竹島
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Re: 規式について
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/02/01 14:03 投稿番号: [16200 / 18519]
>ここに現代の領有権意識を思い切り照射させて、都合良く読もうとする。実に浅ましき限りとは思いませんか。
石島=于山島=独島なんて説は、戦後の説でしょうに、、
お互いに見えるなんて解釈もそうでしょ。
江戸時代には陸地から見えると書いてあるから鬱陵島は朝鮮領だとしたんでしょ?
天つば一丁!あいよ!って感じですね。
これは メッセージ 16199 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: 規式について
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/01 12:54 投稿番号: [16199 / 18519]
以前の続きです。
これは下条さんだけでなく、韓国の一部学者も引きずられているのかもしれませんが、現代の領有権と中世のそれは全く違うわけです。
中世の書物に書かれていることは、現代の領有権意識が全くないところで書かれたものですから、領有権云々とは本来関係ない話なんですね。
地誌には欝陵島と于山島の二島が、郡の正東海中にあると書いてある。そして、その二島が互いに見渡せると書いてある。陸地から見えるとはどこにも書いてない。
単にそれだけのことなのですが、ここに現代の領有権意識を思い切り照射させて、都合良く読もうとする。実に浅ましき限りとは思いませんか。
これは メッセージ 16163 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: hisatukai 投稿日時: 2008/02/01 12:54 投稿番号: [16198 / 18519]
>独島警備隊。
竹島と呼ばれる島は地球上に存在しない。
「竹島と呼ばれる島」は「島が竹島と呼ばれていること」を前提とした表現。
島が地球上に存在しないなら、お前は、島が竹島と呼ばれていることを何から知ったんだね。
文章の内容が矛盾しているね。
日本語の使い方を覚えてから投稿しようね、お馬鹿な朝鮮人君。
それともお前は、竹島が「月」にあるとでも思っているのかね、プッ!!!。
実は「月」にあるのが「独島」なんだよ、ギャハハハハハ!
これは メッセージ 16197 (suyongsaram さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: suyongsaram 投稿日時: 2008/02/01 12:17 投稿番号: [16197 / 18519]
これは メッセージ 16191 (takigawamasuuji さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/01 12:09 投稿番号: [16196 / 18519]
>そらあ、まじめな回答じゃないにしても現実認識が違うでしょ。
そうでしょうかね。
現に、痛いところを突かれて火病をおこしてる実例が二三現れているようですが。
到底まじめに取り組んでいるとは思えませんが。
これは メッセージ 16193 (husenoyaji さん)への返信です.
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やっぱりタコだ
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/01 12:06 投稿番号: [16195 / 18519]
はしたない。
これは メッセージ 16191 (takigawamasuuji さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/02/01 11:15 投稿番号: [16194 / 18519]
>そらあ、まじめな回答じゃないにしても現実認識が違うでしょ。
朝鮮人の考え方はいつも的外れで呆れる。
これは メッセージ 16193 (husenoyaji さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/02/01 11:07 投稿番号: [16193 / 18519]
>恐らく、韓国を困らせる外交カードにしたいとか、その程度のものでしょうね
そらあ、まじめな回答じゃないにしても現実認識が違うでしょ。
政府はせっかく形式的な抗議だけで我慢してやってるんだから、韓国人も日本人も騒ぐなよってところでしょ。
国民は、忘れていたのに見せびらかすんだから頭に来たというのが一般的感覚でしょ。
やり返したのあれだけですから見せびらかしたい気持ちは十分に理解できますけどね。
日本との分断をはかる左翼勢力の影響も相当あると思います。
これは メッセージ 16183 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: hisatukai 投稿日時: 2008/02/01 10:43 投稿番号: [16192 / 18519]
>日本人が行きたくもない島をくれてやる必要はないわな。
自国のものを、もらう必要など何処にあるのかね。
自国のものでもないものに、意味無く経費を掛け続けるお馬鹿な朝鮮人よ、プッ!!!
これは メッセージ 16190 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/02/01 09:43 投稿番号: [16191 / 18519]
>一体それのどこに尊重してやるべき尊厳があるのか。これが日本の現実。
おまえ、言ってて恥ずかしくないか?まさにお前の国がやってることに尊厳があるのか?恥ずかしい強盗まがいの真似しておいて。
はあ?何が尊厳だ?馬鹿か?貴様は?物事を語るなら根本を語れカス。まあ俺がこうやって書いてやっても物事の本質を見ずに、適当にはぐらかすだけだろうがな?お前ら朝鮮人は。
大体お前ら在日って馬鹿だよなあ。日本に住んでる限り、日本の利益はお前らの利益って気づかないんだからな。例えどんなに韓国が有利に働いて韓国に利益がどんだけ入ろうが、貴様らには何も得をしない。それがわかってんのか?お前たちは?
所詮貴様らは韓国と言う国に見捨てられた遺児なんだよ。笑わせんなよ?
『韓国の威信=弊害とギャグ』←インフォシークの翻訳が正しいってことを貴様自ら証明してくれるとはな?このカス民族が。地球から消えて無くなれ。
それから、
>日本人が行きたくもない島をくれてやる必要はないわな。
打ち殺すぞ?日本の領土を奪っておいてくれてやるだと?お前マジでブチ殺すぞ?この泥棒野郎。朝鮮人と見たら強盗と思えとはまさにこのことだな?
全くどういう神経をしていやがる?貴様は自分のものが取られて、その相手からくれてやるとか言われたらどう思うんだ?この精神異常者が
これは メッセージ 16190 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/02/01 09:31 投稿番号: [16190 / 18519]
日本人が行きたくもない島をくれてやる必要はないわな。
日本人であっても人間の尊厳は最大限尊重してやらねばならないが、hisatukai君が自白したように、ただ面白半分、なんでもいいから韓国を誹謗中傷したいだけというのが日本の実情だろう。
一体それのどこに尊重してやるべき尊厳があるのか。これが日本の現実。
これは メッセージ 16189 (hisatukai さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: hisatukai 投稿日時: 2008/02/01 08:55 投稿番号: [16189 / 18519]
>日本人は全員独島へ行きたいなどとは思っていませんよ。
恐らく、韓国を困らせる外交カードにしたいとか、その程度のものでしょうね。
紛争発生後の占拠は実行支配にはならない。
日本から「不法占拠」と抗議するだけでば韓国の占拠実績も無意味となる。
勿論日本人は行く必要などない、行きたくも無い。
一方、韓国は占拠経費のみ嵩み、その分経済は当然停滞する。
外交で困るどころか、自業自得で既に困りまくっている。
お馬鹿の極み、プッ!!!。
これは メッセージ 16183 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: タコ君大丈夫か
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/01/31 23:43 投稿番号: [16188 / 18519]
お前こそマジで大丈夫か?言葉が理解出来なくなるほどモウロクしたか?
