re2)1756年と1770年の申景濬
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/04/30 20:16 投稿番号: [16514 / 18519]
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-半月城さん
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-[ No.16410 ]
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古文書は日本のみならず韓国や中国でも句読点が一切ありません。したがって、この場合でも分註のどこまでが引用で、どこからが申景濬の見解なのかはっきりしません。・・・『東国文献備考』の場合は、「欝陵 于山は皆 于山国の地」が引用文であり、それ以下の「于山はすなわち倭がいうところの松島なり」は申景濬の見解であることが『輿地志』からわかります。
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申景濬は、引用文と私見を区別する方法を知らなかったのでしょうか。
1756年には、引用文を「輿地志云 一説于山鬱陵本一島」と記し、私見を「而考諸圖志二島也 一則其所謂松島
而蓋二島 倶是于山國也」と表しています。間に「而考」を挿入することにより、引用文と私見を区別しています。
ところが、1770年になると「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」と記しています。この様に表すと、その全てが引用文と解されます。
この間16年で、申景濬はボケてしまった。というのが半月城さんの意見です。
もし、申景濬に史書改竄の意図が無ければ、「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地」「而考龍福供述」「于山則倭所謂松島也」としたでしょう。1756年に知っていた手法を1770年に使わなかったという事実は、改竄の意図があったと判断せざるをえません。
尚、この問題が解決した場合でも、この按記が挿入された場所の問題は残ります。
これは メッセージ 16501 (take_8591 さん)への返信です.
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