小学校と公学校(8)完
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/06 16:06 投稿番号: [1756 / 3149]
わしの母は明治35年生まれで、実家は小さな田舎町にあった。学齢に達したときに町役場からの命令で公学校に入学したのだと母は記憶していた。その命令がなかったら母は4人の姉たちのように終生無学に終わったかも知れない。母が公学校に入学した年代は、計算では明治41年か42年のはず。台湾内部の武力抗争が静まった年は明治38年だから、それからから僅か3年か4年後には、町役場から学齢児童のある家に、子どもを入学させよと命令が来るようになったのだ。
しかしわしの記憶のなかには、矛盾した事実がある。昭和一桁時代、わしが小学生だった時代だが、高雄には貧乏人の女の子のグループ(数人から十数人)がいくつもあって、学校へ行かずに終日町をうろついて物拾いをやっていた。年齢はちょうど公学校に在学していなければならない年齢。この娘たちだって学齢に達したときには役場から入学命令があったはずだが、どうしたことだろ。
日本統治時代の台湾の小学校は、学費免除ではなくて、月謝25銭と保護者会費25銭を徴収した。同じ学校に二人以上の子弟を通学させている家庭は、保護者会費を一人分だけ払えばよかった。公学校のほうはどうか?多分小学校と同じだろう。まさか小学校の2倍、3倍取り立てるなんてことはないだろう。
内地人の子が公学校に入学することもあったのだそうだ。親御さんが公務員で、勤務地の田舎には通学できる距離範囲に小学校がないため、公学校に入学する。友達はみな本島人だから、その子の台湾語は、筋金入りの本物になるとのこと。
これは メッセージ 1755 (unhoo さん)への返信です.
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