竹島

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外務省パンフ批判7、講和条約(1)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/05/05 11:17 投稿番号: [16523 / 18519]
7.サンフランシスコ講和(平和)条約

   パンフレットは、講和条約の成立過程で竹島=独島が一貫して日本領として扱われたかのように記述していますが、これは資料を恣意的に取捨選択した結果に他なりません。外務省は真実を正しく伝えようとする意思はまったくないようです。
   実際は、当時のアメリカは竹島=独島に対する方針が何度も大きく揺れ動き、講和条約案もかなり迷走しました。それを具体的にみることにします。

   外務省曰「7.サンフランシスコ平和条約起草過程で、韓国は、日本が放棄すべき領土に竹島を含めるよう要請しましたが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否しました」
  「これらのやり取りを踏まえれば、竹島は我が国の領土であるということが肯定されていることは明らかです」

   外務省は「肯定されている」と記しましたが、この趣旨は講和条約で「竹島は我が国の領土」であると各国から承認されたと言いたいのでしょうか?   もし、そうでないのなら、上のように書くのは日本国内向けの単なる自己満足に過ぎません。
   ちなみに50余年前の外務省は韓国政府に宛てた公式書簡でこう述べました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   平和条約は、「日本国は朝鮮の独立を承認し」と規定しているが(第2条)、ここに規定する「朝鮮の独立を承認し」とは、日韓併合前の朝鮮が日本から独立したことを日本が認めたことをいうのであるが、竹島は既に日韓併合以前において島根県の行政管轄下にあり、また併合後も同県管轄下に置かれ、朝鮮総督府の管轄下に置かれたことはなかったので、同島が日本領土の一部であることは、議論の余地がない(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   外務省は、国内向けの発言はいざ知らず、韓国に対して講和条約で竹島=独島の日本領が承認されたなどとは主張しませんでした。逆に、韓国のほうが竹島=独島は講和条約で韓国領であることが承認されたとして、こう主張しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1946年1月29日付け連合軍総司令官指令 第677号は、独島をはっきりと日本の領有権外に置いており、対日講和条約には、日本領土問題に関する限り、同指令の条項と矛盾する条項がない。講和条約は、この問題に関する連合軍総司令官の意向を、なんら実質的変化なしに確認した。・・・
   対日講和条約には独島に対する韓国の正当な領有権主張に矛盾する条文はない。そして同条約第1章第2条Aにより、独島が鬱陵島の属島として鬱陵島本島とともに韓国領土として承認されたと解釈される(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   韓国政府の主張ですが、日本でも韓国でも竹島=独島は欝陵島の付属島、ないしは一対の島と考えられてきただけに、竹島=独島は欝陵島と一緒に講和条約で韓国領とされたとする主張は自然な論法です。これに対する日本政府の反論は、その論理が注目されます。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   韓国側では、平和条約により竹島が、鬱陵島の属島として鬱陵島本島とともに韓国領土として承認されたとするが、このような解釈は、平和条約の条文からは導き出すことはできない。
   日韓併合以前に竹島が韓国の領土であったという法的根拠が示されない以上、平和条約第2条に関する韓国側の解釈は、成立し得ない(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   日本政府は、もし韓国が日韓併合以前に竹島=独島が韓国領であったとの法的根拠を示すことができるなら、韓国政府の講和条約に対する解釈は一理あると考えていたのでした。決して、むやみに講和条約で竹島=独島は日本領になったなどとは主張しなかったのでした。
(つづく)

竹邊湾至水源端 中国外相「内政問題だ」

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/05/01 20:10 投稿番号: [16522 / 18519]
対中外交に弱腰な外務官僚と違って、高村外相はキチンと言うべきことは言っております。

「アジアのなかで中国に注文をつけているのは日本だけだ」と中国外相
http://au.youtube.com/watch?v=tHVOnBqu8IA&NR=1
楊外相、チベット問題について「内政問題である」と強く反発
http://au.youtube.com/watch?v=kv1B6mYNiEA&feature=related

さて、掲題の件ですが、『竹邊湾至水源端』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/warshipmatsue-1908/
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)

next, coming up
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『皇城新聞』1900年9月23日
『大東新報』 1905年9月
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「141巻」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『軍艦松江の鬱陵島測量』(本日アップロード完了!)
『大日本輿地図』
『韓国地理』
『大韓帝国石島上申書』


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
■■■5月6日から10日まで中国国家主席来日■■■
大規模OFF板【胡錦濤来日時に東京をチベット旗だらけにするOFF】
http://www8.atwiki.jp/tibet_wiki/
チベット旗を積んでたら、基本的人権を剥奪します
http://www.youtube.com/watch?v=nSfKIZfBq3E
聖火リレー   長野駅前モニュメントを占領する中国人
http://www.youtube.com/watch?v=TiW0TNqSVdA&feature=related
ペットボトルを投げる中国人
http://au.youtube.com/watch?v=sHgLK8lwnsM&feature=related
聖火リレーでチベットの旗を妨害する中国人
http://au.youtube.com/watch?v=YZSS7LcQV30
嘘つき長野県警!【前編】1/2
http://au.youtube.com/watch?v=hTd2jeG_9s8&feature=related
http://au.youtube.com/watch?v=svfadbSYFlE&feature=related

「韓国聖火リレーで中国人が暴徒化」
http://www.youtube.com/watch?v=oRkYP9gtCKE&feature=related
「中国人が韓国人に暴行」
http://www.youtube.com/watch?v=FuqWE9XAYAQ

日本人が最初に聖火リレー事件に巻き込まれたのはマレーシア
http://au.youtube.com/watch?v=Yzp4D81nPys&feature=related
日本国内で最初に抗議活動を行ったのは関越自動車道の高坂PA
http://au.youtube.com/watch?v=S8Yry3tLh8E

『地質学雑誌』 最初の抗議活動

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/05/01 19:32 投稿番号: [16521 / 18519]
恐らく日本人が最初に聖火リレー事件に巻き込まれたのはマレーシアです。
http://au.youtube.com/watch?v=Yzp4D81nPys&feature=related
日本国内で最初に抗議活動を行ったのは関越自動車道の高坂PAでです。
http://au.youtube.com/watch?v=S8Yry3tLh8E

さて、掲題の件ですが、『地質学雑誌』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chishitsugakuzasshi-1900/
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投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/05/01 11:35 投稿番号: [16520 / 18519]
5月6日から10日まで胡錦濤中国国家主席が来日します。私も当然"大歓迎"するつもりです。

チベット旗を積んでたら、基本的人権を剥奪します
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「チベットのこと大事に思うなら降りてこいよー。(叫びながら)降りろー、降りろー(怒)」と、撮影者も興奮気味です。警察に向かって「何で(彼らを)守るんですか?」と疑問を呈しております。


ペットボトルを投げる中国人
http://au.youtube.com/watch?v=sHgLK8lwnsM&feature=related
「これで三個目だぞ!三個目だぞ!」と日本人が注意しております。これ見てアジア杯でサポーターにペットボトル投げられたことを思い出しました。

聖火リレーでチベットの旗を妨害する中国人
http://au.youtube.com/watch?v=YZSS7LcQV30


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長野にいけなかった人も、今回は羽田空港や中国大使館前、奈良の法隆寺などで抗議活動が出来ます。


嘘つき長野県警!【前編】1/2
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さて、掲題の件ですが、『Korea and Her Neighbours』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/koreaneighbours-1898/

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)

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次回は「141巻」の文章起こしをします。
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re6a)外務省の主張がお分かりでない

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/05/01 07:20 投稿番号: [16519 / 18519]
  Q   次の文章の最後に「竹島を領有する意思を再確認しました」とありますが、最初に「竹島を領有する意思を確認した」のは何時でしょうか   ?

   日本は古くから竹島の存在を認識していました。
   日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。
   日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。
   日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。

  A   「遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。」とありますから、最初に竹島を領有する意思を確認したのは「17世紀半ば」です。
  --------------------------------------

   上の質問は、私立中学入試には出題されない程にレベルの低い問題とと思います。
   しかし、世界には多くの人がいますから「それは一体いつなのか首をひねりたくなります(No.16502)」と捉える人がいても不思議ではありません。そして、この方に対して「日本語がお分かりにならない   ?」と評価するでしょう。尚、「明治時代に確認を求めているのでしょうか(No.16502)」との疑問が生ずる文章ではありません。明治初期に関しては全く触れていないからです。


   半月城さんの日本語読解力を小学生レベルと仮定します。
   すると、納得できる面が多々あります。
   例えば半月城さんは[ No.16105 ]において、「日本地誌提要」及び「地学雑誌の田中阿歌麻呂の論文」を掲げて外務省を批判していました。そこで、私は[ No.16134 ]を投稿し、次の批判をしました。
   ①   『日本地誌提要』が日本の領土外と断定しているというが、竹島・松島は「本州の属島外」であるけれども、「本州の島嶼内」であると記されています。
   ②   『地学雑誌』200号に、「明治初年に到り、正院地誌課にてその島(竹島=独島)が本邦の領有を完全に非認した」と記されているので、明治政府が両島を日本の領土外と断定しているというが、田中阿歌麻呂は地学雑誌210号で、「本誌200号に掲げた記事は、全く竹島の記事に非ずして、鬱陵島の記事なるが如し。」と半月城さんが紹介した記事を訂正しています。
   この2点は誤読の生ずる余地の無いものですが、半月城さんは、[No.16503]で同じ主張を繰り返しています。この現象を、恣意的な誤読と評価する方もいますが、「日本語読解力を小学生レベル」としても納得できます。


   外務省の見解は、「開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本の領土として取り扱い、他の国がそれを争わなければ、それで領有するには十分であったと認められる(No.16447)。」というものです。
   これを上記主張に当てはめると、17世紀半ばに確立した現竹島の領有権は、1696年に朝鮮は争わず、1882年にも朝鮮が争っていませんから、「他の国がそれを争わなければ、それで領有するには十分であったと認められる」のです。
   ただし、この領有権は「竹島を領有する意思を再確認」しなければならない程度に不確かなものでした。故に、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。


   ですから、半月城さんの次の見解は誤読です。
  -------- [ No.16504 ] ---------------------- -
   閣議決定書・・・は竹島=独島を無主地と判定し、国際法上の先占理論にのって竹島=独島を日本領とする閣議決定したのでした。無主地という明治政府の判断は「固有領土」の主張に矛盾することは言うまでもありません。
  ------------------------------------------

re4)天保の渡海禁止令

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/05/01 07:01 投稿番号: [16518 / 18519]
   1812年、「松竹二島ノ間ニ出デ*1)」北海道に行き、択捉島の漁場視察のため国後島近海に居た高田屋嘉兵衛の商船がロシア船に拉致されました。
   1836年に会津屋八右衛門事件が起こり、「右最寄松島へ渡海之名目を以て竹島え渡り」と松島渡海が禁止されていないことが確認されます。1837年に、竹島渡海禁止令が再布告されます。

