ビックリ台湾!?
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: 階段で転んだ。
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/23 03:02 投稿番号: [1789 / 3149]
日本では電車の中で老人に席を譲る人はないようです。台湾では、わしがまだ60に達する前からバスで席を譲られるので、そんなに老けて見えるのかと戸惑った。しかしわしよりも5歳若い友人が、席を譲られて困ると言ったので、わしだけでないことがわかりました。
台北に市内および近郊を走る電車(捷運線電車)が走るようになったのはわしが70代の半ばに達してからですが、わしが車内に踏み込んだとき、満員でなくても入り口あたりに空き席がなければ、必ず座っている人が席を譲ってくれます。それもごつい男学生よりも、うら若い小姐が機敏に立ち上がって席を譲ります。
最近見た中国發のニュースでは、北京では老人が若者に席を譲ることが善い行為として奨励されているそうだ。若者は勉強したり仕事したりで疲れているが、老人は何もしていないから、老人は若い者に席を譲るべきだというのです。これは姥捨て思想の始まりですな。
町を歩いている人がつまずいて転んだら、台湾ではたしかに人がすぐ駆けつけてきます。
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階段で転んだ。
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/22 19:07 投稿番号: [1788 / 3149]
今月、張さんたちと新宿に行った帰り、小田急・町田駅の階段上がり口で張さんが転んだ。夕刻の雑踏のなか、わたしはその数段前にいて気づかず、一緒に歩いていた張さんの姪がすぐに抱き起こした。その直後はかなり痛がっていて二人で当人を両脇から支え、乗り換えの横浜線のホームまでたどり着いた。痛みは翌朝には引いて、帰国したあとで念のため掛かり付けの医者にレントゲンを撮ってもらったが幸いに骨折などはなかったという。
今日になって、無料の国際電話「スカイプ」でその話が出た。
「台湾では人が転べば周囲の人が足を止め、声を掛けてくれる。しかし、日本はそんなことはない」と言う。パパ譲りの「崇日」で、何かというと「日本はいい、台湾はダメ」という人の言葉だからこれはちょっとショックだった。たしかに、今のガサついた日本の都会では駅の階段上り口で足を踏み外して転んだ人がいてもすぐに声を掛け、介抱してくれる人はまずいないだろう。
台湾ではそれがあるらしい。国家社会がまだまだ健全な証拠だろう。
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検査
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/21 16:59 投稿番号: [1787 / 3149]
台湾はその外貨準備を始め、富裕な近代国家であることは疑いようもない。張さんはすでに帰国したが、いまだに解せないことがある。例えば、日本の量販店で電器製品などをを買ったとする。カードで買った場合は品物を受け取り、レシートにサインをして終わりだが、張さんからは以前、「日本では買ったときにどうして品物の検査をしないのか」とよく聞かれた。「日本は壊れたものは売らない」と説明して、それでとっくに了解したものと思っていたが、こんど、デジタルカメラを買ったときも「検査は? 検査は?」とわたしに聞いてきた。まさかとは思うが、台湾では店員が客の前で品物を箱から出して正常に作動するかどうかのチェックをするのだろうか。これがアフリカなどで中古の家電を売買する店頭でならそれも必要だろうが、巨大な消費社会であるはずの台湾では考えられない。多分、昔の台湾ではそういうこともあって、張さんが時代から大きく遅れているのだろう。もう歳だからやむを得ない。
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Re: 外国語
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/20 05:38 投稿番号: [1786 / 3149]
ある日本人に「娘という字は、台湾ではお母さんのことです」と言ったらびっくりして、同席のわし以外の台湾人に「ほんとですか、ほんとですか」と尋ねた。わしへの礼儀を忘れるほどびっくりしたんですな。
ただし台湾語で新娘とは花嫁のことで、新しいお母さんという意味ではない。
娘という字は女性に対する敬語でもあった。道教の女神の名は、最後に娘の字が敬称としてつく。
漢字で書かれた万葉集でも、娘の字を貴婦人への敬称として使っている。
支那では娘の字をdaughterやgirlの意味に使うことはないようだ。
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デパート
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/15 20:52 投稿番号: [1785 / 3149]
昨日は「バレンタイン・デー」。何十年も昔からの菓子メーカーの力闘努力が奏功してこの日は三日前の「建国記念の日」などは及びもつかない日本の重要な行事になっている。残念ながらわたしには無縁のことでチョコの欠片すらありつけなかったが、先週、張さんたちと出掛けたデパートのバレンタイン特設売り場は凄かった。その日の厖大な需要をあて込んだデパートが欧州各国のチョコレートをメーカー別のブースに分けてショーケースに並べていた。照明を落とし、赤いカーペットまで敷いて高級感を演出してたのはさすが日本のデパート商法である。私も近くを通ったがその女だらけの場所立ち入ることは出来なかったので値段まではわからなかった。
デパートは貧乏人には用のないところだと言っては身もふたもないが、何一つとっても安物なんか置いていない。ただ、日本の深刻な高齢化はここにも及んでいて女店員もいい歳のオバサンばかりである。台湾のデパートでは当たり前の若くて可愛い小姐服務員は至って少ない。
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Re: ビックリ台湾!?
