サド王子の病状
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/06/17 00:19 投稿番号: [919 / 1329]
トピ主さん登場までのつなぎです。
普通は本人がうつ病と申告する場合、病気ではないと思いますが。
気が変になりそうなほど親子といえども党派争いがひどくて、世子を親が殺さねばならない状況で、下の投稿にあるように、英祖の治世が、「18世紀、新たな発見が近代を開いた」時代だったのか、大いに疑問に思います。
これは東亜さん担当かな。
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思悼世子の病状が記された手紙を発見
JUNE 15, 2007 09:27
「私はもともと、かんしゃくを起こす人知れぬ症状があるうえ、暑さの中で王のお供をしたので、(緊張して)熱が上がり、うつの症状は極度に達し、息苦しくておかしくなりそうです。このような症状は、医官にも言えません。卿はうつ病を治す薬についてよく知っているので、薬を煎じて、人に知られぬよう送ってもらえないでしょうか」(1753年か54年のある日)
思悼世子(サドセジャ)が、自分の内面を告白する内容を綴って、妻の父に送った手紙が発見された。これまで学界ではミステリーとされていた思悼世子の病状と父・英祖(ヨンジョ)との葛藤を明確に説明する資料だと評価されている。
ソウル大学国語国文学科の権斗煥(クォン・ドゥファン)教授は最近、東京大学で朝鮮時代の英祖、荘祖(チャンジョ)、正祖(チョンジョ)3代の手紙の複写本2冊、11帳を発見し、「荘祖」である思悼世子の手紙の内容を翻訳したと14日、明らかにした。
現在残っている思悼世子の手紙はほとんどなく、現存する資料も、個人的な告白ではなく公文書が大半だ。
学者たちは、思悼世子が精神病やうつ病を病んでいたと推測しているが、彼の病気について明確に説明した資料はなかったという。
この手紙の告白は、思悼世子自らが病を患っていることを説明している点で意味深い。
悲運の主人公である思悼世子は、1735年に生まれ、父・英祖の怒りを買って、米びつの中で死んだ。息子の正祖が、荘献と上諡(死んだ王に諡号を送ること)し、1899年に再び荘祖に追崇(生前に王位に就けなかった者に死後国王の称号を与えること)された。妻の恵慶宮洪氏(ヘギョングン・ホンシ)は、朝鮮王室の女人の回顧録として有名な「閑中録(ハンチュンロク)」を通じて、このような秘話を紹介している。
●父・英祖への不満
「私の年は、今年ですでに15歳の春を過ぎましたが、まだ一度も先祖の陵に行って参拝していません」
思悼世子が満14歳の1749年のある日、妻の父に書いた手紙の内容だ。権教授は、「恵慶宮洪氏の閑中録にもこのような内容が伝えらえている」としたうえで、「洪氏は、姑と夫の両方を考えて控え目に記述したと思われるので、内容が正確でない可能性もある。この手紙は、思悼世子が自ら告白した内容なので、父との葛藤をより正確に表している」と説明した。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007061504848
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改革君主 英祖
(前略)
1749年、英祖は健康上の理由で息子のサド王子に政治を行うように命じます。すると英祖の側近が英祖とサド王子の間を裂くような工作をします。サド王子は死んだ景宗の支持勢力に近く、現在の執権を牽制し父の政策を批判することもいといませんでした。サド王子の行動は英祖を不快にし英祖の側近から攻撃を受けます。 彼らはサド王子の動きを監視し、 陰口を王の耳に入れたのです。英祖はサド王子を殺すことにして自決を命じますが応じないので、木製の箱の米びつに王子を閉じ込め8日後死に至らしめます。サド王子が英祖に殺された事件は、英祖の権威が即位期よりは強くなったものの、重臣たちの圧力を克服できる水準ではなかったことを物語っています。英祖はサド王子が死んだ後、その息子、自分の孫を王位に就けようとします。1776年、英祖が83歳の高齢で亡くなると、その孫、サド王子の息子が王位に就きます。正祖です。
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=1076
