日韓歴史論争
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/06/07 16:12 投稿番号: [2879 / 6952]
ひとつ忘れてた。
>日本語の授業時間を増やして朝鮮語時間を減らし
当時の朝鮮人て家庭では何語をしゃべってたの?朝鮮人コミュニティでは?
当然朝鮮語だよね。ということはあと必要なのはハングル文字の読みと書き。これを学ぶ為ににかかる時間てそんなに多く必要だとは思えないが。
日本に併合された以上公用語は日本語であって日本語の読み書き及び会話ができなければ困るんじゃないの?というより就職にも出世にも響くと考えるのは当たり前すぎるほど当たり前の話。当時の日本人に完璧を求められても困る。
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: whiterose20051 君 納得しましたか?
投稿者: doronpa90 投稿日時: 2006/06/07 15:12 投稿番号: [2878 / 6952]
はっきり言って朝鮮人は「ウリは楽がしたいニダ!
贅沢がしたいニダ!
尊敬を集めたいニダ!」ってだけの甘ったれなんですよ。
これは メッセージ 2876 (korea_dame さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い(2)
投稿者: doronpa90 投稿日時: 2006/06/07 15:04 投稿番号: [2877 / 6952]
>病院も患者は日本人の方が多いつまり朝鮮人には何の役にたたなかった。
まさしく「プッ=3」ですな。
少ないといっても朝鮮人患者もいたんだろ?
今でも診療費が払えなくて病院にいけない朝鮮人はいますが?
何がいけないの?
日本人の方がよく働く分裕福なだけだろ?
人口が2倍になったのは交尾しすぎて増えただけじゃなく、平均寿命も延びたんだろ?
昔よりひどい環境で搾取されると朝鮮人は人口が増えるのか?
だったら今は戦前よりひどい状況なんだ!
プッ=3
これは メッセージ 2875 (koshien21c さん)への返信です.
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whiterose20051 君 納得しましたか?
投稿者: korea_dame 投稿日時: 2006/06/07 14:54 投稿番号: [2876 / 6952]
一々証拠を出すのは面倒だから手抜きをしたが、沢山の方から証拠の披瀝が有りました。
皆さんに感謝します。
ところでwhiterose20051君、これらの客観的証拠を見てもまだ納得しませんか?
これらの日本の善政を見ても、尚かつ朝鮮人が日本を恨むのはやはり、併合前の暗黒朝鮮時代に戻りたいと希望していると云うことではないですか。
もし反論するなら証拠を挙げて反論してください。
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い(2)
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/07 14:14 投稿番号: [2875 / 6952]
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 保守派の馬鹿な政治化・知識人のことだ
投稿者: onbinni710 投稿日時: 2006/06/07 12:52 投稿番号: [2874 / 6952]
現在日本が韓国に対してとってるぬるま湯のような対応に比べてかなぁ
100年前朝鮮が望んでたのはこんな形だと思うねぇ
確実に共倒れしただろうけど。
これは メッセージ 2865 (doronpa90 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い(1)
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/07 11:52 投稿番号: [2873 / 6952]
>朝鮮の内政・外交には清国は干渉しないと
相談されれば相談にのる
そういう関係だと日清通商条約の交渉時日本へ言っている。
根拠が無いね。
1637年に朝鮮が清国に結ばされた和約の内容は、
1.朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと
2.朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと
3.王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること
4.清が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること
5.内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること
6.城郭の増築や修理については、清に事前に承諾を得ること
7.清に対して黄金100両、白銀1000両と二十余種の物品を毎年上納すること
8.清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること
9.清が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること
10.清からの逃亡者を隠してはいけない
11.日本との交流を許すこと』
7項目目の「二十余種の物品」の中には、何十人もの処女の娘も入っていた
1876年2月「朝鮮王国は自主の国にして日本国と平等の権利を保有する」という趣旨の日朝修好条規を締結したが、清国は朝鮮王国を属邦であると主張、この条規の破棄を主張した。以後朝鮮情勢は、朝鮮王国の独立を認める日本と宗主権を主張する清国とが、朝鮮王国内の自派勢力と策応して抗争し、この間にあって朝鮮半島沿岸に不凍港を求めて新たな侵略を狙う帝政ロシアと、これを警戒するイギリスとが策動し、極東を巡る国際情勢は混沌状態であった。これが後に日英同盟に繋がった。
>それに清国が朝鮮政府の依頼により出兵したとき平定しおわったとき
に朝鮮政府の撤兵要請を了解している。
甲午農民戦争農民による李王朝への反乱平定を袁世凱が閔氏政権に進言し閔氏政権は李鴻章に反乱鎮圧の派兵を要請した。反乱鎮圧後も清国軍は何時までも撤兵せず残った。これが日清戦争へのきっかけにもなった。
>ところが日本側は朝鮮政府が要請もしないのに日清条約をたてにとって
勝手に出兵
終わっても朝鮮政府の撤兵要請を無視
又、つまみ食いで嘘をつく。日清条約ってなんだね。天津条約だ。
1885年、清国と日本が結んだ条約
甲申事変後の1885年4月に清と日本の間に結ばれた条約。この条約によって、日清両国の漢城からの即時撤退、将来朝鮮に出兵する場合の相互通知等が約された。
もう一つ、1882年朝鮮李王朝との間に結ばれた済物浦条約で日本公使館や居留民の保護の為出兵できるというもの。
日本が天津条約と済物浦条約で出兵したことは国際法上なんら問題はない。
>日本が作った改革案を呑めと要求しのむ様子がないから今度は王宮占領して
どんな改革案だ?
