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大日本府県管轄図 と 大日本府県分轄図

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/06 23:40 投稿番号: [15803 / 18519]
ロシア人元日本スパイ「アジアのソ連化防いだ」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/46846/
「日本がなかったら、極東は完全にソ連化されていただろう。日本のおかげで、アジアはソ連化されなかったと言っても過言ではない。日本はその事実を誇りに思うべきだ」と語った。一方、北方領土問題については「4島は、いかなるときもロシアの領土となったことはない。ソ連が北方領土を占拠したのは歴史的な誤りであり、わが国最大の恥辱だ」と強調した。

素晴らしい。fantastic!


<Kunitakaの主張>
1879年、内務省地理局が発刊した『大日本府県管轄図』の「薩摩諸島並沖縄県図」には、尖閣諸島が記載されていて、魚釣島は花瓶島となっている。それはHoa-Pin-Sunの翻訳であることが分かる。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/fukenmap-1879/
また、1881年地理局地誌課が発行した『大日本府県分轄図』には、尖閣諸島が八重山諸島の北に描かれている。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/fukenbunkatsuzu-1881/


<中国の主張>
自分に都合の良い資料だけ持ち出して領土問題を論じるのは歴史歪曲である。陸軍参謀局の木村信卿(きむらのぶあき)が1877年に表した『大日本全図』には、尖閣諸島は記載されていないではないか!
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/dainihonzenzu-1877/
これは、日本軍による尖閣諸島調査が1887年以降で、1887年8月に軍艦金剛、1892年8月に海門による調査が本格的な尖閣に対する調査であったからだ。

<kunitakaの主張>
尖閣は内務省地理局の資料をもって議論すべきで、海軍の地図で議論すべきではないことは、半月城氏の「ミソもクソもいっしょくたにするな」の発言で明らかである。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15629

『大日本府県分轄図』 in 1881

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/05 01:59 投稿番号: [15802 / 18519]
中国人民解放軍、米国防総省ネットワークに不正侵入か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070904-00000315-yom-int
自分の尖閣HPも中国から目つけられたら終わりです。HP完成したらどなたか自分のPCに私のサイトにある画像や文章を取り込んでいただけますでしょうか?

さて、掲題の件ですが、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/fukenbunkatsuzu-1881/
尖閣諸島がキチンと描かれております。ちなみに『大日本府県分轄図』は『Exposition Universelle de VIENNE 1873』と同じ譜系ですね。

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/censual-history/
あと、ようやくこの書籍にある「大日本全図略図」がどの資料から典拠したものかが分かりました。

経緯度を考慮すると、現在の竹島は描かれておりません。舩杉氏はそこらへん分かって主張されているのでしょうか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15630
それにしてもなぜ『大日本府県分轄図』の「大日本全図略図」で松島(鬱陵島)が日本の領土になっているのか不明ですね。


http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日竹島サイトにも分割掲載予定)


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『Atlas zur Geschichte der Japanischen』
『吐[カ]喇及尖閣群島』
『増訂大日本輿地全図』
『地質学雑誌』(*1898年第5巻)
『韓国水産誌』
『大日本府県分轄図』(本日アップロード完了)


九月第二週の尖閣/竹島掲示板エンディングテーマ「独眼竜政宗」
http://www.youtube.com/watch?v=00kWZxIMCJY

『Exposition Universelle』 in 1873

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/04 20:38 投稿番号: [15801 / 18519]
「けんかをやめて」で思い出したのですが、私はよく弟と兄弟喧嘩をしていたのですが、小学生の時にあるドラマを見て弟と喧嘩しなくなりました。それは、大河ドラマ「独眼流政宗」です。秀吉が北条攻めをしているときに、秀吉が政宗に小田原に参陣するよう書状が着ました。

政宗の母お東の方は、兄(政宗から見たら伯父)の最上義光に相談したところ、「ひょこひょこ小田原参陣したらやられる。かといって書状を無視して奥州にとどまっていても北条滅亡後にやられる。自分のお腹を痛めて生んだ子だろ?政宗の首を切って太閤に差し出せ。家督は政宗の弟に継がせればよい」。

で、お東の方は決心して、政宗出陣の前日に毒を盛るんですね。政宗がハッと気づいて「これが心づくしの御膳であるか!」と言ったら、お東の方は「母の慈悲じゃ」と泣きながら言うんです。も〜そこら辺から自分は号泣ですよ。で、助かった政宗は弟の屋敷に行って、「お前を担ぎ出す勢力がいる、母は切れん、分かるな?」と言って、最後に一目母上に会いたいと言って懇願して泣く弟を切っちゃうんですね。小学生だった自分はその時凄い衝撃を受けました。(大河ドラマの)翌日は月曜ですが、もうその日は昨日のことばかり思い出して、弟切るなんて・・・、僕は政宗みたいにはならない、これから弟大切にしようと思いました。それから兄弟喧嘩しなくなりました。


さて、掲題の件ですが、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/vienne-1873/

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)


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『増訂大日本輿地全図』
『地質学雑誌』(*1898年第5巻)
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『大日本府県分轄図』
『Exposition Universelle』(本日アップロード完了)


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渡嘉敷村の歴史(2/5)

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2007/09/04 15:54 投稿番号: [15800 / 18519]
  http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/tokadata/de_1/a/de_1a_2.htm

  に、興味ある記述を見つけた。

1187
  (文永元年) 慶良間から初めて王様に貢ぎ物を差し上げた。
  ( 慶良間、英祖王に入貢した-英祖5年)
  (久米島、慶良間、伊平屋等の島、皆初めて入貢した)