  ---- -半月城さん ---- -[ No.15609 ] ---------------------- -
  1.今般、松平周防守の元の領地である石州の浜田松原浦にいた住所不定の八右衛門が竹島(欝陵島)へ渡海した一件、吟味のうえ、右の八右衛門その他はそれぞれ厳罰に処された。
    右の島は、昔は伯耆・米子の者たちが渡海して漁労などをしたが、元禄期に朝鮮の国へお渡しになった時から渡海停止が仰せつけられた場所である。すべて異国へ渡海することは重いご禁制である。今後、右の島のことも同様に心得て渡海してはならない。
    もちろん、国々の廻船などは海上で異国船に出合わないように乗り筋などを心がける旨を先年も触れたとおりであるが、いよいよ守り、以後はなるべく遠い沖へ出ないように乗り回すことを申しつける。
     ・・・・・       (天保8年)2月
  ------------------------------------------------------

   この触書は次の2点を告知しています。
   1   竹島は朝鮮領であるから、今後は竹島渡海に鎖国令の適用がある。
   2   先年の触書を、いよいよ守るべきこと。

   この2項の「先年の触書」ですが、高田屋嘉兵衛拉致事件の頃でしょうか、それとも、1825年の異国船打払令の頃に出されたのでしょうか。何れにせよ、竹島領有権問題とは関係なく出された触書の再確認の意味を持ちます。

   ところが、内藤正中氏は、「竹島渡海はもちろん、『遠い沖合い至らざる様』と遠い沖合いでの航海についても注意を喚起して、浦方村町ともに漏れなく周知徹底を図るように厳命したのである。元禄期につづく2回目の竹島渡海禁止令であった。竹島はいけないが松島は許されると解釈できるようなものではなかったはずである。*2)」と述べます。
   この様に書くと、元禄期に竹島を朝鮮に渡し、天保期に松島を朝鮮に渡したと言うことになります。事実、内藤氏はこの認識で論を展開しています。
   しかし、上記触書をどの様に読んでも、2項が領土問題を告知しているとは読めません。


  (*1)   1827(文政10)年、中川顕允『石見外記』   高田屋嘉兵衛の商船が「松竹二島ノ間ニ出デ」と記述
  (*2)   史的検証竹島   2007-04-26   岩波書店発行

re4)決着への道程

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/05/01 06:35 投稿番号: [16517 / 18519]
   先の太守が、竹島の事で、貴国に両度使者を遣わした。
   しかし、その仕事が未了の内に不幸にして早世したので、使者を召還した。
   不日に上京し(将軍の)謁を得た。この時、竹島の地状と方向を問われた。
   具体的事実に依拠して答えた。
   本邦からの距離が甚だしく遠く、貴国からの距離は到って近い。
   恐らくは、両国人をこのまま放置すれば、潜通・私市等の弊害が必ずある。
   即座に令を下し、永久に入住・漁採を許さない様にした。
   それ隙は細美において生ずる。禍患は下賎において興る。これが古今の通病である。
   預かじめ定めておくが安らかと考える。之を以って100年の友好とする。
   偏った欲を篤くして、小さな島に拘らないことが、両国にとって美事である
  ------------------------------------------

   この文意解釈を、竹島記事に拠ると次の様になります。

●不日に上京し(将軍の)謁を得た。
   この「不日」とは、1695年10月6日と思われます。
   この時、対馬藩主は江戸入りしましたが、日本領有派を同行せず、朝鮮領有派のみを同行させました。これが対馬藩主の最終決定であり、竹島一件を決定させたと言えます。

●本邦からの距離が甚だしく遠く、貴国からの距離は到って近い。
   対馬藩朝鮮領有派の主張は、「鬱陵島は輿地勝覧に載っているという朝鮮の主張を無視するやり方は、不義とまでは言えないとしても、とても忠功とは言えない」というものでした。これは、観念論に過ぎませんが、綱吉の好みそうな言葉であり、次の論理と表裏一体を為します。

●恐らくは、両国人をこのまま放置すれば、潜通・私市等の弊害が必ずある。
   老中阿部は、「多田の4ヶ条に理があるから、領有問題を曖昧にしたままで、日本の渡海はこれまでどおりとしてはどうか。」という折衷案を出しました。しかし、対馬藩は、「そんなことをしたら、密輸事件が起こり、私市が立ち、大変なことになります。」と返答しました。朝鮮から「鬱陵島に渡海させない」との言質が取れない限り、鎖国令の国是が守れなくなるので、折衷案は存在しないというものです。

●偏った欲を篤くして、小さな島に拘らないことが、両国にとって美事である
   史料は何もありませんが、これは上記議論を重ねた上での老中阿部の発言ではないかと推理します。


http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_00/index.data/siryo2.pdf

   老中阿部は、竹島渡海禁止を決定し、その為の事務手続きに入りました。
   それは、改めて、竹島が鳥取藩の領地であるか否かを問うものでした(1695-12-24)。対して、鳥取藩は自藩領ではないと答えました(1695-12-25)。この回答で、幕閣はフリーハンドを確認して、竹島渡海禁止を決定します(1696-01-28)。

   仮に、老中阿部が竹島を鳥取藩の領地と考えていたのであれば、訴えから2年半経過した時に、この様なピント外れな質問を発することはあり得ません。鳥取藩が紛争当事者であれば、その意思を仔細に聴取しなければ幕藩体制が成り立たないのは、鎌倉時代からの原則です。即ち、老中阿部が竹島を天領と考えていた事、紛争当事者は徳川家と考えていた事に間違いありません。
   竹島の書付は、幕府決定の要素ではなく、幕府決定後の実行手続きの一つに過ぎないものです。

大韓毎日申報 韓国を支持する@聖火リレー

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/05/01 00:53 投稿番号: [16516 / 18519]
中国人は韓国でもメチャメチャしていますね。超大国中国に対抗する為には韓国一国では無理です。また、日本一国でも無理です。中国の周辺諸国で対抗できる国は、恐らくロシアとインドの2カ国しかありません。東アジアが中国に対抗するには、日本と韓国が協力しなければなりません。数学的には、1+1は2ですが、日本+韓国は3や4の力が発揮出来ると確信しております。そこで今週の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。

韓国の聖火リレーでも衝突
http://www.youtube.com/watch?v=_vylNnmYzuw
ソウルで中国人集団に襲われる韓国人
http://www.youtube.com/watch?v=R1pId3tPxPw


さて、掲題の件ですが、『大韓毎日申報』の1906年5月1日付を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/daikanmainichi/1906-05-01.html

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(後日掲載予定)

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re2)1756年と1770年の申景濬

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/30 20:16 投稿番号: [16514 / 18519]
  ---- -半月城さん ---- -[ No.16410 ] ---------------------- -
   古文書は日本のみならず韓国や中国でも句読点が一切ありません。したがって、この場合でも分註のどこまでが引用で、どこからが申景濬の見解なのかはっきりしません。・・・『東国文献備考』の場合は、「欝陵 于山は皆 于山国の地」が引用文であり、それ以下の「于山はすなわち倭がいうところの松島なり」は申景濬の見解であることが『輿地志』からわかります。
  ------------------------------------------------------ -

   申景濬は、引用文と私見を区別する方法を知らなかったのでしょうか。
   1756年には、引用文を「輿地志云 一説于山鬱陵本一島」と記し、私見を「而考諸圖志二島也 一則其所謂松島   而蓋二島 倶是于山國也」と表しています。間に「而考」を挿入することにより、引用文と私見を区別しています。
   ところが、1770年になると「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」と記しています。この様に表すと、その全てが引用文と解されます。
   この間16年で、申景濬はボケてしまった。というのが半月城さんの意見です。

   もし、申景濬に史書改竄の意図が無ければ、「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地」「而考龍福供述」「于山則倭所謂松島也」としたでしょう。1756年に知っていた手法を1770年に使わなかったという事実は、改竄の意図があったと判断せざるをえません。


   尚、この問題が解決した場合でも、この按記が挿入された場所の問題は残ります。

また出た詭弁。

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/04/30 09:37 投稿番号: [16513 / 18519]
>当時、現地の欝陵島ではもはや于山島の名は通用せず、竹島=独島は「トクト」と呼ばれるようになったのですが

事実は于山島の名前が通用しなかったことだけ。
于山島=獨島という認識があったかのように言う詭弁だね。
そんな認識があるなら、どうして20世紀にもなって
于山島探索なんかするんですかねえ?
一人の物好きならともかく。くりかえさないでしょ。

可能性を既定事実にしてしまうのが韓国論法。
たんなる解釈を既定事実にしてしまう半月城論法。

日本の資料をどんなに解釈しても、日本が獨島をしっかり認識して関与していたことは紛れもない事実。
韓国側には、確実な資料はひとつもない。
韓国領を決める交渉でも、代表が場所を知らない。

皇城新聞 台湾乱入男はチベット人

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/30 09:16 投稿番号: [16512 / 18519]
私は長野聖火リレーの報道(新聞&TV)を隅々見まてきましたが、愛ちゃんの時に乱入した台湾国籍の男性がチベット人だとは知りませんでした。

【聖火リレー】日本のマスコミが伝えない真実 【長野】
http://www.youtube.com/watch?v=5SSc8XScBXk

報道されない聖火リレーの裏にある願いと真実を勝谷が叫ぶ
http://www.youtube.com/watch?v=d1sf-f7cxXw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=raAklW4318E

さて、掲題の件ですが、『皇城新聞』の1906年5月9日付と7月13日付を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/kojoshimbun/1906-05-09.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/kojoshimbun/1906-07-13.html
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)

next, coming up
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『皇城新聞』1900年9月23日
『皇城新聞』1906年5月9日(本日アップロード完了!)
『皇城新聞』1906年7月13日(本日アップロード完了!)
『大東新報』 1905年9月
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
『大韓毎日申報』 1906年5月1日
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「141巻」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『Korea and Her Neighbours』
『大日本輿地図』
『韓国地理』
『大韓帝国石島上申書』


4月最後の尖閣掲示板エンディングテーマ
「熱烈歓迎!!胡錦濤中国国家主席来日!〜福田総理 最後の賭け〜」
http://www.youtube.com/watch?v =- mzElQtTpC8

re6b)大韓帝国の石島

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/30 08:02 投稿番号: [16511 / 18519]
   大韓帝国の東限につき
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/04/korean-eastern-limits-described-in.html
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&action=m&mid=16276
という様な研究がされており、半月城さんも『朝鮮水路誌』の解釈に関し「その地図は欝陵島を含みません。豆満江の河口を東限にしたことが一目瞭然です。(No16326)*1)」とされました。

   大韓帝国の領有意識が「鬱陵島から西側」にあると外国人から見られているさなかに、勅令41号が発せられました。そこには「石島」の定義がされていませんから、外国人が「石島」を鬱陵島から10km以内に在る島の何れかと解するのは当然です。

   2008年「竹島の日」の山陰中央新報は、
   「(鬱島郡の配置顛末という)記事は「郡所管の島は鬱陵島と竹島(チクトウ=現在の竹嶼)と石島。東西六十里、南北四十里」としている。韓国の1里は0.4キロで、東西24キロ、南北16キロ。現在の竹島は鬱陵島の南東92キロで、数字が郡の範囲を示すものとすれば、韓国側の主張は崩れる。」
   と載せました。
   この記事内容は、本掲示板では2月2日に報告されていました。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=16244

   又、yabutarou01さんは、2月5日に「石島=独島説の秘密」を投稿され
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=16259
   その中で、鬱陵島住民の出身地をみると、方言に拠る「石島=独島説」は成立しない旨の主張をされました。