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/14 19:08 投稿番号: [1784 / 3149]
昨日、張さん一行が無事に帰国した。はとバスのコースで普段なら間違っても行かない帝国ホテルのバイキングも体験したが、そもそも帝国ホテルに闖入したのも初めてだ。ただ、バスの団体さんは裏口から入ってホテルの案内人に従い、17階のバイキングまでエレベータで直行である。はとバスの客を表玄関から入れてあの広大なロビーを渡らせるなどということはない。もちろん、立派なバイキング料理ではあったが外国人を一人も見かけなかったから、あれは主に団体向けで宿泊者には別の場所があるに違いない。その前日は電車を乗り継いで渋谷と新宿に行ったが帰りの電車はちょっと奮発した。新宿から出ている小田急のロマンスカーで、ホームに待機していたその電車に乗るのだと知った張さんたちは破顔一笑、嬉しそうな声をあげた。
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Re: 焼きそば
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/14 09:57 投稿番号: [1783 / 3149]
「焼きそば」とは「炒麺」のことで、中華料理ですからもちろん「蕎麦」ではありません。しかし、われわれはそれを「焼きそば」と言っています。たしかに「蕎麦」ではないので平仮名を使っています。
漢字の本場の人からみれば日本では相当に生半可でいい加減な漢字を使っていると思われているのではないでしょうか。「焼肉」とか「焼魚」と言いますが、焼けば灰になってしまいます。
「せっかく立派な文字を教えてやったのに意味もわからずに間違った使い方をしている」と思われているに違いありません。
徒手空拳の青年が日本に来て僅か二十年で多くの店舗を持つとは驚きですが、実は昨日、張さん一行と中華街を歩いていたら同じ場所にまだ「一号店」がありました。「梅蘭」で検索すれば出てきます。
「日本人は我々を商売の天才のように言うが、冗談じゃない。我々は逆立ちしたってソニーは経営できない」昔、横浜在住の華僑の人がそう言っていましたが、なんの、中国や台湾には多くの堂々とした大企業があり、商売に日本人も台湾人も中国人もありません。
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Re: 焼きそば
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/14 03:58 投稿番号: [1782 / 3149]
その焼きそばは,蕎麦ではなくて、麺だろうと思いますが。なんだかそんな料理では、蕎麦ではだめだという気がする。
昭和11年の春から夏にかけての4ヶ月、プライベートな理由でわしは東京は阿佐ヶ谷の父の友人(台湾人)の家に厄介になっていました。そのときわしと仲良しになった5歳年上の台湾人の学生が、よく夕食にわしを「支那そば」食いに誘い出しました。双方自分で食った分は自分で払うという条件で、あの店この店と食い歩き、愉快な思い出になっています。商品名は支那そばでも、たいていは麺で、ごく稀に蕎麦の店があっただけでした。まだ子どもだったわしには、どちらでもよかった。あの時代の阿佐ヶ谷はまだ郊外で、広い原っぱが残っていて、すばらしかったですよ。
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焼きそば
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/11 20:49 投稿番号: [1781 / 3149]
20年ほど前、横浜中華街の裏通りにあった「梅蘭」という小さな店に紛れ込んだことがある。二十代の若い男が廃業した寿司屋の店舗のまま借受け、改装もせずに脇に調理のガスレンジを置いて、「焼きそば」を作っていた。なんと、メニューはその「焼きそば」だけだという。聞けば中国から来たばかりで日本語も覚束なかったが、その「焼きそば」は肉や野菜を炒めた具が揚げた麺に包まれているという日本人には目新しいものだった。
今、彼の店は横浜と東京に十数店舗を構え、今日、はとバスで張さん達と行った「六本木ヒルズ」にも彼の豪華な店があった。店の前のスタンドには多くの中国料理を網羅した立派な装丁のメニューが置いてあったが、その第1ページにはあの「焼きそば」が大写しで載っていた。
めでたいと言うほかはない。
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Re: 外国語
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/11 08:09 投稿番号: [1780 / 3149]
東京や横浜あたりしか知らないが、近頃のJR鉄道の駅名表示にはローマ字と中国の簡体字、さらにハングル文字が併記されている。ローマ字は世界中の人が読めるから当然としても簡体字とハングルの表示にはちょっと驚く。「別にそこまでしなくても」という気もするが、その「費用対効果」は大きなものだろう。事情の知らない初来日の中国人や韓国人が見たら驚天動地の出来事に違いない。「日本人にこれほどの大度があるとは知らなかった。われわれの言葉で駅名を表示してくれるとは…。わが国の駅には日本語の表示など逆立ちしたって見つからない。これは日本人を考え直さなければならんぞ」と思ってくれるに違いない。そう思いたい。
これは メッセージ 1779 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 外国語
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/10 22:13 投稿番号: [1779 / 3149]