1624
  (寛永1年) 始めて烽火(のろし)による通信が行われることになり赤間山に烽火台が設けられた。
  (初めて烽火台を中山の各処諸外島に建てる。)
  (進貢船、久、慶良間、渡嘉敷、粟国、伊江、葉壁に回到すれば烽火を焼き転次伝え、以て、早く中山に知らしむをなす。)

1691
  (元禄4年) 初めて、久米島や慶良間に大和横目という役人をおいて寄港する唐船の荷物を看視させた。
  (中国は、慶良間 を「馬歯山」と呼んでいた)
  (創めて、古来、馬歯山両島に大和横目職を遣わして、進貢船の往来を看守せしむ。)
__________________________________

  http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/nihonikkan-1555/08.jpg

  右頁の五行目の、

  「古米馬歯琉球【しんにょう+里】【しんにょう+(施−ほうへん)】皆海山也」


  ↑の古米馬歯は、

  http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/nihonikkan-1555/09.jpg

  左頁の古米山と馬歯山であることが判り、

  http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/tokadata/de_1/a/de_1a_2.htm

  ↑の1691年の記述から、慶良間   =   馬歯山であり、

  1187年の記述には、久米島、慶良間、伊平屋等の島、皆初めて入貢したとあるから、

  「古米馬歯琉球【しんにょう+里】【しんにょう+(施−ほうへん)】皆海山也」

  とは、久米島、慶良間、は琉球領である事を示しているのではなかろうか?

  1691年の記述、
  「大和横目という役人をおいて寄港する唐船の荷物を看視させた。」

  とあり、
  大和横目が日本の監督下にある役人であれば、日本は状況を把握していた事になる。

『日本一鑑』 in 1555

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/03 23:16 投稿番号: [15799 / 18519]
やはりお決まりのように中国側は"あの資料"で論陣を張っていますね。
http://army.news.tom.com/Archive/1022/2002/10/21-18025.html
http://big5.thethirdmedia.com/g2b.aspx/ido.3mt.com.cn/Article/200703/show647716c30p1.html
中国人も韓国人ももっと調査すればよいと思いますが、彼らはHPこしらえて俺たちのものだ!というだけで資料とか全然調べようとしませんね。
http://www.tianya.cn/new/publicforum/Content.asp?strItem=no01&flag=1&idArticle=361245
http://bbs.shunde.net.cn/bbs_post_show.aspx?clncode=101008&BtId=126359

さて、掲題の件ですが、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/nihonikkan-1555/
『日本一鑑』という書籍にも尖閣諸島が出てくる。この本は、1555年に、倭寇対策のために明朝の浙江巡撫の命により日本に派遣された鄭舜功が、九州滞在3年の後に帰国して著作した書物である。同書の第三部に当る「日本一鑑桴海図経」に、中国の広東から日本の九州にいたる航路を説明した、「万里長歌」がある。その中に「或自梅花東山麓   鶏籠上開釣魚目」という一句があり、それに鄭自身が注釈を加えている。大意は福州の梅花所の東山から出航して、「小東島之鶏籠嶼」(台湾の基隆港外の小島)を目標に航海し、それより釣魚嶼に向うというのであるが、その注解文中に、 「梅花より澎湖の小東に渡る」、「釣魚嶼は小東の小嶼也」とある。

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)


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『Atlas zur Geschichte der Japanischen』
『日本一鑑』(本日アップロード完了)
『吐[カ]喇及尖閣群島』
『増訂大日本輿地全図』
『地質学雑誌』(*1898年第5巻)
『韓国水産誌』
『大日本府県分轄図』


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http://www.youtube.com/watch?v=QI99ox_SUOA
http://www.youtube.com/watch?v=QJ-c1gaUUi0

『朝鮮現勢便覧』 in 1935

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/03 08:53 投稿番号: [15798 / 18519]
姫井さん、問題が大きくならないうちに、辞任した方が良いと思います。
http://dp12227279.lolipop.jp/log/001.jpg
http://dp12227279.lolipop.jp/log/002.jpg
http://dp12227279.lolipop.jp/log/003.jpg
http://dp12227279.lolipop.jp/log/004.jpg


Am_I_AHO_1stさん、お待たせいたしました。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15625
掲題の件ですが、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/binran-1935/
「朝鮮現勢便覧(1935年版)」では、領土の東限は「慶尚北道鬱陵島竹島」とし、位置は「東経130度56分」とされた。

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)


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『日本一鑑』
『吐[カ]喇及尖閣群島』
『増訂大日本輿地全図』
『地質学雑誌』(*1898年第5巻)
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『大日本府県分轄図』


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『新刊輿地全図』

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 22:45 投稿番号: [15797 / 18519]
ハンカチ王子にハミカミ王子。大活躍している彼等ですが、私も最近"捏造王子"と言われております。

さて、掲題の件ですが、下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/shinkanyochizenzu-1861/
佐藤政養 「新刊輿地全図」幕末を代表するメルカトル図法による世界地図。原図は1857年のオランダ製の航海用地図で、内容が詳しく正確なうえ、世界の主な都市・山川の一覧がある。佐藤政養は幕末から明治にかけての蘭学者・技術者で、勝海舟の塾で蘭学、測量術を学んだ。隠岐と朝鮮半島の中間に"タケ"と読める日本と同じ色で彩色された島がある。

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)