   勅令41号の「石島」をどこに比定するのが合理的かという命題は、領有権争いには存在しないのです。本来の命題は、勅令41号の「石島」を外国人がどの様に見たかということです。この場合、韓国に方言があることを証明するだけでは不十分で、その事が外国人に周知されている必要があります。


*1)『朝鮮水路誌』の豆満江の項に「東限」等の文言があるわけではありません。

毎日申報 & TVタックル尖閣諸島

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/29 18:57 投稿番号: [16510 / 18519]
昨日のTVタックルは面白かったですね。東シナ海ガス田問題と尖閣諸島問題がリンクしていると言っていましたが、これは竹島問題と日本海呼称問題がリンクしているのと同じことです。そこで4月末の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。

さて、掲題の件ですが、『毎日申報』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/mainichishinpo19130622/
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)

また『地学雑誌』の140巻の文章起こしが完了して、次回から141巻を掲載します。


next, coming up
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
『皇城新聞』1900年9月23日
『皇城新聞』1906年5月9日
『皇城新聞』1906年7月13日
『大東新報』 1905年9月
『大韓毎日申報』 1905年9月22日
『大韓毎日申報』 1906年5月1日
『毎日申報』1913年6月22日(本日アップロード完了!)
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「141巻」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『Korea and Her Neighbours』
『大日本輿地図』
『韓国地理』
『大韓帝国石島上申書』


4月最後の尖閣掲示板エンディングテーマ
「熱烈歓迎!!胡錦濤中国国家主席来日!〜福田総理 最後の賭け〜」
http://www.youtube.com/watch?v =- mzElQtTpC8

re6b)外務省の主張がお分かりにならない

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/29 18:21 投稿番号: [16509 / 18519]
   勅令41号に対する塚本孝氏の意見を、半月城さんが紹介しています。
  ---- -塚本孝氏 ---- -[ No.16369 ]-半月城さん紹介記事 --------
   ○鬱陵島は永らく無人であったが、明治以降日本人による無許可の渡航居住伐木等が頻発したため朝鮮政府は積極的な植民開発を図る政策に転換し、一九〇〇年の大韓帝国勅令第四一号で郡守を置いた(官報一七一六号光武四年一〇月七日)。
   日本が一九〇五年に竹島の編入措置をとった後 一九〇六年三月 島根県部長一行が竹島視察の帰途に鬱陸島に立ち寄り郡守 沈興澤と面会した。郡守は江原道観察使に報告し「本郡所属独島は本郡の外洋百余里にあるが・・・日本官人一行が官舎に到り、独島は今日本領地になった、故に視察の途次に来島した、と自ら語った」とした。郡守が該島を「本那所属」としたのは、先の勅令の第二条に「郡庁位置は台霞洞に定め区域は鬱島全島と竹島石島を管轄する事」とあったことによる(石を方言でトクということから独に通じるという)と考えられる。
   道は政府に報告し、議政府参政大臣は「独島領地之説は全く無根であり日本人の行動如何を更に調査報告する事」と指示した。しかし、独島(法令上の文言は石島)を管轄するとの内容の勅令を制定公布したことは、ホールの説く「其土地ヲ保持スルノ意思ヲ表示」したことになるとしても、勅令の前後において韓国政府や韓国人がこの島に対して「占有ノ所為ヲ為シ」たという事実はない(注5)。
  ---- -take_8591 ---- -[ No.16377 ] ---------------------- -
   言い換えると、「石を方言でトクということから独に通じるという」法則を朝鮮中枢が常に意識していた場合、勅令41号によりホールの説く「其土地ヲ保持スルノ意思ヲ表示」したことになるとしても、勅令の前後において韓国政府や韓国人がこの島に対して「占有ノ所為ヲ為シ」たという事実はないので、結局、「韓国による竹島の領有権は確立していなかったと考えられます。」
  ---- -半月城さん ---- -[ No.16369 ] ---------------------- -
   塚本氏は、かつては石島の比定について断定を避けていました(注6)。その後、研究が進んだのか、石島は竹島=独島であると結論づけたようです。ということは、観音島が石島かどうか熟慮したうえで結論を出したようです。その結論は沈興澤が竹島=独島を独島と認識していた史実によくマッチしていると考えているようです。
  --------------------------------------------------------


   外務省の勅令41号にかかる主張を半月城さんは批判しました。
  ------ 外務省 ------------------------------------------ -
   いずれにせよ、仮にこの疑問が解消された場合であっても、同勅令の公布前後に、朝鮮が竹島を実効的に支配してきたという事実はなく、韓国による竹島の領有権は確立していなかったと考えられます。
  ---- -半月城さん ---- -[ No.16504 ] ---------------------- -
   勅令にいう石島が竹島=独島なら、勅令の公布自体が竹島=独島の領有権も主張したことになります。したがって、パンフレットの見解は見当はずれではないでしょうか。
  --------------------------------------------------------


   現在の国際法では、1900年当時において、領有権の確立には「意思表示+実効支配」が必要とされています。外務省も塚本孝氏も、この見解に基づいて自論を展開しています。すると、半月城さんの「パンフレットの見解は見当はずれではないでしょうか」は見当はずれといえます。

   半月城さんは、国際法の通説をご存じないと考えるのが妥当です。
   半月城さんが別の国際法通説を自論としている場合も考えられますが、その場合「見当はずれではないでしょうか」とは言われないでしょう。その自論を展開されるはずです。

re6b)朝鮮後期の于山島

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/29 17:49 投稿番号: [16507 / 18519]
皇城新聞   http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/koujou.html
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/04/hwangseong-sinmun-1899-sep-23-ulleungdo. html
の1899年9月23日付に「鬱陵島付属小六島中で、最も著しい者は于山島即ち竹島である」と記されているので、于山島=竹島=チェクトであることはあきらかですが、以下掲示板から該当記事を示します。

2007/ 2/21   竹島問題で韓国側主張覆す古地図見つかる
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15420

2007/ 3/21   半月城さんのコメント「于山島を描いた地図は数百枚くらいはあるでしょうか。そのうちの数枚の地図から于山島を独島ではないと結論づけるのは針小棒大の感があります。」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15476

藪太郎さん   http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/
が研究されていますが、于山島を独島と確認できる絵図はありません。

島根県最終報告書でも、半月城さんのコメントを受け、于山島を独島と確認できる絵図を探したそうですが、見つからなかったそうです。

半月城さんも、于山島を描いた地図は数百枚くらいはあると言われていますから、そのうちの数枚の地図から于山島を独島である結論づけることができるはずですが、未だにこの数枚の地図を提示されていません。

外務省パンフレットへの批判6、(4)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/27 17:27 投稿番号: [16505 / 18519]
   一般に、離島の名前が急に変わるのはよくあることです。日本でも竹島=独島の名は松島からホルネットやリエンコールト、リアンクール、リャンコ、ヤンコなどとさまざまに呼ばれました。さらに、当時の欝陵島の日本人住人は「卵島」と呼んでいました(注9)。卵島の読み方ですが、リャンコ島の類推で「らんとう」と読みがちですが、正しくは「たまごじま」です(注10)。
   このように、離島の多様な呼び名が竹島=独島問題を複雑にしているのですが、いずれにせよ、石島を竹島=独島以外に比定することは困難なので、パンフレットもそれを考慮して、こう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   6-7   いずれにせよ、仮にこの(島名の)疑問が解消された場合であっても、同勅令の公布前後に、朝鮮が竹島を実効的に支配してきたという事実はなく、韓国による竹島の領有権は確立していなかったと考えられます。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   勅令にいう石島が竹島=独島なら、勅令の公布自体が竹島=独島の領有権も主張したことになります。したがって、パンフレットの見解は見当はずれではないでしょうか。
   さらに、勅令発布後は竹島=独島での漁が盛んになりましたが、同島へ出漁した日本人や韓国人漁夫は欝陵島を基地にしていたことが日本海軍の軍艦・新高の『行動日誌』から明らかです。しかも、その時に竹島=独島を日本人は「リヤンコ」、韓国人は「独島」と呼んでいました(注11)。
   このように、1905年の島根県告示以前に文献からも独島と呼ばれた島は欝陵島の付属島であることが明確にされたのでした。こうして竹島=独島は欝陵島の付属島としての地歩がますます確実になり、『世宗実録』の両島が一対であるという認識は不動でゆるぎないものになりました。

   そうした歴史的背景があったので、1906年に島根県の一行が欝陵島を訪問したとき、欝島郡守・沈興澤はその顛末の報告書にて「本郡所属独島が外洋百余里にある」と記したのでした(注12)。これから欝島郡守がすでに竹島=独島を欝島郡の付属島として彼の管轄下においていたことは明らかです。かれは、それ以前から韓国人が独島と呼ぶ島へ欝陵島から頻繁に出漁していた事実を把握していたのでした。
   このように、1905年以前から竹島=独島は欝陵島の付属島であることがはっきりしており、法的にも欝島郡の付属島とされるので、竹島=独島はけっして無主地ではなく、島根県告示が無効であることは明らかです。

(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両国政府の見解」『レファレンス』2002.6月号、P58
(注2)半月城通信<外務省内の「竹島・松島」島名混乱と結論>
  http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.684
(注3)「朝鮮国 交際始末 内探書」
  http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/kousai_shimatsu.pdf
(注4)『日本地誌提要』巻之五十、「隠岐」
  http://www.kr-jp.net/meiji/meiji_msc/chishi-teiyou.pdf
(注5)『磯竹島事略』
  http://www.kr-jp.net/meiji/meiji_msc/jiryaku1875.html
(注6)太政官「竹島外一島」版図外指令
  http://www.kr-jp.net/meiji/koubun/koubun.html
(注7)半月城通信<証拠としての竹島=独島地図、舩杉氏への批判>
  http://www.han.org/a/half-moon/hm129.html#No.949
(注8)半月城通信<勅令にいう「石島」はどこ?>
  http://www.han.org/a/half-moon/hm131.html#No.959
(注9)坪井九馬三「鬱陵島」『歴史地理』第38巻3号、1921,P167
(注10)坪井九馬三「竹島に就いて」『歴史地理』第56巻1号、1930,P34
(注11)『軍艦新高行動日誌』1904年9月25日
(注12)内藤浩之<宋炳基「欝島郡守 沈興澤報告書」『北東アジア文化研究』2006,P67

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

外務省パンフレットへの批判6、(3)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/27 17:25 投稿番号: [16504 / 18519]
   上記のように、地理担当当局の官撰地図や官撰地誌、あるいは国家最高機関である太政官の指令などは、ことごとく竹島=独島を日本領でないとして扱いました。パンフレットは、このような明治時代の公的な史料に素知らぬふりをして、竹島=独島を日本の「固有領土」と強弁し続けているようです。
  「固有領土」の主張が無理であることは、今回パンフレットが写真で公開した閣議決定書からも明らかです。同書は竹島=独島を無主地と判定し、国際法上の先占理論にのって竹島=独島を日本領とする閣議決定したのでした。無主地という明治政府の判断は「固有領土」の主張に矛盾することは言うまでもありません。