相変わらずと言えば、相変わらずだが、都合のいい妄想してないで、現実を見ろ。
これは メッセージ 16187 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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タコ君大丈夫か
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/01/31 23:37 投稿番号: [16187 / 18519]
お大事に。
これは メッセージ 16186 (takigawamasuuji さん)への返信です.
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タコ君は実にわかりやすい
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/01/31 22:01 投稿番号: [16185 / 18519]
痛かったわけか。
これは メッセージ 16184 (takigawamasuuji さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2008/01/31 19:35 投稿番号: [16184 / 18519]
何だお前?まだそんな戯言言ってのか?お前、竹島を韓国以外で韓国領土だと認めた国をまだあげてなかったな?いつになったら答えるんだ?
いっつも適当にごまかしてたが、未だに変わらんようだな?その性格。
いい年したおっさんが、寝言言ってんじゃねえよ。
竹島を韓国領土だといいたいなら、前述に記載された緯度でも出してみろよ?まあ出せるわけないよな。無いんだからw
>恐らく、韓国を困らせる外交カードにしたいとか、その程度のものでしょうね。
↑お前はアホか?ま、だからそんなチンケな名前なんだろうけどな?日本の領土に対して無礼な態度をとっておいて、困らせる?
どっちがどっちを困らせてんだよ?ばーか
これは メッセージ 16183 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: 竹島実地検分の必要性
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/01/31 12:51 投稿番号: [16183 / 18519]
日本人は全員独島へ行きたいなどとは思っていませんよ。
恐らく、韓国を困らせる外交カードにしたいとか、その程度のものでしょうね。
これは メッセージ 16182 (tachstone さん)への返信です.
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竹島実地検分の必要性
投稿者: tachstone 投稿日時: 2008/01/31 11:58 投稿番号: [16182 / 18519]
竹島の現地を見ないで喋り捲っているから、どんな過激な発言も訴える力はない。竹島がそんなに二本領土だといいたければ一度竹島上陸をしてみることだ。ウルルン島から毎日二便の観光船が出ている。
東京から釜山まで飛行機、(福岡からだと船便がある)
釜山から浦項まで・・・高速バス(5600ウオン程度)・・1時間50分程度
項バスターミナルから浦項港まではかなりの距離があるので徒歩では無理?
市内バスは1000ウオン(所要時間30分ほど)、タクシーでは相乗りで5500ウオン(ただし相乗りなのでうまくいくと3500ウオン程度にはなる。つまり真っ先に乗れば必ず5500ウオン、定員最後の一人のとき乗れば値切って3500ウオン?)
浦項からウルルン島まで高速双胴船<2万トン級>(53000ウオン程度)
朝10:00発午後1:00着
ウルルン島から浦項まで
午後15;00発午後16;00着
7・8月は臨時便が出ている。船賃(45000ウオン程度)
椅子席なので少し疲れる。賢い乗客は新聞紙を敷いて通路に寝ている。
浦項からウルルン島まで
夜11;40発翌日6;00着
ウルルン島から浦項まで
到着日の朝10;00発16;00着
独島(竹島)観光船(35000ウオン:運賃表には45000ウオンと書かれていたが、なぜか35000ウオンだった)
7;30発12;00帰着
13;00発18;00帰着
*以上は2007年7月現在のもの
日本人といって乗り込んだだ、韓国人はなんとも思っていない。もっとも竹島上陸をして「日本の領土竹島万歳!」とやれば何らかの反応はあるかもしれない。
・ウルルン島の観光物産はイカ、昆布、ワカメなどの海産物、かぼちゃ飴、独島はわが国の土地だ!という文字入りのアンダーシャツ(これはお土産に一番いい?7000ウオン)
以下は港の屋台で焼いて売っている。焼き立てでないとおいしくない。一切れ2000ウオン。
山間地なので米がおいしいのではと思って店で聞いたら、ウルルン島産の米は売っていないということだった。ウルルン島では米はほとんど獲れない?
・宿泊料金は平均35000から45000ウオン。フェリーが着くと誘い込みのおばちゃんがわんさときている。あくどいことはまったくない。親切でやさしい。
食事なし
・島内観光
二社観光会社で出している。道が狭いのでマイクロバス型、費用は40000ウオン程度?
朝8;00発と午後13:00?発。一日二回。
船の予約は日本から可能。ただしパスポート番号などできちんと予約しておかないと効果はない。フェリーが大きいので飛込みでも乗りあぶれることはないのでは?
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Re: 『西溪雑録』と『臥遊録』の記事2
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/01/31 02:30 投稿番号: [16181 / 18519]
>>『西溪雑録』に対しyabutarou01さんは、「朴世堂ほどの人物が「鬱陵島から」見たという部分を省略してしまえば「寧海から」見たと読み手が解釈してしまうことに気付かないはずがありません。」と述べておられますが、『西溪雑録』は欝陵島の地誌ですから「寧海から」見たという部分を省略してしまえば、「欝陵島から」見たと読み手は解釈するでしょう。
ararenotomoさんの主張どおり主語を省略すれば「欝陵島から」見たと読み手は解釈するのであれば後ろの「欝陵稍峻風浪息則尋常可見」も主語が省略されている以上「欝陵島から」見たと解釈せざるをえなくなってしいます。
しかしそれでは文意がおかしくなってしまうのは明らかですから、主語が省略されていれば「欝陵島から」と読み手は解釈すると朴世堂が考えていたはずはありません。
ararenotomoさんは「欝陵稍峻風浪息則尋常可見」を海上から見た、または寧海から見たと解釈されているようです。
しかし主語が省略されていれば読み手が「海上から見た」と解釈するであろうと朴世堂が考えていたと判断できる根拠はなにもありません。
またもし「欝陵稍峻風浪息則尋常可見」が主語が省略されているにもかかわらず「寧海から見た」と解釈することが可能であるならば、前の文章「于山島勢卑不因海氣極芿朗不登最高頂則不可見」を「寧海から見た」と解釈することに躊躇すべき理由はなにもないはずです。
>>『西溪雑録』『臥遊録』の欝陵島記事は非常に優れた欝陵島の地誌です。しかしその中には、当然のことですが、曖昧な表現の文章があります。そのような文章は、各人が自己の所説に、それぞれ適合するように解釈すれば良いのではないかと思います。
>>古い時代の地誌は、情報の量は少なく信頼性も乏しいですが、「文章をそのままに理解すれば」かなりの情報は得られます。それに基づいて、私は主観に過ぎない解釈を試みてゆきたいと思っております。
竹島問題についての議論は日韓双方が相手方は自らの立場に都合のよい我田引水の主張をしているのではないかと考え、疑心暗鬼に陥ってしまっています。
そうである以上日韓双方が濡れ雑巾を捻り絞るがごとく、一滴の主観も残さないような客観的な研究態度で事にあたらなければこの問題は解決できないのではないでしょうか。
竹島問題が解決出来なければ真の日韓友好は実現出来るはずもありません。
もとより私もいくら客観的に研究したところで意見が完全に一致できるとは思っていません。
しかしそれによって相手方に誠意を伝えるくらいのことは出来るのではないでしょうか。
お互いに誠意が伝わったならば何かよい解決方法が見つかるのではないかと私は期待しています。
いわゆるパンドラの箱を開けた時に最後に残った希望のようなものです。
韓国では本気で喧嘩した相手としか真の友情関係を築けない、とはよく語られる話ではないですか。
ararenotomoさんもその知性と教養と情熱を日韓友好のために役に立つ方向で活用してはいただけないものでしょうか。
これは メッセージ 16180 (yabutarou01 さん)への返信です.