「漢文」は高校になると選択科目ではあるが独立した教科になっている。しかし、これは「中国語」として教えられるのではなく、語順を変え、すべて「訓読み」、つまり日本語として学ぶのである。昔の日本人は「レ点・一,二、三」などの印をつけて語順を変え、外国語の書物を直接、日本語で読むという奇想天外なことを考え出した。もちろん、当時は比べようもない文化先進国の書を読みたいとする欲求が産み出したものに違いない。したがって、訓読みの漢文を中国人が聞いても何を読んでいるのか絶対にわからず、さらに現代の中国人の大多数が、教養のある日本人の多くが日本語で古代の漢文を読むことができるとは知らないだろう。
これは メッセージ 1778 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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外国語
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/10 21:28 投稿番号: [1778 / 3149]
昨日、張さんの姪が薬局で「乳酸菌・新表飛鳴」と書いた紙を女店員に見せたが、相手は首を傾げるばかりで、結局買えなかったという。その紙片を今日になって見せてもらった。「表」は一応、「ピャオ」と発音するとして、「飛」は「飛機」の「フェイ」だと知っていたが、「鳴」がよく判らない。取りあえず音読みで「メイ」と読めば「新ピャオフェイメイ」とあいなる。さらに「乳酸菌」という漢字に助けられて、これは「新ビィオフェルミン」の事だと判断できた。この薬は有名で日本では誰もが知っている。
薬局の店員を責めるつもりはないが、「これは乳酸菌製剤のことで、新○○」のことだと推定すれば、新ビィオフェルミンを取り出して「これですか?」と応対できるはずだが無理だったのか。薬局の白衣は着ているが商品知識もなく気が利かない女店員は困りものだ。
テーマが「外国語」と大きいから続編も書きたい。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: お正月がやっと終わる
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/02/09 08:43 投稿番号: [1777 / 3149]
昔の「台湾旅行ガイド」には必ず「マル公園」が載っている。「公園と言ってもロータリーの中の屋台街で、どの店もびっくりするほど安くておいしい」などというのが決まり文句だ。何度か行ったが、そんなに安くもなかったし、味などは覚えていない。ただ、どう考えても市有地に違いないはずのこの屋台街がなんと戦前からあったというから驚きである。これは台湾からの帰路、台北で少年時代を過ごした人から直接聞いた話だから間違いはないだろう。当時の警察は相当に厳しかったと思うが、最初は饅頭やアイスキャンデーなどの担い商いから始まって次第に既得権化していったものと推測する。不法占拠の露天市場がいよいよ撤去となると市有地に公設市場を作って安く賃貸するようなことがあるがマル公園もその類だろうか。
これも伝聞だが、戦前の台湾では小学生が学校の帰りにアイスキャンデーなどを買い食いしたのが見つかったら翌日は職員室に呼ばれてこっぴどく叱られたという。家に帰り着くまでは就学中とされたのだろうが今の台湾でもそうなのだろうか。もちろん、今の堕落し、形骸化た日本の教育現場では考えも及ばないことである。
「買い食い」で叱られたのは小学生ばかりではない。昔の軍隊は初年兵を引き連れて野外の行軍がよく行われたが、これには決まって「買い食い事件」がおきる。休憩になると初年兵が甘いもの食いたさにその辺りの店に飛び込み、大福だの今川焼きだのを隠し持った銅貨で買って、ムシャムシャと頬張る。そのときは引率の下士官や古年兵は何も言わない。だが、兵営に帰り着いたら最後、全員が猛烈なビンタを喰らうのである。わたしは長い間、ビンタとは平手打ちのことだと思っていたが、握りこぶしで殴るのだと知って驚いた。ところが、さらに驚いたことに、戦前か、戦時中かは聞き漏らしたが、陸軍内務班ではそうした暴力が「私的制裁」とされて厳重に禁止されたと当時の体験者から直接聞いたことがある。ただ、それも一部の一時的現象だったのではないかと思わざるをえない。昔から欧米の軍隊ではナチスドイツも含めて大声で怒鳴ることはあっても殴る蹴るの隊内暴力がない。旧軍との違いが際立つがどこに原因があるのだろうか。
話が大きく逸れてしまった。
これは メッセージ 1776 (unhoo さん)への返信です.
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お正月がやっと終わる
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/02/09 02:10 投稿番号: [1776 / 3149]
今から50年前の台北は、円公園と呼ばれていた建成円環が唯一の夜市だった。そこにある屋台店は、旧正月の数日前から休んで、上元(旧暦一月十五日)が過ぎてから、やっと復業するのが多かった。一年中働き続けだったから、旧正月は故郷の田舎へ帰って、のんびりと休んでいたのだろう。商売道具のテント小屋、食卓、腰掛は、自分の「領土」に置き残す。腰掛は食卓にさかさまに置いて、縄でくくりつけておく。食卓と食卓も縄で結わえておく。そうしただけで、誰も彼の領土を侵犯せず、テント小屋や腰掛や食卓を盗む人もなく、警察や政府も干渉しなかった。今考えるとすこぶる不思議なので、わしの記憶違いがあるのかもしれない。
これは メッセージ 1775 (mrt952006 さん)への返信です.
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Re: ビックリ台湾!?
投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/02/03 09:20 投稿番号: [1775 / 3149]
春節連続休暇明けの昨日、失業保険給付申請が昨年の30倍、1.2万人だったそうです。
地方都市のIT関連のリストラが多いようです。
まだまだ続く不景気世界でしょうか・・・。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: ビックリ台湾!?