   しかし、実は、竹島=独島は無主地ではありませんでした。そうなると、竹島=独島を日本領へ編入した明治政府の措置は、狼どもの万国公法に照らしてさえ違法であり、無効になります。松島(竹島=独島)が朝鮮領であることは、上記のとおり、内務省や外務省、太政官なども認めていたのでした。
   一方、大韓帝国では竹島=独島は勅令により欝島郡の一部に改編され、法的にも明文化されました。それをパンフレットはこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  6-5   朝鮮では、1900年の「大韓帝国勅令41号」により、鬱陵島を鬱島と改称するとともに島監を郡守とする旨公布した記録があるとされています。
   そして、この勅令の中で、鬱陵郡が管轄する地域を「鬱陵全島と竹島、石島」と規定しており、この「竹島」は鬱陵島の近傍にある「竹嶼(ちくしょ)」という小島であるものの、「石島」はまさに現在の「独島」を指すと指摘する研究者もいます。その理由は、韓国の方言で「トル(石)」は「トク」とも発音され、これを発音どおりに漢字に直せば「独島(トクド)」につながるためというものです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   パンフレットの間違いですが、「鬱陵郡」は「欝島郡」の誤りです。また、勅令の原文を重視するなら「鬱陵島」でなく「欝陵島」と書くべきです。わざわざ画数の多い「鬱」字を使用する必要はありません。
   パンフレットは<「独島」という呼び名はいつからどのように使われるようになったのか>と疑問を呈しましたが、これは一理あります。
   当時、現地の欝陵島ではもはや于山島の名は通用せず、竹島=独島は「トクト」と呼ばれるようになったのですが、トクトの漢字表記が「石島」からどのようにして「独島」に変わったのか、その解明はかならずしも充分ではありません。それにもかかわらず、石島が竹島=独島であることは多くの日本人研究者も認めているとおりです(注8)。
(つづく)

外務省パンフレットへの批判6、(2)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/27 17:09 投稿番号: [16503 / 18519]
   ちなみに、外務省が今でも語ろうとしない明治時代の重要史料は下記のとおりです。
(1)外務省報告書「朝鮮国 交際始末 内探書」(注3)
  報告書中に「竹島松島 朝鮮附属に相成候始末」と題する一文があります。

(2)太政官・正院地誌課『日本地誌提要』(注4)
  『日本地誌提要』は地理担当当局による官撰地誌なので、そこに竹島=独島がどう扱われたのかは非常に重要です。同書は、隠岐の小島179を「本州の属島」と記し、それ以外に竹島・松島があると記しました。この記事から明治時代の地理学者・田中阿歌麻呂などは竹島・松島が日本領でないと解釈しました。この官撰地誌でも竹島・松島が一対の扱いになっていることは重要です。

(3)内務省地理局『磯竹島事略』、『礒竹島覚書』(注5)
  両書の記述はほとんど同じで、江戸時代の「竹島一件」の顛末を網羅しました。両書は内務省が竹島・松島を日本の版図外と判断した基礎資料として重要です。
  両書はもちろん鳥取藩の「竹嶋之書付」なども所載しました。この史料で竹島・松島が鳥取藩をはじめとしていずれの藩にも属さないことや、幕府が松島(竹島=独島)の存在を知らなかったことなどが明白です。

(4)太政官「竹島外一島」版図外指令(注6)
  1877年、内務省は地籍編纂事業において問題になった竹島・松島は日本領でないと判断しましたが、版図の取捨は国家の重大事なので、念のために太政官の裁可を仰ぎました。その内務省の伺書中に「磯竹島略図」がありますが、同図からも松島は現在の竹島=独島であることが明瞭です。
  太政官は内務省の伺書どおり、竹島(欝陵島)および外一島である松島(竹島=独島)を版図外と決定する指令を2週間後に発令しました。

(5)内務省地理局の官撰地図(注7)
  国土や領土の担当機関である地理局が作成した官撰地図において、竹島・松島は一時期を除いて日本領として扱われませんでした。1905年以前における明治時代の官撰地図は下記のとおりです。
(A)1867年「官板 実測日本地図」、幕府出版(1870年に明治政府の開成学校から再版)
(B)1879年「大日本府県管轄図」、内務省地理局出版
(C)1880年「大日本国全図」、同上
(D)1881年『大日本府県分轄図』、同上(1883年に改訂版)

  これらの官撰地図で竹島=独島が含まれるのは、(D)『大日本府県分轄図』中の極東図である「大日本全国略図」のみです。ただし『大日本府県分轄図』中の島根県など各府県図に竹島=独島は描かれませんでした。これ以外の地図に竹島=独島はまったく描かれませんでした。
  なお「大日本全国略図」において、初版では竹島・松島は山陰道と同色に彩色されましたが、これは作成者の無知による誤りと思われ、改訂版では訂正され無彩色にされました。すなわち、この訂正は竹島=独島は日本領外としたことを意味します。
(つづく)

外務省パンフレットへの批判6、(1)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/27 17:08 投稿番号: [16502 / 18519]
6.大韓帝国勅令と島根県告示

   外務省のパンフレット曰「6.日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました」

   外務省が「再確認」と強調するからには、以前にも「竹島を領有する意思」を確認したことがあるはずですが、それは一体いつなのか首をひねりたくなります。現在の外務省はいざ知らず、50余年前の外務省は幻の「松島(竹島=独島)渡海免許」を信じていたので、前回の確認とは数百年前の、幻の渡海免許を指すのでしょうか?   それとも時代がくだって明治時代に確認を求めているのでしょうか?

   もし前者ならまったくお話になりません。川上健三がとなえた幻の松島渡海免許は、最近では塚本孝氏や池内敏氏などによりことごとく否定されました。つぎに、後者の可能性ですが、50余年前の外務省はこう主張しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   当時(明治時代)の外務省では、松島という島の開拓願いの提出に際し、この島がいかなる島を指すかを明らかにするため視察を行なう必要があるかどうかを検討していた。
  (途中省略)
   渡辺記録局長は、「このいわゆる松島なるもの、竹島(今の鬱陵島)なれば彼に属し、もし、竹島(今の鬱陵島)意外にある松島なれば われに属さざるをえざるも・・・その松島「デラセ」島なるものは本来、竹島すなわち鬱陵島にして、わが松島なるものは洋名「ホルネットロックス」なるがごとし、・・・このホルネットロックスのわが国に属するは各国の地図みな然り」、「旧幕府無事を好むより・・・竹島(今の鬱陵島)をもって・・・朝鮮に譲渡せりといえども 松島(今の竹島)は竹島(今の鬱陵島)よりわが近き方にあれば、日本に属し、朝鮮また異論ある能わず」と述べ、視察の結果、この松島が鬱陵島と別物ならば、因幡、隠岐、石見などに帰せざるを得ずという見解を示していた。

   明治13年9月、軍艦天城が赴いて実際にこの島を測量した結果、問題の松島は鬱陵島そのものであり、鬱陵島付属の島に竹嶼があることが明確にされた。
   松島開拓願いの審議に際して明らかなことは、明治初期においても日本国政府が竹島を日本固有の領土として認識し、その上に立って議論していたことである(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   50余年前の外務省は、明治政府も「竹島を日本固有の領土」と認識していたとする根拠を、単に外務省の一局長の見解においていたようです。ところが、その渡辺洪基局長の地図などに関する見解が噴飯ものであることはすでに書いたとおりです(注2)。
   そうした見解を主柱にして外務省は「固有領土」の証明をしたと考えているようですが、これは我田引水もはなはだしいようです。というのも、当時の決定的な資料については何も語らず、史料の恣意的な選択をおこなって「固有領土」の結論を出したからです。
(つづく)

re2)1656 - 柳馨遠 『輿地志』

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/25 15:56 投稿番号: [16501 / 18519]
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/02/1656.html
に次のとおりです。

Friday, February 22, 2008
1656 - 柳馨遠 『輿地志』 (「東国興地志」巻之七 江原道 蔚珍)


   柳馨遠(1622〜1673)は、朝鮮王朝、顕宗王の時の実学者で、1656年に全国地理の本である「東國輿地志」を編纂しました。(ソウル大学奎章閣サイト・韓国語 )


   韓国側は「東国文献備考・與地考」(1770)や「萬機要覧」(1808)に「輿地志に謂う、鬱陵、于山皆于山国の地。于山は即ち倭の所謂松島なり」と言う引用がある事を挙げ、安龍福の渡航や日本よりも古い文献に倭の松島(現在の竹島)が于山島だと認識していたという論拠としてきました。この本は長く遺失されたとされてきましたが、2006年に済州大学の呉相学氏によって確認された「東国興地志」には下記のように書かれており、実際は従来からの日本側の主張のように、「于山は即ち倭の所謂松島なり」と言う記述は無かったことが明らかになりました。

   「于山島鬱陵島   一云武陵   一云羽陵   二島在県正東海中   三峯及業掌空南峯梢卑   風日清明則峯頭樹木   及山根沙渚   歴々可見   風便則二日可到   一説干山   鬱陵   本一島   地方百里」

   ちなみにこれは「新増東国輿地勝覧」 の記録をそのまま引用していることが分かります。

   「于山島鬱陵島   一云武陵   一云羽陵   二島在県正東海中   三峯及業掌空南峯梢卑   風日清明則峯頭樹木   及山根沙渚   歴々可見   風便則二日可到   一説干山   鬱陵   本一島   地方百里」

   安龍福の竹島一件の後、安の証言である「于山は即ち倭の所謂松島なり」という言葉が「輿地志」に書かれてあったと言う、誤った記述が、1700年以降の「東国文献備考」や「萬機要覧」を始めとする朝鮮の書物に登場するようになり、韓国側もこれらの文献をを根拠に于山島が竹島・独島(倭の松島)であると主張します。しかし、以下のように文献を年代にそって並べると、申景濬が1756年の「疆界誌」の中で輿地志の記録の後に“所謂松島 ”と言う自説を追記していること、1770年の「東国文献備考・與地考」でそれを「輿地志」の記述であるかのように書き変えている事が明確に分かります。以降に編纂された「萬機要覧」 「増補文献備考 輿地考」は、原著である「輿地志」からではなく、「東国文献備考・與地考」からの孫引きで引用している為、この誤記が受け継がれていったようです。

  1756 - 申景濬「疆界誌」『旅菴全書』巻之七 「疆界考」十二 鬱陵島
     「按 輿地志云 一説于山鬱陵本一島
      而考諸圖志二島也 一則其所謂松島
      而蓋二島 倶是于山國也」

  1770 - 申景濬・洪啓禧   「東国文献備考・與地考」  
     「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」

  1808 - 「萬機要覧 軍政篇 (1937 朝鮮総督府)」
     「輿地志云 鬱陵于山皆于山国地. 于山則倭所謂松島也.」

  1908 - 李萬運「増補文献備考 輿地考」
     「輿地志云 鬱陵于山皆于山国地. 于山則倭所謂松島也」

   このように流れを追っていくと、申景濬が「東国文献備考・與地考」を編纂する際に、自分の意見をあたかも輿地志からの引用であるかの如く改竄している事が分かります。、誤記であることが明らかな文献を根拠として領土の根拠として主張することは、愚かであると言わざるを得ないのです。

re2)世相実録を優先する理由

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/25 15:44 投稿番号: [16500 / 18519]
   世相実録地理誌は1454年に編纂され、輿地勝覧は1530年に編纂されたものです。「鬱陵島から見える島はなにか」を争うのに適している史料はどちらでしょうか。
   後年に編纂された史料は、旧年の史料に新たな知見を加えて編纂されたと解されますから、輿地勝覧を以って争うのが適していると言えます。

