日韓歴史論争

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朝鮮の属国ぶり(2)

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 01:53 投稿番号: [2856 / 6952]
朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉が
たった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、
年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。

朝鮮国内にもその名残がある。

現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、
昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を
地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という
屈辱的な隷属の象徴の門だった。この迎恩門で『朝鮮の国王』が
土下座して出迎えたのは、中国の「王」ではなく中国の『使者』である。

朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。

この1000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、
彼ら朝鮮民族の『民族気質』に深刻な影響を与えることになる。

朝鮮民族の民族気質を簡単に説明するには、
朝鮮人の名前が「金(キム)」や「朴(パク)」などのように
ワンパターンになった理由を説明するのがわかりやすい。

1.朝鮮人は長い間中国の属国として低い身分にあったため、低い身分の者や
  貧困者、弱者、ひいては身障者などへの虐待を「下の者が下に見られるのは
  仕方のないこと、上の者が下の者を見下すのは当然のこと」と考える民族的
  傾向が定着していた。屈辱を「当然」と考えなければ精神的に乗り越えられない
  ほど、千年の隷属というのは長かった。

2.朝鮮は虐げられる者の反動として、より低い者を虐げる「貴族社会」が
  長く続いた。そのため、家系が悪ければ努力はほとんど無意味だった。
  貴族が裕福なのも、奴隷が貧しいのも、生まれた家に決定された。

3.やがて低い身分にある者が「自分の先祖は名門だった」と思いたくなり、
  いつしか「偽の家系図を買う」または「家系図を書き換える」ことで
  底辺で虐げられる身分から一発逆転を果たすことが流行してしまった。

4.その結果、皆が「限られた同じ名門(両班という)の名前」になり、
  形の上では皆が同じ名門の家系出身の者ということになった。
  逆に底辺(白丁という)の出身者は歴史の闇へと消えていった。
  現在、どの韓国人に聞いても「私は由緒ある両班の出身だ!」と
  答える。今はもう白丁の子孫であってもその自覚すらなくなっている。
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