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琉球への使録一覧

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 18:12 投稿番号: [15796 / 18519]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15777

t_ohtaguro_2さん、
中国への琉球船は281回の論拠を提示する前に、先ず、(中国から)琉球への冊封使録の一覧を下記に示します。

使琉球録 - 1534年、陳侃
重刻使琉球録 - 1561年、郭如霖
使琉球録 - 1579年、蕭崇業・謝杰
使琉球録 - 1606年、夏子陽・王士腊
杜天子冊封琉球真奇観 - 1633年、胡靖
使琉球記 - 1663年、張学禮
使琉球雑録 - 1683年、汪楫
中山伝信録 - 1719年、徐葆光
使琉球記 - 1800年、李鼎元
続琉球国志略 - 1808年、斎鯤・費錫章
(使録は散失しているが)1838年、林鴻年
続琉球国志略 - 1866年、趙新・于光甲

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%9E%97%E9%B4%BB%E5%B9%B4&ei=UTF-8&fr=top_v2&x=wrt

まだ当HPに掲載していない冊封使録がありますので、ドンドン掲載します。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)


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『日本一鑑』
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『新刊輿地全図』
『新刊輿地全図』
『増訂大日本輿地全図』
『地質学雑誌』(*1898年第5巻)
『韓国水産誌』
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15683
『朝鮮現勢便覧』
『大日本府県分轄図』


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Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 17:56 投稿番号: [15795 / 18519]
続けます。
A2竹島が朝鮮領であり、この州が隠岐島である場合   △
B2竹島が無主地であり、この州が隠岐島である場合   △
C1竹島が日本領であり、この州が竹島である場合    ○
という結果になりましたが、実質的にはC1の立場しかあり得ません。つまり、竹島が日本領でないと「見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣」が意味のある文にならないのです。
では「此州」の州は島なのでしょうか。いえ、これは州でよいのです。隠州視聴合紀ではそのような使い分けはしていませんし、単純に竹島が隠州の内であると解釈すれば何ら矛盾は生じません。また、竹島・松島が隠州の外であるとしたら、なぜわざわざ竹島・松島に言及する必要があるのでしょうか。竹島・松島が隠州の内であるからこそ言及したのだとするのが自然ではないでしょうか。
以上をもって、隠州視聴合紀では竹島までを日本領と見なしていたことをほぼ完璧に立証し得たものと自負するものです。

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 16:11 投稿番号: [15794 / 18519]
続けます。
A1竹島が朝鮮領であり、この州が竹島である場合
「(朝鮮領であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は竹島をもって限りとす。」
これは完全に意味不明です。よって×
A2竹島が朝鮮領であり、この州が隠岐島である場合
「(朝鮮領であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は隠岐島をもって限りとす。」
A1よりはマシですが、これは奇妙な文章です。前節と後節に論理的関連がありません。とりあえず△
B1竹島が無主地であり、この州が竹島である場合
「(無主地であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は竹島をもって限りとす。」
A1と同様、完全に意味不明です。×
B2竹島が無主地であり、この州が隠岐島である場合
「(無主地であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は隠岐島をもって限りとす。」
A2と同様、奇妙な文章です。とりあえず△
C1竹島が日本領であり、この州が竹島である場合
「(日本領であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は竹島をもって限りとす。」
高麗が外国であることは自明ですから、この文章は特に問題は無いようです。○
C2竹島が日本領であり、この州が隠岐島である場合
「(日本領であるところの)竹島から高麗を見ること、雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は隠岐島をもって限りとす。」
これはダメですね。×

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 16:04 投稿番号: [15793 / 18519]
続けます。
>此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、
>然則日本之乾地、以此州為限矣
の部分について。
訳は「竹島から高麗を見ること雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は此の州をもって限りとす。」となります。ところで「然則」ですが、漢和辞書を引くと「重文において接続を表し、「しからばすなわち」と読むが、そのはたらきは2つに分かれる。ア、前節の事実や条件を受けて後節においてある事態の出現を推定する。「そうであるからには」「そうであるならば」などと訳す。イ、前節と異なる内容を後節に導くもので、逆接を表し、「しかしながら」「そうではあるが」などと訳す。」などとあります。隠州視聴合紀の場合はアであるのはいうまでもありません。
さて、「竹島から高麗を見ること雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は此の州をもって限りとす。」の「この州」は竹島なのか隠岐島なのかということについて考察してみます。
まず、竹島が朝鮮領なのか、無主地なのか、日本領なのかに分け、それぞれの場合にこの州が竹島を指す場合と隠岐島を指す場合で意味を検討してみます。

『唐土歴代州郡沿革地図』

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 12:52 投稿番号: [15792 / 18519]
年末の韓国大統領選挙はハンナラ党から選出されることを望みます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%A9%E5%85%9A
日本の民主党でもアメリカの民主党でも韓国の民主党でも、とにかく民主党は私の嫌いな政党です。なぜなら革新だからです。私は自民党、共和党、ハンナラ党を支持します。

さて、掲題の件ですが、『唐土歴代州郡沿革地図』を下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/morokoshi-1835/
こちらも竹島と松島がキチンと描かれております。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%94%90%E5%9C%9F&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=19231418366500
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/sumita/5C-121/basic/5C-121_16.html

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)


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『Atlas zur Geschichte der Japanischen』
『日本一鑑』
『吐[カ]喇及尖閣群島』
『新刊輿地全図』
『唐土歴代州郡沿革地図』(本日アップロード完了)
『新刊輿地全図』
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『韓国水産誌』
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15683

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http://www.youtube.com/watch?v=QJ-c1gaUUi0