   ところが、「世宗実録地理誌がより重要である」と主張する人がいます。
   同書に「于山と武陵の二島が県の真東の海中にある。お互いに遠くなく、風日が清明であれば望見することができる」とあり、鬱陵島からチェクトは「風日清明」でなくとも見え、リャンコ島は「風日清明」でなければ見ることができないから、「韓国が古くから独島を認識していたという根拠」なのだ。と言うのです。


   どうして、頑なに「輿地勝覧」を拒否するのでしょうか。

   それは、「輿地勝覧」の解は「内陸から鬱陵島が見える」の意であると結論が出ているからです。
   肅宗実録、1694年08月14日の項に次のとおりです。[ No.16242 - 16258 ]
   「鬱陵島は、峰巒と樹木の状態を、内陸でもありありと眺めることができる・・・・と『輿地勝覧』に載っており、歴代に伝えられている。」と。
   →→結論の出ている土俵では争わない方針の様です。


   又、「鬱陵島からリャンコ島が見えるか」という命題も結論が出ています。
   朝鮮は多くの鬱陵島検察をしていますが、1694年に「300里先に鬱陵島の1/3程の島を見た」と報告し、1882年には「山に登って四望したが、海中の先に一点の島嶼の見形無し」と報告しています。この2回以外では「望見する」ことすら思いつかなっかたと考えられます。
   「知っていますか日本の島(自由国民社)」に下條正男氏の論文があり、その21頁に氏自身が「2000年9月上旬、鬱陵島の独島展望台に行ってみて、そこの売店のおばさんに「独島は見えますか」と聞いてみたが、「今年は7月に一度見えただけ」とのことで、「晴れた日には見える」ということではないらしい。」と記しています。
   これらの資料から判断するに、「風日清明」なる日は年に数日しかないものとしなければなりません。それでも「見える」と主張するのでは、最早、領有権争いではありません。
   しかし、「見える」と難癖を付けられるのは「世宗実録地理誌」しかありませんから、これにこだわり続けるのです。→→論破されていないと主張できる余地がある限り諦めない方針の様です。


   光海君・肅宗・高宗の朝鮮王が鬱陵島にかかる意思決定に、「輿地勝覧」を用い「世相実録地理誌」を用いていません。それでも尚、「世宗実録地理誌がより重要である」との認識を持ち続けるのは合理的ではありません。非合理な意図がここから読み取れます。

re4)会津屋八右衛門

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/25 09:07 投稿番号: [16499 / 18519]
   八右衛門は郷土の英雄の様です。*1)

   八右衛門は、窮迫した浜田藩の財政に寄与するため、浜田藩幹部と密議し「右最寄松島へ渡海之名目を以て竹島え渡り(大坂町奉行判決)」、朝鮮・中国・台湾・安南・ルソン等から、珍しい品々を浜田に荷場げしました。これにより浜田藩財政の確立に大いに役立ちました。

   幕府(大阪町奉行所)が、「右最寄松島へ渡海之名目を以て竹島え渡り」と認めているのですから、竹島一件後もリャンコ島への渡海は禁止されていなかったことが明らかです。


   この事件を、崔書勉氏は次のように解説しています。*2)
   ------------------------
−−日本が独島を固有の領土と主張する根拠が、でたらめということか。
   「日本政府の固有領土論のバイブルに該当する本は、1966年に川上健三氏が編纂した『竹島の歴史地理学的研究』だ。 外務省の協調を得て、ぼう大な文献を調べて集大成した本だ。 そこには、朝鮮時代の空島政策で人がいなくなった鬱陵島(ウルルンド)と無人島の独島に、日本人が行き来しながら漁業をしたという古文献記録がたくさん提示されている。 それは事実だ。 しかしもっと重要なのは、日本政府が自ら何度か渡航禁止令を出し、領有権を否定したということだ。 1837年に会津屋八右衛門という人がこれを破り、鬱陵島まで行った後、処刑された記録もある。従って、いくら古文書があっても、それは潜商、いまの言葉では密貿易にすぎず、領有権とは関係のない記録ということだ」
   ------------------------

   「鬱陵島まで行った後処刑された記録」→「鬱陵島渡海は禁止されていた」→「だから独島は日本領ではない」・・・おかしいですね。
   韓国人の主張はいつもこの様です。鬱陵島の話をしていて突然結論に至り、そこでは始から独島の話をしていたように装い、「独島は韓国領!」となってしまうのです。


*1)   http://www8.ocn.ne.jp/~hamadajc/paeg/haci-02.html
*2)   http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=62750&servcode=200§code=200

re6a)なぜ外一島の明瞭化が必要なのか

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/25 08:49 投稿番号: [16498 / 18519]
   http://www.enjyuku.com/d2/i_006.html
   に、意思表示は、次のように説明されています。
  ------------------------
   一定の法律効果を欲するという意思を外部に表示することである。意思表示は次の3つの部分から構成される。
   1:内心的効果意思=具体的にある法律効果を意欲する意思のこと。例えば店頭で品物を買おうと意欲する意思が内心的効果意思である。
   2:表示意思=内心的効果意思にもとづいて、その意思を表示しようとする意思のこと。例えば、店頭で品物を買うために、店員にその旨を伝えようとする意思である。(なお表示意思を内心的効果意思に含める考え方もある)
   3:表示行為=内心的効果意思を外部に表示する行為のこと。例えば、店頭で品物を買うために、店員にその旨を告げることである。
  ------------------------

   日本の民法では、内心的効果意思は法律効果を生じないとされています。国際法も同様で、領有権を確立させるには、公告とか実効支配等の「外に現れた意思」が必要とされています。
   1877年に太政官が「竹島外一島を版図外とする」旨の決定は、それだけで「領有権の放棄」にはなりません。天城の調査を経た後の1883年の「鬱陵島渡海禁止令」によって始めて鬱陵島の「領有権が放棄」されることになります。
   そもそも、1905年の竹島編入の閣議決定に効果を認めず、韓国への告知が無かったと主張している方が、同時に「外一島とはどこか」を論じているのは矛盾します。

   又、「外一島」とは何なのでしょうか。外一島が松島であるとの「内心的効果意思」を持っているなら、松島と明記する筈です。それを「外一島」とするのは、未だ特定していないからであり、その特定を指令の具体化に伴う官僚の判断に任せるという意味を持っています。そして、1883年に「外一島」はアルゴノート島又はチェクトとして具体化されたのかもしれません。


   さて、外務省は韓国の通信社から「外一島はどこか」旨の質問を受けました。係争国の通信社が、過去の「内心的効果意思」の明瞭化を求めるというのは無理な話です。又、この明瞭化は何の法律効果も生みません。具体的な「表示行為」を示してから質問するべきです。そして、具体的な「表示行為」を示めせないと推定でき、質問の趣旨が理解できないので、「まだ調査中」との回答しかできなくて当然です。

re4)竹島一件の決着

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/25 08:04 投稿番号: [16497 / 18519]
  独島に対する日本の領有権主張が誤りである理由(独島学会編)
   http://toron.chu.jp/take/krobject/dokdoob.html
  4、1696年1月に日本は鬱陵島と独島を朝鮮の領土であるとあらためて確認しこれを決定した。この事実は外交文書化され、朝鮮と交換された。
   江戸幕府は1696年1月28日、鬱陵島・独島を朝鮮領であることをあらためて確認し、日本の漁夫による鬱陵島・独島への出漁を禁止することを決定した。同時に対馬藩主に、刑部大輔を朝鮮に派遣しこの再確認と決定を朝鮮に知らせ、またその外交交渉結果を幕府に報告するよう命じた。
   対馬藩主は江戸から国へ戻り、この外交手続を開始した。
   朝鮮の礼曹参議・李善溥(イ・ソンブ)と対馬の刑部大輔・平善真の間で外交文書のやりとりが2度行われた後の1699年1月、日本から朝鮮に、朝鮮からの返書を幕府将軍に確かに届けたという最終確認の公式書簡が送られ、外交手続は全て終結した。
   こうして対馬藩主が長崎奉行と結託して朝鮮の鬱陵島・于山島を奪おうとして始まった鬱陵島・独島をめぐる争いは、1696年(粛宗22年)1月に終結した。
   鬱陵島・独島が朝鮮の領土であり、日本の漁夫らの越境・漁業を禁止することを幕府将軍があらためて確認・決定しており、これに関する外交文書のやりとりも1699年1月に最終的にすべて終了している。
  ------------------------------

   上記の「江戸幕府は1696年1月28日、鬱陵島・独島を朝鮮領であることをあらためて確認し、日本の漁夫による鬱陵島・独島への出漁を禁止することを決定した。」とする文書は、
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/011.jpg
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/012.jpg
にあります。たぶん、次の様な内容が書かれています。(*1)

   先の太守が、竹島の事で、貴国に両度使者を遣わした。
   しかし、その仕事が未了の内に不幸にして早世したので、使者を召還した。
   不日に上京し(将軍の)謁を得た。この時、竹島の地状と方向を問われた。
   具体的事実に依拠して答えた。
   本邦からの距離が甚だしく遠く、貴国からの距離は到って近い。
   恐らくは、両国人をこのまま放置すれば、潜通・私市等の弊害が必ずある。
   即座に令を下し、永久に入住・漁採を許さない様にした。
   それ隙は細美において生ずる。禍患は下賎において興る。これが古今の通病である。
   預かじめ定めておくが安らかと考える。之を以って100年の友好とする。
   偏った欲を篤くして、小さな島に拘らないことが、両国にとって美事である。
  ------------------------------

   これは、「訳官へ達書」とされる文書です。この内容は、1696年10月16日、対馬島で朝鮮官僚に、口頭又は文書で通達されました。朝鮮官僚がソウルに帰還したのは翌年1月10日です。

   当時の徳川幕府は、竹島=鬱陵島と松島=リャンコ島を、別個の島として完全に認識していました。その上で、本決定が「竹島=鬱陵島」に関わることであると明瞭にしています。
   幕府は、(竹島には)「永久に入住・漁採を許さない様にした」のです。当然、松島=リャンコ島には、入住・漁採を継続する意思が込められています。

   1695年、対馬藩は4箇条を列挙して竹島の領有を主張しました。この様な合理的な理由を排除して非合理な決定をした理由として、上記は3点を掲げています。
   1   本邦からの距離が甚だしく遠く、貴国からの距離は到って近い。
   2   両国人をこのまま放置すれば、潜通・私市等の弊害が必ずある。
   3   偏った欲を篤くして、小さな島に拘らない。

   結局、徳川幕府が選択したのは、道理ではなく、朝鮮との友好関係でした。


(*1)   先太守   因竹島事遣使   於貴国者   両度使事
    未了 不幸早世 由是召還使人
    不日上船入   覲之時   問及   竹島地状方向
    拠実具対   因以
    其去   本邦太遠   而去   貴国却近
    恐両地人   ●雑   必有   潜通私市等弊
    隨即下令   永不許入往漁採
    夫隙生於細徴   禍患興於下賎   古今通病
    慮寧勿預   是以百年之好
    偏欲彌篤   而一島之微拠付不較   豈非   両邦之美事乎

re4)多田与左衛門の4ヶ条

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/25 07:43 投稿番号: [16496 / 18519]
  http://toron.pepper.jp/jp/take/ahn/ikken.html
  の要約は次のとおりです。