投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/02/02 11:17 投稿番号: [1774 / 3149]
やっと今年の春節期間連続9天の休みも明け、本日が本当の意味の「開工」の日で、各地で爆竹の音でかなり煩いです。
恭喜發財。
昨日、中視(テレビ局)を見ているとダンスコンテストの節目(番組)に審査員として、通訳付きでTRFのSamさんが出ていました。優勝賞金NT$100萬元(約270万円くらい)。
あと、NHK朝の連続テレビ小説のリバイバルが放映されます。著作権切れでしょうか?1991年、鈴木京香と倉田てつお出演の「君の名は」です。台湾では、「阿信(おしん)に次ぐ知られた作品です。たぶん・・・。数寄屋橋の予告編が流れていますが、鈴木京香は、若くスリムです。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: カシオしか買わない
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/29 16:49 投稿番号: [1773 / 3149]
>昭和一桁時代に子どもにいちばん人気のあったおもちゃは、歯車仕掛けのおもちゃでした。たとえばブリキ製のおもちゃの自動車…
これがいまでは恐ろしいほどの高値を呼んでいて、状態が良ければ戦前のモノなら数十万、戦後のものでも五万、十万はザラです。熱心な蒐集者がたくさんいるんですね。2、30年前、アメリカで古い玩具が高値で取引されているのを知った一人の日本人がいました。これはカネになると気づいた彼は全国の玩具屋をクルマで回って、古くなって売れなくなった玩具を大量に集め、今では大変な金持ちになっています。何事も先手必勝です。
昔から腕時計は実用より趣味と贅沢の道具になっていますね。ダイヤをちりばめたローレックスがありますが、それはローレックス社の認可を受けた香港の時計工房が改造したもので、スイスでは造っていません。この時計の需要はほとんどアジア地域に限られていて、華僑や中国人が主な得意先だそうです。カネを出せば誰でも買えるものを見せびらかすのは読書人のやることではないのですが、ダイヤのローレックスは悪趣味もいいところです。
以下の時計は「グランド・セイコー」の最上級品ですが機械式ではなく「クォーツ」です。もちろん、「はい、これはクォーツでございますが、このシリーズには機械式も揃っています。いえ、むしろ、そちらのほうがお安くなっています」という精工社の慇懃な声が聞こえてくるようです。
http://www.seiko-watch.co.jp/gs/collection/detail.html?pid=SBGX019
これは メッセージ 1772 (unhoo さん)への返信です.
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カシオしか買わない
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/29 11:33 投稿番号: [1772 / 3149]
わしは東京へ行くたびに、秋葉原の道端でカシオの使い捨てウォッチを買っています。電池が5年持つとか7年持つとか宣伝しています。5年、7年と使うと、プラスチックのベルトが老化して切れることがある。
二十数年前に日本がクオーツ時計の製造に成功して、スイスの機械時計が壊滅に瀕したとき、必死に「クオーツ時計は玩具に過ぎない」とデマ宣伝をして、世界の人を騙し、滅亡を免れたが、わしから見れば歯車仕掛けの時計こそ時代遅れのおもちゃです。
昭和一桁時代に子どもにいちばん人気のあったおもちゃは、歯車仕掛けのおもちゃでした。たとえばブリキ製のおもちゃの自動車、ぜんまいを巻き上げると、歯車仕掛けでたった5秒ぐらい走ります。現在の機械時計は原理的にはそれと同じです。そんな物を目玉が飛び出すような大金で買って、自慢し合っているのです。(バカだなあと言いたいけれども、礼儀上自制しています。おっと、言ってしまった。)
これは メッセージ 1771 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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精工表
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/24 11:14 投稿番号: [1771 / 3149]
人は何事も身分相応にするのが無難だが腕時計は維持費がかからないし、毎年の税金もないからちょっといい時計を持つくらいは構わないだろう。もう何年も前だが、張さんの母親にSEIKOの腕時計をプレゼントしたことがある。老婆だから安物でいいというわけにはいかない。張さんの一族が必ず「どんな時計か」と注目するだろうし、文字盤にSEIKOと入っていれば日本円一万や二万では買えないのは台湾人も知っている。「わたしはこの歳になって初めて腕時計をはめた」と感謝してくれたのにはこちらが嬉しかった。
台中の巨大なレストランでは何人ものウエイトレスが申し合わせたようにローレックスを填めていたが、この時計は最低でも40万円くらいはするから彼女たちには大変な「物入り」だったに違いない。ウエイトレスがローレックスをはめてはいけないということは絶対にないが、時計や眼鏡には「時と場所」があり、一流のホテルやレストランだったらオーナーや店長から厳しく禁止されるだろう。
これは メッセージ 1770 (unhoo さん)への返信です.
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Re: ビックリ台湾!?
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/22 02:54 投稿番号: [1770 / 3149]
>今回のいわゆる「禁煙法」は、平和ボケしている日本からの喫煙者には、我慢が出来ないようですね。
わしは非喫煙者だから、平気ですがな。
これは メッセージ 1769 (mrt952006 さん)への返信です.
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Re: ビックリ台湾!?
