Re: 朝鮮の性理学
投稿者: yamamotositihei 投稿日時: 2007/06/04 07:49 投稿番号: [887 / 1329]
はじめまして。
なかなか真摯な歴史談義、非常に感心して拝見しております。
>ゲーテもペルシャの詩人の影響を受けた「東西詩集」やゾロアスター教が出てくる「ファウスト」を書いていますから、西洋ではオリエント文化研究が相当に進んでいたと思われますね。
(ただその遺伝子を米国は受け継いでいないようで、中近東対策は失敗続きです。)
元々ヨーロッパ文化の母胎は一神教であるユダヤ教、その一派であるキリスト教の発祥地オリエントですし。
ヨーロッパにとって東方の限界は、中近東・インド辺りまででしょう<
その通りではないでしょうか。
特にアメリカの歴史学会では日中韓の極東アジア研究などはむしろマイナーな分野で中国学はともかく日韓の歴史などは深く研究しているのは少数のようですね。
>北ヨーロッパの民がローマ帝国の奴隷・使用人だったというのは中学時代に知りましたが、中世以降もあったのでしょうか?<
ローマ帝国の末期から奴隷制度は崩れていきます。
これは単に生産性の問題で奴隷制だと一定以上の収穫を上げても自らの見返りは何も期待できません。したがってどうしても怠惰になります。
しかも彼らの主人は極端に不作の時でも彼らに食料を用意せねばなりません。奴隷はその主人にとって大切な財産だからです。
小作にすれば彼らは決まった収穫以上のものを上げればそれは自分たちのものになりますから頑張って仕事に励み、それが領主の収入増大にも繋がりました。
>北ヨーロッパの民がローマ帝国の奴隷・使用人だった・・・<
北ヨーロッパの民と言うのはこの場合「ゲルマン人」を指すと考えても良いのではないでしょうか。
ローマ時代の末期には地中海人種であったローマ人は北方のゲルマン人に押されぎみになります。
それまではむしろ彼らとの戦闘で勝利し奴隷としてローマ帝国に持ち帰る事も、征服したその地を領主として支配する事も多かったようです。
しかしローマ市民は贅沢になれ、だんだん惰弱化しついにはゲルマン人の侵入によって西ローマ帝国は崩壊します。
これよりゲルマン人による中世「暗黒の時代」に入るのですがキリスト教とローマの文化はヘブライズムとヘレニズムという形で尊重され続けていきます。
ヨーロッパの王族、貴族の中にはその血脈がローマ時代に遡れる事を誇りとするものもいたようです。が、彼らのDNAの主成分が紅毛壁眼のゲルマン民族であったのは間違いないでしょう。
>・・・それで日本は中国・朝鮮と反りが合わず、・・・・<
反りが会わないと言うか・・・
遣唐使が廃止されて以降、日本の文化、伝統、思想は半島を含めた大陸とは独自の展開を始めます。
仏教にしろ儒教にしろ書物による伝播が主でそのためご本家とは一寸変わった解釈で受け取られる事が多かったですね。
中韓において「我々東洋の思想は実践を重んじる。その点日本は・・・」などと言われるのはそこです。
しかしそれが西洋の思想文物とも柔軟に受け入れる土壌に繋がった訳で明治の近代化が非常に(相対的に)スムーズに行われた一つの遠因だったと考えています。
>・・・西洋とも衝突してしまう運命だったんですね<
外国とは風俗、習慣、言語、利害を異にするのですから摩擦があるのは当然です。
しかしこれを全て「衝突」と捕らえ、身構えてしまうのはいかがなものでしょうか?
なかなか真摯な歴史談義、非常に感心して拝見しております。
>ゲーテもペルシャの詩人の影響を受けた「東西詩集」やゾロアスター教が出てくる「ファウスト」を書いていますから、西洋ではオリエント文化研究が相当に進んでいたと思われますね。
(ただその遺伝子を米国は受け継いでいないようで、中近東対策は失敗続きです。)
元々ヨーロッパ文化の母胎は一神教であるユダヤ教、その一派であるキリスト教の発祥地オリエントですし。
ヨーロッパにとって東方の限界は、中近東・インド辺りまででしょう<
その通りではないでしょうか。
特にアメリカの歴史学会では日中韓の極東アジア研究などはむしろマイナーな分野で中国学はともかく日韓の歴史などは深く研究しているのは少数のようですね。
>北ヨーロッパの民がローマ帝国の奴隷・使用人だったというのは中学時代に知りましたが、中世以降もあったのでしょうか?<
ローマ帝国の末期から奴隷制度は崩れていきます。
これは単に生産性の問題で奴隷制だと一定以上の収穫を上げても自らの見返りは何も期待できません。したがってどうしても怠惰になります。
しかも彼らの主人は極端に不作の時でも彼らに食料を用意せねばなりません。奴隷はその主人にとって大切な財産だからです。
小作にすれば彼らは決まった収穫以上のものを上げればそれは自分たちのものになりますから頑張って仕事に励み、それが領主の収入増大にも繋がりました。
>北ヨーロッパの民がローマ帝国の奴隷・使用人だった・・・<
北ヨーロッパの民と言うのはこの場合「ゲルマン人」を指すと考えても良いのではないでしょうか。
ローマ時代の末期には地中海人種であったローマ人は北方のゲルマン人に押されぎみになります。
それまではむしろ彼らとの戦闘で勝利し奴隷としてローマ帝国に持ち帰る事も、征服したその地を領主として支配する事も多かったようです。
しかしローマ市民は贅沢になれ、だんだん惰弱化しついにはゲルマン人の侵入によって西ローマ帝国は崩壊します。
これよりゲルマン人による中世「暗黒の時代」に入るのですがキリスト教とローマの文化はヘブライズムとヘレニズムという形で尊重され続けていきます。
ヨーロッパの王族、貴族の中にはその血脈がローマ時代に遡れる事を誇りとするものもいたようです。が、彼らのDNAの主成分が紅毛壁眼のゲルマン民族であったのは間違いないでしょう。
>・・・それで日本は中国・朝鮮と反りが合わず、・・・・<
反りが会わないと言うか・・・
遣唐使が廃止されて以降、日本の文化、伝統、思想は半島を含めた大陸とは独自の展開を始めます。
仏教にしろ儒教にしろ書物による伝播が主でそのためご本家とは一寸変わった解釈で受け取られる事が多かったですね。
中韓において「我々東洋の思想は実践を重んじる。その点日本は・・・」などと言われるのはそこです。
しかしそれが西洋の思想文物とも柔軟に受け入れる土壌に繋がった訳で明治の近代化が非常に(相対的に)スムーズに行われた一つの遠因だったと考えています。
>・・・西洋とも衝突してしまう運命だったんですね<
外国とは風俗、習慣、言語、利害を異にするのですから摩擦があるのは当然です。
しかしこれを全て「衝突」と捕らえ、身構えてしまうのはいかがなものでしょうか?
これは メッセージ 886 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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