竹島

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Re: 竹島

投稿者: tachstone 投稿日時: 2009/03/25 05:20 投稿番号: [17410 / 18519]
竹島に行きもしないで、「竹島は日本の領土だ」と喚いても、犬の遠吠えと同じだ。

現地に行って直接目で見ないと説得力はない。

放置しておくから、やられる。尖閣列島もそうだ。

アホ国民が多すぎる。石油盗掘にも声をあげないバカ国民。

いずれ中国に吸収併合されることは明らかだ。

中国は宗主国だから、吸収併合に日本国民もそれほど反対者はいない?

于山島物語

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2009/03/24 23:38 投稿番号: [17409 / 18519]
○役人   それで、その島の名前は鬱陵と言うのか?   于山ではないのか?

○庶民   于山島?   いやあ、そんな言い方は聞いたこと無いでんなあ。

○役人   ふうむ、おかしいのう、古い記録にあるのだ、そのあたりに于山という国があったとな。ならば、その近くに別の島はないのか?

○庶民   へえ、東の方にちっとばかり離れたところにちょっとした島ならありますけんど。

○役人   やはりあるか。それでその島を于山島と呼んでいるのではないか?

○庶民   いやあ、あんな島、名前なんてありましたかねえ。よう知りまへんが。

○役人   それで、その島は人が住めるほど大きいのか。古い記録では人が住んでおったと言うのだ。

○庶民   そうですなあ、あんな小さいとこに住まんでも鬱陵に住めばよろしいですからなあ。でもまあ、住もうと思えば住めんことはないでっしゃろ。

○役人   そうか、住めるか。ならばそれが古い記録に言う于山島ではないか。

○庶民   はあ、あっしは難しいことは分からんけども、お役人さまがそうおっしゃるならそうなんでございましょう。








(いや、単なるアゲですって)

登記簿謄本 & TBS 独占中継

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/03/18 22:31 投稿番号: [17408 / 18519]
この掲示板をご覧の方で、北海道在住の人はおりますでしょうか?ダルビッシュはペナントレースで福岡ホークスとの試合ではドンドン緊張して結構ですが、WBCで緊張してはいけません。明日のキューバ戦では勝つしか決勝ラウンドに進む道がありません。神様、仏様、岩隈様、明日は頼みました。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。

さて、掲題の件ですが、法務局の『登記簿謄本』をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/registry/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ   次回は3月28日※
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1908年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1908/
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ※

WBCへの道 [3月19日(木曜)キューバ戦 昼12:00プレーボール]
http://web.worldbaseballclassic.com/
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/wbc/2009/data/tournament/round2_1.html
石垣市立図書館
法務局「登記簿謄本」(本日アップロード完了!)
八重山博物館
八重山新聞



今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「TBS 独占中継」
http://www.tbs.co.jp/sports/wbc09/

山岳付きの于山島

投稿者: take_8591 投稿日時: 2009/03/18 16:36 投稿番号: [17407 / 18519]
半島側にある于山島
   1417年に金麟雨が「15戸・86人が住む」と報告し、1454年に「二島は相去こと遠からず、(二島は半島から)望見すること可」とされた于山島には、水源の必要から当然山岳があると考えられていました。この認識は、元禄日朝交渉終了後もしばらく続いていた様です。半島側に于山島を描いた地図が数点残っています。
     天下大縈一覽地圖   1700-50   始興
     『地圖』江原道   1700-50   奎章閣
     輿圖   1700-99   m
     輿地圖   朝鮮總圖   江原道   1700-99   m


東西に長い于山島
   1700年代中段になると、目盛りを用いた地図が作成されるようになります。ここでは、鬱陵島から5Km程離れた所に于山島が描かれています。この于山島には山岳が描かれています。この山岳の意味ですが、于山島以外の無名島にも山岳が描かれていることから、海面からそそり立つ岸壁を山に看做したとも考えられます。しかし、鬱陵島周辺については実地見聞者からの情報は殆ど入らず、その殆どが地図作成者の空想であると考えられます。
     朝鮮地圖   1750-68   奎章閣
     地圖   江原道   鬱陵島   1800-99   m


南北に長い于山島
   1700年代後段からは、南北に長い于山島が主流になります。勿論、目盛は踏襲されますから、鬱陵島から5Km程離れた于山島の概念は変わりません。しかし、南北に長く、北に山、南に平野が描かれていますから、于山島に上陸した実地見聞者の情報が入っていると考えられます。しかし、鬱陵島南部にある無名5島の存在は事実と異なりますから、地図作成者の空想部分も大きいと考えられます。
     『海東輿地圖』   鬱陵島   1776-86   図書館
     東輿圖   鬱陵島   1795-1800   m
     逭邱要覧   鬱陵島   1834   m
     逭邱圖   (鬱陵島)   1834   m
     逭邱圖   鬱陵島   1860-72   m


丸い形の于山島
   鬱陵島南部にある無名5島の存在は1899年の大韓全図に引継がれていますから、李氏朝鮮が鬱陵島周辺を正確に認識したことは無かったと考えられます。こうした時期に『海左全圖』等が作成されています。『海左全圖』の作者が鬱陵島周辺を正確に認識していたとはできません。ましてや、リャンコ島の形便を認識できていた筈がありません。
   むしろ、『海左全圖』等は、半島側にあった于山島を東側に移しただけで、実地見聞者の情報を全く得ていなかったと考えるのが相当です。
     大朝鮮國全圖   1750-99   ビーバーズ
     海左全圖   1800-99   m
     National Geographic - Korea   1890   m
     大韓地誌   大韓全圖   江原道圖   1899   m


http://take8591.wiki.fc2.com/?page=090318

Re: 保坂ビデオ

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2009/03/17 00:42 投稿番号: [17406 / 18519]
take_8591 さん、chaamieyさんありがとうございました。大変参考になりました。

>>2年前の平成19年3月に、「竹島問題に関する調査研究   最終報告書」をまとめました。この中に、「島根県立古代出雲歴史博物館所蔵の竹島関係地図」という岡宏三氏の報告があります。これを保坂氏は、次の様に扱いました。岡氏が、山麓を示す山形を絵と捉えず、ウ冠と捉えこの下に「于」の文字を読み取り、「宇」の文字を捏造し、宇山島と読み取ったというのです。


  確かに「島根県立古代出雲歴史博物館所蔵の竹島関係地図」の「海左全図」の部分に宇山島という表現が使われていますが、峰をごまかすために「于」を「宇」に変えたのであれば、なぜ于山島に峰が描かれていない「天下輿地図」・「朝鮮八道図」・「大韓輿地図」にも宇山島と表記されているのか説明ができません。
  岡氏がパソコンの扱いに慣れてなくてひらがなの「う」を入力してキーボード中央手前側にある大きなキーを押して漢字に変換しても「于」の字が出なかったので「宇」の字で代用したとしか考えられません。。。

「宇山島」でGoogle検索すると同じような事例がいくつも出てきます。

尖閣遭難事件 & 対馬に勝谷・阿川が行く

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/03/16 19:54 投稿番号: [17405 / 18519]
先ず始めに、東京ラウンド中にアップロード出来なかった沖縄本島の資料4点は、既に第2ラウンドに突入しておりますので掲載リストから削除しました。キューバ戦の試合が始まる前は、164Kmの球を投げるチャプマンに恐れ戦(おのの)いておりましたが、日本は攻守とも素晴らしかったです。そして水曜日にまたかの国と対戦しますね。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。


さて、掲題の件ですが、以前文章起こしした『尖閣列島戦時遭難事件』の写真を追加し、アップロードしました。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&action=m&mid=17289

また、先日アップロードした下記のパンフレット(除幕式・記念式典・祝賀会)とは別に、記念碑の写真を追加アップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/memorial-1996/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ   次回は3月28日※
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1908年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1908/
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ※

WBCへの道 [3月18日(水曜)韓国戦 昼12:00プレーボール]
http://web.worldbaseballclassic.com/
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/wbc/2009/data/tournament/round2_1.html
古賀辰四郎開拓記念(本日追加アップロード完了!)
石垣市立図書館
尖閣列島遭難記念碑(本日追加アップロード完了!)
法務局
八重山博物館
八重山新聞



今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「対馬に勝谷・阿川が行く」
①韓国人お断りの店
http://www.youtube.com/watch?v=Dk_4bqJ68zM&feature=related
②韓国人観光客驚きのマナー
http://www.youtube.com/watch?v=xew2_3X0Dqc&feature=related
③全部が全部じゃ・・・ まるで子供のケンカ?
http://www.youtube.com/watch?v=QMFdO26XX6I&feature=related
④なんだか変なムードが♪
http://www.youtube.com/watch?v=Hxrr0qjzcKM&feature=related

Re: 竹島

投稿者: diaoyuzhuyu 投稿日時: 2009/03/16 00:37 投稿番号: [17404 / 18519]
釣嶼
天畔一舟膻,長風萬裏行。黄葦浮浪遠,釣嶼&#37294;波明。
蜃氣山將結,濤聲笛共清。倚檣時浩嘯,奇覽慰生平。
嘉靖四十年冊封使郭汝霖詩

望釣魚臺
一髮青山認釣絲,投竿終古拂珊枝。
試看今日舟人喜,不是臨淵起羨時(海行見山則喜)。
乾隆二十一年冊封使周煌詩

過釣魚臺
大海蒼茫裏,何人釣巨鼇。老龍時臥守,夜夜浪頭高。
嘉慶五年冊封使趙文楷詩

釣魚臺
釣鼇人已往,但見釣魚臺。&#32085;島重重峙,滄波&#28378;&#28378;來。
誰邀湖海侶,獨占水雲隈。應笈披裘者,登臨亦小哉。
嘉慶十三年冊封使齊鯤詩

記念碑 & 遂に国境の島へ!

