 09:52 投稿番号: [1801 / 3149]
グーグル・アースによって説明します。

南京西路は、円公園の東の部分は30m幅、円公園より西の部分は20m幅になっています。20m幅の起点から西へ220メートル歩く。そこに北へ入る横丁がある。横丁の幅は8m。その横丁の入り口が記念碑を建てるべき地点です。

その地点は25°03′14.42″N,   121°30′43.38″Eです。

わしは30歳代のときは南京西路のその部分を歩くチャンスが多かったが、それは今から50年前です。グーグル・アースでは屋根しか見えない。屋根の様子では建物が全面的に変わっている。わしの今の年齢では、一人でそこをうろつきに行ったら交通事故に遭います。グーグル・アースをもっとうまく使いこなせば、もっといい説明ができると思うが、わしにはそれほどのテクニックがありません。

2.28

投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/28 17:57 投稿番号: [1800 / 3149]
  62年前の今日だ。もう20年近くも前だが事件の発端となった場所、つまり、林江邁さんがヤミ煙草を売っていたのは何処だったのか探し回ったことがある。マル公園の近くだとは聞いていたが、そのときは結局わからず仕舞いだった。これが日本なら舗道に「記念碑」が立っているのは間違いないが、台湾とは習慣が違うからそれが必ずあるとも言い切れない。
だが、例え、その場所が特定されたとしても当時とは街の様子がすっかり変わっていて往時を偲ぶことはできないだろう。しかも、その事件を書物の上で知るだけのわたしには何の感傷もないはずだ。だが、どうにも不思議なのだが、その場所に立ってみたいという気持ちが今でも消えない。

礼拝へ日参

投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/28 10:55 投稿番号: [1799 / 3149]
毎日少なくとも一回、ときには二回、特に多い日は三回、これじゃ礼儀過剰、慇懃無礼、鉄面皮・・・(あとは言わない)。喪主は故人の三男だったが、たいへんな迷惑だ(迷惑したであろうと言う必要はない。「迷惑だ」が事実にきまってる)。午前に来て、午後にまた来て、やれやれとひと息つこうとしたら、また来た。
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