大佛次郎論壇賞『和解のために』に異議1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/01/25 20:44 投稿番号: [16165 / 18519]
半月城です。
来る1月29日、朝日新聞社の大佛(おさらぎ)次郎 論壇賞の贈呈式が行なわれ、朴裕河氏が受賞することになりました。彼女は韓国ソウルにある世宗大学で日本語を教える教授ですが、この賞を外国人が受賞するのは初めてです。
受賞対象になったのは彼女の著書『和解のために』ですが、早速この本を読んだところ、特に第4章「独島」は問題が多いことがわかりました。彼女は「(韓国は)日本の主張をきちんと聞いてみるべき」と書いているので、日本の主張を充分研究したつもりなのでしょうが、事実誤認がかなり多いのが実状です。
本人もそれを自覚してか、同書の「はじめに」において「第四章で試みた要約があまりにも乱暴に映るかもしれない」と書いたくらいでした。
これは本の性格によるのでしょうが、タイトルが日韓両国の「和解」をうたい文句にしているので、その前提のためにはどうしても日本と韓国がいかに対立しているのかを際立たせる必要が生じます。
そのためか、同氏は「日本側の主張」とか「韓国側の主張」などという曖昧な用語を多用し、いかにも韓国側の主張と日本側の主張が竹島=独島問題でことごとく対立しているかのような論説を展開しました。
同氏は「韓国側の主張」についてはある程度知っているようなのでまだしも、「日本側の主張」に至っては誤謬が多く見られ、とうてい論壇賞にふさわしい論説には思えません。そうした誤謬を具体的に重要事件でみることにします。
1.太政官指令の「竹島外一島」
明治10(1877)年、現在の内閣に相当する太政官が「竹島外一島」すなわち、当時は竹島と呼ばれていた欝陵島と、同じく松島と呼ばれていた竹島=独島を日本の版図外としました。竹島=独島問題において最重要なこの指令に関し、同書は177頁にてこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本側の主張は、以下のようなものである。
1876年に朝鮮が日朝修好条規ならびに日朝通商条約を締結し、「日本人漁民処遇規則」がつくられた。・・・・
このとき島根県が鬱陵島の所有権に対して明治政府に問い合わせたところ、明治政府は鬱陵島ともう一つの島が朝鮮領だとの判断を下したが、このときの言及にあるもう一つの別の島とは竹島ではなく、鬱陵島の横にある小さな島のことであった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
まず基本的なことですが、島根県が明治政府に問い合わせたのは「鬱陵島の所有権」ではなく、「竹島外一島」の「地籍編纂」処理に関してでした。明治政府は近代的な土地台帳を明確にするため、全国土の地籍編纂事業をおこなったのですが、その時に島根県は竹島・松島の地籍を同県に編制すべきかどうかを内務省に問い合わせたのでした。
その問い合わせを受けた内務省は、江戸時代の記録などを調査し、問題の「外一島」を日本の版図外と判断しました。そのうえで「版図の取捨は重大の事件」との認識から念のために国家最高機関である太政官に伺書を提出し、竹島・松島を版図外とする太政官指令を得たのでした。
朴裕河氏は、この「外一島」は「鬱陵島の横にある小さな島」すなわち竹嶼(韓国名、竹島)であると「日本側」が主張していると理解しているようです。
しかし「日本側」という語は漠然としていて、何を指すのか曖昧です。日本側というと日本政府を指すと思いがちですが、この場合、日本政府は当てはまりません。日本政府は太政官指令に関しては下記のように判断を保留しています。
(つづく)
来る1月29日、朝日新聞社の大佛(おさらぎ)次郎 論壇賞の贈呈式が行なわれ、朴裕河氏が受賞することになりました。彼女は韓国ソウルにある世宗大学で日本語を教える教授ですが、この賞を外国人が受賞するのは初めてです。
受賞対象になったのは彼女の著書『和解のために』ですが、早速この本を読んだところ、特に第4章「独島」は問題が多いことがわかりました。彼女は「(韓国は)日本の主張をきちんと聞いてみるべき」と書いているので、日本の主張を充分研究したつもりなのでしょうが、事実誤認がかなり多いのが実状です。
本人もそれを自覚してか、同書の「はじめに」において「第四章で試みた要約があまりにも乱暴に映るかもしれない」と書いたくらいでした。
これは本の性格によるのでしょうが、タイトルが日韓両国の「和解」をうたい文句にしているので、その前提のためにはどうしても日本と韓国がいかに対立しているのかを際立たせる必要が生じます。
そのためか、同氏は「日本側の主張」とか「韓国側の主張」などという曖昧な用語を多用し、いかにも韓国側の主張と日本側の主張が竹島=独島問題でことごとく対立しているかのような論説を展開しました。
同氏は「韓国側の主張」についてはある程度知っているようなのでまだしも、「日本側の主張」に至っては誤謬が多く見られ、とうてい論壇賞にふさわしい論説には思えません。そうした誤謬を具体的に重要事件でみることにします。
1.太政官指令の「竹島外一島」
明治10(1877)年、現在の内閣に相当する太政官が「竹島外一島」すなわち、当時は竹島と呼ばれていた欝陵島と、同じく松島と呼ばれていた竹島=独島を日本の版図外としました。竹島=独島問題において最重要なこの指令に関し、同書は177頁にてこう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本側の主張は、以下のようなものである。
1876年に朝鮮が日朝修好条規ならびに日朝通商条約を締結し、「日本人漁民処遇規則」がつくられた。・・・・
このとき島根県が鬱陵島の所有権に対して明治政府に問い合わせたところ、明治政府は鬱陵島ともう一つの島が朝鮮領だとの判断を下したが、このときの言及にあるもう一つの別の島とは竹島ではなく、鬱陵島の横にある小さな島のことであった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
まず基本的なことですが、島根県が明治政府に問い合わせたのは「鬱陵島の所有権」ではなく、「竹島外一島」の「地籍編纂」処理に関してでした。明治政府は近代的な土地台帳を明確にするため、全国土の地籍編纂事業をおこなったのですが、その時に島根県は竹島・松島の地籍を同県に編制すべきかどうかを内務省に問い合わせたのでした。
その問い合わせを受けた内務省は、江戸時代の記録などを調査し、問題の「外一島」を日本の版図外と判断しました。そのうえで「版図の取捨は重大の事件」との認識から念のために国家最高機関である太政官に伺書を提出し、竹島・松島を版図外とする太政官指令を得たのでした。
朴裕河氏は、この「外一島」は「鬱陵島の横にある小さな島」すなわち竹嶼(韓国名、竹島)であると「日本側」が主張していると理解しているようです。
しかし「日本側」という語は漠然としていて、何を指すのか曖昧です。日本側というと日本政府を指すと思いがちですが、この場合、日本政府は当てはまりません。日本政府は太政官指令に関しては下記のように判断を保留しています。
(つづく)
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/16165.html