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/03/13 22:59 投稿番号: [17403 / 18519]
数日間沖縄本島で過ごした後、遂に石垣へ行きました。沖縄本島から石垣は420kmも離れております。最終便で行きましたので着いたのはもう夕方でした。当日はもう何も出来ませんので、ぶらっと港へ行きました。

石垣は日が暮れるのがとても遅いです。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka100/okinawa2008/009port.jpg
そして遂に最果ての地に来たことを実感するものを見つけました。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka100/okinawa2008/010border.jpg
半月城さんは外国人ですので、与那国島に行っても何の感動もないと思いますが、日本人は違います。ここまでが日本の主権・行政権が及ぶのです。夕焼けと国境に感動しました。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。


さて、掲題の件ですが、『古賀辰四郎尖閣列島開拓記念碑』をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/memorial-1996/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ   次回は3月28日※
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1908年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1908/
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ※

WBCへの道 [3月16日(月曜)第二ラウンド 朝5:00プレーボール]
http://web.worldbaseballclassic.com/
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/wbc/2009/data/tournament/round2_1.html
沖縄県議会[一般質問答弁集]
沖縄県議会[代表質問答弁集]
Freimuth Collection
TiaoYuTai Islands

※第二ラウンドからは石垣にある尖閣資料をアップロード予定
古賀辰四郎開拓記念(本日アップロード完了!)
石垣市立図書館
尖閣列島遭難記念碑
法務局
八重山博物館
八重山新聞



今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「金曜ロードショー」
http://www.youtube.com/watch?v=EOwQ4v69Ck4&feature=related
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka100/okinawa2008/011police.jpg

Re: 海外で日系企業が韓国企業に圧迫されて

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2009/03/12 23:31 投稿番号: [17402 / 18519]
プリンスホテルを守るニダ。

Re: 保坂ビデオ

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2009/03/12 21:57 投稿番号: [17401 / 18519]
御参考まで


<日本人教授、「独島は韓国の地」>

MBCニュース   2009-03-01
http://imnews.imbc.com/replay/nwdesk/article/2293450_2687.html

   日本は、これまで、独島が韓国の地として描かれた古地図が出るたびに、独島ではないと言い張って来ました。しかし、最近、独島の明白な形態が描かれた古地図が新たに確認されましたが、日本はこれさえも歪曲しています。チェ・フン記者が取材しました。

   19世紀初め、朝鮮時代に作られた「海左全図」。鬱陵島の隣に「于山島」が描かれています。今の独島です。日本は、独島を表記した古地図が現れるたびに、独島ではなく鬱陵島の付属島であるチュクト(竹島)だと主張して来ました。しかし、チュクトは山がない平たい姿ですが、この地図には峰が明確に描かれています。実際の独島の峰をそのとおりに表示しているのです。


(保坂祐二教授/世宗大学)
  「于山島に峰があるということは、とても重要なことです。そうであれば于山島がまさに独島であるということになりますから・・・・」


   19世紀中ごろに作成された江原道地図では、確かに峰が二つとして独島が詳しく描かれています。


(保坂祐二教授/世宗大学)
  「現在の東島と西島のことを指していると見ることができます。このような地図はとても貴重な地図だと言えます。」


   韓国に国籍を変えた日系教授が、独島は韓国の地というまた一つの明白な証拠を捜し出したわけですが、日本はすでにこれを知って、歪曲作業を始めていることが確認されました。日本国立公文書館に保管されている海左全図の筆写本です。


  「日本の人々が(我が国の地図を)19世紀あたりに書き写して行ったのです。その時は峰を正確に描いて行ったのですよ。」


   しかし、日本の学界は、2年前から、この峰の表示が峰の描写ではなく文字の一部であると歪曲しています。于山島の「于」の字をハナから「宇」の字だと変えてしまって、峰が「于」の字の上にあるウ冠(うかんむり)だというのです。


(翻訳者注:ここの画面で「宇山」の文字の下に「絵図・地図で見た独島問題/日本タケシマ研究会」という字幕あり。)



  「峰があれば独島だということになるから、宇宙の宇の字だというふうに歪曲しています。誰が見てもそういう漢字ではないですが・・・・。」


   海左全図と19世紀江原道地図だけでなく、大朝鮮国全図と海東輿地図筆写本にもこのように峰が描かれていることが確認されています。
MBCニュース、チェ・フンでした。

海外で日系企業が韓国企業に圧迫されている

投稿者: nortonvsetc 投稿日時: 2009/03/12 15:53 投稿番号: [17400 / 18519]
海外のリゾート地で日系ホテルを追い落とす韓国系ホテルの手口

http://blogs.yahoo.co.jp/saipan_is_number1/55645179.html

Re: 保坂ビデオ

投稿者: take_8591 投稿日時: 2009/03/12 14:47 投稿番号: [17399 / 18519]
   保坂氏は、よほど自説に自信がないのでしょう。これは当然です。島に峯が描かれているから独島を描いたのだという珍説は、小学校高学年になれば受け入れないでしょう。

   保坂氏は、海左全図の于山島がチェクトでないことを説明するために、航空写真を用意しました。19世紀に空からチェクトを眺めることはできませんでした。19世紀の人が見ることのできなかった風景を持って来なければいけない所に、保坂珍説の醍醐味があります。
   なるほど、チェクトは平地のみで構成されているように見えます。
   しかし、藪太郎さんのHPを見ると、チェクトは北が高く南が低くなっています。これは、鬱陵島から、海上から眺めたチェクトの姿です。
   この予備知識を以って、保坂画像をみると、上のほうに山麓があるように見えます。


   保坂珍説は、更に続きます。「日本学界は、2年前からこの峰の絵がウ冠であると主張します。峰をウ冠にして、この島を『宇山島』と読み、この島には峰が存しないと認識します。この絵図からは、誰も『宇山島』の漢字を抽出することはできません。日本学界の歪曲は明らかです。」旨の主張をします。
   この日本学界とは、島根県Web竹島問題研究所のことです。
   2年前の平成19年3月に、「竹島問題に関する調査研究   最終報告書」をまとめました。この中に、「島根県立古代出雲歴史博物館所蔵の竹島関係地図」という岡宏三氏の報告があります。これを保坂氏は、次の様に扱いました。岡氏が、山麓を示す山形を絵と捉えず、ウ冠と捉えこの下に「于」の文字を読み取り、「宇」の文字を捏造し、宇山島と読み取ったというのです。
   この岡宏三氏報告の該当部分は報告書の一部分に過ぎず、少しだけ広く報告書みれば、朝鮮八道図の説明をしていることが判ります。ここで、「同島に附属して于山島(宇山島)描くこと⑦に同じ」としており、于山島と表記されているがこれは「宇山島」意味であると説明していることから、岡氏が正式名称を「宇山島」であると認識していたことが判ります。

   要するに、岡氏は「宇山島」を正式名称とし、保坂氏は「于山島」を正式名称と認識しているに過ぎないのです。

   ところで、保坂氏は、竹島問題研究所が2年前から保坂珍説を承知しており、それへの対抗の必要性から、海左全図の説明に「宇山島」を使用したと主張しているようです。しかし、保坂珍説を思い付く思考回路が判りませんし、出現が予想し得ない保坂珍説に対抗を取っておく必要性がありません。
   尚、竹島問題研究所はテキスト部分で「宇山島」を使用していません。



   http://take8591.wiki.fc2.com/?page=090312

保坂ビデオ

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2009/03/11 20:53 投稿番号: [17398 / 18519]
日本である教授 "独島は韓国の地"




保坂祐二教授の'于山島に峰がない'説についてのニュース映像を発見しました。

http://imnews.imbc.com/replay/nwdesk/article/2293450_2687.html

機械翻訳でうまく訳せてない部分に何と書いてあるかどなたか教えていただけませんでしようか。
あと「2年前から海左全図の峰絵を宇字の一部と歪曲している」とは誰の説なのかどなたか教えてください。私はこの話は始めて聞きました。

--------------------------------------------------------------------------------
引用開始


&#9664;ANC&#9654;

日本はその間独島が韓国地で描かれた古地図の出る度に独島ではないと言い張って来ました.しかし最近独島の明白な形態が描かれた古地図が新たに確認されたが日本はこれさえ歪曲しています.崔勳記者が取材しました.

&#9664;VCR&#9654;

19世紀初め,朝鮮時代に作られた海左全図.鬱陵島の隣に '于山島'が描かれています.今の独島です.
日本は独島を表記した古地図が出る度に独島ではなく鬱陵島の付属島な竹嶼と主張して来ました.
しかし竹嶼は山がない平たいようだが,この地図には峰が明確に描かれています.実際独島の峰をそのまま表示したんです.

&#9664;INT◆ 保坂祐二教授/世宗大学校
"于山島に峰があるということはよほど重要な話です.そのようになれば于山島がすぐ独島という話になるから..."
19世紀中盤に作成された江原道地図には初めから峰が 2開路,独島がもっと詳らかに描かれています.

&#9664;INT◆ 保坂祐二教授/世宗大学校
"現在同道して書道を言っていると見られますよ.このような地図はよほど稀な地図と言えます."