投稿者: mrt952006 投稿日時: 2009/01/21 12:22 投稿番号: [1769 / 3149]
今回のいわゆる「禁煙法」は、平和ボケしている日本からの喫煙者には、我慢が出来ないようですね。
某サイトでは、この話が持ちっきりです。世話が焼けます・・・。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: 就学率
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/17 15:32 投稿番号: [1768 / 3149]
三義の小学校校庭でおこなわれた結婚式の披露宴に参加したとき、無人の校舎に「侵入」して教室を見回ったことがある。無人だから授業参観とはいかないが、壁の様々な張り紙から台湾の教育の一端は窺い知ることができた。数名の「優等生」と「不良生徒」の実名がその理由とともに書き込まれた張り紙があったのには驚かされた。これは日本にはない「制度」だが、外国のことだから批評は避けよう。台湾の教育水準は世界的にも高く、それが繁栄する台湾の基礎にもなっているのだが、この反作用として弊害著しいアジア的学歴社会を作り上げているのも事実である。
日本はすでに受験生より「定員」の方が多い大学過剰状態になっていて、この時期の電車の車内は名も知れない私大の広告で溢れている。小学校の国語の教科書が読めれば合格まちがいなしの「大学」はいくらでもあって、卒業した大学名を口にしない人がいるのも情けない。
これは メッセージ 1767 (heitotakaohonor さん)への返信です.
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Re: 就学率
投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2009/01/16 05:49 投稿番号: [1767 / 3149]
unhoo様:
昭和19年3月、戦争たけなわの時期の本島人師弟の初等教育の就学率は
71.15%で、原住民のそれは83.38%となっています。アジアで
この率は内地を除いて第二の高い就学率をもっていました。ただ本島人の
学生は放課後遊べなくて、直ぐ家に帰り、農業などの手助けをやりました。
3年間本島人の師弟が放課後、田畑で仕事をしているのを頻繁にみたものです。ところが、昭和20年4月に勤労奉仕や中等学校学生で軍隊兵舎の中
で多くの本島人同期と会うことになり、24時間一緒に過ごしたので、同じ
境遇になりましたね。私は古い木製の小学校校舎と比較して二つの公学校
の校舎が新しく近代的で広いのが羨ましい限りでありました(鳳山西公学校と大東国民学校、ともに本島人専門校)。
これは メッセージ 1758 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 踊子
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/11 21:57 投稿番号: [1766 / 3149]
戦後、この川端作品は当代の人気少女が抜擢され、美空ひばり、吉永小百合、山口百恵などが「踊子」を演じている。もう30年も前になるが、香港の映画館で内藤洋子の「伊豆の踊子」を上映していた。わたしは、この旅芸人の踊子と学生の淡い恋という、それも伊豆の山々や温泉地を舞台にした日本的情緒満点の映画に香港の若い人がどんな反応を示すだろうか、と興味を持ち、入場しようとしたが上映中ということで切符を売ってくれなかった。日本ならどんなに混んでいても平気で切符を売るが、おそらく日本の方が例外なのだろう。
「伊豆の踊子」はもう映画化されることはあるまい。この平成の御代には「日本的情緒」など、どこを探してもない。
これは メッセージ 1765 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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踊子
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/10 20:22 投稿番号: [1765 / 3149]
これは メッセージ 1764 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 「学生さん」が調子を出しすぎ
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/10 20:12 投稿番号: [1764 / 3149]
これは メッセージ 1762 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 幻の皇民化教育
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/10 13:28 投稿番号: [1763 / 3149]
なんじゃらほい。『小林総督も黄さんも今は亡い。だからわしだけしか知らないこの秘話を公開するのである』などとマジ(「まじめな話」という意味の俗語)で締め括られては、まさか冗談とは思えず、露ほども疑いませんでした。「高橋、これ着よ」の報復を受けましたかね。ただ、戦時中は特高も「マジ」で張り切っていたと思いますから、「前総督の殺害計画」なるものを聞き出したら何十人もの拘引者が出て、白状するまで凄惨な拷問が続き、到底、「冗談」では済まなかったでありましょう。
子供の頃、住んでいた家の近くに、髭を生やして偉そうにしていた老人がいました。実際、いかにも恐そうでしが、近所の人が「あの人は特高だったんだよ」と言っていたのを思い出しました。あんなのに捕まったら生きた心地もしなかろうと思うような雰囲気がありましたね。
蒋介石とその手下が支配していた頃の台湾にも恐ろしい「特別警察」があったと思いますが、これを一掃して今日の民主台湾を切り開いた李登輝さんは立派でした。わたしの初訪台はまだ戒厳令下で、町中に政治スローガンを書いた立て看板などがあり、それらを8ミリ映写機で撮影した記憶があります。
民主化が実現した現在の台湾では、馬政権になっても当面は「台独人士」が不当に弾圧されるようなことはないでしょうが、この「親中政権」に対しては中国が硬軟両用の様々な政治干渉をしてくることでしょう。台湾の指導者はやはり台湾人のほうがすっきりしていていいと思いますが、前総統はあまりにも力不足で政治家としての能力に欠けていたようです。
これは メッセージ 1760 (unhoo さん)への返信です.