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Re: 『西溪雑録』と『臥遊録』の記事1
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/01/31 02:22 投稿番号: [16180 / 18519]
ararenotomoさん
遅くなりましたが回答いたします。
私は基本的にメッセージ 16127 のですでに結論が出ていると考えます。
メッセージ 16127 で私が使ったのは文章がいかに記述されたかその記述のされ方そのものから文意を読み取る、解釈する立場の人間の私情の混じる余地の少ない大変客観的な史料批判方法です。
ararenotomoさんがこの説明で納得していただけないのは残念ですし、私が自分の都合のよいような解釈をしているとお考えならば悲しくさえあります。。
『臥遊録』にはこの『欝陵島』の記事以外に『蔚陵島説』と題された記事があります。
「鵝溪蔚陵島在東海之中距海濱不知其幾百里也毎秋冬之交陰曀捲盡海氣澄朗則自嶺東望之如一后蒼烟撗抹於水天之間獨眞珠府與此島最爲相對故行人之登召公臺者或見其林木岡巒之狀了了然可辨以此知不甚遠也箕城人嘗言麋鹿蘆竹往往浮出於沙渚之間禽鳥之不知名者亦翩翩渡海而來及至海濱」
『臥遊録』の『蔚陵島説』
http://yoksa.aks.ac.kr/jsp/aa/VolView.jsp?aa10no=kh2_je_a_vsu_24513_00
9&aa15no=009&aa20no=24513_009_0027『臥遊録』の『欝陵島』
http://yoksa.aks.ac.kr/jsp/aa/VolView.jsp?aa10no=kh2_je_a_vsu_24513_00
9&aa15no=009&aa20no=24513_009_0038「嶺東(=江原道の東側)から欝陵島を望むと蒼烟の如くであり、眞珠府(三陟)とこの島が最も対峙している(=最も近い?)故に召公臺(三陟にある高台の地名)に登ると木が生えているのがはっきりとわかるのでそれほど離れていないと判断できる」とあります。
この文章は規式のとおり朝鮮半島から見た欝陵島について記述しています。それに朝鮮半島から欝陵島を見ると木が見えると書かれています。もちろん見えるはずはありませんが当時は見えると信じられていたのは明らかです。
さらにいわゆる竹島一件が起きたときに朝鮮の役人は日本側の使者に対してこのように述べて欝陵島が朝鮮領であることを主張しました。
「本島峰巒樹木自陸地歴々望見而凡其山川紆曲地形濶狭民居遺址土物所産倶戴於我国輿地勝覧書歴代相伝事跡昭然」
『粛宗実録』20年8月13日/『通航一覧』巻137
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/takeshima-3.html「欝陵島の峰巒樹木は陸地(朝鮮半島)よりはっきりと見えると『輿地勝覧』に書いてある(ゆえに欝陵島はわが国の地である)」とあります。
この文章は『輿地勝覧』の記述を朝鮮半島から鬱陵島を見ると木が見えると解釈しているのが明らかですよね。
ararenotomoさんは朝鮮半島から樹木が見えないので『新筯東國輿地勝覧』の「三峰岌ゲフタウ空南峯稍卑風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見」そして『西溪雑録』『臥遊録』の「登高望之三峰岌嶪撑空而南峰稍低日初出時風恬浪靜則衆峰攢逭岩壑呈露沙汀樹木歷歷可指」は朝鮮半島から見たものであるはずはない、したがって規式のルールは適用されていないとお考えのようです。
しかし朴世堂が生きたまさにその時期に書かれた『臥遊録』の『蔚陵島説』や『粛宗実録』の記事を考慮すれば朴世堂もまた朝鮮半島から鬱陵島を見ると木が見えると誤解していたと理解しなければむしろ不自然ではないでしょうか。
朴世堂に本当に朝鮮半島から鬱陵島の木が見えるのかどうか検証する手段があったとは思えません。
当時朝鮮半島から鬱陵島の木が見えるという情報があったのであればそれをそのまま信じるよりほかになかったのではないでしょうか。
人はだれでもその人が生きた時代の認識の限界から自由になることができません。
天動説を信じていたプトレマイオスが地動説を信じている現在の日本の高校生よりもおばかさんであるというわけではないのですよ。
>>許穆(1595〜1682)の『陟州誌』(1662)欝陵島記事には「欝陵或曰羽陵海中三峰岌ゲフ(山の下に業)南峯差卑海晴則山木森然可望山下皆白沙風便一日可渡云」と書かれています。ここでは「海晴則」とあり、近くの海上から見た欝陵島の景観の描写と思います。
朝鮮半島から欝陵島を見る時その間にある海が晴れていなければ見えないのは当然ではないでしょうか。
『陟州誌』の「海晴則」は『臥遊録』・『蔚陵島説』の「海氣澄朗則」と同じ表現であると
これは メッセージ 16155 (ararenotomo さん)への返信です.
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Re: 『地理志』二島を本土から見ていない
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/01/30 10:40 投稿番号: [16179 / 18519]
ararenotomoさん、こんにちは、
>「相」を使ったと思います。
思うのは自由ですが、積極的根拠は陸地をが省かれているというだけですよね。
相去るというだけで、距離をしめすのではないですか。
私は、世宗実録と、東國輿地勝覧をワンセットで考えています。
なぜなら、AHOさんにご教示いただいたところでは、編者が同一人物なんです。
三峯島探検のあとに、いわば決定打として、出たのが東國輿地勝覧なんです。
相を二島がお互いだとすると、東國輿地勝覧では海上からだとするのは矛盾です。
同じ編者なんですから、より詳しく書いたと考えるのが当然です。
そして、お互いに遠くないと記してしまうと、大島と八丈島は遠くないというようなもので、
可能性がなくはないですが、そう読まなければならない必然性がないです。
ところが、こんどは、それなら本土からなら遠くないのかって話しになります。
本土と鬱陵島の間はもっとも遠い土地と土地の間隔ですので。
だから、二島間だとすると直近にあるとしか想像できないのです。
二日可到も、本土でなくお互いだと考えるのですか?