韓国で国籍を変えた日系教授が独島が韓国地というまた他の明白な証拠を捜し出したことだが,日本はもうこれを分かって歪曲作業をしていることで確認されました.日本国立公文書西関に保管中の海左全図筆写本です.

&#9664;SYN&#9654;
"日本の人々が(我が国の地図を)19歳位にベキョがで.その時は峰をよく描いておいて間ことですよ."

しかし日本学界は 2年前からこの峰表示が峰絵ではなく字の一部と歪曲しています.于山島の于者をてんから家優(宇)定木で変えてしまいながら,峰が 于定木の上にあるガッモリというはずです.

&#9664;INT&#9654;
"峰があれば独島になるから,宇宙の愚者式で歪曲しています.だれが見てもそういう漢字ではないが..."

海左全図と 19世紀江原道地図だけではなく対照選局前途(大朝鮮国全図?)と海東輿地図筆写本にもこのように峰が描かれていることで確認されました.

MBC ニュース崔勳です.

意見書 & 沖縄から石垣へ

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/03/10 20:43 投稿番号: [17397 / 18519]
日本代表は東京ラウンドを終えて渡米いたしました。今現在アップロードしているのは県立公文書館のものですが、私も計画通り石垣へ飛ばなければなりません。よって県立図書館所蔵の資料はスキップします。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka100/okinawa2008/007library.jpg
[あなた(尖閣)のために、空を飛びたい]
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka100/okinawa2008/008fly-to-ishigaki.jpg
そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。


さて、掲題の件ですが、沖縄県議会の『尖閣諸島海域における領海侵犯事件に関する意見書』をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/prefecture-1978/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ   次回は3月28日※
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1908年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1908/
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ※

WBCへの道 [3月16日(月曜)第二ラウンド 朝5:00プレーボール]
http://web.worldbaseballclassic.com/
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/wbc/2009/data/tournament/round2_1.html
沖縄県議会[領海侵犯事件に関する意見書](本日アップロード完了!)
沖縄県議会[一般質問答弁集]
沖縄県議会[代表質問答弁集]
Freimuth Collection
TiaoYuTai Islands

※第二ラウンドからは石垣にある尖閣資料をアップロード予定
古賀辰四郎開拓記念
石垣市立図書館
尖閣列島遭難記念碑
法務局
八重山博物館
八重山新聞



今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「夢見る ヒコーキ ANA」
[あなた(尖閣)のために、空を飛びたい]
http://media.ana.co.jp/cm/birth_60.html
http://media.ana.co.jp/cm/birth_30.html

野球も下手のくせに獨島を奪取するなんてw

投稿者: ilkuji_88 投稿日時: 2009/03/10 12:57 投稿番号: [17396 / 18519]
馬鹿な倭寇らめ。w

文芸春秋 & 日韓戦で感動したこと

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/03/08 20:11 投稿番号: [17395 / 18519]
盛り上がってまいりました(笑顔)。日本のプレーにも当然感動しましたが、私が特筆したいのは、7回表のときにウェーブが起こって韓国ファンがいるスタンドが映った時に、ど〜するのかなと思っていたら、彼等も立ち上がってウェーブしましたね。韓国側の反対側で見ていた日本のファンも歓声でそれに応えておりました。非常に良かったです。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。


さて、掲題の件ですが、文芸春秋の『尖閣列島は誰のもか』をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/bungei-1978/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ   次回は3月28日※
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1908年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1908/
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ※

WBCへの道 [3月9日(月曜)東京ラウンド決勝 18:30プレーボール]
http://web.worldbaseballclassic.com/
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/wbc/2009/data/tournament/round1_a.html
文芸春秋(本日アップロード完了!)
沖縄県議会
Freimuth Collection
TiaoYuTai Islands
※公文書館とWBCをタイアップ※


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「WBC ワールド・ベースボール・クラシック CM」
http://www.youtube.com/watch?v=dvtTCDM_4KI&feature=related

Re: 保坂よこの地図を見よ、どこが独島なの

投稿者: take_8591 投稿日時: 2009/03/07 06:30 投稿番号: [17394 / 18519]
【第1ステージ】
   韓国側は、朝鮮が作成した地図・絵図に「于山島」として描かれている島は「独島」である。と主張していました。
   その理由として、「于山島が鬱陵島の東に、独島として正確に描かれている。」と主張しました。これを最初に聞いた時は奇異に感じましたが、どうやら、17世紀以前に描かれた絵図は于山島の位置が定まらず、日本側から「ヒョッコリひょうたん島」と揶揄されていたけど、18世紀以降の絵図は于山島を鬱陵島の東に描くことが多くなったので、「独島として正確に描かれている」という主張になった模様です。又、「長久保赤水等の地図でも、竹島・松島のみが描かれ、チェクトは描かれていない。広い地域を描くには、小さな島は省かれることが多い。朝鮮作成の絵図もこれに倣ったものである。」と主張しました。
   しかし、前者は、その論理飛躍が明らかですし、後者は、赤水図は竹島・松島のみを描いたが、江戸期の日本人が作成した絵図の多くは、竹島・松島が詳細に描かれ、少なくとも他の島と峻別可能な程度に描かれています。詳細絵図が存しない朝鮮側と同列に論じることはできません。

   この様な状態で、両者の議論は平行線をたどっていました。
   平行線を辿る議論に決着を付けるには、「どちらに立証責任を負わせるか」という判断が必要です。これを指摘すると、韓国側は「狼たちの国際法が・・・」「朝鮮侵略への反省が足りない」等々・・・訳の判らない反応を示します。


【第2ステージ】
   朝鮮が作成した地図・絵図に「于山島」として描かれている島は、一般常識で判断すると「チェクト」であり、「独島」とするには鬱陵島に近すぎました。それでも、韓国側は、于山島=独島の主張を翻しません。
   この状況に一石を投じたのがゲーリー氏でした。ゲーリー氏は、「鬱陵島圖形」を示し、そこに「所謂 于山島 - 海長竹田」の文字を発見し、于山島がチェクトであることを証明しました。又、1目盛りが10里で作成されている「逭邱圖」を示し、そこに描かれている于山島が鬱陵島から5Km程度しか離れていない島である事を明らかにしました。
   韓国側は、「于山島の描かれた絵図は数百枚ある。その内の2枚の絵図が・・・」と負け惜しみを言いますが、何が描かれているか判らない数百枚の絵図と、はっきりチェクトと判明する2枚の地図の証明力の差は歴然としています。
   「逭邱圖」の特徴の一つに、南沿岸に5つの判然としない島影が描かれています。この特徴を引継いだ1899年大韓全図の于山島もチェクトと言うことになります。李氏朝鮮は、その終焉まで鬱陵島を正確に認識することができなかったのです。


【第3ステージ】
   最早、為す術が無いのか、韓国側はこの2年間沈黙を守って来ました。この沈黙を破ったのが鉄砲玉を他認する保坂氏でした。保坂氏は、「海東輿地図」に描かれている「于山島」が独島に見えると言います。しかし、これは彼の個人的な趣味嗜好を述べたに過ぎず、ゲーリー氏の指摘が有していた論理性・客観性が欠如しています。何の説得力もありません。
   未だ、第3ステージは始まっていないと思われます。
   尚、「海東輿地図の于山島」の特徴は、南北に細長い島で、北に山麓があり南に平野が広がっています。この絵図に近いのは、竹嶼・竹島の何れでしょうか。私は、竹嶼であると思います。


http://take8591.wiki.fc2.com/wiki/%E4%BF%9D%E5%9D%82%E6%B0%8F%E3%81%8C%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%B0%8F%E3%81%AB%E5%8F%8D%E8%AB%96%EF%BC%9F%E3%80%80090223?sid=ee2d1ac426627a4f920577eb603 4d752

Re: 青い海 & 小沢一郎の決断

投稿者: diaoyuzhuyu 投稿日時: 2009/03/05 00:20 投稿番号: [17393 / 18519]
琉球新報 1908年 尖閣列島遊覧希望者に就き
右等の事情によりて●許當分の処は御断わり
● =爰


大日本国誌 内務省地理局 明治
勝沼智一:《尖閣列島の領土問題の歴史と法理》,1973年

保坂よこの地図を見よ、どこが独島なのか

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2009/03/04 23:44 投稿番号: [17392 / 18519]
久々に私のサイトに新しいページを追加しました。

保坂教授の論説を検証する

http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/a/newpage2.html

保坂祐二教授の「日本よこの地図を見よ、独島がどこの領土か」なる記事についてです。


「于山島が独島」…19世紀の「海東輿地図」を分析 (日本語 )

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=111727&servcode=400§code=400

「日本よこの地図を見よ、独島がどこの領土か
ソース:NAVER/中央日報(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=025&aid=0001997424

下条教授の書いた文章よりもレベルの高い文章が書けたのではないかと、密かに自負しております。

  実事求是18   荒唐無稽な保坂教授の珍説と「子どもと教科書全国ネット21」等の暴走  

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima04-y.html

青い海 & 小沢一郎の決断

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/03/04 21:06 投稿番号: [17391 / 18519]
今まで我が党は防戦一方でしたが、いよいよ反転攻勢に出ます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090304-00000548-san-pol
小沢一郎は正面突破をするようですが、その「決断」は誤りです。トップに立つものは決断を誤ってはなりません。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。

さて、掲題の件ですが、月刊・青い海の『尖閣列島今昔物語』をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/aoiumi-1980/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ   次回は3月28日※
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1908年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1908/
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ※

WBCへの道 [3月5日(火曜) 18:30プレーボール]
http://web.worldbaseballclassic.com/
青い海(本日アップロード完了!)
文芸春秋
Freimuth Collection
TiaoYuTai Islands
※公文書館とWBCをタイアップ※


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「アニメンタリー   決断」
http://www.youtube.com/watch?v=BCnVP7oYh_o&feature=related
決断 第7話 マレー沖海戦
http://www.youtube.com/watch?v=ErL6Y2jodic&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=YJ_1tGsQViY&feature=related

決断 第23話 硫黄島作戦
http://www.youtube.com/watch?v=z9msrnTmM7s
http://www.youtube.com/watch?v=2bipmDhSet8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v =- PFhwS8njYM&feature=related

于山島が人形の形???