1884年の甲申政変と混同してないか。政変で逃げた重臣達が李鴻章に支援を要請、清国兵が宮中に突入、当時宮中を警護した日本兵を駆逐して革命は失敗した。
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/06/07 11:41 投稿番号: [2872 / 6952]
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/06/07 11:00 投稿番号: [2871 / 6952]
>朝鮮には書堂が全国にあり決してそんな無学・無知ではなく書堂出身者から
農民の意思を代弁する指導者層が生まれた。
書堂の実態は伊東致昊氏の言葉で十分でしょう。
筆者紹介
伊東致昊氏は、韓末の栄将尹英烈男の長男として元治元年生、早く米国に遊学明治二十九年韓国外務大臣として複雑多端な当時の外交陣頭に起ち
敏腕を振い、併合後は官界を退き開城に今の松都中学の前身たる漢英学院を建設して専ら育英事業に献身努力す、また大正五年に朝鮮基督教青年会長に就任半島青年の父として精神的指導をなして今日に至る
七十年前の教育界
伊東致昊
この意義深い始政三十周年記念日を迎えるに当り、先ず私は朝鮮教育界の七十年前を回顧して誠に感慨無量なるものがある。
当時における半島人の教育状況を、方法、目的、範囲等の三つに分けて今日のそれと比較考察してみるに、私の様な八十歳に近い老年のものには全く隔世の感がある。
教育の方法
即ち当時七歳の私自身が、既にその不完全な方法による極めて狭い範囲の教育によって出発したのだった。つまりそのころは教育機関として別に政府が施設をするわけでもなく、ただ民間の有力な人人(両班)が書堂というものを普通の有力な家庭に設けて漢文の先生を招き、月謝として一年に籾で何十石かを支払うことになり、方方からこれも一部有力な人々の子孫達のみが集って教育を受けたものだった。また豊裕な家庭(これも両班のみ)では家庭教師を置いて子弟教育に当ったものだ。
こんなわけで教育の恩沢を受けるものは半島人口のほんの一割に過ぎず、後の九割に当る一般大衆は教育から全く除外されむしろ教育の必要すら感じなかった程であった。況や女子教育においては問題外であった。
目的と範囲
そんなわけで当時の教育の科目は単なる漢学一方で、特権階級のみが、これを習得して官位を得る一つの試験準備的な役割のみに使われていたものだ。従ってその教育方法も至って幼稚なもので、朝先生から何章かの漢文を教えられると、それを一生懸命に暗誦して夕方先生の前でその通りに暗誦さえすれば立派に勉強したことになった。その次が書を習い達筆を期することにあり、再興の過程に達したとき、はじめて漢詩を創り、それで一通りの学問を卒えたことになっており、今日の如く自然科学者が数学とか、美術とかを教える多彩な総合的教育とは凡そ縁遠いものであった、むしろ才能のあるものが図画のようなものを描いたり跳ね廻って運動でもやるものなら先生から学徒の異端者の如く見られ処罰すら受けたのである。
こんな不完全な教育の中から経国済世に足る優れた大人物が生れ得なかったのもむしろ当然すぎることであろう。而も此教育制度は李朝末まで続いた。此誤れる教育制度こそは李朝の滅亡を招来したものであった。
今日の教育
ところが併合するや、この陋幣は、さっぱりと排除され、半島民衆すべてが貴賎の別を問わず、一様に教育の恩沢を蒙るようになった。先ず方法において革新的であり、国家の親心で立派な施設の下に広範囲に亘り豊富な内容をもった教育を受けることが出来るのみならず、努力の如何によっては、どんなにでも出世が出来ることだ。これが若し併合前の制度であったとしたら百姓の子であれば如何に努力をしても官吏にはなれないのであった。しかも今日の教育の目的は単なる簡易獲得への手段ではなく、国民の知識啓蒙を図り、また精神訓育を行って士農工商あらゆる方面にその特殊技能を伸して思う存分活躍、生活を楽しみながら国家のため奉公が出来るのである。
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/06/07 10:48 投稿番号: [2870 / 6952]
>朝鮮人のためなら言いが日本の威力をみせつけ
学校は日本人優先の学校
書堂で学ぶ者は李朝時代たかだか一割。総督府の目標は全朝鮮人に初等教育を受けさせること。また初等教育を受ける余裕の無い者には簡易学校という制度もありました。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474201&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474201>一、初等教育の根本要義に就ては従来内地等に於けるが如き諸書教育の弊を排除し朝鮮の実情に鑑みて国家社会人として必要なる資質を向上し勤労好愛の精神を振興せしめ興業治産の志向を教養するに努むること
一、教育の実際施設に就ては機会均等の主義に依り此際少数者に対する教育の向上を図るよりも寧ろ多数民衆に対する教育の普及を図ることとし兎も角一面一校主義の実現を期し之に依りて各面に将来普通学校発展の中核となるべき設備を植付け尚之を基礎として社会教育施設の進展を図ること
一、初等教育及社会教育の施設は大体に於て其の費用を地方団体にも之を負担せしむるの主義に依り教育に対する民衆の義務心を喚起せざるべからざるは言を俟たざる所なるも現下半島の民度に鑑み本計画に依り新に各面に教育機関の中核を植付くる迄の費用は当分の内補助政策を主とすることとし将来民度の増進と共に漸次地方の負担に依りて教育施設の維持発展を図るの方針に進むること
簡易学校
>一、簡易国民学校の教科目は修身国語、朝鮮語、算術、実業(男子)裁縫及手芸、園芸、(以上女子)体操(男子には主として教練を課す)とし毎週十二時、一日二時間を限度として地方の状況に依り適宜授業の終始時刻を定めしむること
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/06/07 10:32 投稿番号: [2869 / 6952]
>明治以後無法な日本人が米や金銀を奪取、高利貸しなど朝鮮人を苦しめた
朝鮮人を苦しめたのは主に朝鮮人自身であってそれは李朝地代から続いていました。もちろん日本人にもそういう人間がいたことは否定しませんが。
例えば朝鮮人地主の横暴の例(文中の舎音とは地主と小作人の中間で土地を管理する者のこと)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00487333&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00487333>わが輩の眼から見れば、朝鮮の地主はあまり暴虐である、小作人に対する同情よりも寧ろ義憤を発せざるを得ない。しかも地主舎音は、小作人にしてこの命令を肯かない場合は遠慮なく田畑を取上げてしまう。前年肥料を入れておいた水田を何等の顧慮もなく取上げてしまう。だから小作人の耕作人の耕作期間は僅かに二年乃至三年、□々として同一地主の小作人は変ってゆく。そして取上げられた小作人は、明日から生活のアテがないから更に暴虐なる地主にも叩頭して耕作せざるを得なくなる、かくして小作人は常に虐げられてゆく、これは実に由々しき社会問題であるのみならず、産業開発を阻止する大問題であらねばならぬ。本府の大方針たる細農救済資金もかくした哀れな小作農を救うて更に大いに働きうる力を与え、かつその生活の安定向上の為になされた施設であることは今更いうまでもないことだ
高利貸しにしても朝鮮人のほうが多かった。しかも総督府は低利融資などの対策をとっています。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474744&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474744>総督施政方針の大眼目たる精神作興運動の経済的目的は春窮麦嶺期に於る農村の食糧の充実及び高率な個人貸借関係を是正する高利債整理にあるとされているが、食糧の不足は漸次緩和されつつあると同時に一方高利債整理も急速に進展好成績を挙げつつある、即ち高利債は従来四分、年四割八分程度のものから二割以上高率のものもあって総額一億円以上と目され地方農村は高利貸横行状態を現出していたものが、最近に至っては低金利の侵潤に加えて自力更生運動の促進及び金組の低利な資金による高利債借替え等が漸次功を奏して之等の高利貸は徐に農村引揚げを行いつつある欣ばしき現状を招来した
実例として京畿道北部及黄海道の個人金融機関たる開城の市辺金融が一年間に貸出す金額は二三百万円に達しているが漸次影をひそめ、京畿道南部及江原道に高利貸的勢力を張る南漢山麓の山城里部落は、部落民全体が高利貸を商売に行っているがこれ等は殆ど今日中止のやむなきに至った状態である、さらに最近の地価昂騰は高利貸資金が引上げられ土地投資に向けられたのが最大の原因と云われている
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: korea_dame 投稿日時: 2006/06/07 09:38 投稿番号: [2868 / 6952]
>>朝鮮人は支那の属国であることに誇りを持っていた。
>属国ではありません。
おやおや折角私が朝鮮人の身になって好意的に書いたこともすべて否定するのかね。
属国で有ると云うことは朝鮮人自らが認めている事実だし、捏造も何も証拠の写真も沢山残っている。
例えば清朝に建てさせられた土下座碑をわざわざ韓国は残している。
朝鮮王は迎恩門で9回も頭を地面にこすりつけ清の使者を出迎えた。
これも否定するのですか。
日本が学校を作ったことも事実、今のソウル大学は帝国大学ですよ。
日本統治時代の小学教科書に日本語とハングルを併用した教科書の写真も残っている。
北朝鮮では未だに日本が日本の金で建設した水力発電所が現役として動いているでは有りませんか。
また南大門の前のわら小屋が写ったソウルの写真もあるし、イギリスの作家の残した併合前のソウルの描写もある。
フランス人の旅行家の文章も残っている、これらすべてが日本の嫌韓家が捏造したものだと云うのですか。
それらの客観的証拠に基づいて見て、朝鮮人が日帝36年の統治を恨む意見が多いので、以前のままが良かったのだろうと言うのだ。
君の反論こそ何も根拠が示されていない。
私の投稿に反論するなら君の推測や希望を交えず客観的なソ−スを提示してください。
私は嘘は申しません。
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 保守派の馬鹿な政治化・知識人のことだ
投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/07 09:20 投稿番号: [2867 / 6952]
19世紀末〜20世紀初頭の朝鮮は弱かったからしょうがない。
当時は弱者が強者に呑み込まれるのは当然のことだった。
単にそれだけのことですよね。
恨むなら、嘆くなら、よわっちい自分の先祖を恨んで嘆きなさいってこと。
日本を恨むのは筋違い。
これは メッセージ 2864 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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Re: 朝鮮支配の源泉 Re征韓論:
投稿者: dosiroutoarufa 投稿日時: 2006/06/07 08:52 投稿番号: [2866 / 6952]
得意の各記事のつまみ食いで一貫した主張のように見せる。韓国は一般人も学者も政治家も同じ事するね。だから日本人に信用されないし、バカにされる。
これは メッセージ 2854 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 保守派の馬鹿な政治化・知識人のことだ
投稿者: doronpa90 投稿日時: 2006/06/07 04:06 投稿番号: [2865 / 6952]
>学習すればするほどいかに日本がひどい統治したか分ってくるのだよ。
どこと比べて?
