李朝朝鮮

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Re: サド王子の病状

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/06/17 02:31 投稿番号: [921 / 1329]
>これは東亜さん担当かな。

お呼びにより参上しました。

>サド王子が英祖に殺された事件は、英祖の権威が即位期よりは強くなったものの、重臣たちの圧力を克服できる水準ではなかったことを物語っています。

思悼世子の父である英祖は、党争を抑える為「蕩平」と呼ばれる、各派閥から均等に大臣などの要職を登用する政策をとりました。最初のうちはうまくいっていたようにみえるのですが、次第に各党派の暗闘が激化し、英祖が思悼世子に公務執行権を譲ろうとしたときに、党派による内紛が激化し、そのあおりをくらってついに思悼世子は父英祖から忌避され、米櫃に幽閉されて死亡しました。あとはお決まりの党争の再開ですね。

この時代について、蕩平政策を国王の下に皆が平等な「民国」という概念の「萌芽」と見るのは、ご存知「李泰鎮」です♪

>気が変になりそうなほど親子といえども党派争いがひどくて、世子を親が殺さねばならない状況で、下の投稿にあるように、英祖の治世が、「18世紀、新たな発見が近代を開いた」時代だったのか、大いに疑問に思います。

近代なんか開いてもいません。(キッパリ)
パプワンさんがおっしゃったように、マニア的なものがあったとしても社会全体の発展には結びついていません。

そうそう、朝鮮通信使が対馬からサツマイモを輸入し、大坂・京都で見かけた水車を輸入しようとしたのもこの時代ですねぇ。
え?もちろん(?)、水車の導入には失敗しましたよ♪世宗時代に水車導入に失敗してから300年経っても水車すらつくれない連中に「新たな発見」ができて、「近代を開」くことができたのかと。

Re: サド王子の病状

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/06/17 00:38 投稿番号: [920 / 1329]
サド王子というタイトルだけ見て、
( ̄◇ ̄;)エッおフランスのサド侯爵?と思ってしまったニダよ。

思悼世子(サドセジャ)でしたか。

>英祖の治世が、「18世紀、新たな発見が近代を開いた」時代だったのか、大いに疑問に思います。

そうですね。
少なくとも、隣国「清」「日本」の繁栄ぶりと並び立つ水準ではないことは確かでしょう。

朝鮮の場合、繁栄じゃなくて、
「繁栄はできなく、貧しかったが、比較的静寂で、引きこもりが可能な時代だった」・・・ということなんだと思います。

サド王子の病状

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/06/17 00:19 投稿番号: [919 / 1329]
トピ主さん登場までのつなぎです。

普通は本人がうつ病と申告する場合、病気ではないと思いますが。
気が変になりそうなほど親子といえども党派争いがひどくて、世子を親が殺さねばならない状況で、下の投稿にあるように、英祖の治世が、「18世紀、新たな発見が近代を開いた」時代だったのか、大いに疑問に思います。
これは東亜さん担当かな。

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思悼世子の病状が記された手紙を発見

JUNE 15, 2007 09:27

「私はもともと、かんしゃくを起こす人知れぬ症状があるうえ、暑さの中で王のお供をしたので、(緊張して)熱が上がり、うつの症状は極度に達し、息苦しくておかしくなりそうです。このような症状は、医官にも言えません。卿はうつ病を治す薬についてよく知っているので、薬を煎じて、人に知られぬよう送ってもらえないでしょうか」(1753年か54年のある日)

思悼世子(サドセジャ)が、自分の内面を告白する内容を綴って、妻の父に送った手紙が発見された。これまで学界ではミステリーとされていた思悼世子の病状と父・英祖(ヨンジョ)との葛藤を明確に説明する資料だと評価されている。

ソウル大学国語国文学科の権斗煥(クォン・ドゥファン)教授は最近、東京大学で朝鮮時代の英祖、荘祖(チャンジョ)、正祖(チョンジョ)3代の手紙の複写本2冊、11帳を発見し、「荘祖」である思悼世子の手紙の内容を翻訳したと14日、明らかにした。

現在残っている思悼世子の手紙はほとんどなく、現存する資料も、個人的な告白ではなく公文書が大半だ。

学者たちは、思悼世子が精神病やうつ病を病んでいたと推測しているが、彼の病気について明確に説明した資料はなかったという。

この手紙の告白は、思悼世子自らが病を患っていることを説明している点で意味深い。

悲運の主人公である思悼世子は、1735年に生まれ、父・英祖の怒りを買って、米びつの中で死んだ。息子の正祖が、荘献と上諡(死んだ王に諡号を送ること)し、1899年に再び荘祖に追崇(生前に王位に就けなかった者に死後国王の称号を与えること)された。妻の恵慶宮洪氏(ヘギョングン・ホンシ)は、朝鮮王室の女人の回顧録として有名な「閑中録(ハンチュンロク)」を通じて、このような秘話を紹介している。

●父・英祖への不満

「私の年は、今年ですでに15歳の春を過ぎましたが、まだ一度も先祖の陵に行って参拝していません」

思悼世子が満14歳の1749年のある日、妻の父に書いた手紙の内容だ。権教授は、「恵慶宮洪氏の閑中録にもこのような内容が伝えらえている」としたうえで、「洪氏は、姑と夫の両方を考えて控え目に記述したと思われるので、内容が正確でない可能性もある。この手紙は、思悼世子が自ら告白した内容なので、父との葛藤をより正確に表している」と説明した。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007061504848
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改革君主   英祖
(前略)

1749年、英祖は健康上の理由で息子のサド王子に政治を行うように命じます。すると英祖の側近が英祖とサド王子の間を裂くような工作をします。サド王子は死んだ景宗の支持勢力に近く、現在の執権を牽制し父の政策を批判することもいといませんでした。サド王子の行動は英祖を不快にし英祖の側近から攻撃を受けます。 彼らはサド王子の動きを監視し、 陰口を王の耳に入れたのです。英祖はサド王子を殺すことにして自決を命じますが応じないので、木製の箱の米びつに王子を閉じ込め8日後死に至らしめます。サド王子が英祖に殺された事件は、英祖の権威が即位期よりは強くなったものの、重臣たちの圧力を克服できる水準ではなかったことを物語っています。英祖はサド王子が死んだ後、その息子、自分の孫を王位に就けようとします。1776年、英祖が83歳の高齢で亡くなると、その孫、サド王子の息子が王位に就きます。正祖です。
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=1076

Re: edoazizyuuu氏への回答

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/06/16 15:49 投稿番号: [918 / 1329]
では、こうしましょう。
アラシであるか、トピずれの許容範囲はどれくらいか、というのはあくまで主観的なものですし、トピ主さんの意向もあります。
そこで、他のトピに移動してこの議論を継続してはどうでしょうか。
このトピも平静になり、有意義な議論も他のトピで継続できます。
また、shiba23xxx氏も他の皆さんからの反論に答えなくて不誠実だと批判され、あるいは答えられなくて逃亡したと誤解されなくて済みます。
議論を尽くしたい(ROMしたい)という他の皆さんの不満も解消されます。
shiba23xxx氏もこのトピや特定の投稿者にカラむのが目的でなければ、異議はないでしょう。

