竹島

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大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議4

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/25 21:07 投稿番号: [16168 / 18519]
2.安龍福拉致事件

   朴裕河氏の誤認は太政官指令だけにとどまりません。元禄時代の1693年、竹島(欝陵島)で漁をしていた朝鮮人の安龍福を米子の大谷家が拉致して鳥取藩へ引渡すという拉致事件がありましたが、この重要な安龍福拉致事件についても彼女は「日本側の主張」を間違ってこう理解しました。

  「安龍福は鬱陵島に向う途中で竹島の存在を知ったというが、・・・・彼が見たのは竹島ではない。当時交渉の末に伯耆藩の藩主が朝鮮領と認定したふたつの島というのは、鬱陵島と竹島ではなく、鬱陵島と竹嶼島であった」

   まず、朴裕河氏は「伯耆藩」と書いていますが、伯耆国はあっても伯耆藩は存在しませんし、そのように書いた日本人もいません。外務省が一時「伯耆州」なる語を使いましたが、批判を受けて取り消したようです。伯耆藩は鳥取藩の誤りです。

   つぎに、彼女は「当時交渉の末に伯耆藩の藩主が・・・」と書きましたが、「交渉」とは鳥取藩主とだれとの交渉を指すのでしょうか?
   文脈からすると、多くの韓国人学者が主張しているように、交渉相手は安龍福を指すようです。しかし、日本では外務省も多くの学者もこぞって鳥取藩主は安龍福と交渉した事実はないと主張しました。もちろん、安龍福にふたつの島が朝鮮領と認定した事実はないと主張しました。朴裕河氏は韓国側の主張と日本側の主張を完全に取り違えるという、信じられない誤りをおかしているようです。

   あるいは「交渉相手」が仮に幕府だとします。一時、鳥取藩は幕府から質問を受けてそれに回答したことがあったので、それを彼女が「交渉」と勘違いした可能性が少しはあるかも知れません。
   しかし、この場合でも彼女の論説は成り立ちません。鳥取藩は幕府へ竹島・松島のふたつの島が自藩領でないと回答したのであり、朝鮮領と認定したことはありませんでした。
   また同藩は、「ふたつの島」について「福浦より松島へ80里程」「松島より竹島へ40里程」と幕府へ回答したので、ふたつの島はまぎれもなく欝陵島と竹島=独島を指し、竹嶼ではあり得ません。

   さらに想像を働かせれば、朴裕河氏は、あるいは「伯耆藩」と「幕府」を取り違えていたのかも知れません。
   しかし、この場合でも少し無理があります。幕府は、鳥取藩の回答を重視し、竹島(欝陵島)を朝鮮領と認定し、同島への日本人渡航禁止を朝鮮へ対馬藩をつうじて伝えました。この時、朝鮮へ伝えたのは「ふたつの島」ではなく、争点になっていた欝陵島のみでした。そもそも幕府は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったのでした。
   そのうえ、さらに鳥取藩が回答書でついでに松島も自藩領でないと付記したので、幕府は松島に領有意識を持ち得なかったことはいうまでもありません。
   結局、朴裕河氏の理解は、あらゆる勘違いの可能性を考慮しても彼女の論説が成立する余地はありません。
(つづく)
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