>開国後60年弱の間こんなひどい目にあっているだから
朝鮮国の政治経済にどうして日本が関係あんのよ?
恥ずかしいカキコはそれからね。
ま、とにかく早く竹島から出て行ってくれ。
よんでもいないのにやってくる朝鮮人売春婦はつれて帰ってくれ。
強盗はすんな。
不法移民の面倒は自国でやってくれ。
一人前の話はそれからだろ?
日本人はず〜と迷惑している。
頼むから普通の外国人になれよ。
これは メッセージ 2860 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 保守派の馬鹿な政治化・知識人のことだ
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 03:33 投稿番号: [2864 / 6952]
>又再度朝鮮・中国侵略を言い出すだろうね。
朝鮮は侵略してねえよ。勝手に歪曲するな。
で?支那に日本軍は租界という事で、派遣していたけど支那とどうして戦争になったか答えろ。
租界の意味は知ってるよな。
現在進行形で日本の国を侵略してる国は?
日本で悪さしてばかりいるたちの悪い犯罪者の国は?
強制連行されたって言ってるくせに、帰ろうとしない乞食はどこの国の人?
答えを聞かせて貰おうか。
これは メッセージ 2860 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 保守派の馬鹿な政治化・知識人のことだ
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 03:15 投稿番号: [2863 / 6952]
その反日に明け暮れたせいで、また経済崩壊してるぞ。
日本のことばかり考えて、国内の事はそっちのけのお陰でな。
また、日本が助けると思ってるのか?
そこまでお人よしじゃないよ、日本人は。
君たちが、過激に反日活動してくれたお陰で、多くの日本人は目をさました。
歴史は繰り返すだって?
また、属国の哀れな生活に戻るんだよ。朝鮮人は。
日本を頼り、日本に甘えた結果だよ。恩知らずを通り越して恥知らずになってる事にも気づかない。
馬
鹿
民
族
これは メッセージ 2860 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮支配の源泉 Re征韓論:
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/07 02:54 投稿番号: [2862 / 6952]
>吉田松陰は,西洋との通商で失った富を朝鮮・満州の土地獲得で補うべしと主張し,橋本左内は,日本独立のために満州・朝鮮などを併合しなければならないと論じた。また,勝海舟は,欧米列強に対抗するには日本・朝鮮・中国の三国が連帯協力すべきであると説いたが,もし朝鮮がロシアに侵略されれば直ちに日本の存立を危くするから,その場合には日本が先手をうって朝鮮を武力で服従させよとも論じた。
あなたの引用されたサイト原文ではこう続きますね。
>これらの議論は,現実の朝鮮国との交渉に基礎づけられていない観念論であり,国内の政治的不満を外にそらす政策論の側面をも有していたから,幕末政局の激動が進むにつれてうやむやになった。
この文章の有無でかなり文意が違ってきますよね。さらに、
>参与木戸孝允であった。木戸は,使節を派遣して朝鮮の無礼を責め,先方が謝罪しないときは武力を行使せよと強調した。
この文章も、頭に「この事態に政府内で敏感に反応したのは」というのが抜けてますね。この事態とは、
>明治新政府が発足すると,江戸時代を通じて日朝国交の仲介を専管していた対馬藩は,その特権維持を求めて,政府と朝鮮国との交際再開を働きかけた。そこで,政府は対馬藩に朝鮮国への使節派遣を命じたが,朝鮮側は対馬藩が持参した国書の形式が前例に反するとして受理を拒否した。ここに,日朝国交問題は立ちあがりから困難な事態に直面することになった。
というものですね。この説明がないと、たんに無礼を責めるという言いがかりをつけて兵を出すという風にとられますな。
>西郷は,1873年10月15日付で太政大臣三条実美にあてた「始末書」において,〈公然と使節差し立てらるる〉のが至当であり,あらかじめ戦争準備をして使節を派遣するのは〈礼を失せられ候〉,そうでなくて誠心誠意の交渉によって〈是非交誼を厚く成され候御趣意貫徹いたし候様これありたく〉と明言している
で、このサイトにはこういう主張もあり、
>西郷が閣議などの公的な場で“征韓”を主張したことを示す史料は現在まで発見されていない。それどころか,西郷は,閣議において朝鮮への出兵論に反対し,平和的道義的交渉による日韓国交の正常化を力説したものである。
これは、別にあなたが引用した、
>1873年7月29日
西郷より板垣あての手紙
(中略)
かれが使節を派遣するというのは、平和の内に国交をまとめるためではなく、
朝鮮が使節を殺すことを予期して戦争の口実をつくるためであることは、これで明白である。
(日本の歴史
20巻
明治維新
P330
中央公論)
とは一致してこないことには気付いていますかな?