移動先のトピとしては、トピ主がいらっしゃらないトピで、投稿者の迷惑にならないトピということで、「日韓歴史論争」「最後通牒」なんかがいいと思います(トピ名は無関係)。
如何でしょうか。
一日経過して異議がない場合は、上記のトピのどちらかにこの議論(No.903の主張及びその反論)をそっくり引越しします。
(勿論、私の疑問は除外します。)
そこで再スタートして下さい。

Re: 朝鮮王朝の儀軌と高麗大蔵経板

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/06/16 15:46 投稿番号: [917 / 1329]
こいつら世界遺産を、自分らのナショナリズム発露の道具と勘違いしてねーか。

>したがって今回の記録遺産への登録は、これまで高麗大蔵経に隠れた影の存在だった諸経板の価値が認められたことにも、大きな意義があるとみられています。

なんかこれ、記録遺産のこと勘違いしてる。
世界の記憶(Memory of the World)は消滅危機に瀕してる遺産を保全するものであって世界遺産のような普遍的価値が認められてるものじゃないんだよね。
逆に言うと、自分たちでは記録の保全が出来ない発展途上国が主に申請するもの。

だから独自に保全できる日本は申請してないし、登録されてるのもアゼルバイジャン、カザフスタン、シナ、フィリピンとか途上国がほとんど。

世界の記憶(Memory of the World)登録リスト(アジア・太平洋地域)
ttp://portal.unesco.org/ci/en/ev.php-URL_ID=3750&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html

朝鮮王朝の儀軌と高麗大蔵経板

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/06/16 15:19 投稿番号: [916 / 1329]
・諸経板、世界記録遺産に

朝鮮王朝の経典である儀軌と、高麗大蔵経板ならびに諸経板が、ユネスコの世界の記憶(Memory of the World)事業による記録遺産に登録されることが決まりました。
南アフリカ共和国の首都・プレトリアで11日から5日間の日程で開かれているユネスコの国際査問委員会で、韓国が去年3月に外交通商部を通じて登録を申し込んだこれら2件の遺産が、いずれも世界の記憶(Memory of the World)事業による記録遺産に登録されることが決まりました。
このうち、朝鮮王朝の儀軌は、王室の行事を絵などを交えて記録した経典で、ほかの儒教文化圏では見られない記録物として評価されました。
登録されたのは、ソウル大学の奎章閣(キュジャンカク)が所蔵する546種2940冊と、韓国学中央研究所の蔵書閣(チャンソカク)にある287種490冊です。
高麗大蔵経は、韓国南部の内陸にある海印寺に保管されている八万大蔵経の正式の名称で、仏教聖典が書かれた木版から刷られた経典またはその版木のことをいい、8万枚を超える版木からなるため、一般には八万大蔵経と呼ばれています。
この高麗大蔵経は、経板を保管している蔵経板殿がすでにユネスコの世界文化遺産に登録されており、名実とともに世界有数の遺産と認められたことになります。
諸経板とは、高麗大蔵経が保管されている蔵経板殿ではなく、別の寺刊殿(サガンジョン)に保管されている経板のことで、5000枚と高麗大蔵経より枚数は少ないものの、このうちの2835枚が高麗大蔵経と同じ高麗時代に刻まれた経板で、さらにこのうちの2725枚は「高麗刻板」という名で韓国国宝第206号に指定されています。
したがって今回の記録遺産への登録は、これまで高麗大蔵経に隠れた影の存在だった諸経板の価値が認められたことにも、大きな意義があるとみられています。
韓国では1997年に朝鮮王朝実録とハングルを解説した木版本である訓民正音解例本が、また2001年には朝鮮時代に国家のすべての機密を扱った国王の“秘書室”と言える承政院(スンジョンウォン)で毎日扱った文書と事件を記録した「承政院日記」が登録され、さらに2004年には世界最初の金属活字本と公認されているフランス国立図書館所蔵の『仏祖直指心経要節』も登録されており、これで、合わせて6件の記録遺産が登録されたことになります。

http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_detail.htm?No=27644

Re: edoazizyuuu氏への回答

投稿者: edozaijyu 投稿日時: 2007/06/15 23:14 投稿番号: [915 / 1329]
恐れ入ります。

私は他の方たちがどう思おうと、別にあなたがアラシであるとは思っていません。

トピの主旨というのは、それを維持するのがたいへんです。

たまにはズレてしまうのはしかたがないことです。

ズレても、何かしら為になることならトピ主は許容するべきとも思います。


ただ、ちょっと私の感じていることと違うということです。

あしからず。

edoazizyuuu氏への回答

投稿者: shiba23xxx 投稿日時: 2007/06/15 20:48 投稿番号: [914 / 1329]
>このまま消えてもらってけっこうです<

そのつもりですけど?

しかし、アンタが出てくるとはすっかり嵐ちゃったなぁ(溜

Re: shiba23xxx氏への疑問

投稿者: edozaijyu 投稿日時: 2007/06/14 21:49 投稿番号: [913 / 1329]
反米云々の話はどうなんです?

いや、いじめるつもりも粘着するつもりもないので、議論する気がないのなら、このまま消えてもらってけっこうです。

Re: shiba23xxx氏への疑問

投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2007/06/14 21:17 投稿番号: [912 / 1329]
結局、真正面からの議論に対し逃げか。

卑劣極まりない輩よ。

Re: shiba23xxx氏への疑問

投稿者: shiba23xxx 投稿日時: 2007/06/14 19:20 投稿番号: [911 / 1329]
>貴殿のこうした勘違いによるキメツケ、これまでの別ハンを多用するなどの奇妙な行動、質問・反論には答えない態度、論理の飛躍・粗略な点を考えると、貴殿の主張をマトモには理解できません。
単なるトピに絡んで、荒らしていると判断されても仕方ありません<

はい、はい。そうゆう事にしておきましょう。

ではさようなら(^^

shiba23xxx氏への疑問

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/06/14 12:01 投稿番号: [910 / 1329]
>皆さんの歴史談義は大変真摯で感心して拝聴しておりますがこれを現実の現在進行中の政治問題と結びつけるのは大反対です。

その他にも、これまでの個別の論点を総合すると貴殿の主張は、次の2点にあると分析しております。
(1)日本も歴史的に大した国ではないし悪いこともやったし、歴史問題で韓国を批判しても仕方がない。
(2)「奴隷売買」「東京裁判」などを問題視するのは反西洋・反米の歴史修正主義であり、主張すべきではない。

しかし、我々はこのトピで反米や反韓という観点で歴史を論じていないし、現在の政治問題と結び付けた発言はしておりません。
韓国の歴史観を批判し反韓を、東京裁判史観を批判し反米を、奴隷売買を批判し反西洋を、という政治問題・政治的イデオロギーの文脈で積極的に述べた人はおりません。
貴殿が政治問題を持ち出した場合に限って、反論・批判が消極的になされたのです。
このトピでは、これまでの既成の歴史観に捉われないで自由に検証・批判し、歴史的真実に近づきたいという姿勢があるだけです。
議論になるとしても、あくまでも歴史観のレベルの問題です。
貴殿のみが歴史認識に結び付けた政治論や国際情勢論を勝手に語っているだけです。