投稿者: antikoreanbrainwashpropaganda 投稿日時: 2009/03/04 13:33 投稿番号: [17390 / 18519]
-- -引用 -- -
   半月城です。
   以前、金正浩『大東輿地圖』に于山島は記載されなかったと書いたのです
が、実は于山島が記載されている版もあることが判明しました。ちょっとした
発見です。塚本氏によれば、国会図書館所蔵の筆彩本(1861頃)第14帖には于
山島が描かれているとのことでした(注1)。おそらく最新版なのでしょう。
塚本氏はさすが同図書館のプロです。
   塚本氏のコピーをみると、于山島は大きさが欝陵島の1/15くらい、位
置は欝陵島の東に、形はやや人形のように描かれました。一方、欝陵島の形は
楕円に近く描かれており、いずれも実際の踏査は行われなかったようです。
   それにしても『大東輿地圖』が日本で大切に所蔵されていたとは意外でし
た。これは陸軍省あるいは朝鮮総督府あたりから受けついだのでしょうか。

(注1)塚本孝「竹島関係旧鳥取藩文書および絵図(下)」『レファレンス』
  1985,5月号,P100、国会図書館の請求記号は 292.1038-Ki 229d
-- -引用終わり -- -

この于山島をどうやって見れば人形に見えるのかw
http://www.flickr.com/photos/21594572@N08/2147328493/

Re: 中国が法的根拠にしている「カイロ宣言

投稿者: diaoyuzhuyu 投稿日時: 2009/03/04 13:23 投稿番号: [17389 / 18519]
1996 年,美國駐日大使蒙戴爾在接受美國媒體採訪時表示 , “在日美安全條約中沒有強制美軍介入釣魚島糾紛”。
同年10 月 30 日美國駐日大使蒙戴爾仍表示: “日美安全保障條約不適用於尖閣群島”。



毘舎耶国(フィリピン)
完全に誤った
宋朝の《諸蕃志》
流求國=琉球 &#27607;舍耶=臺灣 三嶼=フィリピン
上記には、台湾は毘舎耶国(フィリピン)に属すると書かれてある。
これは確かに笑い話です,日本人の歴史の知識は本当に問題がありますよ,senkaku_islandsさん,そこのところをよく考察されて下さい。



神武天皇の即位年(紀元前660年 辛酉の歳)
どうして即位年は辛酉年ですか?
《易緯》:“辛酉爲革命,甲子爲革令。”
《詩緯》;“辛酉革命,甲子革政。”
日本は陰陽家の“辛酉革命説”を採用しました。


藤井貞幹の《衝口発》
戦国呉太伯の後代の天孫氏と琉球の玉依姫結婚した,そこで神武天皇を生みました。
日本が琉球に属すのであれば、日本は日本の領土ではありません。


日本は中国に比べて,もっと前に台湾を発見することができますか
日本→中国
彌生
(1)去程:弁辰→對馬→遠瀛(沖之島)→中瀛(大島)→築前胸形(宗像)
(2)來程:倭國築前胸形(宗像)→中瀛(大島)→遠瀛(沖之島)→對馬→弁辰
(3)去程:帶方郡→對馬→壹岐→松湧半島


(1)樂浪郡→帶方郡→韓國→倭土各國
(2)帶方(韓國臨津江入海口附近)循海岸航行→乍南乍東→航船至半島西南角折向東(循陸南側行)到達東南角北岸(洛東江口附近)→(利用左旋流)對馬國→瀚海→一支國(壹岐)→末盧國(九州松浦半島)→東南陸行→伊都國→奴國→不彌國→投馬國→邪馬台國(倭女王國)

允恭天皇~欽明天皇
(1)日本(難波)→朝鮮半島→循西海岸北上→經過渤海灣(山東長島縣廟島群島)→(像踏&#33139;石連接遼東半島)→山東半島→登州(現蓬&#33802;)沿大陸南下→到達中國江南地方;
(2)(朝鮮半島西岸)甕津半島→渡&#40643;海→山東半島尖端沿大陸南下→到達江南地方
(3)(日本)自築紫渡韓,似由肥前開洋。(據載,赴韓土之征討軍,留有發自松浦之形跡也。)由松浦出外洋,仍遵三世紀前葉北九洲倭女王卑彌呼與魏、帶方郡交通往返之路:經壹岐→對馬→(韓)任那之金海府沿海岸航行→百濟(彼時無法經過高句麗)渡航&#40643;海(按彼時日本造船術較原始,不易直航揚子江口)先至山東半島沿江蘇海岸南下→建康(江)返回時仍行此路。

推古天皇〜醍醐天皇
北路(渤海路):
(1)壹岐→對馬→朝鮮半島南海耽羅國(濟州島北中間通過)→沿半島西海岸北上甕津半島之角渡&#40643;海→山東半島之角上陸。
(2)壹岐→對馬→沿朝鮮半島及遼東半島東海岸之西端,渡渤海→廟島列島→(山東登州府)文登縣上陸→&#33802;州→&#20823;州→&#27764;州(開封)→長安(此條路線與遣隋使行走路線相同。)
南路:築紫(博多)開洋→&#20540;嘉島(平&#25142;島及五島列島之舊名)渡中國東海徑航→長江口/杭州灣→明州(寧波)/越州(紹興)
南島路:築紫(博多)→沿九州肥前、肥後、薩摩西岸南下→多&#35129;(種子島)→夜久(屋久島)→奄美(南島,即奄美大島)折向西航行→渡中國東海→長江口/明州(寧波)陸行揚州→沿大運河&#37015;溝&#8226;通濟渠→楚州(淮安)→&#27764;州(開封)經洛陽→長安。

醍醐天皇(延喜8年)〜後宇多天皇(弘安3年)
(1) 來程:博多→平&#25142;島→(宋)明州(偶有駛入泉州者)
(2) 返程:明州(或福州)→(日)平&#25142;島→博多(或敦賀、但馬)
(3) 宋商來往日本之航海路線:發自兩浙斷中國東海→肥前&#20540;嘉島→(築前)博多(與唐末、五代相同);或日本海→越前敦賀(返回宋船:敦賀→博多(或壁島,今名加部島)→&#20540;嘉島→明州)

龜山天皇(文應元年)〜後光嚴天皇(貞治6年)
博多→慶元

遣明船
(1)遣明船(中國路):兵庫→&#25142;&#20839;海→博多→五島→寧波(宋明州,元慶元)→運河→余姚→紹興→蕭山→杭州→嘉興→蘇州→常州→揚州→鎮江→淮安→彭城→濟→天津→北京(明初都南京,由鎮江至南京)。
(2)兵庫(2、3月間或7、8月間發船)→博多(秋季小&#27739;)→五島→渡中國東海(蓋利用秋季小&#27739;東北季風)→北京。
(3)遣明船(南海路):堺→土佐沖→薩摩之坊津→寧波(自坊津起航不經過土佐沖)

明治前
長崎、平&#25142;→寧波、普陀山、&#28331;州、福州、廈門、&#28467;州、廣東

中国が法的根拠にしている「カイロ宣言」

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/03/04 00:32 投稿番号: [17388 / 18519]
ちょっとここで一息入れたいと思います。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kaimon-1892/
上記の解説で軍艦海門は尖閣には行っていない旨記載しました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kikan-okinawa63/
上記「06」の8ページ下段を見れば分かりますが、「同列島に対する実地調査は明治25年軍艦海門によっても行われた(注 ただしこの事実は目下のところ第一次資料によって確認されたものではない)」とあります。

政府の外郭団体が発行した論文にも関わらず、第一次資料で確認していないものを載せるとは噴飯ものですね。日本は食品偽装も建築偽装も歴史歪曲も今や"お家芸"になっております。一次資料で確認されたものではないのであれば、何の資料を見て海門が尖閣に行ったと主張しているのでしょうか?