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 12:10 投稿番号: [15791 / 18519]
続き。
>此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、
>然則日本之乾地、以此州為限矣
の部分ですが、然則は此二島無人之地ではなく、見高麗如自雲州望隠州にかかります。根拠ですが、「隠州視聴合紀」を元にした文献に「隠州風土記」(1736年頃)というものがありますが、その中に「俗云磯竹嶋、此二島無人之地也、或云、春夏秋之間朝鮮人来漁鮑・海鹿之類乎、寛文年中迄者自隠州往滞舟而漁採桐・栴檀・竹芳之類帰也、近年闕其、従竹島見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣」という一文があるからです。訳すと「竹島から高麗を見ること雲州から隠州を望むようである。そうであるならば、日本の北西の地は此の州をもって限りとす。」となります。隠州視聴合紀の該当部分も全く同意なので改めて訳文は付しませんが、この一文は何を意味するのでしょうか。また、「この州」とは具体的にどこを指すのでしょうか。

『石見外記』

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 11:34 投稿番号: [15790 / 18519]
朝青龍は、ある方に言わせれば仮病だそうです。帰国時の彼の態度を分析してそう言っておりました。もしそうだとすれば、相撲界から追放すべきです。

さて、掲題の件ですが、『石見外記』を下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/iwamigaiki-1827/
竹島と松島がキチンと描かれております。

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)

今日はもう1、2個資料を掲載します。

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『Atlas zur Geschichte der Japanischen』
『日本一鑑』
『吐[カ]喇及尖閣群島』
『新刊輿地全図』
『石見外記』(本日アップロード完了)
『唐土歴代州郡沿革地図』
『新刊輿地全図』
『増訂大日本輿地全図』
『地質学雑誌』(*1898年第5巻)
『韓国水産誌』
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15683

九月上旬の尖閣/竹島掲示板エンディングテーマ「けんかをやめて」
http://www.youtube.com/watch?v=QI99ox_SUOA
http://www.youtube.com/watch?v=QJ-c1gaUUi0

Re: 日本の公的な官撰地図、舩杉批判3

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 10:35 投稿番号: [15789 / 18519]
ああそうですね、これは誤読です。

『日本水路誌 第二巻』 とイギリス海軍

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 10:06 投稿番号: [15788 / 18519]
<中国の主張>
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/hydrograph1894/
上記『日本水路誌』(1894年)の記述は、下記のサマラン航海記(1848年)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/narrative-voyage-1848/
をたいへん上手に簡潔に翻訳しているといってもいいくらいである。明治維新後の日本人の釣魚諸島に関する科学的知識は、ほとんどみなイギリス海軍の書物や図面によって得られたものであることがわかる。そして、尖閣列島という名も、イギリス海軍のいうPinnacle Islandsを、日本海軍が「尖閣群島」あるいは「尖頭諸嶼」と翻訳したことに由来する。日本は「固有の領土」といいながら、外来の島名を使用しているのである。竹島もしかりである。これら領土に議論の余地はない!

next, coming up
『Atlas zur Geschichte der Japanischen』
『日本一鑑』
『吐[カ]喇及尖閣群島』
『地学雑誌』(昨日アップロード完了)
『新刊輿地全図』
『石見外記』
『唐土歴代州郡沿革地図』
『新刊輿地全図』
『増訂大日本輿地全図』
『地質学雑誌』(*1898年第5巻)
『韓国水産誌』
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15683

九月上旬の尖閣/竹島掲示板エンディングテーマ「けんかをやめて」
http://www.youtube.com/watch?v=QI99ox_SUOA
http://www.youtube.com/watch?v=QJ-c1gaUUi0

Re: 日本の公的な官撰地図、舩杉批判3

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2007/09/02 09:52 投稿番号: [15787 / 18519]
   半月城です。
   puracyaka2007さんのNo.15783ですが、「一九〇九年に発行した地図」が下記の記述を覆す根拠になるとお考えですか?

>以上の変遷を総合すると、日本政府の公的な地理担当部署の認識は、神代の
>昔から1954年にいたるまで、「領土編入」から終戦までの一時期を除いて、
>竹島=独島を日本領と認識したことは一度もなかったようです。

  そもそも、puracyaka2007さんは「領土編入」がいつなされたのかについての「基礎知識」をお持ちなのでしょうか?   ちょっとあきれています。

Re: 江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉批判

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 00:52 投稿番号: [15786 / 18519]
まあこんなもんでしょうなあ。

http://www.occidentalism.org/?p=325
韓国側が于山島がLiancourt Rocks (独島)であるなどと主張するのは、そうでも言わなければ韓国側には1905年以前に領有権を主張したどころか、その島の存在すら知っていたかどうかを示すものは、記録も、地図も存在しないのです。問題は、韓国の歴史文献には、于山島がLiancourt Rocks (独島)であることをにおわせるような文章さえ、何も無いのです。それどころか、全ての証拠が、于山島は、鬱陵島の隣にある島、ほぼ確実に鬱陵島の東沖4km以内に浮かぶ小さな島、竹嶼/竹島(Jukdo)である事を示しているのです。

『地学雑誌』 in 1900

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/02 00:48 投稿番号: [15785 / 18519]
さくらパパはとんでもないですね。
http://may.2chan.net/26/src/1188422432085.jpg
小沢一郎、さくらパパ、姫井。民主党追求3点セットです。がんばれ自民!