失礼ながら、その例を挙げてみましょう。ごく早い時期の応答です。
トピ主さんはきわめて冷静にインドの歴史を述べてらっしゃいます。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=mfbdabdabaaf&sid=1835396&mid=787

ところが、貴殿の返信には唐突に政治問題が出てきます。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=mfbdabdabaaf&sid=1835396&mid=788
>>米軍が半島から徐々に手を引こうとしている今、韓国はどうすべきか?
>>残念ながら私には想像もつきません。
>>安部首相の言うように日本が国連の安全保障委員会の常任国になりお隣の国の窮状をお助けできれば良いのですが・・・

その後もどんどん暴走します。
そして今回の歴史論争そっちのけの政治論。
歴史論争を現在進行形の政治問題に絡めているのは、貴殿です。

貴殿のこうした勘違いによるキメツケ、これまでの別ハンを多用するなどの奇妙な行動、質問・反論には答えない態度、論理の飛躍・粗略な点を考えると、貴殿の主張をマトモには理解できません。
単なるトピに絡んで、荒らしていると判断されても仕方ありません。

以上、トピ主さんとは違う見解かも知れませんが、私の意見として述べておきます。

Re: 太閤さんが好きになりました・・・

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2007/06/13 11:21 投稿番号: [909 / 1329]
>このように国内問題を外にむけて問題を解決してきたのも西洋なら人権思想や平等主義を生み出してきたのも西洋です。

日本人は国際的に人種平等を最初に唱えた国家です。

国際連盟憲章に人種平等を謳うことを提案し、当時列強支配を受けていた欧州小国は期待しましたが、米・英の反対で没になりましたね。

>現在に於いてはむしろ価値観や考え方において日本人は西洋に近い。

考え方に於いては現在ではなく、鎌倉時代に遡ります。当時日本に「ものの道理」という概念が根付き始めました。これが西洋の合理主義に似ています。

中・韓には今現在も「ものの道理」という概念はありません。

又、武士道が西洋の騎士道とも似ています。

ノーブレスオブリージュを理解出来るのも日本人です。中・韓にはないと言えるでしょう。

>日本の世論はいまや反米がメインストリームと言って良いでしょう。

そんなデーターがあるのですか。

寧ろ米国を信用している度合いは中韓より多いのでは。

新聞アンケートで日本人の70%以上は中国を信用せず、又52%以上は韓国を信用してないとの記事を記憶してます。

反米とは、反日のサヨク連中だけでしょ。物事は正確にお願いしますね。

>しかし韓国を米国が見放しつつあるように日本を見放そうとする日が来ないとは限らない。

現実の国際環境に於いては、妄想ですね。

東アジアに於いて唯一良質な価値観を共有するのが日本と米国です。

韓国は、歴史的に支那王朝の属国であり華夷秩序意識から脱却できず、真の自由・民主主義は根付いていません。未だに人治国家です。

現政権はサヨク化し、米国との価値観を共有することから外れているので、米国は冷たくなっている。

日本がしっかりしておれば、韓国が支那化しても問題ないのです。

日本が支那化すれば、米国はアジアにおける権益を失います。

従って、米国が日本を見放すことはありえない。寧ろ彼らのアジアにおける利益追求には日本が逆に必要。これが現実です。

Re: 太閤さんが好きになりました・・・

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2007/06/13 10:58 投稿番号: [908 / 1329]
> 日本の世論はいまや反米がメインストリームと言って良いでしょう。

どこの日本ですか?

Re: 太閤さんが好きになりました・・・

投稿者: edozaijyu 投稿日時: 2007/06/13 10:46 投稿番号: [907 / 1329]
なんかピンとこないです。

>日本の世論はいまや反米がメインストリームと言って良いでしょう。

とくにコレ↑

そりゃ昔と違って、言いたいことは言うようになってますが。

基地問題とかで騒いでいる人はほんの一握りですし、パイレーツオブカリビアンは圧倒的な興行成績だし、大統領と首相の仲良いし。

>今の様に反米意識が国民の間に強く存在し続けるなら台湾が大陸に屈服し吸収されたとき米国は極東から手を引く良い口実を得ることになります。

「今の様に反米意識が国民の間に強く存在し続けるなら」という前提がおかしいと思うし、

「台湾が大陸に屈服し吸収されたとき」なんでここで台湾なのかもわかりませんし、

「米国は極東から手を引く良い口実を得ることになります」この結論も突飛だなぁ・・・と。

Re: shiba23xxx氏..

投稿者: shiba23xxx 投稿日時: 2007/06/13 05:56 投稿番号: [906 / 1329]
忙しいのでそのうちにね!
当分?お待ち下さい

shiba23xxx氏に問う

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/06/13 02:54 投稿番号: [905 / 1329]
>kobunnyuuuやらyamamotositihei等の本ハンでshiba23xxx
と申します。

>メンドクサクなってきたので本音で話します。

左様ですか。
ならばこれまでの「kobunnyuuu」「yamamotositihei」名義による言説は本音を以てする誠実なものではなかったということですな。
ま、今やどうでもいいことですが。

>皆さんの歴史談義は大変真摯で感心して拝聴しておりますがこれを現実の現在進行中の政治問題と結びつけるのは大反対です。

誰のいかなる言説を以て、歴史談義を現実の政治問題に結びつけていると称されるのですかね。
具体的な言説をあげていただかなければ、確認しようも無いのですがね。
無論、その問題を提起した貴兄に立証責任があることは言うまでもありますまいが。

Re: 太閤さんが好きになりました・・・

投稿者: shiba23xxx 投稿日時: 2007/06/12 20:42 投稿番号: [903 / 1329]
始めまして。

kobunnyuuuやらyamamotositihei等の本ハンでshiba23xxx
と申します。

メンドクサクなってきたので本音で話します。

皆さんの歴史談義は大変真摯で感心して拝聴しておりますがこれを現実の現在進行中の政治問題と結びつけるのは大反対です。

大体において確かに米国を含む西欧の歴史は奴隷獲得とその解放の歴史と考えても間違いないでしょう。

奴隷を解放するたびに新たな奴隷を求めて外に侵略しこれを繰り返す。

産業革命を果たし18世紀本格的に帝国主義を推し進めた英国にもこれが当てはまります。

産業革命では英国一般の国民は奴隷ではなかったものの劣悪な労働環境のもとで大いに苦しみます。

彼等はそのような境遇をやがて抜け出すのですがそれには英国の植民地となった国々の少なからぬ犠牲が必要でした。

しかし・・・

このように国内問題を外にむけて問題を解決してきたのも西洋なら人権思想や平等主義を生み出してきたのも西洋です。

我々日本人は明治維新を経て昭和の敗戦を通じ大いにこの西洋の進取的な考え方を摂取してきました。

現在に於いてはむしろ価値観や考え方において日本人は西洋に近い。

そのように言い切ってよいと思います。

実際韓国人や中国人と接してみての感想です。

もちろん我々は伝統的な価値観や思想も受け継いではいます。

がそもそも日本の伝統というのは中国、韓国のオリジナルとはかなり異なったものだ。

日本人には中韓のような宗族主義も儒教文化も存在していない。

過去の東アジアの繁栄と現在の政治を結びつけて「大極東アジア構想」を推進すべすべしとの意見もあるようだが賛成できません。

このような構想においてリーダーシップを取るのは当然のように中国になります。

中国がどんな国か・・・

いまだに一党独裁であり、法治国家であると断言できるだけの法整備も行われておらず、民衆に於いては日本の大使館を石つぶてを持って襲撃しておきながら当局において弾圧が始まるやいなや借りてきた猫のごとくおとなしくなる。