  1695年6月10日、対馬藩士多田与左衛門は4箇条を列挙して朝鮮政府への不信を詰問しました。

   第一条、朝鮮側は鬱陵島には定期的に官吏を派遣していると言うが、鳥取や出雲の漁民達は、ここ81年来、貴国の官吏と遭遇した事はないが、何故か?
   朝鮮回答:輿地勝覧によれば1472年頃までは官吏を派遣していた。近頃は、風濤危険なので往来しなかっただけだ。

   第二条、これまで我が国の漁民が鬱陵島に出漁し、三度漂到した。それにも拘わらず、「犯越侵渉」として抗議しなかったのは何故か?
   朝鮮回答:漂流した難民をお互いに還し合うのは、優先すべき正義である。その時に「犯越侵渉」を問わなかったからといって、その意が無かったとは言えない。

   第三条、当初は「貴国の竹島、弊境の鬱陵島」としていたのに、今回は「鬱陵島と竹島を一島二名」としたのは何故か?
   朝鮮回答:当初の回答は錯誤によるものである。これを変更して貴国の信を問うものだ。

   第四条、1614年、東莱府からの書状には「本島即我国所謂鬱陵島」「他人の冒占を容れず」とあった。だが1618年*1)、鬱陵島に出漁した日本の漁民が貴国に到達した際には、領海侵犯として抗議を受けていない。両時の文意が合致していないのは何故か?
   朝鮮回答:両時における朝廷の意は変わらない。ただ、詰問しなかっただけだ。
  ----------------------------------

   輿地勝覧によれば1472年頃までは、鬱陵島が朝鮮領であったことが確認できます。しかしその後、1694年迄の200年間、朝鮮は官吏を鬱陵島に派遣することはありませんでした。この間、朝鮮にとって鬱陵島は忘れられた島だったのです。
   この200年間、1614年に一度だけ、対馬藩から鬱陵島が日本領であることの確認を受けた光海君は「本島即我国所謂鬱陵島」「他人の冒占を容れず」と叫びましたが、この実態の無い観念的領有権の主張によって、日朝交渉は頓挫しました。
   その後、日朝が鬱陵島の領有権を主張する中で、事件は次々と起こります。先ず、1618年に美保関の漁民が朝鮮に漂着しましたが、これを送還するに際し、朝鮮は領海侵犯として抗議をしませんでした。1637年と1666年に「竹島渡海免許」を所持した村川船と大谷船が朝鮮に漂着しましたが、朝鮮はこの時に「犯越侵渉」を問わなかった事を認めました。更に、1694年に「貴国の竹島」を認めました。
   こうした状況下ですから、「実際に日本で日本の領土と考え、日本の領土として扱」った竹島に、「他国がそれを争わな」いまま、81年間渡海事業を継続したのですから「それで領有するには充分であった」といえます。
   そして、朝鮮は光海君の叫び声は日本に聞こえていた筈だから、日本は鬱陵島を朝鮮領と考えなければならないと言いますが、同じことが日本側にも言えます。日本は竹島を支配しそのことを朝鮮に伝えており、朝鮮は日本の支配を知りうる機会を得ながら抗議をしていないので、朝鮮は竹島を日本領と考えなければならないのです。

   この様に、多田与左衛門の交渉は成功していたのです。


(*1)原文は「78年前」とあります。これは美保関の馬多三伊等7人が朝鮮に漂着した事件を指すと思われます。韓国の李薫氏はその論文で送還されたのは1618(元和4)年としています。

東洋大勢図 シビリアンコントロール

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/23 23:38 投稿番号: [16495 / 18519]
先日は朝鮮を「文士の国=知識人=ホワイトカラー」、そして日本を「武士の国=ゴロツキ=ブルーカラー」と、半ば強引に定義しましたが、今話題の守屋防衛事務次官の汚職事件で言うと、朝鮮は背広組で日本は制服組ということになりますね。制服組だけで教科書を作ると暴走するので、背広組が検定してシビリアンコントロールするということでしょうか。

実際、各社の教科書を文部省が検定しているのではなくて、中韓が日本の教科書を事実上検定しています。近隣諸国条項という"新たな検定制度"を背広組の中韓が行っているわけです。半月城さん、シビリアンコントロール(文民統制)ってやっぱり大切ですね。
http://www.kcn.ne.jp/~ca001/F27.htm

さて、掲題の件ですが、『東洋大勢図』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/toyo-1902/
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)


next, coming up
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「出雲丸が沖縄県庁に報告書提出」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『Korea and Her Neighbours』
『大日本輿地図』
『韓国地理』
『大韓帝国石島上申書』
『東洋大勢図』(本日アップロード完了!)



今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「長野オリンピック ゴールドメダルラッシュ」
http://www.youtube.com/watch?v=UxjA_3hS6oY&feature=related
「スキージャンプ団体 感動の金メダル」
http://www.youtube.com/watch?v=0Cbb3MPqIR0&feature=related
「船木〜」って原田が言っていたのが印象的でしたね。

re5)安龍福って何者?

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/23 08:53 投稿番号: [16494 / 18519]
  粛宗実録   1696-09-25
   欝陵子山島等、定以朝鮮地界、至有関白書契、而本国不有定式、今又侵犯我境、是何道理云、
   (安龍福は、隠岐島主と面談し)、「鬱陵島・于山島を以って朝鮮の地界と定めた関白の書契ある。日本では徹底していない。今また越境侵犯事件が起きた。これにどういう道理があるのか。(島根藩にこの道理を問うため来日した。」と答えた。)
   吾将上疏関白、歴陳罪状、島主許之、遂使李仁成、構疏呈納、
   (安龍福は、島根藩主と面談し)、「自分としては関白に上疏し、(対馬藩の)罪状を歴陳したい」と要求した。島根藩主が許したので、李仁成に上疏文を書かせた。

  粛宗実録   1697-02-14
   去秋貴國人有呈單事、 出於朝令耶?
   (対馬藩が問う)去秋に貴国人が単子(上疏文)を呈じたが、これは朝廷の命令であるか?
   至於漂風愚民, 設有所作爲, 亦非朝家所知,
   (大臣が答える)漂風愚民がしたことであり、朝廷の知るところではない。

   粛宗実録で認められる史実は、
   ①安龍福は、鬱陵島・于山島が朝鮮領であると主張し、上疏文を差し出した。
   ②この事は、対馬藩の知るところとなり、詰問を受けた。
   ③安龍福の事は朝廷とは関係ない。と答えた。


   ところが、「東国文献備考(1770年)」「万機要覧(1808年)」に次のようにかかれるようになります。粛宗実録では安龍福の功を認めていないのに、「皆龍福功也」となってしまったのです。
   倭至今 不復指 鬱陵爲日本地、皆龍福功也。
   日本が今に至るまで、鬱陵島は日本の地だと主張できないのは、すべて安龍福の功績だ。


   そして、戦後の韓国では万機要覧史観が更に歪められ、安龍福は独島を守った英雄になります。
   この論理は、上記の粛宗実録から①の事実をのみ認めこれを前提において、これを補完するものとして②の事実を捉え、③の事実は考慮しないというデタラメなものでした。


   ところで、1696年の春に安龍福が来日します。しかし、竹島渡海禁止の決定は、1696年の正月に為されたものです。安龍福の行動は領土問題とは何の関係もありません。又、安龍福の于山島認識というのは「漂風愚民」の認識であり、かかる人物の認識は領土問題とは何の関係もありません。
   どうして、安龍福が議題にあがるのでしょうか。私には理解できません。

re6a)日韓議定書のリャンコ島

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/23 08:47 投稿番号: [16493 / 18519]
   1614年に、日本と朝鮮は鬱陵島の領有を主張しあい、結論に至りませんでした。

   1667年に、日本(徳川幕府)は鬱陵島の領有を主張した後に、鬱陵島への渡海を禁止してこの事を朝鮮に連絡しました。
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/011.jpg
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/012.jpg

   1883年に、日本(明治政府)は鬱陵島への渡海を禁止して、この事を朝鮮に連絡しました。
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a11rui97/2.jpg
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a11rui97/3.jpg

   これら事実により、日本政府は、「鬱陵島に3度日本の侵略を受けたが何れも撃退した」という朝鮮政府の認識を知らなければなりません。
   しかし、リャンコ島は鬱陵島より日本側にありますから、朝鮮政府がリャンコ島の存在を知らなかった場合、日本がリャンコ島は日本領という認識を形成するのに問題はありません。又、朝鮮政府がリャンコ島を朝鮮領と考えていたとしても、その意思が明示的に表示されたことはありませんから、日本がリャンコ島は日本領という認識を形成するのに問題はありません。100kmも離れた島を鬱陵島の属島と認識しているかも知れないという注意義務が日本に無いからです。

   そして、1904年日韓議定書第3条に「大日本帝国政府は、大韓帝国の独立及び領土保全を確実に保証する事」とありますが、ここにリャンコ島が大韓帝国の領土であるという認識の存在を認められませんから、大日本帝国政府は第3国のリャンコ島侵略を日韓議定書に基づき撃退する義務はありません。
   すると、1905年のリャンコ島編入に際して、少なくとも韓国に対してだけは告知する義務が無かったといえます。

   更に、1906年島根県は、リャンコ島編入を朝鮮に連絡します。この時、大韓帝国は日本政府に抗議をしませんでした。仮に、日韓議定書のいう「大韓帝国の領土」にリャンコ島が含まれているとするならば、不可解な行動といわざるを得ません。この日韓議定書違反は、明らかに朝鮮侵略を意味しているからです。当時の大韓帝国に「他の事で忙しく、無人島の領有を争う暇が無かった」と言い訳できるほどに忙しかった他の事はありません。
   http://take8591.web.fc2.com/06web/9100etc/080417/820.htm
   http://take8591.web.fc2.com/06web/9100etc/080417/830.htm
   すると、日韓議定書のいう「大韓帝国の領土」にリャンコ島が含まれていなかったと確認できます。

Re: 外務省パンフレットへの批判5、(2)

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/04/23 02:07 投稿番号: [16492 / 18519]
>安龍福のこの供述に対し『粛宗実録』は何のコメントを加えずに記述したので
>すが、韓国政府はこれをほぼ事実と認める旨の書簡を日本へ送りました。

朝鮮政府が安龍福の呈書の話を「妄作」とする旨の公式の書簡を日本に送ってますからな〜。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04c.data/shiryou-4-1-8.pdf
のp201。
安龍福が見た于山島が、竹島でも鬱陵島でも隠岐なのか関係なく、前言を翻した時点でエストッペル違反ですな〜。

Re: 外務省パンフレットへの批判5、(2)

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/04/22 21:29 投稿番号: [16491 / 18519]
こういうのを史実に基づく詭弁と言うのです。

(1)安龍福は 1696年に欝陵島から竹島=独島を経由して来日したことにより、竹島=独島の位置などを当時の水準でほぼ正しく認識していた。

方位も距離も違います。半日(それも好意的に長く取ったらの話し)で到達できる距離ではありません。
北東と南南東は違います。
島が大きいと言うのも違います。
これだけ怪しい記述を事実と認定するのは紛れもない飛躍です。

(2)かれは、欝陵島は竹島であり、竹島=独島は子山島で日本で松島と呼ばれていると明確に認識していた。

一般的には、認識というのは、なにかある事実を脳内が反映することを言います。正確に言うなら、そう倭の松島=于山島だと思っていると言っただけであり、思っていたかどうかも確実ではありません。虚言癖があるのですから。
まして、その倭の松島がどこかと言う認識も怪しいです。

(3)両島は朝鮮の江原道に属する朝鮮領であることを隠岐国などへ訴えた。

これは、于山島だと思えばその通りですね。

亜細亜東部略図 文士の国vs武士の国

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/22 21:16 投稿番号: [16490 / 18519]
日本は長いあいだ武士の国でしたが、朝鮮は中央集権国家(科挙)の文士の国でした。今で言えばホワイトカラーの朝鮮と、ブルーカラーの日本、もっと分かりやすく言えば知識人(文士の国)とゴロツキ(武士の国)と、このようにかの国の国民は考えているかも知れませんね。

小林よしのりの"悪友"である西部邁が、よく「知識人」という言葉を愛用しております。「知識人」と「一般国民」はある特定分野において顕著な違いがあるのですが、半月城さんも知識人として、私のような一般国民を、進むべき道に導いて頂くことを切望しております。

文士の国の半月城氏へ、ゴロツキの国の私からのmsgでした。


さて、掲題の件ですが、『亜細亜東部略図』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/asiaeast-1885/
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)


next, coming up
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「出雲丸が沖縄県庁に報告書提出」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『Korea and Her Neighbours』
『大日本輿地図』
『韓国地理』
『大韓帝国石島上申書』
『東洋大勢図』
『亜細亜東部略図』(本日アップロード完了!)


