朝鮮の性理学
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/06/02 20:07 投稿番号: [883 / 1329]
東洋はなぜ、18世紀の繁栄を引き継げなかっただろうか
(前略)
●西洋、東洋のコンプレックスから抜け出す
デカルトやライプチヒなどの活躍で近代科学の方法論的な土台が作られ、宗教の枠を超えた急速な科学技術の発展が始まった。思想の面では、ルソーを中心に、近代市民の自覚が始まり、人間の理性の力を強調する啓蒙主義が現れた。カフェやクラブなどが登場し、社会的な公論の場が設けられ、市民社会の発展は絶対君主の象徴だったフランス王の処刑と共和政を導き出した。このような近代的な変化と発展は、欧州に自信を持たせ、東洋に対して持っていた長年のコンプレックスから完全に脱することができた。
これだけ見れば、18世紀は東西洋の黄金時代だった。しかし、それに続く結果は異なった。何が原因だったのだろうか。18世紀の精神の失踪や変態的な発達のためだった。18世紀の精神は東西洋ともに、人間の理性への信頼や旧体制の矛盾から脱することにあった。しかし、清朝と朝鮮は共に保守革命という鉄鎚に打たれた。清は開放された中華の姿を呈していたものの、内部的には「四庫全書」という思想の統廃合を通じて支配勢力である満州族の安定を図っただけだった。
朝鮮は、性理学を世界創造の絶対的な原理から道具に格下げすることに失敗した。「完璧に」宇宙の原理を説明する性理学をあがめる旧体制に、結局勝てなかった。清と朝鮮の共通点は、「絶対的な存在」(皇帝や性理学)から決して脱することができなかったことだ。このため、18世紀の流れは結局、少数勢力としてうやむやに消え去った。結局、絶対的な存在(キリスト教と国王)を克服することに成功した欧州とは逆の終点に向かって突っ走ったのだ。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007060262748
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西洋に東洋コンプレックスはなかったと思いますが(笑)、あったとしても、中華・儒教思想にではなく、インド哲学でしょう。
朝鮮は未だに小中華と性理学に汚染されているようです。
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イ・ヨンフン教授インタビュー②
○まだ性理学的談論に満ちている歴史学界
(問)なぜ、その三種類の選択、 日本の東亜帝国、 ソ連社会主義帝国、 中国大陸の植民地になるしかなかったのでしょうか?
一番重要なことは、あまりに中国に依存的な政策を取ったことです。 中国が解体される直前まで、朝鮮の高宗は中国の藩、諸侯としての国際的地位をすごく明確に再確認したし、その役目に忠実でした。韓半島を取り囲む国際的な勢力の国益を適切に調整しながらヘゲモニーを確保して行く外交的知略が不足だったのです。それほど中華史観に埋没していたのです。
二番目は社会、国家、世界に対する理解が観念的に過ぎたという点です。性理学で国家は軍国の実体ではなく、礼の秩序として存在します。 修身斉家治国平天下という同心円的秩序の拡張過程の一波動として国家が存在しただけであったため、自ら個人と社会から分離した独自の統合機制として認識されることができなかったのです。すなわち、道徳的に正当ならば王朝は永遠に安泰であるという論理です。このような性理学的な礼の秩序として社会が観念的に理解されたから、清国が韓半島に勢力を伸ばして来た時、実務的対応が不可能だったのです。
このように朝鮮王朝は性理学的に純化された、完璧な統合を特徴とする社会なので、19世紀以後の朝鮮王朝は、内部的には経済の大失敗で矛盾が増大し、外では韓半島を抱きこもうとするロシア、中国、日本帝国の角逐の中で、全然対応することができなかったのです。人口2千万人の国家が文明的対応に失敗した結果はあまりにも厳しいものであり、世界史にその地図がまた回復するとの予見さえできない悽惨な状況に追い込まれたのです。
ところで、わずか100年前の事件を、すっかり忘れてしまったり他のもので覆い隠しているから本当に切ないです。国史学界ではよく「善良な主人と狂暴な客」という比喩を使います。善良な主人が尋ねて来たお客さんを手厚くもてなしたが、急にその客が強盗に変わってしまったというのです。これまた性理学的談論と言うべきで、このような道徳的視覚で帝国主義時代を解釈する場合、韓国文明の責任と反省は取り上げられることはありません。これがまさに今日の韓国の危機であるのです。
http://japanese.joins.com/forum/board/view.php?no=41152
