小学校と公学校(3)への追加
投稿者: unhoo 投稿日時: 2009/01/04 11:48 投稿番号: [1749 / 3149]
明治28年からの十年間は台湾人が武力反抗を続けていた期間で、そのとき台湾人の大人が日本人を殴ったら日本への反抗と見なされたかも知れないが、大正、昭和時代の子どもの喧嘩で、警察が内地人の子に加担することは考えられません。喧嘩の現場を通りかかったら、先ず仲裁するのが警察の職務です。どちらかが酷く怪我していたら、警察の勤務規定に従って、病院までつれて行くとか、その子の家まで送るとかするでしょう。
清朝時代から台湾はしょっちゅう反乱が起こり、反乱集団はたやすく人数がが増えました。仕事がなくて食えない者が多かったからです。人数が速やかに増えると首領の自信が膨れ上がって、台湾皇帝になることを夢見るようになります。李鴻章は台湾を伊藤博文に引き渡すとき「台湾は三年一小乱、五年一大乱の地だよ」と憎まれ口を叩いたものです。台湾統治の最初の十年間に相続いて発生した武力反抗のなかには、台湾皇帝を夢見る者の反乱がたまたま民族主義反抗の外観を帯びたのもあったんじゃないかと考えられます。
「小学校と公学校」未完。
これは メッセージ 1746 (unhoo さん)への返信です.
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