さて、掲題の件ですが、下記に記述します。

『地学雑誌』の第一二輯第一四〇〜一四一巻(一九〇〇年八〜九月)にのった沖縄県師範学校教諭黒岩恒の論文「尖閣列島探険記事」には、明治十八年(一八八五年)九月十四日付で、沖縄県美里間切(まきり)詰め山方筆者大城永常が、県庁にさしだした報告書を引用しているが、それには、「魚釣(よこん)島と申所は久米島より午未(うまひつじ)の間(南々西)にこれ有り、島長一里七、八合程、横八、九合程、久米島より距離百七、八里程」とある。

この島は、位置と地形から見て釣魚島であることは明らかだが、そうだとすれば、琉球ではこの当時、漢字では中国語の釣魚島を日本語におきかえた魚釣島と書き、琉球語で「ヨコン」とよんでいたことになる。また同年九月二十二日付で、沖縄県令西村捨三が山県内務卿に上げた上申書は、「久米赤嶋、久場島及ビ魚釣島ハ、古来本県ニ於テ称スル所ノ名ニシテ」という。この久米赤嶋は中国文献の赤尾嶼、久場島は黄尾嶼である。また魚釣島は釣魚島である。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/chigakuzasshi/
(後日記述予定)

どうですか、凄い調査/研究ですね。中国が八重山と同じ漢字表記ですが、日本は漢字表記が魚釣(うおつり)となってます。しかしこれは琉球のヨコン(魚釣)から来ているのです。私は尖閣諸島に蹴りをつけたら、石島・独島がウソであることを証明してみせます。


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『新刊輿地全図』
『増訂大日本輿地全図』
『人民日報』1972年05月18日
『人民日報』1978年06月14日
『人民日報』1996年08月31日
『人民日報』1996年09月18日
『人民日報』1996年10月18日
『人民日報』1997年09月07日

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Re: 江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉批判

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 00:31 投稿番号: [15784 / 18519]
>このように「竹島一件」以降の江戸時代における日本政府の竹島・松島に対
>する認識は自国領に非ずという政策で一貫していました。そうした認識を地
>図上で確認するなら、地図の対象は幕府が描いた官撰地図に限定すべきで
>す。個人が自己の主観で描いた地図は、それがいかに優れていようとも日本
>政府の認識とは無縁です。
>そうした基本的なことを無視してか、舩杉氏は幕府の官撰地図にはまったく
>ふれなかったなかったようでした。ま、伊能忠敬の地図にせよ、幕府の絵図
>にせよ、官撰地図はすべて竹島・松島を描いていないので、江戸時代の官撰
>地図に言及するのは竹島問題研究会としてはタブーなのかも知れません。

ところで、朝鮮の官撰地図には竹島は記載されているのですかねえ。
http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/mapdaikan.html

Re: 日本の公的な官撰地図、舩杉批判3

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/02 00:06 投稿番号: [15783 / 18519]
>以上の変遷を総合すると、日本政府の公的な地理担当部署の認識は、神代の
>昔から1954年にいたるまで、「領土編入」から終戦までの一時期を除いて、
>竹島=独島を日本領と認識したことは一度もなかったようです。

ハイハイ、相変わらずのプロパガンダですねえ。
山陰中央新報   2006/10/31   の記事
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=333839006
陸地測量部の地図に「竹島」記載
日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題で、現在の国土地理院にあたる陸地測量部が一九〇九年に発行した地図「東亜輿地図」に、竹島が島根県に属することを示す記載のあることが、島根大法文学部の舩杉力修助教授の調査で分かった。
当時の日本政府が竹島を自国領と認識していたことを裏付ける資料。舩杉助教授によると、韓国側研究者が竹島が韓国領であるとの論拠としている十七世紀中盤から近年まで日本の官製地図に竹島の記載がない、との主張を覆すことになる。東亜輿地図は百万分の一の縮尺。日本とシベリア東部から中国南部までの東アジア全域を二百四十一区域に分け、陸地測量部が一八九四年から製作を始めた。舩杉助教授が国立公文書館に所蔵されているのを確認した。
竹島は、島根県東部と鳥取県、隠岐を中心とした日本海沿岸を描いた「松江」の地図に見られ、隠岐諸島の北西部に「竹島(島根県隠岐)」と、さらに北西に「鬱陵島(松島)韓国江原道」の記載がある。
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/touayoti.html

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/01 20:03 投稿番号: [15782 / 18519]
続き。
投稿するのに多少調べてみましたが、こんな人がいるんですねえwww
http://www.han.org/a/half-moon/hm111.html
「大日本史」によれば、『隠州視聴合記』からは竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は隠岐国すなわち隠州付属ではないということが読みとれます。これについてはすでに詳述したので(注5)、ここでは要点のみを書きます。『大日本史』は隠岐国についてこう記しました。
(中略)
同書は『隠州視聴合記』の記述を引用したときは松島と竹島を隠岐国に入れず、それと別に隠岐古記(1823)や隠岐紀行を引用してはじめて松島、竹島を隠岐国所属としました。

と書いた同じ人が12290で
  古く「此州」を隠州と読んだのは『大日本史』だけではありません。
『隠岐国古記』を編纂した大西教保も同様です。
『隠岐国古記』は1823年『隠州視聴合記』を底本にして、さらに増補された史料なので、それは『隠州視聴合記』の最良の注釈書ともいえます。

だって(大笑)。最良の注釈書が松島と竹島を隠岐国に入れているのなら、元本だって同じ。だいたい、隠岐国古記の書きぶりなんて隠州視聴合記と殆ど一緒。簡潔に過ぎる隠州視聴合記の記述に注釈を加えたら竹島・松島が隠岐国に属することがはっきりしたってことでしょ。「『隠州視聴合記』からは竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は隠岐国すなわち隠州付属ではない」ということは読みとれません(きっぱり)。隠州視聴合記の記述も竹島・松島ともに隠岐国に属するでいいのです。なんせ、最良の注釈書がそういう立場なんだからwww

