小学校と公学校(7)
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/05 06:20 投稿番号: [1753 / 3149]
>戦前の台湾では、内地人が「小学校」、台湾人の子弟が「公学校」と分けられていましたが、そもそも、これは植民地的差別意識からそう定められたのでしょうか。
台湾人のために、「公学校」を設立したのは正しい。公学校の学童は一学生のとき日本語の手ほどぎで大部分の時間を費やし、その上台湾人の親たちの希望で「漢文」という科目も勉強させられたから、小学校の学童よりもきつかった。しかし日本の政府が台湾の子どもに教育を与えるにはそれ以外の方法がなかった。この方法で台湾人の子どもに教育を与えるか、若しくは教育の責任を放棄するか二者択一なのであった。
公学校学童は、小学校学童よりもきついコースを頑張ったけれども、公学校六年生の学力は小学校六年生に及ばなかったことは事実である。中学校の入学試験で本島人が差別されたという説を、わしは信じない。公学校尋常科六年を卒業し、さらに公学校高等科二年を卒業して、やっと小学校六年生程度の「日本的学問の学力」に到達するのである。日本時代の公学校の学童は、六年生卒業で中学校の入学試験が受からなくても平気な顔をしていた。翌年高等一年で不合格になったときは、すこし悲しそうだった。さらに一年、公学校高等科二年を卒業しても、中学校の入学試験に受からなかったときは悲嘆に暮れた。子を愛する親は、借金してでもその子を内地(日本)の中学校に送った。入学試験なしなのかどうか知らないが、寛大に台湾人の子弟を容納する中学校が東京や京都にあった。辛うじて中学校の制服が着られる身となり、戦後エライ人になった例がある。
台湾人の子どもでも、学齢前すでに内地人の子どもと友達になれるほどに日本語ができた者は、小学校に入学しても何の苦労もなかった。わしとわしの姉(一歳年上)がその例である。二人とも幼少のときから台湾語と日本語のバイリンガルであった。しかし日本語は内地人の子よりへたで、台湾語は台湾人の子よりへただった。
公学校の学童で、非常に順調に進学した特例をわしは知っている。わしよりも二歳年上の人で、公学校尋常科六年からすぐ旧制中学校に受かり、中学四年で台北高等学校に受かり、高等学校を出るとすぐ京都帝大の法学部に入学した。そのときは戦争たけなわだったから、卒業までがんばったかどうかは知らない。その秀才は何故か戦後台湾の社会では特に目覚しい活躍は見られなかった。人の世は複雑なものだ。
日本が台湾でおこなった教育は、それでOKだったとわしは認める。公学校を設立したのは正しい。小学校しかなかったら、台湾人の子どもの半数は途中で落伍したであろう。
「小学校と公学校」未完
台湾人のために、「公学校」を設立したのは正しい。公学校の学童は一学生のとき日本語の手ほどぎで大部分の時間を費やし、その上台湾人の親たちの希望で「漢文」という科目も勉強させられたから、小学校の学童よりもきつかった。しかし日本の政府が台湾の子どもに教育を与えるにはそれ以外の方法がなかった。この方法で台湾人の子どもに教育を与えるか、若しくは教育の責任を放棄するか二者択一なのであった。
公学校学童は、小学校学童よりもきついコースを頑張ったけれども、公学校六年生の学力は小学校六年生に及ばなかったことは事実である。中学校の入学試験で本島人が差別されたという説を、わしは信じない。公学校尋常科六年を卒業し、さらに公学校高等科二年を卒業して、やっと小学校六年生程度の「日本的学問の学力」に到達するのである。日本時代の公学校の学童は、六年生卒業で中学校の入学試験が受からなくても平気な顔をしていた。翌年高等一年で不合格になったときは、すこし悲しそうだった。さらに一年、公学校高等科二年を卒業しても、中学校の入学試験に受からなかったときは悲嘆に暮れた。子を愛する親は、借金してでもその子を内地(日本)の中学校に送った。入学試験なしなのかどうか知らないが、寛大に台湾人の子弟を容納する中学校が東京や京都にあった。辛うじて中学校の制服が着られる身となり、戦後エライ人になった例がある。
台湾人の子どもでも、学齢前すでに内地人の子どもと友達になれるほどに日本語ができた者は、小学校に入学しても何の苦労もなかった。わしとわしの姉(一歳年上)がその例である。二人とも幼少のときから台湾語と日本語のバイリンガルであった。しかし日本語は内地人の子よりへたで、台湾語は台湾人の子よりへただった。
公学校の学童で、非常に順調に進学した特例をわしは知っている。わしよりも二歳年上の人で、公学校尋常科六年からすぐ旧制中学校に受かり、中学四年で台北高等学校に受かり、高等学校を出るとすぐ京都帝大の法学部に入学した。そのときは戦争たけなわだったから、卒業までがんばったかどうかは知らない。その秀才は何故か戦後台湾の社会では特に目覚しい活躍は見られなかった。人の世は複雑なものだ。
日本が台湾でおこなった教育は、それでOKだったとわしは認める。公学校を設立したのは正しい。小学校しかなかったら、台湾人の子どもの半数は途中で落伍したであろう。
「小学校と公学校」未完
これは メッセージ 1740 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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