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「学生さん」が調子を出しすぎ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/08 18:09 投稿番号: [1762 / 3149]
tokyo_cachito3 さん
小林総督暗殺計画は冗談ですよ。
川端康成の『伊豆の踊り子』では、主人公の旧制高等学校の学生が、どこへ行っても学生さん、学生さんと尊敬されていますね。大正や昭和の初期では実際にそうだったのです。で、「学生さん」の一人である黄先輩は、恭しく別れの挨拶に来た後輩の凡才君に、初めは先輩として激励の言葉を述べていたが、だんだん調子を出しすぎて、あんなことを言ってしまった。それを凡才君は本当だと思って、泡を吹いてしまった。
しかしいくら凡才でも、三、四日後には落ち着きが出て、笑ってしまったでしょう。
何十年もたって、わしが黄先輩に出会ったとき、あんな大法螺を昔吹いたことを覚えているか知りたくて、質問してみたのです。そしたらちゃんと覚えていて、ぺしゃんこになって恥じ入りました。
今頃tokyo_cachito さんが記者会を開いて、「知られざる大東亜戦争秘話」を尾ひれをつけてとうとうと演説してるんじゃないかと心配です。
なお、台湾のために特別に編成された皇民化教育は存在しなかった、実際は日本国内の国民教育にだんだん近づいただけだのだとわしは主張します。「皇民化教育」は実在せず、幻にすぎないとわしは申すのであります。
これは メッセージ 1761 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 幻の皇民化教育
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/07 22:58 投稿番号: [1761 / 3149]
驚くべきお話です。これぞまさに、長く続いた「ビックリ台湾!? 」の嚆矢でありましょう。昭和17年の三月ならば「大東亜戦争」も勝ち戦の真っ只中で、シンガポールも陥落して「勝った、勝った」の興奮状態の最中です。
台湾も戦時の緊張はあったでしょうが、不穏な動きもなく、内政は安定し、「南進」の基地としてなんの問題もなかったと思っていました。しかし、台湾の青年のなかには「皇民化」に憤り、その「下手人」である前総督を殺害せんとする動きがあったのですか!
unhoo先生も強圧的な皇民化に憤る同世代の台湾青年たちの心情は理解できたのではないでしょうか。
しかし、その黄さんも内地に勉強に行こうとする後輩に「君たちに任せる、しっかりやれよ」はちょっと無責任な気がします。
植民地統治など所詮は支配と被支配の関係で、支配されるほうは面従腹背、いずれ支配者は出て行くというのが歴史の真実でした。
これは メッセージ 1760 (unhoo さん)への返信です.
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幻の皇民化教育
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/07 21:39 投稿番号: [1760 / 3149]
小林躋造総督(任期:昭和11年9月2日〜15年11月27日)は皇民化教育を強行したと言われ、彼自身も皇民化教育を大いにやったつもりでいた。今でも日本人も台湾人も、小林総督は皇民化教育というワルイことをやったと言っている。
そこで皇民化教育の内容はと調べてみると、明治以来日本の政府が日本国民に対して行った教育と同じだとしか思えない。日本政府が日本国民に対して行った教育は、すべて皇民化教育であった。日本政府には皇民化教育でない教育哲学はなかった。皇民化教育でない教育を行う人材もなかった。ただ日本国内では皇民化教育という言葉が発生しなかっただけだ。
小林総督は台湾でこれまでよりももっと日本国内の教育に近い教育を行っただけなのに、自分では特別な教育をやったのだと思い込んで、皇民化教育という言葉を発明して得意になっていた。やがて小林は皇民化教育をやりすぎて島民の反感を買っているという声が内地の政界に起こり、総督が長谷川清という海軍大将に変えられた。ちなみに、小林総督も海軍大将であった。
後を受けた長谷川総督の教育政策は、皇民化という言葉をあまり出さないことにしただけだけなのだが、本島人は今度の総督のほうがいいと言い出した。
小林総督は、「皇民化教育」をやったために、一度暗殺の危機に遭遇した。そのいきさつはこうだ。昭和17年の三月のある晩、旧制中学を卒業したばかりの本島人友人がわしを尋ねてきて「俺は学力不足で、台湾の上級学校に受かる自信がないから、内地の受かりやすい学校へ申し込んだ。君とはこれでお別れだ。また会うのは何年先かわからない。お元気で・・・」。ところが一時間後に彼は真夜中の拙宅の門を叩いた。非常に慌てた様子で、馬のように口から泡を吹いていた。「君と別れてから、先輩の台北高校3年の黄さんに別れの挨拶に行ったんだ。そしたら黄さんが言うには、お前内地へ行ったら小林躋造を暗殺せいと言うのだ。あいつは歴代の総督のうちでいちばん酷いことをしたんだ。俺たちの仲間はずっと前からあいつを暗殺しようとしていたが、台湾では警戒が厳しく隙がなかった。内地なら警戒がないから、君たちに任せる。しっかりやれよ・・・と言われた。内地行きの船は明日の午前基隆出帆だから、さよなら」と後も見ずに立ち去った。
黄さんから重大使命を負わされたわが友は、日本の受かりやすい学校にも受からず、東京で一年浪人することになった。東京の冬が来て、彼は馴れぬ寒さのため、肝炎でで他界した。
戦後三、四十年もたった。わしは黄さんとは親しくなかったが、学生時代は顔見知りであった。ある席で黄さんに会った。機会を捉えて「戦争中東京で亡くなった友人は、日本へ行く前に、あなたから小林総督暗殺を命ぜられたと言いましたよ」と言った。黄さんはぺしゃんこになって、人差し指で自分の頭をさして、くるくる回した。これは台湾では自分の阿呆を認めた時のしぐさである。小林総督も黄さんも今は亡い。だからわしだけしか知らないこの秘話を公開するのである。
これは メッセージ 1759 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 就学率
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/07 09:16 投稿番号: [1759 / 3149]
明治42年=1909年の台湾における「公学校」の就学率は僅か5.54%に過ぎず、しかも女子の場合はその三分の一程度とされるので、僅々2%に満たない女子にしか教育が施されませんでした。同時期の内地の就学率は凡そ40%ですから、これはやはり植民地の台湾人に対しては、少なくとも明治期には初等教育すら考慮されなかったことになります。
わたしは台湾の老夫妻の夫の方が流暢な日本語を話し、その太太は殆ど話せなかった例をいくつか知っていますが、その理由についてはこれで氷解しました。つまり彼女達は就学せず、日本語教育を受けていなかったのです。
昭和も二桁になって戦争の時代になると「皇民化」政策により、初等教育も急速に整備、普及していきました。
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2003/0308/ronbun1-2.html
これは メッセージ 1758 (unhoo さん)への返信です.