板垣への手紙は私信だから本音が出ている、というのですかね。政治家は公式にどう発言行動したかが問題ですわな。
>征韓論と言っても、朝鮮侵略それ自体が目的でなく、真の狙いが中華主義に基づいた華夷秩序の破壊にあったことは明らかであろう。
呉
善花
韓国併合への道
これもつまみ食いですわな。
この文章は後段でこう続くのですよ。
>明治初期の征韓論は幕末のそれのように、単に「古代神功皇后以来の支配権の復活」を高唱するだけの空疎なものではなかった。すでに日本は、欧米列強に対抗するためには、国家社会の近代化と富国強兵を早急に進める以外にない、との自覚をもっていた。そのときから日本にとって、あくまで華夷秩序を頑迷に守ろうとする隣国の李朝は、日本の安全を根本から揺るがしかねない存在となってしまったのである。
李朝もまた、日本のように早急に開国して近代化と富国強兵を推し進めなくては、またたくまに西欧列強の支配下に置かれることになってしまうだろう。そうなれば隣国日本は窮地に立たされることになる。そのためには、武力をもってしても強引に李朝を開国させるべきだ、という考えが出て来たのである。それが明治初期の征韓論なのであって、前近代までの征韓論とは、まったくレベルの異なるものであることが強調されなくてはならない。
当時の日本にとって華夷秩序の破壊は、皇国史観やウルトラ・ナショナリズムとは別次元で、近代国家が当面する現実的な課題だった。李朝が華夷秩序の従属下にある限り、日本が望むような近代化による国力増強は困難だと考えられたからである。そこで、李朝の華夷秩序からの離脱、つまり朝鮮独立が、近代日本の外交上最重要課題として浮上することになったのである。
文献の悪質なトリミング・つまみ食いに堕しているかもしれない、と省みてはいかが。
これは メッセージ 2854 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮支配の源泉 Re征韓論:
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/07 02:52 投稿番号: [2861 / 6952]
何が言いたいのでしょう。
提示されたサイトや書かれた内容は、バラバラです。
理解できません。
①
>
http://www.tabiken.com/history/doc/K/K032L100.HTM>●征韓論
せいかんろん
>【西郷隆盛は征韓論者でない】
>西郷が閣議などの公的な場で“征韓”を主張したことを示す史料は現在まで発見されていない。それどころか,西郷は,閣議において朝鮮への出兵論に反対し,平和的道義的交渉による日韓国交の正常化を力説したものである。
>もし,西郷がそのまま朝鮮国に赴いたならば,日朝間の国交は円満にまとまり,その後のアジアの平和に大きく寄与したであろうことは疑いない。
②
>1873年7月29日
西郷より板垣あての手紙
>かれが使節を派遣するというのは、平和の内に国交をまとめるためではなく、
>朝鮮が使節を殺すことを予期して戦争の口実をつくるためであることは、これで明白である。
>(日本の歴史
20巻
明治維新
P330
中央公論)
③
>征韓論と言っても、朝鮮侵略それ自体が目的でなく、真の狙いが中華主義に基づいた華夷秩序の破壊にあったことは明らかであろう。
>呉
善花
韓国併合への道
④
>後の日本の朝鮮進出はほぼこのような征韓論にいわれたようになっている。
>つまりまだ朝鮮と開国しない以前から朝鮮を支配
征服するのが日本の目標
>となっている。
以上から、
①西郷は征韓論者ではない。
②西郷は朝鮮と戦争の口実をつくるために使節となることを希望。
③征韓論は朝鮮侵略が目的ではない。
④征韓論の通り、日本は朝鮮に進出し、支配し、征服した。
これは メッセージ 2854 (whiterose20051 さん)への返信です.
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保守派の馬鹿な政治化・知識人のことだね
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/07 02:40 投稿番号: [2860 / 6952]
学習すればするほどいかに日本がひどい統治したか分ってくるのだよ。
開国後60年弱の間こんなひどい目にあっているだから
当然反日感情もそう簡単にはなくならないだろう。
教育で反日感情をおしえているからだと
日本保守派の政治化・知識人は何の学習能力もなしに
はずかしげもなくメディアで恥じをさらしているが
又再度朝鮮・中国侵略を言い出すだろうね。
そのときのために天皇と靖国神社は必須要件だからね
なくならないのだね。
まあそのときはおじさんいきていないから良いが
又日本人民衆や朝鮮・中国人民衆が戦争でくるしむ
歴史は繰り返すということかね。
これは メッセージ 2859 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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↓学習能力なし
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 02:25 投稿番号: [2859 / 6952]
恥知らず!
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/07 02:20 投稿番号: [2858 / 6952]
>朝鮮人は支那の属国であることに誇りを持っていた。
属国ではありません。
朝鮮の内政・外交には清国は干渉しないと
相談されれば相談にのる
そういう関係だと日清通商条約の交渉時日本へ言っている。
それに清国が朝鮮政府の依頼により出兵したとき平定しおわったとき
に朝鮮政府の撤兵要請を了解している。
ところが日本側は朝鮮政府が要請もしないのに日清条約をたてにとって
勝手に出兵
終わっても朝鮮政府の撤兵要請を無視
日本が作った改革案を呑めと要求しのむ様子がないから今度は王宮占領して
その結果日清戦争がおこった。
>その朝鮮人を無理矢理独立させたから、朝鮮人は日本を恨むのである。
明治以後無法な日本人が米や金銀を奪取、高利貸しなど朝鮮人を苦しめた
独立は形式なものであって日本の支配下におくため独立を主張しただけじゃない。
>彼等は何も文化的な学校や病院を作って欲しくなかった。
朝鮮人のためなら言いが日本の威力をみせつけ
学校は日本人優先の学校
病院も患者は日本人の方が多い
つまり朝鮮人には何の役にたたなかった。
>奴隷制度を堅持し国民の9割が無学無知でクソの浮いた川の水で飯を炊き洗濯をして、わら小屋に動物のように住み、病気になれば人糞や犬のクソを飲むのが良かった。
そんな光景朝鮮のどこでみたというのだね。
朝鮮には書堂が全国にあり決してそんな無学・無知ではなく書堂出身者から
農民の意思を代弁する指導者層が生まれた。
>人口も平均寿命が26歳で死ぬから人口問題も起きなかった。
根拠はどこにあるのかな
又嫌観サイトからだろうな、あそこはまともに歴史解釈してないからね。
日本がいかに悪い事ばかりしたか少しもかいてないからね。
日本語の授業時間を増やして朝鮮語時間を減らし
朝鮮語ではできるだけ授業しなかったに
ハングルをひろめたとは
もうここまでくると歴史を創作しているとしかいえないね。
>何もかも日本が併合して無理矢理、朝鮮人を文明社会に引きずり出した結果である。
米の強制出荷や日本人の高利貸しで土地がなくなり日本人が優先のため
小作もできなくなり仕方なく日本や満州へ家族をつれて移住せざるようになった。
李朝時代はこんなひどいことはなかった。
併合により朝鮮民衆は監禁・牢獄のような生活をしいられたということ
だから
>すべて日本が悪い。
そのとうり、何とか良いとこ見つけようとするのだが国家の政策統治レベルではないね。
在鮮日本人もわるいのばかりだからね。
バスの中で朝鮮人に罵声でののしり無理やり座る日本人学生が多かったようだよ。
でもね。救いは少数だが朝鮮人のために努力した日本人もいたことだね。
布施
辰治など不法に取られた土地問題の裁判で朝鮮人のために自費で
弁護した。
それ以外にも少数だが無名の朝鮮や朝鮮につくした日本人がいた。
これを知ると少しは救われる
しかしこのようなひどい統治をした原因は大国の隣の小さな国というのが
江戸時代後期より日本人が蔑視しだした原因だろうね。
いまだに蔑視している日本人がいるのは心苦しいが
これは メッセージ 2852 (korea_dame さん)への返信です.