そこまで二島関係に執着する必要があるのは現代韓国人だけだと思いますが。
さらに、鬱陵島から于山島が見えるかどうかなんてことは、書く意味がないです。
正式には住人がいるわけでもなく、しかも高いところからまれにしか見えないのですから。
本土からの距離を書く必要がないなら、なおさらそんな必要はないでしょう。
すべて、現在の観点からの投影と言うべきでしょう。
総合すると、当時は遠いという観念が相当はばのあるもので、本土から見える程度だからそう遠くないと考えるのが妥当です。
>強く印象に残ったので、記されたものと思います。
接近した海上から強く印象にのこるのは、まず断崖絶壁です。
それを書かずに、樹木や渚のことを書くのは、変ですね。
天気が晴れていれば、梢まできれいに見えるというのですから、
それほど近い距離にあると解釈するのが妥当です。
これも二島関係だとすると、なぜそこまで書く必要あるのかは疑問ですし、
本土からの記述だとするとあり得ないし、私が言う矛盾でもあります。決定打がないですね。
重要なことは、東國輿地勝覧では二島の名前をあげても、于山島についてはなにも説明がないまま、一島説に行っています。
結局はっきりしたことはわからない状況で、人聞きの情報が錯綜したのではないかと考える以外に
ないですね。
なんにしても、これらの書籍を読んで地図を書いた人は、直近に書いているのです。
素直によめばそういうことだという、当時の方々の証言ですよ。
私の想像は、古代の于山島は鬱陵島のことだが、行ってみると別の島が直近にあるので、
これに比定して于山島をあてたのだと思います。
獨島を見て于山島だと考えた人も居る可能性はありますが、普通は見えませんので、近傍の島を
比定してしまったのだと考えます。
確実に言えることは、古代の于山島が獨島である合理性はないこと、東國輿地勝覧の于山島が
獨島のことだとしても、相当の解釈が必要であり、確定した証拠にはならないということです。
これは メッセージ 16162 (ararenotomo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16179.html
見たことのない史料
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/28 23:52 投稿番号: [16178 / 18519]
竹島を「石島」という名前で韓国の領土として明確に定めたという大韓帝国勅令第41号。その勅令が掲載された官報第1716号(1900年10月27日)はネット上で見ることができますが、その勅令を定める際の伺い原議は見ませんね。
伺い文には「石島」の説明は何か書いてないのでしょうか。かつては于山島と呼ばれていた島だとか。それとも伺い文は存在しないのでしょうか。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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日ネチズン '竹島' 積極広報
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/01/28 22:38 投稿番号: [16177 / 18519]
日ネチズン '竹島' 積極広報
連合ニュース|記事入力 2008-01-28 10:45
Googleなど検索サイトで拡散
(ソウル=連合ニュース) ワングギルファン記者 = 日本ネチズンたちが '竹島'(韓国名前独島)' 広報に積極出ている.
28日サイバー外交使節団であるバンクによれば日本のネチズンたちは '2008 竹島プロジェクト'というイルムウィサイト(sakurasakurasakura3.blog53.fc2.com/blog-entry-342.html)を通じて連帯して独島を '竹島'と組織的に広報している.
このサイトはブルロゴとサイト管理者に独島を '竹島'と主張する文と写真,動画などを載せることと英文サイトの独島領有権を問うアンケートに同参することを要求しているし,これを再び島根(島根)現の竹島多国語広報ホームページ(dokdo-or-takeshima.blogspot.com)とリンクすることを申し入れている.
現在このサイトには 100余個以上のブルロゴ及びサイト管理者が同参して活動の中だ.
朴奇態バンク団長は "それにこのサイトはブルロゴドルに韓国を嫌悪する内容で日本右翼たちが使った 'ヒョム(嫌)寒流' 図書を購入するように関連サイトにリンクを誘導していて問題が深刻だ"と言った.
朴団長は "海外検索サイトであるGoogle(www.google.com)で '2008年竹島'を入力すればこの運動に同参する日本サイトたちが急速に拡散していることを易しく確認することができる"と "これに対立してバンクは国内外の親しいブルロゴドルをネットワーキングして独島と高句麗及び親(親)寒流を全世界に拡散させるブルロゴハーブサイトを構築,本格的に広報キャンペーンに取り掛かる計画"と明らかにした.
連合ニュース
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0001939784
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 全ては!
投稿者: toyopon40 投稿日時: 2008/01/28 09:06 投稿番号: [16176 / 18519]
島根県知事の、認識の間違いから起きた発言で、韓国は日本の、領土と思われる
発言で、とんでもない勘違いだ!!
これは メッセージ 16175 (take_8591 さん)への返信です.