(前略)
●西洋、東洋のコンプレックスから抜け出す
デカルトやライプチヒなどの活躍で近代科学の方法論的な土台が作られ、宗教の枠を超えた急速な科学技術の発展が始まった。思想の面では、ルソーを中心に、近代市民の自覚が始まり、人間の理性の力を強調する啓蒙主義が現れた。カフェやクラブなどが登場し、社会的な公論の場が設けられ、市民社会の発展は絶対君主の象徴だったフランス王の処刑と共和政を導き出した。このような近代的な変化と発展は、欧州に自信を持たせ、東洋に対して持っていた長年のコンプレックスから完全に脱することができた。
これだけ見れば、18世紀は東西洋の黄金時代だった。しかし、それに続く結果は異なった。何が原因だったのだろうか。18世紀の精神の失踪や変態的な発達のためだった。18世紀の精神は東西洋ともに、人間の理性への信頼や旧体制の矛盾から脱することにあった。しかし、清朝と朝鮮は共に保守革命という鉄鎚に打たれた。清は開放された中華の姿を呈していたものの、内部的には「四庫全書」という思想の統廃合を通じて支配勢力である満州族の安定を図っただけだった。
朝鮮は、性理学を世界創造の絶対的な原理から道具に格下げすることに失敗した。「完璧に」宇宙の原理を説明する性理学をあがめる旧体制に、結局勝てなかった。清と朝鮮の共通点は、「絶対的な存在」(皇帝や性理学)から決して脱することができなかったことだ。このため、18世紀の流れは結局、少数勢力としてうやむやに消え去った。結局、絶対的な存在(キリスト教と国王)を克服することに成功した欧州とは逆の終点に向かって突っ走ったのだ。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2007060262748
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西洋に東洋コンプレックスはなかったと思いますが(笑)、あったとしても、中華・儒教思想にではなく、インド哲学でしょう。
朝鮮は未だに小中華と性理学に汚染されているようです。
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イ・ヨンフン教授インタビュー②
○まだ性理学的談論に満ちている歴史学界
(問)なぜ、その三種類の選択、 日本の東亜帝国、 ソ連社会主義帝国、 中国大陸の植民地になるしかなかったのでしょうか?
一番重要なことは、あまりに中国に依存的な政策を取ったことです。 中国が解体される直前まで、朝鮮の高宗は中国の藩、諸侯としての国際的地位をすごく明確に再確認したし、その役目に忠実でした。韓半島を取り囲む国際的な勢力の国益を適切に調整しながらヘゲモニーを確保して行く外交的知略が不足だったのです。それほど中華史観に埋没していたのです。
二番目は社会、国家、世界に対する理解が観念的に過ぎたという点です。性理学で国家は軍国の実体ではなく、礼の秩序として存在します。 修身斉家治国平天下という同心円的秩序の拡張過程の一波動として国家が存在しただけであったため、自ら個人と社会から分離した独自の統合機制として認識されることができなかったのです。すなわち、道徳的に正当ならば王朝は永遠に安泰であるという論理です。このような性理学的な礼の秩序として社会が観念的に理解されたから、清国が韓半島に勢力を伸ばして来た時、実務的対応が不可能だったのです。
このように朝鮮王朝は性理学的に純化された、完璧な統合を特徴とする社会なので、19世紀以後の朝鮮王朝は、内部的には経済の大失敗で矛盾が増大し、外では韓半島を抱きこもうとするロシア、中国、日本帝国の角逐の中で、全然対応することができなかったのです。人口2千万人の国家が文明的対応に失敗した結果はあまりにも厳しいものであり、世界史にその地図がまた回復するとの予見さえできない悽惨な状況に追い込まれたのです。
ところで、わずか100年前の事件を、すっかり忘れてしまったり他のもので覆い隠しているから本当に切ないです。国史学界ではよく「善良な主人と狂暴な客」という比喩を使います。善良な主人が尋ねて来たお客さんを手厚くもてなしたが、急にその客が強盗に変わってしまったというのです。これまた性理学的談論と言うべきで、このような道徳的視覚で帝国主義時代を解釈する場合、韓国文明の責任と反省は取り上げられることはありません。これがまさに今日の韓国の危機であるのです。
http://japanese.joins.com/forum/board/view.php?no=41152
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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