巨大な人口、その割には恵まれない自然天然資源。

この先中国がどんな様相を呈するか考えただけで寒気がします。

日本の世論はいまや反米がメインストリームと言って良いでしょう。

でも反米と言ってる人の中にもまさか米国が日本を見放すことは無いと考えている人も少なくないように思えます。

しかし韓国を米国が見放しつつあるように日本を見放そうとする日が来ないとは限らない。今の様に反米意識が国民の間に強く存在し続けるなら台湾が大陸に屈服し吸収されたとき米国は極東から手を引く良い口実を得ることになります。

現実の政治というものは一時の感情のみで左右するべきでなくシビアに損得を計算して決定すべきもので・・・

まあ、こんなことは自民党の連中はよく認識している筈のことで私がとやかく言っても始まらないことですが・・・

Re: 18世紀、新たな発見が近代を開いた(上

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2007/06/12 11:39 投稿番号: [902 / 1329]
> 蕩平策(派閥均衡人事)や商工業の発展、実学、そしてあらゆる分野ですい星のように登場した「マニア」たち…。

エンコリの模型板の韓国人の技術は、日本人に比べて劣る訳ではないのに、韓国の工業製品の品質に結びつかないのは、「マニア」で終わっているんだと思います。
日本人より、趣味として純粋に楽しんでいるのかもしれません。

Re: 18世紀、新たな発見が近代を開いた(上

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/06/12 11:31 投稿番号: [901 / 1329]
>それならば、韓国はどうだろうか。韓国でも同様に、18世紀は長い歳月の停滞と抑圧を打ち破り、新たな政治的安定と多様な知的実験に満ちあふれた時代として記憶されている。蕩平策(派閥均衡人事)や商工業の発展、実学、そしてあらゆる分野ですい星のように登場した「マニア」たち…。

英祖がとった蕩平政策は党争を緩和したとかいいますが、英祖の晩年には早くも瓦解しましたしねぇ。
実学者たちは党争で弾き出されていて、現実にはほとんど影響を及ぼしてないし…

>18世紀の朝鮮は清王朝の属国だったのだが、またもや歴史をホルホル調子に改竄ですか。

ま、このへんの主張は李泰鎮が言ったのでしょうな。18世紀李朝の変革と近代化への萌芽ってのは、彼のお得意ですから。(苦笑)

Re: 18世紀、新たな発見が近代を開いた(上

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2007/06/12 10:35 投稿番号: [900 / 1329]
>最初の座談会の東洋部門で出席者らは、18世紀が韓中日三国がすべて自らの>文化的プライドを保ちながら平和と共存を追求していたという点に同意する。
蕩平策(派閥均衡人事)や商工業の発展、実学、そしてあらゆる分野ですい星のように登場した「マニア」たち…。

文化的プライド持ちながら、商工業や実学が発展したと百歩譲ったとしても
その後、どんどん衰退し経済が疲弊し飢餓が続いたのは何故?

18世紀の朝鮮は清王朝の属国だったのだが、またもや歴史をホルホル調子に改竄ですか。

Re: 18世紀、新た..

投稿者: koobunnyuuuu 投稿日時: 2007/06/12 06:35 投稿番号: [899 / 1329]
成る程、李朝朝鮮に於いても十八世紀に学問をはじめとする文化思想が花開いていたのですね

しかし一方で庶人の暮らしは如何なものだったのでしょう?

18世紀、新たな発見が近代を開いた(上)

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/06/11 23:33 投稿番号: [898 / 1329]
【新刊】韓国18世紀学会編『偉大なる百年、18世紀』(太学社)


  絶対王政の威風堂々たる風貌とアンシャン・レジーム(旧体制)に象徴される政治的矛盾が一挙に覆された革命の時代。啓蒙思想とブルジョアジーの成長は、米国の独立革命とフランス大革命を生んだ。このように近代の新たな要素が一斉に花びらいた時代がまさに18世紀だった。また、18世紀は東洋でも「黄金期」だったかのように考えられている。中国は清王朝の最盛期を迎えた「康熙帝・雍正帝・乾隆帝」の治世で、日本も同様に徳川幕府が安定期を迎えた時代だった。


  それならば、韓国はどうだろうか。韓国でも同様に、18世紀は長い歳月の停滞と抑圧を打ち破り、新たな政治的安定と多様な知的実験に満ちあふれた時代として記憶されている。蕩平策(派閥均衡人事)や商工業の発展、実学、そしてあらゆる分野ですい星のように登場した「マニア」たち…。最近では出版市場の一ジャンルを形成するほど、われわれの18世紀に対する関心も格別なものになっている。


  そうした雰囲気を考えれば、この本の出版はむしろ遅すぎた感もある。この本は、英国ロンドンのヴォルテール財団に本部を置く「国際18世紀学会」の会員学会として11年前に設立された「韓国18世紀学会」が、2000年から01年にかけて3度にわたり開いた座談会の録音記録をまとめたものだ。


  この本は、いくつかの点で非常に特異な点がある。まず1つ目は最初から最後まで座談会形式で進められるという点だ。次に、韓国史(李泰鎮〈イ・テジン〉)、東洋史(チョ・ビョンハン)、西洋史(金栄漢〈キム・ヨンハン〉)、哲学(金暁明〈キム・ヒョミョン〉)、宗教学(琴章泰〈クム・ジャンテ〉)、漢文学(沈慶昊〈シム・ギョンホ〉、イム・ヒョンテク)、英文学(鄭正浩〈チョン・ジョンホ〉)、仏文学(李東烈〈イ・ドンリョル〉)など、人文学の各分野の専門家らが学問の「垣根」を超えて討論したという点が挙げられる。


  最初の座談会の東洋部門で出席者らは、18世紀が韓中日三国がすべて自らの文化的プライドを保ちながら平和と共存を追求していたという点に同意する。


  朝鮮の洪大容(ホン・デヨン)は『医山問答』で、「天から世界を見よ(以天視物)」と主張した。これは、地球が丸いのならば、中心が特別にあるわけではない。自らが生きている場所こそが中心ではないかという世界観であり、伝統的な中華主義的世界観と西洋的科学知識を受け入れた新たな世界観が衝突し、融合する姿を見せている。一方同じ時期、日本はさらに1歩先んじていた。彼らは自らが世界の中心である「中華」という新たな天下観を語っていた。


  しかし、だからといって東洋にも根本的に西洋の学問を受け入れる態勢が整っていたのかといえば、必ずしもそうとばかりは言えない。中国の『四庫全書』編纂は、裏返して見れば大胆な思想統制であり、日本の蘭学は実用的な側面に対する驚嘆こそあれ、制度や法秩序に影響を及ぼすことはできなかった。ただし、儒教的伝統が比較的緩やかだった日本は、変化の可能性がより高かったということはいえる。