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識者の「外一島」認識
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/01/26 22:47 投稿番号: [16175 / 18519]
以下に、半月城さんの(No.16167)に続けて、最終報告書156頁以降を引用します。
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No.16167
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学者たちの見解は、次のようにほとんど「外一島」を松島(竹島=独島)とみました。
1.堀和生教授、「外一島」は松島(竹島=独島)(注1)。
2.塚本孝氏、「外一島」は松島(竹島=独島)(注2)。
3.内藤正中教授、「外一島」は松島(竹島=独島)(注3)。
4.舩杉力修教授、「外一島」は松島(竹島=独島)?(注4)。
一連の文書で現在の独島を日本領でないと規定
5.下條正男教授、毎年のように見解が変わり定見がない。
ちなみに下條氏の「外一島」に関する変説の遍歴は下記のとおりです(注5)。
2004、5年、「外一島」は竹島=独島かどうか不明。
2006年、
「外一島」は現在の竹島=独島とみられる。
2007年3月、島根県のいう「外一島」は「磯竹島略図」の松島、すなわち竹島=独島。
太政官のいう「外一島」は欝陵島。
2007年9月、島根県のいう「外一島」は欝陵島。
学者以外では『日本海と竹島』を出版した(医)厚生医学会理事長の大西俊輝氏が「竹島外一島」を竹島(アルゴノート島、武陵島)、松島(ダジュレー島、于山島)としました。アルゴノートは架空の島、ダジュレー島は欝陵島を指します。
(注1)堀和生「1905年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987,P103
(注2)塚本孝「竹島領有権の経緯」『調査と情報』第244号、1994年、P4
(注3)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版、2000、P131
(注4)舩杉力修『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』2007、P156
「磯竹島略図」の解釈についてであるが、以下のことが指摘できる。
①
一連の文書では竹島外一島は日本領でないと書いてあるが、現在の竹島が朝鮮領であるとは書かれていない。現在の独島を韓国領であると日本政府が認めたという解釈は明らかに間違っている。日本領でないと規定しただけである。・・・」
----------------------------------------------------
②
・・・明治初期における日本政府の竹島松島に対する地理的認識について考慮する必要がある。・・・
③
・・・明治初期における日本政府の地理的認識は、地図の分析から、竹島はアルゴノート島、松島はダジュレー島(鬱陵島)であったと考えるのが妥当であり、いわゆる「外一島」が現在の竹島を指していたかどうかは極めて疑わしいといえる。・・・
----------------------------------------------------
島根県「竹島問題研究会」最終報告書の冒頭文に、次のとおりです。
----------------------------------------------------
2006年11月上旬、鬱陵島の現地調査を通じ、鬱陵島に対する日韓双方の地理的認識の違いを明らかにすると共に、文献批判に基づいて次の点を確認した。
①
太政官指令の「竹島外一島、本邦之関係なし」の中には、現在の竹島は含まれていない。
----------------------------------------------------
この事から、島根県「竹島問題研究会」は、「松島=ダジュレー島」を確認したと認められます。下條氏と船杉氏ではその認識強度に違いがあるかも知れません。そして、最終報告書には「塚本孝」の名前があります。この方が(注2)の塚本孝氏であるならば、塚本氏も又消極的にせよ「松島=ダジュレー島」の確認に加わったと認められます。
これで、半月城さんの揚げた6人の識者の内4人までが、「松島=ダジュレー島」説に賛同したことになります。
内藤氏は、(No.16137)で示したように「松島=ダジュレー島」説に賛同しているようにも見受けられます。但し、この説を唱える下條氏の質問に「答えに窮した」状態を脱却した後に発表される論文を待って判断する必要があります。
堀氏の論文は20年前のものですから、その持論を維持しているか否か不明です。
識者たちの見解は、以上のようにほとんど「外一島」を松島(竹島=独島)とみていません。
これは メッセージ 16165 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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固有領土論ってなに?
投稿者: take_8591 投稿日時: 2008/01/26 22:42 投稿番号: [16174 / 18519]
外務省のHPを、「日本国は、17世紀の中ごろ竹島の領有を開始し、その後半世紀の間、大谷村川両家に排他的使用を認めていた。1905年『他国において之を占領したりと認むべき形跡なく』と判断した日本国は竹島を自国領に編入した。同島を不法に占拠する韓国側からは、1905年以前に、韓国が実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていない。」と理解しています。
この理解に立つと、仮に18・19世紀に日本が版図外(公海上の岩石)と認めていたとしても、1905年の領土編入が無効になることはありません。又、カイロ宣言の「暴力及貪欲に依り日本国の略取したる」領土に該当することもありません。
外務省は半世紀以上にわたって「竹島は日本の固有領土」と言いつづけてきたので、明治政府が竹島=独島を日本領外としたとなれば、同省の「固有領土」の主張が根本から覆る(No.16166)。と主張する方がいます。
この方は、何を言われているのでしょうか。
一度でも版図外と認めた領土は、将来に渡って「我が国固有の領土です」と宣言できない、何らかの理由があるのでしょうか。
例えば、竹薮に捨てた財布が3日後にその場所にあれば、「我固有の財布なり」と宣言して何の問題も起こらないはずです。
すると、「韓国が実効的に支配していたことを示す明確な根拠はない」と考える外務省が、「太政官指令書の存在は知っている」が、この指令書は領土問題とは関係がない。緊急性が低い「歴史的な事実などに対しては現在調査、分析中で、現時点では日本政府の立場でコメントできない。」という返答をするのは当たり前といえます。
これは メッセージ 16165 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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半月城さんへ安龍福に関する質問
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2008/01/26 04:57 投稿番号: [16173 / 18519]
>>
また、彼女は「彼(安龍福)が見たのは竹島ではない」としていますが、これも誤りです。彼を拉致した大谷家は竹島(欝陵島)へ往復する際に松島(竹島=独島)を航路の目印にしており、あるいはそこで若干の漁をしていたので、安龍福を拉致した際にも松島へ寄ったと考えられます。
さらに、安龍福自身も帰国後にそのような趣旨の供述をしました(注6)。したがって、安龍福は拉致される途中で竹島=独島を実際に見たようです。国会図書館の塚本孝氏もそのように解釈しました(注2)。
安龍福は1693年に最初に日本に連れてこられて朝鮮に戻される途中、対馬藩の取調べに次のように供述しています。(『竹島紀事』より引用)
「この度参候島より北東に当たり大きなる島これあり候、彼の地逗留の内、ようやく二度、それを見申し候、彼島を存知たるもの申し候は、于山島と申し候通り申し聞き候、終に参りたる事これ無く候。大方路法一日路余もこれ有るべく候」
「今回出かけた島の北東に当り大きな島がある、その地に逗留した間に二度見えた、その島を存じている者がいうには于山島というと聞いている、ついに行ったことはないが、大体一日の道のりに見えた。」
安龍福は于山島にはついに行ったことがないと主張しています。
一方で半月城さんは安龍福を拉致した際にも松島=竹島=独島へ寄ったと主張されています。
この両方の主張が正しいのであれば少なくとも対馬藩の取調べの時点では安龍福は竹島=独島を于山島であるとは認識していなかったということになるのではないでしょうか。