普通は本人がうつ病と申告する場合、病気ではないと思いますが。
気が変になりそうなほど親子といえども党派争いがひどくて、世子を親が殺さねばならない状況で、下の投稿にあるように、英祖の治世が、「18世紀、新たな発見が近代を開いた」時代だったのか、大いに疑問に思います。
これは東亜さん担当かな。
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思悼世子の病状が記された手紙を発見
JUNE 15, 2007 09:27
「私はもともと、かんしゃくを起こす人知れぬ症状があるうえ、暑さの中で王のお供をしたので、(緊張して)熱が上がり、うつの症状は極度に達し、息苦しくておかしくなりそうです。このような症状は、医官にも言えません。卿はうつ病を治す薬についてよく知っているので、薬を煎じて、人に知られぬよう送ってもらえないでしょうか」(1753年か54年のある日)
思悼世子(サドセジャ)が、自分の内面を告白する内容を綴って、妻の父に送った手紙が発見された。これまで学界ではミステリーとされていた思悼世子の病状と父・英祖(ヨンジョ)との葛藤を明確に説明する資料だと評価されている。
ソウル大学国語国文学科の権斗煥(クォン・ドゥファン)教授は最近、東京大学で朝鮮時代の英祖、荘祖(チャンジョ)、正祖(チョンジョ)3代の手紙の複写本2冊、11帳を発見し、「荘祖」である思悼世子の手紙の内容を翻訳したと14日、明らかにした。
現在残っている思悼世子の手紙はほとんどなく、現存する資料も、個人的な告白ではなく公文書が大半だ。
学者たちは、思悼世子が精神病やうつ病を病んでいたと推測しているが、彼の病気について明確に説明した資料はなかったという。
この手紙の告白は、思悼世子自らが病を患っていることを説明している点で意味深い。
悲運の主人公である思悼世子は、1735年に生まれ、父・英祖の怒りを買って、米びつの中で死んだ。息子の正祖が、荘献と上諡(死んだ王に諡号を送ること)し、1899年に再び荘祖に追崇(生前に王位に就けなかった者に死後国王の称号を与えること)された。妻の恵慶宮洪氏(ヘギョングン・ホンシ)は、朝鮮王室の女人の回顧録として有名な「閑中録(ハンチュンロク)」を通じて、このような秘話を紹介している。
●父・英祖への不満
「私の年は、今年ですでに15歳の春を過ぎましたが、まだ一度も先祖の陵に行って参拝していません」
思悼世子が満14歳の1749年のある日、妻の父に書いた手紙の内容だ。権教授は、「恵慶宮洪氏の閑中録にもこのような内容が伝えらえている」としたうえで、「洪氏は、姑と夫の両方を考えて控え目に記述したと思われるので、内容が正確でない可能性もある。この手紙は、思悼世子が自ら告白した内容なので、父との葛藤をより正確に表している」と説明した。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007061504848
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改革君主 英祖
(前略)
1749年、英祖は健康上の理由で息子のサド王子に政治を行うように命じます。すると英祖の側近が英祖とサド王子の間を裂くような工作をします。サド王子は死んだ景宗の支持勢力に近く、現在の執権を牽制し父の政策を批判することもいといませんでした。サド王子の行動は英祖を不快にし英祖の側近から攻撃を受けます。 彼らはサド王子の動きを監視し、 陰口を王の耳に入れたのです。英祖はサド王子を殺すことにして自決を命じますが応じないので、木製の箱の米びつに王子を閉じ込め8日後死に至らしめます。サド王子が英祖に殺された事件は、英祖の権威が即位期よりは強くなったものの、重臣たちの圧力を克服できる水準ではなかったことを物語っています。英祖はサド王子が死んだ後、その息子、自分の孫を王位に就けようとします。1776年、英祖が83歳の高齢で亡くなると、その孫、サド王子の息子が王位に就きます。正祖です。
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_click_detail.htm?No=1076
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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