私が調べれば日本政府もグーの根の出ません。これからも徹底的に調査しアップロードします。


あと、以前どなたかが私のHPを指して「kunitaka氏のHPは国際法からのアプローチが弱い」と言っていましたが、先ずは史料のアップロードと思って、今まで国際法から見た領土問題は記述しておりませんでした。

ここで私の意見を開陳したいと思います。

2004年3月、つまり尖閣諸島の争議が起こったとき、米国国務院のスポークスマンは「1972年以来、尖閣群島は沖縄の一部分である。日本に返還されて以来、その列島は日本政府の行政管轄下にある」ことを明らかにし、続けて「1960年に締結した日米安保条約第五条は、同条約は日本管轄下の領土に適用されるとしており、そのため第五条は尖閣群島にも適用される」と述べております。

尖閣群島は行政上、琉球列島の一部分です。サンフランシスコ講和条約第三条では「南西諸島」内に組み込まれております。第二次大戦後、米国が占領し、27年間管轄し、1972年にその主権は沖縄返還の一環として日本へ返しております。
http://www.libertytimes.com.tw/2008/new/jul/29/today-p7.htm

また、中国が尖閣諸島問題で事あるごとに持ち出している、2つの宣言に対する解釈も間違いです。カイロ宣言もポツダム宣言も宣言というのは、声明、広報であって条約ではないので、もともと法的根拠にはならい。国際法の根拠になるのは条約です。


尖閣が台湾に属すのであれば、尖閣は中国の領土ではありません。
東寧王・鄭経の『&#38313;海紀要(びんかいきよう)』1633年
明の遺臣であった黄宗羲の『賜姓始末』、『鄭成功伝』
金賓の『康煕(こうき)福建通志台湾府』
高拱乾の『台湾府志』
楊廷耀の『台湾府志』
連横の『台湾通史』
郁氷河『裨海遊記』
周元文の『重修台湾府志』
周鐘&#29764;の『諸羅県志』
雍正帝の『東華録選輯』
黄淑敬の『台海使槎録』
沈起元の『台湾理蕃古文書』
明の遺臣・沈光文の『重修台湾府志』
清の康煕帝の『清聖祖実録選輯』
清の将軍・頼塔の『清史講義選録』
洪亮吉『乾隆府庁洲県図志・台湾府』
呉子光『台湾記事』
※上記には、台湾は毘舎耶国(フィリピン)に属すると書かれてある。

当時の中国の政治家や知識人が書いた書籍だけでなく、国家最高権威の「正史」でさえ、台湾は古(いにしえ)より中国と通ぜずとあります。中国大陸から見て台湾でさえそのような認識しかないのに、台湾より更に先にある無人島の尖閣が中国の領土であるはずがありません。

警告板工事設計書 & 日露首脳会談

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/03/03 21:51 投稿番号: [17387 / 18519]
現在私は尖閣諸島の研究をしておりますが、北方領土にも関心が御座います。先ずはオープニングの「日露首脳会談」をご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=GGI91XS6wXU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=5qoA9RW7jQc&feature=related
私は日露首脳会談そのものには反対しておりませんが、なぜサハリンでやったのかが理解出来ません。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。

さて、掲題の件ですが、『尖閣列島地内警告板設置工事設計書』をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/warning-1970/
沖縄公文書館にある尖閣資料ではメイン資料の一つであります。「琉球政府」のお宝資料で御座います。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ   次回は3月28日※
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1908年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1908/
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ※

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今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「日ロ首脳会談   サハリン2   その1   関西ローカル」
http://www.youtube.com/watch?v=Khf_hd3rBFY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=xMZETRZ7SFk&feature=related
【ロシア】勝谷誠彦氏コラム 報じられない日露首脳会談
http://www.youtube.com/watch?v=sCSZQGqWsHs

Re: その二つの側面 & 北九州で自民大敗

投稿者: diaoyuzhuyu 投稿日時: 2009/03/03 15:24 投稿番号: [17386 / 18519]
senkaku_islandsさん
日本水路誌 第二巻下 明治41年
地学雑誌 - 1909年10月、第11輯・第130巻 台湾の北東に位する小離島
写真を掲載してください

最新大日本地理集成. 上,下巻 角田政治著. - 改訂,隆文館図書, 大正3−5 国立国会
P395-396 尖閣列島 釣魚嶼 尖閣諸島嶼 黄尾嶼

その二つの側面 & 北九州で自民大敗北

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/03/02 21:07 投稿番号: [17385 / 18519]
麻生内閣の低支持率が地方議会の選挙にも影響しております。この掲示板閲覧者で北九州市民の方もおられると思いますが、私は政府与党の党員として、今回の北九州市議会選挙の結果を真摯に受け止めております。

市長選挙ではずっと自民党系市長だったのですが、2年前の市長選挙では、北九州市政始まって以来の革新左派の市長が誕生したことは記憶に新しいと思います。
http://www.dpj.or.jp/news/?num=9558
まさか市議会議員選挙でも自民が崩壊するとは・・・。
http://www.data-max.co.jp/2009/02/post_4440.html
そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。


さて、掲題の件ですが、『尖閣油田の開発と真相   その二つの側面』をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ   次回は3月28日※
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1908年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1908/
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ※

WBCへの道 [3月5日(火曜) 18:30プレーボール]
http://web.worldbaseballclassic.com/
青い海
尖閣油田の開発と真相 その二つの側面(本日アップロード完了!)
文芸春秋
工事設計書
Freimuth Collection
TiaoYuTai Islands
※公文書館とWBCをタイアップ※


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「北九州市議選の結果」
http://www.youtube.com/watch?v=G6f -- rf_wzs
北九州市議選   「民主に追い風感じた」   30代4新人   上位当選
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/74732

Re: 日韓新聞報道比較

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2009/02/28 19:48 投稿番号: [17384 / 18519]
>これではまったく文意が通じません。

  確かに、通じませんが、次のような読者を量産する効果はあります。




  「これから時間が経てばますます独島が韓国のものと言う明白な証拠がたくさん出てくる。日本の人々も自分たちの不利な証拠が多いことを知っているんだろうが、固執するのは何のためなのか。国土拡張欲のためなのか。」


  「その立て札が独島の主人が誰かいうことを示す歴史的証拠なら、それが韓国人の手に入って来るとどうして大変だというのか? 本当にそうなら自分たちで手に入れて永遠に証拠湮滅すれば良い。」


  「何だと? 当時の日本では独島を鬱陵島と呼んでいた? 日本人たちよ、話になる話をしてこそ人間だと言えるのだ。話にならない話をするからウェノムと言われるのではないか。明々白々な史料さえ否定するならば君たちに残るのは何か? 古事記、日本書紀が虚構なら歴史根拠をどこに求めることか? 良心ある日本人たちの良心宣言を期待する。」

Re: 日韓新聞報道比較

投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2009/02/28 17:17 投稿番号: [17383 / 18519]
(産経)    江戸時代に「竹島」と呼ばれた韓国領の鬱陵(うつりょう)島について、「朝鮮国に属しており、渡航を禁じる」
(朝鮮)   「独島は韓国の領土なので日本人たちの渡航を禁止する」

(産経)   鬱陵島は現在の竹島(韓国名・独島)とは異なるが、立て札の記述は韓国側が竹島を自国領と主張する際にたびたび引用されているという。
(朝鮮)   「当時の日本では独島を鬱陵島と呼んでおり、鬱陵島は現在の独島とは違うのに韓国側が独島を自国の領土と主張する根拠に誤った主張が引用されており、

(産経)   鬱陵島を舞台に天保7年、石見浜田藩(島根県浜田市)の商人らが行った密貿易について、関係者を処罰したことを伝える内容。その中で、「竹島」という記述とともに「元禄之度朝鮮国江   御渡ニ相成候以来渡海停止候」との記述が読み取れる。「元禄之度」とは元禄5(1692)〜9年に起きた「竹島一件」と呼ばれる鬱陵島をめぐる日本と朝鮮の領有権争い。以降、幕府は領有権を放棄し同島への渡航を禁じており、立て札は幕府の命を受け、改めて掲示されたものとみられる。
(朝鮮)   「独島は韓国の領土なので日本人たちの渡航を禁止する」という内容が書かれた江戸時代の立て札が出品されると報道した。

(産経)   島根県竹島資料室によると、「朝鮮国江御渡」という記述を含む触書は、幕府や諸藩の記録に残っており、韓国メディアが現在の竹島と取り違えて報道するケースがあるという。同県の竹島問題研究顧問の杉原隆さん(70)は「韓国側が『竹島』と記述された鬱陵島の資料を買い集めているという情報もある。史実は変わらないが、今回の立て札も韓国に渡れば自分たちの都合のよい資料として使われるだろう」と指摘するが、同県総務課は「財政状況が厳しいので落札は難しい。韓国側に値段をつり上げられると太刀打ちできない」としており、行方を不安視している。
(朝鮮)   島根県の独島問題研究顧問である杉原氏(70)は、「韓国側が独島と書かれた鬱陵島の資料を買い集めていることは知られているが、この立て札が韓国側に移れば大きな問題だ」とし、論難を呼び起こしている。



  産経新聞が「竹島」と書いた部分を朝鮮日報は自動的に「独島」に変換してしまっています。しかも「当時の日本では独島を鬱陵島と呼んでおり」の部分は、どう考えても「当時の日本では鬱陵島を独島と呼んでおり」の間違いとしか思えません。。これではまったく文意が通じません。。。

日韓新聞報道比較

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2009/02/28 15:49 投稿番号: [17382 / 18519]
<鬱陵島渡航禁止の触書がオークションに   韓国側の落札懸念>

産経新聞   2009.2.27
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090227/trd0902270131002-n1.htm

  江戸時代に「竹島」と呼ばれた韓国領の鬱陵(うつりょう)島について、「朝鮮国に属しており、渡航を禁じる」との内容が書かれた江戸時代の立て札が、京都市内で3月に開かれるオークションに出品されることが26日、分かった。

  鬱陵島は現在の竹島(韓国名・独島)とは異なるが、立て札の記述は韓国側が竹島を自国領と主張する際にたびたび引用されているという。立て札が韓国に渡る可能性もあり、竹島問題と向き合う島根県の関係者らは成り行きを懸念している。

  立て札は天保8(1837)年に書かれたもので、幅73センチ、縦33センチ。「高田役所」の名があり、オークションの主催会社によると、越後高田藩(新潟県上越市)内で掲示された可能性があるという。東日本在住の所有者が出品し、最低落札価格は120万円。3月15日に京都市中京区の同社で公開入札される。