内藤正中氏は1692年に村川家の船が鬱陵島に行った時、島にいた安龍福が「鬱陵島より北方にある島へ国主用の鮑取りに来たが難風に遭ってこの島に漂着した。」と語ったと主張されています。
半月城さんはこの「鬱陵島より北方にある島」も竹島=独島であるとお考えでしょうか。
これは メッセージ 16169 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: 大佛次郎論壇賞。あほらし
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/01/26 00:20 投稿番号: [16172 / 18519]
あほらしいの一言ですね。
>まず基本的なことですが、島根県が明治政府に問い合わせたのは「鬱陵島の所有権」ではなく、「竹島外一島」の「地籍編纂」処理に関してでした。
半月城さんの面目躍如です。こういうことしか論じられない方ですから。
>朴裕河氏は、この「外一島」は「鬱陵島の横にある小さな島」すなわち竹嶼(韓国名、竹島)であると「日本側」が主張していると理解しているようです。
これで正しいのですよ。1880年の軍艦天城の調査で、どの島が竹島・松島に比定られているかを見れば済むこと。あるいは、その後の太政官の文書も同様。
つまらない話です。
これは メッセージ 16165 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: 大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議
投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2008/01/25 23:59 投稿番号: [16171 / 18519]
日本側の主張さえ正確にしらないという趣旨はよくわかりました。
しかし、第三者を批判したいなら。ご自分のホームページでやって欲しいと思います。
皆さん、そういうふうにしてそれを宣伝されるだけで、ここでとうとうと書き連ねる人はいませんよ。
それはさておき、
>また、彼女は「彼(安龍福)が見たのは竹島ではない」としていますが、これも誤りです。
断定するのはどうでしょうねえ。
彼の竹島に関しての叙述は、当てはまらないもののほうが多いのですよ。
仮に獨島を実際にみて、それが于山島だと彼が思ったとしても、、、、、
思うのは勝手ですが、于山島は獨島じゃないんだからしょうがないです。
古代の記録では于山島には人が住んでおり、わざわざ船団をしたてて服属させなければならないほどなのですから、獨島ではあり得ません。
獨島なら鬱陵島だけ支配してれば干上がります。
当時の朝鮮人知識人は、于山島が鬱陵島の直近だと思っていたことは紛れもない事実です。
これは メッセージ 16169 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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Re: 大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2008/01/25 23:24 投稿番号: [16170 / 18519]
これは メッセージ 16166 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議5
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/25 21:08 投稿番号: [16169 / 18519]
また、彼女は「彼(安龍福)が見たのは竹島ではない」としていますが、これも誤りです。彼を拉致した大谷家は竹島(欝陵島)へ往復する際に松島(竹島=独島)を航路の目印にしており、あるいはそこで若干の漁をしていたので、安龍福を拉致した際にも松島へ寄ったと考えられます。
さらに、安龍福自身も帰国後にそのような趣旨の供述をしました(注6)。したがって、安龍福は拉致される途中で竹島=独島を実際に見たようです。国会図書館の塚本孝氏もそのように解釈しました(注2)。
そのような体験があったので、1696年にみずからの足で日本へ来たときに、竹島・松島を書き入れた「八道の図」をわざわざ持参し、隠岐の役人に松島は子山島であり、朝鮮の江原道にあると訴えることが可能だったようです(注7)。その時に竹島と松島の間は50里と語っているので、安龍福の語る松島は竹島=独島であることは疑いの余地がありません。
3.おわりに
上記以外にも朴裕河氏の誤認は『和解のために』の随所に見られます。それらをすべて指摘すると長くなりすぎるのでこの辺で切りあげますが、朴裕河氏は数多くの誤認をもとに、砂上の楼閣のような独島論を築きあげたようです。
その挙句、彼女はこう提案しました。
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独島をどちらか一方が占めつつ さらに数十年、あるいはもっと後の世代にまで不和の火種を遺すよりは、互いに歩み寄り共有することのほうがはるかに勝ることだろう。
かくして独島が韓日間の平和を象徴する「平和の島」になりうるとしたら、その日は韓日両国がまことの和解へと向かう道に、かつてない大きな一歩を踏み出す日となるに違いない。
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朴裕河氏が竹島=独島問題に関して正しい歴史認識をもっているのならまだしも、彼女自身も認める「乱暴」な論説の締めくくりとして竹島=独島の日韓「共有」を提案したのでは、彼女に率直に耳を傾ける人は少なくとも韓国ではほとんどいないことでしょう。
かくも「乱暴」な論説が受賞するなんて、大佛次郎論壇賞の名が泣くのではないでしょうか。ちなみに、同賞の趣旨はこう書かれました。
「論壇賞は21世紀の幕開けを機に、日本の政治・経済・社会・文化・国際関係等をめぐる優れた論考を顕彰すべく設けられました」
誤謬の多い『和解のために』は、日韓両国の「和解」に寄与するどころか、韓国人の憤激を買い、かえって対立を煽りたてることになると憂慮されます。まず問われるべきは、日韓の歴史認識問題ではなく、彼女自身の歴史認識問題であるようです。
(注1)堀和生「1905年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987,P103
(注2)塚本孝「竹島領有権の経緯」『調査と情報』第244号、1994年、P4
(注3)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版、2000、P131
(注4)舩杉力修『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』2007、P156
「磯竹島略図」の解釈についてであるが、以下のことが指摘できる。
(1)一連の文書では竹島外一島は日本領でないと書いてあるが、現在の竹島が朝鮮領であるとは書かれていない。現在の独島を韓国領であると日本政府が認めたという解釈は明らかに間違っている。日本領でないと規定しただけである。・・・」
(注5)内藤正中「答えに窮した?
内藤教授の反論」
http://www.han.org/a/half-moon/hm130.html#No.952(注6)『邊例集要』巻17、欝陵島、1694年1月
(注7)村上家文書『元禄九年丙子 朝鮮舟着岸 一巻之覚書』
(半月城通信)
http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 16168 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議4
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/25 21:07 投稿番号: [16168 / 18519]
2.安龍福拉致事件
朴裕河氏の誤認は太政官指令だけにとどまりません。元禄時代の1693年、竹島(欝陵島)で漁をしていた朝鮮人の安龍福を米子の大谷家が拉致して鳥取藩へ引渡すという拉致事件がありましたが、この重要な安龍福拉致事件についても彼女は「日本側の主張」を間違ってこう理解しました。
「安龍福は鬱陵島に向う途中で竹島の存在を知ったというが、・・・・彼が見たのは竹島ではない。当時交渉の末に伯耆藩の藩主が朝鮮領と認定したふたつの島というのは、鬱陵島と竹島ではなく、鬱陵島と竹嶼島であった」
まず、朴裕河氏は「伯耆藩」と書いていますが、伯耆国はあっても伯耆藩は存在しませんし、そのように書いた日本人もいません。外務省が一時「伯耆州」なる語を使いましたが、批判を受けて取り消したようです。伯耆藩は鳥取藩の誤りです。
つぎに、彼女は「当時交渉の末に伯耆藩の藩主が・・・」と書きましたが、「交渉」とは鳥取藩主とだれとの交渉を指すのでしょうか?
