Re: 朝鮮支配の源泉 Re征韓論:
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/07 02:54 投稿番号: [2862 / 6952]
>吉田松陰は,西洋との通商で失った富を朝鮮・満州の土地獲得で補うべしと主張し,橋本左内は,日本独立のために満州・朝鮮などを併合しなければならないと論じた。また,勝海舟は,欧米列強に対抗するには日本・朝鮮・中国の三国が連帯協力すべきであると説いたが,もし朝鮮がロシアに侵略されれば直ちに日本の存立を危くするから,その場合には日本が先手をうって朝鮮を武力で服従させよとも論じた。
あなたの引用されたサイト原文ではこう続きますね。
>これらの議論は,現実の朝鮮国との交渉に基礎づけられていない観念論であり,国内の政治的不満を外にそらす政策論の側面をも有していたから,幕末政局の激動が進むにつれてうやむやになった。
この文章の有無でかなり文意が違ってきますよね。さらに、
>参与木戸孝允であった。木戸は,使節を派遣して朝鮮の無礼を責め,先方が謝罪しないときは武力を行使せよと強調した。
この文章も、頭に「この事態に政府内で敏感に反応したのは」というのが抜けてますね。この事態とは、
>明治新政府が発足すると,江戸時代を通じて日朝国交の仲介を専管していた対馬藩は,その特権維持を求めて,政府と朝鮮国との交際再開を働きかけた。そこで,政府は対馬藩に朝鮮国への使節派遣を命じたが,朝鮮側は対馬藩が持参した国書の形式が前例に反するとして受理を拒否した。ここに,日朝国交問題は立ちあがりから困難な事態に直面することになった。
というものですね。この説明がないと、たんに無礼を責めるという言いがかりをつけて兵を出すという風にとられますな。
>西郷は,1873年10月15日付で太政大臣三条実美にあてた「始末書」において,〈公然と使節差し立てらるる〉のが至当であり,あらかじめ戦争準備をして使節を派遣するのは〈礼を失せられ候〉,そうでなくて誠心誠意の交渉によって〈是非交誼を厚く成され候御趣意貫徹いたし候様これありたく〉と明言している
で、このサイトにはこういう主張もあり、
>西郷が閣議などの公的な場で“征韓”を主張したことを示す史料は現在まで発見されていない。それどころか,西郷は,閣議において朝鮮への出兵論に反対し,平和的道義的交渉による日韓国交の正常化を力説したものである。
これは、別にあなたが引用した、
>1873年7月29日 西郷より板垣あての手紙
(中略)
かれが使節を派遣するというのは、平和の内に国交をまとめるためではなく、
朝鮮が使節を殺すことを予期して戦争の口実をつくるためであることは、これで明白である。
(日本の歴史 20巻 明治維新 P330 中央公論)
とは一致してこないことには気付いていますかな?
板垣への手紙は私信だから本音が出ている、というのですかね。政治家は公式にどう発言行動したかが問題ですわな。
>征韓論と言っても、朝鮮侵略それ自体が目的でなく、真の狙いが中華主義に基づいた華夷秩序の破壊にあったことは明らかであろう。
呉 善花 韓国併合への道
これもつまみ食いですわな。
この文章は後段でこう続くのですよ。
>明治初期の征韓論は幕末のそれのように、単に「古代神功皇后以来の支配権の復活」を高唱するだけの空疎なものではなかった。すでに日本は、欧米列強に対抗するためには、国家社会の近代化と富国強兵を早急に進める以外にない、との自覚をもっていた。そのときから日本にとって、あくまで華夷秩序を頑迷に守ろうとする隣国の李朝は、日本の安全を根本から揺るがしかねない存在となってしまったのである。
李朝もまた、日本のように早急に開国して近代化と富国強兵を推し進めなくては、またたくまに西欧列強の支配下に置かれることになってしまうだろう。そうなれば隣国日本は窮地に立たされることになる。そのためには、武力をもってしても強引に李朝を開国させるべきだ、という考えが出て来たのである。それが明治初期の征韓論なのであって、前近代までの征韓論とは、まったくレベルの異なるものであることが強調されなくてはならない。
当時の日本にとって華夷秩序の破壊は、皇国史観やウルトラ・ナショナリズムとは別次元で、近代国家が当面する現実的な課題だった。李朝が華夷秩序の従属下にある限り、日本が望むような近代化による国力増強は困難だと考えられたからである。そこで、李朝の華夷秩序からの離脱、つまり朝鮮独立が、近代日本の外交上最重要課題として浮上することになったのである。