  鬱陵島を舞台に天保7年、石見浜田藩(島根県浜田市)の商人らが行った密貿易について、関係者を処罰したことを伝える内容。その中で、「竹島」という記述とともに「元禄之度朝鮮国江   御渡ニ相成候以来渡海停止候」との記述が読み取れる。

  「元禄之度」とは元禄5(1692)〜9年に起きた「竹島一件」と呼ばれる鬱陵島をめぐる日本と朝鮮の領有権争い。以降、幕府は領有権を放棄し同島への渡航を禁じており、立て札は幕府の命を受け、改めて掲示されたものとみられる。

  島根県竹島資料室によると、「朝鮮国江御渡」という記述を含む触書は、幕府や諸藩の記録に残っており、韓国メディアが現在の竹島と取り違えて報道するケースがあるという。同県の竹島問題研究顧問の杉原隆さん(70)は「韓国側が『竹島』と記述された鬱陵島の資料を買い集めているという情報もある。史実は変わらないが、今回の立て札も韓国に渡れば自分たちの都合のよい資料として使われるだろう」と指摘するが、同県総務課は「財政状況が厳しいので落札は難しい。韓国側に値段をつり上げられると太刀打ちできない」としており、行方を不安視している。







<日本が命をかける「独島高札」は正にこれだ!>

朝鮮日報 2009.02.27 17:34
http://photo.chosun.com/site/data/html_dir/2009/02/27/2009022701281.html#bbs

  27日、日本の産経新聞は、3月に日本・京都市内で開催される競売に、「独島は韓国の領土なので日本人たちの渡航を禁止する」という内容が書かれた江戸時代の立て札が出品されると報道した。

  同新聞は、「当時の日本では独島を鬱陵島と呼んでおり、鬱陵島は現在の独島とは違うのに韓国側が独島を自国の領土と主張する根拠に誤った主張が引用されており、この立て札が競売によって韓国側に移るとすれば大きな問題だ」と伝えている。

  立て札は1837年に日本で作られたもので、幅73センチ、長さ33センチの大きさで、「高田役所」の名前が書かれていて、日本の新潟県で使われた可能性が高いと言う。東日本在住の持ち主が出品して、価格は120万円で、3月15日に京都市で公開入札される。

   島根県の独島問題研究顧問である杉原氏(70)は、「韓国側が独島と書かれた鬱陵島の資料を買い集めていることは知られているが、この立て札が韓国側に移れば大きな問題だ」とし、論難を呼び起こしている。

(翻訳は投稿者)

安龍福事件に対する検証

投稿者: take_8591 投稿日時: 2009/02/27 23:46 投稿番号: [17381 / 18519]
質問集の答えに
   1693年に安龍福が連行されたときに独島が朝鮮領であるとの書契を伯耆藩からもらったと主張する人が韓国では多いのですが、日本の史書を照合すると疑問です。ただし、1696年に安龍福がみずから来日した時、彼は欝陵島と子山島(独島)が朝鮮領であると主張したことは日本の村上家文書などから確認できるのですが、1693年の場合は日本の史書ばかりではなく、朝鮮史書を見ても疑問です。安龍福の取調官は、拉致された一介の漁民が領土主張しても日本は認めないだろうと判断していましたし、首相に相当する領議政も同じように考えていました。
   私は、そうした疑問点に対して両国の史書を検証して『安龍福事件に対する検証』を韓国水産開発院から出しました。その本は非公開ですが、今後も機会あるごとに韓国へも疑問点をぶつけていきたいと思っています。
 --------------------------------------
   とありますが。

   No.16489   (2008/ 4/22)   に次のとおりです。
    (注2)朴炳渉『安龍福事件に対する検証』韓国海洋水産開発院
    (近刊予定、日本語および韓国語併記、販売は韓国の政府刊行物販売センター)
   更に、   http://han.org/a/half-moon/hm133.html
   では、『安龍福事件に対する検証』にリンクが貼ってあります。
   そして、「google」で検索すると、トップに表示されます。

   2008/ 4/22には、ネット公開可であったものが非公開になったのですか。それとも、全く違う論文なのでしょうか。

   尚、シンヨンハ氏の「日本の領有権主張が誤りである理由」の日本語バージョンが、2007年には公開されていたのですが、現在は「日本語版 豫定」となっています。この論文は、デタラメがひど過ぎるので、日本語版が廃止になったと思われます。この論文に比べると、『安龍福事件に対する検証』はまともな論文のように思われるのですが、同じ扱いなのでしょうか。

獨島=石島なら

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2009/02/27 16:01 投稿番号: [17380 / 18519]
七月に皇城新聞に照会記事が出た後に、「やっぱり我が国の領土だった、日本国の領有はおかしい」というぐあいに反応があるはず。
騒ぎ立てた本人はまだ生きてるわけだし。
よって、獨島=石島という認識は、当時あったということはできない。
すくなくともアリバイは成立しない。

池内教授 石島=独島を否定

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2009/02/27 03:44 投稿番号: [17379 / 18519]
http://www.kr-jp.net/ronbun/ikeuchi/ike-090221.pdf
去る2月21日に行われたシンポジウムですが、池内教授は石島=独島を一蹴したようです(大爆笑)。ちなみに固有領土論は日韓の両者について否定。せっかくだから一部抜粋します。

1906年に、「独島」は鬱島郡主の管轄区域であったという。一方、1900年の勅令41号には「独島」を管轄区域として明記していない。ことは中央政府レベルでの行政区画の画定問題である。仮に「石島」と「独島」が同じ島を指すものだとすれば、1900年と1906年のあいだで、二つの島の名称が異なることについての行政文書での説明が残されておらねばならず、また「独島」を管轄領域とすると明文規定がなされなければ、末端行政官が遵守しようがない。「勅令41号以後の鬱陵島の官制に関する別の勅令が公布されたことがない」とすれば、それはとりもなおさず「独島」が管轄領域としては中央政府レベルでの認知を経ていないことを示すものにほかならない。『独島は大韓民国固有の領土です』における説明としては、論としてまるで転倒している。

この説明では、日本の領土編入措置はどこから見ても合法としかならないでしょう。統監府からの照会にだって「独島」が鬱陵島の所属島と答えられるはずがありません。なにせ、「「独島」が管轄領域としては中央政府レベルでの認知を経ていない」のですから。
これで、竹島編入に対する韓国の無抗議の理由も明らかとなったわけです。なにせ、「「独島」が管轄領域としては中央政府レベルでの認知を経ていない」
のですから。
「外交権が無かったから抗議できなかった。」なる主張は、日本人の贖罪意識を悪用した妄言に過ぎないということは、既に明らかと言えるでしょう。

『磯竹島覚書』と于山島

投稿者: take_8591 投稿日時: 2009/02/26 07:48 投稿番号: [17378 / 18519]
   半月城さんは、『磯竹島覚書』は、後に内務省が竹島・松島を版図外と判断する際の基本資料になった重要な史料である。と言われます。そこで、『磯竹島覚書』に書かれている于山島を検討します。

   元禄8年(1695年)12月7日、対馬藩は、朝鮮が竹島領有根拠としている「余地勝覧」と対馬藩が竹島領有根拠としている「芝峯類説」を老中に示しました。
   先ず、対馬藩は言います。(交渉開始から3年になるが遅々として進まない)「彼の国は北京の幕下であるから、この事は北京にも聞こえます。」と。そして、余地勝覧を示し「半島から鬱陵島が歴々と見え、古来においては朝鮮領であること疑いなし」と言い、「于山島とあるが、これは鬱陵島の別称である」と付け加えます。更に、芝峯類説を示し「秀吉の朝鮮征伐の時期から竹島は日本領になった」と言います。

   「北京に聞こえるかも知れない」が、日本が譲歩した一因だと思います。
   元禄期の日本は、「于山・鬱陵は本一島」を本説と信じ、明治政府もこれを引継いだと考えられます。太政官は、鬱陵島=竹島を版図外とし、もしかしたら存在するかも知れない于山島を「外一島」としたのかも知れません。尚、元禄竹島一件外交文書で、「松島」とか「于山」とかいう文言は、全く使われていません。又、元禄期の老中は、鳥取藩回答に「松島」の文言が表れたので、松島=于山島の可能性を考え再確認したのかも知れません。しかし、八道総図と異なり松島が日本よりにあることが確認できたので、深く追求しなかったのかも知れません。


   ゲーリー氏は、明治期の于山島認識を示す地図として、次の4点をし示しています。
朝鮮国細見全図(染崎延房編著 1873) 鬱陵島附近拡大図
    http://gerrybevers.googlepages.com/1873Japanesemap.jpg
朝鮮全図(海軍水路寮 1873) 鬱陵島附近拡大図図
    http://gerrybevers.googlepages.com/1873-JapNavalMapofKorea1a.jpg
原版朝鮮全国之写(陸軍編纂 1877) 鬱陵島附近拡大図
    http://gerrybevers.googlepages.com/1877-JapArmyofKorea2a.jpg
明治二十七年 朝鮮全図(柴田源三郎編1877) 鬱陵島附近拡大図
    http://gerrybevers.googlepages.com/1894-JapMapofKorea2a.jpg


  画像付き記事
http://take8591.wiki.fc2.com/?page=%E3%80%8E%E7%A3%AF%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E8%A6%9A%E6%9B%B8%E3%80%8F%E3%81%A8%E4%BA%8E%E5%B1%B1%E5%B3%B6%E3%80%80take_8591