文脈からすると、多くの韓国人学者が主張しているように、交渉相手は安龍福を指すようです。しかし、日本では外務省も多くの学者もこぞって鳥取藩主は安龍福と交渉した事実はないと主張しました。もちろん、安龍福にふたつの島が朝鮮領と認定した事実はないと主張しました。朴裕河氏は韓国側の主張と日本側の主張を完全に取り違えるという、信じられない誤りをおかしているようです。
あるいは「交渉相手」が仮に幕府だとします。一時、鳥取藩は幕府から質問を受けてそれに回答したことがあったので、それを彼女が「交渉」と勘違いした可能性が少しはあるかも知れません。
しかし、この場合でも彼女の論説は成り立ちません。鳥取藩は幕府へ竹島・松島のふたつの島が自藩領でないと回答したのであり、朝鮮領と認定したことはありませんでした。
また同藩は、「ふたつの島」について「福浦より松島へ80里程」「松島より竹島へ40里程」と幕府へ回答したので、ふたつの島はまぎれもなく欝陵島と竹島=独島を指し、竹嶼ではあり得ません。
さらに想像を働かせれば、朴裕河氏は、あるいは「伯耆藩」と「幕府」を取り違えていたのかも知れません。
しかし、この場合でも少し無理があります。幕府は、鳥取藩の回答を重視し、竹島(欝陵島)を朝鮮領と認定し、同島への日本人渡航禁止を朝鮮へ対馬藩をつうじて伝えました。この時、朝鮮へ伝えたのは「ふたつの島」ではなく、争点になっていた欝陵島のみでした。そもそも幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったのでした。
そのうえ、さらに鳥取藩が回答書でついでに松島も自藩領でないと付記したので、幕府は松島に領有意識を持ち得なかったことはいうまでもありません。
結局、朴裕河氏の理解は、あらゆる勘違いの可能性を考慮しても彼女の論説が成立する余地はありません。
(つづく)
これは メッセージ 16167 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議3
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/25 20:46 投稿番号: [16167 / 18519]
つぎに「日本側」として考えられる可能性があるのは日本人学者です。しかし、学者たちの見解は、次のようにほとんど「外一島」を松島(竹島=独島)とみました。
1.堀和生教授、「外一島」は松島(竹島=独島)(注1)。
2.塚本孝氏、「外一島」は松島(竹島=独島)(注2)。
3.内藤正中教授、「外一島」は松島(竹島=独島)(注3)。
4.舩杉力修教授、「外一島」は松島(竹島=独島)?(注4)。
一連の文書で現在の独島を日本領でないと規定
5.下條正男教授、毎年のように見解が変わり定見がない。
ちなみに下條氏の「外一島」に関する変説の遍歴は下記のとおりです(注5)。
2004、5年、「外一島」は竹島=独島かどうか不明。
2006年、
「外一島」は現在の竹島=独島とみられる。
2007年3月、島根県のいう「外一島」は「磯竹島略図」の松島、すなわち竹島=独島。
太政官のいう「外一島」は欝陵島。
2007年9月、島根県のいう「外一島」は欝陵島。
学者以外では『日本海と竹島』を出版した(医)厚生医学会理事長の大西俊輝氏が「竹島外一島」を竹島(アルゴノート島、武陵島)、松島(ダジュレー島、于山島)としました。アルゴノートは架空の島、ダジュレー島は欝陵島を指します。
他に、竹島=独島問題で積極的な発言をしている国際法学者の芹田健太郎氏や朝日新聞社の若宮啓文氏、櫻井よしこ氏などは太政官指令については口をつぐんでいるのが現状です。
以上のように、太政官指令の「外一島」を朴裕河氏のいうように「鬱陵島の横にある小さな島」とみている人は、日本では誰もいないといっても過言ではありません。
それも無理はありません。『公文録』に掲載された太政官指令の「外一島」は松島を指しますが、同書付属の地図「磯竹島略図」で「鬱陵島の横にある小さな島」は「マノ島」と書かれ、竹島=独島は「松島」の名で記載されました。朴裕河氏の理解は重大な誤謬と言えます。
(つづく)
これは メッセージ 16166 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/25 20:44 投稿番号: [16166 / 18519]
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「独島めぐる太政官指令、日本が存在認めるも解釈留保」
聯合ニュース(韓国)2006/11/20
・・・・・
聯合ニュースは9月中旬、日本の麻生太郎外相と自民、民主、共産、社民、公明の各党代表あてに「1905年の日本閣議による独島の島根県編入決定に関する質疑書」を送った。主な質疑内容は
▼1877年の太政官指令書が存在する事実を知っているか
▼知っているならば独島領有権に関し 非常に重要な文書である太政官指令書に1度も言及しなかったのはなぜか
▼太政官指令書に従えば、「17世紀半ばまでに竹島領有権を確立した」という日本政府の主張は虚構となるがどのように考えるか
▼1905年の独島編入の過程では太政官指令書を意図的に無視したのか――などとなっている。
これに対し日本の外務省は数回にわたり、検討中のためしばらく待つよう答えた末、11月13日に「太政官指令書の存在は知っている」「歴史的な事実などに対しては現在調査、分析中で、現時点では日本政府の立場でコメントできない」という返答を送ってきた。日本政府が太政官指令書の存在事実を公式に認めるのはこれが初めてだ。韓日両国は1950年代初め、独島領有権をめぐり政府レベルで文書を交わしながら激しい論争を続けてきたが、太政官指令書は取り上げられていない。
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外務省が答えられないのも無理はありません。外務省は半世紀以上にわたって「竹島は日本の固有領土」と言いつづけてきたので、明治政府が竹島=独島を日本領外としたとなれば、同省の「固有領土」の主張が根本から覆るだけに「解釈保留」を続けざるを得ないものと思われます。
現在、外務省のホームページにおいて、太政官指令は一言半句もふれられていません。重要事項に関して沈黙しているのは情報隠しともいえます。
朴裕河氏のいう「日本側」が日本政府でないなら、それは当事者ともいえる「島根県」かというと、そうでもありません。島根県は日本の公共機関では唯一「外一島」が竹島=独島であると認めました。2007年に島根県が県内の全戸に配布した「竹島特集」のパンフレット『フォトしまね』161号にこう記されました。
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地籍編纂のため、内務省から1876年に竹島(現在の鬱陵島)に関する照会受けた島根県は「山陰一帯ノ西部ニ貫付(所属)スベキ哉」と回答したものの、同省が最終的な判断を仰いだ太政官は、同島と外一島を「本邦関係無之」とし、日本領でないとの認識を示した。外一島とは、現在の竹島とみられる。
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朴裕河氏のいう「日本側」が政府や自治体でないのなら、日本の世論を指すのでしょうか?
