re4)天保の渡海禁止令
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/05/01 07:01 投稿番号: [16518 / 18519]
1812年、「松竹二島ノ間ニ出デ*1)」北海道に行き、択捉島の漁場視察のため国後島近海に居た高田屋嘉兵衛の商船がロシア船に拉致されました。
1836年に会津屋八右衛門事件が起こり、「右最寄松島へ渡海之名目を以て竹島え渡り」と松島渡海が禁止されていないことが確認されます。1837年に、竹島渡海禁止令が再布告されます。
---- -半月城さん ---- -[ No.15609 ] ---------------------- -
1.今般、松平周防守の元の領地である石州の浜田松原浦にいた住所不定の八右衛門が竹島(欝陵島)へ渡海した一件、吟味のうえ、右の八右衛門その他はそれぞれ厳罰に処された。
右の島は、昔は伯耆・米子の者たちが渡海して漁労などをしたが、元禄期に朝鮮の国へお渡しになった時から渡海停止が仰せつけられた場所である。すべて異国へ渡海することは重いご禁制である。今後、右の島のことも同様に心得て渡海してはならない。
もちろん、国々の廻船などは海上で異国船に出合わないように乗り筋などを心がける旨を先年も触れたとおりであるが、いよいよ守り、以後はなるべく遠い沖へ出ないように乗り回すことを申しつける。
・・・・・ (天保8年)2月
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この触書は次の2点を告知しています。
1 竹島は朝鮮領であるから、今後は竹島渡海に鎖国令の適用がある。
2 先年の触書を、いよいよ守るべきこと。
この2項の「先年の触書」ですが、高田屋嘉兵衛拉致事件の頃でしょうか、それとも、1825年の異国船打払令の頃に出されたのでしょうか。何れにせよ、竹島領有権問題とは関係なく出された触書の再確認の意味を持ちます。
ところが、内藤正中氏は、「竹島渡海はもちろん、『遠い沖合い至らざる様』と遠い沖合いでの航海についても注意を喚起して、浦方村町ともに漏れなく周知徹底を図るように厳命したのである。元禄期につづく2回目の竹島渡海禁止令であった。竹島はいけないが松島は許されると解釈できるようなものではなかったはずである。*2)」と述べます。
この様に書くと、元禄期に竹島を朝鮮に渡し、天保期に松島を朝鮮に渡したと言うことになります。事実、内藤氏はこの認識で論を展開しています。
しかし、上記触書をどの様に読んでも、2項が領土問題を告知しているとは読めません。
(*1) 1827(文政10)年、中川顕允『石見外記』 高田屋嘉兵衛の商船が「松竹二島ノ間ニ出デ」と記述
(*2) 史的検証竹島 2007-04-26 岩波書店発行
1836年に会津屋八右衛門事件が起こり、「右最寄松島へ渡海之名目を以て竹島え渡り」と松島渡海が禁止されていないことが確認されます。1837年に、竹島渡海禁止令が再布告されます。
---- -半月城さん ---- -[ No.15609 ] ---------------------- -
1.今般、松平周防守の元の領地である石州の浜田松原浦にいた住所不定の八右衛門が竹島(欝陵島)へ渡海した一件、吟味のうえ、右の八右衛門その他はそれぞれ厳罰に処された。
右の島は、昔は伯耆・米子の者たちが渡海して漁労などをしたが、元禄期に朝鮮の国へお渡しになった時から渡海停止が仰せつけられた場所である。すべて異国へ渡海することは重いご禁制である。今後、右の島のことも同様に心得て渡海してはならない。
もちろん、国々の廻船などは海上で異国船に出合わないように乗り筋などを心がける旨を先年も触れたとおりであるが、いよいよ守り、以後はなるべく遠い沖へ出ないように乗り回すことを申しつける。
・・・・・ (天保8年)2月
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この触書は次の2点を告知しています。
1 竹島は朝鮮領であるから、今後は竹島渡海に鎖国令の適用がある。
2 先年の触書を、いよいよ守るべきこと。
この2項の「先年の触書」ですが、高田屋嘉兵衛拉致事件の頃でしょうか、それとも、1825年の異国船打払令の頃に出されたのでしょうか。何れにせよ、竹島領有権問題とは関係なく出された触書の再確認の意味を持ちます。
ところが、内藤正中氏は、「竹島渡海はもちろん、『遠い沖合い至らざる様』と遠い沖合いでの航海についても注意を喚起して、浦方村町ともに漏れなく周知徹底を図るように厳命したのである。元禄期につづく2回目の竹島渡海禁止令であった。竹島はいけないが松島は許されると解釈できるようなものではなかったはずである。*2)」と述べます。
この様に書くと、元禄期に竹島を朝鮮に渡し、天保期に松島を朝鮮に渡したと言うことになります。事実、内藤氏はこの認識で論を展開しています。
しかし、上記触書をどの様に読んでも、2項が領土問題を告知しているとは読めません。
(*1) 1827(文政10)年、中川顕允『石見外記』 高田屋嘉兵衛の商船が「松竹二島ノ間ニ出デ」と記述
(*2) 史的検証竹島 2007-04-26 岩波書店発行
これは メッセージ 16499 (take_8591 さん)への返信です.
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