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/01 19:13 投稿番号: [15781 / 18519]
続き。
竹島・松島が隠州の内か外かですが、これは内だと思います。内でないなら、そもそも言及する必要すらありません。ましてや、アザラシがいるだの五十猛がどうのという講釈を試みているのですから。

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/01 17:11 投稿番号: [15780 / 18519]
続きです。
此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、
然則日本之乾地、以此州為限矣
の解釈問題ということになります。
te22200様は、当時は無人島には領有権を主張する観念が無かったと考えているようですが何か根拠はあるのでしょうか。竹島松島は定住者こそいませんでしたが日本人が政府の承諾のもと公然と経済活動を行っていたのですから、これを自国領でないとするほうが相当に不自然なように思います。「此二島無人之地」をもって「日本領でない」という意味まで包含させているとすれば、当時の常識的なものの見方として無人島=無主物が成立していなければなりません。ところが、当時のセンスでも無人島に領有権を主張し得たのは、小笠原諸島に対する領有意識を見れば十分でしょう。参考までに碩学の主張を見ますと、故太寿堂京大教授は「17,18世紀に援用された先占法規によると、領土権の取得に必要な先占は、土地の使用や定住という物理的占有の意味に重点がおかれていた」と述べています。竹島・松島については、明らかに日本人が「土地の使用」をしており、斉藤豊仙がそれを知っていたことは言うまでもありません。結局のところ「竹島松島は無人島だから(日本領ではなく)乾の地は隠岐までである」というのは解釈としてあらゆる面で不自然極まりないとしか言いようがありません(その他、当時の鎖国状況を考えると、外国領という解釈は100%あり得ません)。私の解釈はこうです。此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、の部分の後段ですが、「高麗を見ること雲州より隠州を望むがごとし」は竹島と朝鮮の距離が出雲から隠岐と同じくらいだという意味と、竹島から先は朝鮮だという2つの意味を詩的に(気取った)表現しただけのことです。だから、ここの部分は「竹島から先は朝鮮なんだから、日本の乾は竹島までである。」と言っているに過ぎないのです。
乱文ご容赦。

Re: 最近の『隠州視聴合紀』研究2

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2007/09/01 15:52 投稿番号: [15779 / 18519]
te22200様はじめ、皆様こんにちわ。
実に久し振りに投稿します。

>実際、「隠州視聴合記」の本文には、竹島・松島を朝鮮領とした記述はありま
>せんし、むしろこれらの島から「高麗を見る」という表現があることを考えれ
>ば、竹島と高麗を別のものと認識していると考えるべきです。

ここまでは同意しますが、次の意見は同意しかねます。隠州視聴合記は、やはり竹島・松島は隠州のうちと考えているとしか思えません。

>個人的には以前 (#10265-10269) 述べたように、「隠州視聴合記」の文章は、
>「竹島と松島は無人島であるから日本の国土とは言いがたく、従って日本の西
>北限は隠州である」
>と解釈するのが正しいと思うので、その点からも無人島と認識している竹島松
>島を朝鮮領と認識する筈はないと考えます。

そうでしょうか。私も一時期そのように考えましたが、やはりこれは竹島松島までが日本領と解釈すべきものです。次回に理由を述べます。

『華夷一覧図』 in 1790年代

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/09/01 01:16 投稿番号: [15778 / 18519]
adios_amigo66さん、t_ohtaguro_2さん
「喧嘩をやめて〜、二人をとめて〜。私(尖閣)の為に、争わないで〜。もうこれ以上。」ということで、9月上旬の尖閣/竹島掲示板エンディングテーマが決まりました。

さて、掲題の件ですが、『華夷一覧図』を下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/kaiichiranzu-1790/
竹島(鬱陵島)も松島(竹島)も日本領として描かれております。

http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/
(後日掲載予定)


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『八重山語彙集』(先日アップロード完了)
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http://www.youtube.com/watch?v=QI99ox_SUOA
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>球から中国への琉球船は281回

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2007/08/30 23:28 投稿番号: [15777 / 18519]
  根拠とすべき因果関係が見あたりません。

  『順風相送』には「釣魚嶼」と記載されていることから1403年以前が問題となるのであり、

  そもそも、
  三山の統一が1429年である為、統一後の琉球から赴いた回数は何の意味も持ちません。

Re: 『八重山語彙』 in 1930

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/30 21:45 投稿番号: [15776 / 18519]
スミマセン、投稿文字制限で追加します。

>中国の冊封使が琉球へ赴いた回数は冊封・進貢関係の全期間を通じて、合計23回しかありません。23回という数字は約500年間における総数です。これを平均すると22年に1回の割合。しかもこの平均はいわば算術的な平均であって、実際には30年あるいは40年といった空白期間のあった例も数多くみられた。

追加:
上記例えでは、張学礼・林鴻年各30年、徐葆光・周煌各37年、李鼎元40年などで、陳侃のときは最長で前使・董旻との間に実に55年の空白があります。

以前私は中国とのバトルをしましたが、
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15496
やはり韓国も石島という方言を持ち出すなら、もっと私のように研究して下さい。

質問
1.黄海に面している全羅道の人が、なぜ日本海に面している鬱陵島へ渡るのでしょうか?当時の全羅道の人が鬱陵島へ移動(移住)する理由が無いです。また当時朝鮮の交通は発達していませんでした。

2.交通が発達していないので、陸路ではなく海路で鬱陵島に渡ったというのなら、あなた達移民者は漁民の筈ですが、なぜ「土人(鬱陵島民)は常に耕作を専業とし、漁業は絶て従事するものなく全く知らざるものの如し」なのでしょうか?
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/saninshimbun/1894-02-18.html

3.鬱陵島で漁をしていないのに、それより遠方の竹島で漁をしていたなどとなぜ言えるのでしょうか?