しかし、日本では太政官指令自体がほとんど知られていないので、世論は論外です。
(つづく)
これは メッセージ 16165 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/25 20:44 投稿番号: [16165 / 18519]
半月城です。
来る1月29日、朝日新聞社の大佛(おさらぎ)次郎 論壇賞の贈呈式が行なわれ、朴裕河氏が受賞することになりました。彼女は韓国ソウルにある世宗大学で日本語を教える教授ですが、この賞を外国人が受賞するのは初めてです。
受賞対象になったのは彼女の著書『和解のために』ですが、早速この本を読んだところ、特に第4章「独島」は問題が多いことがわかりました。彼女は「(韓国は)日本の主張をきちんと聞いてみるべき」と書いているので、日本の主張を充分研究したつもりなのでしょうが、事実誤認がかなり多いのが実状です。
本人もそれを自覚してか、同書の「はじめに」において「第四章で試みた要約があまりにも乱暴に映るかもしれない」と書いたくらいでした。
これは本の性格によるのでしょうが、タイトルが日韓両国の「和解」をうたい文句にしているので、その前提のためにはどうしても日本と韓国がいかに対立しているのかを際立たせる必要が生じます。
そのためか、同氏は「日本側の主張」とか「韓国側の主張」などという曖昧な用語を多用し、いかにも韓国側の主張と日本側の主張が竹島=独島問題でことごとく対立しているかのような論説を展開しました。
同氏は「韓国側の主張」についてはある程度知っているようなのでまだしも、「日本側の主張」に至っては誤謬が多く見られ、とうてい論壇賞にふさわしい論説には思えません。そうした誤謬を具体的に重要事件でみることにします。
1.太政官指令の「竹島外一島」
明治10(1877)年、現在の内閣に相当する太政官が「竹島外一島」すなわち、当時は竹島と呼ばれていた欝陵島と、同じく松島と呼ばれていた竹島=独島を日本の版図外としました。竹島=独島問題において最重要なこの指令に関し、同書は177頁にてこう記しました。
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日本側の主張は、以下のようなものである。
1876年に朝鮮が日朝修好条規ならびに日朝通商条約を締結し、「日本人漁民処遇規則」がつくられた。・・・・
このとき島根県が鬱陵島の所有権に対して明治政府に問い合わせたところ、明治政府は鬱陵島ともう一つの島が朝鮮領だとの判断を下したが、このときの言及にあるもう一つの別の島とは竹島ではなく、鬱陵島の横にある小さな島のことであった。
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まず基本的なことですが、島根県が明治政府に問い合わせたのは「鬱陵島の所有権」ではなく、「竹島外一島」の「地籍編纂」処理に関してでした。明治政府は近代的な土地台帳を明確にするため、全国土の地籍編纂事業をおこなったのですが、その時に島根県は竹島・松島の地籍を同県に編制すべきかどうかを内務省に問い合わせたのでした。
その問い合わせを受けた内務省は、江戸時代の記録などを調査し、問題の「外一島」を日本の版図外と判断しました。そのうえで「版図の取捨は重大の事件」との認識から念のために国家最高機関である太政官に伺書を提出し、竹島・松島を版図外とする太政官指令を得たのでした。
朴裕河氏は、この「外一島」は「鬱陵島の横にある小さな島」すなわち竹嶼(韓国名、竹島)であると「日本側」が主張していると理解しているようです。
しかし「日本側」という語は漠然としていて、何を指すのか曖昧です。日本側というと日本政府を指すと思いがちですが、この場合、日本政府は当てはまりません。日本政府は太政官指令に関しては下記のように判断を保留しています。
(つづく)
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 『地理志』二島を本土から見ていない
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/01/25 11:23 投稿番号: [16164 / 18519]
正確には、「示している」とも云えます。
すなわち地誌には、郡と島々との相関関係について郡の真東方向の海の中にあると書いてあるわけで、実際に郡の管下にない謂わば直轄地としては、その程度で十分でしょう。
下条教授が痛いのは、一般的な規式を無批判に当てはめて、誤読しているわけです。
ですので、下条教授の仮説を他の論説に応用することは全く無理との結論で差し支えないと思われます。
これは メッセージ 16160 (chaamiey さん)への返信です.
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Re: 規式について
投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2008/01/25 10:57 投稿番号: [16163 / 18519]
隠岐の古い記録と同様ですが、どうしても現代人は現代の感覚を過去に照射する癖があります。
隠岐の範囲外であるのならば、日本ではないのか?
そんなことはないわけで、同じ事が旧朝鮮の場合にも云えるでしょう。
郡県に赴任する官吏が、どこまで管理するのか。
郡守なり地方に赴任する官吏が、空島政策により数年に一度だけ中央から直接派遣される官吏が訪れるだけの離島まで管下に置くなどありえない。しかし地誌には、その郡県の遠い沖合にあると記述する。
それだけのことですね。
これは メッセージ 16161 (kana_ikeuchi さん)への返信です.
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Re: 『地理志』二島を本土から見ていない
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2008/01/24 23:33 投稿番号: [16162 / 18519]
husenoyajiさん
早速のコメントを有難うございます。
>相は、お互いにだけど、本土からの距離をしめすときに使ってます。二島の間だだとすると、本土からの距離をしめしていないのが不自然です。したがって二島の間だとする根拠はなにもないです。
下條正男氏は次のように書いておられます(『竹島は日韓どちらのものか』文春新書,2004)。「『慶尚道地理志』では、興善島は「陸地相去ること、水路十里。人民来住して耕作す」と記された。それが『新撰八道地理志』を経て、地誌の最終段階である『世宗実録地理志』では「水路十里。[分註] 人民来住して農作す」に落ち着いた。『世宗実録地理志』では「規式」である「陸地相去ること」の一節が削られたのである。」
『世宗実録地理志』では、「相」を本土からの距離をしめすときに使う必要はないようです。それにもかかわらず、「二島相去不遠風日芿明則可望見」とわざわざ「相」を入れたのは、「二島(于山と武陵)はお互いに相去ること遠くなく、風日清明ならば望み見ることができる」と、二島の間だということを明確に示すため、「相」を使ったと思います。
>東國輿地勝覧ですが、梢や渚が見えるというのを海上から見た話しだとすると、そんなの当たり前ですから、書く価値がないです。
『新筯東國輿地勝覧』の「峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見」は、その後の「欝陵島地誌」である、『陟州誌』に「山木森然可望山下皆白沙」や、『西溪雑録』に「沙汀樹木歴々可指」など、同様な表現を生みました。
『臥遊録』「欝陵島地誌」にあるように、欝陵島の海岸の大部分は「皆壁立萬仞」の海蝕崖に囲まれ、植生に乏しいですが、一部に「衆峰青く群がり」即ち鬱蒼とした森林に覆われた峰々や、「山下皆白沙」の海岸の見える所があります。これらの場所は、欝陵島に近づいて海上から見たとき、強く印象に残ったので、記されたものと思います。当たり前で「書く価値がない」ことは書かなかったでしょう。
これは メッセージ 16157 (husenoyaji さん)への返信です.
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Re: 規式について
投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2008/01/24 23:17 投稿番号: [16161 / 18519]
規式のことはおいといて、郡県の管下になければ大韓国の版土の
外で、行政区域外の単なる無人島なのでしょうか?
棄民ならぬ棄島なのですか?
これは メッセージ 16156 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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Re: 『地理志』二島を本土から見ていない
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/01/24 23:15 投稿番号: [16160 / 18519]
>本土からの距離を示す必要がない。
とおっしゃいますが、よく分からない各地方のことを分かりやすく整理するとすれば、義務報告事項であろうと特記事項であろうと、島の場合には本土からの距離というものは重大な関心事項ではないですか。「示す必要がない」と断言できるとは思えません。
これは メッセージ 16158 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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