『磯竹島覚書』と「竹島一件」

投稿者: take_8591 投稿日時: 2009/02/26 07:40 投稿番号: [17377 / 18519]
   竹島の書付によると、安龍福を逮捕し長崎に送る迄の間の、元禄6年(1693年)5月22日に、鳥取藩は、幕府に回答しています。

   それは、「竹島鮑への税金を徴収していない」「竹島渡海の詳細は不知」「伯耆守の支配所ではない」という内容です。鳥取藩としては、竹島派兵になったら嫌ですから、両家がお見え資格を持っている事を逆手に取って逃げを打ったのだと思います。
   結局、竹島一件は対馬藩が担当することになりますが、口先だけで朝鮮人を動かすのは、今も昔も大変です。対馬藩の論理は正鵠を突き、万機要覧等の朝鮮史書はその交渉経緯を残すことができない程の内容でした。
   朝鮮の言い分は、「鬱陵島の領有権を放棄していない」「空地政策を採っている」「その根拠は余地勝覧にある」というものでした。この論理は、大戦後なら通用するでしょう。しかし、17世紀の世界標準ではありません。
   一方、日本側としては、「鎖国政策を採っているので他国人と交わるのは困る」「余地勝覧根拠説は検討の余地がある」ということになり、日本も空地政策を採ることにしました。そこで、両家に預けてある「竹島渡海免許状」を取り上げ、竹島渡海を禁止することにしました。

   しかし、鳥取藩は大藩ですから、その意向を最終確認する必要がありました。元禄8年12月24日、質問を発しました。『磯竹島覚書』に次のとおりです。
   それは、「因州伯州へ付けている竹島は、いつから両国に附属する事になったのか、先祖が両国を領地とする以前のことか、その後のことなのか。」というものです。これにより、半月城さんは、この時の幕府が「鳥取藩の竹島」との認識を有していたと考えているようですが、これはありえません。既に、「伯耆守の支配所ではない」との回答を得て、元禄竹島一件処理に鳥取藩を加えていなかったのですから。又、質問と回答の期間が短すぎます。たったの一日です。

   ですから、「竹島は、因幡伯耆の附属ではない」との回答は、意外でも何でもありません。予定されていた内容です。半月城さんは、この「鳥取藩の回答が決め手になり、幕府は竹島などを朝鮮領であると認識したのである」と言われます。この事は、安龍福を釈放する前に決まっていた事なのです。この回答で決まるなら竹島一件は起こっていないのです。
   この半月城さんの論理は、二つの問題を含んでいます。一つは、元禄6年の鳥取藩回答を無視していることです。史実を無視して、我田に引水することは許されません。一つは、封建制度下において武士が領しない土地は無く、鳥取藩領でなければ朝鮮領になる。という論理は、内藤氏と半月城さん以外に理解できる人はいません。誰も理解できない論理で、自己の主張を正当化するのは許されません。

   半月城さんは、「幕府は鳥取藩の回答に松島が新たに登場したことに関心をもち、さらに松島に関する詳細な質問を追加した。」と言われます。しかし、幕府がした再質問と鳥取藩の回答は松島に限ったことではありません。如何なる史料に基づいたものか疑問に思います。少なくとも、磯竹島覚書にその根拠を求めることはできません。

   半月城さんは、鳥取藩回答書を得るまでの「幕府はこの時まで松島の存在を知らなかったのである」と言われます。しかし、隠州視聴合記に「朱印を奉じて竹島松島に渡海する」とあり、山陰地方では両家が、黒印(鳥取藩主の許可)ではなく、朱印(幕府の許可)を得て竹島松島に渡海していることが常識となっていたのです。幕臣阿部家の書状が竹島一件で検討されていなかったとしても、「松島の存在を知らなかった」ということはありえません。

   「竹島・松島を一対にして日本領外と」したというのが、半月城さん主張の基本の筈です。そうでなければ、日朝外交文書に「竹島」としか書かれていないのに、松島は朝鮮領になったとは言えないと思います。
   そこで、「磯竹島覚書」を色々検討しましたが、この年末年始にかけての幕府と鳥取藩が、「竹島」という文言を用いて「竹島+松島」を認識していないことが明らかになりました。


  画像付き記事
http://take8591.wiki.fc2.com/?page=%E3%80%8E%E7%A3%AF%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E8%A6%9A%E6%9B%B8%E3%80%8F%E3%81%A8%E3%80%8C%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E4%B8%80%E4%BB%B6%E3%80%8D%E3%80%80take_8591

官撰地誌における竹島・松島

投稿者: take_8591 投稿日時: 2009/02/26 07:17 投稿番号: [17376 / 18519]
  半月城さんの「明治政府の竹島=独島認識」は次にあります。
  http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park200810.html

  「日本地誌提要」の「巻50隠岐」には次のように記載されています。
   島嶼
     島津島・・・松島一名島山・・・大森島・・・○本州ノ屬島・・・合計179之ヲ総称シテ隠岐ノ小島ト云○又西北に方リテ松島竹島ノ二島アリ土俗相傳テ云フ・・・松島・・・海路凡69里・・・竹島・・・海路凡100里・・・朝鮮ニ至ル海路136里・・・

   この史料を元に半月城さんは、「この官撰地誌において竹島・松島が本州の属島とは別に記載されたが、これは重要である。両島が本州の属島でなければ、もちろん九州や北海道の属島でもなく、両島は日本の領土外として扱われたと解される。」と主張されます。同じ主張が[No.16105]にもあります。

   先ず驚くべきは、半月城さんが「本州」を青森から下関で構成される「本州」と解していることです。ここでの「州」は「国」の意味であり、隠岐国を指すことに疑いはありません。こんなことは半月城さん百も承知でしょう。文言解釈は自己の理念に合うように為されるべきと考えられているのでしょう。どの様にでも解釈できるものなれば、インパクトの強いものを採用する方針の様です。

   問題は、「本州の属島・・・又西北に松島竹島・・・」の部分です。
   私は、次のように解釈します。
   日本地誌提要は、77個の袋に分類されています。50番目の袋は隠岐と命名されています。この隠岐の袋を開けると、領域・形勢・・・海峡・島嶼・暗礁・・・と多くの袋が表れます。この島嶼の袋を開けると、「島津島・・・」「本州の属島」「又西北に方リテ松島」の袋が表れます。この「本州の属島」と「又西北に方リテ松島」は袋が違いますから、松島を「本州の属島」の外と解することに問題はありません。しかし、この「本州の属島」と「又西北に方リテ松島」は、「島嶼」の袋の中に入っていますから、松島を本州の「島嶼」内と解するのが相当です。

   尚、1905年に吉田東伍が著した「日本地名辞書」は、「地誌提要には隠岐の国に附載して曰く」としています。

   半月城さんの間違いは、「島嶼」というヘッダーを抜かして説明していることです。


   更に、半月城さんは、学雑誌210号で「本誌200号に掲げた記事は、全く竹島の記事に非ずして、鬱陵島の記事なるが如し。」と本人が否定している論文を参照して、「明治時代の地理学者である田中阿歌麻呂もその(両島は日本の領土外として扱われた)ように理解して『地学雑誌』200号にこう記した」と主張されます。本人が否定していても、「どこまでをリアンクールとして、どこから欝陵島と勘違いしたのかを読み取ること(No.16140)」が必要であると主張します。しかし、本人が否定している論文の中身を詮索して、ここは正しい・ここは勘違いと評価を入れた結果は、それは執筆者本人の主張ではなく、半月城さんの主張に過ぎないと思います。

   これらは、史料の改竄にも相当するものです。少なくとも、史料解釈に公平性は無く、我田引水がひどすぎます。必要な文言を抜かしてでも、本人が否定している論文でも、自分の都合の良いように解釈して、「自己の主張にブレがない」様に演じているのです。


   以上は、No.16105、No.16134、No.16140、No.16141を現在の私がまとめたものです。


  画像付き記事
URL:http://take8591.wiki.fc2.com/?page=%E5%AE%98%E6%92%B0%E5%9C%B0%E8%AA%8C%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E3%83%BB%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E3%80%80take_8591

「抗議出来なかった」のか?3

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2009/02/26 05:54 投稿番号: [17375 / 18519]
>抗議出来なかったという主張は韓国が証明しなければならないことになります。
では、「抗議出来なかったという主張」を証明するには、韓国はどの程度の証拠をそろえなければならないのでしょうか。(以下、次回)

前回の続きです。
「抗議出来なかったこと。」は韓国が証明しなければならないことはご理解頂けたと思います。
では、この場合に「証明する。」とはどういう証拠を出さなければならないのでしょうか。(たとえば貸金返還訴訟においては、原告は金銭消費貸借契約書とか借用書を出さなければなりません。出せなければ、被告にそんな「事実は
知らない。」と言われて終わりです。。)
かなり古い論文(昭和38年)ですが、皆川洸元一橋大学教授が『竹島紛争と国際判例』で「抗議については、実際に抗議しようとして、それを日本の責めに帰せられるごとく阻止された事実が記録されているかどうかが問題である。回顧的に、現在の韓国政府であったならば抗議したであろうとか、仮説的に、かくかくの事情がなかったならば抗議しえたであろうとか云うのでは問題にならない。」と述べています。
また、川崎孝子(東京国際大)は『日本と国際法の100年第2巻   陸・空・宇宙』(平成12年)の中で、「韓国は、朝鮮政府は当時日鮮協定により、日本政府の完全なコントロール下にあったから、抗議する術がなかったと主張している。知っていたが抗議できなかったというのは、日本が抗議を阻んだ事実が証明されない限り理由にならない。したがって、1905年の日本による正式な領土編入措置と爾後の国家機能の発現は、実効的先占という同島の主権に関する決定的な意味をもつものであり、この事実に基づく「確定的権原」は、仮に韓国が竹島に対する何らかの権原を有していたとしても、そのような「仮説的タイトル」に優先する。」と述べています。
結論的に言いますと、「韓国が抗議しようとしたところ、それを日本が妨害したという具体的な記録を出せ。」ということで、出せなければ抗議できなかったことにならないということです。
これらの専門家の意見を念頭に置くと、杉野洋明氏が発見された皇城新聞1906年7月13日の意味の大きさが判ると思います。統監府が朝鮮政府に対して鬱陵島の所属島嶼を照会して、「該郡所管島はチュク島と石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合せて二百余里だという。」という回答をしていますが、「抗議できなかった。」というのであれば、このときの朝鮮政府の内部文書を公開すべきなのです。統監府の側から照会してるくらいですから、鬱陵島に独島が所属していると回答したところで問題になるとはとても考えられません。(以下、次回)