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「長野オリンピック ゴールドメダルラッシュ」
http://www.youtube.com/watch?v=UxjA_3hS6oY&feature=related
「スキージャンプ団体 感動の金メダル」
http://www.youtube.com/watch?v=0Cbb3MPqIR0&feature=related
「船木〜」って原田が言っていたのが印象的でしたね。

外務省パンフレットへの批判5、(2)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/22 20:56 投稿番号: [16489 / 18519]
   外務省のパンフレットは、安龍福が虚偽の供述をおこなったもう一つの例として、第二次渡日事件をこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   さらに、韓国側の文献によれば、安龍福は、1696年の来日の際に鬱陵島に多数の日本人がいた旨述べたとされています。しかし、この来日は、幕府が鬱陵島への渡航を禁じる決定をした後のことであり、当時、大谷・村川両家はいずれも同島に渡航していませんでした。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   安龍福のこの供述に対し『粛宗実録』は何のコメントを加えずに記述したのですが、韓国政府はこれをほぼ事実と認める旨の書簡を日本へ送りました。日韓どちらの主張が正しいのか、ささいな史実の追求ですが、両国政府のメンツにかかわる問題だけに、それなりの検証を要します。

   日本政府の主張ですが、たしかに幕府が日本人の竹島(欝陵島)への渡航を禁じたのは、安龍福の渡日前である1月でした。また、鳥取藩が「竹島渡海免許」を返納したのは翌月でした。しかし、禁止されたといっても、その命令は大谷・村川家にすぐには伝えられませんでした。
   渡海禁止令の伝達は、鳥取藩主が「御帰国のうえでもって右の(禁止令の)ことを市兵衛、甚吉へ命じるようにとの(老中)大久保加賀守の御指図により、今日制禁の旨を命じられました」とされました(『御用人日記』1696.8.1)。
   すなわち、大谷・村川両家に渡海禁止令が伝えられたのは8月になってからでした。したがって、春の時点で両家は禁止令を知らず、例年どおり渡海した可能性があります。史料の上からは、外務省がいうように「当時、大谷・村川両家はいずれも同島に渡航していませんでした」とは決して断言できません。

   ただ、いろいろな状況から考えると 1696年の渡海はなかったものと思われるが、その前年の1695年なら、あるいは安龍福は竹島で日本人に出会った可能性があるとする研究もあります(注2)。
   その場合、安龍福の第2次渡日時における供述は大筋で認められることになります。第2次渡日事件に関して田保橋潔は、安龍福の供述を「徒(いたずら)に大言を弄するの嫌いはあるが、大体に於て事実と信ぜられる」と評価しました(注3)。

   いずれにせよ、安龍福の供述において注意すべきは、史実と、かれ独特の大言壮語とをよく見きわめることです。その際、些末なことにとらわれず、事件全体の本質を把握することが何よりも重要です。それを抜書きすると下記のとおりです。

(1)安龍福は 1696年に欝陵島から竹島=独島を経由して来日したことにより、竹島=独島の位置などを当時の水準でほぼ正しく認識していた。
(2)かれは、欝陵島は竹島であり、竹島=独島は子山島で日本で松島と呼ばれていると明確に認識していた。
(3)両島は朝鮮の江原道に属する朝鮮領であることを隠岐国などへ訴えた。

   これらの重要な史実は、2005年に発見された村上家古文書により確認されました。村上家古文書、正しくは『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸一巻之覚書』ですが、これは幕府の代官手代により書かれた公文書なので、第一級の資料価値を有します。
   ところが、外務省のパンフレットはそれには一言半句もふれませんでした。ここの章でも、同省にとって都合の悪い資料や不利な資料は一切無視するという方針が徹底しているようです。
   その一方で同省は『粛宗実録』を拾い読みしてか、あるいは意図的にか、時には『粛宗実録』の意図を曲解してパンフレットを作成したようです。

(注1)塚本孝「竹島領有権をめぐる日韓両政府の見解」『レファレンス』2002.6月号
(注2)朴炳渉『安龍福事件に対する検証』韓国海洋水産開発院
  (近刊予定、日本語および韓国語併記、販売は韓国の政府刊行物販売センター)
(注3)田保橋潔「鬱陵島その発見と領有」『青丘學叢』第3号、1931、P20

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

外務省パンフレットへの批判5、(1)

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/04/22 20:55 投稿番号: [16488 / 18519]
5.安龍福の渡日事件

   外務省のパンフレットは、韓国で英雄とされる安龍福の拉致事件(第1次渡日)について、こう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   韓国側の文献によれば、安龍福は、来日した際、鬱陵島及び竹島を朝鮮領とする旨の書契を江戸幕府から得たものの、対馬の藩主がその書契を奪い取ったと供述したとされています。
   しかし、日本側の文献によれば、安龍福が1693年と1696年に来日した等の記録はありますが、韓国側が主張するような書契を安龍福に与えたという記録はありません・・・
   その供述には、上記に限らず事実に見合わないものが数多く見られますが、それらが、韓国側により竹島の領有権の根拠の一つとして引用されてきています。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   ここでも外務省は「韓国側」という曖昧な用語を使用していますが、韓国政府の公式書簡に「安龍福は・・・竹島を朝鮮領とする旨の書契を江戸幕府から得た」などとする主張は痕跡もありません(注1)。外務省は韓国政府の公式見解をまったく確認せず、またもや幻の主張に振りまわされているようです。
   韓国政府がそのような主張をしなかったのは当然です。安龍福と同時代の歴史を記した最も重要な官撰史書『粛宗実録』によれば、朝廷は安龍福がもらったという「書契」なるものを疑問視していたのでした。同書は、朝鮮側の「欝陵島争界」第二次交渉責任者である兪集一の見解をこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   近年、臣が東莱にて使者を務めた時に安龍福を尋問したところ、言うには「伯耆州でもらった銀貨と文書を対馬島の人が奪った」としたが、今回、彼が伯耆州に呈文したことでは「対馬島の人が2千金で私を贖って本国へ送ると嘘をつき、その銀は本国で受けるとした」としたが、前後の話がとても食いちがっている。また対馬島の人は元々銀で贖うことがなく、壬戌約條も秘密なのに、安龍福がどうやって聞くことができるだろうか?
   また、倭人は皆 竹島が伯耆州の食邑としているのに、安龍福が一度話したからといって、朝鮮領とすぐには言わないだろうし、安龍福の呈文では欝陵島は本国の地であると何度も述べたが、倭人と問答した文書や安龍福を送るとした文書には一切ふれられていない。このような事情はとても疑わしいので、再び調査して実情がわかった後に罪を論じるのが適当である(粛宗22(1696)年10月23日条)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この意見はもっともです。突然拉致された、外交使節でもない一漁夫が連行された先でいくら竹島(欝陵島)は朝鮮の領土だと主張したところで、まともに取りあってもらえないことは誰しも考えそうなことです。
   朝鮮で第1次交渉責任者であった洪重夏も安龍福の話をまったく信用しませんでした。さらに、当時の最高権力者である領府事の南九萬も同様であり、こう述べました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   安龍福が癸酉(1693)年に欝陵島へ行ったが、倭人に捕まり、伯耆州に入ったところ、本州で欝陵島は永久に朝鮮に属するとする公文を作ってやり、贈り物も多かったが、対馬島を経て来る途中で公文と贈り物をすべて対馬島の人に奪われたというが、その話を必ずしも信じられると感じはしなかった(粛宗22(1696)年10月13日条)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   このように少なくとも『粛宗実録』は安龍福の供述をそのまま載せても、それをそのまま真実と受けとめたのではなく、その真偽を見きわめた経過なども記したのでした。
   といっても、朝廷はかれの供述を完全に検証できるわけではありません。事件の舞台がほとんど日本だったので、検証には限界があります。真偽の見きわめが困難な供述に対して『粛宗実録』はコメントも加えずにそのまま載せました。そのような記事は単なる参考程度の意味しかありません。
   したがって、私人である安龍福個人がどのような発言をしようが、それ自体だけではあまり意味がありません。その発言が当時の社会や後世にどう影響したのかが重要です。

   そうした基本的なことを素通りして、外務省のパンフレットは、当時の朝廷から虚偽とされた安龍福の上記の供述を特筆大書しましたが本末転倒です。そもそも、外務省は『粛宗実録』をきちんと読んだのでしょうか?   素朴な疑問がわきます。
(つづく)

善光寺

投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2008/04/22 09:01 投稿番号: [16487 / 18519]
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=3494156&tab=five

なんか善光寺が高い評価を欧米マスコミから受けている。
時事ニュース No.3250491 投稿者: stupid_b
作成日: 2008-04-21 11:33:40 閲覧数:16531
推薦ポイント:15 / 0


「善光寺が発した静かな怒りは、世界の全仏教徒のみならず宗派を超えた宗教指導者が身を切るほどの警告となった」@CNN(アメリカ)

「ZENKOUJIは一滴の血も流さず、一個の石(投石?)も用いずに最大級のデモンストレーションを成し遂げた」@NBC(アメリカ)

「日本の対中外交の勝利をもたらしたのは、政治家ではなく若き僧侶だった」@F2

「2000年の時を越えて、遠い東の国にBuddismの精神が変わらず受け継がれていることをZenkojiはこれ以上にない方法で示した。我々は、我々と同じ価値観を共有する日本国民と日本の仏教界に強い尊敬と親しみの念を覚える。」@IDN(インド)

「物静かで政治的な主張をしないことで知られる日本が動いた。拡声器もプラカードも用いないその静かな抗議の声はしかし、どんな喧騒よりも深く強く世界の人々の心に届くに違いない。」@BBC(イギリス)

「聖火リレーのボイコットを表明したその日も、Zenkojiは静かだった。その日、Zenkojiの境内で取材を続ける私は、全身にしみこむ鐘楼の深く低い音に思わず立ち尽くした。憎しみや悲しみを洗い流すこの聖なる音色が1300年にわたり受け継がれていることは世界の奇跡である。」@AE通信(オーストラリア)