文献の悪質なトリミング・つまみ食いに堕しているかもしれない、と省みてはいかが。
あなたの引用されたサイト原文ではこう続きますね。
>これらの議論は,現実の朝鮮国との交渉に基礎づけられていない観念論であり,国内の政治的不満を外にそらす政策論の側面をも有していたから,幕末政局の激動が進むにつれてうやむやになった。
この文章の有無でかなり文意が違ってきますよね。さらに、
>参与木戸孝允であった。木戸は,使節を派遣して朝鮮の無礼を責め,先方が謝罪しないときは武力を行使せよと強調した。
この文章も、頭に「この事態に政府内で敏感に反応したのは」というのが抜けてますね。この事態とは、
>明治新政府が発足すると,江戸時代を通じて日朝国交の仲介を専管していた対馬藩は,その特権維持を求めて,政府と朝鮮国との交際再開を働きかけた。そこで,政府は対馬藩に朝鮮国への使節派遣を命じたが,朝鮮側は対馬藩が持参した国書の形式が前例に反するとして受理を拒否した。ここに,日朝国交問題は立ちあがりから困難な事態に直面することになった。
というものですね。この説明がないと、たんに無礼を責めるという言いがかりをつけて兵を出すという風にとられますな。
>西郷は,1873年10月15日付で太政大臣三条実美にあてた「始末書」において,〈公然と使節差し立てらるる〉のが至当であり,あらかじめ戦争準備をして使節を派遣するのは〈礼を失せられ候〉,そうでなくて誠心誠意の交渉によって〈是非交誼を厚く成され候御趣意貫徹いたし候様これありたく〉と明言している
で、このサイトにはこういう主張もあり、
>西郷が閣議などの公的な場で“征韓”を主張したことを示す史料は現在まで発見されていない。それどころか,西郷は,閣議において朝鮮への出兵論に反対し,平和的道義的交渉による日韓国交の正常化を力説したものである。
これは、別にあなたが引用した、
>1873年7月29日 西郷より板垣あての手紙
(中略)
かれが使節を派遣するというのは、平和の内に国交をまとめるためではなく、
朝鮮が使節を殺すことを予期して戦争の口実をつくるためであることは、これで明白である。
(日本の歴史 20巻 明治維新 P330 中央公論)
とは一致してこないことには気付いていますかな?
板垣への手紙は私信だから本音が出ている、というのですかね。政治家は公式にどう発言行動したかが問題ですわな。
>征韓論と言っても、朝鮮侵略それ自体が目的でなく、真の狙いが中華主義に基づいた華夷秩序の破壊にあったことは明らかであろう。
呉 善花 韓国併合への道
これもつまみ食いですわな。
この文章は後段でこう続くのですよ。
>明治初期の征韓論は幕末のそれのように、単に「古代神功皇后以来の支配権の復活」を高唱するだけの空疎なものではなかった。すでに日本は、欧米列強に対抗するためには、国家社会の近代化と富国強兵を早急に進める以外にない、との自覚をもっていた。そのときから日本にとって、あくまで華夷秩序を頑迷に守ろうとする隣国の李朝は、日本の安全を根本から揺るがしかねない存在となってしまったのである。
李朝もまた、日本のように早急に開国して近代化と富国強兵を推し進めなくては、またたくまに西欧列強の支配下に置かれることになってしまうだろう。そうなれば隣国日本は窮地に立たされることになる。そのためには、武力をもってしても強引に李朝を開国させるべきだ、という考えが出て来たのである。それが明治初期の征韓論なのであって、前近代までの征韓論とは、まったくレベルの異なるものであることが強調されなくてはならない。
当時の日本にとって華夷秩序の破壊は、皇国史観やウルトラ・ナショナリズムとは別次元で、近代国家が当面する現実的な課題だった。李朝が華夷秩序の従属下にある限り、日本が望むような近代化による国力増強は困難だと考えられたからである。そこで、李朝の華夷秩序からの離脱、つまり朝鮮独立が、近代日本の外交上最重要課題として浮上することになったのである。
文献の悪質なトリミング・つまみ食いに堕しているかもしれない、と省みてはいかが。
これは メッセージ 2854 (whiterose20051 さん)への返信です.
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