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朝鮮の属国ぶり(3)
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 01:57 投稿番号: [2857 / 6952]
ここで朝鮮人の民族特性をまとめ直すと、
まず、『誰よりも“過去や先祖”を誇りたがる民族』であるということ。
民族の成り立ち上、醜い過去に対するコンプレックスが強いのである。
そして『努力せずに嘘や小細工で勝ち組になれることに味をしめた民族』
であるということ。過去の歴史を書き換えることで名門になることが
できた国の人々なのである。
このような性質を持つ彼らには、朝鮮民族の歴史はあまりにも惨めすぎた。
つまり痛々しすぎて自分たちの過去を振り返るのが苦痛なのである。
それゆえ、独立した後に“民族意識を高めるための愛国教育”として、
『我が国は5000年間一度も他国に支配されたことの無い独立国である』
という“偽りの栄光の歴史”をあたかも真実のように国民に教え込むことに
したのである。
これが韓国の愛国教育の成り立ちである。
そこで韓国政府は、
まず、政府自ら作った教科書以外を教科書と認めないことにした。
そして「日本が朝鮮を独立させてやったこと」を隠蔽した。
具体的には日清講和条約(下関条約)の第一条の内容を削除したのである。
日本と中国の間で締結されたこの下関条約第一条の本当の内容は、
『日本が清国に朝鮮の独立を承認させた』というもの。
これを韓国の国民に知られると、
「半万年(5000年)独立していたという政府が作った嘘の朝鮮国史」
に反してしまうので教えられないのである。
ちなみに前述の『迎恩門』は、朝鮮が独立した時に
『独立門』という“中国からの独立を記念する門”に建て替えられていたが、
現在の反日教育ではこの門を“中国からの独立”を記念した門、ではなく
“日本からの独立”を記念した門、と意味を勝手に変えて教えている。
そもそも迎恩門は日清戦争が終わって朝鮮が独立した時に、
清(中国)への屈辱的隷属の象徴だったことを理由に開化派の
独立協会に取り壊されたもの。そして1897年(明治30年)に自主独立の
決意を込めて“わざわざ同じ場所”に建てられたのが独立門である。
米国GHQの軍政から朝鮮が独立したのは日本の敗戦から3年後、
独立門が建てられて『51年後』の1948年(昭和23年)なので、
建設の年代を見るだけで独立門と日本が全く無関係なのは明白なのである。
このように簡単に暴くことができる嘘でも韓国では疑われることなく
中学校の教師レベルまでもが信じ込んでいるほど反日教育が浸透している。
この門に関してそんな嘘を教え込んでいる理由は簡単、
『1000年間の長きに渡る清(中国)の支配からの悲願の独立が、
日清戦争に勝利した日本のおかげ』だからである。
民族の独立を日本に頼ったことがカッコ悪かったので、
手柄を横取りしたかったのである。
これらが次々と膨れ上がる朝鮮の歴史捏造の序曲であった。
これは メッセージ 2856 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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朝鮮の属国ぶり(2)
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 01:53 投稿番号: [2856 / 6952]
朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉が
たった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、
年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。
朝鮮国内にもその名残がある。
現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、
昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を
地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という
屈辱的な隷属の象徴の門だった。この迎恩門で『朝鮮の国王』が
土下座して出迎えたのは、中国の「王」ではなく中国の『使者』である。
朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。
この1000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、
彼ら朝鮮民族の『民族気質』に深刻な影響を与えることになる。
朝鮮民族の民族気質を簡単に説明するには、
朝鮮人の名前が「金(キム)」や「朴(パク)」などのように
ワンパターンになった理由を説明するのがわかりやすい。
1.朝鮮人は長い間中国の属国として低い身分にあったため、低い身分の者や
貧困者、弱者、ひいては身障者などへの虐待を「下の者が下に見られるのは
仕方のないこと、上の者が下の者を見下すのは当然のこと」と考える民族的
傾向が定着していた。屈辱を「当然」と考えなければ精神的に乗り越えられない
ほど、千年の隷属というのは長かった。
2.朝鮮は虐げられる者の反動として、より低い者を虐げる「貴族社会」が
長く続いた。そのため、家系が悪ければ努力はほとんど無意味だった。
貴族が裕福なのも、奴隷が貧しいのも、生まれた家に決定された。
3.やがて低い身分にある者が「自分の先祖は名門だった」と思いたくなり、
いつしか「偽の家系図を買う」または「家系図を書き換える」ことで
底辺で虐げられる身分から一発逆転を果たすことが流行してしまった。
4.その結果、皆が「限られた同じ名門(両班という)の名前」になり、
形の上では皆が同じ名門の家系出身の者ということになった。
逆に底辺(白丁という)の出身者は歴史の闇へと消えていった。
現在、どの韓国人に聞いても「私は由緒ある両班の出身だ!」と
答える。今はもう白丁の子孫であってもその自覚すらなくなっている。
これは メッセージ 2855 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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朝鮮の属国ぶり(1)
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 01:51 投稿番号: [2855 / 6952]
世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。
記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮人にも
自ら属国であったことを認めている者もいる。そもそも韓国の古い国旗にまで
「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから属国だったことは否定しようがない。
まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。
朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
(黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)
服装も違ったし、籠にも乗れなかった。
身分が「最も低い」のだからしかたない。
身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。
・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、
馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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朝鮮支配の源泉 Re征韓論:
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/07 01:41 投稿番号: [2854 / 6952]
吉田松陰は,西洋との通商で失った富を朝鮮・満州の土地獲得で補うべしと主張し,橋本左内は,日本独立のために満州・朝鮮などを併合しなければならないと論じた
また,勝海舟は,欧米列強に対抗するには日本・朝鮮・中国の三国が連帯協力すべきであると説いたが,もし朝鮮がロシアに侵略されれば直ちに日本の存立を危くするから,その場合には日本が先手をうって朝鮮を武力で服従させよとも論じた。
参与木戸孝允であった。木戸は,使節を派遣して朝鮮の無礼を責め,先方が謝罪しないときは武力を行使せよと強調した。