Re: 「于山島=鬱陵島」と認識の韓国史料

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2009/02/25 22:21 投稿番号: [17374 / 18519]
翻訳を改良して見ました。


<古色蒼然たる歴史的遺跡・鬱陵島を尋ねて!>

   鬱陵島・独島学術調査の時、学術調査団隊長として鬱陵島と独島を直接探査された宋錫夏先生の次の文を通じても、石島がすなわちドクソムと発音され、ドクソムが現在の独島であることを把握することができる。

                * * * * *

   浦項から水路124海里、東方海上の世の中から忘れられたような鬱陵島が歴史に現れるのは、新羅・智証王の13年(西暦512年)であり、今から1430余年前だ。その後、高麗・太祖の13年に、土民白吉、土豆等が方物を奉って来たので位階と官職を与えた。また毅宗の11年(西暦1159年)に 溟州監倉・金柔立を送り、その結果、村落基地7ヶ所と石仏、鉄鍾、石塔等はあるが住民が暮すには不便であるとの報告を得た。その後、李朝・太宗の17年(西暦1417年)には按撫使・金麟雨が鬱陵島から大竹、水牛の皮、綿子、検樸木などを献上したと言う。

   これらの歴史的記録は、同島の北西辺の遺跡地域から出土する遺物で良く説明できる。しかし、世宗地理誌や常識的に知られた大竹、大桃などは今は影さえなくて、ただ香木が昔の礼服のように絶壁にかろうじて残っているだけだ。鬱陵島の人煙は数次の無人島時代を経た後、 今から64年前の開拓民移住から始まって現在に至っているが、現存する当時の移民はわずかに一人が沙洞というところに残っているだけだ。

   彼らの移住当時の産物であった木材は、その後の乱伐によって一本もなく、全島にいるガクセ(鳥)と海の特産である全鰒は今は滅種に近く、このたびの調査でも発見できなかった。

   鬱陵島から再び東へ48海里を行けば、時の脚光を浴びたドクソム(独島)がある。東西ドクソムになっており、西側の島が少し大きく高さ157メートル強であり、 西島は噴火口があるが今は塞がっていて、その下には海水が出入りしている。両島の間には陥没した残骸が残っていて、この残骸を今回の調査隊では「獅子島」と命名した。

   歴史的には、李朝・成宗の3年から12年(1472-1481年)までの10年間、この島の問題が沸騰し、朴宗元を敬差官として我が国の逃潜者を捜そうとしたことがあり、富寧の人金漢京らが行って逃潜民を捕まえようとしたが上陸できず、地図だけ書いて帰って来たという。いわゆる三峯島捜覧問題だ。

   現在、島民の唯一の基礎的産業はイカ漁だ。7、8、9月の3ヶ月間は、島民のほとんど全部の男たちが夕陽のころになれば発動機船で海に出て夜通し捕獲し、朝早く帰港する。この海の恵沢が全島民一万五千人の生活を支えている。

(古色蒼然たる歴史的遺跡・鬱陵島を尋ねて!/宋錫夏/国際報道3巻1号(新年号) pp.328 /国際報道連盟/国立中央図書館所蔵)

              * * * * *

   この文は1947年8月16日から8月28日までの第一次鬱陵島・独島学術調査団の派遣の直後に書かれた文であり、当時でも独島は「ドクソム」と称されていたことを示唆していて、独島の語源を糾明するのに重要な意味があると言える。大韓帝国勅令第41号の石島(トルソム)はドクソムである独島であることがさらに明らかになる。


(翻訳終わり)

「抗議出来なかった」のか?2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2009/02/25 20:19 投稿番号: [17373 / 18519]
>可能性があるとすれば、「抗議しようとしたが、日本の圧力で潰された。」くらいの話でしょうか。では、「抗議しようとしたが、日本の圧力で潰された。」という主張が法的に成立するかどうか次に検討します。

続きです。
外交的抗議を行うことの目的ですが、当然のことながら、相手国の権利発生を阻止することにあります。(ただし、抗議したからといって自国の権利が証明されたわけではありません。抗議が受け入れられる為には、かなりきちんとした根拠が必要です。)
では、「抗議することが不可能だった。」という主張の証明(あるいは逆に抗議可能だったという主張の証明)は誰が行うのでしょうか。
1「抗議することは可能だった。」ということを日本が証明しない限り、「抗議することは不可能だった。」となるのでしょうか。(証明責任は日本が負担する。)
2「抗議することは不可能だった。」ということを韓国が証明しない限り、「抗議することが不可能だったとはいえない。」となるのでしょうか。(証明責任は韓国が負担する。)

日本の民事訴訟法の通説では次のような取り扱いになります。(国際法上の扱いは分かりませんが、たぶん同じではないかと思う。)

権利発生障害事由
権利根拠規定に基づく法律効果の発生の障害を定める規定の要件事実は、その法律効果の発生を争う側に証明責任がある。言うなれば、発生したかに見える権利が実際には発生していないなどの主張である。

竹島について言うならば、「韓国は外交権を奪われていたため日本の竹島編入に抗議出来なかった。」という主張は、もし韓国が外交的自由があれば当然に日本に対し抗議をし、日本の領有権発生を阻止したはずだという主張にほかならず、「発生したかに見える権利が実際には発生していない。」という意味になりますから2です。抗議出来なかったという主張は韓国が証明しなければならないことになります。
では、「抗議出来なかったという主張」を証明するには、韓国はどの程度の証拠をそろえなければならないのでしょうか。(以下、次回)
----------------------------------------------------------------------
chaamiey様、ご紹介の韓国施政改善に関する協議会の記録では、韓国の大臣は伊藤統監に対してかなり食い下がっているように見えます。人も住めない無人島の帰属について伊藤統監に抗議したからといって何か問題があるようにはとうても見えません。
また、伊藤統監は韓国で陸軍が軍用地として収用した土地を半分以上返還させています。私は韓国政府から伊藤統監に対して何らかの働きかけがあったものと推測していますが、これをもってしても竹島ごときで問題が生ずるとは思えません。

外交権の屁理屈。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2009/02/25 11:10 投稿番号: [17372 / 18519]
神奈川県には他国との外交権はない。
勝手に条約をむすぶことはできない。
だが、米軍基地にはいつも反対デモがおしかける。
知事だって申し入れも抗議もする。

外交権を奪われていたから抗議できなかったなどというのは、
文面がどうこうなどという以前の屁理屈です。

事実経過としては、顛末として鬱陵郡の範囲を報道して確認した時点で
鬱陵郡ではないという示唆をして終わってます。

尖閣の油田開発 & 激動!世紀の大事件

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2009/02/23 21:03 投稿番号: [17371 / 18519]
週末に文章起しをしようと思ったのですが、消えてしまいましたので下記のように中途半端になってしまいました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/kikan-okinawa63/
また英文をアップロードしますので、削除はその後(清書した後)にして頂けますと、幸いに御座います。

この削除事件も「世紀の大事件」に入るのでしょうか?そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。


さて、掲題の件ですが、『尖閣列島の油田開発について』をアップロードしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfield-1970/

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


『地学雑誌』(次回の文章起こしは144号)
『琉球国図』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ   次回は3月28日※
『琉球新報 1900年』(文字化け激しく途中までアップロード済み!)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1900/
『琉球新報 1908年』
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/ryukyushimpo-1908/
『琉球新報 1909年』
『琉球新報 1910年』
※琉球新報はサッカー日本代表の試合とタイアップ※

WBCへの道 [3月5日(火曜) 18:30プレーボール]
http://web.worldbaseballclassic.com/
青い海
尖閣油田の開発と真相
尖閣列島の油田開発について(本日アップロード完了!)
文芸春秋
工事設計書
Freimuth Collection
TiaoYuTai Islands
※公文書館とWBCをタイアップ※


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「激動!世紀の大事件」 3月1日(日曜) 19:00
http://www.fujitv.co.jp/flvplayer/flvplayerL.html?news/news50/090301news50_hd
http://www.fujitv.co.jp/news50/
あの大事件・大事故の誰も知らない真相を徹底追跡!▽’60年代から振り返りながら各年代を彩ったさまざまな出来事を紹介▽ケネディ幻の演説映像発見!▽西口彰を見抜いた母娘の秘話▽三菱銀行立てこもり事件の狙撃手が初証言▽あの“よど号”の今▽若王子支店長誘拐犯が獄中証言▽報道記者の最も長い2日間▽スクープ…日航機墜落少女救出の舞台裏▽オウムXデー

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