4.方言によって地元での呼び名が変わっても、中央政府は依然として万人に知られている島名で呼ぶ筈です。なぜ中央(ソウル)よりも鬱陵島民の呼称が優先されるのでしょうか?

5.石島なる島名は、後にも先にも勅令第41号しかありません。松島開拓の議が出たとき、日本政府は鬱陵島や竹島や松島の名称を、内務省、外務省、島根県など各方面に問い合わせています。なぜ韓国にはそういった照合(確認)資料がないのでしょうか?確認も無しに何故いきなり石島なのですか?

韓国政府へ
私のようにいろいろ勉強してから出直して頂けますでしょうか?
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/yaeyamagoi-1930/

『八重山語彙』 in 1930

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/30 21:04 投稿番号: [15775 / 18519]
20年度めどにF15を沖縄に配備   尖閣など侵略に備え
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070827-00000913-san-pol
防衛省が本気モードになってきましたね。私も下記の投稿以来、久しぶりに本気モードです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&mid=&board=1835396&sid=1835396&tid=cddeg&start=15491

以前、「よくわかるシリーズ」で素晴らしい指摘をしましたが、今回の研究はもっと凄いです。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=15693

掲題の件ですが、『八重山語彙』(1930年刊)を下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/yaeyamagoi-1930/

尖閣列島の図を見れば分かると思いますが、日本人が魚釣島(うおつりじま)というのを八重山の人々は釣魚島(イグンシマ)といい、これは中国人が釣魚台(TiaoYuTai)というのと同じ表記ですね。("魚釣"ではなく"釣魚"と漢字が逆になっている)

そして八重山の方言集を見ると「イーグン、イグン、ユクン」とは銛(もり)を指します。八重山の人々は"釣魚"でイーグンと言っています。つまり"釣"と"銛"は同じ発音なんですね(注意:"魚"は漢字表記するときに補助的に付けた発音しない漢字と推量される)。しかも両漢字は意味も酷似しています。

中国の冊封使が琉球へ赴いた回数は冊封・進貢関係の全期間を通じて、合計23回しかありません。23回という数字は約500年間における総数です。これを平均すると22年に1回の割合。しかもこの平均はいわば算術的な平均であって、実際には30年あるいは40年といった空白期間のあった例も数多くみられた。これでは中国人たちがこの航路を経験するのは一生に一度か二度ということとなり、とうていこの航路に関する正確な知識をもちうるはずがなかった。

これに対して琉球から中国への琉球船は281回も中国へ赴いています。なぜ中国人が八重山の人々と同じ漢字表記をしているのかが理解出来ました。尖閣諸島はその歴史的背景から見て日本の領土です。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)

Re: 竹島

投稿者: quo_vadis256 投稿日時: 2007/08/30 04:44 投稿番号: [15774 / 18519]
三位一体   老いの一徹   KY
これで思い浮かぶのは?

飽きてきたので   なぞなぞです。

『Narrative of the voyage』 in 1848

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2007/08/29 08:09 投稿番号: [15773 / 18519]
第二次安倍内閣が発足しました。私は今度の人事で安倍内閣を完全に支持します。特に総務大臣に小沢一郎のお膝元の岩手県前知事の増田さん、そして自民党・自由党時代に小沢氏の懐刀だった二階さんが総務会長になったことで、政府&与党の両方から、いわゆる「小沢包囲網」を構築したことに感銘を受けました。

さて、掲題の件ですが、『Narrative of the voyage of H.M.S. Samarang, during the years 1843-46』(1848年刊)を下記に掲載します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/narrative-voyage-1848/
イギリス軍艦「サマラン」(SAMARANG)は、1845年6月、恐らく世界で最初に、この諸島を測量しているが、その艦長サー・エドワード・バルチャー(Sir Edward Balcher)の航海記(注1)に、14日、八重山群島の与那国島の測量を終えた同艦は、そこからいったん石垣島に立ちもどり、その夕方「海図上のHOAPIN−SAN群島をもとめて航路を定めた」という。このホアピンサンは釣魚島のことである。

サマラン号は、その翌日、PINNACLE   ISLANDS(ピナクル諸嶼)を測量し、16日、TIAU−SU(黄尾嶼)を測量した。これらの測量の結果は、1855年に海図として出版されている(注2)。この海図およびサマラン艦長の航海記の記述が、この後のイギリス海軍の海図および水路誌のホアピン・スーとチアウ・スーの記述の基礎になっていると思われる。

http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/
(後日掲載予定)

(注1)NARRATIVE OF THE VOYAGE OF HMS SAMARANG DURING THE YEARS 1843〜46", by CAPTAIN SIR EDWARD BALCHER : LONDON 1848.
(注2)THE ISLANDS BETWEEN FORMOSA AND JAPAN WITH THE ADJACENT COAST OF CHINA" 1855


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八月下旬の尖閣掲示板エンディングテーマ「たけし 母の通夜で雷雨の中 号泣!」
http://www.youtube.com/watch?v=X2KgMbQmTZ8&NR=1
俺もいい歳だけど、やっぱり親がいないと何か気が抜けるね。俺の見ていた母は、いつも働き、いつも泣いてた親だから。感謝してる。