西郷は,1873年10月15日付で太政大臣三条実美にあてた「始末書」において,〈公然と使節差し立てらるる〉のが至当であり,あらかじめ戦争準備をして使節を派遣するのは〈礼を失せられ候〉,そうでなくて誠心誠意の交渉によって〈是非交誼を厚く成され候御趣意貫徹いたし候様これありたく〉と明言している
http://www.tabiken.com/history/doc/K/K032L100.HTM1873年7月29日
西郷より板垣あての手紙
「兵隊を先に遣わし相成り候儀は如何にござ候や。
兵隊を御くりこみ相成り相わば、かならず彼方より引き揚げ候よう申し立て候に相違これなく、
その節は彼方より引き取らざる旨答え候わば、これより兵端開き候わん。
左候わば初よりの御誠意とは大いに相変じ職を醸成候場に相当りもうすべきやと愚考仕り候
断然使節を先に差し立てられ候方御よろしくはこれあるまじくや。
左候えば、決してかれより暴挙のことはさし見え候につき、討つべきの名もたしかに
相立ち候ことと存じ奉り候
兵隊を先におくりこみ候わけに相成り候わば、樺太のごときはもはや魯より兵隊をもって保護を備え
、たびたび暴挙もこれあり候ことゆえ、朝鮮より先に保護の兵を御くりこみ相なるべしと相考え
申し候間、
かたがた往先の処故障出来候わん。
それよりは公然と使節を差し向けられ候わば、暴殺は致すべき儀と相祭せられ候につき、
何卒私を御遣わし下され候処伏して願い奉り候。
副島君ごとき立派の使節は出来申さず候えども、死するくらいのことは相ととのい申すべしと
存じ奉り候間、よろしく願い奉り候」
かれが使節を派遣するというのは、平和の内に国交をまとめるためではなく、
朝鮮が使節を殺すことを予期して戦争の口実をつくるためであることは、これで明白である。
(日本の歴史
20巻
明治維新
P330
中央公論)
イギリス、アメリカは日本の朝鮮支配を支援すると言っていた。
中国の列強の進出もあり日本が突然従来の形式と異なった国書をもってきたことを不信に思い侵略を目的に開国しよう言ってきったのではないかと朝鮮の大院君は考え開国をできるだけ引き伸ばそうとした。
征韓論と言っても、朝鮮侵略それ自体が目的でなく、真の狙いが中華主義に基づいた華夷秩序の破壊にあったことは明らかであろう。
呉
善花
韓国併合への道
日本は朝鮮を中国の支配下(朝鮮の内政外交には清国は干渉しないと清国との通商条約の交渉時清国は日本へいっている。華夷秩序は支配、被支配の関係ではなくお互いの友好関係を示す関係である。)から外し日本の支配下に入れるためたびたび朝鮮は独立国であるということを言った
後の日本の朝鮮進出はほぼこのような征韓論にいわれたようになっている。
つまりまだ朝鮮と開国しない以前から朝鮮を支配
征服するのが日本の目標
となっている。
これは メッセージ 2837 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/06/06 14:34 投稿番号: [2853 / 6952]
>からくりがわかりました。
>どうやら、あの子安という馬鹿の入れ知恵のようです。
あぁ、あの子安教授ですか。
HP見た事ありますが。
かなり「思想的に」左の淵にぶら下がっている御仁ですね。
あと、かなりの「親中韓シンパ」
そもそもこの教授。
専門は「政治思想」(史学じゃありません)
「歴史の史実」など「政治思想」の前では、いくらでも歪曲できると言う事を「証明」している御仁ですから・・・
手前味噌の「歪曲・捏造」を白日の下にさらしてどうするんだか・・・
これは メッセージ 2851 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: korea_dame 投稿日時: 2006/06/06 13:58 投稿番号: [2852 / 6952]
朝鮮人は支那の属国であることに誇りを持っていた。
その朝鮮人を無理矢理独立させたから、朝鮮人は日本を恨むのである。
彼等は何も文化的な学校や病院を作って欲しくなかった。
奴隷制度を堅持し国民の9割が無学無知でクソの浮いた川の水で飯を炊き洗濯をして、わら小屋に動物のように住み、病気になれば人糞や犬のクソを飲むのが良かった。
人口も平均寿命が26歳で死ぬから人口問題も起きなかった。
何もかも日本が併合して無理矢理、朝鮮人を文明社会に引きずり出した結果である。
すべて日本が悪い。
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/06 11:24 投稿番号: [2851 / 6952]
>日本政府が明成皇后の殺害に介入した物証を発見
からくりがわかりました。
どうやら、あの子安という馬鹿の入れ知恵のようです。
従軍慰安婦の次はこれで攻めるようですね。(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日政府明成皇后殺害介入物証111年ぶりに‘日の光’
「本当に恐ろしいことを捜し出した。日本人としては見当はついていたが捜し出すことは
大変なことだ。歴史の真実は必ず現われるようになっている。」
日本政府が明成皇后殺害に直接介入したことを傍証する山県有朋陸軍大将と陸奥宗光外相
の間の手紙を見て、日本の子安宣邦(こやすのぶくに)大阪大名誉教授(政治思想史)は
このような反応を見せた。先月中旬、韓国学中央研究院の世界碩学招請講座に招待された
子安教授は、崔文衡(チェ・ムンヒョン)漢陽(ハンヤン)大学名誉教授が日本国会図書
館憲政資料室で捜し出したこの手紙の解読に大きな手助けとなった。漢字学にも造詣の深
い同名誉教授は日本の明治時代の漢文書体を専攻した日本人学者らを動員してその意味を
明確に糾明してくれた。
(中略)
日本の歴史小説家、角田房子は『明成皇后暗殺−朝鮮王朝末期の国母』(訳注:日本版
では閔妃暗殺)という本の結論で、陸奥外相が同郷の後輩で殺害事件に加わった岡本柳之
助が送った手紙を読んで初めて明成皇后殺害事件を知った、「いくら自由な想像力の羽を
広げても日本政府とこの事件の間には直接的な関係がない」と主張した。
しかし山県の手紙の内容を見る時、陸奥は明成皇后殺害事件の前にある種の強硬策を提示
したことを推論することができる。山県が手紙で「驚愕を禁ずることができない」、「到
底堪えることができない」と言う言葉とともに「閣議で決まり次第に断行なさることを希
望する」と書いたことは、陸奥の強硬策に同意したことだということが崔教授の解釈だ。
この文章に尊敬語「御」が使われており、これが「韓国問題に全権を持っていた井上馨が
仕事を断行するように願うという意味」と崔教授は解釈した。井上は陸奥より八才、山県
より二才年上である。井上は帰国直後、朝鮮朝廷に300万円の寄贈金を与える方式で明
成皇后を懐柔しようとした。しかしこれは日本内閣の考えとは距離のある提案で、手紙は
井上が閣議決定を受け入れて強硬策に旋回するように願うという意味を込めたというのだ。
崔教授は日本閣議が事実上明成皇后排除の決断を出した時をまさにこの時点と見ている。
寄贈金を提示した井上が問題の手紙が使われた7月8日直後に、突然自分の後輩で同郷の
陸軍中将出身の三浦梧樓を推薦したからだ。韓日関係の最高専門家で「白衣従軍」までし
た井上が、緊迫した時期に外交の門外漢である三浦を後任に薦めたことは、手を血で汚す
事は自分より‘カルジャピ’(訳注:と畜人をさす差別語)が適格と考えたためだったろ
うという推論だ。
崔教授は今回発見した資料を補って、すぐ「明成皇后殺害の真実を明らかにする」(知識
産業社)の完結版を出刊する予定だ。2004年和訳版(閔妃は誰に殺されたのか―見え
ざる日露戦争の序曲、彩流社)が出たこの本は、現在英訳作業も進行中だ。
東亜日報
これは メッセージ 2828 (botannabe2003 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害 2
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/06/06 00:33 投稿番号: [2850 / 6952]
>朝鮮には名義上の独立を与えるためであり内政には常に干渉していました。何も朝鮮を支援しようとしたのではなく当初から支配、属国化を明治維新の元勲たちは考え実行したということです。
違うね。コピペだが、
明治四十二年七月二十四日の日韓新協約締結後、数日を経た頃、新聞記者を集めて伊藤が演説しているが、その中に、
「最近、自分は韓国の大官や両班等に次のように詰った。
朝鮮国を独立国とすべく、最初に発言したのは自分である。そして韓国の独立を最初に承認したのは日本である。朝鮮人の何びとが、みずから、その独立を主張したのであろうか。かつまた、朝鮮人の何びとが、みずから、韓国の独立を承認したであろうか。あるならば聞きたい。韓国人は、三、四千年来、固有の独立を有するように言っているが、自分はこれを承認できない。
