竹島

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大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議5

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/25 21:08 投稿番号: [16169 / 18519]
   また、彼女は「彼(安龍福)が見たのは竹島ではない」としていますが、これも誤りです。彼を拉致した大谷家は竹島(欝陵島)へ往復する際に松島(竹島=独島)を航路の目印にしており、あるいはそこで若干の漁をしていたので、安龍福を拉致した際にも松島へ寄ったと考えられます。
   さらに、安龍福自身も帰国後にそのような趣旨の供述をしました(注6)。したがって、安龍福は拉致される途中で竹島=独島を実際に見たようです。国会図書館の塚本孝氏もそのように解釈しました(注2)。
   そのような体験があったので、1696年にみずからの足で日本へ来たときに、竹島・松島を書き入れた「八道の図」をわざわざ持参し、隠岐の役人に松島は子山島であり、朝鮮の江原道にあると訴えることが可能だったようです(注7)。その時に竹島と松島の間は50里と語っているので、安龍福の語る松島は竹島=独島であることは疑いの余地がありません。

3.おわりに

   上記以外にも朴裕河氏の誤認は『和解のために』の随所に見られます。それらをすべて指摘すると長くなりすぎるのでこの辺で切りあげますが、朴裕河氏は数多くの誤認をもとに、砂上の楼閣のような独島論を築きあげたようです。
   その挙句、彼女はこう提案しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   独島をどちらか一方が占めつつ さらに数十年、あるいはもっと後の世代にまで不和の火種を遺すよりは、互いに歩み寄り共有することのほうがはるかに勝ることだろう。
   かくして独島が韓日間の平和を象徴する「平和の島」になりうるとしたら、その日は韓日両国がまことの和解へと向かう道に、かつてない大きな一歩を踏み出す日となるに違いない。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   朴裕河氏が竹島=独島問題に関して正しい歴史認識をもっているのならまだしも、彼女自身も認める「乱暴」な論説の締めくくりとして竹島=独島の日韓「共有」を提案したのでは、彼女に率直に耳を傾ける人は少なくとも韓国ではほとんどいないことでしょう。
   かくも「乱暴」な論説が受賞するなんて、大佛次郎論壇賞の名が泣くのではないでしょうか。ちなみに、同賞の趣旨はこう書かれました。
  「論壇賞は21世紀の幕開けを機に、日本の政治・経済・社会・文化・国際関係等をめぐる優れた論考を顕彰すべく設けられました」

   誤謬の多い『和解のために』は、日韓両国の「和解」に寄与するどころか、韓国人の憤激を買い、かえって対立を煽りたてることになると憂慮されます。まず問われるべきは、日韓の歴史認識問題ではなく、彼女自身の歴史認識問題であるようです。

(注1)堀和生「1905年 日本の竹島領土編入」『朝鮮史研究会論文集』第24号,1987,P103
(注2)塚本孝「竹島領有権の経緯」『調査と情報』第244号、1994年、P4
(注3)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版、2000、P131
(注4)舩杉力修『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』2007、P156
  「磯竹島略図」の解釈についてであるが、以下のことが指摘できる。
  (1)一連の文書では竹島外一島は日本領でないと書いてあるが、現在の竹島が朝鮮領であるとは書かれていない。現在の独島を韓国領であると日本政府が認めたという解釈は明らかに間違っている。日本領でないと規定しただけである。・・・」
(注5)内藤正中「答えに窮した?   内藤教授の反論」
  http://www.han.org/a/half-moon/hm130.html#No.952
(注6)『邊例集要』巻17、欝陵島、1694年1月
(注7)村上家文書『元禄九年丙子 朝鮮舟着岸 一巻之覚書』

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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