兪碩在(ユ・ソクジェ)記者


朝鮮日報/朝鮮日報JNS

Re: >西洋、東洋のコンプレックスから抜け

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2007/06/09 01:50 投稿番号: [897 / 1329]
>中世の西洋はイスラム圏に対しては、絶対的な自信はなかったと思います。
>経済力、文化では上回ってました。

西洋が東方世界を経済力で並び、抜いたのは16〜17世紀に入ってからようやく、ですね。
文化的には、一概に「優劣」など付けれませんが、一応それらしき「文化」を身につけたのも、16〜17世紀頃。

>東洋に対してのコンプレックスという言葉をどこから拾ってきたかわかりませんが、東洋に対してのコンプレックスがあるなら、
>東方、オリエントなのだろうと思います。実際、それだけの実力がオリエントにはありましたから。

面白い話が。
世界三大史書「歴史(ヒストリエ)」を記した、かの「歴史の父」ヘロドトス。
彼は小アジア西岸のギリシア系都市・ハリカルナックスに生まれた、古代ギリシア人ですが。
当時のギリシア人の観念では、「ヨーロッパ」はボスポラスとダーダネルス両海峡以北の地。
海峡の南側の内、東側が「アジア」、西側が「リュビア(アフリカ)」と、認識されていました。

ここでは、温暖、暑熱、豊饒の土地で、奢侈の気風と文化の咲くのが「アジア」で。
寒冷・素朴・武骨の地が「ヨーロッパ」と概念化されておりました。

Re: 朝鮮鱗よろい原型そのまま発見

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2007/06/08 23:30 投稿番号: [896 / 1329]
文禄の役    →    1592年
鉄製    →    錆びてない

400年以上の前の鉄製品が錆びて無い。
真空パックにでもしてあったのか?
それともチタン製か?
いつもながら哀れだな。朝鮮人。

ttp://www.donga.com/photo/news/200706/200706060077.jpg

朝鮮鱗よろい原型そのまま発見

投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/06/08 22:54 投稿番号: [895 / 1329]
壬辰の乱(文禄の役)当時、熾烈な激戦地だった東莱邑城遺跡で朝鮮時代の札甲(鱗よろ
い、さねよろい)がほとんど原型のまま発見された。

百済遺跡の夢村土城で鉄片で作った鱗よろいが出土されたし、他の地域でも鱗よろいの切
れ端が発見された事はあるが、完全な形態の朝鮮時代の鱗よろいが出土されたのは、今回
が初めてだ。

慶南文化財研究院は釜山東莱区地下鉄3号線遂安停車場敷地の遺跡を発掘調査した結果、
東莱邑城の垓字(ヘジャ=城外の堀)遺跡で鉄製鱗よろい上着一着を見つけたと5日明らか
にした。

発掘チーム関係者は「ヘジャの泥の中に埋まって空気から遮られたおかげで400余年埋まっ
ていたとは見えないほど保存状態が良かった」と言った。今回発見された鱗よろいは、水
銀を交ぜた鉄を魚鱗のようにぎっしりと付けて作ったもので「朝鮮王朝実録」の世宗実録
よろい条に記録された鱗よろいと一致する、と研究員は明らかにした。

同研究院チョン・ウェド学芸研究室長は「よくドラマで見るよろいは、朝鮮後期よろいを
モデルにしたものだが、今度発見された鱗よろいは、これとは別の朝鮮の典型的なよろ
い」と言った。

今回の発掘では刻み目が残っている頭蓋骨など人骨六球も発見された。1592年倭軍の侵略
に対応して殉節した東莱府使、宋象賢(ソンサンヒョン)と軍民たちの抗戦内容が込めら
れた東莱部殉節図(宝物392号)の描写のように、東莱邑城が壬辰の乱初期の熾烈な交戦が起
きた戦闘現場という事実を考古学的発掘で確認した。

東亜日報

Re: 太閤さんが好きになりました

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/06/06 20:33 投稿番号: [894 / 1329]
私もこの話を聞いて、太閤秀吉が好きになりました。


http://blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/50765013.html
>秀吉、家康という賢明な統率者が日本を治めていたために、我が日本は西欧の植民地にならずにすんだといえる。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%B3%E8%BF%BD%E6%94%BE%E4%BB%A4
秀吉が禁止するまで、20年間も日本人達は南蛮人に売り飛ばされていたのでした。
バテレンは京都では好意的に見られるように行儀良く過ごしていましたが、
中央集権の目の届かない九州で、時にイエスズ会に寄進された長崎で、日本人達が奴隷として鎖に繋がれて船に押し込められ、南アジア各地、メイキシコ、ヨーロッパへ売り飛ばされました。
天正少年遣欧施設もそれらの日本人奴隷を目撃しています。

アフリカの黒人の王国で、自国民を売り飛ばして利益を貪る話がありますが、
彼はそんなことで利益を得ようとはしなかったみたいですね。

高橋是清が>知らぬまま奴隷契約書にサインさせられ
の話はどこかで読んだことがあります。
あの時代の白人至上主義社会を身を持って実感したことでしょう。

このカテで熱心なキリスト教徒の韓国人を何人か見かけましたが、
キリスト教徒の弾圧と朝鮮出兵を行った秀吉は許せない人物かもしれません。

しかし、バテレン追放令は当時の宗教で血みどろになっていたヨーロッパから見れば、大変寛大な宗教観を示してると思います。

____________________________________
http://www2.ocn.ne.jp/~hiroseki/shiryou/bateren.html

■   バテレン追放令

一   日本は神国であるのに,キリスト教国から邪法を伝授するのは,はなはだけしからぬ事である。

一   宣教師が国郡の者を手なづけて信者にし,神社・仏閣を破壊させているのは前代未聞の暴挙である。国郡や村々など知行地が大名・武士に給与されているのは,当面一時的なことである。だから秀吉公の法令を守り,その許しを得るべきであって,土地を勝手に教会に寄進するなどの行為はけしからぬ事である。

一   宣教師がたくみに知識・説法を用いて,思いのままに信者を獲得していると秀吉公は考えられたので,右のように日本の仏教を破壊するのはけしからぬことであるから,宣教師を日本の地におくことはできない。従って,今日より20日以内に用意して帰国せよ。

一   南蛮船は商売で来るのだから特別扱いとし,今後とも貿易をせよ。

一   今後とも仏教を妨げない者は,商人はもちろん誰でもキリスト教国から往来してもさしつかえない。そのように承知せよ。

  天正15(1587)年6月19日

〔松浦家文書〕

一   キリシタン信者については,その者の心のままに任せる。

一   200町,貫高で二,三千貫以上の知行をもつ者がキリシタンになる場合は,秀吉公の許しを得たうえで信徒になること。

〔神宮文庫所蔵文書〕

太閤さんが好きになりました

投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2007/06/06 00:57 投稿番号: [893 / 1329]
西洋人に対して民族の誇りを守ったんですね。

>1587年、秀吉が九州で「バテレン追放令」を出した理由のひとつに、
>ポルトガル人が日本人男女を買い込んで、長崎からポルトガル船に積み、
>奴隷として海外に売る行為を指摘しています。



奴隷になったイギリス人の話も興味深いですが私は奴隷になった日本の総理大臣の話のほうが興味深いです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85

>西洋、東洋のコンプレックスから抜け出す

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/06/06 00:06 投稿番号: [892 / 1329]
中世の西洋はイスラム圏に対しては、絶対的な自信はなかったと思います。
経済力、文化では上回ってました。
東洋に対してのコンプレックスという言葉をどこから拾ってきたかわかりませんが、東洋に対してのコンプレックスがあるなら、
東方、オリエントなのだろうと思います。実際、それだけの実力がオリエントにはありましたから。

http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007060262748
>東洋は清―朝鮮―日本間の戦争に決着がつき、平和の繁栄期を迎えた。

李朝はそんな繁栄してたかな?



