re4)決着への道程
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/05/01 06:35 投稿番号: [16517 / 18519]
先の太守が、竹島の事で、貴国に両度使者を遣わした。
しかし、その仕事が未了の内に不幸にして早世したので、使者を召還した。
不日に上京し(将軍の)謁を得た。この時、竹島の地状と方向を問われた。
具体的事実に依拠して答えた。
本邦からの距離が甚だしく遠く、貴国からの距離は到って近い。
恐らくは、両国人をこのまま放置すれば、潜通・私市等の弊害が必ずある。
即座に令を下し、永久に入住・漁採を許さない様にした。
それ隙は細美において生ずる。禍患は下賎において興る。これが古今の通病である。
預かじめ定めておくが安らかと考える。之を以って100年の友好とする。
偏った欲を篤くして、小さな島に拘らないことが、両国にとって美事である
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この文意解釈を、竹島記事に拠ると次の様になります。
●不日に上京し(将軍の)謁を得た。
この「不日」とは、1695年10月6日と思われます。
この時、対馬藩主は江戸入りしましたが、日本領有派を同行せず、朝鮮領有派のみを同行させました。これが対馬藩主の最終決定であり、竹島一件を決定させたと言えます。
●本邦からの距離が甚だしく遠く、貴国からの距離は到って近い。
対馬藩朝鮮領有派の主張は、「鬱陵島は輿地勝覧に載っているという朝鮮の主張を無視するやり方は、不義とまでは言えないとしても、とても忠功とは言えない」というものでした。これは、観念論に過ぎませんが、綱吉の好みそうな言葉であり、次の論理と表裏一体を為します。
●恐らくは、両国人をこのまま放置すれば、潜通・私市等の弊害が必ずある。
老中阿部は、「多田の4ヶ条に理があるから、領有問題を曖昧にしたままで、日本の渡海はこれまでどおりとしてはどうか。」という折衷案を出しました。しかし、対馬藩は、「そんなことをしたら、密輸事件が起こり、私市が立ち、大変なことになります。」と返答しました。朝鮮から「鬱陵島に渡海させない」との言質が取れない限り、鎖国令の国是が守れなくなるので、折衷案は存在しないというものです。
●偏った欲を篤くして、小さな島に拘らないことが、両国にとって美事である
史料は何もありませんが、これは上記議論を重ねた上での老中阿部の発言ではないかと推理します。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_00/index.data/siryo2.pdf
老中阿部は、竹島渡海禁止を決定し、その為の事務手続きに入りました。
それは、改めて、竹島が鳥取藩の領地であるか否かを問うものでした(1695-12-24)。対して、鳥取藩は自藩領ではないと答えました(1695-12-25)。この回答で、幕閣はフリーハンドを確認して、竹島渡海禁止を決定します(1696-01-28)。
仮に、老中阿部が竹島を鳥取藩の領地と考えていたのであれば、訴えから2年半経過した時に、この様なピント外れな質問を発することはあり得ません。鳥取藩が紛争当事者であれば、その意思を仔細に聴取しなければ幕藩体制が成り立たないのは、鎌倉時代からの原則です。即ち、老中阿部が竹島を天領と考えていた事、紛争当事者は徳川家と考えていた事に間違いありません。
竹島の書付は、幕府決定の要素ではなく、幕府決定後の実行手続きの一つに過ぎないものです。
しかし、その仕事が未了の内に不幸にして早世したので、使者を召還した。
不日に上京し(将軍の)謁を得た。この時、竹島の地状と方向を問われた。
具体的事実に依拠して答えた。
本邦からの距離が甚だしく遠く、貴国からの距離は到って近い。
恐らくは、両国人をこのまま放置すれば、潜通・私市等の弊害が必ずある。
即座に令を下し、永久に入住・漁採を許さない様にした。
それ隙は細美において生ずる。禍患は下賎において興る。これが古今の通病である。
預かじめ定めておくが安らかと考える。之を以って100年の友好とする。
偏った欲を篤くして、小さな島に拘らないことが、両国にとって美事である
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この文意解釈を、竹島記事に拠ると次の様になります。
●不日に上京し(将軍の)謁を得た。
この「不日」とは、1695年10月6日と思われます。
この時、対馬藩主は江戸入りしましたが、日本領有派を同行せず、朝鮮領有派のみを同行させました。これが対馬藩主の最終決定であり、竹島一件を決定させたと言えます。
●本邦からの距離が甚だしく遠く、貴国からの距離は到って近い。
対馬藩朝鮮領有派の主張は、「鬱陵島は輿地勝覧に載っているという朝鮮の主張を無視するやり方は、不義とまでは言えないとしても、とても忠功とは言えない」というものでした。これは、観念論に過ぎませんが、綱吉の好みそうな言葉であり、次の論理と表裏一体を為します。
●恐らくは、両国人をこのまま放置すれば、潜通・私市等の弊害が必ずある。
老中阿部は、「多田の4ヶ条に理があるから、領有問題を曖昧にしたままで、日本の渡海はこれまでどおりとしてはどうか。」という折衷案を出しました。しかし、対馬藩は、「そんなことをしたら、密輸事件が起こり、私市が立ち、大変なことになります。」と返答しました。朝鮮から「鬱陵島に渡海させない」との言質が取れない限り、鎖国令の国是が守れなくなるので、折衷案は存在しないというものです。
●偏った欲を篤くして、小さな島に拘らないことが、両国にとって美事である
史料は何もありませんが、これは上記議論を重ねた上での老中阿部の発言ではないかと推理します。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_00/index.data/siryo2.pdf
老中阿部は、竹島渡海禁止を決定し、その為の事務手続きに入りました。
それは、改めて、竹島が鳥取藩の領地であるか否かを問うものでした(1695-12-24)。対して、鳥取藩は自藩領ではないと答えました(1695-12-25)。この回答で、幕閣はフリーハンドを確認して、竹島渡海禁止を決定します(1696-01-28)。
仮に、老中阿部が竹島を鳥取藩の領地と考えていたのであれば、訴えから2年半経過した時に、この様なピント外れな質問を発することはあり得ません。鳥取藩が紛争当事者であれば、その意思を仔細に聴取しなければ幕藩体制が成り立たないのは、鎌倉時代からの原則です。即ち、老中阿部が竹島を天領と考えていた事、紛争当事者は徳川家と考えていた事に間違いありません。
竹島の書付は、幕府決定の要素ではなく、幕府決定後の実行手続きの一つに過ぎないものです。
これは メッセージ 16497 (take_8591 さん)への返信です.
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