日本はできるだけ、韓国を独立させようと欲して来た。けけども韓国は遂に独立できなかった。ために、日本は、日清・日露の二大戦役を開くやむなき結果となった。その結果として、日本は遂に韓国を保護国とした。これをしも日本が禍心を
包蔵するものであるというならば、いうがよい。日本は自衛上、実にやむを得ずして韓国を保護国としたものである。かつ、世界の大勢を見るがよい。どんな強大国でも、今日未だ一国だけで世界の平和を維持できるものではない。僅かに局部局部の泰平を維持しつつあるだけである。これすなわち、同盟国の必要なゆえんであって、もし、一衣帯水をへだてる韓国に外国の一指を染むるを許さんか、日本の独立をあやうくするのおそれがある。日本は、断じて韓国の日本に背くを許すことができない。
けれども、日本は非文明的、非人道的な働きをしてまでも韓国を亡ぼさんと欲するものではない。韓国の進歩は大いに日本の臨むとろこであって、韓国はその国力を発展せしむるため、自由の行動をしてよろしいけれども、ただ、ここにただ一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携すべしということ、これである。日章旗と巴字旗(韓国旗)とが並び立てば日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を亡ぼすであろうか。自分は実に日韓の親睦を厚うするについては、自分に赤誠を貢献しようとしている。しかも、日清・日露の両大戦役の間、韓国は一体何をなしたか。陰謀の外に何をなしたか。戦争中は傍観しただけではないか。諸君は、日本が、にわかに来たって韓国を亡ぼすならんと思うのは、果たして何に基ずくのか聞きたいものである。
日本は韓国の陰謀を杜絶するため、韓国の外交権を日本に譲れというた。だが、日本は韓国を合併するの必要はない。合併は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも、日本の指導監督がなければ、健全な自治を遂げ難い。これが今回の新協約を結んだ所以なのである。」
あくまで日本的な利害を基にして韓国に対している。
しばしば彼は、日本人の通弊であった朝鮮人ベッ視感に関し、「民族的なベッ視感を朝鮮人に対して持つことはよくない。朝鮮は古い歴史と文化を有し、体質的にも頭脳的にも立派な民族であるから、これに対してベッ視的な感情で対することは甚だよくない。そういうことが、日韓対立・悪感情の原因になる」ということを、日本内地や朝鮮各地の演説会で述べております。これが伊藤の強い信念でなかったかと考えます。
これは メッセージ 2849 (kohshien21c さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/06/06 00:02 投稿番号: [2849 / 6952]
これは メッセージ 2844 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/05 22:55 投稿番号: [2848 / 6952]
>勝海舟の著作を読んでいない証拠ですなあ。
>まったく、想像と付け焼刃のナマ知識でブータレるとはねえ。
同感です。
無知と歪曲ほど恐いものはありませんね。
西郷隆盛の「征韓論」だって、「西郷自身が朝鮮に乗り込み誠心誠意、朝鮮国王に開国の必要性を説く。それでも聞かず、西郷が殺されたときは、武力をもっても開国の大切さを知らしめる」という意味で、「朝鮮征服・征伐」のような意図はありません。
前段の部分は、勝海舟の「三国同盟論」と全く同じ意味を無視し、後段の「武力をもってしても・・」の部分だけが一人歩きしているようです。
そのため、意味が全く逆になってしまいます。
これは メッセージ 2847 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/06/05 22:13 投稿番号: [2847 / 6952]
ハハハ。
勝海舟の著作を読んでいない証拠ですなあ。
まったく、想像と付け焼刃のナマ知識でブータレるとはねえ。
これは メッセージ 2846 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/05 22:03 投稿番号: [2846 / 6952]
>日本の朝鮮蔑視観は吉田松陰、勝海舟などにも見られますね。
>つまりこのような土壌の上で日本は当初から朝鮮支配を目的てしていました。
>朝鮮には名義上の独立を与えるためであり内政には常に干渉していました。
>何も朝鮮を支援しようとしたのではなく当初から支配、属国化を明治維新の元勲たちは考え実行したということです。
空想はやめましょう。
多くの幕末の志士は、大アジア主義、つまり欧米列強の侵略を防ぐには、アジア諸国の連帯が必要という考えにありました。
その理想論を打ち砕いたのは、李朝の怠惰と無知です。
李朝の実情を知らない勝海舟は、「そろそろ朝鮮にも西郷のような奴が現れる頃だ」と期待していた位です。
李朝の惰弱のために日本の安全保障が脅かされるようになったので、保護化、併合へ向かったというのが論理的整合性のある史実です。
日清戦争中の閣議ですら、日本は保護国化の指針を持っていません。
1895年4月17日に日清講和条約(下関条約)の第一条で、「朝鮮は自主独立の国である」と定めた意味を捻じ曲げてはいけません。
朝鮮支配を目的にしていたら、李朝への開国要求から併合まで何十年も掛ける必要はありません。
しかも併合してくれと日本に頼んだのは、経済破綻した李朝の方ですよ。
----------------------------------------------
1863年4月27日、勝海舟の『幕末日記』より、桂小五郎(後の木戸孝允)に述べた「三国同盟論」。
「今朝、桂小五郎、対馬藩大島友之允、同道にて来たる。朝鮮の議を論ず。我が策は、当今亜細亜州中、欧羅巴人に抵抗する者無し。これみな規模狭少、彼が遠大の策に及ばざるがゆえなり。今我が邦より船艦を出だし、弘く亜細亜各国の主に説き、横縦連合、共に海軍を盛大し、有無を通じ、学術を研究せずんば、彼が蹂躙を遁べからず。先ず最初、隣国朝鮮よりこれを説き、後日支那に及ばんとす。同人悉く同意」
これは メッセージ 2844 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/05 19:57 投稿番号: [2845 / 6952]
それで、百年前の事件で仮に日本政府が関与してたとして、だからどうしたって?
これで謝罪だ賠償だ言うなら、百年前に伊藤博文を殺害した件の謝罪と賠償、それと殺人犯の英雄視の取り消しと処罰をしてもらわないとな。
これは メッセージ 2844 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/05 19:36 投稿番号: [2844 / 6952]
>大院君と閔妃一族の争いで朝鮮が疲弊していた事に言及せず
具他的にどのような争いがその結果何がどのように疲弊していたのか
資料提示してください。
>東学党の乱が李朝政府の圧制に対する農民の反乱
背景には列強の経済進出による農民の生活苦がありそれが
外国勢力排斥を唱えるようになり地方の暴虐な官吏の粛清を求めるように
なった。
嫌韓サイトは李朝の腐敗をことさら書きたてていますが、
李朝政府は外国の進出に対しいかに独立を維持するため
色々な対応策をとっていますが、日本を初め武力を背景として
難題要求に対応できなくなって民衆の支持を失い民衆の決起がおきた
と考えます。
民衆は外国勢力の排斥を強く要求していくのです。
嫌韓サイトは近代化を図らず事大主義、中華主義から抜け出さなかった
と書きたてていますが
日本や列強が持ち込んだ近代化は朝鮮を搾取するための近代化で
そのような近代化に民衆が抵抗するのは当然です。
何も近代化が進まなかったのは文明の素晴らしさを知らなかったのではなく
もたらされた文明により一層生活が苦しくなっていったということです。
左翼であろうと右翼であろうと歴史の事実に近くずくためには関係ありません。
日本の朝鮮蔑視観は吉田松陰、勝海舟などにも見られますね。
つまりこのような土壌の上で日本は当初から朝鮮支配を目的てしていました。
朝鮮には名義上の独立を与えるためであり内政には常に干渉していました。
何も朝鮮を支援しようとしたのではなく当初から支配、属国化を明治維新
の元勲たちは考え実行したということです。
ようです。
これは メッセージ 2840 (kohshien21c さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害 ②
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/05 19:21 投稿番号: [2843 / 6952]
「韓国・堕落の2000年史」崔基鎬著より
大院君を清に売った閔妃の謀略