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就学率
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/07 01:58 投稿番号: [1758 / 3149]
tokyo_cachito3 様
>戦前の小学校の就学率は内地でも平均八割程度ではなかったかと記憶していますが、
↑お説で一切が合点。わしの母は「入学命令に従わないと、警察に引っ張られてしまう」と言ったように記憶していますが、なにしろ七十数年前、わしが小学二、三年のことで、記憶がぼけています。母はそのとき冗談を言ったのかも知れません。
もし冗談でなかったなら、次のように考えられます。母の実家があった田舎町は、昔は農産物の集散地として、地の利を得ていました。母の実家は農産物一般の大卸商と米穀商および精米業もやっていました。すなわちその町では資産家でした。町役場では資産家の子は是非とも入学させようときめたのでしょう。
昭和になっても貧乏人の子は、入学できないなら、ほったらかしたのでしょう。だから高雄には学校に行かない女の子がグループを作って、物拾いをするという現象が発生したのでしょう。グループごとに十五歳ぐらいのリーダーがいました。統率力がよいようでした。郊外の田畑で刈り入れがあると、落穂拾いに行ったようです。
これは メッセージ 1757 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 小学校と公学校(8)完
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/06 16:40 投稿番号: [1757 / 3149]
unhoo先生
「小学校と公学校」のお話をありがとうございました。戦前の小学校の就学率は内地でも平均八割程度ではなかったかと記憶していますが、台湾ではさらに低かったものと推測します。これについては近いうちに検索して調べたいと思います。
これは メッセージ 1756 (unhoo さん)への返信です.
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小学校と公学校(8)完
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/06 16:06 投稿番号: [1756 / 3149]
わしの母は明治35年生まれで、実家は小さな田舎町にあった。学齢に達したときに町役場からの命令で公学校に入学したのだと母は記憶していた。その命令がなかったら母は4人の姉たちのように終生無学に終わったかも知れない。母が公学校に入学した年代は、計算では明治41年か42年のはず。台湾内部の武力抗争が静まった年は明治38年だから、それからから僅か3年か4年後には、町役場から学齢児童のある家に、子どもを入学させよと命令が来るようになったのだ。
しかしわしの記憶のなかには、矛盾した事実がある。昭和一桁時代、わしが小学生だった時代だが、高雄には貧乏人の女の子のグループ(数人から十数人)がいくつもあって、学校へ行かずに終日町をうろついて物拾いをやっていた。年齢はちょうど公学校に在学していなければならない年齢。この娘たちだって学齢に達したときには役場から入学命令があったはずだが、どうしたことだろ。
日本統治時代の台湾の小学校は、学費免除ではなくて、月謝25銭と保護者会費25銭を徴収した。同じ学校に二人以上の子弟を通学させている家庭は、保護者会費を一人分だけ払えばよかった。公学校のほうはどうか?多分小学校と同じだろう。まさか小学校の2倍、3倍取り立てるなんてことはないだろう。
内地人の子が公学校に入学することもあったのだそうだ。親御さんが公務員で、勤務地の田舎には通学できる距離範囲に小学校がないため、公学校に入学する。友達はみな本島人だから、その子の台湾語は、筋金入りの本物になるとのこと。
これは メッセージ 1755 (unhoo さん)への返信です.
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↓小学校と公学校(7) への訂正
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/05 14:13 投稿番号: [1755 / 3149]
レスの始まりのところ、
台湾人のために、「公学校」を設立したのは正しい。公学校の学童は一学生のとき・・・・・
一学生
誤り
一年生
と訂正
これは メッセージ 1753 (unhoo さん)への返信です.
