Re: サド王子の病状
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/06/17 02:31 投稿番号: [921 / 1329]
>これは東亜さん担当かな。
お呼びにより参上しました。
>サド王子が英祖に殺された事件は、英祖の権威が即位期よりは強くなったものの、重臣たちの圧力を克服できる水準ではなかったことを物語っています。
思悼世子の父である英祖は、党争を抑える為「蕩平」と呼ばれる、各派閥から均等に大臣などの要職を登用する政策をとりました。最初のうちはうまくいっていたようにみえるのですが、次第に各党派の暗闘が激化し、英祖が思悼世子に公務執行権を譲ろうとしたときに、党派による内紛が激化し、そのあおりをくらってついに思悼世子は父英祖から忌避され、米櫃に幽閉されて死亡しました。あとはお決まりの党争の再開ですね。
この時代について、蕩平政策を国王の下に皆が平等な「民国」という概念の「萌芽」と見るのは、ご存知「李泰鎮」です♪
>気が変になりそうなほど親子といえども党派争いがひどくて、世子を親が殺さねばならない状況で、下の投稿にあるように、英祖の治世が、「18世紀、新たな発見が近代を開いた」時代だったのか、大いに疑問に思います。
近代なんか開いてもいません。(キッパリ)
パプワンさんがおっしゃったように、マニア的なものがあったとしても社会全体の発展には結びついていません。
そうそう、朝鮮通信使が対馬からサツマイモを輸入し、大坂・京都で見かけた水車を輸入しようとしたのもこの時代ですねぇ。
え?もちろん(?)、水車の導入には失敗しましたよ♪世宗時代に水車導入に失敗してから300年経っても水車すらつくれない連中に「新たな発見」ができて、「近代を開」くことができたのかと。
これは メッセージ 919 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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