>デカルトやライプチヒなどの活躍で近代科学の方法論的な土台が作られ、

東方からシチリアへ、イベリア半島へ、ギリシア・アラビアの学術がもたらされます。
ユークリッド、プトレマイオス、アル=フワーリズミーなどが次々とラテン訳され、西欧の知的基盤が飛躍的に充実することになります。

http://members.jcom.home.ne.jp/spu/027.htm

ギリシア・ローマ文明の直系の相続者東ローマ帝国(ビザンツ)

イスラム世界がビザンツの領域を侵食

830年頃、バグダードに「知恵の家」という研究所、
ギリシア古典のアラビア語への翻訳
バグダード、ダマスクス、カイロなど各地に図書収集の係官を派遣し、40万冊の書物をコルドバの図書館に集める

イスラム世界に保存されてきたギリシア・ローマ文明が、西ヨーロッパ世界に紹介されるようになる

ヨーロッパにおける古代文明の「再生」、すなわち「ルネサンス」と呼ばれる現象がおこることになる

Re: 大いにトピずれですが、

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/06/05 23:38 投稿番号: [891 / 1329]
>今回の投稿は合衆国に英文訳して送るべきかも知れませんね。



もう既に知る人ぞ知る話です。
この内容は既に松原久子氏がドイツ語で出版されてますが。
蒙古側に付いた朝鮮人が元寇で日本人に残虐なことをしたことが知られてるように、
歴史に興味のあるヨーロッパ人も普通にわかってる話ですよ。
白人奴隷兵(スラブ・ギリシャ)のマムルークとかも有名ですよね。
イスラム圏のハーレムが白人に売られた白人女性が多くいた話は良く知られています。

こんな本もあります。ご参考に。

http://www.bk1.co.jp/product/02628775/?partnerid=02dena01
奴隷になったイギリス人の物語
イスラムに囚われた100万人の白人奴隷

>イスラムの奴隷となり、23年に及ぶ苦難を越え、故国イギリスにたどり着いたトマス・ペローの貴重な日記をもとに、多くのヨーロッパ人がイスラムの奴隷だった時代を描き出し、知られざるイスラムと西欧の歴史に迫る。

Re: 大いにトピずれですが、

投稿者: yamamotositihei 投稿日時: 2007/06/05 22:45 投稿番号: [890 / 1329]
今回の投稿は合衆国に英文訳して送るべきかも知れませんね。

>紀元60年頃、ローマの人口は200万人だったと言われてますが、
その半分は奴隷だったとか。
イスラム教徒とキリスト教徒の宗教戦争が絶え間なく、お互いに捕虜を奴隷としたため、奴隷制度は存在してました。
しかし、キリスト教徒の欧州人が同じ欧州のキリスト教徒をイスラム圏に売り込んだことは大きな声で語られていません<

Around A.D.60the number of Roman population

were abot two milliones two millions to be said

the half of them were slaves.


Wars between Isrames and Christians are so often.

And each of them made the war prisons their slaves,

of cause both of them had slave systems.

But it is quite few people say that Christians

sold Christians to Islamic countries.

大いにトピずれですが、

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/06/04 21:07 投稿番号: [889 / 1329]
李朝や江戸幕府の鎖国の門戸をノックして、
東亜を騒がせた元凶でもあるので、一応、その正体を知るためにも、この話をすすめます。


>北ヨーロッパの民がローマ帝国の奴隷・使用人だったというのは中学時代に知りましたが、中世以降もあったのでしょうか?

紀元60年頃、ローマの人口は200万人だったと言われてますが、
その半分は奴隷だったとか。
イスラム教徒とキリスト教徒の宗教戦争が絶え間なく、お互いに捕虜を奴隷としたため、奴隷制度は存在してました。
しかし、キリスト教徒の欧州人が同じ欧州のキリスト教徒をイスラム圏に売り込んだことは大きな声で語られていません。

すでに10世紀から11世紀頃、北から下降してきたバイキング(主としてスウェーデン人)はバクダッドの王室やビザンチン帝国と貿易関係を結び、毛皮と白人奴隷を売り込んでいました。
奴隷狩りは、主としてボルガ河畔に沿って、ウラル山脈に至るロシアの平原、ポーランドなどにおいて盛んで、スラブ人の男女、特に女性が村々から拉致されたので、スラブ人すなわちslavは奴隷slaveを意味するようになりました。ロシアの貴族や富豪達は奴隷販売を奨励し、財政の足しにしました。

イスラム圏に毛皮と白人を売り、バイキングはアジアから運ばれた貴重品・・・絹、香料、砂糖などを買いました。
それはヨーロッパの権力者が求めるものでした。
ヨーロッパがアジアに求めたものは、
生糸、絹、木綿、珊瑚、真珠、宝石類、磁器、染料(藍、紅、紫、茜草、サフラン、ミョウーバン、硫黄)、香料(胡椒の実、桂皮)、医薬品(香油バルザム、樟脳、下剤に用いる大黄、タンニンなど)発揮油、鉱物油、砂糖・・・などいくらでもありました。
逆に、欧州は売ることができるのは、毛織物、革製品、毛皮ふらいで、後は金銀で支払うしかなかったので、同じ民族の白人奴隷を売ったのでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7

そのバイキングの次はジェノバの商人が奴隷商売に手を出しました。
黒海貿易は奴隷貿易と言っても過言ではありませんでした。
ダルマチア沿岸、ペロポーネソス半島、クレタ島で奴隷狩りが行われ、
奴隷はレバンテ(現在のシリア、レバノン、パレスチナ、イラク、ヨルダン)に売られました。
売る先は富み栄えるイスラム圏でした。
1550年、北アフリカのチェニジアには、約三万人の欧州人男女が奴隷として働いていたと言われてます。
このノウハウが、1世紀後、イギリスの大西洋横断奴隷貿易のに引き継がれることになります。

白人奴隷が姿を消したのは、大航海時代あたりからでした。
欧州人たちが直接アジアに出かけるので、東方貿易で栄えたイスラム圏が衰退し、
欧州人たちが世界の各地を植民地化して欲しかったものを金と引き換えることなく手に入れられるようになったことと、
有色人種を奴隷とし、だだの労働力や商品とすることができるようになったからです。

1587年、秀吉が九州で「バテレン追放令」を出した理由のひとつに、
ポルトガル人が日本人男女を買い込んで、長崎からポルトガル船に積み、
奴隷として海外に売る行為を指摘しています。

Re: 朝鮮の性理学

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/06/04 08:58 投稿番号: [888 / 1329]
>日本は中国・朝鮮と反りが合わず、西洋とも衝突してしまう運命だったんですね。

人間関係で、神に選ばれた特別の人間だから
「おまえのものはおれの物」(西洋)