≫ 「海賊」という要素を加えれば

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2007/08/28 21:41 投稿番号: [15772 / 18519]
>「日本」としか書いてないのに、なんで勝手に「れば」で追加すんだよ。
>脳内で「海賊」を加えられても困るよ。

  当然、「台湾」や「領土」に関しても、

  「屬於日本」としか書いてないのに、なんで勝手に「れば」で追加すんだよ。

  脳内で「台湾」や「領土」を加えられても困るよ。

  となる。

  君の論理では、
  脳内で「台湾」や「領土」を加えた結果、「台湾は日本の領土に属する」となる訳ね♪

馬鹿丸出し♪

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2007/08/28 21:36 投稿番号: [15771 / 18519]
>台湾が日本に属すとしか解釈できませんな。
>台湾が倭寇に属すとでも書いてあるのかね?

  「屬於日本」の四文字に「倭寇」の文字が無いことにより否定するなら、
  「台湾」の文字が無いことにより否定される事すら考えつかないらしい。

>「何かしらが属した」では、どうしようもないよね。

  残念でした。

  「台湾が日本領土として属する」とする根拠として示された資料ですから、
  「何かしらが属した」としか介せないのであれば、
  日本が台湾を領有していた根拠となる資料ではないことになる。

  確定できずに困るのは、君であって私ではない。

へ?

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2007/08/28 21:30 投稿番号: [15770 / 18519]
  「屬於日本」

  ↑は。「日本に属している」の意味ですよね?

  倭寇は日本に属していないと?

  私の主張は、「屬於日本」は「台湾は日本の領土に属する」だけに確定する事はできない。

  と主張しているのであり、

  「倭寇」も日本に属しているし、「属する国」であれば、他国も属し得る為、日本領土とは限らない。

  と主張しているのであり、

  「屬於日本」が、「台湾は日本の領土に属する」としか解する余地はない。

  と主張していると思われる君が、上記解釈しか成立し得ない事を立証しなければならない。

  まあ、できないから、
  「屬於日本」から、日本に属する対象として「倭寇」が挙げられているにもかかわらず、
  「日本」だけで、「倭寇」を示しているなどと、
  日本語すら理解できない事を露呈する質問を繰り返しているにすぎない。

「海賊」という要素を加えれば

投稿者: adios_amigo66 投稿日時: 2007/08/28 20:31 投稿番号: [15769 / 18519]
>「日本」という要素に「海賊」という要素を加えれば

「日本」としか書いてないのに、なんで勝手に「れば」で追加すんだよ。
脳内で「海賊」を加えられても困るよ。
「れば」じゃなくて、「加えないと自分の妄説が成立しない」てだけ。

「日本」を「倭寇(日本の海賊)」として使用した用例を証明しない限り、
架空の話を積み上げてるにすぎんってことさ。

Re: 「屬於日本」の四文字に、

投稿者: adios_amigo66 投稿日時: 2007/08/28 20:23 投稿番号: [15768 / 18519]
台湾が日本に属すとしか解釈できませんな。
台湾が倭寇に属すとでも書いてあるのかね?
一体何が日本に属したんでしょうね〜。
「何かしらが属した」では、どうしようもないよね。

Re: 集合以前に?

投稿者: adios_amigo66 投稿日時: 2007/08/28 20:19 投稿番号: [15767 / 18519]
だから、はやく日本を「倭寇」とした奇天烈な用例を提示してみ。

「屬於日本」の四文字に、

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2007/08/28 19:31 投稿番号: [15766 / 18519]
  「臺灣」とか、「領土」という文字が読み取れるというのだから、思い込みがひどいと言うべきである。

  表を見れば明らかであるが、
  領有国不明の「蠻地」、
  臺灣原住民の「東番地」、
  オランダによる占領地「紅夷地」とは記されているのであるから、

  日本の領地と認識していれば、
  表に「日本地」と記されてしかるべきであるが、そのような記述はない。

集合以前に?

投稿者: t_ohtaguro_2 投稿日時: 2007/08/28 18:53 投稿番号: [15765 / 18519]
  やはり、集合が理解できないんだぁ〜。

  「日本」に属するとは、「日本」という要素を含む事を意味し、

  「日本」という要素に「領土」という要素を加える事で「日本の領土」となる。

  「日本」という要素に「海賊」という要素を加えれば、「日本の海賊」となり、
  「日本の海賊」は「日本」に属する事になる。

  「日本」という要素に「属国」という要素を加えると「日本の領土」ではなくなる。

  しかし、「領土」という要素に制限する記述がない。

  つまり、「屬於日本。」の記述は、日本の領土であることを意味しない。


  私は、「日本に属する」としか書かれていないのであるから、
  「日本の海賊」でも日本に属するし、
  「日本の属国」でも日本に属するのであり、
  表には「蠻地」「東番地」「紅夷地」とあるのだから、
  日本の領土に属するのであれば、「日本地」または「倭地」と記されてしかるべきであろう。

  しかし、そのような記述はないのであるから、
  「臺灣が日本の領土に属する」と確定しえないと指摘しているのである。

領土ではない何かが日本に属している

投稿者: adios_amigo66 投稿日時: 2007/08/28 18:30 投稿番号: [15764 / 18519]
「領土ではない何かが日本に属しているとしか解釈できない。」

台湾が日本に属するという普通の解釈を否定しようとするため、
こんな爆笑もんの主張をせざるを得なくなるんだよね。
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