日本の愚かな女性作家が、閔妃に同情的な本を書いた事があるが、閔妃は義父に背恩した上に、民衆を塗炭の苦しみに遇わせ、国費を浪費して国を滅ぼしたオゾマシイ女である。この様な韓国史に対する無知が、却って日韓関係を歪めて来た事を知る可きである。
大院君は賭けに勝ち、7年振りに権力を握ったかに見えた。
しかし、閔妃の権謀術数には敵わず、閔妃が清に訴え出た為に、大院君は清によって拘束され、天津に拉致された。
李氏朝鮮は創建された時から独立性が無く、歴代の王と王族は中国皇帝の家臣達の支配下に在った。李鴻章の腹心である袁世凱の命令に対して、高宗が一言の異議も挟む事無く、実父が強制連行されるのを認めた事は、清の朝鮮に対する宗主権と冊封秩序が、些かも揺らいで居なかった事を示して居る。
ロシア公使館のなかで政務を執った国王
李朝は信義が全く無かった。その為に国際的な信頼を得る事も、全く出来なかった。高宗は、実父の大院君と妃の閔妃との間で激しい闘争が繰り広げられている間も、傍観を続けて、多数の犠牲を出した。
閔妃の政策も、ある時は清国に接近し、ある時は日本に擦り寄り、親清かと思えば、親日に変わり、日本を捨てると、ロシアと結んだ。庶民の生活を思い遣る事が全く無かったのは、李朝の支配階級の通弊で在ったとしても、高宗の実父であり、自身の恩人であった大院君を追放し、清国の袁世凱を唆して逮捕させるなど、智謀家では在ったが、その行いは倫理に大きく悖ったものだった。忘恩背徳の生涯であった。
高宗も、閔妃も、大院君も、ただ権力を維持する為に、その時々、力がある外国と結んで利用し、政治を弄んだ。この様な放逸な政治を行なった事から、1894年に東学農民の動乱が起きると、その乱の鎮定を清に委ねると言う愚行を犯し、日清戦争を誘発させた。しかし、高宗も廷臣達も何らの責任も感じなかった。
日清戦争の翌年の1896年2月11日の暁、高宗王と王世子は極秘の内に、宮城から脱出してロシア公使館に居所を移した。これを「俄館播遷」というが、朝鮮の悲劇は、このように一国の主権者である君主が、自ら王宮を脱すると言う怯弱な体タラクで在った事である。
更には、ロシア公使館に入ると、即座に警務官、安桓を呼びつけ、全然罪の無い金弘集総理大臣、鄭秉夏農相工部大臣、兪吉濬内務大臣、趙義淵、張博らの5大臣を、逆賊として捕殺する様命じた。
この様な理不尽な命令を伝え聞いた金弘集内閣は総辞職し、金は「私がこの国の内閣総理大臣として、全力を尽くした上で死を賜う事も天命である」として、従容として警官と群集によって惨殺された。鄭秉夏大臣も斬殺され、その屍体も鐘路に放置されたまま、群衆の投石を受け、数日間に亘って風雨に晒された。
正当な理由も無く、裁判も無く行なわれたこの暴挙に対し、ロシア公使も高宗に抗議した程だった。
呪われた国の悲しい終焉
そして李氏朝鮮は、1910年、高宗の子の純宗の代に滅亡した。純宗は、李成桂から数えて27代目だった。
李朝は倒れるべくして、倒れた。李氏朝鮮は儒教の朱子学を国教として定めながら、美辞麗句を弄ぶ裏で、私利私欲に駆られた党派抗争に耽って、汚れ切って居た。オゾマシイ階級制度によって、民衆を縦(ほしいまま)に苦しめて、収奪した。李氏朝鮮は今日の北朝鮮と全く変らず、人民には餓死するか、公開処刑によって死ぬか、強制収用所に入る自由しか無かった。
李朝が5世紀にも亘って韓族に君臨した為に、韓族の精神を歪めて仕舞った。「小中華」である事を誇って、呪われた国を創って仕舞った。
隣国の日本と何と大きく違って居た事だろう。日本は19世紀後半に西洋による脅威に直面すると、それを撥ね返すだけ強い力を、徳川期を通じて蓄えて居た。ところが、李氏朝鮮は骨の髄まで腐り切って居た。そこで人民の解放は、韓日併合という他力本願のものと、成ら非るを得なかったのである。
これは メッセージ 2842 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2843.html
Re: 明成皇后の殺害 ①
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/05 19:11 投稿番号: [2842 / 6952]
「韓国併合への道」呉善花著より
日清戦争の最中の8月17日、陸奥外相は日清戦後の対朝鮮基本構想に四つの案を示して閣議に諮っている。
「甲案」朝鮮の自主独立放任
「乙案」日本による保護国化
「丙案」日清両国による朝鮮の共同担保
「丁案」永世中立国化
会議では結論が得られず、「乙案の大意を目的とする」に止まっている。保護国とは「隷属国の統治機能の一部を行使する保護関係を条約により設定する国家関係」を意味する。この様に、この時点では日本はハッキリと朝鮮独立から保護国化へと基本方針を転換したとは言えなかった。
下関条約の第1条で、中国と朝鮮の宗属関係を廃棄して朝鮮を「独立自主の国」とし、それに伴って旧来の「貢献典礼」を廃止すると宣言された事は、正しく朝鮮半島の歴史にとって一大画期を為す出来事であった。
1895年4月17日に日清講和条約(下関条約)が結ばれる。しかし、その直後にロシア・ドイツ・フランスが、日本が戦利として得た遼東半島の清国への返還を要求し、日本はこれに屈して遼東半島の領有を放棄する(三国干渉)。後に三国が日本への干渉の代償として、それぞれ清国から、遼東半島を始めとする各地の利権を得た事は言う迄も無い。
1895年10月8日閔妃殺害
1895年甲午改革によって推進されたのは、政治・経済・社会全般に亘る制度の大幅な近代化であり、農民軍から提議された幣制改革にも応え得るものであった。
併し乍ら、これらの改革推進には国王・閔妃・大院君各派の反発が強く、結局は実を結ぶ事は無かった。
その第一の理由は、国王がそもそも法的に制限を受けない最高権威として伝統化されていた為、制度が改まっても政策決定は依然として国王と取り巻きの重臣貴族によって行われた事に在った。つまり改革は王府から政治権力を奪う形を執らない侭進められ、その為に改革の内容を有効に実現する事が出来なかったのである。
特に李朝側が党派対立に終始して改革推進能力を欠いていた事が大きかった。また改革推進の過程で、日本は李朝政府各部門に政治顧問を派遣し、日本の朝鮮保護国化の意図が次第に鮮明となっていった為、朴泳孝ら旧改革派すら改革の遂行を妨害する様になり、朝鮮独自の改革案を意図する様になっていった。その事も、改革を実現出来なかった要因の一つだったろう。
全くの空想に過ぎないのだが、もし挙国一致で改革が進められていたとしたら、間違い無く王朝国家李朝は崩壊し、日本もロシアも容易に進出することの出来ない近代民族国家へと大きく変身を遂げていた筈である。
(仙人曰く、有り得ない。党争の国・李氏朝鮮で、挙国一致など出来る筈が無い。)
三国干渉後の世界は、最早かっての様に、日本が朝鮮から独占的に利権を獲得できる情勢には無かったからである。
(仙人曰く、朝鮮開国から日清戦争に至る迄の間、日本は、未だ朝鮮から独占的に利権を獲得したる事無し。)
事実、日本の李朝への300万円借款供与と引き換えに実現を図った、鉄道管理権の50年保有と日本軍の朝鮮駐留という利権に対しては、1895(明治26)年5月、欧米列国は強固な抗議を以って日本にそれを断念させている。
これは メッセージ 2837 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害>私への
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/05 19:08 投稿番号: [2841 / 6952]
レスになっているようだが、いったい何を言いたいのかな?
>新しく駐韓公使になったのは外交は素人であると自らいっていた三浦梧郎中将である。
と書いているから、「無知な武人」三浦観樹将軍についての表現の話かな?
それならあなたの引用文章の8割は無駄だが。
それとも誤爆かな?
これは メッセージ 2837 (whiterose20051 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2841.html
Re: 明成皇后の殺害
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/06/05 18:54 投稿番号: [2840 / 6952]
海野福寿ってサヨクのおっさんで、史実の言いとこ取りして理論展開してんだろ。
大院君と閔妃一族の争いで朝鮮が疲弊していた事に言及せず、東学党の乱が李朝政府の圧制に対する農民の反乱である事を摩り替えている。
加えロシアの実質満州支配もさらっと述べ、当時の国際関係に言及していない。
これを屑サヨクと言い、朝鮮人から見れば良心的だろうが、実はお前達に害をなす輩だという事なんだが、
チョンは盲目だから理解不能だろう。笑
これは メッセージ 2837 (whiterose20051 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2840.html
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