自分以外は劣った人間と見て、
「お前を認めてやるから、うちに歳暮持って挨拶に来い」というボスと、
その腰ぎんちゃくが、すごいボスについてるから、自分に偉いと思い込んでる実力無しの人物(中華)

とは、まともな人間ならお近づきになりたくないでしょう。

Re: 朝鮮の性理学

投稿者: yamamotositihei 投稿日時: 2007/06/04 07:49 投稿番号: [887 / 1329]
はじめまして。

なかなか真摯な歴史談義、非常に感心して拝見しております。

>ゲーテもペルシャの詩人の影響を受けた「東西詩集」やゾロアスター教が出てくる「ファウスト」を書いていますから、西洋ではオリエント文化研究が相当に進んでいたと思われますね。
(ただその遺伝子を米国は受け継いでいないようで、中近東対策は失敗続きです。)
元々ヨーロッパ文化の母胎は一神教であるユダヤ教、その一派であるキリスト教の発祥地オリエントですし。
ヨーロッパにとって東方の限界は、中近東・インド辺りまででしょう<

その通りではないでしょうか。

特にアメリカの歴史学会では日中韓の極東アジア研究などはむしろマイナーな分野で中国学はともかく日韓の歴史などは深く研究しているのは少数のようですね。

>北ヨーロッパの民がローマ帝国の奴隷・使用人だったというのは中学時代に知りましたが、中世以降もあったのでしょうか?<

ローマ帝国の末期から奴隷制度は崩れていきます。

これは単に生産性の問題で奴隷制だと一定以上の収穫を上げても自らの見返りは何も期待できません。したがってどうしても怠惰になります。

しかも彼らの主人は極端に不作の時でも彼らに食料を用意せねばなりません。奴隷はその主人にとって大切な財産だからです。

小作にすれば彼らは決まった収穫以上のものを上げればそれは自分たちのものになりますから頑張って仕事に励み、それが領主の収入増大にも繋がりました。

>北ヨーロッパの民がローマ帝国の奴隷・使用人だった・・・<

北ヨーロッパの民と言うのはこの場合「ゲルマン人」を指すと考えても良いのではないでしょうか。

ローマ時代の末期には地中海人種であったローマ人は北方のゲルマン人に押されぎみになります。

それまではむしろ彼らとの戦闘で勝利し奴隷としてローマ帝国に持ち帰る事も、征服したその地を領主として支配する事も多かったようです。

しかしローマ市民は贅沢になれ、だんだん惰弱化しついにはゲルマン人の侵入によって西ローマ帝国は崩壊します。

これよりゲルマン人による中世「暗黒の時代」に入るのですがキリスト教とローマの文化はヘブライズムとヘレニズムという形で尊重され続けていきます。

ヨーロッパの王族、貴族の中にはその血脈がローマ時代に遡れる事を誇りとするものもいたようです。が、彼らのDNAの主成分が紅毛壁眼のゲルマン民族であったのは間違いないでしょう。

>・・・それで日本は中国・朝鮮と反りが合わず、・・・・<

反りが会わないと言うか・・・

遣唐使が廃止されて以降、日本の文化、伝統、思想は半島を含めた大陸とは独自の展開を始めます。

仏教にしろ儒教にしろ書物による伝播が主でそのためご本家とは一寸変わった解釈で受け取られる事が多かったですね。

中韓において「我々東洋の思想は実践を重んじる。その点日本は・・・」などと言われるのはそこです。

しかしそれが西洋の思想文物とも柔軟に受け入れる土壌に繋がった訳で明治の近代化が非常に(相対的に)スムーズに行われた一つの遠因だったと考えています。

>・・・西洋とも衝突してしまう運命だったんですね<

外国とは風俗、習慣、言語、利害を異にするのですから摩擦があるのは当然です。

しかしこれを全て「衝突」と捕らえ、身構えてしまうのはいかがなものでしょうか?

Re: 朝鮮の性理学

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/06/03 23:38 投稿番号: [886 / 1329]
>東洋ではなく、東方、「オリエント」では?

そう思ったんですが。(苦笑)
「オリエント」の誤訳で「東洋=中国・朝鮮」になったんですね。
マトモな翻訳も出来ず、東洋というと中国・朝鮮を連想する韓国らしい。(笑)

ゲーテもペルシャの詩人の影響を受けた「東西詩集」やゾロアスター教が出てくる「ファウスト」を書いていますから、西洋ではオリエント文化研究が相当に進んでいたと思われますね。
(ただその遺伝子を米国は受け継いでいないようで、中近東対策は失敗続きです。)
元々ヨーロッパ文化の母胎は一神教であるユダヤ教、その一派であるキリスト教の発祥地オリエントですし。
ヨーロッパにとって東方の限界は、中近東・インド辺りまででしょう。

>(スペインやポルトガル人はアラブ商人を通してベネチア、ジェノバ、等の強力な都市国家に流れ込んでくるオリエントからの商品を自分達が直接コントロールするためインド航路を探してたんだし)

オリエントとの地中海貿易を押えたイタリア・ベネチアの繁栄は、インド航路の発見、大航海時代を迎えて衰退していきますね。
この香辛料を求める欲求は想像を超えます。(笑)

>全てが金銀で支払われ、何世紀にも渡って、欧州人奴隷を売ることで赤字を埋め合わせました。

これは知りませんでした。

>「奴隷(スレイブ)」は言語的に「スラブ人」と同じとか。

北ヨーロッパの民がローマ帝国の奴隷・使用人だったというのは中学時代に知りましたが、中世以降もあったのでしょうか?

近代欧州が繁栄したのは植民地からの収奪だけでなく、アフリカ・中南米の奴隷売買の儲けが大きいですね。
人口が2倍になった韓国が日帝支配は史上最悪なんて言うのは、アフリカ・中南米や東南アジアでは笑われることでしょう。

>朝鮮通信使が日本の豊かさを見ても、儒教や中華思想でしか日本を見ることができなかったように、
>西洋の自信もかなり歪んだものだったと思います。

なるほど、それで日本は中国・朝鮮と反りが合わず、西洋とも衝突してしまう運命だったんですね。

Re: 中国は銀本位制だったんですね

投稿者: syouhukutei_kobunnyu 投稿日時: 2007/06/03 14:10 投稿番号: [885 / 1329]
子文祐でおます。横から失礼と存じますがレスさせて頂きます。

>なんとサンスクリットとアラビア語は兄弟の文字だったのですね。それで中東のトイレと東南アジアのトイレは同じなのか!(冗談です)<

いやいや冗談では無いかも知れまへん。

最近の人間学に置いては「言語、宗教、風俗、習慣等は一つのセットとなって伝播していく」

というのが常識となりつつあります。

振り返ってみれば我が愛する日本の国も明治維新以降、特に敗戦を経てその風俗習慣は大変変化いたしました。

とは言うものの古事記、日本書紀、から始まる伝統的な文化も同時に残してきた訳でそれが一つの日本の強みになっておるような気もいたします。

例をとってみれば日本の浮世絵などの江戸期の絵画は幕末以降日本よりもむしろ西洋で評価されたようでおますな。

その後の印象派に大きな影響をあたえました。

禅、茶道、最近では相撲(一部の好事家にかぎられますが)ドラエモン、宮崎駿などのアニメなど高い評価を受けているようです。

残念ながら韓国朝鮮に関してはそのような物はあまり聞かないので有りますがキムチ、焼肉、ビビンバなどの料理、オリジナルはコーりアンメロディであった日本の演歌などは評価しても宜しいかと・・・