竹島の望楼は舞鶴鎮守府所管

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2008/04/21 23:32 投稿番号: [16486 / 18519]
鬱陵島も含めて韓国に建設された望楼は佐世保鎮守府所管
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/mosd-chiyoda496/16.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/mosd-chiyoda496/11x.jpg
所在の住所にも「韓國」が明記されている。

竹島の望楼は舞鶴鎮守府所管
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/mosd-chiyoda496/27.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/mosd-chiyoda496/14x.jpg

日本軍が竹島を韓国領と考えていたとは思えないな。

最近朝鮮事情要覧 & 島根県破綻

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/04/21 23:05 投稿番号: [16485 / 18519]
先ほどNHKスペシャルで地方財政の番組がありましたね。島根県は1兆円の借金があって、一人当たりの借金額は日本一とのことでした。県内に住んでいた重篤患者の入院費は以前は月額500円だったのが、月額4万200円になって年金では払えなくて隣の鳥取県に引っ越した人がいました。世帯分離して医療費の高騰を抑えようとする人もいました。

島根県は竹島問題に予算計上する余裕なんてないです。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima03/
↑ここで働いている人の人件費や光熱費、印刷物など全てトータルでいくら費用が発生しているのか知りませんが、費用対効果を考えなくてはいけません。

さて、掲題の件ですが、『最近朝鮮事情要覧』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenjijyo-1912/
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)


別件で尖閣諸島の『和漢三才図会』を掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/wakan-1715/
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)

next, coming up
『朝鮮半島図』陸地測量部刊(S19)
シリーズ「竹島の車窓から」米子編〜北九州編まで
『地学雑誌』の文章起こし開始(継続中)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
次回は「出雲丸が沖縄県庁に報告書提出」の文章起こしをします。
『琉球国図』
『最近朝鮮事情要覧』(本日アップロード完了!)
『倭漢三才図会』(本日アップロード完了!)
『Korea and Her Neighbours』
『大日本輿地図』
『韓国地理』
『大韓帝国石島上申書』
『東洋大勢図』
『亜細亜東部略図』


今週の尖閣掲示板エンディングテーマ
「長野オリンピック ゴールドメダルラッシュ」
http://www.youtube.com/watch?v=UxjA_3hS6oY&feature=related
「スキージャンプ団体 感動の金メダル」
http://www.youtube.com/watch?v=0Cbb3MPqIR0&feature=related
「船木〜」って原田が言っていたのが印象的でしたね。

Re: なぜ他国の領土に口を出すのか?

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/04/21 21:34 投稿番号: [16484 / 18519]
>一般人でさえかなりの知識を持つようになりましたよね

知識量の問題ではないと思います。
韓国には議論自体が存在しないんだと思います。
口論しか存在しない。
儒教倫理の問題じゃないかと思います。
特にこの問題は、言論による国土防衛戦争なんで、口数で圧倒するだけでも
いいんです。

日本だって、空気できめちゃう非論理がありますが、西欧化のおかげで事実や論理の重大性は認識されてますね。
さらに重要なのは、日本が敗戦によって、それも中途半端な敗戦によって、右左両方の激しい論戦が存在することだと思います。
事実と論理がないと、負けます。

re6a)日露戦争と現竹島

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/21 21:14 投稿番号: [16483 / 18519]
   日露戦争(日本海海戦)は、「バルチック艦隊を全滅させなければ日本の負け」という史上稀な命題を負わされた戦争でした。この時、現竹島が果した(果すべき)役割は小さなものではありませんでした。それは次の頁等で報告されています。
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-territory-annexations.html
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-territory-annexations2.html
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-territory-annexations3.html
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-ulsan-tsushima.html
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-ulsan-tsushima-2.html

   しかし、上のURLでも明らかなように、監視搭が建てられたのはリャンコ島だけではなく、鬱陵島にも建てられました。この鬱陵島の監視搭は日本軍が勝手に建てたものでした。仮にリャンコ島が朝鮮領であったとしても、軍事施設は日本軍が勝手に建てられるものでした。日露戦争の遂行の為にであればリャンコ島の編入は必要ありません、リャンコ島を「臨検収用」すればよいのです。もしかしたら、朝鮮に事後連絡が必要であったかもしれませんが、事後連絡等の必要性を説いたweb頁を未だ知りません。

   すると、「肝付はリヤンコ島が朝鮮領であることを知ったうえで、日露戦争を有利に遂行するため、竹島=独島に望楼を築いてロシア艦を監視するという軍事利用に協力すべく、同島の「領土編入」を後押しした人物でした。その目的のためにウソも方便でリヤンコ島を「無主地」と強弁したとみられます。[No.4629]」というような非常な覚悟をする必要は無いのです。
   しかも、肝付兼行・牧朴眞・山座円次觔という3人もの者が、自分の認識とは異なる「目的のためにウソも方便」をしたと言うのです。
   この中井氏の前に現れた3人の官僚が揃って気骨の無い官僚であったなら、日露戦争に勝利することは出来なかったと思います。



日韓議定書(明治37年2月23日)
  第四条
   (一)第三国の侵害により、もしくは内乱の為、大韓帝国の皇室の安寧あるいは領土の保全に危険ある場合は、大日本帝国政府は、すみやかに臨機、必要の措置を取るべし。しかして大韓帝国政府は、右大日本帝国の行動を容易ならしむる為、十分便宜を与うる事。
   (二)大日本帝国政府は、前項の目的を達する為、軍略上、必要の地点を臨検収用することを得る事。

re6a)他国の占領が認められない

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/21 20:53 投稿番号: [16482 / 18519]
   中井氏の履歴書は、半月城通信に次のとおりです。
   http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html

  「本島の鬱陵島を付属して韓国の所領なりと思はるるを以て、将に統監府に就て為す所あらんとし上京して種々画策中、時の水産局長牧朴眞の注意に由りて必らずしも韓国領に属せざるの疑を生じ、其調査の為種々奔走の末、時の水路部長肝付将軍断定に頼りて本島の全く無所属なることを確かめたり。
  依て経営上必要なる理由を具陳して、本島を本邦領土に編入し且つ貸付せられんことを内務外務農商務の三大臣に願出て、願書を内務省に提出したるに、内務当局者は此時局に際し韓国領地の疑ある莫荒たる一箇不毛の岩礁を収めて、環視の諸外国に我国が韓国併呑の野心あることの疑を大ならしむるは、利益の 極めて小なるに反して事体決して容易ならずとて、如何に陳弁するも願出は将 に却下せられんとしたり。
  斯くて挫折すべきにあらざるを以て、直に外務省に走り、時の政務局長山座円二郎氏に就き大に論陳する所ありたり。氏は時局なればこそ其領土編入を急要とするなり、望楼を建築し無線若くは海底電信を設置せば敵艦監視上極めて 届竟ならずや、特に外交上内務の如き顧慮を要することなし、須らく速かに願書を本省に回附せしむべしと意気軒昂たり。此の如くにして、本島は竟に本邦領土に編入せられたり」
  ------------------------ -

   上記「時の水路部長肝付将軍断定に頼りて本島の全く無所属なることを確かめ」を受けて、半月城さんは[No.4629]で次のように述べます。
   軍人である肝付兼行水路部長はリヤンコ島(竹島=独島)を「無主地」のごとく中井に回答したようですが、実はこの人こそ同島を朝鮮所属と判断し、それを『日本水路誌』でなく『朝鮮水路誌』に入れて刊行した責任者でした。
   肝付はリヤンコ島が朝鮮領であることを知ったうえで、日露戦争を有利に遂行するため、竹島=独島に望楼を築いてロシア艦を監視するという軍事利用に協力すべく、同島の「領土編入」を後押しした人物でした。その目的のためにウソも方便でリヤンコ島を「無主地」と強弁したとみられます。
  ------------------------ -

   又、堀和生氏は、「1905年日本の竹島領土編入」において、「日本海軍の『朝鮮水路誌』1894年と99年版には、鬱陵島と並んでリアンコール列岩が載せられている。つまり、19世紀末に、日本海軍の水路部当局が竹島=独島を朝鮮領だと認識していたことは、疑いのないところである。(106頁)」と述べています。


   しかるに、「水路部長の回答」を1905年の閣議決定の資料にしたというのです。これは矛盾しているように見えます。
   そこで実際の朝鮮水路誌を見てみると、逆に、リャンコ島が朝鮮領でないことを明らかにしていたのです。ここに矛盾はありません。半月城さんと堀和生氏の指摘が間違っていたのです。
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/hydrograph1894/
   朝鮮国は亜細亜の東部にあり 其地勢たる狭長なる一大半島を成し 数多の島嶼 之を圍繞す 其位置は北緯33度15分より同42度25分 東経124度30分より同130度35分に至る・・・
   鬱陵島(一名松島)・・・而して其中心北緯30分東経130度53分に、・・・
  ------------------------ -
   朝鮮の東限は東経130度35分であり、鬱陵島が朝鮮の東限の東にあると記されています。これにより、「他国に於て之を占領したりと認むへき形跡なく」は、「水路部長の認識」が示されている「朝鮮水路誌」に明らかであると言えます。


   牧朴眞は、1903年の『韓海通漁指針』に発刊の辞を書いています。山座円次觔は、1904年の『最新韓国実業指針』に序文を書いています。(両著共に、リャンコ島を江原道の項で説明しています。)この様に朝鮮通のお二人ですから、その版図を熟知し、勅令41号も知っていたと思われます。それでも、リャンコ島編入を積極的に勧めたというのです。「他国に於て之を占領したりと認むへき形跡なく」は、朝鮮通のお二人がリャンコ島編入を積極的に勧めたことでより確かなものになります。


   すると、「外務、農商務、両次官、並びに島根県知事の回答」を捜査するまでも無く、「他国に於て之を占領したりと認むへき形跡なく」が明らかです。

re6a)1905年の閣議決定

投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/21 20:33 投稿番号: [16481 / 18519]
  http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a11rui981-1905/

   明治38年1月28日
   別紙内務大臣請議無人島所属に関する件を審査するに、
   右は北緯37度9分30秒東経131度55分、隠岐島を隔る西北85浬に在る無人島は、他国に於て之を占領したりと認むへき形跡なく、
   一昨36年、本邦人中井養三郎なる者に於て、漁舎を構へ人夫を移し猟具を備へて海驢猟に着手し、今回領 土編入並に貸下を請願せし所、
   此際所属及島名を確定するの必要あるを以て、該島を竹島と名付け、自今島根県所属隠岐島司の所管と為さんとすと謂ふに在り。
   依て審査するに、明治36年以来中井養三郎なる者が、該島に移住し漁業に従事せることは関係書類に依り明なる所なれば、国際法上占領の事実あるものと認め、之を本邦所属とし、島根県所属隠岐島司の所管と為し差支無之儀と思考す。
   依て請議の通り、閣議決定相成可然と認む。


   この閣議には、次の資料が付されていました。
   一、中井養三郎より請願書
   一、水路部長の回答
   一、外務、農商務、両次官、並びに島根県知事の回答

   この内、「中井養三郎より請願書」は、「リャンコ島領土編入並びに貸下願」として外務省のHPにありますが、他の2つの資料を私は探し出せません。
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