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小学校と公学校(7)
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/05 06:20 投稿番号: [1753 / 3149]
>戦前の台湾では、内地人が「小学校」、台湾人の子弟が「公学校」と分けられていましたが、そもそも、これは植民地的差別意識からそう定められたのでしょうか。
台湾人のために、「公学校」を設立したのは正しい。公学校の学童は一学生のとき日本語の手ほどぎで大部分の時間を費やし、その上台湾人の親たちの希望で「漢文」という科目も勉強させられたから、小学校の学童よりもきつかった。しかし日本の政府が台湾の子どもに教育を与えるにはそれ以外の方法がなかった。この方法で台湾人の子どもに教育を与えるか、若しくは教育の責任を放棄するか二者択一なのであった。
公学校学童は、小学校学童よりもきついコースを頑張ったけれども、公学校六年生の学力は小学校六年生に及ばなかったことは事実である。中学校の入学試験で本島人が差別されたという説を、わしは信じない。公学校尋常科六年を卒業し、さらに公学校高等科二年を卒業して、やっと小学校六年生程度の「日本的学問の学力」に到達するのである。日本時代の公学校の学童は、六年生卒業で中学校の入学試験が受からなくても平気な顔をしていた。翌年高等一年で不合格になったときは、すこし悲しそうだった。さらに一年、公学校高等科二年を卒業しても、中学校の入学試験に受からなかったときは悲嘆に暮れた。子を愛する親は、借金してでもその子を内地(日本)の中学校に送った。入学試験なしなのかどうか知らないが、寛大に台湾人の子弟を容納する中学校が東京や京都にあった。辛うじて中学校の制服が着られる身となり、戦後エライ人になった例がある。
台湾人の子どもでも、学齢前すでに内地人の子どもと友達になれるほどに日本語ができた者は、小学校に入学しても何の苦労もなかった。わしとわしの姉(一歳年上)がその例である。二人とも幼少のときから台湾語と日本語のバイリンガルであった。しかし日本語は内地人の子よりへたで、台湾語は台湾人の子よりへただった。
公学校の学童で、非常に順調に進学した特例をわしは知っている。わしよりも二歳年上の人で、公学校尋常科六年からすぐ旧制中学校に受かり、中学四年で台北高等学校に受かり、高等学校を出るとすぐ京都帝大の法学部に入学した。そのときは戦争たけなわだったから、卒業までがんばったかどうかは知らない。その秀才は何故か戦後台湾の社会では特に目覚しい活躍は見られなかった。人の世は複雑なものだ。
日本が台湾でおこなった教育は、それでOKだったとわしは認める。公学校を設立したのは正しい。小学校しかなかったら、台湾人の子どもの半数は途中で落伍したであろう。
「小学校と公学校」未完
これは メッセージ 1740 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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「小学校と公学校」は未完です
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/04 21:52 投稿番号: [1752 / 3149]
まだ書きたいことがありますが、今日はちょっと疲労感のためベッドで休息。病気ではありません。室内温度24℃で寝るに好適。
これは メッセージ 1751 (unhoo さん)への返信です.
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小学校と公学校(6)
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/04 13:18 投稿番号: [1751 / 3149]
>先生が「小学校」にお入りになったのはどういう理由だったのか、差し支えなければ教えてください。
昭和5年の3月末だったか4月初めだったか、父が「お前は今日から小学生だ」と言って連れて行った学校が自宅から歩いて5分の高雄第一尋常高等小学校だったのです。その1年前には1歳年上の姉がその学校に入学しました。
戦後人々が言うには、本島人が子どもを小学校に入学させるには、親が有力者でなければならなかったと。しかしわしの父は会社員で、中産階級で、有力者とは言い難い。強いて有利な点を挙げると、当時の日本の大財閥が経営していた大会社の正社員だったことです。同じ学校の「共学生」(小学校の中の本島人学童の法定呼称)の親には金持ちの医者や大商人などの有力者もいましたが、下級役所の下っ端官吏のような無力者もいました。
これは メッセージ 1740 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 小学校と公学校(3)への追加
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2009/01/04 12:57 投稿番号: [1750 / 3149]
unhoo先生
面倒な質問でしたがご丁寧なご回答をいただき有難うございます。日本統治時代の台湾でも時代により「武断」、「文治」等の変遷があったことは本などで知ってはいますが、両者の日常の関係はどうだったのだろうかという疑問がありました。先生のお教えにより「小学生」については理解できました。
これは メッセージ 1749 (unhoo さん)への返信です.
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小学校と公学校(3)への追加
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/04 11:48 投稿番号: [1749 / 3149]
明治28年からの十年間は台湾人が武力反抗を続けていた期間で、そのとき台湾人の大人が日本人を殴ったら日本への反抗と見なされたかも知れないが、大正、昭和時代の子どもの喧嘩で、警察が内地人の子に加担することは考えられません。喧嘩の現場を通りかかったら、先ず仲裁するのが警察の職務です。どちらかが酷く怪我していたら、警察の勤務規定に従って、病院までつれて行くとか、その子の家まで送るとかするでしょう。
清朝時代から台湾はしょっちゅう反乱が起こり、反乱集団はたやすく人数がが増えました。仕事がなくて食えない者が多かったからです。人数が速やかに増えると首領の自信が膨れ上がって、台湾皇帝になることを夢見るようになります。李鴻章は台湾を伊藤博文に引き渡すとき「台湾は三年一小乱、五年一大乱の地だよ」と憎まれ口を叩いたものです。台湾統治の最初の十年間に相続いて発生した武力反抗のなかには、台湾皇帝を夢見る者の反乱がたまたま民族主義反抗の外観を帯びたのもあったんじゃないかと考えられます。
「小学校と公学校」未完。
これは メッセージ 1746 (unhoo さん)への返信です.
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