どんどん「ズレて」おりまする(お詫び

Re: 朝鮮の性理学

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/06/03 02:09 投稿番号: [884 / 1329]
投稿ありがとうございます。

>西洋に東洋コンプレックスはなかったと思いますが(笑)
>中華・儒教思想にではなく、インド哲学でしょう。

西洋とインドの知性がぶつかり合ったという、
仏教の古典『ミリンダ王の問い』を思い出しました。
(ギリシャ人の王ミリンダと、仏教僧ナーガセーナの、いわば“対談集”)

東洋ではなく、東方、「オリエント」では?
近東、中東、だと思うのですが・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88


欧州に自信を持たせたのは、東洋の商品欧州に売っていたアラブ商人を抑えて、東洋の貿易を独占できるようになった大航海時代で航路を見つけたことが貧しいヨーロッパから脱却できたからでしょう。

(スペインやポルトガル人はアラブ商人を通してベネチア、ジェノバ、等の強力な都市国家に流れ込んでくるオリエントからの商品を自分達が直接コントロールするためインド航路を探してたんだし)

それまでオリエントとの交易は慢性的な赤字でした。
全てが金銀で支払われ、何世紀にも渡って、欧州人奴隷を売ることで赤字を埋め合わせました。
この話はヨーロッパ人が嫌がる話であまり彼ら自身も知らないか、知ってても話したがらない恥部らしいです。
「奴隷(スレイブ)」は言語的に「スラブ人」と同じとか。




それと、キリスト教でしょう。
ローマ法王は1494年、世界を二分して、東に向けて出かけたポルトガルには地球の左側を、西回りのスペインには西側を所有することを許した「トーデシラの契約」を出しています。

当時、スペインやポルトガルの艦船には必ず一団の神父が同乗して、
行く先々で改宗を迫りました。

神に似せて作った白人が有色人種を支配して当然という絶対的自信がまず、
思想や文化より先にあったと思うのですが。

朝鮮通信使が日本の豊かさを見ても、儒教や中華思想でしか日本を見ることができなかったように、
西洋の自信もかなり歪んだものだったと思います。

朝鮮の性理学

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/06/02 20:07 投稿番号: [883 / 1329]
東洋はなぜ、18世紀の繁栄を引き継げなかっただろうか
(前略)

●西洋、東洋のコンプレックスから抜け出す

デカルトやライプチヒなどの活躍で近代科学の方法論的な土台が作られ、宗教の枠を超えた急速な科学技術の発展が始まった。思想の面では、ルソーを中心に、近代市民の自覚が始まり、人間の理性の力を強調する啓蒙主義が現れた。カフェやクラブなどが登場し、社会的な公論の場が設けられ、市民社会の発展は絶対君主の象徴だったフランス王の処刑と共和政を導き出した。このような近代的な変化と発展は、欧州に自信を持たせ、東洋に対して持っていた長年のコンプレックスから完全に脱することができた。

これだけ見れば、18世紀は東西洋の黄金時代だった。しかし、それに続く結果は異なった。何が原因だったのだろうか。18世紀の精神の失踪や変態的な発達のためだった。18世紀の精神は東西洋ともに、人間の理性への信頼や旧体制の矛盾から脱することにあった。しかし、清朝と朝鮮は共に保守革命という鉄鎚に打たれた。清は開放された中華の姿を呈していたものの、内部的には「四庫全書」という思想の統廃合を通じて支配勢力である満州族の安定を図っただけだった。

朝鮮は、性理学を世界創造の絶対的な原理から道具に格下げすることに失敗した。「完璧に」宇宙の原理を説明する性理学をあがめる旧体制に、結局勝てなかった。清と朝鮮の共通点は、「絶対的な存在」(皇帝や性理学)から決して脱することができなかったことだ。このため、18世紀の流れは結局、少数勢力としてうやむやに消え去った。結局、絶対的な存在(キリスト教と国王)を克服することに成功した欧州とは逆の終点に向かって突っ走ったのだ。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007060262748
------------------------

西洋に東洋コンプレックスはなかったと思いますが(笑)、あったとしても、中華・儒教思想にではなく、インド哲学でしょう。
朝鮮は未だに小中華と性理学に汚染されているようです。

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イ・ヨンフン教授インタビュー②

○まだ性理学的談論に満ちている歴史学界

(問)なぜ、その三種類の選択、 日本の東亜帝国、 ソ連社会主義帝国、 中国大陸の植民地になるしかなかったのでしょうか?

   一番重要なことは、あまりに中国に依存的な政策を取ったことです。 中国が解体される直前まで、朝鮮の高宗は中国の藩、諸侯としての国際的地位をすごく明確に再確認したし、その役目に忠実でした。韓半島を取り囲む国際的な勢力の国益を適切に調整しながらヘゲモニーを確保して行く外交的知略が不足だったのです。それほど中華史観に埋没していたのです。
   二番目は社会、国家、世界に対する理解が観念的に過ぎたという点です。性理学で国家は軍国の実体ではなく、礼の秩序として存在します。 修身斉家治国平天下という同心円的秩序の拡張過程の一波動として国家が存在しただけであったため、自ら個人と社会から分離した独自の統合機制として認識されることができなかったのです。すなわち、道徳的に正当ならば王朝は永遠に安泰であるという論理です。このような性理学的な礼の秩序として社会が観念的に理解されたから、清国が韓半島に勢力を伸ばして来た時、実務的対応が不可能だったのです。
   このように朝鮮王朝は性理学的に純化された、完璧な統合を特徴とする社会なので、19世紀以後の朝鮮王朝は、内部的には経済の大失敗で矛盾が増大し、外では韓半島を抱きこもうとするロシア、中国、日本帝国の角逐の中で、全然対応することができなかったのです。人口2千万人の国家が文明的対応に失敗した結果はあまりにも厳しいものであり、世界史にその地図がまた回復するとの予見さえできない悽惨な状況に追い込まれたのです。
   ところで、わずか100年前の事件を、すっかり忘れてしまったり他のもので覆い隠しているから本当に切ないです。国史学界ではよく「善良な主人と狂暴な客」という比喩を使います。善良な主人が尋ねて来たお客さんを手厚くもてなしたが、急にその客が強盗に変わってしまったというのです。これまた性理学的談論と言うべきで、このような道徳的視覚で帝国主義時代を解釈する場合、韓国文明の責任と反省は取り上げられることはありません。これがまさに今日の韓国の危機であるのです。
http://japanese.joins.com/forum/board/view.php?no=41152

Re: 中国は銀本位制だったんですね

投稿者: koobunnyuuuu 投稿日時: 2007/05/31 20:47 投稿番号: [882 / 1329]
でも勝手に脇の方で話を続けましょう(^^

しばらくレスできないとは思いますがまた宜しく!

Re: 李朝朝鮮

投稿者: koobunnyuuuu 投稿日時: 2007/05/31 20:44 投稿番号: [881 / 1329]
ズレちゃってご免ください m(_ _)m
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